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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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2024年07月07日
水曜日の天皇杯は、山形で行われます。 山形に行ったなぁと思い出しています。 2004年5月のことです。 コンサ隊3人での遠征でした。 仙台空港でレンタカーを借りて、試合の行われる天童へと向かったのですが。 時間もたっぷりあるし、高速じゃなくてもイイねと思ったのが運の尽き。 ナビに導かれて進む道がどんどんどんどん山の中へと入っていきます。 これ、本当に国道なの?というような細くてうねうね曲がる道が続きます。 すれ違う車も来ないので助かりますが、もし、対向車が現れたらどうしようと思うほどの狭い道。 ナビの画面を見ていると、長い長いヘビが横たわっているかのよう。 車中では、もう笑うしかないと、みんな変にハイテンションになってしまいました。 やっと平地に出たときには、心からホッとしたものです。 天童温泉に泊まり、翌日は、ホテルで教えてもらった道を仙台へと向かうと、昨日の道はなんだったのかと思うような普通の道でした。 あのナビの案内はいったいどうなっていたんだろう?と、首をひねりつつ帰ってきました。 山形というと、あの曲がりくねった山道しか思い浮かばないという、強烈な思い出ができたのだから、まあ、それはそれで良かったのかもしれません。
2021年12月06日
この記事は 「北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2021」 の12月6日記事用に書いたものです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ コンサドーレのサポーターになってから、日本中あちらこちらに行きました。 始めの10年弱は観戦仲間であるコンサ隊メンバーとのグループ旅行(しかもほとんどが女子旅)、後半の10余年はリタイア後の夫との夫婦旅。 もちろん、試合観戦のための旅なのですが、一方で周辺観光も欠くこのとできない要素になっていることは否めません。 試合の後、「さ!気分を変えて、たくさん観光して美味しいものを食べて帰ろうっと!!」と、そんな切り替えが必要なことが多くあったからもしれません。 夫婦旅になってからはのんびりゆったり旅になりましたが、最初の頃の仲間たちとの旅は、振り返ってみても、笑えるほどのてんこ盛り旅でした。 試合はもちろん、観光、グルメ、さらに温泉まで、メンバーの要求は尽きることを知らず、一方、幹事役の私と言えば、「旅の楽しみの80%は計画にある」というタイプ、なるほど、てんこ盛りになったのもうなずけます。 それでも、みんな仕事持ちですから、使える日数は限られます。 最初は土日の1泊2日が普通でした。 1泊2日の旅で、忘れられないのは、2003年10月の「川崎との試合で、箱根観光」という、なにそれ?という旅です。 朝一の航空機で羽田に飛び、等々力まで。 試合を終え、新幹線の1駅乗車(確か900円くらいで乗れた)も利用して、小田原へ。 小田原からはバスで夜の暗い箱根の山道を揺られ、その日の宿に着いたのが20時ころ。 夕食と温泉を楽しみ、その日は就寝。 翌日、朝食後、バスで芦ノ湖まで移動し、観光船に乗船し、対岸では、箱根関所跡などを見学し、また観光船で湖畔まで戻ります。 ここで昼食は、自然薯のとろろそば。 そこからはロープウェイを乗り継ぎ、大涌谷で観光。もちろん「黒卵」も手にします。 その後は、ロープウェイ、登山鉄道を乗り継ぎ、途中駅でお土産を物色してから、小田原駅まで出ます。 あとは羽田へ一直線。 試合観戦と箱根観光を両立させ、「1泊2日でやれるものなんですねぇ」と参加者を感心させた伝説の旅程です。 これですっかり自信をつけたものだから、あとは、とどまることを知らず。 1泊2日で「ジュビロ磐田戦と飛騨高山観光」を両立させたこともあります。 神戸でのナイトゲームのときには、1泊2日ながら、時間を有効活用して、朝こちらをたち、午後になんば花月で吉本を見学し、ナイトゲームを応援したのちに有馬温泉まで移動して(スタジアムから最寄り駅までは伝説もののダッシュ)泊まり、翌日は姫路城を見学して帰るというこれまた仰天の旅もしました。 そのうちに、「せっかくならもっと観光したいよね」となり、みんな何とか仕事にめどをつけて2泊しようということになっていきました。 2泊3日ならば、もう、無限に広がる旅のプラン(大袈裟) 京都の試合と城崎温泉とか。 徳島の試合で、淡路島・小豆島とか。 柏の試合で、伊豆半島とか。 岡山の試合で萩・津和野・倉敷とか。 鳥栖は、交通の要所で、しかも駅がスタジアムの目の前という利便さがあるので、大宰府・柳川・湯布院・日田・熊本・長崎への観光の拠点として、何度も行くことになりました。 つまりは「飛行機で飛んじゃったら、あとはどこでも行けるじゃないの」という感じ。 航空機が発着する「空港」を起点に、そこから行ける観光地を考えると、こんなことになります。 さらにそこに、道産子ならではの「距離感」(札幌~函館なら日帰りできる!みたいな)が加わるわけで、こういう感覚は本州組にはなかなか理解しがたいようです。 そんなこんなで、20年ほどの間に、本当に日本中を駆け巡りました。 私があと訪れていないのは、鹿児島県のみ。 昨年の春、計画を立てていたのですが(これも鳥栖が拠点)、行けなくなったので、きっと、リベンジするぞ!と思っています。
