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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2010年08月11日
もう何十年の昔の話ですが、高校の世界史の先生は、その授業時間のほとんどが余談で、おかげで、2年間もつきあわされた不幸な(?)クラスでは、他の先生の授業では2回繰り返しやったのに、2年経っても1冊も完了しませんでした。 自分で勉強せんと何にもならん、というのが、先生の口癖ではありましたが、もしかしていいわけだったでしょうか?先生。 でも、面白いもので、今思い出すのは、そのほとんど習わなかった世界史の内容でなく(だって習わなかったんですから、と言い訳)、余談のほうです。 その一つに、国と国の間で会談などがあったとき、例えば中国と日本だと、「日中会談」と、日本が先にでる、あれは、普通のつきあいでの常識から考えるとおかしくないか?という話がありました。 たしかに、普通のおつきあいでは、相手をたてるのが常識で、この場合だと、「中日」とすべきところです。 そんなことを思い出したのも、昨日”日韓併合”と、韓国に”朝鮮王室儀軌をお渡しする”と言うニュースがあったからです。 ”日韓”か”韓日”かという問題はこの際おいといても、”日韓併合”とはいかにも、市町村合併のような、平和的な合体のように聞こえます。何のことかと思いました。 もし自分の子が、よその子のおもちゃを取って持ってかえったら、そのお宅に行って、「すみません」の代わりに、「お宅様のおもちゃ、お渡しします」などといったら、いくら言葉はおよろしくても、相手は、「は?」じゃないでしょうか。 管さんはそんなに嫌いじゃないし、首相の談話には好感をもちましたが、周りを気にしてか、どうもいつも、やってることがどっちつかずなところがいけません。 誰かに傷つけられたとき、その事実以上に傷つくのは、相手が謝ってくれないときです。 どうして?と言う思いに、いつまでも苦しみます。 余談ですが、私には、犯罪の重さに関係なく、いつまでも被害者やその家族に謝ることをせず、それどころか平然とした顔をしている犯罪者が一番の悪に感じます。 子供には、悪いことしたら「ごめんね」と謝るように言っときながら、フクザツな大人の世界は、そんなことしたら、国益が、プライドが、と、いろんなものが邪魔をして、真逆のことをしている、まるで説得力ないですよね。 まあそうまっすぐばかりも言っていられないのも現実ですが、でも、なるべく、「ごめんね」とか「ありがとう」が素直に出せる日本や大人の世界だといいなあと思います。 以上、じゅうよっつ、夏休みの日記8月11日分でした~。
2010年08月09日
毎年、この時節になると、戦争に関わる記事や行事、番組が増えてきます。 今年は、ノーベル平和賞をもらった根拠となったオバマさんのかかげる「核のない世界」に基づいて、日本の広島、長崎での平和式典へのアメリカの参加、不参加が、特に大きく取り上げられています。 長崎や広島の場合もそうですが、戦争で一番被害を被るのは、本当は戦争なんてしたくなかった民間人というのは、残念ながら、どんな戦争でも当てはまる皮肉な真実ですよね。 でもただ、一つ忘れては行けないのは、日本は単に被害を受けただけではないと言うこと。 戦争に荷担してなかったのに、ある日突然、原爆を落とされたと言うわけではありません。 原爆を落とされたのも日本なら、間違った戦争で、多くの他の国の人々を傷つけ死に至らしめたのも日本です。 どうしてもうけた悲しみは覚えているけど、与えた苦しみはついつい忘れそうになるのは、怖いことだと思います。
2010年07月15日
この頃の選挙では、積極的にここに入れたいと思う党や人がいなくて、ついつい、消去法で選んでしまってます。 でもやっぱり選挙には行って、何らかの自分の意志は示したい。 それでちょっと思ったんですが、投票する選択肢に、「どこにもいれたくない」というのを加えてくれないかなあと。 で、もし、「どこにも入れたくない」が全体の何割か(例えば50%とか)を越えた場合、各政党は仕切り直し、マニフェストや人選など、もう一度やり直して、これでどうだというところでもう一度選挙、ということにすると、もう少し納得のいくことになるかもしれません。 手間と時間はかかりますが、それから先、長く政治に携わるんですから、それ位してもいいかも。 短命政権ばかりが続くようなこともさけられるかもしれません。 なんかそういう意思表示もできていいんじゃないでしょうかねえ。
2010年05月19日
