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2007年08月08日
3年前「次の日大三高に勝つようなら優勝もあるよ!」と友人の前で宣言したら その通り日本一になった駒大苫小牧。 今年は甲子園出場すら難しいだろうと言われつつも 結局は南大会を圧勝して甲子園で堂々の優勝候補に挙げられています。 その駒大苫小牧は土曜日の第4試合で広島の広陵と対戦です。 広陵と聞くだけで「強敵!」と思う人が多いかも知れませんが 今年の広陵は選抜でベスト8まで勝ち進んではいるものの 駒苫が普段通りに戦えれば問題なく勝てる相手です。 2回戦は桜井(富山)-東福岡の勝者が相手となるので、ここも問題なし。 問題は3回戦で当たりそうな兵庫の報徳学園です。 初戦を順当に勝ったとしたら、この試合がヤマになりそうです。 報徳学園を倒せば史上初となる4年連続決勝進出の快挙も見えてきそうです。 さてその前に、金曜の第1試合で帝京(東東京)とぶつかる駒大岩見沢。 この試合は1回戦屈指の好カードだと思います。 キーポイントは帝京の3投手をヒグマ打線が打てるかどうかでしょう。 佐々木監督はここ数年、駒苫の香田監督の陰に隠れた存在となっていますが この駒岩を甲子園初出場(昭和58・春)でベスト8へ導き 更に平成5年の春にはベスト4進出を果たすなど 甲子園采配ではかなり高い経験値を持っている人なのです。 あとは選手達が駒苫のようにノリノリで試合に臨めるかどうかでしょう。 持っているチカラをしっかり出せたなら、きっと大方の予想を覆す結果になります。 帝京は地区予選ではパッとしない戦いが続いており それを甲子園まで引っ張ってきている可能性があります。 もし帝京がそんな感じで試合に入り、駒岩がある程度実力を発揮したなら 思わぬ大差で勝利をあげるかも知れませんヨ! もし帝京を破るようなことがあれば やはりヤマは3回戦の仙台育英(または奈良の智弁学園)戦でしょうね。 私は駒苫が2回戦進出を果たしたら、いよいよ昨年同様苫小牧へ遠征し 駒大苫小牧校舎のイベントホールで応援します(^o^) だから初戦は何が何でも勝ってもらわなきゃ!!
2007年08月07日
かなりの時間をかけようやく完成した記事が 私自身の単純なクリック操作ミスで全て台無しに(ーー;) 心が折れかけましたが、何とか気を取り直して再チャレンジ(全て書き直し)します。 過去のセレッソ戦で最も印象的なシーン。それは試合終了後の1コマでした。 2001年11月24日、札幌ドームで行われたJ1最終節で コンサドーレは、既にJ2降格が決まっているセレッソ大阪を攻め切れず 0-0で迎えた終了近くに痛恨のゴールを決められ0-1で敗れました。 既にJ1残留を決めていたコンサドーレでしたが、有終の美を飾りたかったはず。 なぜならこの試合、岡田武史監督にとってリーグ戦最後の采配だったからです。 試合が終わり、敗れはしたもののDF大森健作が最も頑張った選手として スポンサーから賞品を授与されました。 しかしベンチに戻った大森選手は持っていたウォーマーかタオルか忘れましたが それを思い切り叩きつけました。 試合に敗れた悔しさ、岡田監督に白星をプレゼント出来なかった無念さ ホーム最終戦を勝利で飾れなかった気持ち そんな中で1人だけ表彰を受ける時にこらえていた気持ちが ベンチに戻って爆発したのかな?プロの意地とプライドを見た瞬間でした。 これが私のセレッソ戦で最も印象に残っているシーンです。
さてさて今日も高校野球の思い出です。 今回は平成6年・夏の旭川実業編<その2>です。 2回戦で壮絶な打撃戦を制した旭実の次の相手は 春の選抜で準優勝に輝いた銚子商でした。 好投手嶋田の前に中盤まで沈黙気味の打線でしたが 粘り強い守りで失点は最小限に食い止めて迎えた6回 ようやく2回戦の勢いを取り戻した旭実が逆転に成功! 7回にも追加点を上げ、4-2で名門銚子商を破ったのです!これで北海道代表は前年夏(北海)に続き、2年連続ベスト8進出となりました。 そして迎えた準々決勝。相手は福井の敦賀気比。 ここには内藤というハンカチ王子に似たタイプの投手がいました。 旭実はこの内藤に打線を封じ込められ0-3のまま とうとう9回裏、最後の攻撃に入りました。 ここで無死から連打で1・2塁とし、4番岡田が2ベースを放って2者が生還! あっという間に1点差に詰めると NHK実況アナが「また始まった!また始まりました!!」と声を上げます。 まさに旭実のミラクルが、またもや起きようとしているのです。 次のバッター角井の当たりはセンターへの鋭い打球! それを敦賀気比の中堅手はショートバウンドで捕球しバックホームの体制をとります。 逆転サヨナラへの道が更に広がったと私はTVの前で大興奮!! しかし塁審は、なんとアウトのジェスチャー ……。 ショートバウンドではなく直接キャッチしたという判定です。 2塁ランナーは戻り切れずにダブルプレー。 旭実のミラクルはこんな形であっさり終焉を迎えました。
