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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年12月07日
今日は旦那の仕事で仙台に行ってました。(私はアッシー) 旦那が仕事中、仙台の町をうろうろしてたら、市役所の壁に 「ともに、前へ仙台」 というスローガンが掲げられているのが目にとまりました。 もちろん、震災からの復興のために。 (白状すると、ベガルタ仙台のスローガンかと思ってしまったんですが・・・サッカーの見過ぎだわ) う~ん、いい言葉! 福島も、何かいいの欲しいな! いつまでも「がんばろう福島」じゃねえ。 息切れしちゃいます。 もう、し始めてるかもね。
2011年11月09日
昨日、今日と、ボストン時代の旦那と共通の友人が仕事で福島に来ていて、ひとときを一緒に過ごしました。 前回来たときは、もう5~6年前だったと思いますが、会うと年くったなー(お互い!)とは思えど、すぐに昔のまんまに戻ってしまうのは、旧友の良いところです。 昨日は一緒に食事(伊達鶏の焼き鳥)をして、今日は仕事の後、希望によりJAへ。 この前来たときに、JAに連れて行って桃を勧めたのが、値段も安く甘かったとえらく気に入ってもらって、この時期は何がある?とお連れした次第。 やっぱり、私としては一番のお勧めは桃なんですが、今の時期はさすがにもうなくて、梨、洋なし、リンゴ、ブドウ、イチジク、柿なんかなんですよね。 ということで、リンゴと梨を”お買いあげ”。 うちは農家じゃないですけど、放射線のことなんかまったく気にせず買っていってくださる、というのは、今の福島にとって、ほんとに嬉しく、ありがたいことです。(気持ちの中で頭を下げる) (ちなみに彼は放射線を使った研究が仕事なので、今の福島の現状がどれくらいか、良く分かってくれてます。) さらに、自分用にと、ブドウとか野菜類もお買いあげ。 私が勧めたこんにゃくも。 (福島JAのこんにゃくは歯ごたえがあっておいしいんですー!) そのそばの手打ちのおいしいおそばやさんでお昼をとって、新幹線までお見送りしました。 あー、とっても楽しかった! 人の気持ちが身にしみる、晩秋の福島の一日でした。 (おっ、うまいことまとまった・・かな・・・)
2011年10月09日
昨日は、一日旦那の仕事で仙台だったので、放送のない天皇杯の結果は、夜にうちに帰るころに知りました。 負けたけど、若者たちが随分頑張ったということ、ベストメンバーの水戸相手に試合内容もよかったそうで、ほっとしました。 今、うまく波に乗れそうなコンサですから、後に残るような負け方はあまりしたくないですもんね。 でも、見たかったなあ! まだ顔も見分けることができないU-18の活躍。 仙台からの帰り道、国道4号線からちょっとはずれて海の方へ行ってみました。 もう真っ暗だったので、所々ついている街頭の明かりの他は、シルエットくらいしかみえないんですが、それでも、津波で荒らされた風景がわかりました。 もともと田圃や畑らしい土地は、沼地のよう。 場所によってはほとんどの家で人の気配がせずに真っ暗で、海岸線に映えた松の木らしい木々は、津波で洗われてすぼんで見えました。 一階部分が鉄骨だけの建物、突然田圃の中に漁船、寄り添うようにひしゃげた車・・・。 こんな所まで津波が来るなんて、もしここに住んであの地震に遭ったとしても、私は避難なんてまさか、と考えもしなかっただろうなあ。 これ以上ないほど、なんとも寂しい町の風景でした。 来たことを後悔しそうでしたが、でも、やっぱり東北に住むものとしては、この風景を目に焼き付けて置かねばならないと思いました。 (といっても、昼間のようにはみえてないんですけど、それでもいたたまれない思いでした。) 案の定、昨夜は地震の夢。
2011年09月08日
掃除機の消耗品(旦那がぜんそくでちょっといいやつ買ったため、普通お店においてない)が必要になったので、先ほど、ネットで近所の電気店を探して問い合わせていました。 その中の店舗の1つでびっくりしたんですが、7月に、「近隣で不発弾処理のため」として営業時間が変わっていたのを見つけました。 え?不発弾?! そ、そんなの知らんかったぞ! ニュースで言ってたっけ? お店はうちからそう遠くない、国道沿いです。 交通止めもなかったし、何の騒ぎもなかったし。 そういえば、先日、地震と原発事故の直後に、福島に旅行から戻ってきた人に、福島県に入るときに検問があったのよ(これ、ご存じでした?)と聞いてびっくりしたことがありました。 そうか、あのころは、福島県人は、知らなかったけど囲いの中に閉じ込められて暮らしていたのか、と民主主義の世の中ではなかなか出会わない事実にショック。 でも思うに、たぶん、福島はそれどころじゃなかったんだ。 世の中、知らない方がよかったってことも結構あるもんですねえ。
