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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。

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擁護する気は毛頭ないが

2016年02月13日

朝ローカルラジオを聞いていると、先日の例の女性環境相の「1ミリシーベルトに科学的意味は無い」について、「怒りを通り越して悲しいですよね」と話していました。
福島に住むものの気持ちを考えてないという意味では、ほんとに悲しい。

ただ、1ミリシーベルトに科学的意味は無いというのは正しくないかというと、正しいと思います。
年間1ミリシーベルトというのは、事故以前から日本にあった基準で、諸外国にくらべ、一段と低く設定されていたはず。
(ただ、実際には、問題にされなかっただけで、事故前からその基準を超える地域は日本国内でもありましたし、今もあります)

当時政権を担っていた民主党は、当初、20ミリシーベルトに設置しようとしたんですが、福島県民や環境保護団体に押されて、1ミリシーベルトに、というのが実情だったと記憶しています。
そのために、今も続いていますが、除染がいたるところで行われ、その膨大な料の汚染土をどうするかという二次問題も出てきて、それをすべて福島になどと言う、それこそ絶交したくなりそうなことを言っているところも出ているわけです。

あのころいろんな専門家のお話を聴く機会がありましたが、放射線の事故があった場合は、まず、実現可能な数値に設定する、それを達成したらまた少し下げるというやりかたをするのだといっておられたとおもいますが、福島の場合、民意に押された形で、一気に20分の1に下げたんですよね。
民主党には、強引に押し通すという力はなかったですから、もし今の自民党のような絶対多数の与党があの頃政権担当していたら、違っていたかもしれません。

ただ、当時は、日本国中がパニックになっていた時ですから、民主党のやり方が悪かった一方的に責めるのはちょっと酷。
責められるべきとあえていえば、そのパニックを利用し、被害を誇張して利益を得たり、ちゃんと勉強もしないで興味本位でかきたてたり、自分たちの主張に利用したりした、一部の故意の人達でしょうか。
そのためにいまだに福島は風評被害に苦しみ、故郷に帰れない人たち、分断された人たちがいるのですから。

環境相の言葉が1ミリシーベルトになった経緯から説明してのものだったら、少なくとも福島県民なら思い出したかもしれません。
ほんとうに記憶って、気づかぬうちに薄れてくるのでしょうね。
それがまた”忘れられる”という人間にとって必要な部分でもあるのですけど。

でも再度ですが、絶対にやっていけないのは、それを利用して都合よく事実を解釈してしまうこと。
この事故に限らず、私たちはよく、そういうことやってしまいますけど、あくまで真実を語り継がなければいけないですよね。
特に、これを絶対多数の与党や民意がやってしまうと危ないことになってしまいます。


post by じゅうよっつ

19:55

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