試合終了後、塁審の判定に関しNHK等に全国から抗議の電話が殺到したと 翌朝の新聞に掲載されていたのを記憶しています。 それでも春夏通じ甲子園初出場の旭川実業は、本当に大健闘だったと思います。 特に2回戦で見せた脅威の粘りはいつまでも語り継がれてゆくことでしょう。 ちなみに4年後の夏にも出場した旭実は、ここでも2勝を上げました。 2度の選抜は初戦敗退でしたが、春夏を合わせて勝率55.6%というのは 71.4%(2006選手権終了時点)の駒大苫小牧に次ぐ北海道第2位です。
2007年08月06日
〔これは私がいつも楽しみにしているチーム〕 私が住む小さな町の夏祭りにYOSAKOI を呼ぶようになって早5年。 年々エスカレートしている感じで とうとう今年は新琴似天舞龍神や平岸天神も来ました! 今回は途中で草津戦を見るため一旦帰宅したりと忙しかったけど 総合的に考えれば堪能はできたと思います。
「僕も踊りたいな~」 と思っているかどうか(笑)
高校野球の話もいよいよ佳境へ! というところですが やはり甲子園開幕前日で終了となると、書きたい試合が沢山あるのに 何だか中途半端になってしまいそうなので 毎日とはいきませんが、こうなったら 気が済むまで思い出話を書き続けようと思います(笑) 何度も言いますが、関心のない人はスルーして下さいね(^ ^) 今回は平成6年の北海高校に続き 翌年に続けてベスト8へ進出した甲子園初出場チームの話<その1>です。 平成7年・夏 春夏あわせて甲子園初登場の旭川実業高校は初戦の相手が夏将軍松山商。 これは少々荷が重いかな?と心配しましたが 1点リードされた4回裏に集中打を浴びせ一気に5点を奪って逆転に成功! 直ぐに1点差とされますが 6回途中からリリーフに立ったサイドスローの川村が緩急を巧みに操る好投! これに松山商打線は最後まで沈黙を続け、旭川実に軍配が上がりました!2回戦は壮絶な打撃戦の末、旭川実が見事に勝ち上がりました。 まずはスコアをご覧下さい。これは球史に残る試合と言って過言ではありません。
旭実が1点差に追いつくと4点差にされ、今度は何とか2点差に詰めると また5点差に広げられ、8回表にようやく同点に追いついたのに 今度は2点差にされ…… 追っても追っても逃げられる展開でした。 11-13で迎えた最終回。ここで2点を返さないと甲子園を去ることになる旭実は 先頭打者が出塁し反撃ムードが高まります。 そして当たっている早川がレフト戦へ大飛球!完全な長打コースです! ところが鹿商の左翼手が走りに走って大ファインプレーでレフトフライに…。 1塁走者は戻りきれずにダブルプレー(ーー;) 大きなチャンスが一瞬にして2アウトランナー無しとなってしまいました。 ざわめきが収まらない甲子園球場の中 次打者の4番岡田は密かに闘志を燃やしていました。 岡田選手は大阪の子ですが、中学生の時に交流で関西へやって来た 旭川のリトルシニアの選手達と仲良くなり PL学園等の勧誘を断って単身旭川へ渡り仲良し君達と同じ旭実へ入学して 3年になって野球部を甲子園へ導く原動力となったのです。 その岡田の一振りが、再び反撃ののろしを上げることとなりました。 岡田の打球はレフトスタンドへ一直線!これで1点差!! そして角井の打球はイージーなサードゴロ。今度こそ本当に万事休すと諦めたら なんと!三塁手の前で突然打球はコースを変え、外野の芝生を転々とします。 これで試合の行方は、またわからなくなって来ました。 止まらない旭実のミラクル打線に鹿商は4点を奪われ 逆に2点差を追っての9回裏となりましたが 最後はマウンドに戻ったエース角井が三者凡退に切って取り 壮絶な打撃戦に終止符が打たれたのです。 旭川実の次の相手は、この年の選抜大会で準Vとなった名門銚子商です。 ミラクルはどこまで通用するのでしょう(^ ^)
2007年08月05日
まずは激しい雷雨や湿度80%という蒸し暑い中
前橋まで応援に駆けつけた皆様、大変お疲れ様でした!!
昨日からエントリーしていた、勝利を決めつけたような内容が
結果としては的中したので、ホッと胸を撫で下ろしている私です(笑)
内容的には後半途中まで攻められることが多く
また、安易なクリアが相手に渡ったり、簡単にボールをかっさらわれたりと
とても現在1位にいるチームとは思えない動きでしたが
こんな感じでも3-0などというスコアで結局勝ってしまうところが
やっぱり首位のチームなんだなぁ~と思うわけであります。
それにしても藤田征也は、得点に絡まない部分では目立たないけど
90分の中で1つ2つ大きな仕事をやり遂げる試合が増えましたね~。
やはりU-20Wカップへの出場が、彼に大きな自信とプライドを与えたようですね!
