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コンサの応援は、岡田監督のころから。 はじめは頂き物のSS席で。 すぐに、選手とサポと皆が一体になる楽しさにはまりました。 コンササポの温かさに惹かれて、次第にS席からSBへ、そしてゴール裏へと移動。 ついでに、すみかまで移動してしまったので、アウェー中心となった今は、少ない人数で団結する楽しさを味わっています。 困るのは、旦那もサポなので、グッズを買うのも、遠征するのも、コンサに関しては誰も止めてくれる者がいないこと。 札幌にもなんとか年数回里帰りして、ホームの雰囲気をうれしがってます。
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2011年04月12日
福島原発事故の評価がレベル5から7にひきあげられたそうです。 正直、起こった過去についての評価など今、福島県人にとってなんの意味もありません。(福島産品にとっても、どっちも変わりないでしょう。) それより、リンゴの1個も食べた方がよほど腹の足しになってありがたい。 しかし興味深いのは、今日発売の週間誌にも取り上げられたらしいですが、こんな気象庁の論文が同時に見つかっていることです。 これ(図1)によると、核実験を堂々と大気中で行っていた50年代~60年代、日本の青い空の下では、現代の1000倍のセシウムとストロンチウムが漂っていたんだそうです。 考えてみれば、測量するまでもなく当たり前ですよね。 原発の爆発を大気中で何度もやってたようなものですから。 でもこれを見るとなんか、今のレベルで、原発で野菜が汚染された、何マイクロシーベルトだ退避しなきゃ、どこかではミネラルウォーターが売り切れた(ちなみに福島の先日行ったホームセンターには普段どおり、たんとありました)とあくせくしているのがおかしくなってきます。 あのころ、放射能の入った雨が降ると言われつつも、私たちは、別に何を予防するでもなく、外で思う存分どろんこになって遊び、スポーツに汗を流し、畑仕事をし、今ほど車社会でなかった当時はもっと外気に当たっていました。 自然はいまよりたくさん残っていたけど、本当は今の汚染の激しい福島の地域よりも10倍も放射能をかぶった自然だったなんて、笑い話にもなりません。 さらにそれだけ無防備だったにも拘わらず、今にいたっても、その影響が世界的に目に見えて出てきているとは思えない、そこの所が、希望のもてるところです。 放射能は分からない、怖い、目に見えないというさらに不安に陥れるようなことよりも、もっと現実に目を向けて、今生きている人間のために何をすべきか、どれくらい心配すべきものなのか、いろんなデータを探して、知識を集約して、可能性を考えて、分からないなりに現実に即したアドバイスが必要とされています。 この論文と今とを比較すると、要するに、現実的には、今回はそんなに心配することではないのかもしれません。 長崎大の先生は、原発事故直後から、これは私が行かねばという使命感で福島に来られ、その後、私たちと同じものを食べ、同じ福島の空気を吸って、各地で講演をしてくださいました。時に気が立った県民から罵声まで浴びせられながら。普通、逆の立場で考えれば、誰がそんなところに、すすんで行くでしょうか。 その先生が、最後に仰った、放射能はくよくよしている人の方に来ますよ、という言葉は、聴衆の笑いを呼びましたが、きっと、それは励ましと言うより本当のことで、先生もチェルノブイリの研究や、上のようなデータがあることに基づいて仰ったのだと思います。 しかし、許せないことが1つ。 どうも、この気象庁の話は、始めに世に出そうとしたとき、原発反対のために好ましくないデータということで、どこかの女性党首によってもみ消されたとか。 もっとはやく世に紹介されていれば、福島県民の不安もどれだけ解消されていたことか! そんなこと、みじんも心によぎらなかったのでしょうか? 自党の有利な展開のためにもみ消すようなレベルじゃないと思うんですけど。 怒りを通り越して、なんかもう、脱力してしまいました。 ほんとうにくだらない。こんな大事の時でもそのレベルなのかと。 ただ、放射能を過度におそれる必要はなさそうでも、やはりリスクを減らすと言う意味で、予防は必要です。 降っている放射能はもうほとんどないと思われますが、長くまともな雨が降っていない地面には残っています。 子供はマスクを付けて、屋外の遊びをなるべく控えて、ということにはなると思います。 妊婦さん以外の大人は関係ありませんが。
