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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年11月11日
この頃、事故が多いなあと感じています。 ひどいときは40分くらいの運転中に2件もみたりします。 そのどれも、あまりひどい事故でないらしかったのは幸いですけど。 方向指示器出さないとか、急な追い越しとか、狭い道でスピード出し過ぎとか、そんなの日常茶飯事な感じで、大丈夫か福島?と思ってしまいます。 地震の前は、これほどひどくはなかったように思うんです。 もしかして、無意識のうちに追いつめられた気持ちが運転に表れているのかもと思います。 そんな自分も、知らないうちにそんなことやっているかも。 その辺の自覚を再度持たないとと、感じます。 地震や原発事故で怖い目にあったり何かを失ったりして、物理的精神的にいろんなことに耐えている現状で、将来がぱっと明るく見えるようないいニュースは1つもでてこない、そんな中で8ヶ月も暮らしていれば、少しずつどうにかなってくるのは当たり前といえば当たり前。 以前にあったシンポで、チェルノブイリの事故後、メンタル面の問題が多く出たことについて、その原因の1つに、果たされなかった政府の約束、と言うのがあげられていました。 地震、事故後すぐに、福島の将来についてのビジョンが検討されましたが、その実現はものすごく、ものすごく、前倒しにならないものかと思います。 もちろん、芸能人の慰問なんかもありがたいことです。 でも、福島に住んでいる人間にとって、福島に根付く何か明るいニュースが、今とても必要な気がするんです。 秋から冬へ向かう、この季節も関係してるかもしれません。
2011年10月11日
年間被曝量1ミリシーベルト以上の地域を除染の必要な地域とする案がでたことで、福島県を越えていろんな周辺地域が除染に関わってくるようです。 本当に政府のお金で適切に除染してもらえるなら、”放射線は合理的にできうる限り低く”の法則からすれば、歓迎すべきことです。 でも、前々から気になっているのは、高圧洗浄は別として、除いた場合はその土をどこに置くのか? 膨大な量になるはずです。 コンクリートで固めたって、チェルノブイリの施設のように、ほんの何十年もすれば、少しずつはヒビから漏れてくるはず。 ビニールシートならなおさら。 少なくとも数百年先まで隔離できるような技術の適用が考えられていることを願ってます。 唯でさえ日本は狭いのに、誰も住まない、誰にも影響を及ぼさない土地なんて、あるのでしょうか? 他県の方の、「発生元にもどして一括して置いてほしい」なんて意見も読みましたが、発生元って、福島県ってことでしょうか? 福島県だったらいいのでしょうか? 原発のあるところだって、今は遠く離れていても、故郷だと思っているかたがたがいるんです。 それに、今でも事故の収拾のために働いている方々がいるんです。 なんだか、自分の所さえよければっていう考え方が、悲しくなりました。 この頃、考えています。 「放射線は、合理的に達成できうる限り低く」 ということは、今の福島や周辺の状態を考えると、ちょっと神経質になりすぎていないかと。 「合理的に」の範囲を超えてヒステリックになってる感じがするんです。 放射線については、いろんな話を聞いたり読んだりして勉強しましたが(というよりせざるを得ない状態でしたし)、その上で、私は、そんなに今の状態が危ないとは、思えません。 ただ、この、必要以上のパニック状態がなかなかおさまらないのには当惑してます。 この現象をおこした責任のいったんは、確実にマスコミですが、それについてはまたいつか。
2011年10月03日
だったと想像しています、きっと。 3月の地震で、福島市でおそらく一番被害が大きかった土砂崩れの上に建っていた、下から見ると、今にも落ちてきそうだったおうちが、今、取り壊されています。 淡い色の可愛いおうちでした。 きっと建てるときには、間取りなんかもみんなで考えて、できあがる具合を毎週見に行ったかもね、家族は、若い夫婦と子供が何人かくらいで、お庭にはお花を植えたり、子供の自転車や遊び道具がおいてあったり、日曜にはパンを焼いたりしてたかも・・・なんて勝手に想像していました。 でも、地震で、家の一部を含んだ土地が崩れてしまったため、家は、ずっと傾いたままでした。 下から見ると、以来開きっぱなしの窓からは、レースのカーテンがいつも寂しげに揺れてました。 まるで夢だけ取り残されたように。 地震の時はどうやって避難したのかしら? あれだけ斜めになったら、きっとうちの中のものはすべて転げたに違いない、しかもつい今し方まではお隣があった所は崖っぷちになってしまって。 怖かっただろうなあ。 見ず知らずの方々ですが、つい考えてしまいます。 地震は一瞬にして、あの家族の(そしてもちろん多くの人の)生活や夢を、壊してしまいました。 あれ以来、崖崩れは割とすぐに工事でなおりましたが、そのおうちはもう半年以上も斜めになったままでした。 毎日その下を通ってたので、初めのうちは怖いなあと思うだけでしたが、今となっては、なんだか慣れ親しんだものがなくなるような切なさを感じています。
