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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。

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年の功

2013年01月29日

今朝の中国関連のニュースで、ほんとうに久しぶりに村山さん(元首相)を見ました。
90歳になられて、ますます好々爺の風貌がました感じでしたが、お元気だったんですねえ。

このところ、安倍さんの外交方針に不安を覚えることばかりだったので、こういう方が表に出てきたことに、ちょっと安心。
こういう時に、中国と親交のあった人間が間に立つのはすごく大事なことです。
喧嘩している本人同士が張り合ったって何の解決にもなりませんもん。
これこそ亀の甲より年の功というもの。

普通なら、もう若いものに(といっても政治家の”若い”ですから、そう若くもないですが)任せてというところでしょうが、過去に、戦争を体験した方々、中国との国交回復に力を注いできた方々、そういう人間が、今、ちゃんと表に出て、モノを言うべきです。
せっかく築いてこようとしたものです。
壊すのは簡単、でも築くのは年月がかかります。

自民党の安倍さんになって、大きく変わった1つが、実行力と派手さだと思います。
目の前にぱあっと明るい話題を提供してくれる、以前の民主党の地味さとは違って、何か変わりそうな期待感をもたらしてくれます。

でも、派手なら正しい訳じゃない。
生活は、何十年と続いていく、政権はたかだか5~6年。
今だけ良ければいいじゃ困ります。
将来から見た時、結果、良かったと思えるかどうか。

経済政策でも、第一印象は日本の大きな可能性を示してくれている印象はあるのですが、身の丈に合わせずに、一戸建てを建ててさらに外車も買って、その裏で借金が膨らんでるような、あるいは、無理して補強をしたサッカーチームのような、その行き先に暗雲が見え隠れするような不安が残ります。
もちろん、何年も先までそれで成功していければ、万々歳、そうなることを願いますが。
しかし、政治は”水物”ですからね。


post by じゅうよっつ

20:57

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今年の福島の雪道

2013年01月21日

この冬は、ほんとうにスリップ事故おおいです、福島市。

市に初の大雪が降ったのは14日の成人の日だったと思いますが、それ以来、毎日、1~2、3台の車が、雪山に突っ込んでいるのを見かけます。
見かけなかったのは、たった1日だけ。

毎年、そんな車を見るのは1度か2度くらいなので、ちょっとびっくりしています。

たしかに今の道路は、場所によっては、雪が溶けたり凍結したりを繰り返し、硬い凸凹が車輪を拒否するように跳ね返すので、スピードを抑えて、注意がもちろん必要ですけど、それにしても多すぎのように思います。
福島市では年に1~2度は大雪の日がありますから、免許取りたてでもない限り、雪道経験のあるドライバーは多いはずなんです。

と、ここまで書いて、ふと思いついたんですが、近年の福島市は、浜通りからの移ってきた方々や、除染、東電関係などで、雪のないところからの移住者が増えてきたので、もしかして、そういうドライバーが、増えたのかも?

雪道やブラックアイスバーンは、もう、すべるもの、止まりにくいものと思って運転するしかないですもんね。
私も気をつけないと!

それにしても、福島では、根雪になることはあまりないんですが、今年はまだ1月でこの状態、気温もあまり高くならないので、なんだか消えそうにないなあ・・・。


post by じゅうよっつ

20:45

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センター試験は雪

2013年01月18日

センター試験の日は雪、それもかなりの量で、というのが、福島の相場になってますが、今日の天気が続けば、明日も言われ通りになりそうです。

今朝は、「天気予報では、朝は雪といってたしね」とまあなっとくしながら、まずは、お出かけ前の車の発掘作業から。
のろのろ運転で旦那を送って帰りに、また渋滞に巻き込まれるのも嫌なので~という極めて自己中な理由で~帰りにボラをして戻りましたが、雪は一時弱まったものの、とうとう夕方までやみませんでした。

