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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年05月09日
ツイッターなんかでは、まだ、これから福島市から市外(たぶん県外でしょうが)に避難する方もおられるようです。 私も同じ場所にすんでいるので、放射線については、長崎大の先生の講演に始まり、研究者の話やニュースなど、いろいろと注意してきたつもりです。 もちろん、いろんな情報を集めた上で、何を信じてどう理解し、対処するかは、各人の自由ですから、避難する、しないもその一つ、それぞれが納得して決めればいいことです。 ただ、その情報が、原発反対(や賛成、いればですが)に利用するために操作され、情報が曲げて伝えられるのは、決してあってはなりません。 それは、原発の反対の力にはなるかもしれません。 ただでさえ放射線は危ないという方向の情報は、受け入れられやすいですし。 でもこれは、今、放射線に苦しめられている我々の存在をあまりに無視したものです。 今、一押しされればパニックになるかもしれない気持ちを抑えながら、この場で働いて、暮らして、生きていることをまったく尊重してくれてないことになります。 たとえば、そうやって今から避難しようとしている家族は、ここでの生活も仕事も家も友達もあとにして、出て行くわけです。 これから1からやり直しかもしれません。 もしかしたら、今までここで重ねたキャリアを生かせず、そこでの生活は苦しいかも。 影響はたぶん、その方が関わっていた方にも多少とも及ぶでしょう。 でも、それが、必要以上に恐怖をあおった情報からきたものだったら、その家族の新しい場所での生活に慣れるまでのエネルギーや、お金や、いろんなものを誰が謝ってくれるんでしょう?保証してくれるんでしょう? ほしいのは、正しく解釈された正しい情報。 素人考えや中途半端な解釈ではありません。 そうでないと、そんな人や家族に大きな犠牲を強いることになることをわかってほしいと思います。
2011年05月08日
5月の午後4時で29度というのは、やっぱり札幌から来た選手には、堪えたんでしょうか? 連戦の疲れはあっても、チーム状態は上向きでしょうから、モチベーションとしては、いい具合に持って行けるのではとおもったんですけど、やっぱり疲れも見過ごせなかったかなあ? 今まで、いい形はできてもなかなかフィニッシュまで行かなかったのが課題でしたが、今日は、そのいい形も見られなかったのは残念です。 相手にとって怖かったのは、始まりの近藤選手のシュートくらいかも。 (あのときは、今日もおもしろくなるぞ!と期待したんですけど) どうも、熊本の選手がいいポジションを取ってるのに対して、コンサはボールを追ってる感じで、熊本の選手の後手後手になってました。 せっかく自分のボールにしても、その先の味方ともあわないことが多くて、それならドリブルで持って行くということも考えられるのに、それもあまりなくて・・・。 前半は暑さ対策かなとも思っていたんですが、後半もボールに対する執着心が熊本に負けてる感じでした。 どうしたんでしょ? 日高選手が戻って、アンドレジーニョ選手がけがで出られず、若干これまでのままで行かなくなった事もあるのでしょうかね。 あと疑問なのは、うちにも結構背の高い選手はいると思うんですけど、ハイボールがなかなか自分のものにできないのは、ジャンプのタイミングでしょうか? 体の強さで競り負けてるんでしょうか? あれももったいないですよねえ。
2011年05月07日
明日は熊本戦ですね! 前回、前々回の、集中力をもってすれば、きっと明日もいい試合を見せてくれるはず。 まだ先日の勝利も日がたってない、今のコンサには、それができる! この時期はもう、北海道と九州の気温差はかなりのものでしょうが、開始が16時というのも、味方してるかな? 思いっきり見てる方も集中できる試合、希望!
