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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2008年12月17日
毎年恒例の、「クリスマスキャロル」を見ました。 毎年、強欲なスクルージが、過去、現在、未来のクリスマスをみせられて改心し、それからの人生を人のために生きることを誓うという、性善説の結末にうるっとし、ほっとするのが、好きなんです。 それが出来るのが、クリスマス。 いつどこでどんな事件に巻き込まれるか知れないような、殺伐とした世の中で暮らせば暮らすほど、こんな、ほっとする時期があるのは、クリスチャンでなくとも、救われる思いがします。 家族が揃って新年を祝うと言う意味では、お正月に相当するのかも知れないですが、でも、こういう気持のリセットが出来ると言う意味では、ちょっと違うような気もします。 もし数日でも、人の気持ちが信じられる時間が、世の中のどこの誰でももてるなら、きっと世の中もっと住みやすくなるんじゃないかしら。 などと思うのも、クリスマス。 なんかねー。 子供じみてるんですけど、好きなんですよね。
2008年11月04日
何気ない一言であっても、言われた人を傷つける事ってありますよね。 だいぶ前、病院に来た女の子を男の子と間違えて「ボク」と呼んでしまって、お母さんがその子に、「女の子だよね」とかばうように小さな声で言ったとき、このお母さんと娘さんに、とっても悪いことしたと思いました。 今日は、私じゃなかったんですけど、別の人が、車から車いすに移る患者さんを、「おじいさん」と呼んでしまいました。 付き添いの娘さんが、「じいさんじゃないんだけど」と、その後引き継いだ私に聞こえそうで聞こえないような、とまどっているけどはっきりしたいような、そんな声で、返されました。 (その方は女性でした。しかも、そんなにお年を召してない・・) ご家族の方、お子さん、患者さんなど、なるべく曖昧な呼び方がいいんですけど、ついつい、ご主人と呼ぶと単に運転手さんだったり、本当は親子だったり、もちろん、悪気など毛頭ないんですけど、呼び方には気をつけているようで、ふと立ち入った事になってしまう場合があります。 呼び方一つとっても、言葉は難しいです。 特に、体や心に傷を負っている方には。
2008年10月21日
考えたら人間、生まれたときから、絶えず、周りの人間とネゴシエーションしながら生きているんですよね。 生まれて初めての交渉は、お腹空いた、おしめ代えて、抱っこして・・・。 生まれたてのほやほやの頃は、たいていは、かわいいもの勝ち。 それから少し知恵が付くと、座り込んであれ買って~とか、大声で泣いていやいやと言ってみたり。 学校に入って活動範囲が広がるに連れ、交渉相手も、友達、先生、先輩後輩、と増えていきます。 社会に出ると更に、会社や所属団体、雇い主や従業員、趣味や地域、行政と相手は広がるばかり。 自分のしたいこと欲しいものだけを求めて、くってかかったり、怒ったりすねてみたりの子どものやり方でなく、相手の立場も認め、自分の要求を理論立てて伝えるテクニックが必要になってきます。 交渉テクニックがないまま大人になると、じっと我慢できる場合はいいのですが(でもストレス溜まりますが!)、爆発してしまうと、いきなり、路上で見知らぬ通行人を傷つけたり、なんてことにもなりかねないです。 今はほんとにおかしな事件が多いですけど、世の中にはいろんなものや情報が溢れて、要求はどんどん膨らんでいくのに、時間はかかってもなかなかうまく行かなくても、省いてはいけない大人の世界で、交渉の手間を省いてしまう交渉下手の人間が増えてしまったのかな、と考えてしまいます。 怒ったもの勝ち、大きく出たもの勝ち、数が多い方が勝ち、要求したもの勝ち、勢いのあるものが勝ち、なんてだけの世界だったら、ずいぶんと生きにくそうです。
2008年09月06日
