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1974年富山県富山市生まれ。高校まで富山で過ごし、大学進学と同時に東京へ。社会人になり就職した会社で札幌勤務を命ぜられ、見知らぬ地、北海道へ。そこで、JFL優勝でJリーグに昇格するコンサドーレと出会い、サポーターとなる。3年半で札幌を離れ、その後千葉に住み、2003年には故郷の富山に戻ってきたが、引き続き、コンサドーレのサポーターをしている。余談であるが、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんと幼稚園・小学校・中学校・高校と同窓である。
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2025年12月03日
*この記事は、北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2025に参加しています。
初めてAdvent Calendarに参加させてもらっています。 ブログも久しぶりの更新になります。
ダラダラととりとめのない文章になると思いますが、お付き合いください。
1998年頃からコンサドーレを応援しています。 もともと、北海道には縁もゆかりもない私。 1996年に大学を卒業して、就職した企業での初の赴任地が札幌でした。
1997年、圧倒的な成績を残し、JFLを優勝し、翌年からのJリーグ参戦を決めたコンサドーレ。 大通公園周辺で行われた優勝記念のパレードを見たのが、私のコンサドーレとの出会いでした。
多くの市民が優勝したコンサドーレを見るために大通公園に集まっていました。私もその中の一人で「札幌の市民に愛されているチームなんだな」と思った記憶があります。
1993年に開幕したJリーグですが、富山で生まれ育った私にとっては、あまり身近な存在ではありませんでした。開幕当初、横浜ASフリューゲルスの親会社の一つである佐藤工業が富山を地盤としていた企業であったので、富山を準ホーム扱いにしてくれていたのですが、富山で試合を行うのは年間1~2試合程度であり、まだまだテレビの向こうのイベントである感は否めませんでした。私にとって、初めて身近なJリーグチームがコンサドーレだったのです。
翌年、Jリーグ(当時はまだJ1、J2に分かれていません)に昇格したコンサドーレ。 とあるところでもらった無料招待券があったので、札幌での開幕戦となった1998年7月29日(水)、厚別公園陸上競技場へセレッソ大阪戦を見に行きました。その年は、厚別の改修のため、仙台と室蘭でのホーム開催数試合を経て、ようやくこの試合が札幌でのJリーグ初戦となりました。私にとっても初のJリーグ生観戦です。平日のナイター開催だったので、仕事終わりにスーツのまま観戦。競技場に着いたときにはすでに試合が始まっていました。 ゴール裏の雰囲気に圧倒され、最後列の通路に立って静かに観戦をしていたと思います。まわりには大声でチャントを歌うサポーターがいて「コンサドーレってすごいチームなんだな」って思いました。 試合は3-4で負けてしまいましたが、点数の取り合いで面白いゲーム展開でした。
その後、数試合の観戦を経て、コンサドーレの沼に見事にはまっていきました。
その年は1リーグ制最後の年で、翌年からはJ1、J2の2リーグ制に分かれることが決まっていました。97年と98年の結果を合わせて判断され、J1とJ2に振り分けられることになっていました。98年単独であれば14位という結果でしたが、97年にJFLであったコンサドーレは理不尽にも98年の結果だけで判断されることとなってしまい、残念ながらJ1参入決定戦に参戦することとなりました。シーズン中の順位により、1勝さえすればJ1参入が決定したのですが、4連敗し翌年のJ2参戦が決定してしまいました。Jリーグ初のJ2降格チームとなってしまいました。 今思えば、勝たなければいけない試合をことごとく負けてしまう癖は、このあたりからあったのかもしれません。
ちなみにこの年のJ1参入決定戦に参戦したチームは以下の通りです。今では上位のチームも下位で苦しんでいた時代があるんですね。括弧内は98年単独の成績です。 ジェフユナイテッド市原(Jリーグ16位) コンサドーレ札幌(Jリーグ14位) ヴィッセル神戸(Jリーグ17位) アビスパ福岡(Jリーグ18位) 川崎フロンターレ(JFL2位) 結果として、この5チームのうち、市原・神戸・福岡はJ1へ、札幌・川崎がJ2へとなりました。
コンサドーレとの出会いの初年度を振り返ってみました。
その後、転勤により99年に札幌を離れ千葉→富山→東京と移り住んでいます。シーズンによって応援の濃淡は違いますが、一貫してコンサドーレを応援し続けて27年経ちました。
以前、読んだあるブログで「アウェイサポーターのチームへの思いは遠距離恋愛のようなもの」とありました。私もアウェイ歴が25年半になります。距離が離れているからといって、気持ちが離れる訳でもなく、近くに他のチームがあったとしても、浮気することなく続いています。「なぜ、コンサドーレのサポーターなのか?」と聞かれても「好きだから」としか答えられないのも、遠距離恋愛と一緒なのかなと。
また、ある人は、「乾杯の数」×「距離の二乗」=「絆」だと。 アウェイの地での勝利の乾杯も、ホームからの距離が離れれば離れるほどチームやサポーター同士との絆が深まるとのことのようです。私が観戦に行くときの勝率が良くないので、なかなか勝利の乾杯ができていないのがつらいところです。
やはり、だらだらととりとめのない文章となってしまいました。お付き合いいただきありがとうございます。 ゴール裏で常に声を出し続ける体力も年齢的に衰えてきたように感じていますが、熱い思いはそのままに持っているつもりです。 いつか、野々村チェアマンからJ1優勝シャーレを受け取る日を夢見ながら・・・。
*この記事は、北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2025に参加しています。
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1974年富山県富山市生まれ。高校まで富山で過ごし、大学進学と同時に東京へ。社会人になり就職した会社で札幌勤務を命ぜられ、見知らぬ地、北海道へ。そこで、JFL優勝でJリーグに昇格するコンサドーレと出会い、サポーターとなる。3年半で札幌を離れ、その後千葉に住み、2003年には故郷の富山に戻ってきたが、引き続き、コンサドーレのサポーターをしている。余談であるが、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんと幼稚園・小学校・中学校・高校と同窓である。
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