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JFAプレミアカップから見る北海道サッカーの危機(5)

2014年05月20日

 第一回目↓
  http://www.consadole.net/higuma/article/352
 第二回目↓
  http://www.consadole.net/higuma/article/353
 第三回目↓
  http://www.consadole.net/higuma/article/354
 第四回目(前回)↓
  http://www.consadole.net/higuma/article/355


 小机からの帰りはまだ正午前(本当)。この連休中唯一のゆっくりぐったりできる時間でした。U-15の敗戦風景が心の錘になってはいましたが。

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 「監督が悪いんじゃないですか?」と、冗談めかして口にした人がいました。  時計を次の日に進めて5月6日(火・祝)。大型連休の最終日によみうりランドで高円宮杯プレミアリーグU-18の第4節が行われ、札幌U-18は東京ヴェルディユースに1-4と敗れてしまいました。そのヴェルディユースの指揮を一昨年から執っている冨樫剛一くん(※1・何故か彼は“くん”付けで呼んでしまう^^;;)。この日の東京は前日までと変わってこちらは自前の毛皮だけでも肌寒かったところ(公式記録で12.5℃!)、しっかりとダウンコートを着こんでおりました。  ヴェルディユースも昨年は4年ぶりに全国タイトルは無冠の年となり、かつてのような栄華は若干陰りを見せていますが、育成の名門として名高いクラブです。1勝2敗で迎えたこの札幌戦でも先制は許したもののあっさりと逆転し、終盤に突き放す展開を見せました。  「強いねぇ~さすがに。」という声に「いやいやいや…」と、はにかんだような笑顔で冨樫くんは答えます。世間話をした後で(笑)ヴェルディユースの強さの秘訣を聞いてみました。  「この環境ですね。こういういい環境でサッカーができているからでしょう。僕は何も選手たちに教えたりしていないんですよ」  それはわかる(笑)。彼の現役時代をよく憶えているが、技術で相手をいなすような選手ではなかった。コドモ相手とはいえ、教えようと思ったら逆を取られてしまうに違いない(爆)。それにしても「この環境」か…。  「たとえばJr.ユースの選手がここで練習していますよね。そこでユースの選手たちが何周も何周も延々と走っている姿を見るわけですよ。そこで彼らは『ああ、オレたちも来年ユースに上がるとあんなに走らされるのか…』と覚悟を決めて取り組むわけですね。で、実際上がるとやっぱり走らされるわけですよ(笑)。それをまた下の子が見ている。その子も上がると走らされる。その繰り返しなんです」  なるほどええ話や。せやけどこの話にはちょいとカラクリ的なものがありまして、U-15からU-18に上がる1年間というのは、個人差はあれど概ね男子の肉体は劇的な変化を見せます。中学3年生が「あんなに走らされているのか…」と驚愕した距離は、新高校生にとってはどうにかこうにか克服できるくらいの距離になっているものです。そうでないと選手ツブれちゃうもんね(笑)。言いたいことはこの「正の連鎖」が綿々と受け継がれているということです。  そこで一昨日まで見てきたJFAプレミアカップの様子を彼に話すと「監督が悪い」とニヤニヤ笑いながら口にしたわけです。顔は笑っていたけれど、要するに勝ち点0で子供たちも相当に辛い思いをしているのだろうから、そうさせてしまった大人たちにだって責任はあるものだといいたかったのだと解釈しています。  勝ち点0の結果をもう少し我がことのように受け止めている人がいました。女子チームであるベレーザのコーチの村田達哉です。昨年まで札幌のU-15を指導していた彼も青春時代を過ごした古巣に戻ってきました。  かつて澤、小野寺、酒井(現姓:加藤)ら黄金メンバーを擁し女王に君臨していたベレーザもすっかり若返り(あ、弥生ちゃんゴメン^^;;)、顔と名前の一致しない子がグラウンドの周囲を延々と走っています。  彼にもプレミアカップの話をすると元気のなさについては「そうなんですかぁ…」とどこか合点がいくような顔をした後、「ムダ走りねぇ…監督が得意としていたじゃないですかねぇ」と苦笑します。「そういうのも大事ですよね」と同意を求めると頷き、ベレーザの練習に戻っていきました。  冨樫くんに村田さん、関監督。ともにヨミウリのユースで活躍した間柄です。この中では冨樫くんが1歳年上です。彼らが現役のユース選手だったころ、ランドを覗いたことはなかったのですが、きっと活発な練習風景があったのでしょう。ここではその伝統が受け継がれているようです。  今は指導者となったこの3人が揃って肯定したセリフがあります。  「他人(ひと)にやらせるのって、本当に難しいよねぇ~」  ピッチではヴェルディのJr.ユース…ではなく、女子のベレーザの選手たちがいつ終わるとも知れず何周も何周も走っていました。
