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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。

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いまさらながら、立山・黒部旅行の話・・・

2010年08月09日

立山・アルペンルートを旅して、
自宅に戻ったら、連日暑くて、
コンサは勝利して、
コンサ隊は夏祭りを楽しんで。

あっと言う間に、8月も9日になってしまいました。


いまさらながら、立山・アルペンルートの旅の話を・・・






<1日目>

14時近くに富山空港に着き、富山駅までバスで移動。

その後、富山地方鉄道の各駅停車に乗り宇奈月温泉まで移動したら、
1日目はもう終わりでした。

温泉街とはいいながら、夕食なしのホテル泊まりだったので、
ホテルのお隣の道路に面した露天形式の飲食店で夕食をとることにしました。

雨模様でちょっとだけ涼しくなって来ていたので、それはそれなりに趣がありました。
ここでは、名物の「鱒のすし」や「白エビ」や越前かになどを食べました。

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<2日目>

朝イチのトロッコ列車で「黒部渓谷」へ。
ホテルの目の前が駅だったので、便利でした。

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トロッコ列車は、よくこんな渓谷を切開いたよなぁ。。と思うようなところをゆっくりゆっくり進みます。

さすがにひんやりしてはいるものに、この日は湿度が高く、ちょっとじっととしています。

80分ほどで、終点の「欅平」に到着。
観光地図などで見た感じではもっとひらけた場所に思っていたのですが、
実は、ほんとうに川沿いの狭いところに駅が作ってあります。

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駅から川の方へ行く降りて、「猿飛峡」へと向かう遊歩道を進んでみました。
ところが、10分ほど狭い川沿いの道を行くと、霧が出てきて、行く手が霧に隠れるようになり、
このまま進んでもダメだろうとの判断で駅まで引き返しました。