2011年04月04日
しばらくは地震一辺倒だったテレビやネットニュースから、この頃は、ほかのニュースも流れるようになり、まだまだ残された問題は山積みですけど、時間がたっていくのを感じます。 でも前と違ってしみじみ思うのは、どこかで戦争があった、権力闘争があったと聞くたび、人間のやってる争いなんて、それが大統領であろうと、王様であろうと、自然の前ではどんなにはかなく小さな事かってこと。 自分や自分の家族や、自分の部族や国や、そんなものを守ろうとして、諍いを起こしても、もしそこにあんな大きな地震が1つくれば、敵も味方もなし、あっという間にすべてがなくなるんですから。 人間は学習する動物と言われてますけど、やっぱり根本は、自分で体験しないと実感できないんだなあと思います。 目を覚ませよ! いがみ合って無駄にたくさんの命を落として、何になるの? と言いたいけど、やっぱり、わからないんだよなあ、きっと。 ほっぺた張り倒すくらいじゃ、目覚めないでしょうね。
2011年03月07日
どうして日本の政治って、重箱の隅をつつくようなことばっかりやってるんでしょうねえ。 それでなにかぼろが出てきたら、まるで鬼の首を取ったよう・・みっともない! 日本のために、まともに議論してならまだしも、こんなことやってる国会議員に給料払ってるなんて、もったいない気がしてしようがありません。 もっと質の高い与野党攻防の姿勢をみせてくれないものでしょうか。 やって行けないことって、やっては行けないながらもランクがあると思うんです。 それを、今の政治では、紙くずをぽいと捨てたのも、危険物を捨てたのも、同じ扱いをして、肝心の討論をお留守にしています。 試合で、審判がぴーぴー笛を吹きすぎるのと同じです。 なんでもファウルはとめればいいってもんじゃない。 流れを崩さないのが大事ですよね。 国会議員だって、本来の仕事の内容で評価されるべきなのに、本来の仕事ができるところに至れないという前段階で、今の与党は評判を落としています。 それは、与党の力不足は否めませんが、野党のいやらしさのほうが、私には目に付きます。 プレーの質で評価したいのに、その暇を与えない律儀な(?)審判のような野党。 もっと仕事させて、その上で国民に評価させてよ!と言いたいですねえ。
2010年09月21日
東国原知事、ほんとうに次は東京(あるいは国会?)を目指すんでしょうかね。 私は、ずっと宮崎のために、地方自治のために働いてくれるのかと思っていたので、もし本当ならがっかりです。 東京のほうが、自分のやりたいことがしやすいと言うことなのかなあ? 東京も1つの地方ではありますけど、都知事の場合は、かなり、中央の行政に影響を及ぼせますものね。 でも、宮崎にいて、宮崎のために奔走する(ほんとに大変そうでした!)姿を見ていたかったんです。 地方自治もまんざらじゃない、少しずつではあるけど見直されてきているし、地方だってこれだけのことができる、という思いが広がりつつあるのは、知事のおかげもあったと思うんですけど。 なんか凄く残念。
2010年06月02日
