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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年05月10日
地震のちょっと前、嫌々ながら携帯を持つ羽目になったんですが、結果的には、地震の直後は固定電話は通じず、携帯だけが唯一の連絡手段だったので、持っていてとても助かりました。 でも、まだ携帯はなんか苦手。 特に、メールは、あの小さなキーを操作するのが苦手で、誰にもメルアドを言ってません。 (実際、地震の時にあのキーで旦那に電話しようとして、何度、隣を押してしまったことか!) したがって、どこからもこないはずなんです。 で、今日、洗濯物を干しているとき、突然、どこからか音がし始めました。 もう久しく聞いてなかった緊急地震速報の、あの、ぴらりんぴらりんという音にとてもよく似ていて、「わっ地震だ」と思わず身構えました。 しかし、ラジオから鳴ったと思ったのに、ラジオは普通に番組を続けています。 おかしいなー?じゃあ、音源はどこ? と見ると、机の上に置いていた携帯の画面が明るくなってて、メールが来たと告げていました。 メルアドを知ってるのはそれを設定してくれた旦那だけ。 でも、メールの見方も知らないので、旦那に電話すると、「あ、間違って押したかも。じゃあね」ですと。 なんだ、人騒がせな。 それにしても、あー、びっくりしたあ。
2011年05月09日
ツイッターなんかでは、まだ、これから福島市から市外(たぶん県外でしょうが)に避難する方もおられるようです。 私も同じ場所にすんでいるので、放射線については、長崎大の先生の講演に始まり、研究者の話やニュースなど、いろいろと注意してきたつもりです。 もちろん、いろんな情報を集めた上で、何を信じてどう理解し、対処するかは、各人の自由ですから、避難する、しないもその一つ、それぞれが納得して決めればいいことです。 ただ、その情報が、原発反対(や賛成、いればですが)に利用するために操作され、情報が曲げて伝えられるのは、決してあってはなりません。 それは、原発の反対の力にはなるかもしれません。 ただでさえ放射線は危ないという方向の情報は、受け入れられやすいですし。 でもこれは、今、放射線に苦しめられている我々の存在をあまりに無視したものです。 今、一押しされればパニックになるかもしれない気持ちを抑えながら、この場で働いて、暮らして、生きていることをまったく尊重してくれてないことになります。 たとえば、そうやって今から避難しようとしている家族は、ここでの生活も仕事も家も友達もあとにして、出て行くわけです。 これから1からやり直しかもしれません。 もしかしたら、今までここで重ねたキャリアを生かせず、そこでの生活は苦しいかも。 影響はたぶん、その方が関わっていた方にも多少とも及ぶでしょう。 でも、それが、必要以上に恐怖をあおった情報からきたものだったら、その家族の新しい場所での生活に慣れるまでのエネルギーや、お金や、いろんなものを誰が謝ってくれるんでしょう?保証してくれるんでしょう? ほしいのは、正しく解釈された正しい情報。 素人考えや中途半端な解釈ではありません。 そうでないと、そんな人や家族に大きな犠牲を強いることになることをわかってほしいと思います。
2011年05月06日
福島市はほとんどのところでは、ちょっと見たところ、依然と同じように建物が建ってますが、その実、建ってはいるけど、壁や瓦がはがれたところ、塀が崩れたところ、ビルの鉄筋がむきだしだったり、タイルがはがれる危険があって網が被さっているところ、「頭上危険」とコーンをおいているおうちもあります。 しかし徐々に、確実に、復旧作業も進んで、一番ひどい土砂崩れの場所も、傾いた家々はまだそのままですが、工事の方々のおかげで、道路はもうすっかり前の状態に戻りました。 沿岸の地域でも、きっと、津波さえなかったら、あれだけたくさんの犠牲者もでずに、被害だってこれくらいですんだんじゃないかなと思います。 それに加えて原発。 余震は、だんだん小さく(といっても、大きい余震もありましたが)少なくなりますが、原発が、だんだんひどくなるのには参りました。 地震のニュースをみていたはじめの頃、普通に外に出ている被災者の方々を見てよく、「えっ!?」と思ってました。 それから思い直して、あ、そうか、外に出られないのは原発のせいで、地震のせいじゃないんだから、福島だけか・・・。 そのころは、原発は目が離せない状態どころか、SF映画ならわくわくすること間違い無しのアップダウンの激しいニュースが毎日のように飛び込んできて、しかも「原因分からず」とか「どこからか煙が」というような分からないことづくめ、毎日テレビから目が離せない、一番、精神的に辛い時でもありました。 