2011年09月07日
昨日は、生まれてこの方、初めてラジオ局に行って来ました。 その昔、ラジオがはやっていた頃は、公開中継を外で見た(聞いた)りはしましたが、今回のは、リクエストするためでも、人気パーソナリティを眺めるためでもなく、放射線のお話についての放送を録音するため。 もちろん、私が録音するわけでも、話すわけでもありませんけど、こういう機会があるなら、話も聞きたいし、ついでにラジオ局っていうのがどういうものか見もしたいし、というまあ、かなりミーハーな理由です。 1ヶ月ほど前に福島で放射線についてのシンポジウムがあったんですが、その時、どうしても話が聞きたくて、ボランティアとして参加させてもらい、今回のは、その関係で、おじゃまできました。 入ってすぐに、ガラス張りの放送室があり、何か放送をやってました。 その横の受付で名前を告げて案内され、録音する部屋に。 ここにもガラス張りの部屋と、その前に、バー(多分音声の調整ですよね)のたくさんある機械やモニター、スピーカーがおいてありました。 私はその後ろで、流れてくるお話を聞いてました。 スタッフは、この機械の所に一人と、お話の聴き手の二人だけです。 こんな少人数でできるものなんですねえ。 でも、スタッフの方はさすが。 話がこんがらがっていろいろと言い直したり、間違ったりした箇所なんかはすかさず、「今のは修正しにくいので、もう一度やりましょう」と。 でもかつ、内容もちゃんときかれてるですよね。 ここはわかりにくいでしょうか?と聞かれると、これこれと言うことですから、いいんじゃないでしょうか、みたいに、的確に判断されてます。 話の方は、聞く度、勉強になります。 もっとも、専門家の先生が長年研究されてこられた事の一部を聞くんですから、一度っきり聞いたくらいですべてが分かるはず有りませんよね。 あ、あと、私が、聞いたことはすべて右の耳から左へすーっと、という特殊能力の持ち主だと言うことも大いに関係していますが・・・。 一番ああそうだなと感じたのは、最後の、今はそれぞれの人が物差しを持って、これまでの、そしてこれからも飛び交うであろう情報について自分で判断を下すことです、という言葉でした。 そうなんですよね。 どんなリスクについても、これは避けよう、これは大丈夫だろうと自分で判断しているんです。 放射線だって、そうすべき時期になったんですよね。
2011年08月25日
私が使ってるメール箱は、パスリストに載せていても迷惑メールにはじいてしまうことがあって、さらに毎日迷惑メールとしてはじかれる数は膨大でチェックしていてもいい加減くたびれてしまうため、時々、ええっ!と思うようなメールを見逃していることがあります。 先日の地震でボストンの友人たちにメールした返事で、在住時におなじ研究室にいた人(といってもだいぶ身分は上の人ですが)が亡くなっていたことを知りました。 「メール出したよね?」という内容でしたが、どうもこれもはじかれてしまってたようで・・・。 ボストンの水族館では、ほんとにいろんな人によくしてもらいました。 いくら感謝してもしきれないくらい。 彼もそんな一人。 お酒が大好きできさくで陽気、研究室で開いたクリスマスパーティーにはお手製のエッグノックをもってきてすすめてくれたり、水族館ガイドの勉強中、分からないことをおそわったり。 家の屋根から落ちて、松葉杖で来たこともあったなあ。 そんなときでも笑ってました。 地震後、彼の消息を教えてくれた友人は、かなり深刻な糖尿病を患ってるといってましたが、こんなに急に訃報を聞くとは思っても見ませんでした。 まだ若いのに。 アメリカにいた頃、もちろんイヤなことも経験しましたが、そんなことほとんど無に思えるくらい、私はいつも善良な友人や知人に囲まれてました。 どんなときも気持ちを明るくポジティブに生きていく強さを教えてくれたと思います。 いま思うととても幸せなことでした。 絶対に忘れません。
2011年08月25日