鳩山さん、とうとう辞任になりましたか。 辞任の会見を見ていても、悪い人ではないんだけどなあとは思うんですよね。 悪気はない、多分、鳩山さんなりによかれと思って一生懸命やったんだろうなあと思います。 でもやっぱり一国の主としては、プラス押しの強さみたいなものが必要だったですねえ。 いつの時代も、政権が変わると、前政権時のお掃除からまず始めることになるわけで、お掃除はして当然、新政権としてやるべきこともちゃんとできないと評価されませんから、ゼロからでなくマイナスからのスタートになります。 民主党も、政権をとってまだ1年にも満たないわけで、その意味では、まだこの時点で、やろうと思っていたことができてないと非難するのはちょっとかわいそうかもとも思います。 国の一大事は、なんでもそう急激にかわれるものじゃないですから、もう少し長い目で見られたら、もしかして効果も出てきたかも。 鳩山さんが掲げた「友愛」は嫌いじゃなかったです。 今の世の中で、一番大切なのは気持ちだと思いますもの。 でも政治で気持ちを計るのは難しそう。 育ちの良さが裏目に出ちゃいましたね。 それにしても何かあると、「選挙で困る」と、あまりに表だって選挙優先なのは、何のために国の政治に携わってるんだ?と疑いたくなります。 今度の参院選は、また消去法で投票することになるかなあ・・。
2010年03月11日
地方空港の存続は多くのところで問題をかかえているのではと思いますが、福島空港もそうです。 私が福島に越してきた頃はまだ、それでも国内線もいろいろあったし、空港の駐車場は無料だし、結構使っていたんですが、今では、JALが撤退して、ANAの札幌と大阪とアジアナ航空などの国際線2便しかありません。 空港の位置から考えても(福島から高速と下を通って1時間半ほど)、大阪なら新幹線で言った方が楽だと考える人も多く、実際のところ、使うのは札幌と国際線と、非常に限られています。 しかしその札幌便にしたって、便数からいって、仙台空港(JR在来線を乗り継いで1時間半~)を使った方が、便利に感じます。 それでも、福島県は、マスコミを含めて、なんとか福島空港を使おうという姿勢を通しています。 時には、空港で催し物をして、集客することも。 それでお客さんが集まっても、空港としての意味はなさない気もするんですが。 そんな宣伝を見るたび、ほんとに必要なのかなあ?福島空港と思ってしまいます。 それより、仙台空港までの直行バスや列車を作った方が、県民にとってはずっと便利になる気がするんですけど。 ***** ところで話はまったく違いますが、道内のコンササポの皆さんは、テレビジャックで沸いてるんですね~! 楽しそう! でもって、今週末のホーム初戦に向けて、意気も着々と上がってきてることでしょう。 きっと盛り上がるだろうなあ!
2010年03月10日
サンフランシスコのピアにアシカに会いに行った日は、時折強く雨の降る日で、こんな日はこれ以上遠出は無用と、こちらも雨でがらんがらんの海棲ほ乳類センターに居座っちゃいました。 そこで、ボランティアとして留守番をしていた女性と、アシカのことから始まり、彼女の子供のことや果ては髪染めの話まで、とりとめもなく話をしていたんですが、一つびっくりしたのは、「日本では年齢を尋ねても大丈夫なのか?」という質問でした。 私はちょっと勘違いして、「そりゃあ、年齢を聞かれて答えたくない人ももちろんいるけど、私はぜ~んぜん気にしない」と言うと、「そうじゃなくて、ここでは差別につながるので訊いてはいけないことになってる」のだそうです。 以前、ボストンのホエールウォッチング船でボラをやってたとき、クルーが乗務員の応募に送られた履歴書を検討しているのを見て、「写真がない」と驚くと、「写真は差別になるから」と言われて、ほー!そうなのかと、ここがかつて人種差別が堂々とまかり通っていたアメリカであることをしみじみ感じましたが、それと同じ理由で、年齢も聞いてはいけないとは、今まで知りませんでした。 確かに、友達の履歴書を見せてもらったことがありますが、生まれ年なんて書いてなかったですもん。 (ただ、学歴で、だいたいのところは分かっちゃいますけど) とすると、日本の履歴書ってアメリカ式ではかなり危ないものになりそうです。 ここで話題は年のことになり、二人、年を言いあいっこして、「この年になると就職も難しいよねえ」と、ため息。 ちなみに彼女はレイオフで職を失ったそうで、そんな話をあちこちで耳にするアメリカの景気の悪さは、かなりだと実感しました。
2009年10月29日
