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○た と申します。携帯投稿のときは maruta というHNにしています。 時々「『○た』の『まる』はどう書くの?」というご質問をいただくことがありますが,「丸印の○(JIS:0x217b)」です(おそらく“○”の前後の文字によって ○ の大きさが違って見えることがあるせいで「これじゃない?」と不安になるのではと思います)。 1959/12/28生まれ,札幌育ち(大学時代は津軽)。札幌市西区在住。妻一人子なし。コンサの成長振りに一喜一憂する日々を送っています。 「金はあまり出せないが(スタジアムでは)大声を出す」が信条です。 リンクはご自由にどうぞ! コメントに対しては“来るもの拒まず”が身上なので私の意見と正反対のご意見でも尊重します。ただし,「通りすがり」のように立場や所在が不明な方からのコメントの場合,もしそれが不適切なコメントであると判断したときは(それを判断するのは私ですが)ブログ主権限でコメント主に無断で削除させていただきます。 亥B(笑)
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2007年12月27日
前のエントリの続きで,「コンサドーレ札幌J1復帰への軌跡」の表紙の集合写真についてです。「失礼では」ということも承知しておりますがお許しください,しょうこりもなく続けさせていただきます。(^^; あの後,ビデオとか月コンを見て少し分かりました。 池内はブルーノとイタカレの後ろでしょう。 上里は岡ちゃんの左。 児玉社長の後ろの人は松井コーチ。 ウリセスの右は石綿トレーナー。 でしょうか。 もし間違っていたらごめんなさい。
2007年12月20日
今朝「コンサドーレ札幌J1復帰への軌跡」を買いました。まだ表紙しか見ていませんが。(^^; 表紙の集合写真はHPの写真と違って鮮明なのでほとんどの人物が特定できるのですが,それでも分からない人がいます。
無知をさらけ出すようですが,ちょっと書いてみます。 「(誰?)」の部分やそれ以外にもし間違いがありましたら,どなたか教えて下さい。 便宜上「前列」と「後列」の2つに(むりやり)分けます。 【前列】左から (誰の子?) ダヴィ 元気 (三浦コーチ?)←石綿トレーナー? 芳賀 曽田 カウエ 優也 大伍 関(?) 岡本 吉瀬 和波(?) (誰?) 【後列】左から 児玉社長 (上里?)←児玉社長の後ろの人 三浦監督 大塚 西嶋 イタカレ (松井コーチ?) ブルーノ 征也 ウリセス (赤池コーチ?) 西谷 高原 高木 ヨンデ 画伯親子 川崎 富永 佐川トレーナー 金子 砂川 (誰?)←岩沼?スタッフ? 智樹 謙伍 (誰?) (誰?) 岡田 それにしても池内はどこにいるのか?
2007年12月17日
それにしても放置状態がこのまま続くのはよくない(自分にとっても)ので,今後の予定だけは書いておきます。こうやって自分にプレッシャーをかけないと一週間くらい何もしないでずるずると過ぎてしまいそうなので。(^^; 「これからも『当然~』」の続編の話題予定: ・こういう場合のブーイング,私はやってます ・応援中に励まされました ・いろいろあるさ (内容に関しては,予告なく変更になる場合があります。)
2007年12月14日
おかげさまで12月12日に充満握施巣達成しました。いつもお読み下さるかた,たまたま立ち寄られたかた,皆さんどうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m で,「充満握施巣記念」企画として考えたタイトルがこれです。 ここのブログタイトルは『当然!B自由席です。』ですが,これは自分の物理的・精神的な居場所を表現したものです。手短な自己紹介,といったところでしょうか。だから,他人にまでそれが「当然」というつもりはありませんが,自分の(貧弱な)サッカー観戦歴を語ることで自分の居場所を再確認してみたくなったのです。まあ,風変わりな自己紹介と思ってお読みいただければ,と存じます。
