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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年04月19日
今朝、旦那を送って行く途中にすれ違った、「めかぶ」と書かれた水産業者のトラック。 思わず、がんばれよ!買うからね。 うちは、以前から、生のわかめやのりが好きで、毎週のようにスーパーで買っていました。 それに週の半分はお魚メニューだし、海産物にはずいぶんお世話になってます。 だから、検査も受けて問題ないと言われた海産物まで拒否されるニュースを見て、うちだったら、喜んで買うのになあと、残念をとおりこして憤りを覚えました。 野菜は、生産者の方が直接売る風景もよく見られますけど、海産物の場合は、そういうルートって、特に内陸部だとあまり見かけないんです。 なんかそういうのがあればいいんですけどね。 もっともうちが一人買ったってどうなる量でもないという問題はありますが・・・。 福島市のスーパーではよく、地場野菜のコーナーがもうけられているんですが、なんか売り場が心なしか寂しげ。 うちは、野菜は、なるべくそこで買うようにしています。 魚だって、前と同じように気にせず買ってます。(気にするのはお財布だけ?) 放射能に負けない気力と健康のためには、野菜もたくさん、魚も肉もバランスよくとらないとね。 業者さんにもがんばってほしいですし!
2011年04月13日
先日の余震のあと、「またあったって?大丈夫?」というメールをボストンからもらいました。 「大丈夫、というより、なんか慣れてきた」と返事。 人間慣れるものなのですね。 彼が言うには、慣れないとやっていけないからだよと。 ごもっとも。 で、今日も余震がありましたが、そのときはちょうど洗濯中。 洗濯機は、余震など関係ないという態度で、まじめに自分の仕事をこなしていました。 地震があっても放射能が降っても、福島に残って働いているのは(私は働いてないですから)、それだけ責任のあるしごとをしているという自覚があるからなのでしょうね。 浜通りでお店がつぶれたコンビニの店長さんが、車を使って移動コンビニを始めたというニュースを見ましたが、店長さん、使命感だと言ってました。 そうだと思います。 タクシーの運転手さん、大工さん、道路工事の方々、宅配便の配達員さん、自営業の皆さん、サラリーマンのみなさん、病院、役所、そして原発、どこで働いておられるかたも、多かれ少なかれ、今は、使命感を持って働いてらっしゃるのだと思います。 今、ちゃんと自分の仕事の大切さを自覚されているのだと思います。 なんか美しいな。 そんなことをニュースを見ながら考えていたからか、うちの洗濯機までえらく見えました。
2011年04月01日
自民党が大連立を考慮し始めたとか。 そんなの提案されたときにやってよ、ってかんじです。 たぶん、自党が次回の選挙で有利になる可能性を考慮してここまで伸ばしたのでしょうが。 地震は天災ですが、その地震を想定せずに原発をつくったのは、自民党ですからね。 今の内閣は頼りないですけど、でも、その尻ぬぐいをしているわけで、はじめから一緒になってがんばるのは当然でしょう。 今週は昨日まで旦那と同伴出勤だったので、昼間の時間だけはたくさんあり、なのでずっとボランティアに行ってました。(実は旦那の職場から歩いて行けます) 患者さんによっては、飯館村やお隣の月館村から来られた方もいらっしゃって、普通に診察を受けて売店でちょっとお買い物されて帰りのバスか車を待ってらっしゃる患者さんなのに、お話すると、地震の日にご主人がなくなって、すぐにお葬式を出すこともできずに・・・なんてお話をされてびっくりしたりします。 そんな中で、時々、原発のことを患者さんから話しかけられることもありました。 たいていは、放射能は大丈夫だろうかというご心配ですけど(その場合には、先日の長崎大学の先生のお話を引用しながら~しったかぶり!~「だあいじょうぶです~って!」と自信たっぷりにお話することにしています)、中には、原発の建設に関わった方もおられて、非常に怒ってらっしゃいました。 というのも、原発を作るときに、予備電源をつないでいたのに、予算削減のために、それをカットされたんだそうです。 もちろん、聞き伝えですから真偽のほどはわかりませんが、でもそれほど嘘でもないような気がします。 というのは、昨日、NHKのフランス語講座を担当されていて、ブログに時々お邪魔している清岡先生が、20年来の友人のかたの、こんな記事をリンクされていたからです。 ひどい! 今の時期に、まさか、テレビに出ておられる東大の先生がすべて東電よりのコメントをしているとは思いたくないですが、理想にすぎないと言われそうですが、研究というのは本来、中立の立場で行われるべきもの。 何のための公立か? 特に、今回のような大惨事に陥る可能性のある産業の大きなバックアップで関係する研究を行うなんて、研究者のプライドはどうなってるの?と常識を疑います。 記事では、長崎大はその寄付を断ったとあります。 日本で、たぶん世界的にも一番よくわかってらっしゃる長崎大の先生のお話だから、全国放送でやってくれればいいのに、と思ってましたが、そういうのも関係して呼ばれないのかもしれないと思うと、とても残念です。 東電の体質もこれでなんとなくわかります。 昨日のヤフーニュースによると、女川原発は、福島のより3mほど高く作られていたんだとか。 それで、福島より高い津波にも耐えたんだそうで、経費節減で必要なこと削ったり、緊急時の想定の低さとか、そういうの、甘すぎですよね、東電さん。 よそさまの土地に作ったんだから、それくらいちゃんと費用惜しまずやってhよって思います。 東大に寄付したお金で、高く作ることも、予備電源を作ることも、ちゃんとできてたでしょうが! だいたい、日本はロボット先進国だったはずなのに、フランスが貸してくれるまでなんでもってなかったんでしょ? 原発なら、人が作業できないような環境を当然想定して何か用意すべきだったと思いますが、なんか、スローで、後手後手で、放水車だって、東京や大阪から来てもらう前に、いろんな災害を想定して福島においておくべきじゃ。 あー怒りが収まらない。 失礼しました!
