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コンサドーレ誕生まではスポーツといえば野球オンリーでした。 地元に応援できるチームが出来た。 それがコンサドーレとの付き合いの始まりです。 応援や支援の仕方、捉え方や考え方は人それぞれですから、コメント(批判や反論、異論も)は基本的には受け入れたいと思います。 しかし、粘着やその内容によっては私の独自の判断で削除させてもらいます。 また、コメントのご返事が遅くなることもお許しください。 2024・11・14
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2012年09月04日
血の繋がりから言うと、やっぱりクォーターでいいのかな 昨日、予定より少し早く二人目の孫が誕生した 最近では、長い付き合いのある息子の誕生日を忘れてしまう事があっても お嫁さんや孫の誕生日を忘れる事はない そしてまた、家族の新しい誕生日が一つ加わった とても嬉しい写メールでの知らせだった。
2012年08月03日
今日の業務を終えて、1時間の早退をしました でも、早退扱いにはならない職場 有り難く、感謝です・・・ これからJRで苫小牧へ行きます 実家には年老いた両親がいます でも、二人とも最近は特に老いを感じるようになりました 二人での生活もそろそろ限界かな、とも思っています 昨年来、苫小牧へ行く回数がとても増えました 両親ともに元気で何の心配もいらなかった時は 3ヶ月に1回程度だったのに 今は2週に3回は帰っています 札幌・苫小牧往復生活 気持ちだけは、楽しみながら・・・ そう思っています。
2012年04月30日
娘の車のタイヤ交換をして 冬タイヤを洗って 車も洗車してピカピカに 今日、札幌は夏日を記録したということで 半袖の「SAPPORO」Tシャツで作業をしていても暑かった 年に2回のタイヤ交換 これは、私の仕事 今回、娘は厚別開幕戦のビール代の提供を申し出てきました そういうことを期待してやっているわけではないのですが もちろん快く私は受け入れました 3日の厚別は雨の予報もあります でも、予想最高気温は21℃ですから風さえ強くなければ大丈夫 呑兵衛は天候に左右はされないのです だからビールは美味しく飲めるはずです 厚別開幕戦、私は一人で参戦します 妻も娘も付き合ってはくれません 茨城の孫がやって来る日だからです コンサドーレをとるか孫のももかをとるか 苦渋の選択でした だから、コンサドーレの敗けは許されません 勝ってこそ、この苦渋の選択が生きるんですから。
2012年03月13日
5月で3歳になる孫娘、萌々香をコンサドーレサポーターへ その育成計画の第1ステップです およそ1年前 ドーレくんのぬいぐるみを渡そうとしたら 「いらない」と言われてがっかりしたものです しかし半年後には「ドーレくん、可愛い」と言ってくれました でも、ぬいぐるみを抱こうとはしませんでした 赤黒のレプリカユニを見せたり、コンサのエンブレムを見せたり ドーレくんのキッズキャップを見せたりして 洗脳作戦を実施してきました また今回は開幕記念のテディベア(赤黒のユニを着た)を購入しました 孫娘にはお気に入りのぬいぐるみがあります それは大小2匹の猫のぬいぐるみです テディベアもその猫のぬいぐるみに似ている感じなのです(勝手な思い込み) 熊が猫に勝利した時 あるいは引き分けに持ち込んだ時 その時が育成計画のスタートだと思っています スタートに成功するか否か その主役、萌々香はGWに4ヶ月ぶりに茨城から我が家にやって来ます。
2012年01月22日
重く湿った雪 濡れながら除排雪作業 とても疲れた そんなあとに 茨城の長男から電話があった 二人目の孫が9月に誕生するという知らせだった 嬉しい知らせの電話だった。
2011年12月30日
明日は大晦日 この1年の最後の日 「終わりよければすべて良し」っていいますから 明日はいい日になって欲しいと思っています 決してこれまでの残りの364日を ないがしろにするわけではありませんがね 明日、茨城から長男家族が我が家へ 次男も加えて7人で新年を迎えます お供え餅などはない いつもと違ったお正月になりますが。
2011年11月23日