何はともあれ、今日の勝利は非常に大きいと思います(^o^)
2007年08月05日
なぜか下位に甘んじているチームに苦戦を続けるコンサドーレ。 素人考えですが、私が思うには 強豪と言われるチームと、不調により下位で喘いでいるチームと 戦い方が少し違っているような気がするんですよね~。 その辺に下位との対戦で苦戦する原因の一部があるのではないか? な~んて思ったりするわけです(^ ^;) 〔強豪との対戦〕 まず守備から入っている。 攻撃にウエイトを置くタイミングを慎重に考えながら戦っている。 (攻撃に転じれば、その分だけ守備へのリスクが増える。) 〔下位との対戦〕 守備から入るのが基本的な戦略となっているものの 気持ちの中で、どうしても得点を重ねていけそうな雰囲気を持ってしまい いつの間にかリスクを負う戦い方になっていて、そこを突かれている。 さて今日の草津戦は、累積警告により西谷正也選手が欠場します。 コンサドーレの得点シーンは彼のパスから生まれるケースが非常に多く 攻撃に欠かせない選手であることは疑いありませんね。 彼がいなければ攻撃力が低下するのは現時点において否めないのが事実です。 だから草津戦は、強豪相手と同じ慎重な戦い方になるのでは? 強豪を相手にした時のコンサドーレは強い! まぁ、どのみち今シーズンの対戦成績が×△である草津は コンサドーレにとって最初から強豪ですしね(笑) 要するにコンサの選手全員が心の底から 草津は強敵 と考えて戦えば良いわけです。
高校野球の思い出 平成2年から3シーズン、甲子園で北海道勢は延べ9校が全て初戦敗退。 しかし平成5年の選抜大会(春)で駒大岩見沢が北海道代表として 実に昭和35年春以来となるベスト4進出を果たすと そのあたりから快進撃を見せてくれるチームが頻繁に現れるようになりました。 今回は、その快進撃第1弾です! 平成6年・夏 北海高校は1回戦で西の横綱と言われた優勝候補宇和島東と対戦しました。 2年生投手岡崎の踏ん張りで牛鬼打線を最小失点に抑えていましたが 7回裏に痛い追加点を献上。 しかし終盤になって北海打線が爆発!9回表は押し出しで勝ち越すと 4番の佐藤がライト線へ走者一掃の2塁打を放ち試合を決めました。 2回戦では史上初となる北海道同士の対戦(^ ^;) 情け容赦ない攻めを続ける北海が10-1で砂川北に圧勝。 夕方の北海道放送局TV番組で、互いの監督を電話で会話させると 酒豪で有名な砂北の佐藤茂富監督が、アルコールを1滴も飲めない北海の監督に 「大西~!今夜は絶対に1杯のませるからな!」と言い 大爆笑したのを記憶しています。 3回戦の小松島西(徳島)を14-5の大差で撃破。 そして準々決勝の相手は組み易しと思われた佐賀商。 この試合で北海の大西監督は岡崎を休ませようとして 背番号1の鈴木を先発させました。しかし経験不足の鈴木は1イニングも持たずに降板。 疲労の岡崎をマウンドに送りますが佐賀商打線の勢いは止められず 4回表の時点で5失点というワンサイドゲームになってしまいました。 ところが4回裏の北海攻撃中にバケツをひっくり返したような激しい雨。 グランドは洪水のような状態に。いくら水捌けが良いと言っても この状況ではノーゲーム翌日再試合で良かったと思った私でしたが なんと1時間33分もの中断を挟んで試合が再開されてしまうのです。 6回に3点を返し意地を見せた北海でしたが、結局3-6で敗退しました。 この佐賀商は更に勢いがつき、準決勝・決勝ともに最終回の猛攻で制し 見事に優勝しました。 結果論になりますが、この年の北海は優勝する可能性を持っていたようです。 その証拠に、秋の国体では圧倒的強さで優勝しましたから。 ちなみに当時佐賀商でコーチを勤め全国制覇に貢献したのが 駒大苫小牧の香田監督です。
2007年08月04日
草津はカレカという大型FWが入団し、とりあえず日本で1試合戦いました。 今後へ向け、なかなか期待できる動きを見せたようです。 明日の札幌戦では、チカも出場停止が明けます。 第18節(5/26)で水戸に勝って以来、12試合も勝利から遠ざかっている草津は 相性のいいコンサドーレを相手に、HOMEサポーターの前で久々の勝利を!と 相当意気込んでくることでしょう。 西谷の不在も草津陣営にとっては非常に好材料と考えているはずです。 でも結局のところ、勝つのは我らがコンサドーレ札幌です! 明日は首位と11位の力量差を、まざまざと見せつける結果となるのです!!
明日は、いよいよ甲子園の組合せ抽選会ですね(^ ^) 昨年の駒苫エース田中マーくん(楽天)の存在が大き過ぎたせいか 今回はあまり他校からマークされていない駒大苫小牧。 そして私が密かに優勝候補に挙げている駒大岩見沢。 この両校がどんな相手と初戦で対戦するか、非常に楽しみです。 2つ勝てば、あとは勢いで決勝戦まで行きます!! ← あくまでも強気 さて今日も北海道代表の活躍ぶりをお伝えします。 昭和63年・夏 「振り向けば レフトスタンド 突き刺さり」 これは開成の細腕エース熊木が試合前日に詠んだ句です(笑) 実際にはライトスタンドに1本突き刺さることになるのですが(笑) 南大会はミラクルの連続で札幌開成が甲子園への切符を手にしました。 そのミラクルで甲子園でも旋風を!と期待していたら 初戦の対戦相手が大分の津久見高校……。別に津久見という名前に重圧は感じませんが この年の津久見には川崎憲次郎という超高校級エースがいたのです。 宿舎で猛勉強している姿。ファミコンの野球ゲームで盛り上がっている姿。 