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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年07月11日
いつも病院でお会いする患者さんに会わないと、何となく気になります。 前にお会いしたときに、いつもよりお加減が悪そうだったりすると、特に。 場所が場所だけに、来なくてすむものならその方がいいに決まってますけど。 前に書いた、地震から調子が悪いという患者さんも、あれ以来お会いしてないので、本当ならもう2度ほどお会いできてるはずなのに、お元気かなあと思っています。 なんだか、変な心配の仕方なんですけど。 明日は、本当ならまたお会いする日なんですが、来られるかしら? いや、これも変な期待ですね。 この頃、ストレスなんかで亡くなられるかたもでてこられてますが、避難所の炊き出しって、とてもありがたいことで文句を言っては罰が当たりますが、塩分無しのおにぎりとか、そういう工夫も大事かもしれないですね。 アメリカでステーキ屋さんにはいると、塩、コショウは食べる時に好きなだけかけて食べるようになってますが、炊き出しの料理も、そういう風に後から自分でできるといいかもと思ったりします。
2011年07月10日
最近のことつらつら。 福島の放射線量は、期待しているほどの雨はふらないとはいえ、雨と共に、少しずつ下がっているようです。 夕立のような激しい雨だと、短時間(10分くらい)でもちょっと下がるので、それがもう少し頑張って降り続けるか、日数が増えてくれれば、だいぶ下がるのではと思います。 頑張れ、福島の雨雲! 福島市の公園や学校の校庭の土は、ほぼ入れ替えが終わったようです。 これで放射線量はかなり下がって、報告では、10~20分の1以下になりました。 もっとも、子供たちはあまり気にしてなかったようで、うちの近くの中学では、入れ替えの時を除いて、その前も後も変わりなく課外活動に励んでいましたが、これで、親御さんも安心できたと思います。 取り除いた土は、漏れないようにシートをはって、多分校庭のどこかに埋めているはずですが、将来それをどうするのかは気になるところですけど。 人にもよると思いますが、見たところ、もう福島市民はほとんど、普通の生活です。 マスクをしている人も、見かけません。 (暑いですしね) 一時は、100均のレインコートを品薄にしたという雨も、以前通り、少々の雨なら、自転車も歩行者も濡れたまま行ってます。 ボラをやってて、いまだ、放射線について不安の残っている方も割といるのは感じますが、ぱにくるというのは、そうそう長く続くものではないようです。 何より、それでは身が持たないですから。 それよりも、私たちは、ここで暮らして行かねばなりません。 その代わり今は、確実な情報を求めています。 一時マスコミやネットで流れた(今でもあるのでしょうか?)、恐怖心をあおるような異常に”危ないよ””やってはいけないよ”情報、専門家であっても総合的に考慮されていない情報、パニックを連鎖させるような福島を無視した環境保護運動に惑わされることなく、科学的に冷静に理解しようとする動きが、少しずつでてきている感じです。 何もかもが怖く見える状態におかれても、人間、それが長いと、時間と共に冷静さを取り戻してくるものです。 これでやっと、ともすれば政治的意図や環境保護のために利用されて、いかにも福島はその犠牲になってもいいように(内部から見ると)あつかわれる情報に心をいためることなく、生活ができるようになります。 まだ、完全とは言えませんが。 それにしても、原発事故の前から思ってましたが、私たちって、かなりテレビや映画に影響を受けているんですね。 現実に大きな何かが起こったとき、それが、まあ映画のように1時間や2時間で収束するとまでは思ってなくても、誰かが責任とって、誰かを責めていれば、数ヶ月、長くても1年や2年くらいたてば収束するものだと、わりと楽観視しているところがあります。 そうでないことに気づいたとき、それを受け入れる事のできる入れ物を持ってないのは、大変な不幸です。辛い仕事になります。 本当は、それを受け入れることから、始まるんですよね。 受け入れることで、じゃあ何をすればいいのかが、見えてきます。 原発事故が起こったことは事実、放射線が降ったことも事実。 それをゼロにすることはできません。 つまりは、これまで通りに暮らすことが100%できるわけではありません。 でも、必要以上に収縮させることもない。 もともとどこに住んでいたって、ここは日当たり悪いけど広い、ここは一寸環境よくないけど予算には合うなどと、折り合いを付けることはしばしばで、100%の満足など、ないわけですし。 そこの見極めです。 原発が最終的に、何十年とかかって収まるというのは、原発事故の起こった当初も、チェルノブイリや他の事故を見ていても、分かっていたこと。 しかしもちろん、事故当初のような、福島から脱出したほうがいいのか?、というような緊急の事態がそれだけ長く続くという意味ではないということも分かっていたこと。 それなのに、いまでもマスコミで新たな事実のように報道されて、え~っ!と驚くのはもう疲れました。 そう応じればマスコミの気には入るでしょうが、こちとら暮らしています、生きています、福島で。 もうこれからは、少しずつではありましょうが、賢明な方向に暮らしていきたいところです。 ところで、この数日、少し大きめの余震があります。 先日も、アパートのエレベータが久々に止まり、6階まで汗を流しました。 これはきっと、私が、もう大丈夫だろうと、うちの食器を食器棚に戻したのを、地震のやつめが気づいたせいなんです。 お、戻しやがったな、よしよしそれなら脅してやろう、と。 地震は意地悪、忘れた頃にやってくる。