加えて、放射線についても、危ないという漠然とした、あるいは極端な報道ばかりで、理論で考えてこれはしてはいけないということばかり、どうすれば防げるか、影響を軽減できるかが大事なのに、ちっとも今直面している危機に役立つ事を言ってくれないのは、ストレスでした。 福島市は、原発から60kmほど離れていますが、地形や気候のせいか放射線量が割とあって、あのころは、越してきたばかりのアパートの、隣が、階下が、ばたばたしてるなと思うと、急に静かになるんです。 朝に夜に、アパートの前にトラックが横付けされ、荷物が運び出されていく・・・避難がはじまっていました。 もっともだと思います。 だって、ただ危ないだけ聞いて、危ない程度がどれくらいかなんて誰も言ってくれないんですから、自分の身は自分で守る以外すべがありません。 でも、だんだん静かになっていくアパートに住んでいるのって、何ともいえない、世界に一人だけ取り残されていくような不安感、焦燥感・・・。 こんなことが現実にあっていいものなのか、という理不尽な思いでした。 こんな経験、まずないし、もう絶対、あってはならないことです。 うちも避難を考えたことは考えました。 「早くおいで、部屋はあるから。ペットも連れておいで。アメリカ人は出国してるよ。どうなってるの?」と言う申し出も、私がいい返事をしないので、何度もいただきました。 うちが避難しなかった理由は、一応年相応に責任がある旦那の仕事が一番ですが、入手困難なガソリンと、3匹のネコもありました。 海外はともかく、どこか県外か会津にでも避難するとして、既にガソリンスタンドは長蛇の列でしたし、高速は不通、一般道路は混雑しているだろうし、どこまで行けるかもわかりません。 もし公共の交通機関にのれたとしても、ネコ3匹と一緒には無理です。 そんなとき、1つとても助かったのは、福島県がいち早く、長崎大の先生を県の健康リスクアドバイザーにしてくれたことでした。 これで、すくなくとも福島県では、情報が一元化できたのは、大きかったです。(福島県庁、GJ!) 避難しないのは既に決めてましたが、これで、しっかり、大丈夫だと腹をくくれました。 公共の交通機関がなんとか回復(それでも朝早く並ばないと行けなかったそうですが)したころ、旦那の職場でも、若い方々は避難されました。 そのころはもう、上の長崎大の先生の講演(自分の書いたのをリンクするのは気が引けますが、内容はここにあります)も福島市で行われていて、どれくらいのリスクなのか、正しく予防すれば大丈夫だと分かってはいましたが、それでもこれから先の長い若者は、被爆は少ない方がいいわけですしね。(それに仕事も、当面は片づけが主ですし) 放射線は花粉やゴミと同じように取り扱えばいいということで、私たち(そのころは同伴出勤)も、マスクをしての外出、帰ると、上着や鞄はコロコロできれいにし、手を洗い、頭からシャワーを浴びてました。 着ていた洋服は洗濯。 食べ物も同じです。 洗って食べる、もっとも、野菜や果物って普通あらってから食べますし、汚染されたものは規制を受けているので、問題ないわけですけど。 水は、今まで使っていた(交換時期がとっくに過ぎてますが・・)活性炭の浄水器で十分です。 まだ原発は100%収束なわけではないですけど、多分、これ以上、大気に大きな放射線量をもたらすような事はなさそうで、あとは地面に残る放射線が減ってくれるのを待っています。 (実際、雨の度、確実に落ちています) もう、今は、避難していたアパートの住人も徐々に、旦那の同僚も帰ってきて、今日から新年度も始まり、やがて新しく同僚になる方々も来られます。 これから一番気を付けないと行けないのは、放射線自体よりむしろ、ストレスかなと思います。 先の山下先生のお話では、チェルノブイリでは、甲状腺癌よりそちらの方が大きな問題だったとか。 ストレスによる肉体的、精神的な病気は、福島県をこれから長く苦しめるかもしれません。 放射線の怖いのは、甲状腺癌(子供)だけじゃありません。そういう風に包括的に健康管理をしないと、意味ありません。 だからこそ、できるだけ、あまりくよくよせず、明るく生活をしていくのが賢明になります。 まだ気を付けないと行けないのは、お子さん。 広報にもでてますが、特に外で土にまみれて遊んだ手をそのまま口に当てたりしそうな小さなお子さんは特に注意してあげないといけません。 大きなお子さんなら、マスク着用で帰宅後、手洗いやシャワーです。 洋服はしっかりコロコロか、洗えばOK。 あと、外出前のビタミンCも有効のようです。 おそれず、ちゃんと食べて飲んで(否、お酒)健康に過ごすことが第一です。 しかし、今回は、地震も、津波も、原発も、神様っているの?と思うほど、度を超していた事だけは事実です。 もう一度書きたい、もうこんなことは今回だけでたくさん!
