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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2015年02月25日
先日のボラの休憩時間に、終わったよという除染の話が出て、少なくとも福島市は除染より仮設どうにかしてあげてほしいよねと、私が切り出したことが、反論をよんでしまいました。 理由は推定の粋を出ないこともあるので詳しくは書きませんが、ともかくその理由で、仮設に住んでいる人たちは同情に値しないというものでした。 私にはどうしてもそうは思えませんでした。 それは、結果的には、無事に避難できて補償金で暮らせているかもしれません。 でも、原発事故や津波で、当時は死ぬような思いをして、誰か彼か亡くなったりもしたかもしれない中、家を捨てて逃げてきたのは、他人が容易に想像できるようなことじゃないと思います。 私なら、そんな思いをして仮設に移るか、今住んでいるところでそのまま住むか聞かれたら、躊躇なく今の生活を選びますもん。 たしかに今の福島市、パチンコ屋さんのような遊技場が昼間から繁盛しているのは、あまり見っともいいものではありません。 でもそれだって、ストレスたまってるからかもしれない、人にはわかりません。 福島市だけじゃない。 世間でも今、売国奴だの、反日だの、プロ市民だの、同じ日本人同士で傷つけあってる。 いろんな人がいて、いろんな方法で自分のいいと思う日本の将来を考えているだけなのに! どこを向いても、心が重たくなります。 震災後、やっと開いたパン屋さんでは、静かに列を作りながら、みんな、自分の必要な量のパンを買っていた光景は、とても感動的でした。 日本人っていいなと思いました。 あの頃の、助け合いや思いやり、忍耐、がんばりはどこへ行ったんでしょう。 それとも、あの時の反動が来てしまったのかしら。
2015年01月08日
農相、知事面会を拒否 安倍政権「冷遇」際立つという記事を読んで思ったこと。 民主主義政治では、当然、反対意見や団体とも話し合って折り合いをつけるのが基本。 イエスマンとしか話し合えない政府なら、どこかの独裁政治とかわりはありません。 こういうやり方なら、さかんに謳っている地方創生も、その方向性が限られたものになりそうです。 それだったら、やっぱり従来の政治が行ってはしぼんだ、ただ地方を躍らせるだけの、中央政府にとって都合がいいだけのものに終わりそうな予感がします。 さらに将来、今回の沖縄だでけでなく、ほかの地方でも団体でも個人でも、反対するものに、そういう圧力を平気でかけてくることになったりしたら・・と考えると空恐ろしいです。 そんなで、統一されたとしても、それは平和とは言えない、まるで戦時下のようながんじがらめの言いたいことも言えない暗い静けさです。
2014年12月23日
いつも思うんですが、天皇陛下のおはなしっていいですよね。 天皇は国政に関与しないことになっているので、そうせずに、何か、話をされる機会にはいつも、日本が間違った方向に進まないように、じんわりとしかも的確に話されているのがわかります。 戦争は二度とやってはいけないということを、私達は学んだばかりのはず。 諸外国の悪いところにばかり目を向けがちないまの風潮は、なんとも悲しい。 特に政治家の皆さんは、心して聞いて欲しいです。
2014年12月14日
ノーベル賞授賞式を見ていて、人類の歴史が始まって以来、科学は間違いなく、めざましく進歩してきたけれど、果たして人間の精神的なものって、進歩しているんだろうかとふと思いました。 近頃CSが発達したこともあって、2、30年~半世紀ほど前の映画やTV番組を目にする機会も増えてきましたが、戦争から開放され、その傷跡や反省を背負っていたそのころの日本人の考え方と、今の考え方は、僅かな年月の間に大きく変わってきたことがよくわかります。 今は、日本が戦争を始める前、あるいは戦争中の考え方に似ている感じ。 つまり、人間の考えることって、進歩するのではなく、ある時間を経て、巡り巡っているだけなんじゃないかしら、と思うんです。 ただ、その間にも科学や技術は進歩し続けて、もうとうの昔から地球上のほとんどの人が、その発展についていけてない、仕組みも理解しないままに、恩恵に預かっています。 