今でこそ毎年シーズンチケット買って「立って応援できない席は体質に合わん」みたいなことうそぶいておりますが,初めてサッカーを観にいったときはS指定席でした。岡ちゃん・エメの時代です。コンサができる前はサッカー自体にあまり興味がありませんでした(ラグビーのほうが観ていて面白いと思っていた)。そんな私がサッカーに詳しい筈もなく,「おお,今のプレーはスペースをうまく使ったね」なんていう評論ができるわけがありません。その意味ではゴール裏の見づらい席は実に私にぴったりなのだと言えなくもありません。:-) ここで「ゴール裏」という言い方が出てきましたが,実は自分のことを書くときに「ゴール裏では」な~んて書くのは内心「おこがましい」と思いながら書いています。結構冷や汗モノ。“熱烈ゾーン”と言ってもそんなに中心地に近い場所には行かないし,90分間サルトするなんて体力的に絶対に無理(#1)。ただしあまり僻地に行くと座っている人が多くなる(立っている自分が孤立して見える#2)ので,それも避けます。なので,中心部からちょっと離れた場所が最近の私の居場所です。 (#1) それでも不幸にして自分のところにたすきが張られてしまった場合は「心ならずもサルト」する羽目になります。で,どうするかと言うと,つま先を地面から離さないようにしながら踵を上下させる“なんちゃってサルト”でごまかします。(^^; (#2) 実際,76通路よりSA寄りになると立っているだけで後ろにいるジイさんから怒鳴られることがあるそうです。おお怖っ。 まあ,とにかく,初観戦の2000年から3年間はたまに観にいく程度ですから,「サッカー観戦ってこんな感じなのか~」という気分ですべてを受け入れておりました。なので,最初の頃はゴール裏のサポーターたちが声を揃えて応援コールしたり応援歌に合わせて手を動かしたりというのを楽しんで見ている側だったのです。要するに“観客”ですね。 J1にいた01・02シーズンはローソンでチケットが買えない(発売直後に指定席が売り切れ)こともあり,観に行きたくても行けないことも多くありました。たまに観にいったときでも,「空いているから」「相手チームの選手を見たいから」とアウェイ側SAに行ったりもしました。この頃の自分の観戦態度(?)ってよく憶えていないのですが,やっぱり「周りの人が手拍子しだすと自分もするし,周りがしないときは自分もしない」だったと思います。周りに声を出す人はめったにいないから(あるのは野次ぐらい(^^;)得点シーン以外では声を出すこともありません。主体性なんてないんです,観客だもの。 自分のスタンスが変りはじめたのは02年の途中,「J2降格目前」という辺りです。その前くらいからコンササポのHPをいくつか見るようになって「こりゃ大変だ」という気持ちが芽生えてきました。そして「次負けたら降格確定」というジェフ市原戦(#3)に行きました。平日ナイトゲームでしたが,「降格の瞬間を看取ってやらねば」みたいな気分でドームに行きました。ただし当時は,B自由席というのは怖いところだと思っていたので(#4),ホーム側SB席の一番前にいました。 (#3) たしか,A居のゴールで1-0で勝ち首の皮一枚状態に。しかし次のアウェイ鹿島戦で敗れて降格確定,古川センセー号泣,というのは別のお話。 (#4) 流石に『嗚呼!花の応援団』みたいなところ,とは思っていませんでしたが,「あそこに行くのはコンサフリークの人で,自分みたいな詳しくない人間は行ってはいけない」みたいな変な思い込みがありました。 市原戦の選手入場のときのゴール裏なんですが,いつも通りの Go West をやっているのが半分(右側か左側かは忘れました),残り半分が「サ・ポ・ロ!サ・ポ・ロ!」コールでした。凄く印象に残っています。あれは「もう負けられないぞ」という危機感を表したものだったのか,それとも単にあの頃はそういうことをしばしばやっていたのか,いまだに分かりません(どなたかお教え下さい)が,私にはこれから始まる葬式のプロローグのように見え,とは大げさですが,とにかく何か心を揺さぶられた気がしました。 【教訓】ゴール裏の応援が一人の観客をサポーターに変えることもある。
2007年12月13日
おかげさまで充満握施巣達成です。ん~~~長かった,…。(T_T)
