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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。

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2009年の宮澤選手

2023年12月14日

引き出しの中の整理をしていたら、古い新聞のコピーが出てきました。

2009年9月15日と18日の北海道新聞です。

しかも、室蘭・胆振版なので、どなたかに頂いたものだと思われます(記憶がありませんが)

コンサドーレが9月20日に室蘭でアビスパ福岡と対戦することになっており、伊達生まれ、室蘭育ちの、プロ2年目の宮澤選手にとっては、Jリーグ公式戦としては初の「凱旋試合」となるため、特集記事が掲載されています。

宮澤選手の小中時代に、指導した先生が「 プロになる条件をすべて備えた子。『室蘭の宝』だと思っていました」と言っています。

室蘭大谷時代の先生は、上背があり、技術力がある宮澤選手をFWとして使うことにしました。
「DFが彼に2.3枚つかないとならないから、スペースができる。中盤だと集中的につぶされる危険もある」からだそうです。

彼の名前は全国にとどろき始めます。

ところが、引っ込み思案で人見知りな宮澤選手は、年代別の代表に呼ばれると、痛くもない足を痛いと言って、招集を断ったとのこと。

卒業後の進路も、ある企業の入社願書を用意していた宮澤選手を説得して、コンサドーレへと進んだそうです。

インタビューの中で、本人も、高校時代に、代表招集を2回断ったと話しています。

プロになることも、自分が通用するのか不安で、普通に企業に入るという安定を望んだと言っています。

逸話は本当でした。

FW.ボランチ、トップ下と様々なポジションで出場しているが、どこが好きですか?と言う質問には
「どこが好きというのはない。それぞれ面白さが違う。FWは高校時代からやっていゆので、ある程度自信がある。ボランチはたくさんボールにさわれて、試合を組み立てられる。トップ下は自由に動けて相手の嫌いな位置でボールを受けられるのが良い」と答えています。

「パスが好きなので、試合をしっかり組み立てて行くという持ち味がだせれば」

今に至る宮澤選手のコンサドーレの日々を思うと、なるほどと感慨深いものがある特集記事でした。

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【訂正】
壮大なる勘違いをいたしました。
日付が間違っておりましたので、訂正いたしました。
教えてくださったEBTさま、本当にありがとうございます。



post by No.1 代表 : くー

11:29

コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

EBT

Re:2009年の宮澤選手

2023/12/14 12:38

画像の文字が分かり難いので断言はできないが009年に室蘭で行われた福岡戦は確か9月20日(日)だったと思います。 私も現地で見ていましたが後半開始早々の上里の先制にして決勝ゴールを弁当を食べていて見逃して後悔したのを、よく憶えています。

くー @コンサ隊

Re:2009年の宮澤選手

2023/12/14 16:31

>EBTさん 教えていただきありがとうございました。 なにがどうなったのか、完全に勘違いをして日付を間違えて書いてしまいました。お恥ずかしいです。 訂正しました!!

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