カレンダー

プロフィール

2010年4月に大阪に転勤、これを機に西日本のスタジアムを制覇するぞと意気込んでおりましたが、2011年5月、今度は米国へ転勤となってしまいました。その後、メキシコ勤務を経て今は東京で暮らしています。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

スキーは平日に限るっしょ

2007年01月30日

月曜日に代休が取れたので、こりもせずスキーに行ってきました。
京葉線と上越新幹線の始発に乗って、かぐらスキー場。



ゲレンデも食堂もガラガラで大変快適でございました。
新雪フカフカの未圧雪ゾーン(つまりコブ斜面)の気持ちよさに
ガンガン滑ったら膝とふくらはぎがエラいことに...(^ ^;

で、帰りの新幹線を待つ間に見つけたのがコレ



商品のラベルに「意外にうまい」と書かれていて、メーカーの
姿勢に疑問を感じつつも1本購入。飲んだ感想は「意外にうまい」
そのまんまです。
やっぱヨーグルトと純米酒は別々に楽しんだ方がいいと思うぞ。



日程は出たけれど

2007年01月28日

来月の仕事の予定さえ決まっていないオイラにはまだ実感が…

今やってる仕事には担当者がオイラ一人しかいないので、
「どうしても仕事を外せない日」とコンサの試合がかち合っちゃうと
どうしても仕事を優先せざるをえない。しかもそれは土日も関係なく
やってくる(T_T)

これ以上は怨嗟と愚痴しか出てこないのでやめます。
今年は何試合見に行けるだろうか(ため息)


ダメ記者がダメ教師を弁護??

2007年01月25日

毎日新聞のあんまりなコラムが軽く頭にきた。
こういう時に言いたいことがいえるブログって便利だなあ。

ちょっと長くなるけど引用します。


友達を水おけにつき転ばすわ、机や本箱の上をかけ歩いて騒ぐわ、それを止めると悪口を吐く。師の前で尻をまくって大の字になり、「師匠とも何とも思わず、唯(ただ)ふざけ次第、実に難渋至極、これ師匠の不運也(なり)」。江戸時代の寺子屋にもとんでもない悪ガキがいた▲だがこの少年文吉は勉強もしないのに毎日やって来る。師匠の方も破門するでもない。ただこんな子は「千人に一人もなし」とグチっているだけだ。「図説・江戸の学び」(河出書房新社)で石山秀和さんが紹介している寺子屋師匠の日記である▲だいたい当時の寺子屋はほとんど体罰もなく、子供には実に甘いというか、おおらかだったという。欧州では教師がムチで子供をしつけていたころだ。だが幕末、その欧州の人々は、寺子屋で学んだ日本庶民の教育水準の高さに驚嘆することになる▲では少年文吉だったらすぐさま出席停止、おのれの不運を嘆く師匠は指導力不足で教員失格なのだろうか。

歴史上の事実を現在の尺度で語るという反則行為を何の自覚もなく犯しています。
江戸時代の寺子屋は文字通りお寺の僧侶とか、地域の知識人が社会貢献として運営していたもので、年齢制限もないし入学も退学も自由でした。教える内容も教える年齢もきっちり決められている義務教育とは性格が違います。

ほぼ日にもっと詳しい記述がありますが、この文吉少年、先生にとっては大迷惑でも他の子供をいじめた形跡はありませんし、同級生を自殺に追い込むような現代のいじめっ子とはぜんぜん違うでしょう。

師匠の方だって指導力がないならそもそも生徒が集まらないと思います。義務教育じゃないんだから。
知り合いの教育関係者から聞いた話なんですが、生徒に教えられるだけの学力がない教師がいて、(つまり生徒が解いているような問題を自力で解答できないから)学校には配属できないので研修で再教育をしているそうです。そんな失格教師でも地方公務員として身分が保障されているからクビにはできないそうです。


そもそも学力や学習意欲をめぐる具体的データにもとづく検討が行われた様子もない。「ゆとり」の反対は「詰め込み」だと確認しただけである

OECDによる国際比較や家庭学習時間の調査結果をこの記者さんは知らないようですね。
こんな記者が全国紙の一面に載る記事を書いて、高い給料をもらっているんだからダメ教師を税金で養っても問題ないと、そういうことなのか。
家庭や地域が失った教育力を取り戻すような提言をするのが社会の公器を自認するマスコミの役割だと思うのですが。


キャンプ開始

2007年01月24日

マスコミ各社は始動が1週間遅れたことを心配しているようです。
道新
ニッカン

でも天皇杯のおかげで他のJ2チームより4週間シーズン終了が遅れたんだから、差し引き3週間得していないか?残留メンバーが多いことだし、オフ期間が短かった分選手の体はできていると思います。去年の開幕レベルよりも一回りも二回りも大きくなった状態でシーズンを迎えられるのではと期待しています。


ハードなキャンプになりそう

2007年01月23日

J2札幌がJ1勢求め九州を行脚
三浦コンサ、初陣川崎戦で腕試し

格上チームと練習試合が組めるってことは、それだけ実力が認められているということだから、どんどんやってもらいものです。
長距離移動も最果てチームの宿命なんだから、キャンプのうちから耐性をつけてください。今年は群馬や水戸で情けない試合を見せてもらいたくない。オイラは去年見てないけど四国も。
エコノミークラス症候群対策とか、移動中のコンディションの保ち方をこの際きっちり指導してください。


post by luchun

00:05

コメント(0)

