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いわきFC、J3加入内定

2021年11月04日

 昨日のことであるが、JFLのいわきFCのJ3リーグへの来期加入が内定した。

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どこかで見たような(?)文言の横断幕が広がる

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記念Tシャツを着て記念撮影

 現在のJFL参入2年目の今季、HONDA FCと優勝争いを演じているいわきは東京武蔵野FCとの試合で3-1と快勝し、最終順位4位以上が確定した。Jリーグ百年構想クラブの中でも最上位に付けているため、今月25日のJリーグ理事会での承認を経て、正式にJ3への新規加入となる見込みだ。それどころかいわきの現在は勝ち点で首位HONDAに並び得失点差で2位に付けている。奇数の17チームで争われるリーグ戦は次々節にHONDAの試合が組まれていないため、現在1試合消化が少ないいわきのJFL優勝も十分にあるかもしれない。
 決まった場所がいい。Jヴィレッジスタジアム。ほんの数年前まで福島第一原発事故終息に向けての作業員宿舎が並んでいた場所がピッチだ。ここで2年前には東北社会人リーグから地域リーグ決勝大会(注/正式な呼び名が違うことはわかっていますがここはこれで通します)を経てJFLへの入会を果たし、今回もまた次のステップであるJ3への加入も内定させた。ここまでクラブを成長させてきた大倉社長や田村監督をはじめ、支え続けてきた地域の皆さんの様々な苦労と努力には心から敬意を表したい。そして…クラブの運命と言えばそれまでなのだが、毎年のように入れ替わる選手たちも良く結果を残したと思う。ヒストリー・ロールの中にはコンサドーレの下部組織を卒団して身を投じた選手も2人存在する。

2年前の地域リーグ決勝大会レポートはこちら

 その2度とも現地でナマで見られてよかったよ。

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観衆は2,013人+熊一頭

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詰めかけたプレス

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現地で編集・印刷され即配られた号外。福島民報はスポンサーでもある。

 なお「J3に昇格」と言うのは絶対的な間違いである。日本サッカー協会(JFA)が掲出しているピラミッド図はあくまで便宜的なものであり、JFLとはJリーグの下部組織ではありえないので念のため。



post by higuma

15:55

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故・石水勲名誉会長のお別れの会

2021年11月02日

本日の道新に掲載されているようですが、石水勲さんのお別れの会のお知らせです。

11月15日(月) 15:00~17:00 京王プラザホテル札幌

「平服でお越しください」「ご香料、ご供花、ご供物はご辞退します」
と、書かれておりますが、サポーターはレプリカ姿でもいいのではないでしょうか。



post by higuma

10:24

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石水勲さんの追悼番組(YouTube)

2021年10月26日

出演した本熊が宣伝していいのかな?一番目立たないように奥に引っ込んでおりますけれど(^^;;
…いいんだよなwww。たぶん。オレまだ見ていないけれど(-_-;;

10月4日(月)に生放送された「コンサドーレ GO WEST!」の石水勲さん追悼番組です。

コンサドーレGOWEST!~石屋製菓・石水勲さん追悼番組~ 2021.10.4 O.A.

いただきましたメール、メッセージはすべて石水創社長にお渡ししております。
皆さんどうもありがとうございました。


post by higuma

15:18

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創社長のご了解済み、石水勲さんの銅像を作ろう!

2021年10月04日

たくさんの皆様のご拝聴を感謝いたします。
また、メッセージもたくさんいただきお礼申し上げます。

石屋製菓現社長で故石水勲名誉会長のご子息である石水創さんを迎え、ミニFM局とは思えない、かつてないほど内容の濃い番組をお送りできました。

再放送は今夜23時からです。
遠隔地の方でも「リスラジ」をダウンロードすることで聴取可能です。
http://www.sankakuyama.co.jp/


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(三角山放送局提供)

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(真ん中が創社長、右が番組MCの相沢さん、左の熊が僕です)


番組の最後に「石水勲さんの銅像を作りましょう」と提案すると、笑顔でご了解をいただきました。
誰が、あるいはどこの会社が幹事になるかわかりませんし、完成時期や設置場所など、予算ももちろんすべてがまったく未定ではあります。が、とにかくイの一番に了解を得なければならない創さんにOKをいただきました。
今後、別の方からの情報発信もあるでしょうけれど、いっとう最初のハードルは越えたことだけはお伝え致します。

石水勲さんの気持ちを受け継いでいこう。その気持ちを永遠に北の大地に残していこう。



post by higuma

15:04

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4日12:00~ 三角山放送局で石水会長追悼番組

2021年10月01日

<拡散を希望します>

10月4日(月)お昼の12:00~13:00に、FM三角山放送局で故・石水勲さんを偲ぶ追悼特別番組が放送されます。

http://www.sankakuyama.co.jp/contents/2021/09/30/006623.php

勲さんのご子息であり現石屋製菓社長の創さんもスタジオにいらっしゃるそうです。
公式の追悼番組としては初めてかつ唯一のものになると思われます。
皆様からの追悼メッセージを広く募集いたしております。
一通でも多くご紹介させていただきますので、どしどしお寄せください。

なお、札幌市西部以外にお住まいの方でも「リスラジ」をダウンロードすれば番組を聞くことができます。[[「リスラジ」ダウンロードページ|http://www.sankakuyama.co.jp/contents/iphone.php]


で…出演者は…相沢さんはMCだからともかく…、ひとり…いや、一頭余計なのが混ざっております。お許しください。極力、創さんに喋っていただくものとします(^^;;; 
どうぞよろしくお願い申し上げます。


post by higuma

17:37

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札幌の巨星堕つ(長文)

2021年09月29日

 北海道コンサドーレ札幌のメインスポンサー石屋製菓さんの会長(2代目社長)であり、コンサドーレの運営会社である旧北海道フットボールクラブ(HFC)でも会長を務められた石水勲さんが26日お亡くなりになられた。77歳。心からお悔やみを申し上げたい。

 今後、北海道を中心に多くのメディアが企業人、経済人としての石水会長の横顔や思い出話を掲載されると思う。
 コンサドーレに関わる話であれば老害…いや、古くからのサポーターなら誰しもひとつやふたつ思い出話が浮かんでくるであろう。いわゆるコアサポの皆さんなら、湧き水のようにエピソードは尽きないと思う。さほどに広く、深く愛され、親しまれた方だった。スポンサーであり、経営陣の1人である前に純粋熱血なサポーター。若いころは自らもサッカーチーム「イシヤ・アンビシャス」の一員として選手登録もされていたほどのサッカー好きな札幌のお父さんだった。