それを使う人間の精神力とのギャップがどんどん開いていっているわけで、それってとても恐ろしいことかもしれません。 科学・技術の発達って、人間の歴史にとって、最終的には本当にいいことなのだろうか? よく言われますが、もしかして、そのギャップのために、人間は人間を滅ぼすことになるんじゃないかしら。 最近よく、よくこんなひどいことができるものだというような事件が起こりますが、それも、ギャップが関係するのかも。 今の日本では、お金さえ出せばなんでもそろうけど、何も自分では作っていない。 物が満たされても、気持ちは空っぽのまま。 その満たされない気持ちが、うまく昇華できないでいる人間が増えているのでは。 スポーツや趣味や、仕事や家族や、何か打ち込めるものがあればいいのだろうけど、見知らぬ人に危害を加えたり、いじめたり、周囲に攻撃的になったり、逆に自分の内側に閉じこもったり、やり場のない怒りや悲しみや苦しみを、あらぬ方向に向けてしまう人がふえてきているのかもしれません。 近頃の日本の好戦的な傾向も、ネガティブな昇華の1つに見えます。 科学技術や物で生活が満たされているって、ほんとに豊かだってことなんでしょうか? 例えば小さなことですけど、心やすまる家で手作りの夕飯を食べるような、そんな、本当は自分の手でできる、しなければいけない日常の小さなことを沢山放り出してしまって、自ら埋められない隙間を作ってるようにも思えます。 じゃあ原始時代に戻るのかというと、何千年積み重なった人類の歴史を今更捨てるわけにはいかないですが、せめて衣食住に関して、基本的なことって、やっぱり自分で出来る限りのことをしないと、それなしに何かを求めていくのは本末転倒のようで、本物の人間でなくなっていくような気がします。 なんだか、とりとめなく。
2014年10月17日
先日、久々に別の曜日に病院ボラに行って、これも久々にあった仲間と話していたんですが、なんと、4月にかかとを骨折して入院し、今日戻ってきたと。 別の曜日だと会うこともあまりないので、ボラに来てないことすら知りませんでした。 それに、髪も黒くなってるし。(ずっと茶髪だった) 「やっと更生したのね」と冗談。 まあ、それはともかく、彼女は民生委員をやってて、今回その活動中に怪我してお世話になったからと、役所のある方に、ビール券を持っていったそうです。 でも、「『とんでもない、、そんなのもらったらクビになります』と断られた。数千円のビール券でクビになっちゃかわいそうだから持って帰った」と云う話を聞き、「今は、公務員への贈答は厳しいからね」と話してました。 そんなことがあって、最近、政治家や閣僚の先生がたの観劇会とか、ベビー服の贈り物とか、うちわとかのニュースを聞いたので、とても意外に感じました。 へえ、政治家はまだ、そんなのOKなんだ~! 同じ公務員なのに、ずいぶん緩いんだなあと。 そんなだから、長く席を置くに連れ、だんだんとマヒしちゃって、下界とは違う感覚になっちゃうんだろうなあ。 政治家になるには、こんなこともしないと政治家としてやっていけなくなるっていうことなのでしょうが、公務員に対して厳しい目が向けられる昨今、ビール券を断った公務員の方は、こんな方々と一緒にされるのはさぞかし迷惑でしょうねえ。
2014年08月18日
「日本人のあなたが外国人として逮捕される日」というヤフーニュースを読んでて、アメリカに住んでいた頃、それと全く逆の経験をしたことを思い出しました。 その頃、船上でボランティアとして働いていましたが、港について掃除している時、クルーの一人に、「今日選挙だよね、どこであるんだっけ?」となんの疑いもなく訊かれて、こっちが戸惑いました。 「あ、いや、私アメリカ人じゃないから」 「あれ、そうなの?」 さすがに移民の多い国だけあって、人種や肌の色で、この人はアメリカ人じゃないとは判断されません。 道を歩いていて、当然のように道を訊かれることもよくありました。 お国柄の違いですかね。 いろんなことを受け入れると、それだけしんどくなるのは確かです。 アメリカも、テロなんかがあって、今ではかなり保守的になりつつあります。 でも、受け入れるという姿勢は、それだけ色んな意味で豊かになるような気もします。 少なくとも、はじめから壁を作るっていうのは、何も生まれないし。
2014年06月30日
