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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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2008年09月13日
すでにドキドキ。
何も手につかず、気もそぞろ。
あぁ〜、15時まで長いなぁ。
3連休の初日に試合があって良かった。
こんな気持ちが1日以上続くなら、 せっかくの連休が、上の空状態で過ぎて行くところだった。
選手たちはどんな気持ちで朝を迎えただろう。
「戦うこと」を仕事にしているって、 すごいことだよなぁ… と、改めて思う。
15時には、 雲ひとつない、晴れ渡った気持ちで、 勝負に向かってほしいものだ。
私自身も 気持ちを落ち着かせて、 試合前にやるべきことをしっかりやらねば!
現地日本平に結集するコンササポーターの皆さん。
大きな声援で、選手たちの背中を押してやってください。
どうぞ、よろしくお願いしします。
テレビの前から、念を送ります。
2008年09月12日
長かった中断期間も終わり、 いよいよ明日は試合です。
<いただきます>シリーズも再開!
「桜えび」
まずは「桜えびご飯」にしていただきました。
「桜えびと水菜のチャーハン」も作りましたが、 これもなかなか美味でした。
「手焼きしらすのり」
のりにしらすが板状に張り付いており、 薄く味つけしてあり、このまま食べます。
パリパリとしていて、 酒のつまみとしてはなかなかいけるかも。
残念ながら、我が家は晩酌をしないので、 ご飯のおかずにしましたが、 「ご飯のおかずにしては、微妙」だそうですwww
静岡のお茶も飲んで、 準備は万全です!
明日の勝利を信じて…
2008年09月12日
昨日、ちらっと見たネット上の記事の見出し 「韓国ホストら50人摘発 元Jリーガーも…」 無許可営業のホストクラブが摘発されたニュースだったのだが、 「元Jリーガー」は見出しにまでなるのだ。 (ちなみに彼は26歳だそうだ) サッカー選手の選手寿命は短い。 「Jリーガー」になれたと喜んでいると、 すぐに「終わりの時期」が近づいてくる。 引退という自己決定ができる選手はほんの一握りで、 多くは「解雇」という現実と向き合わなくてはならない。 しかも、セカンドキャリアに備えるほどの額をもらっているJリーガーは、これまた一握りしかいない。 セカンドキャリアとして、 まず一般的に考えられるのは、サッカーで食べていく道。 サッカーのコーチや監督として、または解説者としての道だ。 Jリーグのチームでこの職を見つけるのは、受け皿が決まっているだけに、なかなか困難である。 学校サッカーのコーチ・監督、一般サッカースクールのコーチ業なども考えられるが、 これもまたコレだけで食べて行くのは難しいと言えよう。 最近、奥選手が引退して、高校のコーチになったそうだが、 彼にしても、その他の収入があればこそだろうと思われる。 元代表選手など、ある程度名前のある選手であれば、 マスコミ媒体での仕事もそれなりにあるのかもしれないが、 それ以外の一般Jリーガーには遠い道である。 今はテレビで解説などしている中西氏が、チームを解雇になった直後のドキュメンタリーをずいぶん前に見たことがある。 代表経験もなく、有名でもなかった彼は、 保険を取り崩し、自家用車を売り、自分をテレビなどに売り歩く、明日も知れない暮らしだった。 (幸い、彼はスカパーに仕事を見つけ、それを土台にのし上がっていくことができたのだが。) そんな中で、野々村氏が自分の会社を立ち上げ、 そこに「元Jリーガー(有名どころではない選手)」を集めて、サッカースクールやサッカー解説などのセカンドキャリアを生み出そうとしていることは、 新しい試みであり、実は大きなことだと思う。 一方、サッカーとは離れて見つける新しい道。 古くは川合さんが飲食店を経営している。 田淵選手は、地元で「自動車教習所の教官」をしていると聞いた。 最近では、和波選手が地元三重で、ジンギスカンのお店を開いたり、 三原選手がこれまた地元佐賀で、豆腐料理の修業をしていることが、 話題になっている。 1からの出発であり、これまた強い意志と、懸命さがなければ、成功することは難しいであろうことは明らかである。 解雇になった選手たちがその後いろいろ事件など起こしたことから、 Jリーグも選手のセカンドキャリアについて取り組みを始めた。 「Jリーグ・キャリア・サポート・センター」 英語の研修やPC研修なども、行われているようだ。 「今は、試合に出ること、勝つこと、それだけしか考えられない。」 それが選手たちの(特に若い選手たちの)本音であろうし、 私たちサポーターもそうあって欲しいとは思うが。 現実の厳しさもまた、頭のどこかに入れて現役生活をまっとうすることも、 これまた必要なのだろうと思う。
2008年09月11日
道路のあちこちで工事中。
黄昏時、まだ工事は終わっていなくて、 でも視界は悪くなっているから、 車の運転には気をつかう。
今日の黄昏時は、 マンホールから男の人がふたり這い出てくるところに通りかかった。
すると、 そのうちのひとりのおじさんの足元に、 蛍光色のものが見えた。
あれ! クマさんが!
