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2017.1.4 現在 ・男です。改名しました。元「tnfaki」今「ベル」です。 ・コンサを96年から応援してます。 ・忘れられない試合NO1は、97年厚別でロスタイムに追いつきVゴール勝ちした川崎戦。 ・NO2は11年函館での京都戦。最後まで体張って倒れ込んだ姿に泣きました ・NO3は16年フクアリでの千葉戦。内村のロスタイム逆転弾。 ・主にコンサドーレ関係。他スポーツ等を、日記として書いていきます。 ・コメントについてですが、読まれる方が不快に思われるだろうと判断したコメントは消去させていただきます。

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晩秋の趣の手稲山 

2020年10月22日

天気が良く、ベランダから見える手稲山が既に晩秋の趣だったので、我が家近くで1枚。


1603330275-teine.jpg
下界から山を見上げると、手前の障害物(笑)が。 電信柱や電線は必ず写り込んでしまいます。 避けるには、高台へ行かないと。 コロナ禍の中、私的での遠出は無理。 今の札幌は、厚い雲に覆われています。 今の世の中、「○○と秋の空」は死語でしょうか。



post by ベル

11:45

コメント(1)

この記事に対するコメント一覧

松岡

Re:晩秋の趣の手稲山 

2020/10/22 14:06

札幌市内の西に連なる山並みの中でひときわ高い頂に、テレビアンテナが林立するのが手稲山だ。テイネイはアイヌ語で「濡れている」を意味し、山麓を流れる発寒川の湿地帯を指したもの。原名はタンネウエンシリ「長い断崖」で、山頂南面の長い崖がそれだ。  手稲山は北大の前身である札幌農学校時代から学生たちによって登られ、寮歌にも唄われたお馴染みの山。大正15年(1926)、中腹に日本最初の西欧風の山小屋「パラダイスヒュッテ」が建設されると、奥手稲山や春香山とともに山スキーのメッカになった。  昭和47年(1972)冬季オリンピック開催を機に、北半分はレジャーランド化し、山頂までロープウェイで登れるようになった。  登山コースは手稲金山、手稲本町、平和ノ滝からあり、それぞれ約3時間30分で頂上に達する。

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