2011年05月06日
福島市はほとんどのところでは、ちょっと見たところ、依然と同じように建物が建ってますが、その実、建ってはいるけど、壁や瓦がはがれたところ、塀が崩れたところ、ビルの鉄筋がむきだしだったり、タイルがはがれる危険があって網が被さっているところ、「頭上危険」とコーンをおいているおうちもあります。 しかし徐々に、確実に、復旧作業も進んで、一番ひどい土砂崩れの場所も、傾いた家々はまだそのままですが、工事の方々のおかげで、道路はもうすっかり前の状態に戻りました。 沿岸の地域でも、きっと、津波さえなかったら、あれだけたくさんの犠牲者もでずに、被害だってこれくらいですんだんじゃないかなと思います。 それに加えて原発。 余震は、だんだん小さく(といっても、大きい余震もありましたが)少なくなりますが、原発が、だんだんひどくなるのには参りました。 地震のニュースをみていたはじめの頃、普通に外に出ている被災者の方々を見てよく、「えっ!?」と思ってました。 それから思い直して、あ、そうか、外に出られないのは原発のせいで、地震のせいじゃないんだから、福島だけか・・・。 そのころは、原発は目が離せない状態どころか、SF映画ならわくわくすること間違い無しのアップダウンの激しいニュースが毎日のように飛び込んできて、しかも「原因分からず」とか「どこからか煙が」というような分からないことづくめ、毎日テレビから目が離せない、一番、精神的に辛い時でもありました。 加えて、放射線についても、危ないという漠然とした、あるいは極端な報道ばかりで、理論で考えてこれはしてはいけないということばかり、どうすれば防げるか、影響を軽減できるかが大事なのに、ちっとも今直面している危機に役立つ事を言ってくれないのは、ストレスでした。 福島市は、原発から60kmほど離れていますが、地形や気候のせいか放射線量が割とあって、あのころは、越してきたばかりのアパートの、隣が、階下が、ばたばたしてるなと思うと、急に静かになるんです。 朝に夜に、アパートの前にトラックが横付けされ、荷物が運び出されていく・・・避難がはじまっていました。 もっともだと思います。 だって、ただ危ないだけ聞いて、危ない程度がどれくらいかなんて誰も言ってくれないんですから、自分の身は自分で守る以外すべがありません。 でも、だんだん静かになっていくアパートに住んでいるのって、何ともいえない、世界に一人だけ取り残されていくような不安感、焦燥感・・・。 こんなことが現実にあっていいものなのか、という理不尽な思いでした。 こんな経験、まずないし、もう絶対、あってはならないことです。 うちも避難を考えたことは考えました。 「早くおいで、部屋はあるから。ペットも連れておいで。アメリカ人は出国してるよ。どうなってるの?」と言う申し出も、私がいい返事をしないので、何度もいただきました。 うちが避難しなかった理由は、一応年相応に責任がある旦那の仕事が一番ですが、入手困難なガソリンと、3匹のネコもありました。 海外はともかく、どこか県外か会津にでも避難するとして、既にガソリンスタンドは長蛇の列でしたし、高速は不通、一般道路は混雑しているだろうし、どこまで行けるかもわかりません。 もし公共の交通機関にのれたとしても、ネコ3匹と一緒には無理です。 そんなとき、1つとても助かったのは、福島県がいち早く、長崎大の先生を県の健康リスクアドバイザーにしてくれたことでした。 これで、すくなくとも福島県では、情報が一元化できたのは、大きかったです。(福島県庁、GJ!) 避難しないのは既に決めてましたが、これで、しっかり、大丈夫だと腹をくくれました。 公共の交通機関がなんとか回復(それでも朝早く並ばないと行けなかったそうですが)したころ、旦那の職場でも、若い方々は避難されました。 そのころはもう、上の長崎大の先生の講演(自分の書いたのをリンクするのは気が引けますが、内容はここにあります)も福島市で行われていて、どれくらいのリスクなのか、正しく予防すれば大丈夫だと分かってはいましたが、それでもこれから先の長い若者は、被爆は少ない方がいいわけですしね。