2020年03月07日
アウェイ遠征へ出かけるときの決まり文句は 「お土産は勝ち点3で」。 行く側でも、送る側でも、これはお決まりです。 とは言いながら、なかなかそうはいかないことも多いので、 結局、みんなで食べるお菓子を買って帰ることになります。 昨日書いた、初アウェイ遠征のときに、そういえば買って帰ったものがありました。横浜のおもちゃ博物館で見つけて、思わず自分へのお土産として買ってしまったこれは、ロボット型の時計。 頭と足のところにバンド通しがあるので、実は腕時計として使えます。 私は置物としてずっと飾っていますが。 その後、アウェイ遠征のときは、自分用として、フクロウの置物を買って帰ることが多くなりました。 フクロウは「福」に繋がるということで、たいていの観光地にありますし、 もちろん、コンサドーレのマスコットがフクロウだからでもあります。 いくつかをご紹介。
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奥の金属のものは、岡山の試合のときに、倉敷のアイビースクエアで買ったもの。 手前右は、岐阜の試合のあとで、熊野古道へいったときに買った那智黒という石のもの。 手前左は、神戸の試合のあと、有馬温泉で泊まったときの竹細工です。 実はまだまだあります。 これからも増えていきそうです。
2020年03月06日
[LOVE さっぽろ LOVE ほっかいどう」さんの 「覚えてる?初めてのアウェイ」に応えて・・・ (↑いつもブログの題材をありがとうございます!)
初めてのアウェイ遠征は、 「国立・浦和戦!」と即答できます。 が、それがいつだったかは・・・調べました。 2002年7月20日でした。 コンサドーレが初めて「国立」で試合をする! それも相手は「浦和」! これは行かねばならない!! と、年度当初から行く気満々になったコンサ隊女子部の面々。 そのころ、JALさまには「誕生日チケット」という特割のチケットがあって、 友達も含めて4人まで特別価格でチケットがとれたのです。 ちょうど、「私の誕生日チケットが使えるよ~!」という隊員がいて、 その特典を使わせてもらいました。 土曜日の夜の試合なので、土曜日の朝に出発。 試合の前には、札幌から4人の女子隊員が東京で合流した支部長を案内役に おのぼりさんよろしく、都庁の展望台に上がって東京を上から眺めてみたりしました。 ところがものすごく暑い日で、 途中、暑さにやられて、いったんホテルに休みに戻ったものが出たりしました。 道産子には辛い、蒸し暑さというアウェイの洗礼を早速浴びた初アウェイ。 それでも、アウェイ席を埋め尽くしたコンサドーレサポーターたち。 お知り合いのレッズサポさんと、仕切りの縄越しにちらっとお話したのですが、 「なにこの人数!!全部海越えて来たんでしょ?!すごいな・・・」 「いや、本州組もいるので、全部じゃないけどね」 「それにしてもすごいわ」 ほめてもらいました。 記録をひもとくと、19:04のキックオフの段階で気温は28.6℃。 入場者数は28054人になっています。 コンサドーレサポーターの数はどれくらいだったのでしょう。。 試合は、延長戦でVゴール負け。 ヘロヘロになってホテルまで戻ったことを覚えています。 次の日は、横浜へ観光に行きました。 港の見える丘公園、おもちゃ博物館、元町。 定番ともいえる横浜観光を目いっぱい楽しんで、初アウェイ遠征は終わりました。 振り返ると、試合だけでなく、観光も組み込んで楽しむという「コンサ隊の遠征スタイル」はもうこのときから出来上がっていたのだなと思います。
2020年02月07日
PCを新しくすることになったのを機会に、過去の「夫婦二人旅」の記録を1冊のファイルにまとめることにしました。 毎回オリジナルな旅なので、きちんと行程表をつくっています。 2011年以降の分は、PCの中にデータがあるはずなのですが、なぜか、ない分もあり、いっちゃんの日記から紐解いて、新たに作りました。 2011年以前の分は、いっちゃんも細かな記録を残していなかったので、手帳から日付を見つけて、最後はここ、ブログで確認することになりました。 なにしろ、ここは、2005年11月以降の記録がありますから。 結局、2007年のGWに草津との試合に行った行程表が最初のページになりました。 ファイルにしてみると、こんな感じ。40シートのファイルですから、表裏で80ページ。 80回の旅の記録ができることになります。 今はまだ、半分にも足りません。 どこまで増やして行けるでしょうか? 長く、長く、がんばって、行くぞー!