 訃報に際していくつか書いておかなければならないことがある。皆さんにもあるだろう。だから、僕も書くことにする。いま現在はトップチームの応援からは離れているが、受けた恩は忘れていない。そして今後も忘れないようにするために書き残しておく。人は肉体が滅びてもなお、生き残っている人たちの記憶から消えない限り、魂は生き続けているらしいから。


 横浜に住む僕と会長とは、サポーターと「札幌の成長企業のトップ」以上の深い縁があった。…いや、正確に言えばより深い縁で結ばれるはずだったと言ってもいい。
 1994年。石屋製菓は現在の宮の沢の敷地内に、新本社社屋と工場にテーマパーク的な施設を併設させようと計画。その工事はエンジニアリング大手のC社に発注された。当初はC社が元請けで全体計画を司り、かつ生産ラインの設計施工を担当し、子会社であるT社が建設工事を行う予定だった。詳細な理由は不明だが、後にこの話は流れ、結局C社がアタマで全体の設計施工を実施することになった。
 T社が建設工事を受注していた場合、T者側の担当営業マンは、何を隠そう、この僕だった。
 元受けはC社だから、子会社の僕には直接最終顧客である石屋さんとの接触はなかった。しかしながら僕はC社の受注窓口だった部署と頻繁に交流を持っていたし、当時のC社札幌営業所長とも知己だった。仮に「ご挨拶に伺いたい」と言えば叶ったと思われる。ゆえに、コンサドーレが札幌に移転する以前に会長との直接的な接触はない。ただ、Cグループの社内報に載った記事でお顔は存じ上げていた。「ああ、この人が社長さん(当時。以下『会長』で統一する)か。いかにもお菓子屋のトップだな」と、それが第一印象。

 翌1995年「イシヤ・チョコレートファクトリー」は完成し、その2年後から僕自身も縁あってアウェイでコンサを応援するようになる。無論石水さんが引っ張ってきたチームであることは存じていたが、応援する経緯に石水さんの存在は特に関係なかったと一応書いておく。為念。

 最初にお目にかかったのは1997年の旧JFL開幕戦。水戸の笠松競技場だったか。以上のいきさつがあったためご挨拶をさせていただくと、会長は一層相好を崩された。いま現在では信じられないだろうが、旧JFLの当時は、そんな偉い人が僕らサポーターの激励のためにアウェイ戦のゴール裏まで足を運ぶこともあったのだ。…当時はアウェイサポーターも少なかったからねwww

 以降、ある部分ではサポーターと経営陣という関係を超えて、20年以上にわたって随分とかわいがっていただいた。とても成長企業の経営者とは思えない親しみに溢れた大きな大きな方だった。

 2000年ごろの話。会社を訪問させていただいたこともある。無論ちゃんとアポは取ったが、そう簡単に石屋さん規模の社長をいきなり訪問できるものではないと思う。本社社屋を建設した会社の「関係者」という経歴が役に立ったのだろう(笑)。しばしロビーで待たせていただいていると、「おうおう、釣りに行っていたんだよ」と、行楽の姿で(笑・本当)横に広い巨体を揺らしつつ、「この人(オレのこと)ね、C社の人」と周囲の社員さんに紹介していただいた。後に奥様やご子息(現・社長)とお目にかかることもあったが、そのたびに「C社の人」と紹介された。いや、オレ子会社だしwww。
 チョコファクの白恋パークでは見学コースや舞台裏まで直々に案内していただいたこともあった。階段の手すりを指さして「ほら、ここ。わかる?この作り。凝っているだろう?ここね、職人をずいぶん泣かせちゃったよ」と、こだわりのある造形を見せびらかすわけでもなく、ただ「わかる人にはわかって」と懇願するように熱心にご説明頂いた。…実はそれ以前にもC社関係者として施設を内見していたいたことは最後まで伏せていた。つまりオレは白恋パーク有料エリアの入場料を一度も払っていない(汗)。

 その後、白恋パークと道路を挟んだ側に宮の沢白い恋人サッカー場ができた。こちらの工事にはC社は絡んでいないが、どういういきさつだったか図面は見せていただいていた。会長があちこちのアウェイ戦会場を訪れていたのは、つまり他のチームの先端の練習施設を見学させていただこうという意味もあったのだろう。
 練習場が完成した後も、より良い施設にモディファイしていこうと、会長の知識吸収欲は衰えなかった。
 2003年には当時のY専務とともに3人で鹿島アントラーズのクラブハウスを見学させていただいたことがある。旧フォーマットで行われていたサテライト戦の第1戦のことだ。当時発行されていたwebマガジン「コンサイズム」の取材で僕も同行させていただいた。練習施設だけでなく、鹿島地域一帯のサッカー事情など細かい点まで熱心に話を聞いておられる姿が記憶に残っている。

 もうひとつ。僕自身がラジオメディアに転じて以降の話。
 2005年の8月20日。山形で行われたナイトゲームは激しい雷雨のため試合が中止になった。三角山のアウェイ中継もなくなったわけで、ではホテルに戻って休もうかと競技場で荷物をまとめている中、関係者通路から会長がやって来た。一時期ほどでなくても、この頃のアウェイゲームでもたびたび姿を見かけることはあったのだ。「おう、メシ食わねぇか?」の一言で、道新さんをはじめとした記者の皆さんも引き連れて、山形市内で焼肉宴会が始まった。とてもここでは書けないような話も出たのだがwww、この頃から健康面を不安視する声もたびたび聞かれたため、「お身体の具合はいかがなんですか?」「おう、大丈夫だよ。医者にもちゃんと診てもらっているし、この間も健康診断を受けたばかりだったんだ。何ともないって言っていたよ」「はぁ…でも、血圧とかお高くないですか?」「あ、血圧ね、血圧が高かったな、うん。」「それと、中性脂肪とかも…」「あー、あー、中性脂肪、それもなんだか高かった。」あのう…これから高齢に進む方にはその2つが心配なのですがwwwと、笑いあったあの夜が懐かしい。
 それと、三浦俊也監督のもと札幌がJ1復帰を決めた夜。2007年12月1日。雪の降る宮の沢で昇格記念イベント的な催しが行われた。正式な名称って何だったっけかな? そこに会長も姿を見せた。太い身体がより太く見えるグラウンドコートを着て記者の質問に答えていく。髪は12月初旬で湿り気のある雪に濡れている。そこにタオルを差し出したのは僕だ。「おっ」と受け取って顔や頭をぬぐう。…買ったばかりのタオルはそれっきりwww。いつか返してもらおうか、いや、わざわざこちらから言うのもナンだしなと思っているうちに年月も過ぎ、それから2度もJ2落ちを経験したwww。タオルの件はこっちも忘れていた。向こうも絶対に忘れていた。そういう細かいことは一切気にしない方だった。

