2019年02月17日
昨日のスーパーカップを見て、今年も川崎の強さを感じました。 しかし、いつまでも対札幌無敗の記録を続けさせる訳にはいきません。 過去の切磋琢磨するライバル関係に戻しましょう。 コンサドーレの前身東芝堀川町サッカー部とフロンターレの前身富士通 サッカー部は、因縁の深いチームです。 共に川崎市を同じ本拠地(ホームタウン)にし、チームが所属する企業も 電気機器を製造するライバル会社です。 東芝は1935年創部、富士通より20年早かったが、その後の各リーグへ の参加・昇格では、1970年代後半まで、富士通に後れを取りことになり ます。 東芝が富士通に追いついたのは、1978年JSL2部に東芝が昇格し、翌 1979年富士通がJSL1部からJSL2部に降格したからです。 それから10年間は同じリーグで戦うことになりました。 対戦成績はわかりませんが、リーグ内の順位からすると、東芝が優位で あったと思われます。1988年東芝の優勝でJSL1部昇格。 1992年のJFL創設まで、違うリーグで戦うことになります。 1992年再び同じリーグ(JFL1部→JFL)で戦うことになるが、1997年コ ンサドーレ札幌の優勝までの6年間も優位な時期であったと思われます。 1998年コンサドーレ札幌が川崎フロンターレより先にJリーグ加盟を果た します。![]()
1967年~1978年 富士通が優位な時期
1979年~1998年 東芝(コンサドーレ札幌)が優位な時期