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 「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」という有名な格言があります。  12日(月)に福島でゴメスこと堀米悠斗に会いました。実は現役の選手とお茶するのは何年ぶりかなとちょっと緊張もします(笑)。ホラ、オレ基本グラウンド外の選手たちに興味を示さないタイプだし(本当です)。  実は前日ちょっと魔が差しまして山形まで「山形-千葉」を見に行き、夜は石井肇さん(※2)と、今回のテーマを肴にメシを食うつもりが「ごめんよぉ!急用が入っちゃってサ!」とドタキャンを食らい、仙台・福島と立ち寄ってサッカーとはまったく関係のない知人と会った後「さぁ帰ろうか」と腰を浮かして上り新幹線のホームに向かう途中、「もうすぐ福島に着きます!」とゴメスから連絡があり、夕刻になって駅前のスタバで3か月ぶりの再会。よりによって昼間は山形まで行って練習試合に出た後でした。疲れているところすまないねぇ。  「ちょっと足首を怪我してしまいまして…でももう大丈夫です。今日の試合にも出ましたし」と笑う彼と、まずは彼自身がユース選手だった頃の昔話。2006年のU-12の全日本少年大会。  当時の彼の写真などはココ↓  http://www.consadole.net/higuma/monthly/200608  「オレ、最初に見た試合がサイッコーに面白かったんだよね」「ACジュニオール(宮城)戦ですよね。楽しかったですね」「浅沼監督がハーフタイムに『ナイスゲーム!』ってみんなを迎えたんだよね(注・正確には『ナイスプレー!』だった)」「本当ですか?いやぁー、それは気がつきませんでした。でも試合前は監督はすっごく硬くなっていて、稲田(※3)の先制点が決まったときの表情が忘れられないですね」「コンサの単独チームとしては初めての出場だったからね。川淵キャプテン(※4)が前半ずーーっと見ていたんだよ」「え?そうなんですか?」「綾部さん(※5)と一緒にすべてのピッチを見る予定で、1つの試合はだいたい2、3分しか見ないのが普通なのよ。それが前半はずーーっと札幌の試合に釘付けになっていてサ、ハーフタイムに『札幌いいでしょ?』と声かけたら『いいねぇ!』って言っていたの」「それは気がつきませんでしたね」  今、思い出しても奇跡的な試合だったと思う。何せ試合前には「練習にならないんだもん。試合にならないかもしれない」と浅沼監督が珍しく弱気なことしか口にしていなかったため期待せずに見ていたところ、キックオフの笛が鳴った途端流れるような試合運びで2分で2点をぶん取ったわけで、仮にあの試合をビデオに撮っておいたら高値で売れたな…と(笑)。
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 続いて話題は彼のU-18時代に。主将だった彼に「主将心得」的な話をさくっと聞いてみました。  「ユース関係のライターさんたちが褒めていたんだよ。特に党首(※6)が。Jユースが終わって今でも『ゴメスは素晴らしいキャプテンだ。本当に立派な挨拶だった』って」「ああ、Jユースの『アフターマッチ・ファンクション(※7)』ですね。試合が終わった後からずっと挨拶を考えていたんですよ(笑)」  早いもので小学校6年生の時からその成長を見ているのだが、同期に阿波加俊太や神田夢実、中原彰吾、深井一希、永坂勇人らがいて、その前後と合わせて札幌ユースの黄金期だったとはいえ、いや、だからこそ主将となったゴメスのキャプテンシーがあのチームには絶対に必要だったと思う。幾多の艱難辛苦の局面で彼がチームを鼓舞している姿が目を引いた。特に死闘を繰り広げた広島戦や神戸戦、ヴェルディ戦での姿は忘れられない。現在の福島FCでは左サイドバックを任されているゴメスだが、札幌U-18ではボランチを主戦場としていた。戦力バランスを考えれば左ではないかと何度も考えたのだが、「前後左右に気を配れる彼の持ち場はCentrocampista(イタリア語・中盤という意味)だ」という恐らくは四方田監督のメッセージがこめられていたのだろう。  “党首”による記事がこちら↓  http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00150235.html  小澤一郎さんもゴメスや札幌の育成を称えている↓  http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/hsyouth/2013/columndtl/201212270005-spnavi  「僕も人前で話をすることは苦手だったんですよ。