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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。

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何が起こった?

2013年02月05日

昨夜のことです。

旦那を迎えに行く途中、その道から別の道に別れるための分かれ道の信号で、結構渋滞してました。
いつもは、1回の青信号で待っている自動車すべてが通れそうなくらいしか、車は待っていませんが、その時は、分かれ道のてまえから渋滞。

事故でもあったのかしら?と横目で見て、走りました。

それから5時間後、同じ道の帰り道、同じ場所が、以前渋滞中だったんです。

こっちはもうすっかり渋滞のことは忘れていたのでびっくり。
しかも、事態は更にひどくなっていて、数キロにわたって、片道2車線ありますが、両方共、全く動いてません。
今まで、この道でこんな渋滞、見たことありませんから、なんか異様にも見えます。

事故だったら、もうとっくに収まっていても良さそうなのにと、不思議な思いで、いつもどおりの閑散とした反対車線を通って帰りました。
そして今日になって、昨日は高速で、玉突き事故があって、道をふさいでしまっていたというのを知りました。

分かれ道の先の道路からは、高速がつながっているし、渋滞していたのは、ほとんどがトラックだったし、ああ、そうか、あの車の殆どは、高速に行けずに待っていたのね、と思い当たりました。

しかしそれでも解せません。
どうして、5時間(+それ以降)も、渋滞が続いていたのかしら、と。

高速が通行止めになっても、高速とほぼ平行に走っている下の国道を通ることはできます。
商用のトラックなんかは、いつもそうしています。
渋滞になっていた道には、途中いくつか脇道があって、その国道にも1本で通じていますし。

ただひたすら、高速の開くのを待っているなんてのは、ちょっと非現実的。
あの延々と続いた渋滞は、何だったのか?
トラックとトラックの間にところどころ、身動き取れずに窮屈そうな姿を見せていた、乗用車は、どうしたかしら?


post by じゅうよっつ

22:37

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