川沿いのところには「足湯」もありますが、混んでいたので、見ただけです。

駅で帰りの列車を待っていると、どんどん人が列車で運ばれてきます。

帰りのトロッコ列車に乗り込んでの帰り道、すれ違う列車がどれも人でいっぱいです。

あの狭い駅や駅周辺のことを思うと、これだけの人たちがあの場所に運ばれたら、どれだけの混雑ぶりだろうと思ってしまいました。


宇奈月温泉までもどり、昼食を食べ、地方鉄道に乗って、次の目的に「立山」へと向かいます。

列車を途中で乗り換え、2時間半ほどで、立山に着きました。

ここが、「立山・黒部アルペンルート」の出発点です。

ここからは、一般車両は入れないことになっています。



午前中は大変混雑しているらしいこの始発点も、午後の2時を過ぎて、並ばずにチケットが買える程度にまで落ち着いてきていました。

まずは、ケーブルカーで一気に500mほど上ります。

続けて、高原バスに乗り換え、宿泊地である「室堂」へと向かいます。

室堂は海抜2450m。

そこまで、バスは50分ほどの道を登って行きます。

途中には、大きな立山杉があったり、「称妙滝(落差が日本一の滝)」が望めるスポットがあったりします。

ところが、登っていくにつれて、どんどん霧が濃くなっていきました。

滝の見えるスポットではなんとか見ることができたのですが、それからは真っ白な世界が広がるばかりです。

「室堂」に着いたのは15:30くらいでしょうか。

ホテルにチェックインして、部屋で休みます。

夕食はレストランで和食会席が出て、湧水を利用したという大浴場もあり、高地にあるホテルだということを忘れていたのですが。


<3日目>

夜半、目を覚ますと、No.24いっちゃんが「頭が痛い」と言います。

ホテルのHPには「まれに高山病になる方もいます」とあったのですが、
その「まれな方」になってしまったようです。

なんとか眠れそうだというので、様子をみることにしました。

4:20集合の「ご来光ツアー」に申しこんであったので、3:00過ぎから、
再び動き出します。

結局、雲が出て「ご来光ツアー」は中止になったのですが、そこときには、いっちゃんの頭痛は、けっこう強いものになっていたようです。

このままではダメだとの判断で、フロントまで出掛け、様子を伝えると、
「軽い高山病ですね。」とのこと。

頭痛薬をくれ、さらに「酸素ボンベ」をお貸ししますので、酸素吸入をしてくださいとのことです。

酸素ボンベの乗った台車をカタカタとひいて部屋に戻り、酸素吸入をしました。

指示の通り、10分吸って、10分休むというセットを3セットやってみると、いくらかよくなったとのこと。

フロントに電話して再びの指示を仰ぐと、「もう3セットやってください」とのこと。

もう3セットが終わったときには、ほとんど頭痛が消え、顔色もよくなりました。

最悪、山を降りることも考えたのですが、これなら予定通りに黒部ダムへと回れそうです。
調べてみると、このルートで室堂が一番高地になるようで、この先は、降りていくことになるのですから、大丈夫でしょう。

朝食をすませ、念のため、室堂での散策はやめにして、トロリーバスで大観峰へと向かいました。

この日は、どんどんお天気がよくなり、大観峰からの景色は見事でした。

その後は、ロープウェイに乗って、黒部平まで降ります。

このロープウェイは途中に支柱が1本もないロープウェイだそうで、黒部ダムが下に見え、遠くには連なる山々が見え、素晴らしい景観です。

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黒部平から黒部湖までは山の中のトンネルを行くケーブルカーです。

黒部湖に着きました。

ここでは、夏の間だけ就航している観光船にのりました。

湖自体にはこれといって見るものはないのですが、湖を取り囲む山々の景色はやはり、見ごたえがあります。

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遊覧船を降りて、ダムの上を黒部ダムのレストハウスへと歩きます。

ダムは放水中!

虹が何本か見えます。

そして、ダムの大きさ、渓谷の深さに迫力に圧倒されます。

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レストハウスで、昼食をとったあと、資料室を見たり、周囲を散策して、ゆっくりと見学しました。

黒部湖からは赤沢岳の真ん中をくりぬいた「関電トンネル」を走るトロリーバスに乗って扇沢へと向かいます。

「黒部の太陽」でおなじみのあの「黒4ダム工事の難所」は、つまりはこの工事用の大トンネルを作る大変さだったのだそうです。

トロリーバスが着いた扇沢は、長野県にあります。

つまり、富山から入って長野に抜けたことになります。

扇沢からは路線バスに乗り、宿泊地である「大町温泉卿」へと向かいました。


大町温泉では小さな古い旅館ながらお料理が自慢というところに泊まりました。

そばの実を使ったお料理や、手打ちのそばなど、そば好きにはたまらないお料理の数々でした。
たくさんありすぎて食べ切れなかったのが残念だったほど。

<4日目>

大町温泉から信濃大町の駅までバスで出て、その後は在来線に乗り松本へ。

松本からは「特急あずさ」で新宿へと出て、新宿で昼食をすませ、

羽田からJALに乗って帰って来ました。



日本一高地にあるホテルに泊まり、めったに経験した人などいないだろう「高山病」にかかったり(看病したり)しましたが終わってみれば、これも思い出のひとつですwww.

素晴らしい山の風景と、人の力の偉大さを感じるダムを見られて、感慨深い旅でした。



post by No.1 代表:くー

16:05

コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

かもめ

Re:いまさらながら、立山・黒部旅行の話・・・

2010/08/09 20:32

こんばんわ。楽しく拝見いたしました。 私は13年前に黒部峡谷鉄道に乗りました。 写真にあるのと同じ、赤いパノラマカーでした。 本当に凄い峡谷で、圧倒されますよね。 欅平の先では建設に何百人も犠牲者がでたのをご存じですか? 吉村昭の「高熱隧道」が、それです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%86%B1%E9%9A%A7%E9%81%93 ご興味ありましたら是非、お読み下さい。

No.1 代表:くー

Re:いまさらながら、立山・黒部旅行の話・・・

2010/08/10 10:39

>かもめさん 高熱の中工事をしたことは、途中の説明や、宇奈月の「電気記念館」で知りました。 本になっていたのですね。「高熱隧道」ぜひ読んで見たいと思います。

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