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プロフィール
1974年富山県富山市生まれ。高校まで富山で過ごし、大学進学と同時に東京へ。社会人になり就職した会社で札幌勤務を命ぜられ、見知らぬ地、北海道へ。そこで、JFL優勝でJリーグに昇格するコンサドーレと出会い、サポーターとなる。3年半で札幌を離れ、その後千葉に住み、2003年には故郷の富山に戻ってきたが、引き続き、コンサドーレのサポーターをしている。余談であるが、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんと幼稚園・小学校・中学校・高校と同窓である。
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2008年03月06日
あと2日に迫った貸しません鹿島戦。
今週いっぱいで退職する人がいて、引継等でバタバタしていて、まだ実感がありません。
でも・・・
あの2002年10月27日、延長Vゴール負けでJ2降格が決まったあの日から1959日、鹿島サポからのエールに「必ず戻る、それまで待ってろ」と答えたあのスタジアムにやっと戻ることができます。
そんなことを思っていると、当時を思い出して、涙が出てきました。
当日は、富山からクルマで行きます。途中、雪が降らないのを祈りつつ、明日1日頑張って仕事をします!
2008年02月24日
昨日は日帰りの予定で東京へ。
とあるセミナーを受講後、富山行きの最終便に搭乗のため羽田空港へ。
「雪のため天候調査」→「羽田空港へ引き返す可能性のある条件付きフライト」
この冬の時期、想定されることなので、特に何とも思わずに搭乗。
富山空港上空で「当機は富山空港への進入を開始します」との機内アナウンス。
その数分後、エンジン音の変化と機体の角度がややきつくなったことにイヤーな予感が・・・。
「滑走路の状況を判断した結果、着陸に支障があると判断しました。当機は羽田空港に引き返します」との機内アナウンスが・・・。
ときすでに21:45。
そして、羽田到着が22:30。翌日の便への振り替え手続き等で約1時間。羽田からのモノレールはすでに最終を残すのみ・・・。
羽田周辺のホテルはどこもいっぱいだったので、50分ほどかかるホテルへなんとかチェックイン。時間は1:00。
今日の第一便へ搭乗するために、今朝は5:00にチェックアウト。滞在時間4時間。
羽田空港に着いてみると、空港内で夜を明かした人も多数いる感じ。
今日も条件付きのフライトだったが、無事着陸でき8:30頃には帰宅。
疲れた・・・。
札幌方面も昨日の夕方から今日のお昼くらいまで欠航の模様。同じような(それ以上の)苦労をされた方もいらっしゃるのでは?
2008年02月15日
先日の私のブログを見て、ある方からコメントを頂きました。
その方は、神奈川在住ですが、私と同じ富山出身で、幼稚園と中学校も同じ出身だそうです。
こんな身近なサポの方がいたなんて、かなりびっくり!!
その方のコメントの最後に「カターレ富山は応援されますか?」と・・・
多分、ご存じない方が多いと思うので、カターレ富山とは何かと言いますと・・・
昨年まで富山県内にJFLのチームが2チームありました。
「アローズ北陸」と「YKKAP」
ともに企業チーム(アローズは北陸電力)であり、単独ではJリーグ参加は考えていなかったようです。が、県内にJリーグチームを作りたい県サッカー協会の要請で2チームが統合され、今シーズンよりカターレ富山としてスタートしています。
コンサからは川崎健太郎選手が今シーズンより移籍しています。
今期はJFLへの参加ですが、3年以内のJ2昇格を目標にしています。
先日もうちの会社に北陸電力の方が2人来られて(うち1人は役員クラス)、カターレの協賛をお願いされました。
会社として協賛するかどうかは分からないけど、個人的には興味のある内容。「コンサと同一リーグじゃないから・・・」という勝手な言い訳を用意して、ちょっと浮気をしてみようかな、と思っている今日この頃です。
2008年02月14日
今日は待ちに待ったバレンタインデー。
長年、縁がなかったんだけど、今日は待ち遠しかったなぁ。
あのDVDの引き渡し開始・・・
昨年の12月から待っていました。
会社の帰りにローソンに引き取りに行きます。
チョコは今年も縁が無さそう・・・。
2008年02月03日
東京の会社に勤めている頃から毎年参加しているマラソン大会があります。 「東京ベイ浦安シティマラソン」 わかりやすく言うと、ディズニーランドやディズニーシーの周りを走るマラソン大会です。 今回もこのマラソンに参加するために富山からやってきました。 が・・・ 雪のため中止![]()
■中止を知らせる電光掲示板![]()
■受付の体育館内 関東では珍しく積もっています。今も羽田空港で足止めを食らっていますが、時々降っています。 まぁ、自然の事だから、仕方ないか。
2008年01月31日
日本代表のボスニアヘルチェゴビナ戦 3点の得点全てに「元」うちの子たちが絡んでましたね。 1点目 山瀬-中澤 2点目 今野-内田-大久保-山瀬 3点目 今野-播戸-山瀬 でも、全てが「元」っていうのが・・・ 早くうちの子たちの代表デビューを見てみたいなぁ。
2008年01月29日
サポーターカレンダーの写真の募集がされていますね。
皆さん知っていました?