2011年03月21日
ふと気づくと、朝食の用意をしながら歌を口ずさんでました。 あら、とっても気持ちいい。 (この際、うまい下手の詮索はなし!) 大震災のあとしばらくはラジオが主な情報源で、ずっと付けっぱなしていたんですが、はじめは、まだ周りの情報も入ってこない中、ずっとアナウンサーの方が、「一人じゃないですよ、がんばりましょうね」というメッセージを流していました。 旦那が帰れず一人だったその夜は、余震もひっきりなしで、同じ福島の地から発せられるその声にどんなに励まされたことか。 福島の外からネットでおつきあい下さったみなさんもです。 おかげで一人にならずに過ごせました。 そのラジオでも、一晩明ける頃には、音楽が流れ始めました。 なんだか、ほっとしました。 でも自分で歌うのは、久しく(なんかあの日がもうずっと前のような気がします)なかったことに気づいて、そんな余裕が出てきたことを、嬉しく感じています。 そういえば、ちょうど地震が起こったとき、私、CDかけようとしていたんですよねえ。 人間、どんな状況でも、暗いばかりではやっていけませんね。 きっと、そうならないようにできていると思います。 そして、それに気づいて、なんの根拠もないかもしれないけど、少し、楽しくなったりします。 あ、でも、きっと、原発のほうが少しうまく行き始めたからかな。 あそこで一生懸命働いておられる方々は、ヒーローです。 原発そのものは、もう福島県人の前では、原発の”げ”の字も口に出すなと言われるくらいになるでしょうが、今、あそこで頑張ってくださってる方々は、一生忘れない、忘れては行けませんね。 ありがとうございます。
2011年03月17日
前の記事は消しました。 この頃は、NHKで情報を仕入れ、ローカルな情報は災害FM(もとはFMポコ)で仕入れていますが、そのFMによると、風評被害で救援物質が届かないとのこと。 なんかすご~~~~く悲しいです。 うちら福島で、どっこい生きてるんだけどね!!っていいたい。
2011年03月08日
一寸前の選挙の時、「今度、福島から立候補することになった○○です」という女性議員さんがいました。 そういうことは福島にかぎらずあることでしょうが、福島に住むものとしては大いに疑問に思いました。 そんなよそ者(と敢えて言わせていただきます)が、いきなり福島に来て、どんな現状が分かって、どんな風に福島をよくしてくれるわけ? それって単なる選挙で当選するために福島を利用しているだけじゃないの? と、ひねくれものの私など、思ったわけです。 次回、都知事選にはやはり、東国原前宮崎知事も出られるようで、都知事の場合は、中央の政治にも関わって東京だけの問題でもないのでしょうが、それでも、なんか、東京を含めて、地方の区分ってなんの意味を成すの?と考えてしまいます。 選挙って、結局、政治家の思いを果たすためにあるんじゃ?てのは極端すぎかもですが、なんか選挙する側としてはむなしい思いもあります。 やはり日本が中央集権国家過ぎるのも一因なのでしょうかね。
2011年01月02日
お正月3が日は、引っ越しの片づけはお休みと、勝手に決めました。 が、お正月とはいえ、仕事好きの旦那は、人の来ないこんなときこそおもいっきり!とばかり、毎日嬉々として仕事場に出かけてます。 ただ、いつもより遅く起きて、おせちを食べ、少しのんびりしたら、さあて・・とか、普段より早く仕事を終えて、普段は見られない映画なんかを見てとか、サイクルはゆっくりですけど、もしかしたら、のんびりしてる時間は、私への遠慮もあるのかも。 そういうわけで、まったく丸一日お休みという日は、365日のうち、風邪引いたとかおなか痛いとか(コンサの応援で遠出とか)、そんな事でもなければ、無し、ゼロ、ジップ。 でも、そんな休みの日の生き生きした姿を見ていると、なんかこっちも、よかったねと思ったりします。 どんな人も、仕事に就いていれば、年と共にある程度責任をおわされることになって、自分の都合で自分の事だけこなしていればいいなんて若い頃のようには行かなくなりますけど、こんな時は、できるだけ、好きなことやれるといいよね。 なんて、なんだか子供をみているような心境になったりして~。
2010年11月24日