このブログのスタートはおひさるブログ開設にやや遅れた05年11月28日なのですが,はじめの頃は書いたり書かなかったり,結構ムラがありました。なので1年後の06年11月頃までの総アクセス数は1万5千台。そのあとちょっと書くようになり今年の正月時点でようやく2万を超えました。それで,今年はなんとか5万を目指そうとして頑張ってきました。 そう。つまり今年の私の目標は「5万悪施巣」だったのです。 ですが,いつ5万を超えたのかは覚えていません。(^^; おそらく昇格マジックが発生して,頻繁に書き込むようになってからだと思うので,9月上旬頃ではないかと。気がつくと6万台になっていました。 記憶に残っているのは,京都戦(11/18)の前の晩に7万を超えたことと,最終水戸戦の何日か前に八八,八八八になったことです。この頃になって「年内に充満」を意識し始めました。 そして昨日12月12日,おかげさまで充満握施巣達成です。いつもお読み下さるかた,たまたま立ち寄られたかた,皆さんどうもありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。 ※ 充満声企画として構想していたものがあるのですが,まだできていません。 ※※ 先日,更新をサボったときに思いました。毎日あちこちに出かけていってコメントをし続ける人のほうが実は凄いのでわ,と。(^^;
2007年12月12日
※ おかげさまで充満握施酢まで秒読みです。つまらない駄文にお付き合い下さりありがとうございます。m(_ _)m 最近LOBOさんの「半月社中」でいろいろコメントしたりしていますが,その中の「自チーム(の選手)にブーイングする気になれない」について,今日は書いてみたいと思います。 私の場合のそれは,ひとことで言うと「自分の子供にブーイングする親はいない」と思っているから,です。
親が子供を叱るとき,(時にはキレてしまうことはあるにせよ)基本的には子供理解できるように言い聞かせるものです。逆に,子供が親に何か不満を伝えたいとき,かならずしも正確な表現でなくても親はちゃんと汲み取ろうとします。極端な例ですが,赤ちゃんが泣いたら親は「オシメか」「ミルクか」それとも「暑いのか」などと気がつこうとするでしょう。赤ちゃんは言葉を持たないからそれでいいのです。 子供が失敗したときの叱り方・励まし方はいろいろあるでしょう。時と場合,子供の精神年齢とかにも依るでしょうが,親はちゃんと子供のレベルに合わせて叱ったり励ましているのだと思います。 ※ 「思います」と書いたのは実体験がないからです。私には子供はいませんが,それでも甥や姪を叱ったりすることはありますけども。(^^; じゃあ,自分の子供にキレている親を見かけたとき,私は「それは子供に甘えている」とは思いません。やっぱり「親って大変だなあ」と思います。が,サポーターが選手にキレているのは「それは“甘え”もあるのかなあ」と。いや,キレるのがダメだと言っているのではありません。キレるぐらいの怒りをどうしてもっと効果的に表現できないのか,と思っているという話です。 こんなふうに思うようになったのは自分の年齢と関係があるのかも知れません。ふと気がつくと監督は自分より年下だし,選手の半数ぐらいは「自分にこれくらいの歳の子供がいてもおかしくない」というおっさんになりました。 だから,自分よりも10歳以上若そうなサポについてはあまり言うことはないのですが,自分の歳以上の人に対してはこういう気分はわかってほしいなと思うときがあります。「おいおい,アンタ,自分の子供にもそうやって怒るのかよ」って。
以上が,「なぜブーイングする気にならないか」の理由。 だけど私はこれが最終的な(最良の)結論だとは思っていません。 そもそも「ブーイングか拍手か」の答になっていない,と思っています。 確かにダメダメな試合はあります。相手をなめてかかってやられちゃったりとか,全然コミュニケーションとれてないじゃんとか,疲れがたまっているためか悉く足が出ない・よう走りきらんとか,…。また,勝った試合でも「あそこのあのプレー。あれだけは許せん」ということもたまにはありますよね。 選手と個人的な付き合いのある人なら後日お話しすることもできるでしょうけど,我々一般人はめったにそういう機会がないので,何か不満や意見を伝えようとすればやはり試合後に選手が挨拶に来たときがほとんど唯一のチャンスでしょう。 