(それに仕事も、当面は片づけが主ですし) 放射線は花粉やゴミと同じように取り扱えばいいということで、私たち(そのころは同伴出勤)も、マスクをしての外出、帰ると、上着や鞄はコロコロできれいにし、手を洗い、頭からシャワーを浴びてました。 着ていた洋服は洗濯。 食べ物も同じです。 洗って食べる、もっとも、野菜や果物って普通あらってから食べますし、汚染されたものは規制を受けているので、問題ないわけですけど。 水は、今まで使っていた(交換時期がとっくに過ぎてますが・・)活性炭の浄水器で十分です。 まだ原発は100%収束なわけではないですけど、多分、これ以上、大気に大きな放射線量をもたらすような事はなさそうで、あとは地面に残る放射線が減ってくれるのを待っています。 (実際、雨の度、確実に落ちています) もう、今は、避難していたアパートの住人も徐々に、旦那の同僚も帰ってきて、今日から新年度も始まり、やがて新しく同僚になる方々も来られます。 これから一番気を付けないと行けないのは、放射線自体よりむしろ、ストレスかなと思います。 先の山下先生のお話では、チェルノブイリでは、甲状腺癌よりそちらの方が大きな問題だったとか。 ストレスによる肉体的、精神的な病気は、福島県をこれから長く苦しめるかもしれません。 放射線の怖いのは、甲状腺癌(子供)だけじゃありません。そういう風に包括的に健康管理をしないと、意味ありません。 だからこそ、できるだけ、あまりくよくよせず、明るく生活をしていくのが賢明になります。 まだ気を付けないと行けないのは、お子さん。 広報にもでてますが、特に外で土にまみれて遊んだ手をそのまま口に当てたりしそうな小さなお子さんは特に注意してあげないといけません。 大きなお子さんなら、マスク着用で帰宅後、手洗いやシャワーです。 洋服はしっかりコロコロか、洗えばOK。 あと、外出前のビタミンCも有効のようです。 おそれず、ちゃんと食べて飲んで(否、お酒)健康に過ごすことが第一です。 しかし、今回は、地震も、津波も、原発も、神様っているの?と思うほど、度を超していた事だけは事実です。 もう一度書きたい、もうこんなことは今回だけでたくさん!
2011年05月05日
幸い、電気やガスはずっと出ていましたが、ガスはなんとなく怖くてしばらくは使わず、料理はレンジと電気オーブンでやってました。 水は、止まります、というお知らせの車が回っていましたが、実際に止まるまでに1~2日あったので、それまで水道水を使いながら、風呂桶や洗濯機、ありとあらゆる鍋ややかん、バケツに水をくんでおきました。 風呂桶も水を張る前に洗って、飲料用の水として使いました。 どれくらいで水が戻ってくるという見通しが立たないので、できる限り節水しました。 (以下の1段落は、お食事中の方はとばしてね) 食事の際のお皿類は、なるべく数を少なくして、洗うときは、ティッシュで汚れをきれいに拭き取ってから、100円ショップで買っていたスプレー(これ、便利!)に水を入れて、それでしゅっしゅっとかけてティッシュでこすり、もう一度しゅっしゅっとかければ、結構水を使わずにきれいになりました。 お風呂は風呂桶を使ってますし、シャワーも出ないので、体はウェットティッシュで拭いて。 トイレは、汚いけど、大の時にまとめて流す。 洗濯は、これも汚いですけど、なるべく3日くらいは換えずに。 下着だけ、水で手洗いであらって、洗濯機で絞ってました。 生理用品を下着にあてて、それを換えると便利でした。 水が止まったのが1週間くらいだったので、実際に使ったのは、鍋ややかんの水と風呂桶の水の3分の1くらいですみました。 今回、感じたのは、電子レンジって結構料理できるんだということ。 調理用には、レンジ可の、大きめのプラスチック容器(20cm×10cm×4cmくらいの)3つや来客用の大皿(直径30cmくらい)を使いました。 よけいに火を通さないと行けないものから先にチンして、蓋やティッシュ(どれくらい水切りすればよいかによって使い分け。あらましなら蓋で、完全になティッシュで)を使って水気を切り、さらにその次に通りにくい材料も加え、また水を切り、その次・・とチンしていきました。 