兄のお葬式を終え、初七日を終えて 私の気持ちも少し落ち着いてきたのでブログを再開しました 今月は2回上京しました 都内の病院に入院した兄を見舞うためです 5日の時に、兄の死は避けることが出来ないことを知らされました それでも1時間ほど話をすることが出来ました 兄は年老いた両親のことを一番気にかけていました 9日は最期の別れに出かけました 兄は一言、二言を話すのがやっとの状態でしたが気持ちは伝わってきました 病室を出る時に握手をしました その時に、私も驚くほど兄は強く握り返してくれました 末期の大腸がんで手術をしてから3年 趣味のウォーキング、仕事復帰も果たして 10月末まで普段通りの生活をしていたのに・・・ 「いままで、ありがとう」 「よく、ここまで頑張ったね」と言いたかった・・・ でも、最後に言えたのは 「親父たちのことは心配しないで、大丈夫だから・・・」でした 喪中ハガキ まさか兄のために出すなんて・・・残念です。
2011年08月13日
やっぱりお盆なのだと思いました 昨日の地下鉄通勤、前日までと違って乗客が少なかった 街中の車の流れもスムーズでした 今日は朝から高速道路の渋滞の映像が流れていました 各空港も帰省ラッシュのようです 茨城空港 開港当初は国内の定期路線もなく 巨額の投資に見合う効果など期待できないものと思いました やっぱり税金の無駄使いと・・・ でも、いまはこの空港の存在に私は感謝しています 茨城に住んでいる長男家族の札幌との往来にとても便利だからです いま現在定期路線は神戸との1便と札幌の2便 空港はスカイマークの存在に感謝していることと思います 家から茨城空港までマイカーで行って 無料駐車場に車を置いて(空港の管理もしっかりしているようです) 新千歳までスカイマークで・・ 長男家族は今日、我が家に来ます 孫とは4ケ月振りの対面になります 成長した姿を見るのが楽しみで、孫との会話も楽しみたいと思っています 次男も11日から我が家に来ているので 久し振りに家族全員が集合することになりました
2011年07月02日
ゴール裏の熱烈サポーター席ではありません 「高橋優、初の全国ライブツアー~唄う門にも福来る2011」 今晩 cube garden で6時30分開演 妻と娘が出かけました ですから栃木戦はわたし一人でのスカパー観戦になりました わたしはこの歌手のことを知りませんが コンサート会場がオールスタンディングである事を知って 心配になりました 妻が耐えられるのか・・・ 昨年の5月頃までは妻もわたしと共に コンサの試合ではゴール裏の熱烈ゾーンで応援していましたが (もちろん立ち上がって) それ以後はゴール裏を離れて座って応援してきたのです だから2時間ほどの このコンサートに耐えうるのかが心配です 栃木戦の勝負の行方とともに わたしの心配が一つ増えてしまいました
2011年06月19日
昨晩、家族との会話で解ったこと 私の年代と子供達の年代では 何かわからないことがあった場合の調べ方が明らかに違う それは意識の問題なのか 時代背景の違いなのか・・ HFCへの電話の件でコメントを頂いた方の中に 「自分で調べたんですか・・・」と言う人がいた 私は正直「えー?」と思った だって解らないことを電話で聞くのは当たり前だと思っていたから でも、その方はホームページで調べてから解らない時に 電話で照会するのが当たり前だと思ったんでしょうね 私は「お問い合わせは下記の電話番号まで」の年代 子供達の年代は「お問い合わせは下記のホームページまで」ということらしい だから「調べたんですか」と言う意味合いが理解できた
2011年05月24日
昨晩、仕事から帰ってきた娘に厳しく言われた 「お父さんは、自分が嫌っていたことを自分でもやっている」 正直耳が痛かった・・・ 幸兵衛さんの了解なしに勝手に私の気持ちを書いてしまった consa48さんのブログに先ずコメントを入れるべきだった 当事者でもない私が、申し訳ありませんでした いろいろコメントを頂いたみなさんへ 大吉さんの言われる事 コンサに繋がる人たちが争う事は良くないんでしょうね せっかくのコメントも一人歩きしては意味がないと思います 私は批判、反論も大切ですから排除する気持ちはさらさらありません 考え方、捉え方に違いはあっても みなさんがコンサを通しての気持ちである事に変わりはないと思いますからね タイトルは4月生まれの「きょうの運勢」からでした