そういう貴重なチャンスをですね, ・(叱咤激励の意味を込めて)ブーイング とか ・(優しく激励する意味で)拍手 あるいは ・(悔しさ,腹立たしさ,or 茫然自失で)腕組み という“記号”でしか表現できないのは「なんかもったいない」と思うのですよ。 ※ ちなみに私は3番目であることがほとんどです。 たまに「優也,泣くな」と叫ぶくらい。(^^; 選手に自分の想いを伝えるにはちゃんとした言葉で,というのが私の理想なのですが,実際はすぐに気の利いた言葉が出てこないし,その喧騒の中でどうやって自分の言葉を選手に届けるのか(物理的に)という問題もあります。
ではどうすれば,という答は自分には分かりません。ただ,ひとつ思っているのは, 「もっと詳しく(←激しくではない)怒らないとダメだ」 ということです。 このことについては今後も考え続けていきたいと思います。
2007年12月11日
昨日ブログの更新をし忘れた,というオチではありません。(^^; 私はよくものを忘れます。モノを持っていくのを忘れる程度なら自分が困るだけですが,過去の自分の行為や発言を忘れる(酒に酔っていて“記憶がない”というのは除く(^^;)のは結構具合の悪いものです。記憶力のいい人が羨ましい。
おひさるでもですね,よそ様のブログであれこれとコメントしてから「あれ?これは以前の自分の主張と違う」ということがあります。これ,極論すれば“嘘つき”ですね。ただ,そういう発言をするときはそう思い込んで(すっかり忘れて)いるので堂々と主張していたりしているので性質が悪いというか,まことに困ったものです。(^^; このまま症状が進行すると「うっかり忘れてました」では済まされなくなるかも。よく考えて,思い出すべきことはしっかり思い出して,発言するようにしなければ,と思う今日この頃です。 あと,最近「ヤバイな」と思うのは,頼まれたことを忘れたとき。これが実に多い(←開き直りっ)。例えば仕事中に電話がかかってくるとします。職場内からの電話は呼び出し音で分かるので,「あ,また何かやり忘れていたか」と思いつつ受話器をとります。既に「ごめんなさいごめんなさい」モードに入っているので顔が半笑いになっているらしいです。(^^; これはヤバイ。
2007年12月09日
鳥栖戦に出発する選手を激励するために作った「まだ何も獲得していない」ボード。 あれから1ヶ月が経ちました。結局最終戦にまで持って行ってしまったので,細かいバージョンアップを積み重ねながら約3週間も使いまわしたことになります。
最終戦では「ダメ元」で持って行きました。どれ位早く並んだら熱烈に陣取れるかすら分かっていなかったので,まず第一に考えたのは熱烈に場所を確保することで,正規の掲出場所に貼り出すためにどうにかする,という余裕はありませんでしたから。 なので,これはたぶんいけない行為と思いつつ,自分の席の近くの手すりに取り付けました。最初は一応CVSの人に聞いてみてから,ということで,「これ,ここに着けてもいいでしょうか?いや,だめなら諦めますけど」と。ところが,現場のCVSの方々は会場整理担当。ですが,「わかりました。私には判断できないのできいてみます」となってトランシーバーで聞いてくれました。そして待つこと数分。その日は京都戦同様の満員が予想されたこともあり,実際に次から次へと人が押し寄せてきます。こりゃあ,ここで待っていたらかえって迷惑だ(通行の邪魔),と思い,許可待ちのくせに勝手に取り付けてしまいました。あ,もちろんCVSの人にも言いましたよ。「なんかお返事が遅れているみたいで,ここで待っていると通行の邪魔になるので貼らせていただきます。もし,だめ,ということになれば回収します。私の居場所はあそこら辺です」と。 にしても,(垣間見ただけですが)本当にCVSの人って忙しい。その上私みたいな変な輩が余計な仕事増やしちゃって申し訳ないなと思いました。m(_ _)m それでも,「見た」と言って下さるかたがいますので救われた気がしています。
2007年12月08日