 確か2012年(9/30注・2015年でした)。札幌から遠く金沢で3代目社長となった創くんに会った。会長という階段の一番上まで上がった勲さんはすっかり肩の荷が下りたかと思われ「お父さんのご様子はいかがですか?」とうかがったのだが「いやいや、朝は会社に来て、あれこれ細かいことまで言って帰っていきますよ。」と創くんも笑っていた。勲社長の最後の大仕事としては札幌・大通の秋田銀行とのビル建設ではなかっただろうか。
 そのころになるとサポーターと飲みに行くような機会も減ったいたのではないかと推察される。半ば公然と体調を危惧する声も聞こえるようになる。

 最後に会ったのは2015年。もう6年も昔だ。2011年でトップチームの取材に一区切りを打った僕は、この年まで持株会の理事もやっていたため、オーナーズシートに座る権利を得ていた(注/サポーターズシートはそのたびに別途買っていた)。専用の出入り口をくぐったすぐ隣りがここ数年来の会長の指定席だった。少し昇ればもっと視界が良いところなのに、すでに階段を上がるのが辛くなられていたのだろう。通路を歩く距離も最短のその場所は、試合前と終了後はたくさんのオーナーさんたちとの交流の場となった。と、言っても通行する人の邪魔になるようなことはしない。「おう、こっちこっち」とお隣りの席を示され「いいゲームだったよな、な」とか「点取れねぇんだよな、しょうがねぇよな」と短い時間ではあったが感想戦を行ったりした。

 その時の印象は…随分としんどそうだった。若かりし頃を浮かべると、時の流れが何人にも残酷であることを思い知らされた。とは言っても、それから5年で逝ってしまうとは考えていなかった。


 会長の写真がない。昔の写真を整理しようと考えていた矢先に飛び込んできた訃報だった。メモリカードを探しまくって仮に昔の写真が見つかったとしても、一緒に撮った写真の記憶はない。「会おうと思えば札幌に行けばいつでも会える人」と完全なる勘違いをしていたのだ僕は。悔しい。仙台で撮った写真、等々力で撮った写真、どこだったかの雨の中で撮った写真…。無論、宮の沢で撮った写真もあるはずだ。見つかったらここに掲載しようと思う。

 とりとめのない長文で大変失礼しました。
 とにかく、心の整理がつかない。いまはただ、ご冥福をお祈りいたしますと言うほかはない。いや、あとひとつ、会長の耳に届くのならば「ありがとうございました」と言わせていただきたい。合掌。


post by higuma

09:48

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無題

2021年09月28日

詳細はまだ書けない。

とにかく、次は勝ちなさい。絶対に勝ちなさい。
負けたらもう北海道には帰ってくるな。

そのくらいの覚悟を持って戦いなさい。


post by higuma

08:41

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20年ぶりの記憶(U-18)

2021年08月03日

 北海道コンサドーレ札幌U-18(以下“札幌”)が、夏のユースの公式戦である「日本クラブユース選手権U-18」で決勝戦に進出しました。グンマーらしからぬ異常に涼しい気候に助けられ本人たちの頑張りと、指導したコーチ陣の皆さん、父母の皆さん、選手らを支えた多くのサポーターのお陰であります。皆さんご寄付をいただきありがとうございましたという話は別のブログで。

 この大会での決勝戦進出は2001年以来20年ぶり。当時はテレビ放送なんかありませんでしたから、ビョーキの我々は現地に行くしかなかった。…と、言うのはちょっと違う。実は前年まで中継があったんですよ。しかも地上波(本当)。たぶん全国放送ではなかったと思うけれど。とにかくその年は中継がなかったからオレ的に隣町のJ村スタジアムまで行った。スタジアムはJ村本体の南側。この時に初めて後ろ足を踏み入れた。隣町のくせに。
 陣取るのはバックスタンド。の、左側。出入り口に近いほう。右に見る相手のFC東京(以下“F東”)の観客席はベンチ外やU-15の選手たちが中心で、応援をリード(?)していたのは、なんと当時フロントの社員さんだったOさんwww。
 人数では負けていた札幌側だが、応援のタイコが4台もあったwww。記憶が確かなら…宮岸部のKさんに、わざわざ札幌からNさん…それと…たぶん東京のSさんと…あと誰だっけ?忘れたwww。いや確かに4つあったよ。いつもはひとつで充分なのにね(^^;;。

 決勝戦は正真正銘の「adidasカップ」。お互いサプライヤーがダスでしたから。試合前に当然やりましたよ。大きな声で。

 「adidas Japan!」(^^;;

 F東のサポ連中も煽って一緒にやりましたよwww。 向こう側、本部席の関係者が笑っているのがはっきり見えましたよ。んで、コールが終わったとたんの最高のタイミングでFIFA ANTHEM。
 そうして試合が始まって終わって札幌は準優勝。いま現在はサッカースクールを立ち上げて、あの近藤祐介と一緒に子供たちを指導している馬場憂太の2ゴールでF東の初優勝。いい奴だったんだよ彼。後年トップに昇格してサテ戦で宮の沢を訪れた際にちょっと取材をさせてもらった。現役時代は怪我に苦しんだ。
 いま思い出しても双方いい選手たちが揃っていた。札幌のエースがあんにゃろだったのは知られているが、他にも相川雄介と中村拓朗はともに現在はアカデミーの指導者。たくろうは旭川U-15の監督として帯広でのクラセンU-15に挑む。控えのエビちゃんは札幌のトップに昇格した。S木T樹さんらは一年生。S木さんは現在全国の学生たちを見て回りツバをつけて人さらいを商売にしているらしい(推定)。F東も尾亦がいいサイドバックだったんだよな。驚きは1年生で出番はなかったんだけれど李忠成がいたこと。後に刈谷で活躍した来栖がいたこと。オーバーエイジで20番の選手が混じっていたこと…え?あれオヤジだろ?