宿舎の支配人が開成の選手達を見て随分驚いたというエピソードを記憶しています。 豪腕川崎憲次郎を相手に開成が立てた作戦は1つ。 「球が速くコントロールが良いから、バットスイングの初動を早めに起こせば打てる」 試合終了後、勝ったのにお立ち台で冴えない表情の津久見監督。 「うちの川崎がこんなに打たれたのは初めて見ました(ーー;)」 ※ 札幌開成:11安打 津久見:8安打3~4年前、草野球の対戦相手の監督がエースの熊木さんだったのには驚きました。 でもそれに気付いた私に対して相手選手の人はもっと驚いていました。 「よくご存知ですね!今まで誰も気付いた人はいませんでしたよ!」と。 ちなみに本人とは話していません(笑) 平成2年・夏 この年の代表中標津高校は、過去の北大会代表として 最強チームであったと、私は今でも考えを変える気持ちはありません。 高校野球は、甲子園という大舞台で選手達がどれだけ いつも通りの動きが出来るかで明暗が分かれます。特に初戦がそうです。 中標津ナインのうち8人は、いつも通りの動きで実力を出せていました。 しかしエースの武田だけは冷静さを少し失っているような投球でした。 それでも7回8回で劣勢を盛り返し同点に追いついた時は もう大丈夫だろうと私はTVの前でホッと胸を撫で下ろしたものです。 ところが8回、同点に追いついた後のプレーで これまでの中標津高校にあった運みたいなものが急に飛んで行ってしまうような 信じられない出来事がありました。 セカンドを守る森は、北大会から明らかにラッキーボーイ的存在でした。 この試合でも走好守で巧みな動きを見せていました。 8回表、同点となって勢いがついた中標津は、更に1死2塁(だったと思う)から 木内が三遊間へ抜ける当たりを放ちます。 2塁走者は俊足の森。「これで逆転だ!」と私は大喜び! しかしその瞬間…… イレギュラーした打球が森の足に当たり、守備妨害でアウトを宣告されたのです。 ここまでミラクルの中心的存在だった森がこのようなアンラッキーに遭遇。 流れは完全に相手に戻ってしまいました。 延長10回裏、エース武田が連打を浴びサヨナラ負け。 中標津の長かった熱い夏が終わりました。
最近聞いた話ですが中標津の町では今でも 「N高(中標津高校の通称)は甲子園へ行ったことがあるんだよ!」と 町民が誇りにしているそうです。 でも私は思います。中標津が再び甲子園へ行くのはそんなに遠い未来じゃないよ!と。 そしてあの年に甲子園へ行ったのは奇跡じゃなくて実力ですよ!と。 当時ちょうど帯広で勤務していた私は、夏休み期間だったこともあり 毎日のように帯広の森球場で行われた北大会を現地観戦していました。 だからこそ北大会史上最強チームであったと自信を持って言うのです(^o^)
2007年08月03日
凄~く見易くなったな~! より一層よくなったな~! こんな感想を持った私ですが皆様はどう感じたでしょうか?? スタジアム観戦者の年齢別構成比は面白いデータですね(^ ^) (あれっ?以前も載っていましたっけ!?) 年齢層がJ2で最も高い? 結構なことじゃないですか(笑) J1を含めても2番目に高い? トップはどこなのかなぁ。 20歳台とかの若い年齢層には、まだまだ浸透していないのですね~。
さて高校野球特集を書くのも残すところあと5日間。 空気を読め!と言われそうですが、マイペースで続けますよ(^ ^) 今回は昭和の終わり頃、とても印象に残った2試合について。 昭和61年夏〔1回戦〕尽誠学園(香川県)のエースは2年生の伊良部。そう!あの伊良部です。 まだ太っていませんでしたよ(笑) 東海大四の甲子園初勝利は、あの伊良部を打ち破ってのものだったのです! 中盤一気に得点を重ねた尽誠学園ですが東海大四も6回に反撃し1点差とします。 しかしあと1点がなかなか奪えない東海大四打線。 9回ウラの先頭打者はマウンドで奮闘していた大村 巌。 思い切り振り抜くと、打球は高々と上がってレフトスタンドへ! この大村の一振りで試合は振り出しとなりました。 更に伊良部を攻め立てる縦縞のユニフォーム。 最後は俊足の日高が2塁へ内野安打を放ってサヨナラ勝ち!! 実に感動的な試合でしたが、もっと印象に残ったのは お立ち台で日下部監督が号泣したことでしょうか(笑) 昭和62年夏〔1回戦〕
帯広北のエース高木清全は私の記憶の中で、最も素晴らしい投手です。 相手は参加校中最高打率を誇る柳ヶ浦高校(大分)。 柳ヶ浦は打線のみならずサウスポーエース清原(阪急に入団)もいる強豪でした。 しかし高木の力投で柳ヶ浦打線は沈黙します。 北大会後に肘を痛めてしまい投げ込みが不足していても 味方守備がとんでもないエラーを犯してランナーを背負っても 淡々と頭脳的な投球で凌ぎます。 スコアボードにはキレイに0が並びました。そして8回表……。 まずショートがトンネル。 そしてレフトが何でもない飛球をグラブの土手に当てて落球。 ピンチが広がり、ここまで押えていた高木が とうとうタイムリーヒットを打たれ2点を献上してしまいます。 結局そのまま0-2で帯広北は破れました。 高木投手は地方大会を含め1度もスクイズを決められたことがないそうです。 見せ場は柳ヶ浦戦でもありました。 スクイズを見破った高木は咄嗟にインコース高めへ速球を投げ失敗させています。 この大会、南代表の函館有斗には盛田幸妃、北代表の帯広北には高木清全と 素晴らしいエースがいて期待されましたが 大変残念ながら共に初戦で惜敗となってしまいました。
2007年08月02日
台風5号の関係で何だか蒸し暑い1日でした。
皆様がお住まいの地域は、いかがでしたか??