※ タイトルは「コトバガモツチカラ」です。「コトバガモツリョク」ではありません。:-) いい言葉には人を引きつけたり人に勇気を与えたりする力がある,と信じます。 プロのコピーライターが繰り出す「いい言葉」に対しては,「その手に乗ってたまるか」みたいな警戒心を持ちつつもまんまとその手に乗っていることもあるのですが。(^^;
私が最近出会ったいい言葉が二つあります。 ひとつは,「ゴール裏の魔法」 自分(たち)の応援によって選手が力を発揮したり踏ん張りを見せたり。たとえ劣勢であっても応援の力によって選手が元気づけられて勝利できるかも知れない,という気分を表した言葉だと思います。実際に頑張るのは選手なのですが,応援の力が選手に伝わる,という想いを持って応援しましょう,という気分です。一発で気に入ってしまい,「想いは選手に伝わる」という下の句をつけて応援ボードの裏面に貼りました。これは効きました。周りの人にどうこうではなく,自分に。これを掲げた身としては,それを見た人の視線もあるのでもう一心不乱に(誇張が入っていますが)応援せざるを得ないわけで,結構気合が入りました。最終戦のときは私の斜め後ろの男性が「○○,お前いい加減にしろよ」などの野次を飛ばしていたのですがあまり気になりませんでした。あとでカミさんに聞いたら,「私たちの真後ろのギャルに『うっせーな!』と言われて黙っちゃったみたいだったよ」と言われましたが,私はそのようなことがあったことも気がついていませんでした。耳が遠いから,ではなく応援に集中していたから,ということにしておいてください。(^^; もうひとつは,「日本一のサポーターになる日」 これはLOBOさんが最近始めたテーマの(最終回の?)タイトル(予定)にある言葉。 こことここです。「サポも成長しよう」というカテゴリ名もいいですが,「日本一のサポーター」“になる”とか“になろう”とか言うのは夢があっていいですなあ。
2007年12月07日
少し反省して(←嘘)今日はごく普通の日記にします。 忘年会シーズンですが皆様体調はいかがでしょうか。 私の職場では今日が忘年会です。某先輩の高校時代からの親友がシェフをやっているという某ホテルのイタリアンレストラン。ホテル,と言っても,ここへは今までも年に1~2度ペースで連れて行ってもらっているので(割り勘ですけど),勝手知ったるなんとやら,で存分に飲むぞ~,と朝から気合が入っています。暴れたりはしませんが。(^^; それはさておき,当方のブログは昨夜9万7千アクセスを超えたようです。このぶんだと来週中に10万アクセスとなるのでは,と思います。んで,何が言いたいのかというと,「10万」になったら書こうと思っていたネタ(の元)があったのですが,間に合うかどうか微妙です,という話。(^^;
2007年12月06日
謙伍よ。 ストーカーに気をつけろ。 そいつはいつでもどこでもお前を狙っている。 そいつは40代の女性だ。 そいつはA4版2枚続きの「謙伍」ボードを持っている。 ファンと思しき女性と握手した後はすぐに手を洗うんだ。 ファンと思しき女性に飲み物をもらっても絶対に口をつけてはいけない。 ましてや“飲む”なんてもっての他だ。 何が入っているか分からないぞ。 うっかり口に含んだが最後,それで君の選手生命が絶たれるかも知れないのだ。 謙伍よ。 すまん。俺は最近,お前がファンの質問に答えて「○○温泉が好きだ」と言っているのを小耳に挟んだ,と,うっかりそいつに漏らしてしまった。 その情報はそいつの脳にしっかりとインプットされているぞ。 謙伍よ。 ストーカーに気をつけろ。 そいつはいつでもどこでもお前を狙っているぞ。
〔ネタに困ってきたので(^^;,本日は“別人格”となっておふざけモードの書き込みにしました。気分を害されたかたがいらっしゃいましたら陳謝します。m(_ _)m なお,「なんとか力」の話(↓)は継続募集ちう。〕
2007年12月05日