夕方、旦那を迎えに出るときは、朝よりもっと発掘作業でした。
降り止むことを知らない感じで降ってます。

明日は、受験生の皆さん、試験だけでも頭がいっぱいだろうに、試験会場につくまでも気が気じゃないでしょう。
北国の冬は雪がふるものですから、もうちょっと早めか、遅めか、センター試験の時期を考慮してもらってもよさそうに思うんですけどねえ。


post by じゅうよっつ

20:16

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大人になるべき時

2013年01月15日

もう去年のことですが、前回の選挙(旅行のため不在者投票)では、予想どおり、自民党が第一党になりましたが、あれだけの圧勝だと、ちょっと怖い感じがします。
あのころアメリカが、日本が右傾向にあるといったことに、反発を感じた人はわりといたんじゃないかと思いますが、これだけの票を集めたなら、そう言われてもあながち的外れとはいえないような。

もっとも、右でも左でも、極端に進むのは別として、どちらの存在も必要だと思いますから、別に、右に進んでる、左傾向にあるといわれること事態に、すぐに目くじら立てる必要もないとは思いますが。

問題は、どちらかが異常に強い場合。
民主党政権だったころは、民主党がダントツで強いというわけではなかったので、独断に走り過ぎる危険はまずありませんでした。
(それで気持ちのいい決め方ができなさすぎたのが、敗因の1つになったのでしょうが。私はそれがいいと思ったんですが・・。)

しかし、こう、お隣の国々との小競り合いが耐えない状況になると、自民圧勝の結果がますます心配になってきます。
そのうち憲法も改正するといってるし、最悪の事態にまでならないといいんですけど・・・。
前の戦争を経験した方々には、いまこそ戦争の悪と、そこに及んだ経緯を大いに語るのが、これはもう義務だと思います、手遅れにならないうちに。

実は、12月にサンフランシスコに行くことを決めた時、ちょっとだけ迷いました。
中国との仲があまり良くない中で、チャイナタウンに行っても大丈夫かしら?と。
でも、それは杞憂に終わりました。

美味しそうなザボンを買うときには、横のおばさんは(中国語で、でもなぜか分かる)「こっちのほうが美味しいよ、ほら、持ってみて、重いでしょ」私「うんうん」
レストランで、「どこから来たの?」「日本」「いらっしゃいって、日本語でなんていうの?」

私の中国人のイメージは、大地に根を張って図太く生きている風なんですが、自分もしっかり踏ん張るけど、他人にも同じようにしっかり踏ん張らせてあげるのが当然という、自他共に認めることができる気持ちが好きなんです。
それは、今まで付き合ったことのある中国人の友人・知人でも同じでした。

国と国の小競り合いに、変な愛国精神みたいなものが生まれて民間人まで同調してしまうのは、危険だし御免です。
そんなの政府に勝手にさせといて、私らは、冷ややかな目でそれを見ながら、大人の態度を示していればいい。

以前、アメリカにいた時に、全く知らない若い男性(白人)に、すごい勢いでぶつかられて、こけてしまったことがあります。
その男性はそのままの勢いで走り去りました。
あとから考えると、それは真珠湾攻撃の記念日(とアメリカでは呼びます)でした。

(その日から一緒に働き始めた白人女性に~ちょっと変わった人でしたが)貸してあげたペンシルの使い方がわからなかったらしく、「日本製のなんてわかんないわ」と言われたり。(カナダ製でしたが・・)

長く住んでいれば嫌な思いをすることはもちろんありましたが、そんな思いを一掃できる、親身になってくれる素敵な友だちがたくさんいたので、ああ、この人には、日本人の友達がいないんだなと、かえって同情しただけでした。

国と国というのと、その中に住む一人ひとりを考えた時とは、見たか感じ方が
違ってきます。
お互いを責めるまえに、まずはお互いを知ることが先決。
まずは、友達100人できるかな?じゃ、小学生みたいですけど、でもたくさんの個人を知ることじゃないかなと思います。

そうそう、今日は、病院に中国人の患者さんがお一人来られました。
日本人の旦那さんが来られるまで、一生懸命私のゆっくりの日本語の説明を聞いてました。
そんな風に、互いの国で生活している方なんかも、今は、さぞかし辛い気持ちでらっしゃるんじゃないでしょうかね。