2011年06月24日
今日は時間があったのでボラに行きました。 来週は(富山戦参戦につき!)多分、ボラできないし。 病院の玄関のところでたっていると、治療が終わって帰られる1人の患者さんが、「今日は放射能あびちゃったあ」といいながら出て行かれました。 私は、「?」のち「!」 レントゲン検査のことだったんです。 分かって、思わずあはは、と笑っちゃいました。 う~ん、今の福島にいて、こいうブラックユーモアを(いやもちろんレントゲンとったのは事実なんでしょうが)さらっと言ってのけるなんて脱帽。 好きだわあ!こういう態度。 得てして暗くなりがちな世の中を、まんま暗く生きるなんて絶対やですもん。
2011年05月28日
今日は、時計屋さんに地震の時に落ちて動かなくなった置き時計を持っていきました。 ずっと、修理に持っていかないとと思ってはいたんですが、今時、いろんなところで時刻は確認できるし、いつも、ま、次でいいかと、なかなかわざわざたち寄る機会がなかったんです。 でも、おれたお人形の首を元に戻したり、曲がった紙細工をそっと反対側に曲げたり、割れた置物をボンドで付けたり、そんな風に、1つ1つのモノに「大変だったね」と話しながら元に戻していく作業は大切に思えるし、壊れた時計も、いつまでもこのままでは、今回の一連の出来事を終わらせられないような気がします。 それに、結婚のお祝いにもらったこの時計は、もう四半世紀も、時刻を知らせてくれていたんですから。 みてもらうと、修理では無理で、裏の機械をまるごと取り替えになるそうで、4000円也。 新しいのを買った方が安いかもですが、こういうところに贅沢するのも、いいよね、たまには。
2011年05月27日
西選手が代表に選出されたそうで! おめでとうございます! こういう嬉しいニュースは大歓迎! もちろん、本人にしてみれば並々ならぬ努力の結果でしょうが、コンサから、新潟、鹿島と、端から見るとトントン拍子に出世した印象です。 今野選手に続いての、コンサの出世頭、代表でも頑張って出番を獲得し活躍して欲しいですね。 ”頑張って”といえば、話変わって、福島でこの頃思うのは、そろそろ、次のスローガン掲げないかなということ。 震災後からずっと、どこを見ても「頑張ろう!福島」「頑張ろう!東北」の旗が揺らめいてますが、ちょっとあきてきました。 もうそろそろ、次の段階でいいんじゃないかなあ。 ちなみに「頑張って」という言葉は、頑張ってる人に対して、さらに頑張れとプレッシャーをかけることになると、控える風潮がありますけど、言う人の気持ちさえこもっていれば、それについてきた言葉なら素直に受け入れられると思いますし、私は全然抵抗ないです。 実際、頑張ってね、と励まされることを、嬉しいと感じてました。 こんな地震や原発なんかで負けてたまるかと言う思いでしたし。 上のスローガンの場合、「共に頑張ろう」と言う意味合いだから良さそうにも見えますけど、もう2ヶ月以上もあちこちで目にしているんですよー。 バーゲンの旗だって、オープニングセールだって、2ヶ月もやってれば、相手にされなくなります。 いい加減変えません? で、考えました。ちょっとゆるめのヤツ。 「一息つこうぜ、東北」「明日でもいいさ、福島」「笑う角に福島」 お店には、「寿司くいねえ、福島」「たらふく食おうぜ、福島」「甘いのがお好き?東北」なんて、個別に違ってると景気も良くなるかも? (なぜか、食べ物やさんばっかだ)
2011年05月20日
今日は、意を決して(たいそうな・・)、やっと書庫(単に本棚ばかりの部屋)の片付けを終えました。 先日、本をほとんど全部出して、本棚の裏を見ると、地震のヤロメがどう揺らしてうまいこと外したのか、2つの本棚の背版(計4カ所)が外れたのを確認しました。 なんとか元に戻らないかとやってみましたが無理すると割れそう、本棚を分解しない限り、またはめる事は難しく、そうすると、元通りに組み立てられそうにないことがわかったので、背版はあきらめてそのままにし、位置だけ元に戻してました。 そこに、今日は本を戻しました。 いかんせん、この本の多さ(って見えませんよね)ですから、本の高さを同じにしないと、全部はいりません。 さらに、旦那(断然多い!ぶつぶつ・・)と私の好みは全然違うので、一応分類して。 昨年末の引っ越しのときは、こんなことするのはもう当分ないつもりで、ちゃんと分類して収めたのに、地震のヤロメは、そんな人の労力なんてお構いなしに、ぽんぽん落としやがったので、再びやるという気力がなかなか出ませんでしたが、でも、やる! 今日は暑かったので、汗がぽろぽろ、負けそう・・でもやるったらやる! で、やっと終えました。 う~ん、きれいだ・・・としばし眺めて自己満足中です。