今日はあまり時間がないので軽い話をば(←いや,いつも軽いんですが(^^;)。 先日「敵に廻したくない男,三浦俊也」を書いたときから探している言葉があります。 三浦監督は就任早々に,昇格するためのチームづくり,戦い方,目標値の設定などについて自らのビジョンを示し,それをチームに浸透させました。明確なビジョンを持つことは当然ですが,それを人に納得させ,組織全体を自分が思い描く方向に向かわせることはとても難しいことで,しかもそれまでの攻撃サッカーから守備重視のサッカーに切り換えるというのですから,そのような方向転換をやってのけた三浦監督はリーダーとしてのクオリティが高い,というのがこのときの話の柱でした。 で,このとき思ったのが,このような「人を納得させる力」「自分の意思を組織に浸透させる力」って何て表現できるんだろう,ということです。 昨今はやりの「鈍感力」とか「人間力」なんていう造語になるのか。 「説得力」はどうか。あれ?これって普通にある言葉じゃん。 私ってつくづく語彙が貧困。(^^;
2007年12月04日
9月以来続けてきた「安心論」ですが,最初の頃は,読んでくださる方に安心していただこうと思って始めたわけではありませんでした。もともとこういう発想しかできないし,サッカーに詳しいわけではないので,自分が確信を持って応援し続けるために,自分を鼓舞するために,書き続けたものがいつのまにか習慣になったものです。 ただ,途中から「癒される」とか「勇気づけられた」などと持ち上げて下さるかたも出現するようになり,「をを!そんなに喜んでもらえるならもっと書くぞ,ほれ,なんぼでも書けるぞ」的な状況になったことも事実で,そういう励ましの言葉に支えられたからこそ続けてこれたのです。なので,励まして下さった方々にはとても感謝しております。おかげで,自分には無縁だと持っていた「アクセスランキング入り」というオマケもつきました。ありがとうございました。m(_ _)m しかし私が「安心論」を書き続けることができた本当の理由は,やっぱり, 札幌がずっと首位をキープしていた ということですね。それを言っちゃあおしまいよ,かも知れませんが,夏以降ずっと(秋に入ってからも),安心できる状況にあった。首位にいてマジックが点灯していて,という客観的な事実があったのだからしょうがない。だから私は「あとこれだけ勝点を積むだけでいい」「他のチームのほうが苦しい」と言うだけで良かったのでした。:-) もうひとつ付け加えるとすれば,秋に入ってあまり勝てなくなってからも戦い方が変らなかったこと,ということがあるでしょう。サッカーに詳しくない私でも三浦監督の戦略はすっと理解できたし,今季のチームのコンセプトが分かっているから援護しやすかった,ということだと思います。 それにしても,...(ここが“手前味噌”部分です)10月中旬の,あと6試合(残り7節)という段階の記事で,私は「4勝1分1敗〔勝点91〕または4勝2敗〔勝点90〕(でいい)」と言っているんですね。結果はまさにその通りになりました。マグレ当たりですけどね。(^^; まあ,なんだかんだ言っても,シーズン開始前から「勝点90でいい」って言っていた人には逆立ちしても敵いませんけど。(^^)
2007年12月03日
長いシーズンが終わりました。
(何が長いかって,そりゃあ昇格マジック発生から昇格確定までが長かったんだよ~っ!)
【2007確定順位表】
順 勝点 勝 分 負 得 失 差
1 札 91 27 10 11 66 45 +21 優勝!&自動昇格
2 東 89 26 11 11 88 57 +33 自動昇格
3 京 86 24 14 10 80 59 +21 入替戦進出
4 仙 83 24 11 13 72 54 +18
5 大 80 24 8 16 72 55 +17
6 湘 77 23 8 17 72 55 +17
7 福 73 22 7 19 77 61 +16
8 鳥 72 21 9 18 63 66 -3
9 山 58 15 13 20 46 56 -10
10 愛 45 12 9 27 39 66 -27
11 草 42 7 21 20 42 71 -29
12 水 34 8 10 30 32 70 -38
13 徳 33 6 15 27 31 67 -36
順位表を見ると,あらためて「最小失点」の凄さを感じます。また,シーズン当初からの勝点目標90を達成しての昇格,という事実に三浦監督の戦略眼の確かさが伺えます。
その三浦監督ですが,J's Goal の(水戸戦後の)監督インタビューを読んで,2点ほど感心したことがありました。
