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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年04月30日
最後まで集中を切らさないいい試合でしたねえ! コンサ側のペナルティエリア内でのごたごた時に、余震が2度ほどあり、「も~!こんな時に!」と電話台(うちで今一番不安定な家具)を押さて見たりでしたが、終了に近づくにつれ、選手の輝く顔に感動さえ覚えました。 今日は1点もとれなかったと言うより、1点も取らせなかったというところが大きかったですよね。 元コンサのFC東京・今ちゃん(今野選手)がでるのも楽しみだったんですけど、それ以上に、うちの近ちゃん(と私は勝手に呼んでるんですけど)の攻守にわたっての活躍には目を見張るものがあったと思います。 近ちゃんって、あんなに守備も攻撃も(FKも!)できてたんですねえ(大変失礼!)。 しかも、がたいが強いので、相手に負けない! 70分の交代時には拍手してました。 コンサの中心選手としての自覚みたいなものが芽生えてきた姿が頼もしかったです。 あっぷあっぷ気味の前半は、これでいつまで持つだろうかとひやひやしてました。 たびたび裏をとられて、いつ失点してもおかしくないほど、ぎりぎりでやってた感じがしました。 でもこれまでと違ったのは、後半から立て直しができたこと。 FC東京の攻撃にいつまでも食らいつく、そして攻撃に持って行く! それができていたので、見ていておもしろかったです。 どれか1本でも決められれば、もっとよかったですけど、勝ち点1も大きい。 昔、物理の先生だって言ってました。 零点はいくら掛けてもゼロのままだけど、1点でもとれば何倍にもできると。 え?その零点は私かって? と、ともかく! 選手の皆さん、がんばる姿をありがとー! FC東京相手の零封、これで少し自信がつくといいですね!
2011年04月29日
昨日は、水族館関係で知り合ったいわきの方に「どうですか?」と電話をしました。 福島には、アクアマリンという水族館があって、そこで創立当時から働いておられます。 (多分、アクアマリンという名前をご存じなくても、シーラカンスの調査ニュースを思い出される方はおありかも。その水族館です。) 水族館では、屋外施設や地下のものはすべて流され、一様でない地盤沈下のために、水槽に再び生き物をいれて大丈夫かも分かってなくて、おそらく再出発には建設当時と同じくらいのお金がかかるだろうと仰ってました。 そして、やはりお客さん商売ですから、原発も収まってくれないことにはやっていけません。 茨城や松島の水族館がすでに今月から営業を始めているのに対して、アクアマリンは、残念ながら、かなり見通しが悪そうです。 ご自宅のほうは幸い、海から離れた高台だったので無事でらしたのだそうですが、水が復旧したのが今月の7日、今はもう大丈夫だけど、ガソリンや支援物資も、やはり風評被害でなかなかこなかったそうです。 ポジティブに、いい経験をしましたと仰っていて、お互いがんばりましょうと電話を切りましたが、そのあとずんと落ち込んでしまいました。 地震や原発の事を話すのは、やっぱりまだ重たいですね。 もしかしてちょっと時間がたったから、重さに気づいてきたのかも。 でも、いつまでもこのままじゃいけません。 地震や原発なんかにゃ負けませんからね。 将来またこういう事があったときのためにも(ないに越したことはないですが!!)、自分のすばらしい(!)記憶力のためにも、せめて、何か、そろそろ地震と原発のこと、いろんなことを少しずつでも書いておきたいとは思ってます。
2011年04月26日