今夜は寝苦しい夜になるのかなぁ。
さて、4日(土曜)AM9:00の予想天気図を見て思った感想は
「これじゃ飛行機が飛べないんじゃないの!?」
です……。
キックオフは夜ですが、前日移動が困難な場合、当日移動ってこともあるのかなぁ。
組合せ抽選会まであと3日! 本気で決勝戦が 駒大苫小牧 vs 駒大岩見沢 になっても不思議じゃない! と思っている私は、今日も高校野球の思い出話を継続します(^o^) 興味のない人はスルーして下さいね! 「また沖縄水産かよ!」 昭和60年夏、函館有斗は沖縄水産に1-11で大敗。そして初戦勝利の旭川竜谷も2回戦で沖縄水産と対戦。 この試合は竜谷リードオフマン岡田の頑張りもあって接戦に持ち込んだものの 結局1-3で敗れました。
北海道代表2校を倒して勝ち上がった沖縄水産でしたが 3回戦で鹿児島商工に5-6で敗れてしまいます。 翌年夏、今度は帯広三条が初戦で、またしても沖縄水産に当たります。 しかし1試合に6失策では勝ち目がなく、1-12で大敗を喫してしまいます。
更に翌年の昭和62年夏、「えーっ!また~?」という感じ……(ーー;) 組み合わせ抽選の結果、函館有斗が1回戦で沖縄水産を引いてしまったのです。 3年間で4度も同じチームと対戦するというのは、どうなんでしょうね~(^ ^;) しかしこの年の函館有斗には盛田幸妃という豪腕エースがいます。 いよいよ沖縄水産を倒す日が来るかも知れないぞ!という期待と どうして沖縄水産なんだよ~という気持ちが交錯する私でした。 実は盛田は、非常に性格がプロ向きというか何というか…… 「俺がこんなに頑張っても勝てないのは打線が弱いからだ!」と 上野監督に怒りをぶつけたとか ピンチを迎えてマウンド上に集まろうとした内野手達に「来るな!」と怒鳴ったとか 色々なエピソードを聞いた記憶があります。 でもこれだけのことを言うだけの実力があるピッチャーでした。 有斗:盛田、沖水:上原(後に中日で活躍)の投手戦が予想された試合でしたが 函館有斗が1点を先制。更に4回に1点を追加すると 盛田幸妃の素晴らしい投球をみて 沖縄水産の裁監督(今年5月、65歳で逝去)は初戦敗退を覚悟したそうです。 ところが1点リードで迎えた8回裏、盛田が突如乱調となり 熱くなってしまった盛田はキャッチャーのサインに首を振り続け ストレート1本で真っ向勝負を挑み、とうとう逆転を許してしまうのです。 いかにも盛田らしい負け方だったと思います。
盛田幸妃は翌年のドラフトで横浜に外れ1位指名を受け入団。 1992年には中継ぎながら最優秀防御率のタイトルを獲得しています。 プロでは危険球で退場処分となるケースも結構あったようです。 近鉄へ移籍して間もなく脳腫瘍(良性)を発症し大手術を受けますが 見事にカムバックを果たします。 2002年に現役を引退し横浜ベイスターズ球団職員となり 現在はラジオ中継の解説者などでも活躍しているようです。
2007年08月01日
〔明日から天気が悪いらしい〕 台風5号が鹿児島県に近づいていますね(ーー;) 管区気象台の台風情報によれば金曜(4日)の夕方あたりに北海道直撃です。 台風は南の海で発生します。だから海水温が高いと発達しやすくなります。 日本海の海水温はどうなのでしょうね。 陸地を通過する際、台風は地面との摩擦などにより必ず勢力を弱めます。 今回の予想ルートでは、九州・中国付近を縦断して日本海へ抜けると 一気に北東へ進路をとるようです。 今回の台風で注目する点は2つです。 ① 日本海に抜けた時、どれだけ勢力が弱まっているか。 ② 日本海の海水温が高いか低いか。 抜けても勢力がさほど落ちていない上に、日本海の海水温が高めである場合は 台風のまま北海道を通過して行く可能性があります。 また、気圧が低い状態のまま温帯低気圧に変わると 海水温の高低は無関係となって 何らかのきっかけで逆に発達してしまう危険性もあります。 特に渡島半島の西海上で、なぜか速度を下げ勢力を巻き返すケースがあります。 昭和33年に大被害を起こした洞爺丸台風も、そのパターンだったようです。 大地震の復旧を急ぐ中越方面をはじめ この台風が大きな被害をもたらさない事を祈りましょう! ちなみに今回の台風5号にはウサギという名が付けられています(^ ^;)
さてさて!今日も高校野球の思い出話をしますヨ(^o^) 興味のない人はスルーして下さいね!! 今回は昭和38年春以来、久々に甲子園で2度校歌を聞いたチームの話です。 6試合分のスコアを載せるので、文は短めにさせていただきます。 昭和55年夏 北代表の旭川大学高校(大学なのに高校か…)は北日本学院という校名だった 昭和43年(夏)に1度だけ甲子園に出場し1勝しています。 そして久しぶりの甲子園では!? 〔1回戦〕(延長13回サヨナラ) 延長13回表に2点を奪われ、もはやこれまでかと思いきや その裏、連打で同点に追いつくと、5番打者のライト前ヒットで 2塁走者だった鈴木貴久(電電北海道→近鉄)が猛然と本塁へ突入! タイミングは完全にアウトでしたが、巨漢の突進に日向学院の捕手が落球し 逆転サヨナラ勝利となったのです。ちなみにその捕手は腕を骨折しています。 同じ宿舎に寝泊りする旭川大のサヨナラ勝利に勢いをつけられたかのように 南代表の札商も劇的なサヨナラ勝ちを演じました。 この年の札商はエースが軟投サウスポーの金山。 前年の箕島戦でリリーフに立ち好投。甲子園のマウンドは経験済みです。 そして何と言っても鉄壁の守備! 相手チームにとって内野をゴロで抜くのは至難の業でした。 〔1回戦〕
〔2回戦〕