でも中学から主将をやらせてもらったのと…あとはひとつ上に“ナガコウ”(※8)がいたのが大きかったですね」  をを!ナガコウの影響か。初年度からユースを見てきて、その数だけ主将も知ってはいるが、彼は最初にオレたちに歓喜を味あわせてくれた3期生の中村拓朗(第2回に登場)に並ぶかそれ以上にインパクトのある主将だった。「自分はヘタクソですから」と謙虚に語る彼は卒団後に就職し、現在はノルブリッツ北海道でプレーをしている。顔を合わせるたびにそのオーラ(笑)に半ば圧倒され「お前トシいくつだよ?」と、後ずさりしてしまうほどの堂々たる貫禄がある。一方で「しまふく寮」でもユース組の寮長を務め、人を引き付ける「人間力」あふれる素晴らしい人物だった。…ってか、まだ21になったばっかだよこの子は!オレを何周遅れにする気だい?  “ナガコウ”はじめ錚々たるメンバーが揃った2011年クラセンの前日↓  https://www.youtube.com/watch?v=KuNQD5_FEoE  その頃のチームは試合前のウォームアップのときから…つまりキャプテンマークを袖に巻く前の段階からすぐに主将が誰なのかわかったと思う。初めて見る人でもだ。決して「俺がオレが」のタイプではないのだが、いつの間にかチームメイトの視線も自然と彼に集まっていく。試合になるとまさにゲームの中心で、彼の取る位置で自チームが置かれている状況がわかった。誰よりも声を出し、誰よりも走った。ゴメスとはそういう選手であり、またナガコウもそうだった。  ゴメスは昨年トップチームに昇格し、いきなり副キャプテンの一人となったのだが、ユースヤクザから見ればサプライズではなかった。彼は生まれながらにしてチームリーダーとなる素質は有していたのだろう。が、それを開花させたのは自分自身の努力と自覚、そして良き先輩やチームメイトに巡り会えた少しの幸運があったからだろう。  よく考えたら彼もまだ未成年だ(9月でハタチ)。こちとら2周遅れぐらいにされているな(笑)。  12日はワールドカップに臨む日本代表が発表された日だった。「代表ですか?入りたいですね」とにやりと笑ったゴメス。札幌ユースが生んだ指折りのリーダーが次のワールドカップに向かって、もうすぐピッチに戻ってくる。ちょっぴり残念なのはそれが福島FCのゲームだということだ。ピッチの彼に会う機会は、きっとそう遠くはないと思う。  次回は今度こそあさって。そろそろまとめに入りたい(推定)。
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今回、あまりに( )書きが多すぎるため注釈は別にしました(笑) ※1=冨樫剛一。元札幌DFで2002年にはコーチ→U-15コーチ。2003年の高円宮杯U-15ではヴェルディのコーチとして札幌を破り一人だけちゃっかり優勝。「両方とも僕が教えた選手たち」で決勝を争った果報者。S級合格おめでとう。 ※2=石井肇。元札幌監督→チーム統括部長など、その後仙台→磐田を経て昨年まで横浜F・マリノスのテクニカルディレクター、今期は山形のテクニカルダイレクター。札幌在籍時より見違えるように顔色が良くなった(笑)。息子さんが札大出身。実家はひぐま穴から近い(笑)。 ※3=稲田浩平。札幌U-15→札幌第一高校→札幌大学。ACジュニオール戦の先制点は手元の時計で1分半だった! ※4=川淵三郎。初代Jリーグチェアマン。当時のJFA会長。愛称は「キャプテン」。毀誉褒貶ある人だが札幌ユースには大きな期待をかけてくれている。 ※5=綾部美知枝。当時のJFA理事。小学生年代である4種の担当。 ※6=党首。極左集団“アウグス党”の党首。ペンネームは大島和人さん。筆者ともたびたびユースの現場で顔を合わせ、ユースヤクザさんたちとは顔なじみ。筆者と同様何故か小太り(笑)。オレがゴメスに会った前日は福島にいたらしい(^^;; ウェブサイトはこちら→ http://blog.livedoor.jp/augustoparty/ ※7=アフターマッチ・ファンクション。試合後に互いの健闘を称え、選手や関係者の交流を図る催し。軽食が並べられたテーブルを囲んでの立食式で行われた。ラグビーでは一般化しているがサッカーでは珍しいと思う。 ※8=永井晃輔。愛称“ナガコウ”。プレミアリーグEASTを制した2011年度の札幌U-18の主将。全試合全時間出場にもかかわらず警告・退場0だった。再会するといつも両手で握前足をしてくれる。ちなみにとっとと既婚。何周オレを追い越しているんだよまったく(笑)。



post by higuma

21:21

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