2019年10月29日
「決勝になったら行くよね?」 「そりゃ、行くでしょ!」 そんな会話が仲間たちと交わされるようになったのはいつごろだろう?
3月6日から始まったルヴァンカップ。 今まで、カップ戦というのは、所詮勝ち抜くのは無理、「こんなところに力を使わなくて良いから、J1に残留するために全力を使おうぜ」みたいな扱い(少なくとも私としては)だったので、 ミシャ監督が「タイトルをとる」と言っても、その勝ち抜くべきシステムすらよく理解していないありさまだった。 それが、気づけば、1位でグループステージを抜けた。 「で、その次はどうなるの?」みたいな形で、迎えたプレーオフでも勝ち抜けた。 これって、ベスト8ということなのか・・・。 慌てて、ルヴァンカップの勝ち抜きシステムを学び、試合日程も、スマホのカレンダーに書き込んだ。 「決勝に行ったら」という会話が交わされたのはこの頃だと思う。 でも、まだ遠い話だった。 プライムステージ準々決勝。 厚別での試合は、壮絶な打ち合いの末に3-2での勝利となったが、広島にアウェイゴールを2点も取られたことがショックだった。 「4点分か・・・。つまりは今、2-4てことだよね。。」とガッカリしている帰路のバスの中で、 「違いますよ。勝利したことで俄然有利なんですよ。次、広島で、引き分け以上でOKなんです。アウェイゴールの数が問題になるのは、広島が勝利して、勝ち数で並んだときだけです。」と教えられた。 「そうなの?そういうことなの?」なにもわかっていなかった私。 何しろ、ホーム&アウェイの2戦で勝敗が決まるなどというシチュエーションには慣れていないのだ。 そう聞くと、これは決勝もありだなと一気に気持ちが盛り上がった。 「決勝に行く」ことを真剣に検討した。 2006年の天皇杯のときのことが頭に浮かんだ。 準々決勝の仙台での試合。 私は、行けなかったのだけれど、仲間たちは、フェリーで、花巻までの飛行機で、関東組は新幹線でと、仙台までたどり着くための「陸海空作戦」を繰り広げたのだった。 そのあとの、準決勝・決勝(行けなかったけど)に行くためのアタフタは、後世に語り継ぎたいほどだ。 あのときと、完全に違うのは、今はもう、我が家には暇だけはたくさんあるということ。 そのかわり、体力はない。無理はきかない。 身体に不具合も抱えている。 ならば、早めに動くにこしたことはない。 「願掛け」と思う気持ちもあって、私は、広島での準々決勝2戦目の前に、飛行機を押さえた。 願掛けが効いたのか、コンサドーレは見事に「準決勝」へと進んだ。 勝利のあと、「実は、もう飛行機、押さえてあるんだ」と、公言したら、「マジか?」と言われた。 「マジですとも」 仲間たちも、そろそろ動き出した。 奇しくも同じガンバ大阪と3連戦となった準決勝。 秋の遠征は大阪と決めて準備していたので、3連戦の初戦をパナスタで見た。 あの大敗だ。 正直、これはまずいぞと思った。 リーグ戦の大敗は、1週間かけて立て直せばいい、相手も違うのだ、気持ちも切り替えやすいだろう。 けれど、中3日で同じ相手と同じ場所で戦わなければならないのだ。 これはもう、経験豊かなミシャ監督にお任せするしかないと思った。 そして迎えた試合。 戦えている、何とかなると思った試合。 先制されるも、ミンテの同点ゴールが決り、アウェイで同点なら上々だと思ったそのとき、ガンバが勝ち越して試合終了。 苦しいけれど、次はホーム。 ホームの力のみせどころだと力が入った。 ドームが地鳴りのようにどよめいて、武蔵のゴールが決った。 行くんだ! 本当に、決勝に行くんだ!! 「目の黒いうちには、優勝してほしいよね」などと戯言にしか言えなかった昔を思うと、胸が詰まるようだった。 飛行機もホテルもすでに押さえてあった私は、ただただ楽しみにその決勝の日を待った。 昇格のときに使った「優勝」のゲーフラをタンスの中から出して来た。 昨年、処分しようとして、「待てよ。優勝なら今後のあり得るよな」と思い返してしまったゲーフラ。 そんな日がこんなに早く来るとは。。 前日、土砂降りの中でたどり着いたホテルで、前夜祭の様子を見た。 こんな華やかな舞台があることを初めて知った。 そこにウチの選手たちがいることが嬉しくて、誇らしくて、泣けた。 当日のことは、夢のようで現実で、現実でありながら夢のようで、まだ十分に咀嚼できていない気がする。 ただ、「また来るぞ!」と思った。 絶対にこの舞台に戻って来たいと思った。 夢の舞台ではなく、初めての見知らぬ世界ではなく、いつもここまで来るようなチームでありたいと思った。 「今度いつになるかわからないから」ではなく、 「サポーターになって初めてのことだから」ではなく、 「秋には決勝もあるしね・・」と予定に普通に書き込むようになって、 「さあ、今年も行かなくちゃ」と余裕で計画する。 そんなサポーターでありたいと思う。 もちろん、カップを掲げるために!!何度でも!!
