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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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2008年06月24日
トートバッグ。(19×21×9cm) すごく年季が入って、色が白っちゃけてしまってますが、 出来あがった当初は、もちろんキレイな赤黒でした。 内側が黒布使用で、2重になってます。 (出来上がった頃の画像が、前のPCの中にあったのですが、 前のPCが急にダメになったので、悲しくもこんな年季の入った姿をさらすことになりました。) 詳しくはこちらから・・・
確か、2004年のホーム開幕戦だったのではないでしょうか。。 入場のときに配られたのは「赤い布」でした。 「白い恋人」と「consadole」の地模様。 確か「石屋製菓サンクスマッチ」でしたね。 いつもの座席に着いてみると、そこには同じ生地の黒バージョンが置いてありました。 ゴル裏は赤黒の縞模様に染めたいという企画のようでした。 期せずして、赤黒2枚の生地を手に入れたコンサ隊。 「くーさん、何か作りますよね?」 「うーーーん。作ろうか?」 「何が良い?」 「スタジアムで、ちょっと座席を離れるときに使うトートバッグなんて、どうでしょう?」 「じゃあ、それ作ろう」 という会話があって、結局その日は、隊員たちの布をすべて私が回収して、自宅に戻ったのでした。 その後、コツコツと作りましたとも・・・ 結局、大型のものを1個。 小型のもの(これ)は、9個。 これはずいぶん長い間、スタジアムで重宝したのですが、 まず、持ち手が白っぽくなって来て、 次第に、色が抜けていきました。 あまりにみすぼらしくなったので、 今は、我が家のタンスの中に眠っています。
2008年06月19日
コンサ隊の過去を振り返るシリーズ。 今日の<思い出の一品>は・・・・ 「コンサ隊カスタ」No.2隊長の力作です。 右側の「CNN」とうっすら見える方が第1号。 あまりに傷んだので、左の第2号を作ってくれたのですが、 それも、このありさま。。。 第3号をお願いしてあるのですが、 No.2隊長があまりに多忙ゆえ、まだ届きません。。。 コンサの初期の応援風景に、「トラメガ」をバシバシ叩くというのがあって、 私たちも最初は「トラメガ」を叩いていました。 が、あまりに気合が入り過ぎてか、壊すことたびたび<主に私が。。汗 そこで、「壊れない<カスタネット>はどうだ!!」ということになり、 せっかくならと、NO.2隊長が赤黒コンサ隊バージョンを作ってくれたのです。 これは思った以上に優れものでした。 壊れないだけでなく、持ち運びにかさばらず、 手袋をしていても音が出せるのです!! 「これを売り出したらどうだ?!」という話をしたら、 たまたま、同席していたジュビロサポ氏が、 「ジュビロにはある!」と言い出し、 「さすが、ヤマハさんだ。。」と感心した覚えがあります。 あれは、確か・・・2001年の10月の試合のときでしたから、 そのとき、すでに、わたしたちはこの「カスタ」を愛用していたことになります。 コンサ隊がゴル裏の熱サポ席に立つ以前からということですか・・・ 長い歴史があるんだな。。。 カスタ用の袋はドーレ君模様の生地が最初に発売されたときに、 隊員たちのリクエストでNo.1 代表:くーが作りました。
2008年06月13日
ブログ開始以前のコンサ隊の活動を語ろうというシリーズwww 今日は<思い出の一品>その2です。 今日の品は 「特製 応援はちまき」2002年秋作製。 J1定着をめざしたものの、成績は上がらず、 ○谷監督の解任、イバンチェ監督の招聘・辞任と、混迷を極めたこの年。 なんと言っても、ショックだったのは、 コンサの期待の☆であった、山瀬選手の大怪我による離脱でした。 2002.8.17の試合中の出来事。 あのシーンは今でも脳裏に焼きついていて、忘れることができません。 悪夢を振り払うために、何かを作ろうと、 考えて作ったのがコレでした。 「La vittoria ci arride」 イタリア語で「勝利は我らに微笑む」と刺繍しました。 実は、この文章が刺繍してある赤い布地の外側、右下の部分に、 「No.10」が白い糸で刺繍してあったのです。 大怪我をして離脱してしまったNo.10山瀬選手の分も頑張ろう!という意味でした。 それが・・・ J2降格が決まったあとのオフに、 山瀬選手の「移籍」が発表になりました。 しかも、その移籍先が「浦和」で。 あのころ、まだ、「掌中の玉を手放す」ことに不慣れだった私。 悲しくて、涙がポロポロ出てしかたなかったあの日。 「はちまき」のNo.10の刺繍を取り去ったのでした。 ほろ苦い思い出の品です。
当時、Jリーグは「スヌーピー」と契約があったようで、 コンサバージョンのスヌーピーが売られていました。 Tシャツもありましたね。 そういえば、スタジアムで初めて着た赤いコンサグッズは、 「スヌーピーTシャツ」でした。
2008年06月12日
中断期間を利用して、ブログを始める前のコンサ隊の活動などを、 書き残こそうと思います。 今日は、まず、<思い出の一品>その1 <コンサ隊特製カルタ>2004年度に作製したものです。 そのころ、No.2隊長が開いていたHP上で、 お遊び企画として「カルタを作ろう!」という企画が持ち上がりました。 (確か、新年会のよっぱらっての話が起源だった) それに呼応して、隊員たちがそれぞコンサドーレに関するカルタの内容を隊長に送り、 50音を埋める数になりました。 せっかく50音全部埋めたのだから、カルタの形で残したい! 8月の「コンサ隊夏祭り」のときに、みんなでカルタをしたい!! ということになり、 No.21わたちゃんが、あちらこちらから内容にふさわしい画像を取り込んで、 プリントしてくれました。 今から思うと、No.21わたちゃんのこれにかけた時間と能力は、どんだけだったのか。。と改めて感動してしまいます。 結局、最後の10枚ほどを「夏祭り」の日に、みんなで作り、完成させました。 みんなで、やった「カルタ大会」。 めちゃくちゃ盛り上がりましたよ!!www その日はAWAY鳥栖での試合だったのですが、 それをスカパーでみんなで観戦。 ぎりぎり勝利!!この日その年3つ目の勝利!! 「カルタをすると勝利が手に入る」という新たなジンクスを作った私たちは、 その後、厚別でも、ドームでも、試合前の時間は、この「特製カルタ」をやって過ごすようになりましたwww. カルタの中身も少々ご紹介します・・・
個人に関するもの・・・「ノノさんがピッチでにらみをきかせれば ビジュも今野も生き駒になり」
「無口でも技は確かな元代表 殿と呼ばれたキャプテン名塚」
「ドーレ君ダンスの実力Jナンバーワン」 コンサ隊お得意の自虐ネタも・・・
「あ~危ない バックラインでまわしたら 相手選手とパス交換」
「スタジアム 行きはよいよい 帰りはこわい」
「ほしいな~ 勝利の感動時々は」 サポの心情・・
「ついていくよ どこまでも 脳みそ赤黒コンササポ」
「連呼するコンサドーレと大声で ゴール裏から選手の背を押す」
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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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