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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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2011年04月01日
朝、調べ物があって、ちょっとだけ開いたPC. 「Google」トップページが現れるように設定しているのだけれど、 今日の「Google」ロゴは、「日本の四季」といった風だった。 いつも、四季折々の風景や、記念日に合わせて変わるロゴだから、 今日は、これなんだな・・と思っていたのだが。 たった今、開いて見たら、「Google」のロゴが朝と違う。 別なところを見て、戻ったら、また違うのだ。 あれ?と思って、更新を何度もかけたら、そのたびに違うロゴが現れる。 すべてに共通しているのは「日本風」ということか。。。 これは、4月1日だからなのだろうか?? それとも震災の関係?? 調べてみたら、ここにその謎解きが書かれていた。 「私の好きな日本」なるほど・・・・
2011年03月31日
今日で3月も終わり。 毎年、2月3月は、日のたつのが早く感じられ、 「2月逃げる、3月去る」って本当だなぁと思うのですが。 今年の3月は、本当に長く感じました。 愛媛に遠征して、道後温泉を満喫して、 けれど誕生日プレゼントになるはずだった「勝ち点3」は手に入れられずに帰って来たのが、 この3月の始めのことだったとは、とても思えません。 大地震、津波、原発の事故。 何も出来ないという無力感。 前が見えないという不安。 嘆いて、怒って、憤って、涙して、感謝して、感動して、 ありとあらゆる感情が渦まいた1ヶ月でした。 そして、今、 「私たちが元気でいなくちゃ!!」と、そう思います。 元気に働いて、経済を動かして行かなくちゃ!! 4月は、希望が見える月になってほしいと願っています。 <お願い> プロフィール欄に書いてありますように、 当ブログでは、「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただいています。 どうぞ、ご署名のうえ、コメントくださいますよう、お願いいたします。
2011年03月28日
こんな未曾有の大災害を前にすると、 自分自身のちっぽけさが身に沁みる。 私にできることなんて小さくて小さくて。 けれど、 「募金のボランティアに行きませんか?」と呼びかけると、賛同してくれる人たちがいて、 「支援物資をまとめますよ」と立ち上がってくれる人たちがいて、それに応える人たちがいて、 ちっぽけなチカラでも集めたら何かができると、思わせてくれる仲間がいる。 「コンサドーレが好き」と繋がりはそれだけなはずなのに、 手と手はしっかり結び合っているんだなと思わせてくれる。 その繋がりは、コンサドーレのサポーターという繋がりから始まって、 Jリーグのサポーター、日本サッカーを応援するもの、世界中のサッカーを愛しているものへと、ドンドン広がって行く。 今回の震災が起こったすぐあとから、 世界中のサッカー選手・クラブ・サポーターたちから送られ続けるさまざまなメッセージ。 代表戦やリーグ戦が中止になれば、すぐにチャリティーにと動き出した協会・選手・スタッフたち。 募金や支援物資の取りまとめにと立ち上がるサポーターたち。 そういうすべてのことを、我が事として捉えられたことで、 私も世界中に広がる<サッカーファミリー>の中に含まれているのかもしれないと思えた。 ほんの末席であることは確かだけれど。 サッカーをしたことがあるわけでもなく、 サッカー関係の仕事にかかわったことがあるわけでもない。 ただ、地元のサッカークラブを愛し、見守っているだけ。 けれど、私も<サッカーファミリー>の中にいて、世界に繋がっていると思えたとき、 サッカーというものの偉大さにうたれ、サッカーがますます好きになった。 <サッカーファミリー>の末席で、 私は私に今出来ることを実直に果たして行きたいと改めて思っている。![]()
2011年03月23日