片づけようかなーと思い、主に本をおいた部屋をそっと開けて、入ってみました。 今は、だいたい居間でしか生活していないので、ほとんど入らずの部屋。 一応、散乱していた本は重ねましたが、まだ本棚にはもどしていません。 加えて他の部屋の落下物も当面の置き場所としているので、物置状態です。 本棚の突っ張り棒ははずれたまま、しかもそれでも本棚は動いたんですから、突っ張り棒がなかったらもっと悲惨な事になってたと思います。 ここを片づけるのには、まずは、組み立て本棚のはずれた部分を修理。 そのために、落ちてない本もすべて出して本棚を動かす・・・でもその前に、その本を置く場所の確保が必要か。 場所を作るには、いま床に置いてあるものを別の部屋に移動して。 それから、始めに戻って本棚の修理、本棚を元の位置に戻して、本をいれる。 それが本棚5つ分・・・う~ん・・・なるほどそうか・・・ まあ、じゃ、今日は手順は分かったし。 そーゆーことで! と、再びそっと戸を閉めたのでした。
2011年04月23日
こんな試合展開ができる時に、勝てればよかったですけどねえ。 少なくとも、点を取られるまでのコンサは、おっ、1ヶ月練習したなと思える動きの良さで、1年でJ1復帰を目指す湘南相手に危なげなく戦ってました。 攻撃に厚みもできて面白かった! でも、点を取られた時点で、それまでやってきたことに不安を感じ始めたのか、それぞれが少しずつあわててしまったか、あるいは、湘南が元気づいたこともあるのかもしれませんが、それまでよく意思疎通できていた申し合わせが絡み合わなくなったのは、とても残念です。 勝ち慣れてない悲しい性でしょうかね、1度でも、自分たちのパターンで勝てるとこれで大丈夫と自信もつくのでしょうが。 失点以前と変わらずできていれば、1点取り返すこともできたと思います。 持ち直すのに、ちょっと時間がかかるんですよねえ。気持ちはわかりますけど。 今日は、まだテレビとDVDがつながってなくて録画はできないので、今月(例によって1ヶ月遅れで)送り出す旦那の同僚のかたの記念品を買いに町に出て、15:50開始のスカパー放送に遅れないように、戻ってきました。 福島県ではまた昨日新たな規制が課せられたりで、原発が早く収束してくれることが一番の関心事なんですけど、そんな中で、サッカーの試合を100%楽しめるかなという思いは、正直少しありました。 実は、Jリーグも再開するし、昨日で、地震や原発のことに一区切りつけようとまとめを書きはじめたんですけど、まだそこまでは無理でした。途中で落ちこんでしまって。 でも、試合は懐かしい、100%楽しみました。 1ヶ月なかっただけですけど、試合がないという意味では長かった、地震やいろんな起こった出来事で考えると、長かったような短かったような。 試合の間はいつものように熱中してみていました。 いつも結構声を出してみていますが、今日は、たぶん「うん!うん!」と肯定していたことが一番多かったと思います。 勝てればもっとよかったんですけどねー。 まっ、今日は鹿島だって負けたことだし、ってなんの意味もないですが。
2011年04月19日
今朝、旦那を送って行く途中にすれ違った、「めかぶ」と書かれた水産業者のトラック。 思わず、がんばれよ!買うからね。 うちは、以前から、生のわかめやのりが好きで、毎週のようにスーパーで買っていました。 それに週の半分はお魚メニューだし、海産物にはずいぶんお世話になってます。 だから、検査も受けて問題ないと言われた海産物まで拒否されるニュースを見て、うちだったら、喜んで買うのになあと、残念をとおりこして憤りを覚えました。 野菜は、生産者の方が直接売る風景もよく見られますけど、海産物の場合は、そういうルートって、特に内陸部だとあまり見かけないんです。 なんかそういうのがあればいいんですけどね。 もっともうちが一人買ったってどうなる量でもないという問題はありますが・・・。 福島市のスーパーではよく、地場野菜のコーナーがもうけられているんですが、なんか売り場が心なしか寂しげ。 うちは、野菜は、なるべくそこで買うようにしています。 魚だって、前と同じように気にせず買ってます。(気にするのはお財布だけ?) 放射能に負けない気力と健康のためには、野菜もたくさん、魚も肉もバランスよくとらないとね。 業者さんにもがんばってほしいですし!