実は去年の誕生日に旦那からもらったDVDなんですが、今頃感想。 (見てすぐは感動が大きすぎて、ちょっと冷やしました。) アメリカにいたころ、ポール・サイモンのコンサートに行きました。 ポールの汗さえ見える距離でみたコンサートは、昔のS&Gの曲も織り交ぜ、そのころ傾倒していたブラジルやアフリカの音楽の影響を受けたヒット曲など、コンサの応援じゃないけど、ほとんどたったまま2時間は沸きに沸いて終わりました。 それを翌日、ボラをしていた水族館で話したら、「あの坊やのような人ね」と、ほとんど興味なさそうに言ってのけた友人。 ああそうかもしれないなあと、そのとき思いました。 様々な人種のいるアメリカであっても、平均の体格は日本人の感覚より縦も横もずっと大きい。ポールの背丈では、きっと思春期の頃からそんなコンプレックスをもっていたんだろうなあと、思い当たりました。 S&Gに興味をもったのは、彼らの全盛時代のずっと後で、TVで80年代のニューヨークであった再結成コンサートをみた時からでした。 ポールは曲作り、アートは歌い手として、互いになくてはならない人間がペアを組んだのだから最強であるはずなのに、この2人には友情とともに反発する気持ちも同居しているのが容易に想像できました。 たぶん、アートのほうは、ポールの歌を愛しポールを理解し、ポールあっての自分でもあることも理解していたのでしょうが、ポールは、そう頭で分かっていても、やはり自分の曲なのに賞賛を浴びるのはアートであることにコンプレックスが重なって、受け入れるのが次第につらくなっていったのだとおもいました。 そうやって別れた2人でも、やっぱり互いを必要としていることには間違いなく、80年代の再結成コンサートでは、ポールは、自分が今目指す音楽はアートと一緒だった頃とは違うものだという立場を貫きながらも、やっぱり2人で音楽をやるのはいいなと思う自分がいることを認め、アートもそれを歓迎しているのが、とても美しく思えました。(それで好きになったんですが) そして、2003年のコンサートのDVDを見ていて、2人の友情はさらに変化したと感じています。 コンサートでの2人のトークも、たとえば、アートが「ポールと会ったのは11歳の時で、劇”不思議の国のアリス”で僕はチェシャネコの役だった。ぼくたちの友情は今年で50周年だ」というと、ポールが「僕は白ウサギの役だった。主役だよ。アートはネコで脇役、もちろん重要なね。一緒に歌い始めたのが13歳で、喧嘩し始めたのは14歳の時だから、今年で喧嘩を始めて47周年になる」と冗談交じりに切り返したりで、2人のそれぞれの互いに対するそれまでの思いをうかがえた興味深いものでした。 既に還暦を過ぎて、やっと、2人、特にポールは、過去の自分たちを口に出して認める事ができるようになったのだと感じました。 ポールにとっては、やっと終わった長い反抗期、アートにとっては遠くなり近くなりしながら見守ってきた時間だったと思います。 そんな2人が奏でるハーモニーは、ゆっくりと真っ直ぐに、伝わってくきました。 年取って過去の唄を唄うとき、経験やそれまでに巡ったいろんな考えが邪魔して、シンプルさを失い、よけいな肉が付く場合が多いのですけど、彼らの音楽は、いまだにシンプルでした。 シンプルなのにさらに深く、切なく感じました、おかしな事に、昔よりさらに強く。 ゲストに出たエヴァリーブラザーズは、あこがれのグループだったそうですが、S&Gはそれを越えていました。 たぶん、EBは意識を一致させるのがそれほど困難でない兄弟であるのに対し、ポールとアートは違っているところから始まった事が、奏でる音楽をさらに人を揺り動かすものにしたのだと思います。 彼らの友情が変化するに従い、彼らの音楽もさらにきわまっていくように思えます。 「自分の曲はアートのおかげで名曲になった」と歌い始める「スリップスライディングアウェー」の2人のハーモニーはとても美しく、また一段とS&Gが好きになりました。 (自分もこんな風に年を重ねたい。)
2010年05月14日