たった今見たACの新しいメッセージ。 岡崎選手のアンダーウェアに書かれたメッセージ。 長友選手の喪章姿。 内田選手のユニフォームに書かれたメッセージ。 サッカーファンはよく知っているあのメッセージ画像を繋ぎ、 3人の日本を励ますメッセージを流していました。 同じ映像が繰り返し繰り返し放送されていて、 苦情も寄せられているらしいAC。 (ACに苦情をいうのは見当違いですが) 今日のこのメッセージは、震災後作られたものです。 これから、このメッセージが何度も流れることになるのだと思います。 ACの新しいメッセージフィルムについて書かれたものをみつけました。 こちら![]()
2011年03月23日
先週末、姪(No.23チェブの一人娘、No.20くーママのたった1人の孫)が東京へ出発しました。 旅行ではなく、大学へ進学するためです。 本当は、先々週の末に行くはずだったのですが、あの大震災があったので、 1週間出発を延ばしたのです。 とはいえ、今も東京は完全に落ち着きを取り戻したというわけではないようです。 余震も続いており、計画停電で交通も万全とはいえない今のこの状況で、札幌を離れて東京で1人暮らしを始めるということ。 私などは、大丈夫なの?・・と勝手に心配したりするわけですが、 「なんとしてやりたいことがある、行きたい学部がある」と、 本人が強くしぶとく願って実現したこの進学ですから、 そこに迷いはないようです。 心配していた荷物も無事に届き、生活はなんとか始まった様子。 ただ、当初の工事を延期したため、インターネット環境が、今現在ではいつ整うかわからず、その点は不便なようです。 4月当初にあるはずだった入学式も中止になり、 新入生へのガイダンスなども順次先送りで、 授業が正式に始まるのは5月からとのお知らせも大学から届いたそうです。 この未曾有の大災害のときに、 見知らぬ土地でひとりの生活を始めることになった姪に。 「やりたいことがあるいうことは強いことだから、 ぶれずにやりぬいてほしい」 と、札幌から声援を送ります。
2011年03月21日
夢を見ました サッカーの試合に行く夢でした なぜか 夜の試合で 空には真ん丸いお月様がくっきり見えました 冷え冷えする空気の中 私たちはもこもこに着込んでいるのですが みんなとっておきの笑顔 グッズの並んだお店の前で それらを手にとって選んでいたり 湯気の上がる売店の前に がやがやと並んでいたり みんなとびっきりの笑顔 試合の場面は出てこずに みんなの笑顔がたくさん出てくる夢でした 日本中に こんな日が 一日も早く戻って来ますよう・・・・![]()
2011年03月20日
「choro爺の独り言」の昨日のエントリーをご紹介します。 「もし何もできないとお考えの方がいたら・・・」 このchoroさんのブログでは、いつも、ドライブやお料理や、飼ってらっしゃるミニウサギのうしゃの話題で、ほのぼのさせていただいています。 震災以後は、ためになるお話や考えさせられるお話がたくさん。 昨日のエントリーは、 「今、こうして、私たちが元気に暮らしていることが、これからの復興のためのチカラになるんだ」 と改めて思わせていただきましたし、 「チカラにしていかなくちゃ!」と思いました。 choroさんにご承諾いただきましたので、ご紹介!!![]()
2011年03月20日
義援金は、現金以外でも送れるのですね。。 そういうことにびっくりする私は、時代遅れなのでしょうけれど。。。(^_^;) ☆ 「totoポイントでの募金」こちら 100ポイントから ☆ JAL 「マイレージポイントで義援金」 7500ポイントから ☆ ANA 「マイレージポイントで義援金」 1000ポイントから ☆ JCB 「ポイントによる義援金」 その他、色々探すとあるようです。 貯まっていても、使う予定のないポイントを義援金にするというのは、 なかなか良い方法だと思いました。![]()
2011年03月18日