長文になっちゃいました~。

古田選手、トライアウト、行かないままだったのでしょうか?
行ってダメだったというのと、行かないで諦めたのと、その後のモチベーションという点で、ちょいと気になります。


post by じゅうよっつ

20:40

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たとえゆっくりでも

2012年09月21日

人にはそれぞれやり方がある、というのは頭ではわかっていても、実際に理解(了解)するのは、本当に難しいです。

病院のボラもこの数年、人数が順調に伸びて、前は、一人で寂しくやったこともあるのに、今は毎日、数人~多い時には一枚の記入欄に書き込めないくらいきていることもあります。

それは患者さんにとっても好ましいことなんですけど、人が増えるのは、それだけ個性が増えるということで、トラブルもおこりやすくなるのが常なのか、悲しいかな、どうしても、異質な人間を排除しようとする動きが起きてくるようです。
ほんとうは、もっとその人を知るのが、まず先じゃないかと思うんですけど。


中国とのいざこざも、暴動は怖いですけど、お互いのやり方があるってことは理解しないと行けないと思うんです。
向こうがこうでたから、同じようにやる、なんて大人気ない。
一層、火に油を注ぐようなものです。
もともとのアイディアとして、仲違いしたいとは思ってないんですから、こっちは、今までどおりでいいんじゃないかなあ。

例えば、こちらは韓国のお話ですけど、最近、福島空港に震災後初の韓国(済州島)からのチャーター便が来ました。
空港では、もちろん、福島の名産を味わってもらったりして、歓迎のお出迎え。
これをニュースで見た時には、いいなあ福島って、と思いました。
今は、いろんな中国や韓国との交流が、残念なことにキャンセルされたりしてますが、少なくとも、民間ではこれくらい、言葉は悪いけど、KYでいたほうがいいんじゃないかしら。

なんか、今まで愛国心なんてほとんど考えたこともなかったような人間まで、お隣の国々に対して愛国心を駆り立てるなんて、ちょっとおかしい気がします。
W杯の時に、日の丸振り上げて応援するくらいは楽しいけど(それもちょっと異質感はありますが・・)、こちらは訳が違います。


アメリカにいたころ、何だったか覚えてないんですけど、アメリカと日本の間で何か問題が起こったんだと思います。
その時、一緒に働いていた友人が、「政治と個人とは違うからね」とあっさりいてのけたのを覚えています。

そうなんですよね。
友人同士であれば、立ち入るべきでないことに関しては立ち入らない、お互いのやり方も尊重できる、ある程度のことは譲歩もしたいと思えるのに、これが一国の政治となると、白黒決着を付けないと、国民に示しがつかないからなのか、気が済まないというのは、国家間の仲をますます難しくしているように思えます。

目先のことを考えてでなく、先の先で、どうありたいのか、どうあるべきかを考えないと、政治の世界こそ、大変なことを導いてしまいます。
それは、もう経験済みですもんね。

来週、旦那の職場には、中国からお客さんが来ます。
もちろん、歓迎します。
先のアメリカ人の友人の言葉のように、政治の力より、グラスルーツは勝ると信じています。
実際、私も、そう思わせてくれる友人に恵まれましたし。
国でも個人でも、まずは友達をたくさん作ること、友達は視野を広めてくれるし、大切ですよね。


post by じゅうよっつ

17:57

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女ひとり

2012年09月11日

今日はボラで、久々にあった仲間がいました。
実はこのところ会わないので、どうしたのかなと思っていた矢先だったので、顔を見た時には嬉しかったんですが・・・。

よくみると、両手首にサポーターのようなものしてて、話を聞くと、ウォーキングに行こうと玄関にでてすぐ転んで、両手首を骨折、四苦八苦しながら病院まで行くと、手首だけでなく、胸椎まで骨折していて、そのまま入院だったんだそう。(よほどひどく転んだんだろうなあ。)