先日、アメリカ東部で地震があって、昔そういえば、モントリオールに住んでいた頃、外をトラックが走ったかな?というくらいの地震(うちのネコは何も気にせず眠ったままでした)で、その後数日間は大騒ぎだったのを思い出して、日本のように耐震性のある建物でもないだろうし、地震になれてない彼の地ではさぞや、と友人たちにメールしました。 しかし、そんなに心配するほどでもなかったようで。 地震に気づいたのは、2時間後だった(たぶんニュースか、誰かから聞いたか)という返事とか。 それより、週末に仕事をかねてバカンスにたつフランス行きのときに来そうなハリケーンが心配だとか。 高い建物にいたら気づいたかもとか。 そうかそうか、ボストンじゃたいしたことなかったのね。 「大きな地震のあとは余震が続くかもよ」というのは要らぬ脅しになっちゃいました。 でもよかった。
2011年08月19日
今日午後の地震は久々に大きかったので、今現在もうちのアパートのエレベータがとまってます。 まさか、土曜、日曜、動かしにきてくれないなんてことないよね・・・ちょっと不安。 本当は明日する予定だった買出しを今日してきたので、そっちはラッキーだったんですが、実はうちの旦那がちょっと調子悪くて、今日は仕事を休んだんですが、明日あさってはたぶん仕事。 それに病院にも連れて行かねばいけないので、階段で大丈夫か?(たぶん大丈夫でない。) 震度って当たり前ですけど、同じ震度が公表されてても、場所、場所によってきっと若干違ってますね。 考えればそこに境界線があるわけじゃないので当たり前ですけど。 今日のは福島市は震度4でしたが、前(たしか2週間くらい前)の4とは違ってました。 前は電話台のゆるい引き出しが危なかったんですが、今回は電話台が危なかった。 この前はなんともなかった猫の水のみバケツの水もこぼれました。 もう高いところには壊れ物はほとんどおいてないので、落ちたのはぬいぐるみくらいでしたが、たぶん限りなく震度5弱に近かったんだと思います。 今日は4つくらい隣の部屋に新たな住人が引っ越してきたみたいです。 宅配の受け取りにドアを開けたとき(=地震後)、引越しの最中なのがみえたんですが、あら?・・・地震のあと、エレベータが止まってしまったのに、どうやって後の荷物を持ってあがったんだろう?と後で気づきました。 残りの荷物は後日になったのでしょうかね? そういえば、地震のあと、かなり長い間、ごろごろごろごろ何かを引きずるような重い戸をあけているような音がやまず、地震の直後だし、何だろう?とちょっと気持ち悪かったんですが、あれはもしかして、引越しの荷物の音だった?と、これも後で気づきました。 もしかして、せっかく部屋に積み上げた箱が、落ちちゃったのかも? そうだったら、後片付け大変だったろうなあ。 幸い、作業員の方がまだいたので、きっと自分たちだけで片付けなんてことにはならなかったでしょうけど。
2011年07月27日
今週末、福島市は市議会議員の選挙です。 すでに投票のはがきは来て、あとは選挙公報を待つのみ。 で、待ってたんですが、ふと思い出しました。 そういえば、選挙公報って、新聞に折り込まれてきてたよなあ。 うちは地震以降新聞を取ってないので、来ない? もしかしてもうでてるのかしら?と思い、市役所に電話してみましたら、「今日でました」とのこと。 でもやはり、新聞を取っている家庭にしか配布されないようです。 んなばかな! ちゃんと税金払ってるのに、私的企業の発行する新聞を取ってる所にだけ公報を配達するなんて、一寸おかしいです。 市政便りのように、どこの家庭にも配布されるんじゃないんですねえ。 コンビニや公民館のような人が多く来るところにもありますと言うことだったので、早速近くのコンビニに行きましたが、ありませんでした。 いつも誰に投票するかは選挙公報を読んで決めているんですが、いきなり投票所で公報を読んで30人はいようかという候補者から誰がいいか選ぶ事なんてことはちょっと無理、くじ引きでもしない限り。 明日も公報探してみるつもりですが、もうちょっと親切でもよさそうなものなのになあ。
2011年07月26日
近頃は、シリコン製の調理器具やラップ、お弁当の仕切りなんか、色々と出回っていて、便利なのかな、使ってみようかな、と思うんですが、いざ、買ってみる?と思って見てみると、色がですねえ・・・。 オレンジや黄緑や黄色や、派手な色が多いですよね。 黄緑のシリコンにお弁当のおかず詰めたりしても、あまりおいしそうにみえないんじゃないかなと思っちゃいます。 使うかたによっては、そういう色の方がいい事もあるのでしょうが、もう少し、地味な、あまりそれ自体が主張しない色のものもつくってもらえると、使い勝手がよさそうなんですけどねえ。 でも、ああいう色しか見ない所を見ると、シリコン製品って、地味な色はできないのでしょうかね。
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