2011年04月18日
今、民主党以外の党は、ああ、自分の党がこのときに政権を握ってなくて良かったなあと安堵してるんじゃないかと思います。 そして、どうするんだと政府を責める気楽な立場にいる幸運を喜んでいるかも。 まさか、この期に及んで、そんなこと想像できるような政治が繰り広げられるとは、ちょうど、普段は兄弟げんかばかりでも肝心なときには結束するくらいの心意気はあるだろうと思っていたんですけど、過大評価していたようです。 これじゃ、宇宙人がある日攻めてきたとしても、日本ではお気楽に政権争いやってるかも。 そんなことを想像しているからか、この頃は、頼りないけど一生懸命やってる菅さんや、この人が大丈夫と言えば大丈夫だろうみたいに思えてきた枝野さんのほうが、自分が政権を握っていた時に原発を作ったことについての責任を触れない政権奪還をねらう党や、都合悪くなって連立から離脱した事もすっかり忘れたような党なんかよりよほどましに見えてきました。 ボストンの友達にも書きましたけど、少なくとも正直そうですもの、今の政府。
2011年04月17日
一昨日は旦那は送別会でした。 ほんとは、3月に送り出すはずだったんですけど、今年は、送別も歓迎も1ヶ月遅れです。 それでも、あ、そうか、送別会ってものがあったのね、ととても新鮮に響きました。 もう一週間すると、いよいよ遅れていたJリーグの試合も再開しますね。 今でも余震もあるし、原発もまだ注視すべき状態ですけど、できるところはできるだけ普通に戻すのがいいと思います。 いつまでもこのままじゃ行けません。 昔、城さんがW杯でやったように、無理しても笑顔になれば気持ちも上向きになるし、応援に熱がこもれば、その間はサッカーの世界に入り込めます。 そうやって、無理してでも少しずつでも、元に戻さなきゃ! 地震なんかに負けないし、原発だって過度には恐れませんからねっ! 先週にはこちらにも、札幌のサポの皆さんからはだいぶ遅れて、月刊コンサドーレが届きました。 ゴンさんの笑顔がいいですね! 湘南戦でも、こんな選手のみなさんの笑顔、見せてね!
2011年04月15日
保証金の仮払いに「ありがたい」と答える避難されてる方々。 怒って当然なのに、なんていい人たちなの。 地震の直後あいていた近くのパン屋さんでも、やってる方もすごいと思いましたが、買う方も、自分の食べるだけかって、パニック買いは見られませんでした。 もともときっと実直な県民性なんでしょうね、福島県人は。(注:私は福岡出身ですからね) そうやって、原発もいいところだけ聞かされて、その通りに受け取って、引き受けたんだろうなあ。 ただ、東電さえ、この地震で何ともないくらい、お金をけちらずにちゃんと危機管理できていれば、「そうかこんな地震でも大丈夫なんだ」と、原発の評価は逆に高まっていたかもしれません。 あちこちにばらまいたお金や、保証に払うお金に比べれば、ずーーーっと少なくて、安心は買えたのに。 どうもまだ、煙が出たとか、原因はわからないとか、そんなことばかりいってますが、ブレインはいないのか?とも思います。 研究者にもお金出してたのなら、こういうときに、そのブレインたちから知恵が出てきそうなものなんですけど、どうも、頼りない。 なかなかすっきりしないところが、いらいらさせられます。 こんな会社が原発やるのって、もともとかなり無理だったんじゃないかと思うこの頃です。
2011年04月14日
福島も春が来て、桜があちこち咲いています。 もともと福島の春は、花見山をはじめとして、百花繚乱、里の秋ならず里の春という感じでとてもきれいなんです。 うちでも冬用の布団から暑くて手足を出すようになってきたので、今日は入れ替えをしました。 布団を乾燥機で乾かして、シーツは洗って。 ネコの爪のおかげで圧縮袋にならなくなったビニール袋にくるんでなおしました。 さあ、この布団がまた要るようになる頃、福島はどうなっているのでしょう? きっと、原発の作業は続いているだろうけど、もう問題は収まってるよね!