2011年05月03日
いい加減、書いておかないと、私の記憶の賞味期限がもう間近なので!(いやもう来てるかも・・) 今回の地震では、まあよくものが落ちてくれました。 これだけ落ちると、かえって、ああもうどうにでもやってくれという気持ちになります。 落下物の主なものは、食器と本です。 食器棚は高さが2m近くある、上下二段を重ねたもので、手前底に滑り出し防止シートを置いていましたが、食器棚が移動し、ずれてしまいました。 手前に開くタイプの扉が開いて、飛び出した食器(特に高い場所に置いていた食器はほとんど落ちました。低い場所のものほど、奥のものほど、落ちていません)は、漆器と絨毯に落ちたもの以外はほとんど割れました。 扉は、一方を開けるときにはもう一方を抑えて置いた方がいいくらい強く閉まるんですが、それでもあの度重なる揺れにはかなわなかったようです。 やはり、扉の開きを防止するようなものも付けておくべきでした。 今は、開かないように布きれでくくっています。 本棚は7つ(も!!)あります。どれも高さは180~200cmくらいの組み立て本棚です。 居間(下は板張り)の本棚2つ(1つは1体化したもの、1つは上下2段重ね)は、4隅に置く耐震マットの上にのせてましたが、東西10cmと南北5cmくらい移動したため、片方の2つのマットからはずれてしまいました。 本は、2段重ねの方が3分の2くらい、1体化のものは半分くらい(上段はほとんど)落ちました。 2段重ねの方が、揺れが複雑になるのでしょうかね。 前に住んでいたところでは、本棚の背側の上部と柱を金具でとめていたんですが、それをやってれば、揺れはもう少し軽減されたかも。 今のはマンションだし、壁に穴を開けるのは大家さんに悪いなと思ってしてませんでした。 書庫(一応、こう呼んでるだけ)には本棚が5つあって、すべて上下2段のものです。 下はカーペットだったので、耐震マットは使えず、突っ張り棒を上に付けていましたが、すべてはずれて、やはり上段を中心に3分の2くらい落ちました。(床は本だらけ!) 本棚自身も、少し移動したり、壁の部分がはずれたりしましたが、突っ張り棒がなかったら、倒れていたかもしれません。 ほかに落下したのは、食料や瓶などを置いていた作りつけの棚(手前に2つ折れになって開く扉)が開いて、中の瓶が落ちて割れたり、1.8Lボトルやお酒の瓶も落ちました。 (お酒(洋酒)はどれも、割れなかったです。結構頑丈なんですね) 電話代(4つ足)は移動、背が高く(1m70ほど)4つ足で揺れ幅が大きいせいか、上に飾っていたものはすべて落下&割れものは割れ、一番下に置いていた結構重いレターケース2つも落ちてました。 台所では、冷蔵庫の扉が開きましたが、揺れてる最中~とりあえず~押さえていたためか、中の被害はなし。少し移動はしてました。 隣のガスオーブンの上にのせていた炊飯器やオーブントースターは落ちましたが、使えるくらいには大丈夫でした。オーブン台は移動。 (実際、家具で移動してないものは、後に書いているボックス2こだけ) シンク下の鍋やボウルを置いてる作りつけの棚は開いて、中のものはでてました。 台所は結構狭いので、いろんな細かなもの(粉類とか香辛料とか)ややかんの水も加わり、どう手を付けようか?と言う状態でした。 ただ、作りつけの頭上の棚は、扉の縁にパッキンみたいなのが貼ってあって、そのおかげか、開きもせず、中の食器も無事でした。 テレビは、37型のブラウン管(巨大!重い!)なんですが、テレビ台ごと倒れました。 