おじさんの履いている長靴に、 蛍光色のクマさんがついているのだ。
黄昏の暗さの中でも、 おじさんの足元はよく見えた。
誰が選んだんだろ?
なんだかほんわかしてしまった。
2008年09月11日
ダンナさんの実家で、 義母をデイケアへ送り出し、 リビングで義妹へのメモ書きをしていた。 あれ??? なんだかグラグラする・・・ 目が回る。。。 めまい? 私、どうにかしちゃった??? で、家中がギシギシいっているのに気づいた。 シャンデリアがユサユサ揺れている。。 地震だ。。。 義母は大丈夫だろうか? まだ車で走っている時間だから、 もしかしたら、気づかないかな? 怖い思いをせずにすむかな? 介護士さんや運転手さんや、3人もの人が付いているから、 大丈夫だろう。。 とりあえず、シャンデリアの下から逃げて、 さて、玄関の戸を開けようかどうか・・・と周囲を見ていた。 激しくならないから、大丈夫だと思ったけれど、 長い・・長い・・・。 ゆっくりグラングランと横に揺れていて。。 大地がプリンみたいに柔らかなような・・・ テレビをつけたら、札幌北区は震度3だった。 我が家にいたら、ビルの中だからこんな感じにはならなかったのだろうなぁ。。と思った。 もう少し早い時間だったら、車椅子の義母と2人だった。 何はともあれ、玄関の戸を開けて、逃げ道だけは確保しただろうけれど。 帰りの車の中で、地震の状況を聞いていた。 被害がないようで、なによりだ。
2008年09月10日
今朝の道新の平川さんの「燃えろ!コンサドーレ」を読んだら、 先日の私の疑問の答があった。
帯広でのサテライトの試合。
宿泊ありか? 移動はなんでか?
私の予想のうち、 どちらも「チープ」な方が正解だった。
往復バスで、日帰り。
平川さんも 「ゲーム前日でもコンディション調整はほとんどなし。 レギュラー組を相手に激しい練習をこなし、帯広まで3時間半のバスによる当日移動、即ゲーム。 2軍とはいえ結構きついギリギリのライン。」 と書いている。
そんな中でも、 試合後には、 サインを求めてバスを囲んだ少年たちに、 監督も選手たちも時間の許す限り応えたようです。
こういう触れ合いが、 きっと、少年たちの心に 「コンサドーレ」の名前を刻んでくれただろうと思います。
お疲れさまでした。
2008年09月10日
8/27のガンバ大阪戦で <『厚別の歌』で選手たちを迎えよう>作戦が行われました。 あれは良かった。。感動した・・ という感想が、あちこちで聞かれたわけですが。 私も「『厚別の歌』の感想をお寄せください」というエントリーをここに立ち上げ、 たくさんのみなさんからトラバやコメントをいただくことができました。 「これをそのままに放置しておくのは、もったいない。 この作戦の成果として、きちんとまとめることによって、 次に繋げていけるのじゃないか・・」 そう思った私は、この中断期間を利用して、 ネット上のあちこちから、感想を拾い集め、 集約してみることにしました。 そうやって出来たのが、この感想集です。全部で21ページになりました。 次回のホームゲームのときに、 USさんのどなたかにに手渡したいと思っています。 「コンサドーレホームの雰囲気は サポーター一人一人が作り上げるものだ」と骨の髄まで感じた時間。 笹姐さんが書いています。 「大事なところは、これはJ1で培ったものじゃなく、今年J1だからって突然始めたんじゃなく、J2時代から育んでいたこと。勝っても負けてもチームをサポートするんだ、そういう意思のもとで育まれていたこと。 だからそれはこれからも、J1だろうがJ2だろうが、勝とうが負けようが、育み続ける、自分達がやり続ける価値と意義のあることなんだと思う。何を諦めても、サポーターである以上私達はこれを諦めてはならない。」 この感想集がそのための一助になればと思います。
2008年09月09日
今、ニュースを見ていたら、 いつもゴール裏でお見かけする某サポーターさんが画面に!!
