カレンダー
プロフィール
OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
カテゴリー
コメント
検索
2008年10月06日
続けて その2です。
<10月5日>~~切れなかったもの~ 朝は5:30起床(私はもっと前から起きていたが) 早起きは「朝市」を見に行くためだ。 足の状態はシップが効いたようで、前日よりはるかに良い。良かった。 ホテルを出ると空気が冷たい。 昨日の札幌の朝より冷たいね・・・ 高山陣屋の前に着く。 近隣の農家のおばさんたちが集まって、手作りの農産物や漬物、小物などを売っている。 素朴な雰囲気。 ちょうどリンゴが収穫時期のようで、リンゴが並んでいる。 つきたてのお餅も出ていて、柔らかいからこのまま食べられると言う。 栗入りや十穀入り、豆入りなど、色々組み合わせたものがあり、 買うことにする。今日のおやつか?お昼か?www その後、朱塗りの橋を渡り、川沿いをゆっくり歩いて、もうひとつの朝市に出た。 こちらは川沿いに並んだ朝市で、こちらの方が活気がある。 見て歩くと、どれもこれも美味しそうに見える。 漬物を再び購入。荷物にして送れると思うとつい手が出るwww 途中の、リンゴの皮をむいて、切った形で袋に入れて売っているおばあちゃんを見つける。 おやつに購入。 ホテルへ戻る。 今日はもう、地図を持たずに歩いていることにみな驚く。 すっかり街の輪郭はつかんでしまったのだ。 もっと時間をかけて歩きたいね。。 良い街だよね。。。 機会があればまた来よう!! (岐阜での試合のときなら、もっと高山で時間があるはずだと話し合ったのは秘密だ・自爆) ホテルで朝食をとる。 部屋に戻り、チェックアウト。送る荷物をフロントに預ける。 軽くなったリュックを背負っていざ!ヤマスタへ。 高山駅から名古屋までの車中はトロトロと眠って過ごした。 名古屋で新幹線に乗り換え、浜松へ。 浜松から在来線で磐田へ。 さすがに階段などは足が痛む。 磐田の駅前からシャトルバスに乗って、ヤマスタへ。 バスを降りて、ぞろぞろをサックスブルーの人たちについて歩く。 駐車場の中からスタジアム方向へ歩くが、 スタジアムが近づいてくると、どうも雰囲気がAWAYの入場口に道が続いていないようだ。 前にいた赤黒人が係りの人に聞いて、引き返して来る。 やはりダメか。。 駐車場入り口まで戻る赤黒い人々。 駐車場の係りのおじさんが声をかけてくれれば良いのにね。。などとブチブチ言ってみるwww そこから広い道を歩いて、坂を下って、曲がって。。。やっとAWAY入場口だ。 バス停からはけっこうな距離で、 しかも、今は下った坂を帰りは上るのか? 足に不安のある私はちょっと絶望的な気分になる。 羽田経由で日帰り参戦のNo.4みちさんと合流。 みちさん情報では、 タクシー乗り場は坂の入り口付近にあり、早い時間だと乗れるだろうとのことだったので、 早めにスタジアムを出て、タクシーに乗ることに決定する。 ゴール裏はすごい混雑だ。 端の方に座席を確保し、昼食の買出しに行く。 掻き揚げ丼があるとの情報でそれを探すのだが、見つからず。 諦めない私たちは案内の女の子に尋ねるが、その子もわからず、 聞きに行ってくれる。 やっと聞いて来てくれた場所へ行くが、すでに売り切れ。 食料難民になっても大丈夫さ!お餅持っているもん!!と強気なコンサ隊。 結局、近場の売店で、それなりのものを買い込む。 No.4みちさんは座り席なのでそちらに移動。 席に戻ってそれを食べる。 お持ちもチラッと食べる。 さて、GKが登場。 近い!ゆうやんもぎーさんもこんなに近いのか・・ ゴール裏の感じは白恋のサテの試合より近いかもしれない。 選手たちも登場。一礼して練習開始。 ダヴィは1人残ってもう一度礼をして行った。 ダヴィコール。 試合は・・・ 今朝の道新に「清水戦もそうだが、サッカーの本場・静岡の、独特のアウェーの雰囲気に飲まれた感がある」と福田講平記者が書いていたが、 実は私も飲まれていたのかもしれないと、今になってそう思う。 なんだか、ふわふわした感じだったと言えばいいだろうか。。 座席が端の方だったためもあるのだろうか。しかも横に長い造りで。 中心部の声が聞こえないし、歌もずれるし。 