 ついでに言えば札幌が準々決勝で間違って勝ってしまった清水に日高拓磨がいた。彼はよほどショックだったのかその後の順位決定戦で自らゴールしたにもかかわらず記憶がないらしい(本人・談)。ああそういえば今年も優勝候補だった清水と準々決勝で対戦し、2-1でまんまと勝っていたな。イタリアだったな。
 その前に。今年は初戦の福岡相手に6-0で大勝したのが大きかったと思う。2001年も富山の街クラブを相手に11-1というフルボッコの試合をやらかして波に乗った。あの、ユース親分こと Aきっくさんが初めて札幌のユースを観戦したのがこの試合である。Cさんに至っては腹を抱え鼻血を出して転げまわって笑っていた。そんな試合を最初にすると波に乗るものだ。グループラウンド3戦めで当時の年代別日本代表の六車拓也を擁する京都に0-3から追いついた。3点差は危険なスコア(推定)。六車は現在セレッソ大阪西U-15の監督。彼らも今年帯広に来る。てめぇらあっこさんの寮メシを毎日食っているのだろう羨ま(略。ちなみにU-12の監督は鳥居塚。

 どーでもいい老害の思い出話が長くなったので、今年の話は別のところに書きます。

 最後に監督の森下仁之さん。いやいや、モリゲさんの方じゃなく。読みは同じなんだが。昨年札幌のアカデミーに帰ってきた。アビスパに行ったり金沢のトップの監督やったりよりによってJ2の最終節でどこかと談合?って感じの試合やらかしたり、ギラの監督で九州に戻ったり。で、13年ぶりに北の凍てついた大地を踏んだ途端に例の流行り病のせいで試合も練習もできなくなった。お陰で髪の毛の白い部分も一層白くなった。が、実はこの人、2年目に花を咲かせる人なのである。先の札幌U-15監督時代、前年はコーチで指導2年目となった2002年。高円宮杯で準優勝を遂げているのである。エースFWがハーフナー・マイク(現FC Bombonera)、アタッキングMFが西大伍(現・J1浦和)だった。
 単純にそういう理由で、今年もやってくれるはずだ。

 実は…どこにも書かれていないことだが…プロの取材陣も書いていないことだが…今年の札幌U-18の快進撃を支えた要素をひとつ知っている。それは大会が終わってから書くことにする。結果にかかわらず、だ。
 とにかく、ひと大会で最大数の真剣勝負ができるんだ。勝敗なんかどうだって構わない。ただサッカー選手として、あるいはひとりの人間として、経験値を高めろ。

 と、いう、いかにも老害が書きそうな〆で、とりあえず終わります。オレも明日、現地には行かない。△山で取材申請しようと思ったけれど、やめとく(^^;;; 今年の目標はここじゃないし。

 我々はおだったらいかんよ。絶対に。


post by higuma

16:45

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ハッピー・バースデー・ゲーム

2021年04月05日

 1996年4月16日は、現株式会社コンサドーレが旧法人の株式会社北海道フットボールクラブとして法人登録された日である。

 チームとしての「コンサドーレ」の誕生日がいつなのかは諸説ある。たとえば旧東芝サッカー部が札幌に移転することを表明した1995年12月15日。記者会見を行った1996年1月12日。JFA(注/どこかの白痴老害うすら〇鹿のブログが言うところの“JF”では断じてない)で移転が承認された同2月8日。現在まで残る「コンサドーレ」の愛称が一般公募で決まった同3月2日。旧東芝の名前のままリーグ戦の初戦=福島FC戦を戦った同4月21日。チーム名変更がJFL(注/こちらは当時のジャパンフットボールリーグの略称。現在のJFLとは異なる)理事会で正式に承認された5月23日。正式に「コンサドーレ札幌」の名称でリーグ戦を戦った8月18日…と、ざっと数えてもこれだけの「コンサドーレの誕生日」と言える日はあった。探せばもっと、こじつければもっともっとあるはず。たとえばあなたが初めてコンサドーレを現場で見た日。コンサドーレのサポーターになると誓った日。それもまた立派なあなたの中の誕生日。(←誰がうまいことを言えと)

 だから法的に「企業の誕生日」となる法人としての札幌法務局への登記の日を、チームとして正式な「コンサドーレの誕生日」としている。人間で言えば最初の12月15日がそもそも〇〇〇して…(略・余計なことは書かんでよろしい)

 さて。この4月16日。記念すべき、しかし誰もが知らなかった4月16日。いや本当に2005年まではマスコミさんも誰も知らなかった(本当)。
 この日この年は公式戦が行われていたのである。鹿児島の鴨池競技場(現・白波スタジアム)で、対戦相手の当時強豪だった京都が西京極を離れ、鹿児島出身のKセラのI森さんへのヨイショ試合として主催した試合。記者控室ではD新さんもDスポさんもNッカンさんも(中略)だ~れも話題にしていなかったし、三角山現場実況2試合目のこのひぐまさんでさえも気が付いていなかった(笑)。結果は0-0。とにもかくにも「バースデー・ゲーム」は、これが歴史上最初。意外にもチーム創設から10シーズンで初の誕生日の試合だったわけ。マスコミさんはどこも「バースデー」云々は記事にしていない。

 気が付いたのは通算2試合目。2008年のナビスコカップの前だった。前述通りその前の「バースデー・ゲーム」試合がスコアレスドローに終わっていたので、記者控室では「誰が最初にチームのバースデー・ゴールを決めるか?」が話題になった。ちなみに、選手個人のバースデー・ゴールを決めた人って、当時調べていた記憶はあるんだけど、誰か忘れたwww。ダニルソンが確か3人目だったんじゃなかったかな(知っていた人はコメントよろしく)。
 で、この試合も0-0だったんだ。シオシオのパー(トシがわかる)。

 ゴールが生まれたのは通算3試合目。2017年のJ1だから…もうオレ自身がJ1をまったく見なくなってから(えっ?)だ。取ったのは…あれ?いま現在どこにいるんだこいつ?…のとくらとかなんとかというヤツ。先に小林悠に決められ0-1となった後半37分(82分)に決めた。試合は今回も1-1でドロー。

 以降、公式戦が組まれたことはない。25年やってきて、たった3回しか試合していねぇのか!

 と、いうことで、今年の4月16日は「誰がゴールを決めて」と言うよりも、チームとして自らの誕生日を祝う、真の「ハッピー・バースデー」になるか否か注目される試合ということになります。皆さんがんばってください。

 …すみません、僕は某Sンライズに乗って西の方に行っております(^^;;;;;
 あと、記事作成にあたりましていつもの「コンサ・デ・コンサ」を参照しました。二上さんいつもお疲れ様です。ありがとうございました。


post by higuma

16:03

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勝てないスタジアム

2021年02月28日

 「老害」です。こんにちは。

 Jリーグが開幕したことを土曜日の朝になって知りました。本当です。同時に、昨年のうちに仕上げておかなければならなかったものを、未だ手つかずのまま終えていないことにも気がつきました。「アドベント・カレンダー」であります。主催のアヤちゃんすみません、読者(いるのか?)の皆さんにもお詫びをしつつ、今回はいつでも誰でも書ける手軽なテーマのコラムを書きます。