彼女は一人暮らしなので、残してきた食べ物とか、うちのこととか、それからかわいがっていたカメのこととか、気になって、無理やり途中で退院したんだそうです。

で、怪我だけでもびっくりしたんですが、「それで施設に入ったのよ」という言葉に、ボラのみんなで一瞬言葉をなくしました。
ボラの中には、70代くらいの方も何人かいるんですけど、それでも、みんなやはり、ボラをやろうというくらいですから、ピンピンしています。
彼女もそう。
それなのに、不自由な手で家の片付けをし、それも終えないうちに家の借り手も見つかり、必要なものだけ整理して施設に移ったんだそうです。
いくら両手首が使えないからといっても、そこまで思い切るとは。

なんでも前から、こうなった時のために、施設に入る準備をしていたようで、それでも、私だったら、まだ大丈夫じゃないか、いやそれがこの時だ、と見極めるのって、随分と迷うと思うんですよねえ。
よく思い切れたなあ。

でも、怪我は治ってないとはいえ、健康なうちに施設に移ったのは、これらかの人生をエンジョイするためには正解なのでしょうね。
なんかこの潔さ、見習いたいです。
人間、ある日突然年取るわけじゃないですからねえ。
カメ君が星になってしまい寂しそうでしたが、女ひとり生きていく姿が、ちょっとかっこいいなと思いました。


post by じゅうよっつ

21:47

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なんとなく住みづらい

2012年09月03日

うちのアパート(一応マンション)は、今大規模修理中ですが、この際だからか、いろんなことやり始めました。

その一つがペットの事で、飼っているペットの写真付き情報を毎年提出すること、そして、玄関の扉に表札のように、ペットの居ることを表示することになりました。

情報の更新はともかく(それだって毎年いるかなあとは思うんですけど)、玄関に表示させるって、人権侵害じゃない?と、ちょっと憤慨しています。

もともとペットは可ですが、今まで住んでいて、少なくとも私には、ワンちゃんが吠えてもすぐにやめさせてるようなわきまえた方ばかりに思えるので、そんなに迷惑かけてるペットはいないと思うんです。

そんなことが起こる前にということなのでしょうかね。
でも、なんでこんなにペットにだけ厳しいのか、厳しいというより、罪人扱いのようで、居心地悪く感じています。

もしこれが、タバコ吸う人、子供のいる家庭、毎年写真つけて情報更新して、その旨、玄関に表示します、なんてことだったら、問題になると思うんですけど。
そもそも玄関にそんな表示する意味ってなんなのかしら?

って、本当なら、直接、管理組合に言うところなんですけど。
悲しいかな、うちは賃貸で、持ち主じゃないので、文句は言えない立場なんですよねえ。

自分たちで首締めるようなことしなくても、福島は、十分住みにくくなっているのになあ、とは、時々思うことです。
多分、元来の真面目な県民性がそうさせているのでしょうね。

前に、同じコミュニティからきた方々で、避難先に調理の設備のないところの人はお弁当が無料で配られ、そうでない人は有料になっていて、有料の人たちから「不平等だ」と苦情が出たので、一律有料にするという記事を読んだ時も、そう。

どうして、「よかったですね、無料で」って、自分たちで料理できない同郷の人たちを喜んであげられないのか。
それでみんなが有料になって、誰もがお金を払うことになって納得なんて思うんだったら、悲しいです。
マイナスの方向に持って行こうとせずに、まず前にいかないと!
たとえそれが自分じゃないとしても、応援しないと!
その応援が、今度は自分に向けられる時が来ます。
足を引っ張ってちゃ、すすみません。

いろいろつらいことはあったし、ありますけど、なんか、もうちょっとお互いに譲り合いやさしくなれる場所のほうが、似合ってるんです、福島は。

あら、なんだか、話題が変わったかしら?


post by じゅうよっつ

20:58

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もっと先へ!福島

2012年08月30日

大阪の橋本市長が、大阪都を提案しているのを皮切りに、神奈川州とか、はたまた仮想のカワイイ区とか、いろんな自治体が、自分を主張し始めたのは、今まで中央集権一筋だった日本にとって、とてもいい事だと思います。
地方が元気でなければ、国はほんとうの意味で健康にはなれないですから。