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昭和38年春に北海が準優勝して以来、本道代表(しかも2校が!)が2勝しました。 下馬評が高い愛媛の南宇和と1点を争う好ゲームでしたが同点で迎えた9回表 またしても鈴木貴久のバットが火を噴き(無死から3ベース!)勝ち越しました。 腰痛の細腕エース山田の力投も光りました。 同じ日に行われた札商-双葉(福島)は3点リードされた5回表 好守の二塁手本村が3ランホームラン!これは効きました(^-^) 再度リードを許すものの8回表に見事な2ランスクイズで逆転!! 〔3回戦〕
我慢の限界に達していた腰痛のエース山田に、沖縄興南打線が襲い掛かります。 結局18安打を浴び、攻撃でも僅か2安打で10三振という完敗でしたが 試合後は、甲子園に旋風を巻き起こした旭大ナインに暖かい拍手が起こりました。 〔3回戦〕
勝てばベスト8進出となる試合。 早稲田実業のマウンドには既に大ブレイク中の1年生投手荒木大輔が仁王立ち。 しかし軟投エースの金山がこの日は素晴らしい投球。 そして内野手も超ファインプレーを連発し観衆を魅了。 結局終盤に得点した早実が息詰まる投手戦を制し、札商は惜しくも敗れたのです。 ちなみに早実は決勝戦まで進出し、愛甲 猛の横浜に惜敗しています。 打撃に守りに大活躍した旭川大の鈴木貴久さんは 卒業後、社会人野球を経て近鉄バファローズに入団し、主力打者として活躍。 2000年に現役を引退して同球団の二軍コーチに就任。 これから!という2004年5月、40歳の若さで急性気管支炎により急逝しました。
2007年07月31日
どうして何の罪も無い、しかもボランティアをやっている人々を捕らえて 無理な要求を出し、それが受け入れられないからと殺害なんか出来るのか…… 殺される本人、母国にいる家族、一緒に捕らえられている人質達のことを考えると 激しい憤りを感じずにはいられません。涙さえ出てきます。 報道は、参議院選挙の結果なんかもういいから この世界的な大事件を取り上げてほしい。
高校野球の思い出 昭和51年 夏 土曜か中間試験の日だったと思うけど 学校帰りにフラーっと中島球場に寄りました。 春季大会の札幌支部予選決勝と記憶していますが 東海大四高校が相手投手をめった打ちにし、次々と得点を重ねて行く強さと ブラスバンドの軽快な音に合わせ T!O!K・A・I!と声を上げる応援がとても印象的。 高校1年生の私は、すっかり東海大四野球部のファンになってしまいました。 春季大会ではどこまで勝ち上がったか覚えていませんが 東海大四はこの夏、圧倒的強さで悲願の甲子園初出場を決めたのです。 しかし組み合わせ抽選会で引いた対戦相手が広島の崇徳高校…(ーー;) 春の甲子園で優勝した崇徳は、ハッキリ言って最強軍団でした。 黒田という超高校級エースのみならず、走攻手全てがSクラスの優勝候補。 でも私は 『東海大四ならきっと勝ってくれるさ!』 と期待に胸を膨らませ 父の実家(岩手県の凄い田舎)の1番奥にある部屋で固唾を呑んでTV観戦。 (一家で東北旅行中) 試合前に、いきなりの朗報! 崇徳のエース黒田が39度の熱を出し、マウンドに上がれないというのです。 第4試合だったのもあり、開始直後からナイターだったと思います。 さて試合は2回表に東海大四が先制点を入れます。 2アウト3塁でピッチャーゴロ。ところが痛烈な打球だったため ボールがグラブのネットに食い込んで、なかなか取れないうちに 3塁走者が生還したのです。 しかし甲子園初登場の東海大四は投手も守りも落ち着かず 春の王者に3回・4回だけで6点を奪われてしまいます。 ようやく打線だけは本調子が出てきた東海大四は 崇徳の2年生投手を捕らえ始めます すると崇徳は解熱の処置をしたエース黒田をマウンドに送ります。 しかし解熱剤も長くは持たずマウンド上でフラフラ状態。 ドクターストップ(このままだと命にかかわる)で降板させられます。 崇徳はもう投手がいません。やむを得ず1塁手の兼光をマウンドに上げます。 7回表、1点差に詰め寄った時点で私は 『もう勝ったも同然!』 と確信しました。 ところが相変わらずエース片山の乱調は収まらず内野手のエラーも絡んで 7回と8回で再び5点差にされてしまったのです。 そして最終回。 崇徳の急造投手に襲い掛かった東海大四は連打で反撃し 縦縞のユニフォームが次々とホームベースを駆け抜け、あと2点まで来ました。 いよいよ試合はクライマックスを迎えます。 状況は2アウト満塁。 打球はライト線へ!到底無理な位置から右翼手がダイビングキャッチを試みます。 ライン上に落ちたボールはファウルグランドを転々と転がります。 一斉にスタートを切っていた3人の走者が続々とホームへ突進! ………… しかし無情にも線審は両手を上げてファウルの判定(ーー;) 結局、次の球でバッターは三振。緊迫した試合は終わりを告げました。 最後の打球がファウルでなければ、おそらく3人が生還し逆転に成功したでしょう。 TVの前でしばらく呆然としていた私。 しばらくは動けませんでした。というより立ち上がる気になれませんでした。 エースが高熱で登板できないという大金星のチャンスでしたが 期待の東海大四は甲子園初出場での初勝利は成りませんでした。 〔2回戦〕この後すっかり甲子園の常連となった東海大四でしたが 組み合わせに運がなく、強豪チームばかりとの対戦を繰り返し 初勝利を上げたのは昭61年夏(春夏あわせて6度目の出場)でした。
2007年07月30日