〇Jリーグ加盟以後、なかなか勝てない競技場〇

<定義>
※原則Jリーグ加盟(1998年)以後、2020年シーズンまでのこととします。
※クラブ間で争う通常の公式戦を対象とします。具体的にはJリーグ戦、Jリーグカップ戦、入れ替え戦(参入決定戦)、天皇杯です。サテライト戦にプレシーズンマッチは基本的に除外します。チャンピオンシップにもそもそも出場経験がないので除外します。国際試合も含みません。(※ごめん。一部サテも含んでおります)
※通算で10戦前後を戦った経験のあるスタジアムを対象とします。
※1997年はJリーグ準会員の時代でしたが、ナビスコカップのみ注釈付きで対象とします。

以上を踏まえて。


'(1)等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)

 対 川崎F 14試合 1勝 1分 11敗
 対 V川崎 2試合 1勝 1分 0敗'(※引き分けは1997年ナビ杯)

 かつてJFL・東芝だった時代の本拠地=等々力競技場です。いきなりのエクスキューズになりますが、移ってからも現フロンターレと旧JFL時代に2度試合経験があり、1勝1敗です。ただし勝利はVゴール。総計には含んでおりません。
 川崎時代のヴェルディには負けていません。1998年は勝ちましたが、その試合当日はかの横浜フリューゲルス問題で大変なことになっておりました。
 以後の持ち主であるフロンターレ相手ではJ入り後は勝利はおろか1つのゴールを奪うのも大変でした。負けも負け続け11連敗。ゴールも2008年の対戦(8戦目)で72分にダヴィ子さんが挙げるまで通算で702分ノーゴールという、とんでもない大記録をこしらえてしまいました。ウチに限らないあらゆる対戦カード中、Jリーグ全体でもかなりの大記録になるものと思われますが、面倒なので調べていません。誰か調べてみてください。ちなみにサテライト戦では2006年に今現在は郷里の山口でコーチをやっている元気くんが決めてくれております。
 以降、2019年に13戦目でようやく引き分けて勝ち点1を掴むと、昨年2-0で勝って、14戦目でのかくも長き勝利。細かく言うと移転後の純然たる初勝利でなかったことは記した通り。


'(2)カシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)

 対 鹿 島 10試合 1勝 2分 7敗'(※うち1敗は1997年ナビ杯)

 初対戦は1997年ナビ杯の準々決勝。厚別での第一戦に惜敗した後の第2戦。気持ちよくボッコボコにやられました。当時の目標はそもそもナビ杯優勝ではなく、この4日後に待っていたJ昇格の方でした。今は知りませんけれど、当時のサポーターは「どんな試合になっても最後まで全力で応援する!」をモットーとしておりまして、実際最後まで応援したんです。まだスタンドが拡張される前の鹿スタ。だから場所は現在では鹿サポが陣取る場所だったんだよな。この応援がホーム鹿島のサポーター連中の心に響いたようでして「7点も取られてあそこまで応援するものなのか?」と、一種のカルチャーショックを与えたようです。…と、この話はそれから5年後に聞いた。石川竜也のVゴールでJ2落ちが決まった夜でした。
 ここもなかなか得点することができない競技場でした。2019年に371分間のノーゴールに楔を打ったのは、今期どこか西の方に行ったアイツです。
 そんな鹿スタも昨年正真正銘の初勝利を記録することができました。無観客だったけれど。


'(3)セレッソ大阪・アウェイ戦(大阪府大阪市)

 ヤンマースタジアム(長居陸上競技場)6試合 3勝 0分 3敗
 キンチョウスタジアム(長居球技場) 6試合 0勝 2分 4敗
 ヤンマーフィールド(長居第2陸上) 1試合 1勝 0分 0敗'
 
 最初はよかったんだ。2007年5月の長居第2を含めて対セレッソ・アウェイ戦は3試合3勝だった。ところがキンチョウでは結局6試合やって一度も勝てず。その球技場も今年からまた名前が変わる。「ヨドコウ桜スタジアム」。カードは9月。さぁ、初勝利なるか?
 なお、アカデミー唯一の日本一を達成した場所はヤンマー。2012年12月。


'(4)IAIスタジアム日本平(静岡市清水区)

 対 清 水 16試合 5勝 0分 11敗'

 Jリーグ入り最初の1998年J開幕戦の舞台がココ。あのビッグフラッグを数人がかりで背負って2階スタンドを昇った。背中に重みが記憶となって残っている。もうひとつ記憶していたのが先制した後のハーフタイムにサポーター席が滅茶苦茶におだっていたことだ。オレ一頭だけ前半の終盤に守りのウィークポイントを突かれ、何度も決定機を迎えていたことが気にかかっていた。H海道新聞の記者さんの「このまま行けますよね!」の問いに「いや、やられる」と真面目な顔で答え、記者さんの顔から笑顔がスッと消えたことも憶えている。結果、華麗に逆転されて1-4。あの当時から北海道ってどう変わったのだろうな…と、ふと考えてしまう。
 以後お灸をすえられるように天皇杯含め9連敗。止めたのは2016年の春。2019年にはやってはいけない試合をやらかしてしまった。


('5)日産スタジアム&ニッパツ三ツ沢(神奈川県横浜市)

 対 横浜FM 日産=5試合0勝0分5敗/三ツ沢=8試合2勝1分5敗'(※1勝は1997年ナビ杯)
 対 横浜FC 日産=3試合1勝0分2敗/三ツ沢=10試合4勝3分3敗
 (参考:対横浜フリューゲルス戦は三ツ沢で1試合1PK負け)

 横浜FC相手ではそこそこの成績。2003年は日産でごっさん最後の雄姿を見送った。
 横浜FM相手での2勝はいずれもナビ杯。初対戦の試合で相手が日本代表抜きだったとはいえまんまと勝利し、赤っ恥をかかせてやった。そのせいかリーグ戦、天皇杯では未だ白星ナシの1分10敗。2度目に勝ったのもナビ杯。今は長野に飼い主を見つけた豆柴の、相手GKとの接触も厭わぬヘッド。以来まるっきり勝てない。今年はなんとかせぇよ。


'(6)大分・アウェイ戦(大分県大分市)

 大分市営陸上競技場 5試合 0勝 1分 4敗
 昭和電工ドーム   5試合 1勝 1分 3敗'

 実は大分市営陸上では5試合480分(延長が1試合)、ついに一点も取っていない!…いや、正確に言えばウチの選手が押し込んだゴールがひとつだけあるのだが…その子はいま中国地方でコドモ相手にサッカーを教えている。
 旧JFL時代の大分アウェイ戦は2戦2勝しているのである。だがそれはいずれも大分市外で行われた試合である(1996年佐伯市営陸上、1997年佐賀県鳥栖スタジアム)。
 場所をドームに映して、その最初の試合=2011年に白星を挙げ「大分市内初勝利」となるが、以後またしても勝てなくなる。ちなみに2011年にゴールを奪ったのはあの猫好きのレフティである。


'(7)ユアテックスタジアム(宮城県仙台市)