「一般道の速度規制、一部で最高80キロに」 という記事を見つけました。 一般道で80kmも出す必要があるのかなあ、と私など思ってしまいます。 80kmで運転していてもし事故があったら、60kmよりもずっとずっとひどい事故になるはず。 それが歩道を歩く歩行者を巻き込んだりしたら・・・。 それに、80kmから例えば60kmの最高速度の道に入ったとしても、ついつい減速しなかったりしそうですし。 昔、「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」という標語が流行りましたが、そんなに急いでばかりいたら、ますます世知がない世の中になりそうです。 だいたい、自動車のスピードメーターが180km近くまでついているのだって必要ないよなあ。 最高速度が大きくなればなるほど、のんびりの車や歩行者は邪魔者扱いされそうです。 40kmの運転あたりが、エコだって言われてますし、逆の方向に進んでもいい気もするんですけど。
2009年09月16日
民主党が第一党になってから、政治家に対する見方が変わってきました。 鳩山さんのインタビューを何度か聞くうち、彼の真摯で謙虚な物腰は、どうやら本物みたいだ、と思えてきました。 それまでは、政治家は選挙の時だけなんでも言う人、それをすぎれば形だけは民主政治でも、もう政治は我々の手を放れて遠いところでいろんな利害関係の渦の中で勝手にやっているもの(でも影響はこっちにもくるけど)、という印象が強かったのですが、まず国民ありき、その為の政治を行うことに目がうるっとするほど熱意を持っている政治家を、久々に見た気がします。 というか、そうか政治って本来、こんなものだったんだと、今更知った感じでした。 総理と名の付く人の話を最初から最後までまじめに聞いたのは、長い有権者人生で初めて(か2回目・・細川さんが総理になったときもだったかも?)だと思います。 ちゃんと聞きたいと思ったのはこれが初めてだった、というのが正確なところかもしれません。 日本の長い歴史の中でずっと続いていた、お上と民という、これやってあげる、これやって欲しいという関係でなく、みんなでやりましょうというスタンスなんですね。 そんな政治がやっと始まるという思いが、記者会見を聞いていてひしひしでて、感激さえしました。 おそらく初めての民主党主導の内閣、うまく行かないこともあるでしょうが、それも私たちの責任のうち、私たちも、今までの依存型の”民”という性格から脱して、政府が何をやってくれるかでなく、ともに日本に必要なものを考えて行かねばという立場で、対応しなければということなんでしょうね。 なんだか楽しみです!
2009年08月30日
自民党の大敗。 やっぱり・・ですよねやっぱり。 3月にボストンの友人と話したとき、「日本の総理大臣はちょくちょく変わるよねえ、先週は君だった、今週は僕ね、というぐあいに」と皮肉を言われましたが、その数ヶ月前に総理大臣になった麻生さんも、結局、器じゃなかったってことだったんでしょうね。 というか、自民党にはもはや総理の器の政治家はいなかったということでしょうか。 今回の選挙、さんざん悩みました。 だって票を入れる党が、入れる人がいないんですもの。 記入するぎりぎりまで迷ってました。 これから民主党が第一党になるわけですけど、初めての第一党の経験、たぶん、長く与党だった自民党のように「こういうときはこうやって」という経験則はないでしょうから、その分、みていて危ういところが出てくるでしょう。 民主党が果たしてどれくらい与党として持つのか、まだ何も判らないし、私は民主党にも全幅の信頼をおいてはいないですけど、でも、そんなことで、野党やマスコミが民主党に付け入るような事がないようにしてもらいたいと思っています。 私ら庶民も、日本の将来を見て何が本当に必要で何は看過すべきなのか、わきまえて行かないといけないのでしょうね。 鳩山さんの会見を聞いていると、奢ったところがないのが好感もてますが、民主党も、よいことは野党からでもどんどん取り入れ、間違っていると思えば自分の方針も素直に正す、そんな柔軟で謙虚で真摯な姿勢であって欲しいと思います。 これまでの日本の政治、変えてください、期待してます!
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