2011年08月30日
今の福島県の立場ととく。 その心は、 どちらも周りからさんざ言われて、結局収拾は自分でつけねばならぬ。 予想できていたことだけど。 だったら、自分(たち)で冷静に考える時間を持たせてほしかったよなあ。 (菅さんの辞任と、汚染廃棄物中間貯蔵施設を福島県でというニュースで) いいえ、そうなるだろうとは思っていたし、そうするしか方法はないと思います。 でも、事実以上に怖がらせるだけ怖がらせて、はいあとは、自分たちでお願いね、といわれて、わかりました、とはいえないのは当然です。 さんざん苦しんだ福島が、とうてい、一筋縄で受け入れることはできません。 菅さん、お疲れ様。 大地震に続く国で初めておこった大事故、誰もやったことがないものに対処するのに、誰であろうとも試行錯誤だらけのはず、ましてや期待通りこたえることなんてありえない、ただ冷静に足場になるだけ。
2011年08月13日
なんだか書けなくて、ずっとご無沙汰でした。 書く方も、読む方も。 ここに来る気力がでませんでした。 震災の後、人の命のはかなさをまざまざと見せつけられ、無理とは分かっていながらも、もうこれ以上誰も死なないでと思いました。 そんなことあり得ないのは承知だけど、いいじゃん、もう今いる人間と生まれてくる人間だけでずっと仲良く暮らそうよ、って。 だから、松田選手が亡くなったのを聞いたときは、口惜しかった。 なんで?それもそんな若くして。 個人的に応援していたわけでもないですけど、なんだか裏切られたような悔しさでした。 近頃、私の周りでも、訃報を聞くことがありました。 震災、原発事故、暑さ、いろんな事が起こって、何が原因か?おそらくすべてが重なったのが原因なのでしょうね。 どうか、一生懸命生きてる誰もが、無事でありますように。 そして、そんな生活の中で、つい殺伐とした気持ちになり、互いが傷つけたり、対立したり、そんな辛い思いをせずにすみますように。
2011年07月29日
伊良部さんが亡くなったんですねえ。 びっくりしました。残念です。 野球はほとんど見ませんけど、野茂さんや伊良部さんの、海外で活躍している姿は応援していました。 野球に限らず、男女に拘わらず、他人に惑わされない意志の強い人が好きなんです、あこがれるんです。 自分にはないものを求めてるのかも。 その人を見ていると、自分も少しそのエネルギーをもらったように感じで、よおしがんばるぞ!と思うんですよね。 それにできそうな気もしてくるから不思議。 ちょうど、ヤクザ映画を観た後、映画館からでてきた人たちが皆、肩をいからせていると言う、あの心理に似てるかも。 でも、強い心をもってるから、おれてしまったときの痛手も大きかったのかもしれません。 きっと最後の最後まで、踏ん張ろうとされてたんだろうな。 野球でなくても、人生を歩むという舞台でも、もっと頑張る姿を見せていて欲しかったですけど。 ご冥福をお祈りします。
2011年06月22日
なんとか復興のほうは動き出した?と思うんですが、東電さんは、なかなか落ちつかせてくれません。 原発事故を起こした当初、煙が出た、どこからか分からない、ほとんど何も対処できない、周りでは自主避難がはじまり異常に静かになったアパートや人通りのめっきり減った通り、どれだけこっちは休む間もない緊張や不安を味わったことか。 これが、映画だったら、2時間あればちゃんと片が付くんですけど、現実はそうはいかず、すでに3ヶ月です。 しかし、いまだに、故障とか、できないとか、対処に当たった作業員への安全対策も不備、そんなニュースばかりで、いったい、東電さんにできることは何?言ってご覧なさい!と訊きたいくらいです。 よくまあ、これだけ何もできないで、原発始めようと思ったものだと感心します。 そしてよくまあ、こんなノウハウしかない日本で、原発を促進させた政府があったものだとも。 その責任政府は、今はほぼ野党となって、自分たちに責任があったと認めたのは、ちょっと濁しながらでしたが、確か、小泉さん(父)くらいだったんじゃないかしら? それもいつの間にか、そおっと消えてしまいましたが。 きっとその辺は、これからも、うやむやのまますすんでいくんだろうなと思います。 そして、人々はその歯がゆい思いもやがて忘れる。 それが世の常、人の常。 もっとも、そういうときがはやく来るなら、間違いなく今はそちらを選びますが!