福島も、昨年来、いろんなことがあって、そこから、元に戻りたいと頑張っているわけですけど、ほんとうは、ここでもう一歩踏ん張って、更に上を目指すべきじゃないのかな、そうできるといいなと思います。

今、うちのアパートでは、除染と修理が始まっていますが、個人的には、もっと高線量の場所ならともかく、福島市で今更除染なんて必要ないと思っています。
(もっと遅いところはもう2年ほど先になってたりします)
それをやる根拠は、放射線は可能な限り低くするべしという原則からきているわけで、それに従えばそうすべきなのでしょうが、しかし、例えばうちのアパートだと、ベランダのものを除染しないまま(あるいは素人なりに真夏の暑い盛りに自分で除染して)部屋の中に取り込んでベランダのコンクリは除染してもらえても、その後(修理が終わる3ヶ月後)、またモノをもとに戻す、なんてことやって、どれだけきれいになるんだろうかと。

実際、除染と一言で言っても、土地は限りなく続いているわけですから、簡単に片付くものでは無いようです。
どっちにしたって、放射線は洗い流されて、どこかに移動するだけなので、うちにあったものが隣に移動したり、溝や下水に移行するようなもの。
究極、気持ちの問題なんですけど、気持の問題だからこそ、除染をやったってゼロになるわけじゃないですから(もともとどこに住んでも放射線ゼロなんてありえませんから)、心配したらキリがないというのもあります。
もうここらで区切りをつけて、先に進みたいなと。
それなら、いまだがれきの山や、土台だけのお家が散在する、東北の海岸地方の復興に、お金をもっと使えれば、一緒に少しでも先にすすめるのにとおもいます。
こちらは気持ちの問題だけじゃないですからね。

で、本題からそれてしまいましたが、北九州市に滞在していた1ヶ月、公害都市の汚名を返上し、環境に配慮したハイテク都市に生まれ変わろうとしている市を目の当たりにしました。
私が小さかった頃は、公害都市まっしぐらの頃でしたから、この変わり様には拍手、ちょっと誇らしくも思います。
東北のがれき受け入れに対しても、反対運動もある中、揺るぎない態度で市長さんが受け答えしていて、きっと、自治体がしっかり中心となってきたんだなと思いました。
こんな風に変われるんだなと思いました。

だったら、福島だって変われるはず。
元の福島に戻してと、東電や政府に掛け合うところまでは積極的な福島の自治体ですが、それ以上やるなら今だと思うんです。
やらないと、たとえ福島は元に戻ったとしても、それで終わりのような気がします。
たしか、去年の今頃でしたか、そんな話、出てたような気がするんですが、あの頃は、まだ課題は山積み、誰もが生活を取り戻すことに一生懸命で、それどころでなかったのもあったと思います、その後、立ち消えした感。
思い切った何か、何ができるだろう、福島は。


post by じゅうよっつ

19:39

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医は話術

2012年08月17日

先週末、久々の暑い夏をたっぷり味わって、北九州から戻ってきました。
福島も暑いですが、朝晩は過ごしやすいところが、やっぱり東北です。

今回の帰省は、父の具合が悪くなったのが理由でしたが、一時は人事不省に陥った父は、もともと体力があったのも幸いして、持ち直してくれました。
まだ、すっかり安心と言うところまではいってないですし、今迄父と母二人で協力し合って生活してきたのが、いきなりすべて細い母の肩に掛かってきたのも心配ではあります。
年を取ると、普通に起きて掃除をしたり買い物したり洗濯物を取り入れたりという普段の生活をすることが、こんなに難しくなるのだと、実感しました。
ふたりとも、いつの間に年取ったんだろう・・。
親不孝の娘で申し訳ない・・。

父は、かかりつけの病院から救急車で転院し、厚生年金病院に2週間ほど入院しました。
担当の先生がとてもいい先生だったのは幸運でした。

運ばれた日の夜は、画像を示しながら、こういう状態で、これから先、こういうことが心配で、こういう措置をとってますという説明を、メモをとっている私を待ち待ち、していただき、その後も何度も、機会に応じて、本人や家族に少しずつかみ砕いて、気軽に説明してくださったので、おかげで、かなりよく病状を把握することができましたし、気持ちを上向きにして治療にのぞむこともできました。
思いやりのあるユーモアを交えた説明は、父や家族が、これから少しずつよくなっていこう、いけるという思いを持つことも出来ました。