今日、久しぶりにメールボックスを開いたら、 ローマのマリエッラからのメールがあった。 表題は「Come state? How are you?」 ああ、心配してメールをくれたんだなと思った。 イタリア語で書かれた文と、多分翻訳機で英語に訳されたと思われる英文の手紙を、 なんとか理解しようと試ると、 やはり、日本で起こった地震のことを知って、大丈夫か?と心配してくれているのだった。 生粋のロマニスタで、ヒデがローマにいたときにはヒデのファンクラブの会長をしていたマリエッラとは、 11年前に本当に思いがけないことで知り合った。 ヒデがローマにいたときには、頻繁に交流があったのだけれど、 ヒデがローマを離れてからは、時折、メールを交わす程度になり、 最近は、クリスマスカードをメールで送りあう程度の交流になっている。 そのマリエッラが、「大丈夫か?返事をくれるまで、祈っている」というような(多分)メールをくれた。 ありがたくて、涙が出そうだった。 大慌てで返事を書くことにしたのだが、 英語は苦手という彼女にイタリア語で返事を書こうと思うものの、 イタリア語のイの字すら忘れてしまった私にはどうにもらならず、 結局、いっちゃんのPCに入っていた翻訳機能の手を借りて、 なんとかそれらしい文章を書いた。 私が元気でいること、札幌は被害地から離れていて、普通の生活をしていること。 サッカーの試合は全部中止になったけれど、ウチのチームは普通に練習できていること。 日本の復興を信じていてほしいこと。 ちゃんと読み取ってもらえるだろうか・・・
2011年03月17日
☆ 「ドームで応援するはずだった時間に募金ボランティアを!」 という呼びかけをしています。詳しくはこちらを ☆ ニュースを見ていたら、被災地の首長さんが、視聴者へ 「長くなると思いますので、ずっと支援をお願いします」とおっしゃっていました。 今すぐ、私たちにできることは、本当に限られていて、 現地で懸命に働かれている方々に、「どうかどうかよろしくお願いします」・・と思いを託すだけだったりします。 「ずっと支援を」という言葉を噛み締めて、 この先、何かが必要だと広く援助が求められたときには、 私の出来る範囲でですが手助けができれば。。と思っています。 北海道における「ヤシマ作戦」については、こんなコラムを見つけました。 「電力ってためておくことができないんだ・・」というのが私の初歩的感想で、お恥ずかしい限りですが。 「被災地の早期復興を祈りつつ、感謝して、今までどおり電力を使わせてもらい、誠実に働いて、日本経済を支えよう。」と筆者は述べています。 被災以外の地域に住む私たちは、日本の経済活動を支えていかなくてはならいのだから、 必要以上の節電はしなくて良いということのようです。 北海道における「ヤシマ作戦」は、 ひとつのことをみんなでやっているという一体感を生むという意味はあっても、 必要性はないのかも・・と思うようになりました。 さらに、筆者はこんなコラムも。 「被災者から日本を預かるという考え方」 こんなコラムも読みました。 私は、私の普通の生活を着実に過ごして (もちろん、被災地の方々に心を寄せて、できることはさせていただいて) 日本の経済活動を支えて行くことにします。<お詫び> 今朝のこのエントリーでは、表現が稚拙で、真意が伝えきれなかったため、 ご心配のコメントをいただきました。 ありがとうございます。 誤解を招くような表現は削除させていただき、訂正させていただきました。 申し訳ありませんでした。。。<(_ _)>
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OSC:「CNNコンサ隊 F」 2001年3月,某有名選手のオフ会で顔を合わせたメンバーが,その後,我が街のサッカーチーム「コンサドーレ」の応援にも集まるようになり,知人・友人・家族を巻き込んで,いつしか「コンサ隊」と名乗るようになった。 活動の開始は2001年5月12日。 厚別で鹿島アントラーズに勝利したその日だ!! 2002年2月OSC登録。 性別・年齢・居住地・職業,さまざまなメンバーで構成されており,その応援のスタンスも様々だが,思いはただ1つ。 「我が街のサッカーチームの成長を見守り,自らが関われることには積極的にかかわり育て,いつの日にかきっとJ1を制する!!」 初期メンバーに友人、親族などが加わり、大きなクラブになったため、名称に「F(ファミリー)」を加え、現在に至る。 ☆「発言は責任を持って!」というスタンスから、ステハンによるコメントは、内容のいかんに関わらず、削除させていただきますので、ご了承ください。 ☆ふさわしくないと管理者が判断したコメント&トラバは、管理者の権限でお断りすることなく削除しますので何とぞご了承ください。
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