2011年04月13日
先日の余震のあと、「またあったって?大丈夫?」というメールをボストンからもらいました。 「大丈夫、というより、なんか慣れてきた」と返事。 人間慣れるものなのですね。 彼が言うには、慣れないとやっていけないからだよと。 ごもっとも。 で、今日も余震がありましたが、そのときはちょうど洗濯中。 洗濯機は、余震など関係ないという態度で、まじめに自分の仕事をこなしていました。 地震があっても放射能が降っても、福島に残って働いているのは(私は働いてないですから)、それだけ責任のあるしごとをしているという自覚があるからなのでしょうね。 浜通りでお店がつぶれたコンビニの店長さんが、車を使って移動コンビニを始めたというニュースを見ましたが、店長さん、使命感だと言ってました。 そうだと思います。 タクシーの運転手さん、大工さん、道路工事の方々、宅配便の配達員さん、自営業の皆さん、サラリーマンのみなさん、病院、役所、そして原発、どこで働いておられるかたも、多かれ少なかれ、今は、使命感を持って働いてらっしゃるのだと思います。 今、ちゃんと自分の仕事の大切さを自覚されているのだと思います。 なんか美しいな。 そんなことをニュースを見ながら考えていたからか、うちの洗濯機までえらく見えました。
2011年04月12日
福島原発事故の評価がレベル5から7にひきあげられたそうです。 正直、起こった過去についての評価など今、福島県人にとってなんの意味もありません。(福島産品にとっても、どっちも変わりないでしょう。) それより、リンゴの1個も食べた方がよほど腹の足しになってありがたい。 しかし興味深いのは、今日発売の週間誌にも取り上げられたらしいですが、こんな気象庁の論文が同時に見つかっていることです。 これ(図1)によると、核実験を堂々と大気中で行っていた50年代~60年代、日本の青い空の下では、現代の1000倍のセシウムとストロンチウムが漂っていたんだそうです。 考えてみれば、測量するまでもなく当たり前ですよね。 原発の爆発を大気中で何度もやってたようなものですから。 でもこれを見るとなんか、今のレベルで、原発で野菜が汚染された、何マイクロシーベルトだ退避しなきゃ、どこかではミネラルウォーターが売り切れた(ちなみに福島の先日行ったホームセンターには普段どおり、たんとありました)とあくせくしているのがおかしくなってきます。 あのころ、放射能の入った雨が降ると言われつつも、私たちは、別に何を予防するでもなく、外で思う存分どろんこになって遊び、スポーツに汗を流し、畑仕事をし、今ほど車社会でなかった当時はもっと外気に当たっていました。 自然はいまよりたくさん残っていたけど、本当は今の汚染の激しい福島の地域よりも10倍も放射能をかぶった自然だったなんて、笑い話にもなりません。 さらにそれだけ無防備だったにも拘わらず、今にいたっても、その影響が世界的に目に見えて出てきているとは思えない、そこの所が、希望のもてるところです。 放射能は分からない、怖い、目に見えないというさらに不安に陥れるようなことよりも、もっと現実に目を向けて、今生きている人間のために何をすべきか、どれくらい心配すべきものなのか、いろんなデータを探して、知識を集約して、可能性を考えて、分からないなりに現実に即したアドバイスが必要とされています。 この論文と今とを比較すると、要するに、現実的には、今回はそんなに心配することではないのかもしれません。 長崎大の先生は、原発事故直後から、これは私が行かねばという使命感で福島に来られ、その後、私たちと同じものを食べ、同じ福島の空気を吸って、各地で講演をしてくださいました。時に気が立った県民から罵声まで浴びせられながら。普通、逆の立場で考えれば、誰がそんなところに、すすんで行くでしょうか。 その先生が、最後に仰った、放射能はくよくよしている人の方に来ますよ、という言葉は、聴衆の笑いを呼びましたが、きっと、それは励ましと言うより本当のことで、先生もチェルノブイリの研究や、上のようなデータがあることに基づいて仰ったのだと思います。 しかし、許せないことが1つ。 どうも、この気象庁の話は、始めに世に出そうとしたとき、原発反対のために好ましくないデータということで、どこかの女性党首によってもみ消されたとか。 