 対 仙 台   24試合 6勝 10分 8敗
 (対仙台以外) 2試合 1勝 0分 1敗'

 ともにJ2時代が長く、近接地でもあったためサテライトでの対戦経験も多かった場所がここだ。やたらと引き分けが多く、調べたら10も記録していた。表にはないが宮城スタジアム(キューアンドエー)での1試合(2009年)もドローだった。
 実は2009年以降は5回の対戦で一度も勝てていない。
 なお札幌ドームができる以前に春先のホームゲームを主催している。1998年。対鹿島に負け、対浦和に勝つ。


'(8)ガンバ大阪・アウェイ戦(大阪府吹田市)

 万  博 10試合 0勝 2分 8敗
 パナスタ 5試合 1勝 1分 3敗'

 アウェイで一度しか勝っていないのが対ガンバ。2017年のパナスタ初戦。それ以前の万博9試合ではついに一度も勝てなかった。
 しかし新装のパナスタは素晴らしいスタジアムだ。長野のUスタや、まだ行ったことがないが京都のサンガスタジアムなどの専用スタジアムも誠に見事。デザインのトレンドを見ていると、それより時代が多少さかのぼる鳥栖の駅スタやフクアリ、NACKスタなどとも異なる設計思想のサッカー専用場と言えるだろう。


'(9)鳴門大塚(徳島県鳴門市)

 対 徳 島 13試合 3勝 6分 4敗'

 勝ち越していると思っていたのに負け先行だった。この成績はすべてJ2のもので、今期初めてJ1で相まみえる。


'(10)広島・アウェイ戦(広島県広島市)

 広島スタジアム   2試合 0勝 1分 1敗
 EDONスタジアム 9試合 0勝 3分 6敗'

 最後になる。全アウェイ戦の対戦成績で、現在唯一勝てていない相手が広島である。
 終わったばかりの今年も開幕戦は5-1で勝利したが、このスコアを見て2002年開幕戦を思い出したという人はもうほんの少数だろう。この試合でサポーター側は、公共交通機関では辿りつきにくい広島空港へ向けて、帰りの飛行機に合わせてバスを手配していた。ところがバス会社の手違いでバスが来ないことが判明し、急遽バス会社の手配でタクシーに分乗し、結果としては間に合ったわけだが、もう20年も経とうというのに今でもトラウマとして残っている。
 ついでに言えばU-18のプレミア昇格戦も広島で開催されており、第一ラウンドはいつも勝つのだが第2ラウンドの壁が高すぎることも実感している。
 今年は3月10日に対戦が控えている。


 以上。ココのブログに載せるべきか迷ったんだけど、まぁ一応トップチームネタなので(^^;; 間違いがあったら指摘してやってください。ただ最近は週に一度くらいしか覗かないから訂正は遅れるかもしれません。

 あ~疲れた。




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14:00

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【速報】U-15女子選手権/リラ・コンサ惜敗

2020年12月12日

【磐田】第25回全日本U-15女子サッカー選手権大会は12日開幕し、全国各地で1回戦が行われた。静岡県磐田市の磐田スポーツ交流の里ゆめりあ球技場多目的グラウンドでは北海道代表の北海道リラ・コンサドーレが四国代表の徳島ラティーシャと対戦し、2-3(前半1-1)で競り負け、大会から姿を消した。

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 試合は正面から向こう正面に向けた強風が吹く中行われた。この強風が影響したのか試合開始わずか22秒でリラのGK16河瀬が処理をもたついたところを徳島19杉本に押し込まれ、立ち上がり早々からリラは追う展開となってしまう。個人の体格や個人技も徳島に一日の長があり、一対一のデュエルでもほとんど完敗という展開の中、なんとかリラは突破口を見出そうともがくがチャンスはほとんど掴めない。特に攻撃の面では中からの攻めにこだわり、両サイドを使えない。反対にピッチを広く使う徳島に揺さぶられ、次々と左右をえぐられクロスをゴール前に送られ圧倒される。それでも徳島CBの足元に若干の弱さを見た15分、相手ゴール前の競り合いから13高橋來碧が放ったシュートが相手選手に当たりころころとゴールに入り、リラは前半のうちに追いつき1-1で折り返す。

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 後半に入り堅さが取れたリラは長短のパスを使い分け多彩な攻めを見せるようになるが、11分に徳島7高井に強引に中央を破られ失点。その4分後にリラ28藤井のフリーキック。得意の左足から放たれたボールは誰にも触らず、すとんと相手ゴールに入って再び同点…と、一進一退の攻防となる。2-2のままどちらが先にリードを奪うか注目された試合だったが、30分に相手9岡田に単独で突破され、深い位置からマイナスのクロスを再度7高井がワンタッチで決めて2-3と勝ち越される。勝負への執念も見せたリラだったが足が重くなった終盤はシュートにも至らなくなり結局前後半80分を終えて、悲しいタイムアップの笛を聞くこととなった。

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 全体的に見るとチームとして秀でていたのは徳島の方だったが、戦い方によってはリラにも充分な勝機のある試合だっただけに、特に試合への入り方などを含め悔いの残る試合であった。



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16:28

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【告知】U-18クラセン現地観戦について

2020年12月10日

 …えーと…。僕が書くのもおかしな話かもしれませんが。

 今月25日(金)からグンマーで開催される日本クラブユース選手権U-18の、現地での保護者並びに一般のサポーターの観戦に関して、昨日リリースが出ました。

第44回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会 ご来場について

 …なんだよこれ?
 「来るんじゃねぇよてめぇら。どーーーしても来るってぇならこちら(主催者)としては止めねぇが、クラブや主催者の言うことは何から何まで何でも聞け。出すもの(チェックシート)は出せ。体温を測らせろ。その他すべて言うことを聞け。わかったな!」
 と、理解していいのかな。

 とりあえず、関東のヤク…じゃなかった、ビョーキのサポーター連中は行くつもり満々でおります。ナマで見られるのならば多少…いや、過大なる要求や弾圧にも耐える覚悟でおります。

 そこで、同様のサポーターの皆さんにお願いなのですが、上記webサイトから「健康チェックシート」なるものがダウンロードできるんです。これに過去2週間分の起床時体温を計測したものを記入しておいてください。
 クラブとしてはなんとか観客入りで試合を開催したいらしいです。そのためにできる限りの協力は惜しまないようにいたしましょう。

 「わかりましたーっ」
 と、返事をして、
 「声が小さーーい!」
 と言われたら、
 「今のご時世、大きな声は出せませーん!」
 と、答えてやりましょう。
 で、今週は磐田に行く(^^;;;


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10:55

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【ひぐまスポーツ】皇后杯、リラ・コンサ好守も一回戦で散る