今月上旬に整形外科で出されたテニス肘という診断。 あのとき先生に「注射しましょうか?」と言われたけど 整形外科で打つ注射は痛いという先入観もあって自然治癒の道を選んだ私でした。 あれから1ヶ月近く。 処方された薬を飲み続けると共に右腕への負荷もなるべくかからないよう 注意して生活していたつもりでしたが、症状に全く変化がなく 最近は生活への不便も感じるようになってきたので再び整形外科を訪れました。 医師 「どうです?少しは良くなられましたか?」 hiroki 「いいえ。全く変わりなしです。」 医師 「じゃあ、例のやついってみますか?」 hiroki 「お願いします。」 ベッドに寝かされ痛みの震源地を探す先生。 『この忌まわしい痛みから脱出するために我慢しなきゃ!』と自分に言い聞かせる私。 注射の激痛を覚悟し、左腕を目の上に置いて歯を食いしばりました。 ところが、意外に……というより全くチクリとも感じないうちに 先生は震源地の付近を揉み始めました。 hiroki 「あれ( ・・)もしかして終わったんですか?」 医師 「はい!終了ですよ(^o^)」 『なぁ~んだ、これなら前回来たとき素直に注射してもらえば良かったのにな!』 その注射の直後、約4ヶ月ぶりに右腕の痛みが消失したのにはビックリ! でもそれは注射液の中に麻酔が少し入っているからだそうです。 医師 「この注射は効く人と効かない人がいます。 もし夕方頃になって元通りの痛みが出るようでしたら手術ですね~。」 そして午後7時現在:痛みについては微妙な感じです(ーー;)
高校野球の思い出 昭和50年春・夏 昭和50年の選抜大会(春)は、北海道・東北ブロックで3校という基準枠のうち 北海道から2校が選ばれました。 そして選抜された2つの高校が揃って初戦を突破するという快挙! 〔1回戦〕甲子園初出場の北海道日大高校は特有の雰囲気にのまれ 実力の3割も出せないうちに0-5と大きくリードされてしまいました。 しかし嫌な緊張感からほぐれた道日大ナインは4回と5回で一気に追いつきます。 一旦は勝ち越されたものの7回8回に2点ずつを奪い 結局は9-6というスコアで甲子園初登場初勝利の快挙を成し遂げます。 その後、2回戦で東京の堀越高校に0-3で敗れますが 強豪を相手に健闘が光りました。 もう1つの代表となった札幌商業高校は、好投手中村を中心にDFの堅いチーム。 1回戦で和歌山の伊都高校を2-0で完封すると 2回戦では優勝候補を相手に大熱戦を演じます。 〔2回戦〕
(延長12回サヨナラ) エース中村の力投で強敵報徳学園(兵庫)に得点を許しません。 しかし打力がやや弱い札商も報徳の投手を攻め切れません。 最後は走者を1塁に置いて長打を与え息詰まる投手戦に決着がつきました。 夏の甲子園へ向け南北海道大会を制したのは札幌商ではなく 4番でキャプテンの折霜(オリシモ)が率いる北海道日大でした。 ショートを守るこのキャプテンは抜群に守備が巧く名手折霜と呼ばれていました。 しかし道日大は、信じられないプレーと、あり得ないアクシデントにより 甲子園に棲む魔物にのみ込まれてしまうのです。 〔1回戦〕 道日大 100 003 001 0 5 金桜丘 010 030 001 1x 6 (延長10回サヨナラ) 互いに点を取り合う好試合でしたが、9回表ついに道日大が勝ち越し! 9回ウラ金沢桜丘高校は1塁に走者を置きつつも既に2アウト。 最後(になるはずだった)のバッターの打球は、よりによって名手折霜の所へ! 「これで勝ったな!」と喜ぶテレビの前の私。 しかし……… あろうことか折霜が1塁へ悪送球! まぁそれでも普通なら2アウト2塁・3塁となって その次の打者を抑えればOKなのですが 折霜が投げたボールがフェンスの金網に挟まってしまい ボールを必死に抜き取っている間に、1塁走者がホームイン。 土壇場で同点に追いつき息を吹き返してしまった金沢桜丘に 10回裏サヨナラ負けを喫してしまうのです。 北海道日大は、その後北海道桜丘に校名を改称し 現在は経営母体も変わり北海道栄高校となっています。 幼稚園バスの運転手をしながら母校の監督となり 通信教育で教員資格も得た苦労人折霜さん。 2年前に鵡川高校の野球部長として招かれたそうですが 現在もそのままご活躍されているのでしょうか。
2007年07月29日
先日、室蘭大谷高校とコンサドーレとの練習試合があると聞いて ついフラフラと白恋へ遠征した私でした。 突然ですがここで比較的メジャーなスポーツ大会における 北海道チームの優勝歴について。 プロサッカー ⇒ コンサドーレ札幌:1997年JFL優勝、2000年J2優勝 プロ野球 ⇒ 北海道日本ハムファイターズ:2006年リーグ優勝、同年日本シリーズ優勝 都市対抗野球 ⇒ 白老町(大昭和製紙北海道):1974年優勝 高校野球 ⇒ 駒大苫小牧高校:2005年・2006年選手権2連覇 春高バレー(男子)⇒ 東海大四高校:1987年・1992年・1994年優勝 春高バレー(女子)⇒ 妹背牛商業高校:1978年優勝、旭川実業高校:1988年優勝 (ほかにもございましたら情報ヨロシクです!) そろそろ次は高校サッカー選手権で北海道代表が優勝する頃なんじゃないかな~ と私は勝手に思ったりするわけです。 宮澤裕樹君を擁す室蘭大谷高校!まだ地区予選も始まっていないけど 全国への切符を手にすることが出来たら、今度こそ頂点を!と期待しています。 なお室蘭大谷高校は、1979年に準優勝! そして1987年にはベスト4!という輝かしい成績を残していますが 全国制覇はありません。 ここ7年は全国大会(選手権)出場2回と、他の高校の台頭もあって 北海道予選を勝ち抜くのもなかなか大変ですが 本気で、そろそろ全国優勝するかもな~!と思っています。 ところで財前恵一さんや野田 知さんらの活躍でベスト4まで勝ち進んだ 昭和62年の高校サッカー選手権の記事を 昨年3月末に4日連続でエントリーしています。 レアな???も載せているので(笑)まだご覧になられていなければ 是非1度どうぞ(^o^) かなりチカラを入れて書きました!! 1回戦 2回戦 3回戦 準々決勝~
2007年07月29日
〔ユンニの湯付近からの情景〕 27時間テレビを見ながら「今夜の選挙速報も楽しみ~♪」と 部屋でまったりしていたけど 結局のところ妻・長女と車で由仁町のはずれにあるユンニの湯へ行くことに。 メチャメチャ混んでいたので長居はしなかったけど ちょっとした小ドライブでした。 さっき帰って来たけど、何だか眠いな~。選挙速報の時に寝てしまいそう(笑)