たとえば、肉じゃがなら、まずお肉とダシ、お醤油、みりんを混ぜてプラスチック容器でチン(煮汁はそのまま)。 別の容器で、玉ねぎのスライスやニンジンをチンして、水気を蓋で切り、ジャガイモをいれてさらにチン。 この両者を併せて、もう一度チンします。 ちょっと灰汁がでますが、この際、それはご勘弁ということで。 ポテトサラダだったら、適当な大きさに切ったジャガイモをプラ容器でチンして、そこに、キュウリや玉ねぎリンゴをいれたり、もっと簡単には、冷凍野菜とマヨネーズを混ぜて再び蓋をしておくと余熱でできあがりました。 焼き魚やローストチキンは、もちろん、そのままオーブントースターでできますし、あげずにフライのできる粉と言うのをたまたま買ってたんですが、それをまぶして焼いてフライ風もできました。 シュウマイも、普通につくって、チンで大丈夫でした。 順番と水切りさえちゃんとしてれば(水切りしないと、味がうす~くなっちゃいます)、結構いつもガスで作っていた料理もできちゃいました。 あ、ガスが使えないので、油はドレッシングにいれるくらいで、ほとんど使ってません。 ご飯は、洗い物を減らすために、1日~2日分まとめて炊いて、翌日分は冷凍してました。 冷蔵庫には、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、ゴボウのような日持ちする野菜なら、使い切るより余分に入れておくと、便利です。 それだけでも、いろいろな料理ができますし。 あと野菜や果物の缶詰や、味のあまり付いてないツナ缶などシンプルなものが応用が利きそうで、もう少し買っておくべきだったなと思いました。 やはり、こんな大きな事があったときこそ、食べる事って大事だなと実感しました。 温かい料理を食べるとほっとして、さあ、頑張ろうという気持ちにもなります。 うちは、地震以来、朝ご飯がおにぎりなんです。 食欲のなかった朝も、おにぎりにするとたべられたので。 常備食で作っていたらっきょもそえるとグーでした。 まさに食事って、明日へのエネルギーなんですね。 料理すること自体も、電子レンジで試行錯誤しながら(例えば、ゆで麺はゆでこぼさないととーってもまずい!と分かった・・でも食べましたが)作るのは、結構気分転換になりました。 動いていると、ちょっとの地震だったら感じないですしね。 ただし、ご紹介したのはあくまで非常時の料理ですから、普段ならちゃんとフライパンでいためたり、あげたり、お鍋で湯がいたりしたほうが、やっぱりおいしいですけどね~!
2011年05月04日
やった~!待望の1点、待望の勝利! いい試合だった前節も満足でしたが、やっぱり勝利はもっと嬉しいですね! あのごたごたの中で足を出した宮澤選手、あっぱれ! 山下選手のヘディングがぎりぎりで阻まれ、ころころしてたところだったんですよね。 草津の選手2人くらいとごたごたしていてよく見えず、オウンゴール?誰?と思ったら、宮澤選手の喜ぶ顔が映りました。 今日は、前半の前半、積極的に行っていたあと、なかなか点が入らず、その後、大丈夫かなあと思って見ていたんですが、皆さん最後まで集中が切れずにがんばってて、先日のFC東京との試合がいいモチベーションとしてつながっていたのがわかりました。 近ちゃんは今日も、きれきれ! あのぎりぎりであげたクロスからアンドレジーニョ選手のヘディング、どちらもここしかないというプレーで、決まればすごくかっこよかったんですけど、ほれぼれしました。 それに、その後のPA内での活躍も、近藤選手には大変失礼なんですけど、ほんとに去年までの近ちゃんと断然見違えてます。 久しぶりの岡本選手も、よく走れてましたよね。 チアゴ選手のゴールは無効になっちゃいましたが、今日は、作戦通りの働きだったですし。 ここで勝てたのは大きかったですよね。 ようやく実を結び始めたってかんじです。 こういうときに、試合間隔が短いのは、いい方に影響してくれるんじゃないでしょうかね。 このまま、波に乗れることを! 次も期待!していいよね?
