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栗山町で生まれ、その後南幌、滝川、北村(現岩見沢市)、秩父別と空知管内を転々とする。 高校卒業後も道内で過ごしていたが、競馬場があるという理由だけで福島県に就職。 現在は福島県の太平洋岸にある南相馬市に在住。 初コンサ:J村こけら落とし時のvs福島FC 資格:元4級審判(数試合笛を吹いた) 還暦をとうに過ぎているが、精神年齢は・・・

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2025たられば(その2)

2025年12月04日

本題の前に 昨日は福島市内で忘年会。 夜遅くには荒天の予報だったため19時43分発の電車に乗らなければ帰れなくなると思ってた(東北本線と常磐線の接続の関係でその次は22時01分)。 岩沼で乗り換えるまでは何の問題もなかったのだが、山下駅で強風のため一時運転見合わせとなってしまった。 外は風の唸る音が激しくときおり電車の車体の揺れを感じるほど。 こりゃ最悪電車内で一泊もあるか、と思いながらがらがらの車内の狭い座席で寝転んでいた。 待機から1時間ほどで電車は動いたのだが次の坂元駅でまたストップ(よく運転再開したなと思うほど風は強かった)。 ここでは20分ほどの停車で動き出したのだがとろとろとした徐行運転。 幸い新地、駒ヶ嶺、相馬と家が近づくにつれ風は弱くなっていき相馬からは通常の運転速度に戻った。 1時間40分以上遅延して原ノ町駅に到着し、自宅に着いたのは日付が変わって30分近く経っていた。 アウェー仙台戦でも電車は動いているのかと心配しながらの帰路だったがホント常磐線は新千歳空港発着のエアポート同様よく止まるんですわ。



さて、2025たられば(その2)は8月のアウェー長崎戦です。 ATのバーを叩いたバカヨコのシュートが入っていればあの試合は勝っていたはず(アレは入った!と思ったのだが)。 もし勝っていたら、戦術も熟成してきていたし上位を追撃するムードは高まっていったと思うし、次戦のホームで秋田の術中にはまって無様な試合を見せることもなかったのではないかと思っている。

何よりあの敗戦がなければ監督交代はなかったわけだし・・・もう少しプレーオフ圏に肉薄できたんじゃないかと思ってる。 岩政氏の采配には否定的な意見も多かったけど、正直自分はもう少し岩政コンサを見ていたかった。

あの試合では、カウンターから抜け出したマテウスジェズスが宮を倒した(画面上からはそうとしか見えない)シーンでファールを取ってくれていれば負けることもなかったわけで(ただ引き分けではその後に影響を及ぼすような結果となったか?問われると・・・)高嶺も余計なカードを貰わなくて済んだのにと思うと今季最も悔しい思いをした戦いの一つである。


post by F県のおやじ

13:53

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