2020年11月29日

【石巻】皇后杯第42回全日本女子サッカー選手権大会は29日、全国各地で1回戦の残り8試合を行った。前日勝利を挙げたノルディーア北海道と並んで代替での初出場となった北海道リラ・コンサドーレ(以下リラ)は、中国地区代表の作陽高等学校と宮城県石巻市の石巻サッカー場で対戦し、0-4で敗れた。

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 もともと北海道大会の決勝戦でリラは札幌大学ヴィスタに敗れ準優勝となり、今大会への出場資格には届かなかった。しかし昨今の新型コロナウィルスの蔓延で札大関連のチームが活動を取りやめたため、25日になって代替出場が発表された。それからわずか4日。大会公式のプログラムにも写真や名簿が掲載されないなどバタバタ感は否めない中、石巻市へと乗り込んできた。
 相手の作陽高校は岡山県の山間部である津山市にあり、かねており男女サッカーやゴルフ界での名門として知られている私立高校。昨今はクラブチームであるSolfioreFCと提携し選手強化を図っており、リラとは今年の正月に大阪府堺市で開催された全日本女子U-18で対戦し、4-0で快勝を収めている。その時に出場した選手が双方にいた。中でも作陽13阪口はクラブフィールズ・リンダ出身の選手だ。

 実力差は当初より認められるカードとなったが、序盤は静かな立ち上がりを見せる。概ね作陽がリラ陣内に攻め入り、早くからリラはゴールを背にした戦いとなる。1対1でも強さを見せる作陽は中盤の構成でも絶対的に優位となり、リラの守備陣の合い間合い間に選手を送り込んで必ずフリーの状態の選手を作り、そこからラストパスを送り込もうとする。対するリラ守備陣はCBコンビの4増子と5青木が身体を投げ出し、必死のディフェンスで作陽攻撃陣の思うようにはさせない。しかし攻撃をはじき返してもはじき返しても相手陣内に攻め入ることは稀で、ほとんどハーフコートマッチの様相でスコアだけ動かず前半の45分が経過する。前半は作陽がリラの最終ラインを崩せなかったという印象だった。

 エンドが変わった後半。作陽OGである池田浩子監督のハーフタイムの檄が響いたか、作陽は攻撃のギアを上げ、リラも高い集中力を切らすことなく応戦し、活発な試合となる。
 そして後半4分。作陽が先制する。リラ最終ラインで食い止められたボールを10江崎が奪い返し、つないだ5伊勢が右足で先制点を挙げる。均衡が破れてもなお下を向かないリラは布陣を4-1-4-1に変えるなど反撃を試みる。それでもリラの攻撃は散発で、数えるほど得た好機も作陽守備陣に跳ね返され、逆にピンチを迎えてしまう。後半33分には10江崎に至近距離から、43分には同じく江崎にミドルを打ちこまれ、3-0と差が開く。一矢を報いたいリラだったがアディショナルタイムには双方の選手がスクリーンとなったところを、エリアの外にいた6井原にふわりとしたミドルを決められる。その後リラはこの試合唯一のCKを得たものの8佐々木のキックは直接エンドを割り万事休した。

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 高校選手権初制覇にこの冬の主眼を置いている作陽にとってもこの大会は本番前の調整の意味あいもあった。初出場のリラを相手に本来の実力を見せることなく進めたい試合だったと思われる。結果を見れば4-0。シュート数は作陽23に対してリラはついに0。リラにとっては守備陣の健闘は光ったものの、埋められない両者の差を感じずにはいられない試合となってしまった。
 しかしながらリラは高校生を中心に中学2年生の下級生まで出場させ経験を積ませた。足を吊りながら最後まで走りぬき、好試合を演じた。日本の女子サッカー最高峰の戦いに初めて足を踏み入れた彼女たちの流した涙は、この先たて続けに行われる冬の年代別の大会で実を結ぶに違いない。

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 正直に言って「何点取られるか?シュートは何本打てるか?」と思って見ておりました。本当によく頑張ったとは思う。でも、それだけじゃダメなんだ。いくら頑張ってもシュートを打たないと勝てないんだということを知るいい機会にはなったんじゃないかな。きょうはさほど寒くはなかった。風もなかったし。



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13:12

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【ひぐまスポーツ】皇后杯・ノルディーア会心の逆転勝利で二回戦進出

2020年11月28日

【石巻】皇后杯第42回全日本女子サッカー選手権大会が28日開幕し、全国各地で1回戦の8試合が行われた。北海道代表のノルディーア北海道(なでしこチャンレンジリーグ)は関東地区から初出場となる流通経済大学と宮城県石巻市の石巻サッカー場で対戦し、3-1で快勝を収めた。

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 11回目の出場となるノルディーアは立ち上がりからのびのびと戦った。対戦相手の流通経済大学とは昨年の夏に練習試合で対戦経験があり、そのときはノルディーアが勝っているらしい。
 登録上は4-2-4だが中盤の両サイドをFWとしたノルディーアはボール際での競り合いでも負けず、いいリズムで戦えていたが、前半15分に相手フリーキックのボールの処理を誤り18野本に先制を許す。しかし28分にノルディーアは左CKから4湊の強烈なヘディングシュート。これを相手GKがはじいてしまい、正面で待ち構えていた11長内が押し込んで同点に追いつく。さらに41分には相手バックラインでのパス回しに長内が食らいついてミスを誘い、無人のゴールに流し込んで勝ち越しに成功。
 後半は風下に回ると守備の時間も長くなり、途中で負傷者が出て布陣の変更をも余儀なくされたが決定機は与えず、逆に終了間際の後半43分に9深沢が相手GKをかわして追加点を取り、結局3-1で勝利した。
 ノルディーアの皇后杯勝利は2011年度に姫路獨協大学を下して以来。二回戦は初戦シードのなでしこリーグ2位の強豪INAC神戸レオネッサと12月6日(日)に兵庫県三木市の三木総合防災公園陸上競技場で対戦する。

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 ってか、寒かった!マグロ丼おいしかった!