どっしりした感じがないままに試合が進んで行き。 周囲でも「どうしたの。落着きなさい」の声があがり。 しっかり声は出し続けたものの、選手たちの慌てぶりが手に取るようにわかるだけに、こちらも苦しくて。 ハーフタイムに席を替えようということになる。 気分を変えよう!的発想。 ゴール裏の右側にいた私たちだったが、 今度は左端に移動。 そこは本当に端なのだが、前目の席で。 もっと選手たちの姿が迫って来る。 ヒロくんの苦しそうな表情が見える。 征也くんの足のテーピングが痛々しい。 ヒロくんの膝もすごいテーピングで、どれだけ無理しているのだろうと思う。 最後まで声を出す!歌を歌う!! でも、苦しいのだ。。 選手たちのしんどさや切なさが伝わる気がして、点を取られても、点を取られても、 怒りの感情は沸かなかった。 そして、ゲームエンド。 タクシー乗り場に向かう。 タクシーで磐田の駅へ。 色々な思いがそれぞれの胸の中に去来するも、言葉にならず。 静かに駅まで車に揺られる。 駅でNo.4みちさんと合流でき、 浜松へ向かう。 「今年の遠征は虐殺の遠征になったね」 「うん。仕方ないね。また頑張るさね」 浜松駅で、東京方面へ向かうNo.9支部長&No.4みちさんを置いて、 No.8ひろみさんと私は岡山へ向かうひかりに飛び乗る。 混雑していて立ったまま、名古屋へ。 暑くて汗だくなことに気づく。 セントレアに予定より1時間早く着いた。 駆け足でお風呂だと思っていたが、ゆっくりお風呂に入れる。 とにかく、今日のことはすっきり洗い流して、 元気になって、札幌に戻ろう! まだ試合は続く。意地を見せたい!! あがいてあがいて、最後まで戦ってやるぞ~~!! 気持ちの切れない私たちがいた。 夕食は「きしめん」。 高山のお餅まで入れて食べた。 さすがに人気が少なくなったセントレア。 搭乗口へ向かうと、選手たちを発見した。 ひっそりと息をひそめている感じ。 そうだよな。苦しいよな。。と思う。 飛行機に乗り込むと、周囲はサポさん&選手たちばかりだ。 サポさんのお隣に選手という状況もありだ。 静かに本を読んだり、新聞を読んだりしている選手たち。 マーカスは小さなDVDプレイヤーで映画を見ていた。 その中で、フライトの最初から最後までご陽気だったブラジリアン3人組。 ひとみさん的分類によると「マフィア」のクライトン。 3人は、どこから見ても「マフィアの親分と若頭と鉄砲玉」だったwww 何がどうしてあんなに楽しそうなのか、まったくわからないのだが、 3人がとても仲良しなのはわかった。 それは良いことなのだろう。 だが・・・ 他の選手たちとの温度差が垣間見られたような気もして、 ちょっと複雑だった。 無事千歳空港に帰り着き、 JRに乗っていると、 No.2隊長からメールが届いた。 No.13ドーレくんの訃報だった。 ふたりで一瞬言葉を失くした。。。 そして、思い出話をした。 たくさん話して、 最後に「元気でいつまでも試合に通えるようでいようね!」と言い合った。 札幌に着いた・・・・
よろしければご覧ください。
まりん
Re:だらだら遠征記~~切れたもの、切れないもの~その2
2008/10/06 17:43
ドーレくんさんの訃報に接し、お悔み申し上げます。私も今春、友人を突然の事故で亡くしました。その時に、あたりまえのように喜怒哀楽を感じて生きていられる事が、実はとてもありがたい事なのだとつくづく思いました。そして、友達の事を忘れないように・・・残された仲間たちの間では、今も時々話題にしています。どうかいつまでも忘れないでいてあげて欲しいと思いますし、ホームにもアウェイの遠征にも連れて行ってあげてください。一緒に喜怒哀楽を味わえるように・・・・。
No.1 代表:くー
お返事遅くなりましたが・・
2008/10/09 06:34
>まりんさん 同じような体験がおありなのですね。 これからも、仲間として、一緒にコンサドーレを応援し続けるのだと、そう思っています。 もちろん、遠征にも、一緒に・・ 温かいお言葉、ありがとうございました。
カレンダー
プロフィール
OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
カテゴリー
コメント
検索