「祇園の暗殺者(’62年公開)」という私の大好きな映画(残念ながらマイナー・・)には、先日亡くなられた佐藤慶さんが、徳川幕府の倒幕急進派のリーダー役として出演されていて、同じ派でありながら無意味な暗殺に疑問を持ち始めた主人公にこういいます。 「君はもう人を斬りたくないんだろう。敵でも味方でもないものはやはり敵なんだ、君はどちらを選ぶ?」 今、ニュースの焦点になっているアメリカ軍基地を何処に移すか(移さないか)という問題でも、日本の各自治体の長の方々に、この言葉を投げかけてみたいなと思ったりします。(もちろん、最初のフレーズは無しで!) 基地を移そうと政府が交渉している徳之島と、基地問題を抱えている沖縄、加えて演習を持ち回りで受け持つことになるかもしれない九州の各自治体は当然、この問題に関わっていますが、ほかの地方の自治体は、まるで何事もないかのように、とてもおとなしい気がします。 この場合、黙っているというのは、中立を保っていることではないと思います。 むしろ、基地問題で困っている自治体にとっては、自分のところでなければいいという消極的な(でもやっかいな!)”賛成”と感じていると思うんです。 上の佐藤慶さんのせりふで言えば、「(基地の政府案に)賛成でも反対でもないものは、やはり賛成してることになるんだ」と言うことでしょうか。 基地が、何処へ持っていっても歓迎されないことは明らかで、ここは全国の自治体が団結して反対してもおかしくないのに、あたかも自分のところでなければいいかな・・と暗に賛成している様子なのが、とても気になります。 日頃、世界で類を見ないほど中央集権国家の日本で、こんな時だけ、地方の方頼みます、なんてことをだまってさせてる法はないんじゃないかしら? 決してどこか1つ(あるいは複数)の自治体に偏って負担をおわすべき問題ではないのに、どうして政府に対抗せず黙っている(特に日頃、地方分権に熱心な長の方々が!)のかが不思議です。 ちなみに映画では、その言葉に賛同して次々暗殺に向かう仲間達を目の当たりにした主人公は、やむなく再度暗殺に加わり、その後、仲間によって悲劇的な最期を遂げることになります。 しかし、そんな主人公1人の苦しみなど全く意に介しないかのように、京都の暑い1日が今日もすぎていく、というシーンで映画は終わりです。 現実の日本でも、あれだけ大騒ぎしたのに、結局は一部の地方の人たちの不満が、大勢の人たちの沈黙に押さえつけられてしまった、ということにならないといいのですが!
2010年03月26日
前から疑問に思ってたんですが、試合会場によっては、会場内にスポンサーさんの車が展示してあったりしますよね。 あれに、サッカーボールが間違って飛んでったりしないものなんでしょうか。 例えば近藤選手の力強い弾丸シュートなんかが、どかーんと当たったりしたら、へこんだり傷ついたりしそうに思うんですが、そうなった場合、その車、どうするんでしょうか? よもや選手やチームに文句を言う(ましてや弁償させる)なんて事はないでしょうが、新車としては売れなくなりそうですし。 (それともそれが付加価値になる?) あんなところに展示するんですから、それなりの覚悟をもって展示してるのでしょうが、決してお安くない商品ですし、気になってしまいます。
2009年06月10日
昔、ご近所だった女性はDVの被害者で、頭が痛いと病院に行くけどどこも悪くない、でもここが悪いからじゃないか、あそこかもと、思い当たって病院に行って検査を受けても異常なし、旦那さんはもちろん、そんな奥さんに理解を示すはずはありません。 でも、端で見ていて、頭が痛いという苦しさは、実際の頭痛はもとより、きっと誰かに心配して欲しい、大事に思って欲しいという心の渇きとでもいう風にも感じられました。 病院に来られる患者さんにも、同じようなことを感じることがあります。 たとえば実際にはそんなに歩行に困難はないのに、車いすであちこち移動を(たいていは無愛想に)頼まれる患者さんは、もしかして、私たちにケアされる気持ちを不器用に欲してらっしゃるのかなと、思います。 それは健康な人間の世界では“甘え”や”わがまま”にも見えるのですが、壊れそうなバランスの中で、救いを求めて手を伸ばしてらっしゃるようにも思えて、甘えるな!という怒りよりもむしろ悲しくなります。 実際、何度もお手伝いするうち、うち解けてくださり、「ありがとう」と声をかけられたり、「あの人の方が大変そうだから行ってあげて」と、他の方を心配する余裕が出てくることもあります。 たぶんそう言う思いが生まれたとき、やっとその方の枯渇した心は、少しだけ、満たされてきたんじゃないかと思います。 その人の気持ちを受け入れるべきか否かの判断基準は、周囲の人は、自分の経験や環境に照らし合わせて下すしかないんですけど、自分の気持ちがささくれ立っていると、往々にして周囲にも厳しくなってしまいます。 I'm OK, You are OKという言葉があって(実はこれは、よく見ていたアメリカのコメディ「ファミリータイズ」でお父さんがマイケルJフォックス扮するアレックスに勧めた本なんですけど)、自分のこともOKと思え、周りの人のこともOKと受け入れる、どちらか一方ではバランスがとれないんだそうです。 OKとは、100%是が非でもの肯定ではなく、大丈夫、いいんじゃない?それもありかもね、くらいでしょうか。 相手をOKと受け入れないと、相手も苦しみ、今度は逆の立場で、その人にとって”相手”となる自分もOKでなくなる、悪循環です。 自分から見ると、そんなこととはないぞと思われる事でも、一旦受け入れてみると、案外、ああそうだったんだと理解できることがあります。 なんだかまとまりが無くなりましたが、受け入れ、受け入れられるというのは、お互いに幸せになるための潤滑油みたいなものなんじゃないかなと、ボラをやりながら考えてます。
