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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。

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ののさん、お元気でご活躍を!!

2022年02月01日

コンサドーレを応援するようになって、初オシの選手が野々村選手でした。

白幡山で、初めて練習を見学したとき、野々村キャプテンが現れると、ピッチ内がピリッとしたのを目の当たりにして、その存在感に驚いたことは、とてもよく覚えています。

その野々村選手は、引退したあと、テレビで解説をするようになり、MCを務めるようになり、そのどれもが素晴らしい出来であったことは記憶に残っています。

選手の「セカンドキャリア」という言葉を初めて知ったのも、野々村さんの会社「クラッキ」のHP上でした。

会社のHPには派遣のコーチとして、コンサドーレで見た選手たちの顔も多く見受けられ、野々村さんのやろうとしていることを知れば知るほど、先を見通す力や実行力に驚いたものでした。

なので、野々村さんがコンサドーレの社長になるという話が持ち上がったとき、青天のへきれきではあったものの、両手をあげて賛成でした。

社長になってからの、素晴らしい実績は言うまでもないわけですが、やはり1番記憶に残っているのは、ドームで開かれた説明会のことです。

試合前の時間に、試合を見に集まったファン、サポーターをドーム内に引き入れて、チームの現状を包み隠さず説明する。

本当に画期的な出来事でした。

「時と場所を改めて話す」となれば、そこに集まるのは、わざわざ出向いてでも話を聞きたいコアなサポーターたちです。

そうではなく、試合に集まった人たちみんなに聞いてもらう、今のコンサドーレの姿をありのままに知ってもらう、そのことの意義は計り知れません。

まだまだ小さくて弱くて、でも、未来があるコンサドーレ。

我が子を育てるように、手間と時間とお金をかけて、このチームを育ててください。

そう、広く呼びかけたのですから。


それは、野々村さんが社長であった時間にずっと言い続けてきたことです。

「あちらごと」を「こちらごと」への意識改革

これが野々村社長のコンサドーレへの遺産になった気がしています。

今、Jリーグを取り囲む環境、諸事情は、難しいものがありそうです。

けれど、野々村さんなら、飄々とその苦しさ難しささえ楽しんで行けると、そんな気がしています。

どうぞお体に気をつけて!

ますますのご活躍を!!

私たちコンサドーレは、これからも頑張って行きます!!

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↑白幡山 でのののキャンプテン



post by No.1 代表:くー

14:18

コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

momo

Re:ののさん、お元気でご活躍を!!

2022/02/02 06:06

私も一番はじめに大好きになった選手がノノさんでして。笑この写真、みそぎのボンズにした後でしょうか。生写真なんて、羨ましいです。

くー@コンサ隊

Re:ののさん、お元気でご活躍を!!

2022/02/02 14:55

>momoさん ののさん、格好良かったですものね。 生まれてはじめての練習見学で、恐る恐る声をかけて、サインをいただき、一緒に写真をとっていただきました。 この写真は、じつは私と一緒の写真の半分ですww このとき、坊主頭なのはなぜだったのでしょう? 退場のみそぎで坊主頭になったのは、もっと前のような気がします。

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