2011年04月06日
息子家族が今日、茨城に戻って行った 水道も復旧し会社も動きだした コンビニやスーパーにも商品が少しずつ戻ってきたという 息子に、倒れた電柱、陥没したり波打つ道路などの写真を見せられて 茨城(ひたちなか)の被害も大きかったことを改めて知らされた いま、茨城は大変だ! 野菜の汚染、魚の汚染、水道にも基準を超える数値が出たり 大気中の放射線量が福島を除いて1番多かったり 風評被害も甚大と聞く 茨城空港が修復されたという事は被災地の復興は確かに進み始めたということ だから、津波の被害地も確実に復興は進んでいくと思う でも、先の見えない原発問題に復興という言葉は何時になったら聞けるのか 一日も早く、先を見通せる状態になる事を祈るのみ
2011年03月13日
茨城に住む息子家族 2日続けて車の中で夜を明かした 電気は回復し、次第に元の生活に戻れると思っていたのに 原発の恐怖が降りかかってきた 安全といわれてきた原発神話も崩れてしまった今 政府の発表も「本当なのか」と疑ってしまう 何も手助けの出来ない父だけど 孫の「もも、元気」の声を聞けただけで泣けてくる
2011年03月12日
茨城でも余震が続いている 電気、ガス、水道がダメ 車で夜を明かした息子たち家族 携帯の電源が切れてからは連絡の手段を失った お昼過ぎに避難所に並んで公衆電話から電話してきた 多くの人が並んでいるということで話した時間は僅か 災害情報で茨城の状況を調べていたら メールが届いた 「電気が回復したみたい、あとはガスと水道 がんばります」 「繋がる」喜び これだけで安心できる 孫の健康状態だけは気がかりだけど 「緊急地震速報」が連続して発令されている もう地震はいらない
2011年03月12日
「無事です 職場で避難中です」 「無事です 広場にいます」 茨城にいる息子とお嫁さんから 相次いでメールが届いた 大地震が発生してから35分後に安全を確認できた 「災害用伝言板メール」を知らなかったが、その有り難さが分かった 余震が続く中、車の中で一夜を明かしたようだ 埼玉に住む兄達にも被害はなっかた 甥っ子は都心の職場から歩いて10時過ぎに帰宅したという テレビでは被害の大きさを次から次へと報道し 巨大地震のつめ跡を映し出している 自衛隊の災害派遣8千人 これ以上の被害拡大を防ぐためにも 少しでも早い支援体制を確立するためにも もっともっと多くの派遣が有っていいと思う こういうことに「やり過ぎ」と言う人はいないと思う 被災された皆様と関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます
2011年03月06日
私がブログを始めてから 毎回厳しいコメントを言うのが私の娘です 毎日のように帰宅後には 「あの表現は読む人に良く伝わらないよ」 「えー?そういう意味だったの」 「これでは誤解をされるよ」 時には友達にもメールをして読後感を確認しています 妻もいろいろ言いますが 基本的には解ってくれることが多いようです でも娘とは年齢差、価値観の相違からなのか自分では思ってもいなかった ことを指摘されて驚くことがよくあります 家族にも理解されないことがあるのに このブログを読んでくれる人、全てに解ってもらうことは無理であることを 百も承知です でも、コメントを頂いた方にもし誤解があったとしたら 出来る限りご理解いただけるように説明したいと思っています なにせ 娘に説明し納得させるのは大変なのですから それに比べれば
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コンサドーレ誕生まではスポーツといえば野球オンリーでした。 地元に応援できるチームが出来た。 それがコンサドーレとの付き合いの始まりです。 応援や支援の仕方、捉え方や考え方は人それぞれですから、コメント(批判や反論、異論も)は基本的には受け入れたいと思います。 しかし、粘着やその内容によっては私の独自の判断で削除させてもらいます。 また、コメントのご返事が遅くなることもお許しください。 2024・11・14
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