2011年06月05日
昨日の近藤選手のシュートが、あまりにすばらしくて、すべてのもやもやをずどーんとかっさらって、ゴールマウスに突きとばしてくれたような気持ちになれたので、まだ元気になれるんだと、嬉しくなりました。 実際、今福島に暮らすコンサのブロガーさんもブログに来られている方々も、他の多くのコンササポの方のブログを見ながら、ああ、自分もたしかに、3月11日まではあそこにた、はやくあそこに戻りたい、ともがいている最中だと思います。 コンサのことを考えているときは、普通にもどれた気持ちになって、でもまた現実に引き戻されて・・・その繰り返し。 空元気もやってればいつか本物の元気になると考えているのに、それをいつまで続ければいいのか分からない状態では、カラのままかもというどうしようもない悲しみに襲われることもあります。 何もないのに吐き気がしたり、早く家事が済んでいいわ、と浅い眠りの言い訳したり。 そういうのって、地震や事故直後より、今頃でてくるのかも。 ちょっと、疲れました。 ここでコメントを受け付ける気力も体力もなくなりましたので、コメントは受け付けない、に設定し直しました。 また元気いっぱいになったら、戻すかもしれませんが、当面は無理。 今、何も考えず、世間の波にまかせていれば、もう少しは気楽になれるかもしれません。 でも、それでもニュースや新聞(うちはもうとってないですけど)やネットをみるたび、放射線や原発に関連するものを目にしないことはないし、直接関わってくる福島に住んでいるものとしてそれを無視する事もできません。 否が応でも関わってくるというのが現実。 実際、そうやって、どちらかと言われれば、原発なんてイヤだわと私を含め多数の人が思っていたにも拘わらず、実際には放射線についての勉強(これは、ほんとうに事故前にしておくべきだった!)も、反対運動も、東電に安全対策をたしかめることも、何もしなかったツケが、今回の事故でもありますし。 お子さんの放射線の年間限界値が、20ミリから1ミリシーベルトに押さえる方向に変わりましたが、1ミリは、事故前からの日本での年間限界値です。(実際には今回の事故に関係なくそれを越え、自然からでる放射線量が福島市と同じくらいある地域は、県外の日本国内、海外にも、現在も過去にもあります。) 20の時には下げろ、1になると、どっちが本当だ?という風に、下げるように交渉した父兄の皆さんご自身が、とまどっているのは、一寸疑問です。 誰かにまかせるのでなく、自分たちでもっと勉強して、どちらにしたいのか、納得し、決めるべき事です。 やみくもに危ないといっていれば、大丈夫なわけではないです。 実際には危なくなかった時、ああよかったねで、すまされる訳でもありません。 そういわれたことで避難することになった人たち(いや、しない人でも)の生活、お金、精神的負担も関わってきます。 子供たち自身にもストレスがかかります。 そして、いったんそれが実行されれば、自分たちが決めたのだという覚悟をもつ。 分からないままでなく、各人が、それくらいの覚悟を決めなければならないときだと思います。 政治も放射線対策も、今は、誰か(あるいはどの団体)の主義や主張が通った、勝った!なんていう次元であってはなりません。 あらゆる人の知恵を出し合って、冷静に長い目でベストなものを探す時です。 それはきっと将来、地震大国日本や世界中の原発で、起こって欲しくはないけど同じような事が起こった時にも役立つはず。
2011年06月01日
福島市でも、校庭の土の入れ替えを行うことに決まったみたいです。 入れ替え前に水をまき、放射線が飛ばないようにして、特殊な機械で土を5cmくらい入れ替えるのだそうです。 取り除いた土は、遮水シートを敷いた穴に埋めて、その上に土をかぶせて。 この作業による、放射線の減りはかなりのものとテストで判明したそうですが、もちろん、汚染された土を取り除くわけですから、そのときは下がるはずです。 が、将来的には、新たに上にかぶせた土だって減っていくだろうし、遮水シートがあることで、かえって長く、放射線はそこにとどまることになりそうですし、その遮水シートだって、永久に持つわけではない事を考えると、はたしてこれで喜んでいいのかと疑問に思います。 その埋め立てされた場所に隣接した家の方だって、いやだろうなあ。 もしやるなら、シート無しで埋めた方が、雨がふるたび、流れていくので、ため込むよりいいと思うんですけど。 でもそれより、今の福島市のグラウンド以外のどこの土地でもそうなってるように、そのまま雨に降られていた方が、今くらいの値なら、ベストの対処法だと思うんです。 どうも、放射線の恐怖でパニクって、必要度の低いものも高いものもいっしょくたにやっているような気がします。 本当は、もっと金銭的にも時間的にも優先順位の高い、海辺の被災地がたくさんあるし、これくらい、もう少しの期間、我慢すればいいことなのに。 もう少し、冷静になろうよー、福島市! どちらにしろ、もうすぐ、こちらも梅雨に入るので、なんとかそれまで土の入れ替え作業が遅れることを願ってます。 やるにしても、もっと下がってからやった方が、ベターですから。
2011年05月12日
昨日のNHKの「クローズアップ現代」で、キャスターの国谷裕子さんが原発から20kmのところでレポートしている姿を見ました。 すごいなあ。さすがだなあと思いました。 別に、マスコミに危ないことをしろと言うわけではありませんし、それはまたとんでもない方向違い。 でも、やることに、度胸を据えて、大げさかもしれませんが命を賭けても正しい、と信じるものを伝えることが筋だと思います。 正面を見据える真摯で善良な態度。 いろんなものを受けとめ感じる感受性。 そして、こういう人がやってることや言葉こそ、受け取る側も、本物だと信じられるんですね。
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