コンサとはまったく関係のないニュースに関連してのコメントをしてらしたのですが。
そうですよね。 熱いサポーターさんたちもみんな、本業をお持ちで、毎日毎日、お仕事に励んでいらっしゃるんですよね。 そんな日常から、 ポンと飛び出した位置に、サポーターとしての顔があるんだなぁ。
いつもとは違う姿を拝見して、 そんな当たり前のことを、改めて思いました。
2008年09月09日
今朝、ダンナさんの実家へ向かう車の中から、 中学生の一団を見ていた。 10人ほどの中学生たちは、 多分、それが学校指定のものなのだろう、女の子も男の子も同じ濃紺のジャージを着ていた。
脇の部分が白く、その中に何かの模様がライン状に入っている、スッキリしたデザインだ。
さらに洗練されて見えるのは、衿元に赤い部分が見えるからなのだろう。
衿の内側だけが赤いのだが、それがなんとも言えず良いアクセントになっていて、 女の子にも男の子にも、よく似合っている。
私が中学生になった頃(ウン十年前)というのは、 ちょうどジャージなるものが巷に出てきた頃だったのだが。
学校指定ジャージと言えば、 素材がペラペラ、色は最悪、形は不格好。
学校の中で着るのだってイヤだったくらいだから、 ましてや、外で着るなんて、失神ものだったwww
今どきの学校指定ジャージは、こんなに素敵なのか…と、 中学生たちを見ながら、 時代の差をしみじみ思った。
きっと、当の中学生たちは、当たり前に思っていて、自分たちのジャージが特別素敵だなんて、思ってもいないのだろうが。
通り過ぎるとき、 ジャージをよく見たら、 胸にお馴染みのマークがあった。
学校指定ジャージがKappaさんのジャージだなんて、 やっぱり時代は変わったのだなぁ。
2008年09月08日
予定がキャンセルとなり、ぽっかり空いた土曜日。 雨も降らなさそうだったので、宮の沢へ練習見学に行きました。 午後からのトップの練習に合わせてでかけ、見学の後は出待ちして、 写真を撮らせていただいたり、サインをいただいたり。 そんな中、写真撮影に快く応じてくれたアンデルソン。 にぃにぃを抱っこしてもらって撮ったのですが、私の腕に返してくれるとき、 にぃにぃのおでこにチュッ!ってしてくれました(*⌒∇⌒*) 実は私、試合でのイメージしかないので、ちょっと迫力あって近寄りがたい感じなのかな・・・ と多少話しかけるのをビビっていたのです。 でも出来あがった写真も素敵な笑顔で(^^) かえってにぃにぃが、私のビビりを察知してか、微妙な表情・・・うう。 しかし、身内以外の初めてのチュッ!が(おでことはいえ) アンデルソンて!ブラジル人て!! ニンマリのわたぴんなのでした。 心残りは、箕輪選手を待ち切れなかったこと。 これはまた次回の楽しみにしたいと思います。 そしてせっかく撮ったクライトンとにぃにぃの写真が ちょっとピンボケで・・・これもちと悲しいです。
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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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