2019年10月05日
今日も朝から暑かった大阪。 万博公園を散策し、パピリオン館で、50年も前の大阪万博に関する展示を見ながら、昔を懐かしんだりしました。 その後は、モノレールに乗って空港まで行き、飛行機に乗って、無事に帰宅しました。 台風の心配もあった中での遠征でしたが、最後まで傘をささずに、それどころか暑すぎるくらいになり、今回も、「晴れ女パワー」発揮の旅になりました。 試合はアレでしたが、ま、長いサポーター生活、そんなことは山ほど経験しているわけで、旅そのものは楽しめたと考えれば、良しでしょう。 さあ、次だ!次!!
2019年10月03日
大阪府の北の端っこの温泉にいます。 午後からは、雨模様の大阪でしたが、私たちは傘をさすことなく今夜の宿までたどり着きました。 今はもう上がっています。 明日は晴れるはず! 明日移動のサポーターのみなさま、お気をつけて。
2019年07月02日
無事に帰宅しました。 2泊3日。 観光と食事、試合以外は大満足な旅でした。 今回は、私たち夫婦にプラス若者2人の4人旅。 しかも、飲める若者!ということで、地酒も堪能する旅になりました。 簡単な旅のまとめを………
1日目 ランチは牛タン。今まで食べた中で1番!青葉城址にて、伊達武将隊と遭遇。 コンサユニ着用のおかげで、濃く絡めた。 本丸会館の中の資料館で見た青葉城のCGの映像が非常にわかりやすく、ためになった。 試合後、駅近くの居酒屋にて、地酒数種類と地の食べ物(ほや塩辛、蒸しほや、牛タンつくね等々)を食す。
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2日目 塩釜へ。 太田興八郎商店にて「味噌味アイス」。
「浦霞ギャラリー」にて、聞き酒。 3種類、酔うほどの量にビックリ。 土産と夜用の吟醸酒を買う。 松島へ移動。 「さかな市場」でのランチは、「カキフライ」「カキバーガー」
「むう」(豆腐かまぼこ)食す。 瑞巌寺・円通院・天麟院 見学。 途中、ずんだ餅とずんだシェイク。
観瀾亭にて、抹茶。
五大堂・福浦橋見学。 ホテルへ。 夕食は、三陸の海の幸会席。 「おつくり」の豪華さに絶句。
鱧と浅利の鍋も美味。 夜は部屋にて、地酒「浦霞」堪能。 3日目 遊覧船。 仙台で最後の食事は「牡蠣」
振り返ると、本当に食べてばかりの旅だなぁ・・・
2019年07月01日
今日は、昨日と打ってかわって、晴れて暑かったー! 晴れ女パワー!!←ちょっと遅い。 そんな中、1日楽しみました。 まずは、塩釜にある「浦霞ギャラリー」へ。 ここは、造り酒屋さんで、300円支払うとグラスがもらえ、3種類の「聞き酒」ができます。 思いがけず提供されるお酒の量が多くて、ほろ酔い気味ww 美味しいと思ったものをお土産に買い求めました。そのあとは、松島へ。 暑い中、テクテクと歩き回りました。 カキフライ、カキバーガー、豆腐蒲鉾、ずんだシェイク、美味しいものもたくさん食べました。 今夜は松島温泉。 ホテルでのんびりとしています。
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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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