2009年04月08日
診察室までご一緒したのがきっかけで、その後お会いするたびに、すこしだけ話しをするようになった患者さんがいらっしゃいます。 私とほぼ同年齢の物静かな女性で、ネコの話とか、着ているものの話とか、ちょっと込み入った話とかも、気心が知れてからは、たま~にきつい言葉も交えて、互いに、結構さぱさぱ話したりしてます。 でも、初めてお会いしたときの記憶はあんまりないそうです。 それくらいお具合の悪い感じだったのは、素人目にも見て取れるほどでした。 診察室までの道のりを、休み休みご一緒したのを覚えてます。 今日は山菜の話になって、「タラの芽は野生のはもっと味わいが深い」とか、「自然のふきのとうはこんな形」とか、木の実やキノコ捕りで間違えた(あぶな~!)話しとか、凄く詳しいので、感心して聞いていると、果ては、「この辺は昔マムシがいて、おやつだった」とか「風邪ひいたときには、タニシの煮汁がいい」とか「ドジョウを捕まえて鍋にすると・・」とか、どんどん話が勇ましい方向へ行き、彼女は、静かに、でも、すっかり雄弁に。 凄いなあ。 きっとこれから先、一番必要になってくるのは、こういった生命力、自分で生き延びる力だろうなあと、つくづく感じたのでした。 もし世界の終わりが近づいたら、ヤワな現代人が次々ばてていく中で、彼女は絶対、最後まで生き延びる一人になるだろうと、確信しました。 たくましい生命力に触れて、勇気づけられた気が(根拠もなく)しました。
2009年03月11日
どうやらアメリカでは、日本ではそんなに耳にすることのない、養子縁組みが結構あるような気がします。 水族館の友だちで、実子にくわえて養子をもらった人が一人、自分自身が養子である人が一人、さらに、今回、「養子をもらった」と、嬉しそうに子どもの写真をみせてくれた人が一人いました。 大抵は、アメリカ国内ではなく、南アメリカなどの海外から、何度も足を運んでペーパーワークののち、ようやく育ての親として認めてもらい、養子をもらうようです。 それに、日本ほどプライベートではなく、誰もが、自分は養子だと言うことを早くから知らされているのだという印象を持ちます。 戸籍というものがなく、出生証明書だけが唯一その人を公的に現す書類だという事からも推測できるように、血のつながりよりも、人と人のつながりの方を重視するので、本当の両親でないからショックを受けたというようなこともあまり聞かないような気がします。 (どうも”気がします”ばかりで恐縮ですが) もっとも、大昔は同じ祖先でしょうから、世界中みんな、血がつながってると言えばつながってるんですもんね! そういえば、まだアメリカに行く前のこと、英語を習っていたアメリカ人夫婦に初めての赤ちゃんが生まれたんですが、病院の先生に「女の子でしたね、残念」みたいなことを言われ、とても憤慨していました。 日本的に考えれば、女の子は跡継ぎにならない、一家に一人は男の子が欲しいということで、慰めたつもりだったのでしょうが、彼らにはそんなこと関係ありませんもんね。 ほんとは、世界中どこにいたって、そんなこと関係ないんですけどね。
2009年02月15日
先日、検診で引っかかったので再検診に行って来ました。 結果は、完全ではないが、まあOK。 この何年か、病院に行くと引っかかるのは、お医者さんの説明に「年」という言葉が出てくるようになったことです。 「まあ、年とってくると、これくらいの変化は・・」とか、「今はこれくらいだけど、もう少しすると・・」とか。 そして、その言葉を聞くと、それ以上追求することもなく納得してしまう自分がいます。 そう若作りにしたいとも思いませんし、年相応ならいいと思っては来たものの、あらためて年とるってこういう事なのね、と、自分の経年変化を思いしらされる今日この頃です。 あーはやくシーズン始まらないかなあ!(話題転換)
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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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