今日、コンビニにコーヒーを買いに行くと、もう店内にはクリスマスソングが流れてました。 そうか。 やがて12月だしなあ。 クリスマスは大好きで、毎年オーナメントを飾りまくってますが、今年はクリスマス直前に引っ越しだから、オーナメントも箱に入ったままかもしれません。 今、引っ越しの準備のために、要らなさそうなものを処分しています。 年取るに連れ増えるのが、”思い出”と称するモノたち。 使わないけど、「あーこれ・・・だったのよねー」とか「これは誰々さんからもらったんだわ」「これ、あのときに買ったのよね」とか、捨てられないモノがたくさんでてきます。 「もう思い出は振り返らない!」を原則として、毎日整理に当たってますが、なかなか・・・。 それに、中身をチェックしていると、また思い出すんですよねえ。 あ、これは・・・また振り出しに。 しかし、なるべく思い切って捨てているのはいいんですが、一つ、いるモノまで捨ててしまってないかという心配もあります。 なんせ自分のやることですからね、信用なりません。(きっぱり) 日本の場合は、クリスマスが終わればあわただしく新年の準備。 何もかも、新しくなります。(少なくとも気分的には) やがてコンサのメンバーも。 スナがいなくなる、藤さんも、吉弘選手も、簑さんも。 ベテランがどんどん消えていく・・・。 (DFはどうなるんじゃい?) まだ続くのかなあ。 なかなか貧乏からの脱出は難しいですね、うちのチーム。 こちらは「心機一転」と、思い切るのは、チームもサポも当人も難しいですが、でも、サッカーであれ別の場所であれ、やっぱり新しい場所で、がんばるしかないですね。 どんなことがあっても明日はやってくる、それは時として酷な言葉にも感じますが。
2010年10月04日
今日は病院で、3ヶ月前に来日という、来てほやほやの若い女性におつきあいしてました。 ニューヨーク出身だとか。ホームシックになってると。 たしかに、ニューヨークからいきなりたったひとりで日本、それも福島だと、他に同郷の友達もいなくて(しかも病気で!)寂しいだろうなあと思います。 アメリカでは景気が悪くて、中高年だけでなく若者も就職難で、彼女は日本で英語の先生をしてお金を貯めて、それで大学院に行きたいんだそうです。 早くお金貯まって、帰れるといいね。 でもその前に、日本の生活もなんとか楽しんで欲しいな。 ボストンに住んでいた頃、私もほんとにたくさんの人の好意に甘えました。 それでボストンが大好きになった。 札幌でもそう。 多分、その場所を好きになるのは、そこでどれだけ人の親切や思いやり、暖かさを感じることができたかなのだと思います。 なんとか、彼女にも、アメリカに帰ったときに、「日本っていい国よ」って心から言えるような思い出を作って欲しい。 電話番号も住所も聞かなかったので、またお会いできるといいんですけど。
2010年09月08日
きっと地元の北海道では、大騒ぎですよね、鈴木議員の実刑確定。 ニュースで見ていて、田中角栄さんの逮捕の時を思い出しました。 あのときも、地元・新潟の反応は、他の地域の反応とは全く違ってました。 それだけ、地方の生活の厳しさというか、ギャップというか、そんなものが、今でも変わらず存在していると言うことだと思います。 どうも今の世界を見ていて(おっきく出たな!)、こんな四角四面でいいのだろうかと心配になることがしばしばあります。 今の世の中、これはいいこと、これは悪いこと、と一律に決めすぎている気がするんです。 人間のすることですからファジーでいい、というか或る程度はファジーであるべきだと思うんですが、それが、世界が大きくなってそんないちいち”気持ち”で決めるようなわけにいかなくなって、条文だけがこの世を采配するすべてのようになると、本当に私たちにとって必要なものまで失われているような気がするんです。 例えば、時代劇の遠山の金さんなんかでは、同じ悪いことをしても、それが利己的な、悪意でやらかしたことか、情や義理にかなったことだったかによってお裁きは違ってくるわけです。 本当に金さんがそうだったかはさておき、そういうファジーだけど誰もが納得できるような許容の仕方って、失われては行けないと思います。 それは人間性を失うことのようにも思われます。 それならロボットでいいわけですもんね。 ならどうするか?というとそれがまた難しそうなんですよね、こんなに大きくなった世界では。 やはり地方分権は、もっと促進されないと行けなさそう。 味気ない世の中って住みづらそうで、すでにそうなりつつありそう・・。
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