高校野球の思い出(第3回目) 昭和48年夏 〔2回戦(初戦)〕甲子園初登場となった旭川竜谷の対戦相手は地元兵庫の東洋大姫路。 初めての大舞台で最初から本領発揮というのは難しいもので 3回までに2点をリードされる展開となりました。 家でテレビを見ていた私は「このまま負けてしまうんだろうな~」と 意外に気楽でした。 確かこの試合も昼の天気予報・ニュースに当たってテレビ放映はしばらく中断。 仕方なくラジオに切り替えた記憶があります。 間も無く2年生の鹿田がランニングホームランを打ち1点差となりました。 更に7回ウラ、確かツーアウトだったと思いますが 走者を2塁と3塁に置いてタイムリーヒットが飛び出し とうとう試合をひっくり返りました。 小柄なエース向峰(2年)は5回以降パーフェクトピッチングだったと思います。 こうして旭川竜谷は、選抜に出場した函館有斗同様に 甲子園初戦を勝利で飾ったのです。 「ご覧のように、3対2で旭川竜谷高校が勝ちました。 旭川竜谷高校の栄誉を称え、校旗の掲揚と校歌の斉唱を行います。」 そこで流れた校歌の、マイナー調な出だしに場内がざわつきます(笑) そして途中で一気に荘厳な曲調に変わり、最後の方で再びマイナーに戻るという あまり聞き慣れない校歌に観衆は少々驚いたのではないでしょうか。 本当に素敵な校歌でした。 〔3回戦〕
(延長10回サヨナラ) 甲子園2戦目は、選抜で函館有斗を破った今治西。 かなりの強豪と下馬評が高かった今治西と息詰まるような投手戦となりましたが 最後は延長10回裏に走者2人を置いて本塁打を打たれ試合は終わりました。 しかし向峰投手(2年)の素晴らしい投球に 地元関西の観客からも「来年また来いよ!」の声が飛びました。 その後も含め旭川竜谷高校は甲子園に8回出場(春2、夏6)しており ちょうど半分にあたる4回は見事に初戦を突破しています。 平成3年春の1回戦で箕島(和歌山)に1-5で敗れて以来 甲子園からはしばらく遠ざかっています。
2007年07月29日
〔ありがちスープ〕 昨日は鳥栖戦帰りに
スレーター同僚とサンピアザの一灯庵で夕食をしました。 残念ながら勝利のスープカレー!とはいきませんでしたが これはこれで美味しくいただきました。〔賑やかな風景〕 私は、こういう情景が大好きです(^o^)/ (結構お祭り好き) あっ!確か今日もやっているんじゃなかったかな?? その後は亀田兄弟のボクシング中継やアジアカップ3位決定戦があったし 27時間テレビもやっているしで、私にとって楽しい一夜でした。 アジアカップの結果は……(ーー;)でしたけどね~。 お祭り好きな私は、参議院選挙も投票から夜の速報番組までひっくるめて 1つの大イベントに位置づけしており どんな結果が待っているのかな~と、ワクワクしています。 さて本日も、昨日から始めた特集、いってみます。
第2回目 昭和48年選抜大会(春の甲子園) 〔1回戦〕昭和44年の春に釧路一高(現在は在りません)が1勝して以降 44年夏、45年春・夏、46年春・夏、47年春は全て出場校が初戦敗退。 しかし47年春に登場した苫小牧工が工藤の力投で 久々に北海道代表としての勝利を上げました。 そして翌春、甲子園初出場の函館有斗にも黒田という素晴らしい投手がおり 1回戦で沖縄の前原高校を僅か2安打に抑えて快勝しました! 2回戦の相手は投球術に長けた好投手を擁する愛媛県立今治西高校。 試合は今治西の矢野と函館有斗の黒田による投手戦になるかと思いきや 今治が1点取っては有斗が直ぐに取り返すという展開で進み 6回からようやく試合が落ち着きました。 3-3で迎えた8回ウラ、函館有斗に勝ち越しのチャンスが訪れました。 1死で走者を1塁と3塁に置き、打者は好投の工藤。 上野監督は2ストライク1ボールから工藤にスクイズのサインを出しました。 ところが矢野の投球はインコース高めに食い込むボール球。 このボールを右手の指に直撃させてしまった黒田は9回表のマウンドに 上がることが出来ませんでした。 金属バットがなかった時代に2人以上の投手を擁すチームは稀で この年の函館有斗も黒田という大黒柱1本で戦い抜いて来ました。 最終回のマウンドへは急造投手の上ノ山が上がったものの あっという間に強豪今治西の打線につかまって3失点。 函館有斗は3-6で敗れ、あと1歩というところで金星を逃したのです。 サインが出たら必ずバントしなければならないスクイズ。 投球と同時に3塁走者は本塁に向かってスタートを切るので 打者は最悪でもバットに当ててファウルにしなければ 3塁走者は挟殺プレーでほぼ間違いなくアウトにされ 一気にチャンスを逸してしまうという高リスクなプレーなのです。 キャプテンの不安どおり、上野監督はこの瞬間が頭に焼きついてしまい 50歳を過ぎるまでスクイズはおろか送りバントのサインを出すにも 躊躇するようになってしまい、接戦の試合を幾度か落とす事になるのです。 〔2回戦〕
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生まれ育ち:札幌 初観戦 ⇒ 1998.8.5 vsアビスパ福岡 射手座・B型 【趣味嗜好】 街ブラ (札幌・小樽・新千歳空港など) スープカレー、昭和レトロ、SNS全般 高校野球、プロボクシング 新世紀エヴァンゲリオン 坂道グループ、冬季オリンピック 箱庭ゲーム、ラジオ 東京DisneySea、HARRY POTTER 僕のヒーローアカデミア (アニメ) 碇シンジ育成計画 (漫画) 嗚呼!!花の応援団 (漫画) 動物のお医者さん (漫画) 銀河鉄道999 (漫画)
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