おそらく、テレビとテレビ台の中のデッキ類が線でつながっていたため、上の重たいテレビがひっくり返った時、共倒れになったのではと思います。 テレビ台よりテレビがずっと重く、頭でっかちの状態だったのもあると思います。 一人や二人ではびくともしないので、しばらくはうつぶせに倒れたまま、テレビなしの生活でした。 (テレビの落下場所にはネコの寝床があったんですが、いなくて良かった!) ベランダへでる窓は鍵をかけてなかったので、左右とも開いて、真ん中に寄ってました。 (これもネコがパニクって出て行かなくて良かった!) ベランダも、タイヤやゴミ箱、植木鉢など散乱。 一応、落下防止は付けていましたが、地震後、あわてて物干し竿は下におろしました。 寝室は、なるべくものを置かないようにしていたので、上の棚から布団は落ちてましたが、他はなし。 すのこの上に置いた押入ダンスや衣装ケースも若干移動してましたが、風を通すためにふすまを開けていましたが、落ちはしませんでした。 コンピュータ用の机も移動、上に置いていた横付けの3段カラーボックスは移動して、中身はすべて外に出てました。 家具の中で動きもせず、倒れもしなかったのは、ビデオをいれていた文庫本用のカラーボックス(1m×50cm×18cmくらい)2つだけ、なんとビデオも1本も落ちずにそのままでした。 揺れと場所の関係もよかったんでしょうか? あるいはカラーボックスの縦横高さの釣り合いがとれていたのでしょうか。 というのも、同じ型のボックスで少し細身のは、壁を隔てた玄関で倒れてましたから。 鏡も割れにくいみたいです。 上に書いた玄関のカラーボックスの横にたてかけていた鏡(長さ1mちょっと)は、倒れて裏うちの木ははずれましたが、割れはしませんでした。居間に置いていた鏡(これも同じくらいの長さ)もです。 イスのそばに置く照明(高さ1m60cmくらい)も床に倒れたあと、本が次々上に落ちたはずですが、電球やシェード部分(=ガラス製)は無事でした。 長いカラーボックスを横に2段にしていたのも、動きも倒れはしませんでしたが、サイズが部屋の横幅ぴったりで前に絵を立てかけて置いていたのもあると思います。 前に絵をおいてないところの中身(DVD)はしっかりみんなとび出てました。 その上に飾っていた人形たちもすべて落下。 いい意味で意外だったのは、居間に置いていた扉付きの3段カラーボックス2つ。20cmくらい移動しましたが、扉が案外しっかりしていて開かず、中身は全部無事。 安いわりにしっかり者でした。 他の家具に比べて低いのも関係しているかも。 総じて、見た目や常識的に考えられることは、そのまま当てはまりそうです。 背の高い家具は背の低い家具より不安定とか、上下2段になった家具のほうが1段のより不安定とか、低いところ奥の方のものの方が落ちにくいとか、ビニールにくるんだもののような摩擦の少ないものの方が落ちやすいとか。 しかし、これで耐震対策を何もしてなかったらと思うと、ぞっとします。 やはり、日頃の対策には万全を期すべきだと思いました。 アパートの階が上になるほど、当然、揺れも激しく被害も大きかったみたいですが、かといって、近所の、かなり建物に被害があったアパートを見ると、下の階より上の階の方が、住む怖さは少なくてすみそうとも感じました。 以上、家具についてです。 読んで頂いてもし少しでもお役に立てれば嬉しいですが、うちに限ったこともあると思います。 その辺は、おくみ置きを! あ、あと、アパート内の建て付けは微妙にずれてます。 (部屋のドアがゆるい、クローゼットの扉がはずれたなど) もうひとつ、玄関には、なるべくものを置かない方が良さそうです。 うちは、玄関に靴箱をいれたカラーボックス、鏡、長靴、ほうき、お人形たちを置いていただけですが、それでも、自分の靴を探すのに、いろんなものを除ける手間がかかりました。