2011年05月16日
放射線について私が聞いた、長崎大の先生のお話は、地震後、福島市では複数のラジオ局で放送されたので、たくさんの方が聞かれたようで、今日、ボラを一緒にやってた仲間もその一人でした。 私は、その話で随分と安心できたし、彼女もそうだったと言ってましたが、今日、「ねえねえ、放射線大丈夫なの?」と、突然私に確認するので、「大丈夫だってば」と言いながら、どうしたんだろうと思ってると、別のボラ仲間から、実際は、発表より放射線量は高いんだと言われたのだそうです。 もちろん悪意ではないでしょうが、そのボラがどういう経緯でそういったのかは、もう今日の仕事のあとだったので分かりません。 もちろん、福島市の値として発表はされていても、場所によって高いところもそれより低いところもあり、ばらついてます。 ただ、その差でどうこう心配するようなものでないことは確かです。 多分、彼女も頭ではそう理解しているはず。 それなのに、そうやって、何気ない一言で、今までの確信が壊れてしまう。 多分、今、福島県人だったら、いろいろと根拠をあげて大丈夫と3回聞いても、ひとこと危ないと1回言われれば、そっちを信じてパニックになってしまう、そんなぎりぎりのところで耐えている方が多いのだと思います。 元になる原発自身がまだ収束したわけじゃないですし。 その状態を、外の、原発を、世論を、動かそうとしている方々が、どれくらい考えてくれているか? どうか、考えてください。
2011年05月14日
今週は、福島市では黄砂がすごい量です。 うちから外を見ると、遠くの山がかすみ、空は黄色がかってます。 まったく、いろんなものが降るよね、とボラ仲間と話していました。 彼女は鼻をぐしゅぐしゅさせて、総会の間中、ティッシュの箱を手元に置いていて、もしかして放射線?なんていうので、んなバカな~、放射線でくしゃみなんて聞いたことないよ、と笑いながら、もしかしてうちの旦那と同じで黄砂じゃないかなといってみました。 実は、うちの旦那も、近頃の大量の黄砂でぜんそくっぽくて、眠りが浅いみたいです。 でも、ほんとに花粉症?黄砂? これって、もしかして放射線のせいじゃ? と不安に思ってる人は、結構いるんじゃないかと思うんです。 特に、相手が見えない、よく分からないじゃ、疑心暗鬼になるのはもっともなこと。 週刊誌でも、”大丈夫”と言う記事より”危ない”という記事を載せた方が売れるらしいですし。 疑心暗鬼を吹き飛ばすには、事実を知るしかありません。 しかし、その事実も、いろんな目論見の壁に、どれが事実かわかりにくくなっているのも事実。(ややこしい・・) 今の福島は、一難去ってまた一難ってところでしょうか。 今度は間違いなく100%人災ですけど。
2011年05月13日
震災後、既にストレスなどで亡くなられた方が500人とか。 びっくりしました。 正直、何十人の単位も想像してませんでした。 せっかく大きな地震を生き延びたのに・・・。 ストレスのかかった生活では、持病の手当がいつものようには行かなかったり、悪化したりもあったのでしょう。 精神的に参って、病気に及んでしまったのかも。 でも、ああ、生きていて欲しかった。 なんとか、ケアして、一緒に生き延びましょうよ、ね。 私は病院のボラくらいしかできないけど、でも、そういう思いを伝えて行きたいです。
2011年05月11日
今日はボランティア総会、いつもは職員の方も出席されるんですが、こんな時だから、ボラとボラ担当の職員の方一名で、ボランティア室でひしめき合ってやりました。 ボラの時はだいたい同じ曜日の顔しか見ないので、地震以来初めてあった人もいました。 「どうだった?」がいまだ、最初の一言。 やっぱり、ボラの中でも、建て直しを必要としている人や壁がはがれてしまった人、避難していた人もいて、地震の大きさを改めて感じました。 会議の前、みんなで、たわいのないことをしゃべり、バカ言って笑い、原発事故の時みた自衛隊の巨大なヘリのことや、近頃のニュースなんかも話している中、一番元気のいいボラ仲間がふと、「福島は苦しんだよね」とつぶやいて、みんな返す言葉なく頷くということもありました。 でも、やっぱり、おしゃべりは楽しかった。 会議も、予定時間より延びて、普段、職員のかたがいる場ではあまり話せないような、ボラのあり方をいろいろ話し合えました。 会議の後、「何か、あったまったよね」「笑ったからかな」 この頃、笑うことがあまりなかったことに、偶然数人が一緒に気づいたときには、同じ経験を共有した仲間意識のような、新たなつながりのようなものができたように感じました。 な~んて! 年にそぐわず、あまりに話が青春ものすぎるわ~!
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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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