スキーに行ってきました

2007年01月21日

2週間ぶりに会社に行かなくていい日が来たので、スキー列車を予約しました。

好き好んでスキーに行くようになったのは上京して以降のことで、
実家にいた頃は体育の授業でしかスキー場に行かなかった。
では何故内地に来てからスキーにハマったかというと、

  • 道東にはろくなスキー場がないので、広々としたスキーリゾートにかんどうした。
  • 道産子基準では下手っぴぃでも関東人基準ではそこそこ滑れることに気づいた。
  • 仕事の電話がかかってこない所に行きたい。

こんな理由からです。
次の休みにはどこ行こうか今から考えているオイラでした。


文化が違う(青野さんのこと)

2007年01月19日

ここまで調子のいい事言われると、かえって信用できないのはオイラだけなんだろうか。

多分奴らは自分の気持ちに正直なだけなんだろう。
今の気持ちに正直だから、将来言質を取られることとか、過去の発言との整合性とか考えていない、そんな気がする。だから来年の今ごろ「あと12年コンサでプレーする」なんて言わなくてもいいから、今年結果を出してほしい。

いずれにしてもブラジル人の評価はピッチに上がってくるまで保留って事で。


毎日更新してる人はえらいと思う

2007年01月19日

昨秋に実家から送ってもらったジャガイモにもう芽が出ていてあせっている今日この頃。
親の気持ちは有難いが、オイラも一応定職あるし扶養家族もいないから食糧支援は必要ないんだよね。
正月帰ったときも餅を1袋持たされたし。おかげでしばらく餅ばかり食って過ごしていた。

ここ2、3日、帰宅してテレビなど見つつ飯を食って気が付いたら寝てた、いや正確には目が覚めたら夜中で電気もストーブも点けっ放しだったという日が続いて我ながら呆れている。

毎日更新してる人はきっと規則正しい生活をして健康な生活を送っているんだろうなあ。
久々にコンサ関連のニュースを巡回して三浦さんやる気あるなあとか、青野さん調子よすぎとか、縷々感想を述べる気力も不足気味なので、明日に備えてもう寝ます。


どうでもいいことですが

2007年01月11日

道新よりニッカンの方が情報早いってのはどうかと思う今日この頃。
社長の意見も伺ってみたいけど、ブログ更新するヒマもないみたいなので遠慮しておこう。

しかしマジでブラジル人3人体制なんですか。嬉しいような、怖いような複雑な気分だ。


post by luchun

22:34

コメント(0)

カガケンジュビロ磐田に復帰

2007年01月10日

加賀 健一選手 ジュビロ磐田に復帰のお知らせ

覚悟はしていたが、いざ決まるとやっぱり寂しいね~
カガケンにおきましては、ジュビロでしっかり活躍していただいて、
若手育成機関としてのコンサドーレをアピールしてもらいたい。

「出場機会のない有望な若手を預けてみようか」と思うJ1強豪チームや
「コンサを足がかりにトップチームに成り上がりたい」と思う野心ある
選手から声がかかるようになれば、財政的にも戦力的にも安定すると思う。
金がないんだから、安く育てて高く売るしかないっしょ。
実際、山瀬や今野の移籍金が入った年は黒字になったんだし。

優也の完全移籍も決まったことだし、あとは林とじばくちゃんだけの
高原と、健太郎が残ってくれるかだけだなあ。
(ブラジル人には期待しない癖がついてしまった...ors)


年賀状やっとオワタ(^ ^;

2007年01月07日

巷では新監督がどうのDJ OZMAがこうのとかまびすしいですが、
帰省先で一週間ネットにつながらなくても平気だったオイラは
関東に戻って情報格差を埋めるのが大変でした。
(向こうでは紙で道新が読めるから気にならなかっただけかも)
故郷の名誉のため言っときますが、電話はつながってます。
妹はアナログ回線でmixiとかやってるようですが。

4日に関東に戻って5日に出勤し、仕事終わったらその足で
鹿島神宮に参拝したオイラにとっては出してなかった相手に
年賀状を書くチャンスは今日しかなかったとです。

鹿島神宮に行く道すがら、後輩に(コンササポであるオイラが)
「鹿島神宮になんか行っていいんですか?」と問われて、
「天皇杯の結果では同格だからいいんだよ!」と、半ば逆ギレ
気味に答えてしまったのはさすがに大人気なかったか。

夕食休憩を挟んで鹿嶋に着いたのが夜の10時過ぎで、
月明かりに照らされた鹿島神宮はそれは神秘的でございました。
ろくに照明がないのに、奥宮、要石、御手洗池と一通りめぐって、
せいぜい後輩たちをびびらしてきました。

閑話休題。とりあえずHFCにはDZ OZMAの下ネタ駄じゃれに
感謝状をもって返すという懐の深さを是非とも見せてもらいたい。
ドーム開幕戦でもしやってくれるなら、サポーターとしても
文字通り一肌脱ぐ用意はありますよ。