2011年04月29日
昨日は、水族館関係で知り合ったいわきの方に「どうですか?」と電話をしました。 福島には、アクアマリンという水族館があって、そこで創立当時から働いておられます。 (多分、アクアマリンという名前をご存じなくても、シーラカンスの調査ニュースを思い出される方はおありかも。その水族館です。) 水族館では、屋外施設や地下のものはすべて流され、一様でない地盤沈下のために、水槽に再び生き物をいれて大丈夫かも分かってなくて、おそらく再出発には建設当時と同じくらいのお金がかかるだろうと仰ってました。 そして、やはりお客さん商売ですから、原発も収まってくれないことにはやっていけません。 茨城や松島の水族館がすでに今月から営業を始めているのに対して、アクアマリンは、残念ながら、かなり見通しが悪そうです。 ご自宅のほうは幸い、海から離れた高台だったので無事でらしたのだそうですが、水が復旧したのが今月の7日、今はもう大丈夫だけど、ガソリンや支援物資も、やはり風評被害でなかなかこなかったそうです。 ポジティブに、いい経験をしましたと仰っていて、お互いがんばりましょうと電話を切りましたが、そのあとずんと落ち込んでしまいました。 地震や原発の事を話すのは、やっぱりまだ重たいですね。 もしかしてちょっと時間がたったから、重さに気づいてきたのかも。 でも、いつまでもこのままじゃいけません。 地震や原発なんかにゃ負けませんからね。 将来またこういう事があったときのためにも(ないに越したことはないですが!!)、自分のすばらしい(!)記憶力のためにも、せめて、何か、そろそろ地震と原発のこと、いろんなことを少しずつでも書いておきたいとは思ってます。
2011年04月26日
片づけようかなーと思い、主に本をおいた部屋をそっと開けて、入ってみました。 今は、だいたい居間でしか生活していないので、ほとんど入らずの部屋。 一応、散乱していた本は重ねましたが、まだ本棚にはもどしていません。 加えて他の部屋の落下物も当面の置き場所としているので、物置状態です。 本棚の突っ張り棒ははずれたまま、しかもそれでも本棚は動いたんですから、突っ張り棒がなかったらもっと悲惨な事になってたと思います。 ここを片づけるのには、まずは、組み立て本棚のはずれた部分を修理。 そのために、落ちてない本もすべて出して本棚を動かす・・・でもその前に、その本を置く場所の確保が必要か。 場所を作るには、いま床に置いてあるものを別の部屋に移動して。 それから、始めに戻って本棚の修理、本棚を元の位置に戻して、本をいれる。 それが本棚5つ分・・・う~ん・・・なるほどそうか・・・ まあ、じゃ、今日は手順は分かったし。 そーゆーことで! と、再びそっと戸を閉めたのでした。
2011年04月14日
福島も春が来て、桜があちこち咲いています。 もともと福島の春は、花見山をはじめとして、百花繚乱、里の秋ならず里の春という感じでとてもきれいなんです。 うちでも冬用の布団から暑くて手足を出すようになってきたので、今日は入れ替えをしました。 布団を乾燥機で乾かして、シーツは洗って。 ネコの爪のおかげで圧縮袋にならなくなったビニール袋にくるんでなおしました。 さあ、この布団がまた要るようになる頃、福島はどうなっているのでしょう? きっと、原発の作業は続いているだろうけど、もう問題は収まってるよね!
