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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2008年08月01日
今日の夕方の福島のローカルニュースで、東北社会人リーグの福島ユナイテッドが地域の貢献活動として、花壇の草取りをしている光景が映りました。 福島ユナイテッドは、今、ダントツの強さで社会人リーグ2部を1位でリードしていますが、チームを背負って立っている1人が、元コンサの桑原選手です。(チーム得点王の1人で、リーグ得点争い2位) 今日の奉仕活動は、福島にサッカーチームがあることを知って欲しい(もち、知ってるよー!)、サッカー以外でも役に立ちたいという思いを込めて行われたそうです。 桑原選手はじめ、選手の皆さん、お疲れさま~!
2008年06月24日
「五輪代表選手は高圧酸素カプセルの使用自粛を=JOC」 この記事によると、 オリンピックの期間中は、選手に、高圧酸素カプセルの仕様を自粛するよう求めるみたいですね。 でも”使用を控える”というのがいまいちぴんと来ません。 「協議する」とも言ってますし、はっきり”禁止”とはまた違うんでしょうね。 だめならだめ、OKならOKと早く態度を決めてもらったほうが、選手のみなさんも混乱しなくてすみそうですけど。 その決断は、今後、きっとJリーグにも影響しますし。 曖昧な態度が続くのが一番困りそう。
2008年06月08日
この頃の犯罪は、「誰でも良かった、人を殺したかった、大きな事をしたかった」というものが多いけれど、それを聞くたび、この人には、道を歩いている人々が、この世知辛い世の中で、懸命に日々の生活を営んでいる一人一人なのだとは気づかなかったのだろうかと、情けなくなります。 世の中の殆どの人が、大小の悩みを抱えながらも、一生懸命生きている、それが当たり前だし、だから人間は他の人間を恋しく想い、切なく感じ、大切にしようとし、感動するのだと思います。 すべての人が、大きな事を成し遂げ、後世に名を残すことができるわけではないけれど、すべての人には、苦しんだときもあり、ちょっとだけ楽しい事もあり、幸せだと感じることも、逆に世の中で一番不幸だと感じることもあります。 きっと宇宙を支配する創造主から見れば、アリンコみたいなうじゃうじゃした集団が、こんな風に、ああでもないこうでもないと喜んだり悲しんだりして生活しているのは、神様の大きな足が「これでおしまい」と一歩踏みしめれば、すべて終わりになるような小さなことなのですけど、それを一生懸命やっている人間って、きっと、愛おしい生き物です。 誰にでも、ああ面白くないと、何もかも否定したいような気持ちになることがあります。 それでも、否定したい気持ちを心の奥にしまって、毎日生きています。 人間はきれいな生き物じゃない。 でも、人間らしく生きる素敵な生き物です。 と、思うんですよね。
2008年03月16日
「(サンテグジュペリを)撃ったのはわたしだ」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080316-00000001-yom-soci とは、88才の(元?)ジャーナリストの、自分が銃撃した飛行機の操縦者が、幼い頃から親しんできた「星の王子さま」の作者・サンテグジュペリだった、そうでなかったらよかったのにと、60年以上も苦しんできた、深く、聞いているこちらにさえ重たい吐露です。 時は第二次世界大戦、誰もが人間性を失いそうな時代に、彼がサンテグジュペリの乗った飛行機を撃ったのは悲劇でした。 戦争とはいえ、犯した罪へのおののきは拭えないでしょうが、逆らえない大きな力のせいだったともいえます。 戦争さえなかったら、彼は88才まで誰にも言えずに苦しむこともなかったし、サンテグジュペリももっと多くのお話で世界を暖かく包んでくれていたかも知れません。 もう20年も前、「プラトーン」というベトナム戦争の映画を、モントリオール在住時にみました。 終わると、観客がスタンディングオベーションで拍手。 私には、戦争で苦しい目に遭っているベトナムの現地民の悲しいストーリーにしか映らなかったのですが、どうやら、カナダの観客の目は、英雄的な兵士の方へ行ったようで(多分作品の意向も)、これに猛烈な反感をおぼえて、一人(正確には旦那と二人)座って拍手もせずじっとスクリーンをにらんでいたのを覚えています。 戦争に正義はないと、この頃の、兵士を見ていても思います。 それを正義だと信じ込ませ、人間としての目と心を狂わせる尋常でない戦争。 そうでもしないと、人間、もともと人を殺して、平気でいられるわけがありません。 そんな不自然なことをやらせているのが戦争ですから、人の心にゆがみが出来るのは当然です。 戦った人(国)にも、被害を受けた人(国)にも、世界中に、もうイヤと言うほど犠牲者がいるはずなのに。 いい加減、私たちは学習しなければ行けないはず・・・。 余談ですが、時効があるべきだとすると、今回のような方の為にあるのでしょうね。 自分の犯した罪に苦しみ、それを認め、誰もが、もう十分だ、これだけ苦しんだのだから、あれは、しょうがないことだったのだと、納得できる事件のためにだけに。 決して、失われた命や心と引き替えに、真犯人がふてぶてしく生きながらえるためにあるのじゃないですよね。
2008年01月09日