考えてみれば、お医者さんは、どこかが弱っている人に話しかけるのですから、事実を伝えるにも、同じ内容でも、言い方によっては、その後の患者の生き方を大きく左右してしまうのというのは、決してオーバーな言い方ではありません。

その後、余病の治療のために初めて行った個人病院で、「初盆に間に合わなかったなんてことになるところだったのに、余病の治療まで考えるなんて贅沢だ」と言い放たれたときには、これから良くなっていこうと意気込んでいる父が、黙ってそれを聞いている姿に、胸が締め付けられました。
よほど、「先生に治してもらったんじゃありません」と言いたくなりましたが、はやくこんな場から父を連れて帰りたいと思いました。

実際のところ、万が一のときの施設が整っていないというのが、治療を拒否した理由だったことが、その後のお話から分かりましたが、それなら、はじめからそう言ってくれればいいものを、いらぬことを言って、ただでさえ弱っている人間を、よくするどころかさらに気落ちするようなことを言うのが医者だろうかと腹も立ちました。

今回、話術は、今の時代、医師に必要とされる重要な能力の1つだとつくづく思いました。
そして、その能力には、医師や病院によって、雲泥の差があることも実感しました。
患者を生かすも殺すもその医師の話し方一つにかかっている場合もありそうに思います。
まだまだ時間は掛かりそうですが、今は、一番苦しかっただろう父が、日毎、よくなっているのがなによりです。


post by じゅうよっつ

20:10

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ふるさとを思う

2012年06月18日

北九州市は、震災がれきの受け入れを決めたんですね。

私が住んでいた頃の北九州市といえば、工業地帯。
物心ついた時から、煙突から色とりどりの煙がモクモク出ていて、きれいだなあ、と思ってみていました。
(その頃は、公害なんて言葉も知りませんでしたから)

夕方の時刻を知らせるのも、どこかの工場から流れる音楽。

お父さんが製鉄所で働いている子供は、そのころの教室では、1クラスに10人はいたんじゃないでしょうか。

秋には起業祭という、製鉄所の起業日を祝うお祭りが数日間続いて、祝日だったし、次の図画工作の時間には、起業祭の絵を描くというのがあったことからも(今なら問題になりそうですが、昔はのんびりしてたんですね)、いかに、工業が北九州市にとって大きな地位を占めていたかがわかると思います。

私が通っていた高校も、その昔、製鉄所に石炭を運んでいた川沿いにあり、当時は気質の荒い川沿いの喧嘩校として名をはせていました。

そんな北九州市ですから、当然、高度経済成長の副作用として、大気汚染、海の汚染、喘息などの公害が問題になりました。

その後、私は、福岡市にすみかをかえたり、国外・県外に行ってしまったので、ふるさとのイメージはその時のままなのですが、いまでもそこに住んでいる両親や親戚、友人のはなしから、北九州が変わりつつあることは聞いていました。
公害都市から環境都市へ。
ふるさとがそういうふうに変わっていくのを嬉しく聞いていました。

そして、今回は、西日本で初めての震災がれきを受け入れ方向へ。
それについて反対はもちろんあったはずですが、こういう時に、政治家は、ちゃんとした情報を仕入れて、揺るがないことが、市民の不安を取り除き、理解してもらうためには大事なところです。
(どこかの、岩手から逃げ出した政治家なんてもってのほかです)

ただ、そう言うのはやさしいですが、昨年の原発事故以来の事を見ても、なかなか現実にそうするのが難しいのは明らかで、それを、「自分が風評被害から守る」と言い切った市長さんの言葉に、北九州市民はいい首長を選んだなと嬉しく思いました。

助け合うという意味は、自分に何も損が及ばないことではありません。
精神的にであれ、肉体的にであれ、共に痛みを分かち合うことで、分かり合う事。

北九州市を誇りに思います。


post by じゅうよっつ

21:05

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