もっとはやく世に紹介されていれば、福島県民の不安もどれだけ解消されていたことか! そんなこと、みじんも心によぎらなかったのでしょうか? 自党の有利な展開のためにもみ消すようなレベルじゃないと思うんですけど。 怒りを通り越して、なんかもう、脱力してしまいました。 ほんとうにくだらない。こんな大事の時でもそのレベルなのかと。 ただ、放射能を過度におそれる必要はなさそうでも、やはりリスクを減らすと言う意味で、予防は必要です。 降っている放射能はもうほとんどないと思われますが、長くまともな雨が降っていない地面には残っています。 子供はマスクを付けて、屋外の遊びをなるべく控えて、ということにはなると思います。 妊婦さん以外の大人は関係ありませんが。
2011年04月08日
昨日の地震にはびっくりしました。 ほぼ1ヶ月たってあんなのがまたくるなんて。 前にも書きましたが、家具が半分、耐震マットから外れているので、倒れるかと思いました。 が、幸いにも、ネコの水飲みバケツ(もちろんもう満杯にはしていません)から水があふれたのと、旦那のマグカップがひっくり返って絨毯がぬれたくらい、床に置きっぱなしの本や食器は、もはや本棚や食器棚から落ちるはずもなく、ストレージ棚から食料がいくらか落ちましたが、割れ物はなし。 前回もそうでしたが、不思議とお酒の瓶は割れません。 結構丈夫に作られてるんですね。 地震が収まって一番に気になったのは、原発です。 やはり福島は今は一番これが気になります。 ニュースで知る限りは、福島も女川も一応OKなようで、ほっとしつつも、やはり注視し続けてます。 これだけはもうこれ以上問題を起こしてもらっては困ります。 今、福島やその周辺地域の人間にとって、放射能は非常にセンシティブな問題です。 事実を心配するだけでも十分すぎるのに、加えて周りからいろいろ取り上げられる風評被害~農業、漁業、援助の遅れ、間違ったあるいは根拠のない情報~からもストレスを受けねばなりません。 そういうのって、がんばらねばと言う気持ちをとてもくじくんですよね。 たとえば「~~みたいよ」みたいな話でさえ、マイナスのものであれば、伝言ゲームのように広がりそのうち真実になってしまいかねません。 もちろん子供にはそれなりの用心は必要ですが、長崎大学の先生のお話では、怖がるようなレベルではないということがわかっています。 なにより数値は下がってきています。 たぶん、雨が降ればさらに下がるはず。 私は今、ほとんど民放は見ていません。 アエラのような週刊誌まではいかなくとも興味本位が先に来る番組だったらいやだなと思うと、気が進まないんです。 もっぱらNHKか、内容があらかじめわかっているCS。 週刊誌のように興味本位でなくても、悪意もなくても、ネットでも、あっという間に話は広がっていきます。 たぶん、自分が話の始まりだということも認識しないまま。 そうやって、姿の見えないもののために、せっかく始まった復興が遅れる、地震より大きな敵かもしれません。
2011年04月06日
昨年の引っ越しの時に、業者さんが耐震マットとか、押し入れシートとか勧めるので、ついこちらも、そうかいるかもなあと思い、本棚にマット、押し入れにもシートを敷いてもらいました。 ちょっと(いやあとでホームセンターのものと比べるとかなり)お高いなあとは思ったんですけど、まだ荷物を入れる前にやった方が効率よく行きそうでしたし。 今回の地震では、その耐震マットが効いたのか、本棚は20cmほどずれて本も落ちはしましたけど、倒れはしませんでした。 もっとも、マットを引かなかった家具でも倒れなかったものはあるので、その辺は何ともいえません。 で、その本棚を元の耐震マット上に戻そうとするのですが、だめなんです。 びくとも動きません。 その耐震マット、上に本棚をのせると、だんだんその重さで沈んで固定されるというお話だったのですが、どうやら、地震の大きなエネルギーでその耐震マットもものともせず本棚がずれ、このずれた位置で4隅のうちの2つは本棚がずれて乗ったまま固定された模様。 困った。このままじゃ、元に戻せません。 また大きな地震があって倒れても困るし。(ないことを祈りますが!!) その業者さんにこうこうでと頼むと、移動に1万5千円也と見積もりが来て、思わずやめました。 そんなにするんなら自分で何とかするわ。 でもどうやって何とかする~?