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19:17

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スカイアースの挑戦はつづく~地決全敗で終了

2020年11月23日

 地決3日目。最終日。
 前夜は市原の会場から歩いて行ける臨時穴(ホテルのこと)に宿泊した。真っ黒な黒湯温泉(当たり前だこの言い方www)はひぐまさんの身体に合うようだ。

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いつも同じ角度ですみません…あと、二試合目には曇りました

 きょうも快晴の千葉県市原市。運命を決めるカードはこちら。

 FC TIAMO枚方(4) - 栃木シティFC(4)
 北海道十勝スカイアース(0) - FC刈谷(2)

 前回一応ご説明はしたが、わかりやすく書くと、
 「第一試合は勝った方が昇格内定。引き分けの場合は得失点差で枚方の昇格内定」
 朝の時点でガチッと決まっていたのはここまで。大仁試合(誤字に非ず・以下同)は第一試合の結果次第で条件が若干変化するため後ほど。

 その試合。栃木が攻めた。しかし枚方の牙城を最後まで崩すことはできず0-0で試合終了。この瞬間、枚方の今大会2位以内が確定した。勝ち点では栃木も同じ5であり、この時点で4チーム中の2位ではあるのだが、得失点差が+1。昇格を争う刈谷は十勝を相手に得点差は関係なく、とにかく勝てば栃木を逆転できる。仮に1-0での勝利でも、総得点で栃木の1を超える2を記録することになるからだ。

 確かにおとといの試合で十勝はこの大会の事実上の本義であるJFL昇格を争う立場からは脱落した。しかし、北海道リーグを戦う彼らにとって本州の強豪チームとの真剣勝負は何物にも代えがたい機会のはずだ。まして勝負にJFL昇格がかかっているチームが相手ならばまったく不足はない。この試合を一足先に2021年シーズンのスタートともとらえ、せめて勝ち点1を、せめてひとつのゴールを奪うべく真剣に戦う。先発メンバーは怪我の影響が残るながくん他数名を外しただけの準ベストのメンバー。メインスタンド左側にはいつも見た顔のサポーターたちに加え、刈谷の敗戦を願うしかない栃木の選手たちの姿もあった。

 先に結論を書く。十勝は玉砕してしまった。

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3戦全敗。無得点で十勝の2020シーズンは終わった

 今大会の4チームを見ていずれのチームにも共通して言えることは「最後にゴールを押し込める選手がどこにも見たらない」ということだ。いや日本のチームってそうだろうと言われればそれまでなんだが、昨年のいわきにはいた。結果として高知にもいた。今大会は相手のゴール前でラストパスに合わせたり、相手のGKとの一対一を冷静に決めたり、フリーキックを直接ねじ込んだり、中長距離のシュートを決めるといった、いわゆる「決定力」に秀でた選手がいなかった。そのかわり、中盤から相手アタッキングサードまでの構成力が光るチームが目を引いた。筆頭格がいま対戦している刈谷だ。常に相手ゴール方向に複数の選択肢を広げて迫っていた。デュエルも初戦の枚方より上手いし強い。堅固なスクリーンプレイでポスト役のできる選手もいる。十勝の選手や関係者の皆さんには大変失礼だが、始まってものの1分くらいでこれは勝てないと覚悟しなければならなかった。それどころか、刈谷側で見ているかのような目線で、皆が知っているような有名なFW選手が仮にこのチームにいたら…とまで考えた。
 そんなどこかの北のクラブの社長が口を開けば…というようなことを考えているひぐまさんに罰を与えるかのように先制点が入る。15分。続く34分には追加点を取られる。今度はPK。前半は十勝には何も起こらなかった。シュートは0。スコアは0-2。後半17分にも3点目を失って、まだ残り時間はあるのに試合の趨勢も地決の結果も、ほぼみんな決まってしまった。最終スコアは0-3。十勝の3戦全敗。2位昇格を勝ち取ったのは勝ち点5、得失点差で+3の刈谷。「サッカーの街」を標榜するトヨタ自動車の企業城下町から、デンソーサッカー部の流れをくむクラブが11年ぶりの全国舞台への復帰を果たした。歓喜のメインスタンド右側。「大声出すな」の観戦ルールをきっちり守れている左側の十勝には反則ポイントがもっとも少なかったとのことでフェアプレー賞が与えられた。慰めにはならないだろうが、誇りにはしてもよいと思う。

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写真は第一試合終了後。およそ800人の観衆が詰めかけた

 試合後。見る見るうちに暮れていく晩秋の空の下、スタジアム正面で激闘を終えた十勝の選手たちを労う。いまさっき敗れたばかりの選手だ。みな長話はせずにただ「勉強になったな」「来年また戻ってこよう」そんな話だけだった。ひっきーも、ながくんも。竜平ちゃんは応援に来ていた札幌ユース時代の1コ下にあたる久保田成悟くん(青山学院大を卒業し、昨春千葉で就職)と久々の再会。実は今大会選手登録は外されていた刈谷のGK北原慶太と久保田くんはU-15時代の同僚で、聞けば彼を自宅に泊めてあげたらしいwww。まっつぉは長い時間某SポニチのA岡記者の取材を受けていた。札幌在住の皆さん、明日買うならSポニチですよ。十勝の皆さんは加えて夕方にはカチマイを買ってください。
 うっちにも会った。私服で市原に現れた彼は右足を固定した松葉づえ姿だった。地域リーグはけが人情報などリリースしないため、詳細は本人に聞くしかない。「右ひざの半月板をやってしまいました。全治は6か月です」と語る彼に「急ぐな。しっかりとリハビリをやってきちんと治せ」と伝えた。
 ここでついでに書くのもどうかと思うが、荒野、君もしっかり治せ。この怪我はな、お前さんにもう一度サッカー人生を考え直させるために神様が与えてくれたんだ。超えられない試練なんか神様は与えないのさ。絶対に治る。絶対に治るから、きちんと治して早く戻ってこい。そして、これを機会にいくつかのプレー…ではなく、身に覚えのあるであろう数々の振る舞いを改めろ。それが、12の時分からお前さんを知っているいちビョーキサポーターの願いだ。

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左:工藤竜平くん(十勝の2)、右:久保田成悟くん

 そうさ。サッカーはたぶん人生と同じだ。悪いことばかりじゃないのさ。先ごろ不祥事を起こしてサッカー部が活動停止になってしまった関西の大学へ進学した札幌U-18OBの弟さんが、Jュノンボーイ・グランプリになることだってある(いや、ビックリした!)。この先、何が起こるかわからないし、どんな幸福が巡ってくるかもわからない。
 「おめでとう!」と最後に登場するのはさっきも書いた北原慶太くん。190cmもある身長は今も伸びているとか。今は第3GKの位置づけであっても、この先どんなことになるかはわからない。彼に限らず、全国各地のチームに進んだユース出身者たちも、心の炎を燃やして全集中で…あ、いや、何かの見すぎかもしれないが、とにかく、明るい未来を信じて、明るい未来を自分たちの手で造り上げていこう。

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北原慶太くん。刈谷で今大会はGKコーチ登録。

 (結局栃木のれんぺーくんには会えなかったのだが、どうせこちらはビョーキだ。コロナが収まったら栃木まで会いに行くさ)

 うん、きれいに〆た。本日中に上がったwww。
 よし、おっさんは引っ込むぞ。



post by higuma

21:35

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