2011年05月03日
いい加減、書いておかないと、私の記憶の賞味期限がもう間近なので!(いやもう来てるかも・・) 今回の地震では、まあよくものが落ちてくれました。 これだけ落ちると、かえって、ああもうどうにでもやってくれという気持ちになります。 落下物の主なものは、食器と本です。 食器棚は高さが2m近くある、上下二段を重ねたもので、手前底に滑り出し防止シートを置いていましたが、食器棚が移動し、ずれてしまいました。 手前に開くタイプの扉が開いて、飛び出した食器(特に高い場所に置いていた食器はほとんど落ちました。低い場所のものほど、奥のものほど、落ちていません)は、漆器と絨毯に落ちたもの以外はほとんど割れました。 扉は、一方を開けるときにはもう一方を抑えて置いた方がいいくらい強く閉まるんですが、それでもあの度重なる揺れにはかなわなかったようです。 やはり、扉の開きを防止するようなものも付けておくべきでした。 今は、開かないように布きれでくくっています。 本棚は7つ(も!!)あります。どれも高さは180~200cmくらいの組み立て本棚です。 居間(下は板張り)の本棚2つ(1つは1体化したもの、1つは上下2段重ね)は、4隅に置く耐震マットの上にのせてましたが、東西10cmと南北5cmくらい移動したため、片方の2つのマットからはずれてしまいました。 本は、2段重ねの方が3分の2くらい、1体化のものは半分くらい(上段はほとんど)落ちました。 2段重ねの方が、揺れが複雑になるのでしょうかね。 前に住んでいたところでは、本棚の背側の上部と柱を金具でとめていたんですが、それをやってれば、揺れはもう少し軽減されたかも。 今のはマンションだし、壁に穴を開けるのは大家さんに悪いなと思ってしてませんでした。 書庫(一応、こう呼んでるだけ)には本棚が5つあって、すべて上下2段のものです。 下はカーペットだったので、耐震マットは使えず、突っ張り棒を上に付けていましたが、すべてはずれて、やはり上段を中心に3分の2くらい落ちました。(床は本だらけ!) 本棚自身も、少し移動したり、壁の部分がはずれたりしましたが、突っ張り棒がなかったら、倒れていたかもしれません。 ほかに落下したのは、食料や瓶などを置いていた作りつけの棚(手前に2つ折れになって開く扉)が開いて、中の瓶が落ちて割れたり、1.8Lボトルやお酒の瓶も落ちました。 (お酒(洋酒)はどれも、割れなかったです。結構頑丈なんですね) 電話代(4つ足)は移動、背が高く(1m70ほど)4つ足で揺れ幅が大きいせいか、上に飾っていたものはすべて落下&割れものは割れ、一番下に置いていた結構重いレターケース2つも落ちてました。 台所では、冷蔵庫の扉が開きましたが、揺れてる最中~とりあえず~押さえていたためか、中の被害はなし。少し移動はしてました。 隣のガスオーブンの上にのせていた炊飯器やオーブントースターは落ちましたが、使えるくらいには大丈夫でした。オーブン台は移動。 (実際、家具で移動してないものは、後に書いているボックス2こだけ) シンク下の鍋やボウルを置いてる作りつけの棚は開いて、中のものはでてました。 台所は結構狭いので、いろんな細かなもの(粉類とか香辛料とか)ややかんの水も加わり、どう手を付けようか?と言う状態でした。 ただ、作りつけの頭上の棚は、扉の縁にパッキンみたいなのが貼ってあって、そのおかげか、開きもせず、中の食器も無事でした。 テレビは、37型のブラウン管(巨大!重い!)なんですが、テレビ台ごと倒れました。 おそらく、テレビとテレビ台の中のデッキ類が線でつながっていたため、上の重たいテレビがひっくり返った時、共倒れになったのではと思います。 テレビ台よりテレビがずっと重く、頭でっかちの状態だったのもあると思います。 一人や二人ではびくともしないので、しばらくはうつぶせに倒れたまま、テレビなしの生活でした。 (テレビの落下場所にはネコの寝床があったんですが、いなくて良かった!) ベランダへでる窓は鍵をかけてなかったので、左右とも開いて、真ん中に寄ってました。 (これもネコがパニクって出て行かなくて良かった!) ベランダも、タイヤやゴミ箱、植木鉢など散乱。 一応、落下防止は付けていましたが、地震後、あわてて物干し竿は下におろしました。 