アメリカの大統領選の候補者選びが真っ盛りで、日本でもニュースでよく目(耳)にします。 前回のアイオワの選挙の時、画面から見える、若くて力のあるオバマさんの話し方は、見ていると引き込まれそうで、それに比べてヒラリーさんのほうは、少しありきたりで、何となく、上から見ているようなツンとした物が感じられました。 でも、その選挙で敗北し、弱気になったヒラリーさんは、優越感のような物が感じられなくなって、お涙頂戴は決して好きでないはずのアメリカ人にも好意的に受けいられたようで、今回は僅差で勝利。 まだまだ、どちらになるのか分からない、多分、アメリカ合衆国全体が、断然こっち!という風には決めきれない状態なんでしょうね。 そう言えば、アメリカにいた頃、ちょうど選挙があって、「投票場所はどこだっけ?」と一緒に働いていた人に聞かれたことがあります。 「えっ?私アメリカ人じゃないよ」と、こちらの方がびっくり。 日本じゃ、どう見ても外国から来たように見える人に、選挙権があるとは、ふつう思わないですもんね。 さすが人種のるつぼ、アメリカだ、と変に感心したりしました。 そういう多種多様な人間を受け入れることの出来ていたアメリカが、近頃だんだんと守りに入ってきているように見えるためか、私は、オバマさんのほうが何か変えてくれそうでいいなと感じるのですが、まあそれこそ選挙権のない、太平洋の反対側からの要らぬお世話ですね。 それにしても、どこを向いても次期大統領の話ばかりで、ブッシュさんがまだアメリカの大統領だってこと、なんかうっかり忘れてしまいそうです。
2007年12月18日
佐世保の事件の容疑者は、「人間は大きなことが出来る」と言ったそうですが、国内外で起こる銃の乱射や人を巻き込んだ事件を見ると、私はいつも腹が立ちます。 自分の死を覚悟して大きなことしたいなら、思いっきりいいことしたらどうなんだい! 我が身を省みず人を助ける、重い感染症の患者さんのお世話を昼夜問わずにし続ける、難病の解明に身を捧げる、文字通り”身を粉にして”喰うや喰わずで困っている人のために働く・・・命を惜しまないなら、どんないいことだって出来ます。 そんな風にしている最中に命を落とせば、誰もが、その人を惜しむでしょう。 だれもが感謝する。 ああ、あんないい人が亡くなってしまうなんてと、涙する。 その人は、多くの人に愛されながら、自分の意志を遂げることも出来るのです。 どうせなら、新聞にもマスコミにも取り上げられるような、でっかいいいことをして名前を残しましょう! そんな風に、考えにもっていけば、世の中、どんなにか明るくなるでしょうに!
2007年11月13日
タンカー事故で黒海の辺りは、環境被害が大変だそうですが、いつもタンカー事故を見て思うこと、ああ、なんてもったいない!! ただでさえ限りの見えてきた石油が、あんなふうに何にも利用されずに、逆に、環境や動物たちを困らせるためにだけ使われるなんて! タンカーの事故って、もっと防げないものなのでしょうか? 例えば、船の航海では、海の気象をチェックすることが必須だと思いますけど、時化そうだとか、天候が悪化しそうだとか、そう言うことに、他の船よりもより慎重になって、早めに最寄りの港に寄港するとか、あるいは、他の船舶よりもっと広い範囲の気象をチェックしながら航行するとか、近隣の海域の船舶と連絡網をみつに作るとか、もっと二重三重に慎重になれば、事故もいくらかは防げるんじゃないかなと、素人考えでは思ってしまいます。 1人1人が資源を大切にする事も大切ですが、あのタンカー1隻がひっくり返ることの損害って、そんなちまちました資源保護の努力をひっくり返してもあり余るほどのものの様な気がするんですよねー。
2007年11月09日
ちょっと用事があって仙台へ行っていました。 仙台は今週末は東京との大一番ですから、さぞや、商店街なんかも「J1昇格」に向けての応援旗なんか立ってるんじゃないかしらと、思ったんですが、さにあらず、ずっと前に飾ったと思われる「がんばれベガルタ仙台 ○○商店街はベガルタ仙台を応援しています」という旗だけが、寂しげに揺れていました。 仙台も、楽天イーグルスが来てから、野球のほうに興味がいっちゃったのかなあと、人ごとながら、でも、自分ちのことのようでもあり、なんとなく寂しい気持ちでした。
2007年10月17日
先ほど、亀田さんちの謝罪会見を見ました。 私はボクシングには全く関心ありませんが、ニュースを見ていて目に入って来たので。 謝罪会見を見ていてよく感じるのは、自分に何の損害も及ぼしていない人に、テレビの前とはいえ、こちらを向いて謝られる、なんとも居心地が悪い思いです。 謝っている人も、きっと、そうなんじゃないかなあ。 今日の場合なら、多分あの試合を楽しみにしていたファンの皆さんや関係者に謝りたいと思っているはず。 でも、ああいうところで謝るというのは、マスコミに謝っているような錯覚に陥りそうです。 で、マスコミのほうも、ついつい、自分たちに謝ってもらってる気持ちになるんじゃないかしら。 もちろん、視聴者にもマスコミにも、彼らに期待していた方々もおられるでしょうけど、なんか恐いのは、そう言う錯覚から、関係ない人まで、変な特権意識を持つことじゃないでしょうか。 この人は叩いてもいいんだ、みたいな。 そいういう世の中って、住みづらそうですよねえ。
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