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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。

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受け入れるということ

2009年06月10日

昔、ご近所だった女性はDVの被害者で、頭が痛いと病院に行くけどどこも悪くない、でもここが悪いからじゃないか、あそこかもと、思い当たって病院に行って検査を受けても異常なし、旦那さんはもちろん、そんな奥さんに理解を示すはずはありません。
でも、端で見ていて、頭が痛いという苦しさは、実際の頭痛はもとより、きっと誰かに心配して欲しい、大事に思って欲しいという心の渇きとでもいう風にも感じられました。

病院に来られる患者さんにも、同じようなことを感じることがあります。
たとえば実際にはそんなに歩行に困難はないのに、車いすであちこち移動を(たいていは無愛想に)頼まれる患者さんは、もしかして、私たちにケアされる気持ちを不器用に欲してらっしゃるのかなと、思います。
それは健康な人間の世界では“甘え”や”わがまま”にも見えるのですが、壊れそうなバランスの中で、救いを求めて手を伸ばしてらっしゃるようにも思えて、甘えるな!という怒りよりもむしろ悲しくなります。
実際、何度もお手伝いするうち、うち解けてくださり、「ありがとう」と声をかけられたり、「あの人の方が大変そうだから行ってあげて」と、他の方を心配する余裕が出てくることもあります。
たぶんそう言う思いが生まれたとき、やっとその方の枯渇した心は、少しだけ、満たされてきたんじゃないかと思います。

その人の気持ちを受け入れるべきか否かの判断基準は、周囲の人は、自分の経験や環境に照らし合わせて下すしかないんですけど、自分の気持ちがささくれ立っていると、往々にして周囲にも厳しくなってしまいます。
I'm OK, You are OKという言葉があって(実はこれは、よく見ていたアメリカのコメディ「ファミリータイズ」でお父さんがマイケルJフォックス扮するアレックスに勧めた本なんですけど)、自分のこともOKと思え、周りの人のこともOKと受け入れる、どちらか一方ではバランスがとれないんだそうです。
OKとは、100%是が非でもの肯定ではなく、大丈夫、いいんじゃない?それもありかもね、くらいでしょうか。
相手をOKと受け入れないと、相手も苦しみ、今度は逆の立場で、その人にとって”相手”となる自分もOKでなくなる、悪循環です。
自分から見ると、そんなこととはないぞと思われる事でも、一旦受け入れてみると、案外、ああそうだったんだと理解できることがあります。

なんだかまとまりが無くなりましたが、受け入れ、受け入れられるというのは、お互いに幸せになるための潤滑油みたいなものなんじゃないかなと、ボラをやりながら考えてます。


post by じゅうよっつ

20:17

コメント(7)

この記事に対するコメント一覧

チームがある限り

Re:受け入れるということ

2009/06/10 21:39

じゅうよっつさんは人の心に寄り添う位置にいるお仕事をしているのですね。 私もずっと昔そんな仕事をしたいと思ったことがあります。でも今考えるとその頃の私には他人の心に寄り添う意味もわからなかったろうし、覚悟もなかったとおもいます。(今もないけど・・・) よく「相手の気持になる」とか「相手の立場にたつ」とかいいますが、案外むずかしいんですよね。想像力の問題かもしれませんが。 でもその一歩が受け入れるということかもしれませんね。なかなか受け入れがたい人もいますが、すぐに理解できなくても後から「実はそういうことだったのかな」と考えるようにしています。 人と人が理解しあうには多少の努力が必要かなと私は思っているのですが。苦手な人の別な一面を見たときってなんかうれしいですよね。

じゅうよっつ

Re:受け入れるということ

2009/06/10 22:09

チームがある限りさん、寄り添うべき位置にはいても、そうなれればいいなと思いつつボラをやってるというほうが正しいかも。往々にして失敗ばかりです・・・。 私も、覚悟もなくて、軽い気持ちではじめたボラで、他のボラの方たちがそう言う風に患者さんに接しているのを見て、最初の頃は、あそこまで出来ないなあと思ってました。 でも、実際、続けていくと、やっぱり人間と人間、気持ちはどっしり入り込みますし、チームがある限りさんが仰るように、 >苦手な人の別な一面を見たときってなんかうれしいですよね。 これが、ゴールの瞬間と同じなんですよね、きっと! (違う?) >後から「実はそういうことだったのかな」と考えるようにしています。 うん、そうだ。 人間、聖人じゃないですから、このアフターケアーがたぶん、一番大事ですね! 私も心します。

しーちゃん

Re:受け入れるということ

2009/06/10 22:39

あー、何か判ります。その感じ! この歳になってくると、 しみじみとそう思う時がありますもん・・。

じゅよっつ

Re:受け入れるということ

2009/06/10 22:48

しーちゃんさん、分かってくださってありがとー! でも、しーちゃんさんってまだお若いっしょ~お!(?)

ラブベリおばさん

Re:受け入れるということ

2009/06/11 17:14

私も今まで付き合ってた人や家族等にに暴力を受けたことがあるので彼女の気持ちがわかります。私は、喘息やメニエール病等の持病があり、幼い時から彼女と同じような症状に悩まされたことがあります。「貴方は悪くありません。」の一言で安心しました。

ラブベリおばさん

Re:受け入れるということ

2009/06/11 17:14

私も今まで付き合ってた人や家族等にに暴力を受けたことがあるので彼女の気持ちがわかります。私は、喘息やメニエール病等の持病があり、幼い時から彼女と同じような症状に悩まされたことがあります。「貴方は悪くありません。」の一言で安心しました。

じゅうよっつ

Re:受け入れるということ

2009/06/11 21:17

ラブベリおばさんさん、はじめまして! ご自分を責めることと、病気の症状と、ままならない周囲とで、がんじがらめになってしまうのでしょうね。 誰が見たって、「あなたは悪くない」のに! むしろ、ボラや職員に怒りをぶつけることのできる患者さんのほうが、まだ逃げ道をお持ちなのかもしれないですね。

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