寝室は、なるべくものを置かないようにしていたので、上の棚から布団は落ちてましたが、他はなし。 すのこの上に置いた押入ダンスや衣装ケースも若干移動してましたが、風を通すためにふすまを開けていましたが、落ちはしませんでした。 コンピュータ用の机も移動、上に置いていた横付けの3段カラーボックスは移動して、中身はすべて外に出てました。 家具の中で動きもせず、倒れもしなかったのは、ビデオをいれていた文庫本用のカラーボックス(1m×50cm×18cmくらい)2つだけ、なんとビデオも1本も落ちずにそのままでした。 揺れと場所の関係もよかったんでしょうか? あるいはカラーボックスの縦横高さの釣り合いがとれていたのでしょうか。 というのも、同じ型のボックスで少し細身のは、壁を隔てた玄関で倒れてましたから。 鏡も割れにくいみたいです。 上に書いた玄関のカラーボックスの横にたてかけていた鏡(長さ1mちょっと)は、倒れて裏うちの木ははずれましたが、割れはしませんでした。居間に置いていた鏡(これも同じくらいの長さ)もです。 イスのそばに置く照明(高さ1m60cmくらい)も床に倒れたあと、本が次々上に落ちたはずですが、電球やシェード部分(=ガラス製)は無事でした。 長いカラーボックスを横に2段にしていたのも、動きも倒れはしませんでしたが、サイズが部屋の横幅ぴったりで前に絵を立てかけて置いていたのもあると思います。 前に絵をおいてないところの中身(DVD)はしっかりみんなとび出てました。 その上に飾っていた人形たちもすべて落下。 いい意味で意外だったのは、居間に置いていた扉付きの3段カラーボックス2つ。20cmくらい移動しましたが、扉が案外しっかりしていて開かず、中身は全部無事。 安いわりにしっかり者でした。 他の家具に比べて低いのも関係しているかも。 総じて、見た目や常識的に考えられることは、そのまま当てはまりそうです。 背の高い家具は背の低い家具より不安定とか、上下2段になった家具のほうが1段のより不安定とか、低いところ奥の方のものの方が落ちにくいとか、ビニールにくるんだもののような摩擦の少ないものの方が落ちやすいとか。 しかし、これで耐震対策を何もしてなかったらと思うと、ぞっとします。 やはり、日頃の対策には万全を期すべきだと思いました。 アパートの階が上になるほど、当然、揺れも激しく被害も大きかったみたいですが、かといって、近所の、かなり建物に被害があったアパートを見ると、下の階より上の階の方が、住む怖さは少なくてすみそうとも感じました。 以上、家具についてです。 読んで頂いてもし少しでもお役に立てれば嬉しいですが、うちに限ったこともあると思います。 その辺は、おくみ置きを! あ、あと、アパート内の建て付けは微妙にずれてます。 (部屋のドアがゆるい、クローゼットの扉がはずれたなど) もうひとつ、玄関には、なるべくものを置かない方が良さそうです。 うちは、玄関に靴箱をいれたカラーボックス、鏡、長靴、ほうき、お人形たちを置いていただけですが、それでも、自分の靴を探すのに、いろんなものを除ける手間がかかりました。
2011年05月02日
福島市役所に電話しました。 先日、放射線を取り除くために、郡山市の学校で校庭の表面土を入れ替えるというニュースが出ていて、それを今度は福島市でもやろうかという話が出ているためです。 もちろん、原爆がおちたとかいう値の放射線なら、土の入れ替えも必要だと思いますが、今の線量で入れ替えれば、そのためにせっかく土に落ちている放射線を巻き上げ、今はほとんど心配のない空気中にまで散らばります。 それが、校庭で活動する子供にとって、より安全かどうかは、かなり疑問です。 さらに、汚染土はビニールにくるまれて線量が低くなるまで置いておくというのも??だし、その土をその後埋めるとして、どこがそれを承知してくれるかという問題もあります。 むしろ、梅雨か大雨で流れさるのを待つ方が、より現実的な解決方法だと思うんですけど、と言いました。 多分、郡山がやって、福島もやらなきゃというPTAからの要望があったのでしょうが、ちょっと怖がりすぎてる感があります。 無防備じゃいけませんけど、必要以上のことをやって、事態を悪化させるようなことだけは避けないと。 市役所のかたのおはなしでは、今は文部科学省の許可を得るのを待っている状態で、今すぐどうのと言うわけではないとのことでしたが、ということは、許可が出ればやるという方向なのでしょうから、これは是非、許可だけでなく、県の健康リスクアドバイザーの先生にも意見を聞いてくださいね、とお願いしました。 せっかく情報が一元化されているのに、そのアドバイスを得ずに対策を練るのは得策とは思えないですものね。 一応、もちろんです、とはこたえて頂きましたが。