2011年04月04日
しばらくは地震一辺倒だったテレビやネットニュースから、この頃は、ほかのニュースも流れるようになり、まだまだ残された問題は山積みですけど、時間がたっていくのを感じます。 でも前と違ってしみじみ思うのは、どこかで戦争があった、権力闘争があったと聞くたび、人間のやってる争いなんて、それが大統領であろうと、王様であろうと、自然の前ではどんなにはかなく小さな事かってこと。 自分や自分の家族や、自分の部族や国や、そんなものを守ろうとして、諍いを起こしても、もしそこにあんな大きな地震が1つくれば、敵も味方もなし、あっという間にすべてがなくなるんですから。 人間は学習する動物と言われてますけど、やっぱり根本は、自分で体験しないと実感できないんだなあと思います。 目を覚ませよ! いがみ合って無駄にたくさんの命を落として、何になるの? と言いたいけど、やっぱり、わからないんだよなあ、きっと。 ほっぺた張り倒すくらいじゃ、目覚めないでしょうね。
2011年04月02日
車通勤に戻った一昨日から、前より多くの交通事故にあった動物の死骸が、道路に横たわっているのを目にしています。 もともと、山だったところに作った道路なので、今でも狸なんかがすんでいるのは確かなんですが、昨日は1匹、今朝は2匹。 たいていは、見なくてすむくらいなのに。 むしろ車が増えて渋滞気味なので、それほどスピードを出している車はないと思うんですけど。 もしかして、あれだけの地震、動物たちの感覚も狂ってしまったのでしょうか? せっかく震災を生き残ったのにねえ。 心で念仏を唱えながら。
2011年04月01日
自民党が大連立を考慮し始めたとか。 そんなの提案されたときにやってよ、ってかんじです。 たぶん、自党が次回の選挙で有利になる可能性を考慮してここまで伸ばしたのでしょうが。 地震は天災ですが、その地震を想定せずに原発をつくったのは、自民党ですからね。 今の内閣は頼りないですけど、でも、その尻ぬぐいをしているわけで、はじめから一緒になってがんばるのは当然でしょう。 今週は昨日まで旦那と同伴出勤だったので、昼間の時間だけはたくさんあり、なのでずっとボランティアに行ってました。(実は旦那の職場から歩いて行けます) 患者さんによっては、飯館村やお隣の月館村から来られた方もいらっしゃって、普通に診察を受けて売店でちょっとお買い物されて帰りのバスか車を待ってらっしゃる患者さんなのに、お話すると、地震の日にご主人がなくなって、すぐにお葬式を出すこともできずに・・・なんてお話をされてびっくりしたりします。 そんな中で、時々、原発のことを患者さんから話しかけられることもありました。 たいていは、放射能は大丈夫だろうかというご心配ですけど(その場合には、先日の長崎大学の先生のお話を引用しながら~しったかぶり!~「だあいじょうぶです~って!」と自信たっぷりにお話することにしています)、中には、原発の建設に関わった方もおられて、非常に怒ってらっしゃいました。 というのも、原発を作るときに、予備電源をつないでいたのに、予算削減のために、それをカットされたんだそうです。 もちろん、聞き伝えですから真偽のほどはわかりませんが、でもそれほど嘘でもないような気がします。 というのは、昨日、NHKのフランス語講座を担当されていて、ブログに時々お邪魔している清岡先生が、20年来の友人のかたの、こんな記事をリンクされていたからです。 ひどい! 今の時期に、まさか、テレビに出ておられる東大の先生がすべて東電よりのコメントをしているとは思いたくないですが、理想にすぎないと言われそうですが、研究というのは本来、中立の立場で行われるべきもの。 何のための公立か? 特に、今回のような大惨事に陥る可能性のある産業の大きなバックアップで関係する研究を行うなんて、研究者のプライドはどうなってるの?と常識を疑います。 記事では、長崎大はその寄付を断ったとあります。 日本で、たぶん世界的にも一番よくわかってらっしゃる長崎大の先生のお話だから、全国放送でやってくれればいいのに、と思ってましたが、そういうのも関係して呼ばれないのかもしれないと思うと、とても残念です。 東電の体質もこれでなんとなくわかります。 昨日のヤフーニュースによると、女川原発は、福島のより3mほど高く作られていたんだとか。 それで、福島より高い津波にも耐えたんだそうで、経費節減で必要なこと削ったり、緊急時の想定の低さとか、そういうの、甘すぎですよね、東電さん。 よそさまの土地に作ったんだから、それくらいちゃんと費用惜しまずやってhよって思います。 東大に寄付したお金で、高く作ることも、予備電源を作ることも、ちゃんとできてたでしょうが! だいたい、日本はロボット先進国だったはずなのに、フランスが貸してくれるまでなんでもってなかったんでしょ? 原発なら、人が作業できないような環境を当然想定して何か用意すべきだったと思いますが、なんか、スローで、後手後手で、放水車だって、東京や大阪から来てもらう前に、いろんな災害を想定して福島においておくべきじゃ。 あー怒りが収まらない。 失礼しました!
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