テレビ中継された花火を見ながら、モントリオール(カナダ)のラ・ロンドという遊園地で、夏に、花火大会があってたのを思い出しました。 ロンドでは、日本を含めたいろんな国の花火が数日間に渡って打ち上げられてました。 今日はカナダ、明日は日本、と言うふうに。 花火は、音楽に合わせて打ち上げられるんですが、じつは、音楽は聞いたことがありません。 その頃すんでいたのが、高層アパートの11階。 セントローレンス川を渡った向こうにある遊園地の花火は、いつもうちのベランダからきれいに(といっても下の方は見えませんが)見えるので、チケットを買ってロンドにいく必要がなかったからです。 ただ、音楽と一緒に見れば、芸術性にすぐれたフレンチのこと、きっと感動も優ったとは思います。 一度くらい、そうしても良かったかなあ。 花火は夏の風物詩、と同時に、日本の風物詩だと思っていたのですが、どうして、いろんな国で楽しまれているんだと、そのとき初めて知りました。 でも、一番きれいだったのはやはり日本でしたけど(身びいきか)。 朝晩冷えてきた昨今、夏も、そろそろ終わりですねえ。
2008年04月23日
福島に来ていまだにとまどっているのは、だれもが同じであることを求めていることです。 福島に来るまで、水族館という特殊な場所にいたせいなのか、それとも海外や札幌という土地柄のせいなのか、どちらかは分かりませんが、やって良いこと行けないことという基本はあるにしても、それ以外は、各自の特徴を出し合っていいものを築いていこうというのが、世の中の進み方だと自分も思っていたし、周りの人もそうだったように思います。 だから、みんなが同じことをやっている(いややっていてもいいんですけど、それ以外のものを出すと拒絶される)ということに、どうしても居心地の悪さを感じてしまいます。 人間、生まれも育ちも違う分、それぞれ必ず、弱いところもあれば良いところもあります。 昔、コンサの監督だった岡田武史さんが、サッカーでは、誰もが主役というわけには行かず、それぞれが役割分担が必要というようなことを言ってたように、日常生活でも、それぞれが相手の特徴を認め合って互いの欠如するところを補っていければ、同じことだけを皆がするより効果的に暮らせると思うんです。 みんながDFでも行けないし、みんなして我先にとシュートをねらっても行けない、それぞれの違いを受け入れて暮らせる社会って、自分にとっても周囲にとっても、一番生活しやすい社会じゃないのかなあ、なんてぶつぶつ考えたりしている今日この頃です。
2008年03月11日
唐突な話で恐縮ですが、この頃ぼんやり考えていたことです。 ユーモアとか、他愛ない笑いとかは、生活していく上で絶対必要なものかと言われると、はたして、衣食住と同じくらい必要とは断言できないかも知れません。 確かに、明日のお米にも困っているとか、病気で苦しい思いをしているとか、恋人にふられたとか、目標を前に挫折したとか、「そんな時に笑っていられるか!」と言われたら、「いや仰るとおり」とお答えするしかできません。 でもそんなとき、冗談を言って笑い飛ばす人を、不真面目と呼ぶか?というと、そうとも言えないですよね。 困窮した時でもユーモアを忘れない、笑う余裕がある、というふうにとらえることも可能です。 笑いって、もしかしたら、オスのキジの、あの広げるときれいな羽根と同じかも知れないと思いました。 オスのキジの羽根は、メスを惹きつけるためのものですが、でも、きれいで立派な羽根が、キジとして生きていく上に何のメリットにもならない(むしろ、邪魔かも、目立ちすぎかも)のは明らかです。 ではなんで、そんな羽根の善し悪しなんかで、メスは相手を決めるのか? 生態学の偉い先生は、「そんなでかくて邪魔な羽根を手間かけてきれいに手入れしても立派に生きていけるほど強いんだ、ボクは」ということを示しているのではないかという見解をだしているそうです。 オスのキジの羽根は、生きていく上の”余裕”のあかし。 笑いもそんなんだろうな。 コメディーものが好きでよく見るんですが、その中で生きている人たちは決して希望に満ちた裕福な生活をしている人たちばかりじゃない。 でも、そんな毎日を笑い飛ばせる強い人たちに、きっと私は惹かれるんだろうなと、ぼんやり考えていたのでした。
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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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