僕は知りませんでした。
コンサのHPのニュース欄を探したんだけど、いつ告知があったのか?ファン感謝デーでは告知があった?
写真のアップデートのエラーに関しては出てたけど・・・
「コンサ社長日記」によると残り100人ほどだとか。
早めに申し込もっ!
2007年12月31日
コンサドーレを好きになってから10年経ちました。その10年目の年末を迎え、この10年間をちょっと振り返ってみました。 1年目(1998年) なぜかサポーター持ち株会に入会し、入会特典でもらったタダ券でセレッソ大阪戦(厚別)を初観戦。バルデス、マラドーナ、吉原等がいて、それなりに楽しめた。が、理不尽なJ1残留決定戦のルールにより、翌年のJ2参戦が決定。室蘭の最終戦では泣いた。 2年目(1999年) 岡田監督就任で期待するも、J1昇格はかなわず。岡田監督の「俺を選ぶのか、選手を選ぶのか」との発言にちょっとびっくり。 この年、千葉へ引っ越し。アウェイサポに転身。 3年目(2000年) エメルソンのゴールラッシュでJ2優勝&J1昇格決定。J1昇格の決まった湘南ベルマーレ戦(平塚)は現地で泣いた。駒場のオリを初体験したのもこの年。 J2優勝の決まった大宮アルディージャ戦(厚別)での岡田監督の「浦和の大アウェイの中でかすかに聞こえてくるコンサドーレコールに勇気づけられた」との言葉にまた涙・・・ 4年目(2001年) 岡田監督の3年目。札幌ドームオープン。J1でも意外とやれるな、と思った1年。 磐田スタジアムでの試合終了5秒前まで勝っていた試合、終了直前に同点にされ、延長Vゴールを決められ負け。主審は岡田正義さんだったような気がするが、翌日の新聞によると「札幌のゴール前にボールが上がったので試合終了の笛を吹くのを躊躇した」と。強いチームは運も味方に付けられるんだなぁと思った。 5年目(2002年) ワールドカップイヤー。岡田監督退任で柱谷哲二監督就任。何をやってもうまくいかなかった年。監督もイバンチェビッチ監督→張監督と3人も就任した。 10月27日カシマスタジアムで早々とJ2落ちが確定。鹿島アントラーズ相手に延長まで持ち込んだが、Vゴール負け。覚悟していたとはいえ、やっぱり悔しくて涙・・・。試合終了後、鹿島サポからのコンサドーレコールに「必ず戻る!」で答えた。 6年目(2003年) ジョアンカルロス監督就任。当初、鹿島サポの友達から「ジョアンカルロスは気を付けた方がいいよ」と言われていたのが、中盤になってようやく意味が分かった。が、時すでに遅し。全く機能しなかった外国人。 この年、生まれ故郷の富山に戻り、アウェイ観戦も厳しい状況に・・・。 7年目(2004年) 柳下監督就任。若手育成に力を入れた年。分かってはいるけど、負け続けるのを見るのはつらかった。コンサ初のJ2最下位を経験。 天皇杯ベスト8進出。 8年目(2005年) 柳下監督2年目。 若手の成長が感じられた年。6位で終了。 9年目(2006年) 柳下監督3年目。 J2シーズンは前年と同じ6位で終了したが、思わぬところで若手の成長を再認識。天皇杯ベスト4進出。5回戦(フクアリ)と準々決勝(ユアスタ)を生観戦。エコパでの準決勝も含めて、こんな年末まで楽しませてくれたことって初めて! 10年目(2007年) 三浦監督就任。 開幕戦の京都戦に敗れ、今までのジンクスでいくと、今年もダメかなとの思いになった。が、あれよ、あれよという間に首位を独走。51節で2位に落ちて、優勝は無理かなと思ったが、優勝&J1昇格でシーズンを終了。 最終戦はTV観戦だったが、点数が入るたびに涙が出てきた。サッカーの神様は最終節までもつれるシナリオを用意していたなんて・・・。 今シーズンの生観戦は13節の草津戦と34節の京都戦で1勝1敗。特に京都戦の勝利の後に大文字焼きを見られたのは、印象的だった。でも暑かったなぁ。 僕が応援するようになってからだけで、J(1年)→J2(2年)→J1(2年)→J2(5年)→J1(?)と推移してきたコンサ。 J1昇格が目的ではありません。J1定着を目ざし、来年以降も応援していくぞー。 幸い、J1には新潟・京都、関東まで足をのばせば浦和・東京等がいます。アウェイ試合を見に行きやすくなりました。 来年がコンサにとっても、皆さんにとってもいい年でありますように。
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1974年富山県富山市生まれ。高校まで富山で過ごし、大学進学と同時に東京へ。社会人になり就職した会社で札幌勤務を命ぜられ、見知らぬ地、北海道へ。そこで、JFL優勝でJリーグに昇格するコンサドーレと出会い、サポーターとなる。3年半で札幌を離れ、その後千葉に住み、2003年には故郷の富山に戻ってきたが、引き続き、コンサドーレのサポーターをしている。余談であるが、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんと幼稚園・小学校・中学校・高校と同窓である。
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