2011年04月08日
昨日の地震にはびっくりしました。 ほぼ1ヶ月たってあんなのがまたくるなんて。 前にも書きましたが、家具が半分、耐震マットから外れているので、倒れるかと思いました。 が、幸いにも、ネコの水飲みバケツ(もちろんもう満杯にはしていません)から水があふれたのと、旦那のマグカップがひっくり返って絨毯がぬれたくらい、床に置きっぱなしの本や食器は、もはや本棚や食器棚から落ちるはずもなく、ストレージ棚から食料がいくらか落ちましたが、割れ物はなし。 前回もそうでしたが、不思議とお酒の瓶は割れません。 結構丈夫に作られてるんですね。 地震が収まって一番に気になったのは、原発です。 やはり福島は今は一番これが気になります。 ニュースで知る限りは、福島も女川も一応OKなようで、ほっとしつつも、やはり注視し続けてます。 これだけはもうこれ以上問題を起こしてもらっては困ります。 今、福島やその周辺地域の人間にとって、放射能は非常にセンシティブな問題です。 事実を心配するだけでも十分すぎるのに、加えて周りからいろいろ取り上げられる風評被害~農業、漁業、援助の遅れ、間違ったあるいは根拠のない情報~からもストレスを受けねばなりません。 そういうのって、がんばらねばと言う気持ちをとてもくじくんですよね。 たとえば「~~みたいよ」みたいな話でさえ、マイナスのものであれば、伝言ゲームのように広がりそのうち真実になってしまいかねません。 もちろん子供にはそれなりの用心は必要ですが、長崎大学の先生のお話では、怖がるようなレベルではないということがわかっています。 なにより数値は下がってきています。 たぶん、雨が降ればさらに下がるはず。 私は今、ほとんど民放は見ていません。 アエラのような週刊誌まではいかなくとも興味本位が先に来る番組だったらいやだなと思うと、気が進まないんです。 もっぱらNHKか、内容があらかじめわかっているCS。 週刊誌のように興味本位でなくても、悪意もなくても、ネットでも、あっという間に話は広がっていきます。 たぶん、自分が話の始まりだということも認識しないまま。 そうやって、姿の見えないもののために、せっかく始まった復興が遅れる、地震より大きな敵かもしれません。
2011年04月06日
昨年の引っ越しの時に、業者さんが耐震マットとか、押し入れシートとか勧めるので、ついこちらも、そうかいるかもなあと思い、本棚にマット、押し入れにもシートを敷いてもらいました。 ちょっと(いやあとでホームセンターのものと比べるとかなり)お高いなあとは思ったんですけど、まだ荷物を入れる前にやった方が効率よく行きそうでしたし。 今回の地震では、その耐震マットが効いたのか、本棚は20cmほどずれて本も落ちはしましたけど、倒れはしませんでした。 もっとも、マットを引かなかった家具でも倒れなかったものはあるので、その辺は何ともいえません。 で、その本棚を元の耐震マット上に戻そうとするのですが、だめなんです。 びくとも動きません。 その耐震マット、上に本棚をのせると、だんだんその重さで沈んで固定されるというお話だったのですが、どうやら、地震の大きなエネルギーでその耐震マットもものともせず本棚がずれ、このずれた位置で4隅のうちの2つは本棚がずれて乗ったまま固定された模様。 困った。このままじゃ、元に戻せません。 また大きな地震があって倒れても困るし。(ないことを祈りますが!!) その業者さんにこうこうでと頼むと、移動に1万5千円也と見積もりが来て、思わずやめました。 そんなにするんなら自分で何とかするわ。 でもどうやって何とかする~?
2011年03月31日
震災以来、いろんな方に支えて頂いてるなと感じていますが、昔いたボストンの水族館の友人たちからもメールが来て、大丈夫か?避難しないの?水は?電気は?食べ物は?と心配してくれてます。 数日おきに様子を聞いてくれ、こちらが水が来た、野菜が来た、とメールすると、イエ~イ!と喜んでくれます。 中には、うちのアパートの上を提供するというありがたい申し出もあって、海外移住も問題なさそう。まあそういうことはないことを願ってますが。 でも、いつもは筆無精な連中なのに、と、ちょっと、いや、かなり嬉しい。 しかし、便利な世の中ですよね。 ボストンにいた頃だったら、ネットなかったですもん。 こういうときにおつきあい下さる人たちってありがたいです。 そして、こういうときだからこそ、こちらもきちんとした人間でいなきゃね、と思います。 あ、いや、できるだけ、ね。 ところで、昨日、思わずガソリンが並ばずに買えたと書いたんですが、今日はもう、たいていのところで並ばずに買えてるみたいです。 万歳! 時々、道路を通る「救援」の段幕をつけた自衛隊の車、○○運送という名前入りのトラック、タンクローリー・・・今はいろんなものが、復興のシンボルのように頼もしく見えて、きっと、戦後の日本でも、同じようにかんじていたんだろうなあなんて、思ったりします。 長さもつらさももっとずっとひどかったでしょうけどね。
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