2011年04月30日
最後まで集中を切らさないいい試合でしたねえ! コンサ側のペナルティエリア内でのごたごた時に、余震が2度ほどあり、「も~!こんな時に!」と電話台(うちで今一番不安定な家具)を押さて見たりでしたが、終了に近づくにつれ、選手の輝く顔に感動さえ覚えました。 今日は1点もとれなかったと言うより、1点も取らせなかったというところが大きかったですよね。 元コンサのFC東京・今ちゃん(今野選手)がでるのも楽しみだったんですけど、それ以上に、うちの近ちゃん(と私は勝手に呼んでるんですけど)の攻守にわたっての活躍には目を見張るものがあったと思います。 近ちゃんって、あんなに守備も攻撃も(FKも!)できてたんですねえ(大変失礼!)。 しかも、がたいが強いので、相手に負けない! 70分の交代時には拍手してました。 コンサの中心選手としての自覚みたいなものが芽生えてきた姿が頼もしかったです。 あっぷあっぷ気味の前半は、これでいつまで持つだろうかとひやひやしてました。 たびたび裏をとられて、いつ失点してもおかしくないほど、ぎりぎりでやってた感じがしました。 でもこれまでと違ったのは、後半から立て直しができたこと。 FC東京の攻撃にいつまでも食らいつく、そして攻撃に持って行く! それができていたので、見ていておもしろかったです。 どれか1本でも決められれば、もっとよかったですけど、勝ち点1も大きい。 昔、物理の先生だって言ってました。 零点はいくら掛けてもゼロのままだけど、1点でもとれば何倍にもできると。 え?その零点は私かって? と、ともかく! 選手の皆さん、がんばる姿をありがとー! FC東京相手の零封、これで少し自信がつくといいですね!
2011年04月29日
昨日は、水族館関係で知り合ったいわきの方に「どうですか?」と電話をしました。 福島には、アクアマリンという水族館があって、そこで創立当時から働いておられます。 (多分、アクアマリンという名前をご存じなくても、シーラカンスの調査ニュースを思い出される方はおありかも。その水族館です。) 水族館では、屋外施設や地下のものはすべて流され、一様でない地盤沈下のために、水槽に再び生き物をいれて大丈夫かも分かってなくて、おそらく再出発には建設当時と同じくらいのお金がかかるだろうと仰ってました。 そして、やはりお客さん商売ですから、原発も収まってくれないことにはやっていけません。 茨城や松島の水族館がすでに今月から営業を始めているのに対して、アクアマリンは、残念ながら、かなり見通しが悪そうです。 ご自宅のほうは幸い、海から離れた高台だったので無事でらしたのだそうですが、水が復旧したのが今月の7日、今はもう大丈夫だけど、ガソリンや支援物資も、やはり風評被害でなかなかこなかったそうです。 ポジティブに、いい経験をしましたと仰っていて、お互いがんばりましょうと電話を切りましたが、そのあとずんと落ち込んでしまいました。 地震や原発の事を話すのは、やっぱりまだ重たいですね。 もしかしてちょっと時間がたったから、重さに気づいてきたのかも。 でも、いつまでもこのままじゃいけません。 地震や原発なんかにゃ負けませんからね。 将来またこういう事があったときのためにも(ないに越したことはないですが!!)、自分のすばらしい(!)記憶力のためにも、せめて、何か、そろそろ地震と原発のこと、いろんなことを少しずつでも書いておきたいとは思ってます。
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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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