安倍さんが、”女性が輝くために”と女性の社会進出をうたってますが、その提起が出て以来、ずっと考えていることが有ります。 私は、前は結構気に入った仕事やアルバイトをしてましたが、旦那の仕事の都合で福島に来て以来ずっと専業主婦で、当初は、ずいぶん戸惑いもありました。 関わってきた仕事仲間はもういなくて、完全一人の仕事。 もちろん金銭の報酬はないし、たしかに誰にも「輝いてるね」と声をかけられることはないでしょう。やって当たり前。 世間的にも、冷たい視線を感じることもあります。(ひがみか?) でも、このごろ思うのは、家族を守る仕事って、それ以上に大事なやりがいのある仕事ってこの世にあるだろうかということです。 家族一人一人の健康や状況を把握して、それにあった食事なりケアをすることができるのは、誰より専業主婦の特権です。 (まあ、それらをやらないでいるというチョイスもあることはありますが・・) それなのに、個人個人を大事にする今の時代、それも大切なことなんですけど、家族のために家庭を守る仕事は犠牲のように感じられてしまい、主婦業は二の次、下手したらもっと下になってしまってる気がします。 経済優先の政策では、お金を生まない仕事はなおさらそうなってくるかもしれません。 いつも誰かにケアされていると感じることは、その人の心を豊かにするんじゃないかなと思うんです。 それって、その人が何をする活力にも一番基本になることでは。 もちろん、社会にでて能力を発揮できる女性はそうすればいいし、そのための手助けは必要でしょう。 また、男性でも主夫に向いていると思えば、家庭の仕事をすればいい、女性に限ったことじゃありません。 でも、わざわざ家庭をおろそかにする手はありません。 そういう環境づくりのほうが大切なんじゃないかなと、いつも安倍さんがこのことに言及するにつけ、疑問に思ってしまいます。 さらに今日のネットニュースでは、安倍さんがイギリスの新聞に寄稿した内容があって(そのニュースはすぐ消えちゃいましたが、これはその一部で私が気になった以下の部分は載っていませんが一応・・)、日本の女性は働きに出て、家庭の仕事を海外からの労働力に委ねるという内容があったのですが、それを見て、更に、これでいいの?と疑問に思いました。 他人に委ねた家庭で果たして、心豊かに暮らせるのかなあ? 共働きでベビーシッターや家政婦さんを頼むアメリカの家庭なんかを目標としているのでしょうが、アメリカといえば離婚率が高いのも周知の事実です。 そうなれば、もっと傷つくことになってしまいます。 そうならざるを得ない場合はありましょうが、わざわざそういう可能性を増やして犠牲を強いる必要はないはず。 他人に任せた家庭を作り、そこから生まれる家族の一人一人が、働きに出て、人間や、生活や、環境や、そいういうもののための仕事ができるのかなあ? なんとなく白々しい、ウソっぽい感じもします。 また、安倍さんが外で働く女性を輝くと定義するのなら、安倍さんの予定する家庭で働く海外から来た方はどうなの?どうでもいいってこと?と、ちょっとこれって差別的な考え方のような気もするのですが。 (私は、主婦業が輝かない仕事だとは今は思いませんが!) それに、今働いている女性の中には、”輝くため”というより、生活のために働いているという方も少なからずおられるはず。 安倍さんのブレーンは、いつも、キャッチフレーズがとてもうまい。 気を良くして、惑わされないようにしないと、なんかひどく方向を間違えた日本になりそうな気がします。
2014年05月17日
皆さん、明日の千葉戦にむけて準備を整えているところに、恐縮ですが。 これも福島にすむもののある程度、宿命ですから。 目をつぶることのほうが難しいんです! 先日のボラの休憩時間、政治の話になりました。 いつもは馬鹿話やってますが、結構、原発事故以来、真剣な話になることもあります。 景気いいような世間と、物価が高くなっただけじゃという疑問と、そういう政権って、やっぱり大企業の支持が大きいんだろうかとか。 避難で県内の患者さんは増えているのに、東京オリンピックのせいで建築費が高くなり、あちこちの病院が増築に苦労している、これから建設業界はみんな東京に行っちゃうだろうからもっと困るねという切実な話。 そして、その頃まで仮設がのこっていて、聖火が仮設の前を通るなんてことがあったら、そんなこと福島県人は許さないよね!と。 あと、例の鼻血の漫画。 