カレンダー

プロフィール

コンサドーレ誕生まではスポーツといえば野球オンリーでした。 地元に応援できるチームが出来た。 それがコンサドーレとの付き合いの始まりです。 応援や支援の仕方、捉え方や考え方は人それぞれですから、コメント(批判や反論、異論も)は基本的には受け入れたいと思います。 しかし、粘着やその内容によっては私の独自の判断で削除させてもらいます。 また、コメントのご返事が遅くなることもお許しください。 2024・11・14

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

軌跡は残せても奇跡では残れないだろう

2012年08月30日

道新の夕刊
コンサドーレ倶楽部
今晩の見出しは

17位の大宮と勝ち点差13
「奇跡の残留」なるか
引き分けも許されず

J1が18チーム制となって
現在と同じ試合数になった2005年以降
下位チームの終盤戦の勝ち点と順位の変動をまとめた表が掲載されている

第23節時点の最下位チームがリーグ終了時までに
増やした勝ち点は
05年以降、2・14・5・1・20・2・10

09年の大分は勝ち点を20増やしたけれども最終勝ち点は30
(第23節時点の勝ち点は10で今季のコンサドーレと同じ)
順位は17位だった
08年に勝ち点を1しか増やせなかったのは
残念ながら・・・札幌だった

これらの数字から見ても
コンサドーレが今季J1で戦ったという軌跡は残せても
奇跡で残留ということはないだろうと・・・
思ってしまった。


post by nakano

20:45

コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

パパコロ

Re:軌跡は残せても奇跡では残れないだろう

2012/08/30 23:16

いつも、様々な角度からコンサに問題提起されておられ、興味深く読ませて頂いております。今回の内容で私なりに感じるところがありましたので、コメントさせて頂きました。 今回色々とデータを調べて頂いた中で、2009年の大分のことが、未だに私の記憶に強烈に残っております。ご指摘のとおり、大分は夏にポポヴィッチ監督に交代し、その後鬼気迫るプレーで後半戦勝ち点を積み重ねていきました。私はその時の大分のゲームに魅了され、他チームのことながら、大分がJ1に残留できるよう応援していたのを覚えています。その時の大分には、我らの前田俊介をはじめ、清武、西川、金崎、家永、東、森重ら、今の日本を代表する多くのメンバーが在籍していました。彼らは、確かにJ1残留を果たせませんでした。チームの財政難もあり、多くの選手は本人達の意志とは関係なく、その後移籍を余議なくされました。ただ、彼らは他チームのサポの心をつかむことに成功し、そして、その時のチームやプレーは、未だ人々の記憶に残っています。このことは、昇格、降格といったこととは関係ない、プロサッカー選手としての成功だと、私は感じています。(選手達がそう思っているとは思いませんが。) 私の願いは、奇跡が起きコンサがJ1に残留することです。またそのために応援もしております。ただ、例え奇跡が起きなかったとしても、私の愛するコンサの選手たちには、プロサッカー選手としての成功を治めてほしいと切に願っております。それが、私がこれからコンサの選手に残していってほしい軌跡です。 長々と、大変失礼致しました。

nakano

Re:パパコロさんへ

2012/09/01 09:24

おはようございます ご返事が遅くなってしまい申し訳ありません >私の願いは、奇跡が起きコンサがJ1に残留することです。またそのために応援もしております。 私はチームの存続を第一に考えて応援しています 極端なことを言えば闘う舞台はJ1でも、J2でも、JFLでも構わないと思っています チームの存続があっての選手たち 選手たちの活躍や成功を望んではいますが それ以上に選手たちにはコンサ愛を持って欲しいと・・・ ヤワナ気持ちも持っています 零細企業はトップの考え方、現場管理者の能力によって経営が左右されてしまいます いくら優秀な社員がいても、その能力を生かし切れない、伸ばし切れない、成果を残せない ですから私は、HFCの経営陣や指導者にはどうしても厳しい見方をしてしまいます 選手たちも、その時に出合った監督によってこれからの選手生活が変わってしまいます 企業に勤めるサラリーマンも同じなんですね 上は下を選べるけれども、下は上を選べない・・・ 選手たちのこれからの軌跡が輝かしいものになることを私も願っています。

コメントする