あの前町長さんは、事故の時真っ先に埼玉に逃げた人だそうで、それでも本当に被曝で鼻血出るほどなら、もう会いたい人には今のうちに会ってたほうがいいような状態だよねと笑ってました。 私ら、すでに福島に納得して残って生活している人間にとっては、専門家以外(福大の先生を含めて)の話ばかりの例の漫画は、一笑に付すだけのもの、 話題にすればするだけ、売上に貢献する手伝いしてるようなものですもん。 (もちろん、いい気持ちはしませんよ!でも、当時、その手の方々にはさんざん振り回されましたもの。) さらに、集団的自衛権の問題も。 最初は自衛隊だろうけど、将来、自分や自分の大切な人だって矢面に立たないといけない事態も可能にする、決して他人まかせですむことではないと。 ボラは、戦争中も含めて(ええ、そういうお年のかたもボラやってます!)、前の戦争の後の大変さを経験した人間も多いので、身にしみて考えるのです。 30分の休憩時間では足りないくらい、あっという間に終わりでしたが、なんか自分だけそんなふうに考えてる?とちょっと孤独を感じはじめていたところだったので、皆、ほぼおなじ方向だったんだというところで、ホッとして、その後のボラ仕事に向かいました。
2014年03月15日
今は、ある情報を手に入れたいと思えば、簡単に大量に手に入る時代だから、良心とか罪の意識というのが薄くなっているのだろうなと、思います。 簡単にコピペできるから、あまりに簡単すぎて、まるで自分のもののように利用できる。 ネットを探せば、写真も動画も音楽も、なんでもお好み次第。 また、テレビを付ければ、ゲームを始めれば、そのなかでは人や動物は簡単に傷つけられ、その残虐なシーンを、普通に見ている。 そういうことが当たり前になって、それがやがて現実の世界でも当たり前なんだと錯覚するようになる時代というのは、なんて恐ろしい時代だろうと思います。 そうなりつつあるように感じてしまいます。 学術論文のコピペも、人種差別の横断幕も、そんな時代が創りだしたもの。 やる前に、これをやったらどうなるか、ということを想像できないのは、今の時代のとてつもなく大きな欠点に思えます。 ましてや、それをやられた側の人間がどうなるのかなど、考えも及ばないのでしょうから、こんな時代で、人間がお互いに自分の利益だけを追求していけば、世界はどうなるのか、と先行きが心配になるのは、大げさなことじゃないと思います。 人類の歴史が始まった頃の戦いは、お互いのリスクが平等だったけど、今は、顔さえ見せないまま、相手を傷つけることだってできます。 常識の通用しない時代に急速になりつつあるのだと覚悟しないといけないのかもですね。 アメリカの電子レンジの注意書きみたく、「この中に動物をいれないでください」なんてことまで、いちいち注意書きや罰則を設けないとやっていけない世の中なんて、なりや技術は立派でも、中身はまるで幼稚園じゃないですか。 (幼稚園児なら可愛いですけど!)
2014年02月12日
昨日書いた「北から目線」なんですけど、よく考えると、そういった目線はむしろ必要なんですよね。 北海道からだけでなく、東北も、北陸も・・・九州、沖縄も、すべての地域から。 すべての地域からの目線を尊重しあってこそ、民主主義ってもんです。 今の日本にそれがないから、「北海道民の北から目線」なんてことが改めて記事として成り立ったんだと思います。 まずは、一極集中でなく、例えば、北海道なら札幌、東北なら仙台という風に、それぞれの地域の大きな都市に独立性をもたせて、それぞれの首都のような機能を持つことができるといいですよね。 その実現に一番近いのが、大阪都構想かなと思って応援してました。 でも、それを掲げた橋本さんのやり方が性急すぎて、はじめの頃は期待してたんですが、ちょっと頼りなく見えるこの頃。 (どうも、いい大人が、癇癪起こした駄々っ子みたいな態度をとるのは好きになれないという個人的な理由も有りますが、そこが魅力なのでしょうか?) 大きな変化って、性急すぎると周りがついていけない、時間がかかり過ぎると待ちくたびれて周りに飽きられる、なかなか難しいものですねえ。 個人個人でも、それぞれの目線、大いに出しあうべきだと思います。 お互いを潰すためでなく、お互いを尊重し理解するために! (なんか弁論大会みたいなシメだ)
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