ひとつ目はチームの規律作りという点,ふたつ目はJ1昇格後の戦い方が既に決まっている,という点です。 【規律】 三浦監督は「昇格というミッションを1年目で成功させた要因は? 」という質問に対してこう答えています。 運ももちろんあったと思います。やはり戦い方とチームの規律を決めて、基本的にやったことは目に見えてないような細かいことから始めました。新聞にも取り上げてもらいましたが、座席を変えたりとか。それが勝つかどうかは分かりませんけど。色んな人に『プロなのにそこまでやるんですか?』と聞かれますけど、でも、例えばクラブハウスが汚いだとか選手がだらしないとかは、そういうチーム状態を表しますし、強いチームにはなれないと私は思っているので、そういうことから一つ一つやりました。例えば変えたところは、言える範囲で言うと、クラブハウス内への雑誌や漫画の持ち込みを禁止したり、勝つか負けるかは別ですけど、そういうちょっとしたことから始めました 「言える範囲」が漫画だったら言えない範囲って何だ?とかはおいとくとしても,やはり札幌には,プロとしての自覚が足りない選手が多かったのですね(今も?)。ファンサービスとちやほやしてくれるファンに甘えることは違うんだぞ,おい,誰かさんよ。(←どうせ見ていないって(^^;) そういう生活指導の先生みたいな監督は今まで札幌にいたかと言うと,岡ちゃん,ヤンツーさんの2人だと思うのですが,この2人は長期政権というか,少なくとも複数年札幌にいて結果を出すという覚悟で招かれた人たちです。三浦監督は最初から,こんなことからでも始めないとダメだと分かっていてすぐに手を打っていたのですね。 【J1での戦い方】 「来年J1で戦うために必要なもの(は何か)?」という質問にはこう答えています。 ちょっと話はそれますが、我々、よく守備的なサッカーという言われ方をしていて、それがJ1で通用しないという言われ方をされますけど、私がJ1をやってる経験上、具体的な事例でそれを否定できるかなと思います。 と,J1大宮で実績のある監督ならではの発言です。 とにかく,「まず守備から」という点は昇格後も変えない,攻撃力はあくまでもプラスアルファの部分だ,ということなのでしょう。 このあと,世界のサッカー界の傾向としてワールドカップや欧州CLの話,日本のJ1の強豪チームは守備がしっかりしているが降格するチームは守備に難がある,という点に触れ,最後は資本力・人件費の話をしています。そういえばJ1から降格したときの札幌の守備は完全に崩壊していました。 就任直後「勝点90以上取れれば昇格は狙える」ということを説明し,札幌が昇格するための戦い方はこうだ,ということをスタッフや選手に納得させた男,三浦俊也。 その男が今度は,J1で戦うためにはこうする,という明確なビジョンを持ってチームをJ1仕様に作り変えようとしている。出来すぎの男,三浦俊也。敵に廻したくない監督,それが三浦俊也。
2007年12月02日
写真は今年六月三日のサテライト戦のときのもの(再掲)です。
特に親しいお付きあいをさせていただいていたわけではないのですが、アウェイドールズやサテライトでお会いしたときはいつも「こんにちは」「ど〜も〜」などと声をかけあっていました。
アウェイドールズにいつもビッグドーレ君を背負ってやってくる巨漢。その人がHN「肉丸さん」だと気がつくのにはさほど時間はかかりませんでした。
ドールズパフォーマンスの開始を待つあいだ、アウェイドールズに集うビッグドーレ君たちに囲まれながらにこにこ笑いながらどっしりと座っている。その姿はまるでドーレ君国の王様のようにも見えました。:-)
肉丸さんの急死を知ったのは、最終戦前日(おとつい)のことです。偶然あるブログでそのような記述を見つけ、呆然としました。ミクシィのほうでプロフィールを見たら「42歳」となっていました。もしかしたら古いデータかも知れませんが、おそらく私より若いか同年代でしょう。まだ若いのに、とても残念です。
そして昨日、アウェイドールズで遺影にご対面。今日ここに来たかったんだろうな、と思ったら大泣きしそうになり(こらえましたが)、「いつ亡くなったんですか」「何が原因で」と聞くのが精一杯でした。
今季最後のドールズ。肉丸さんのぶんも頑張らなきゃ、と思うたびに目頭があつくなり、涙をこらえるのが大変でした。
肉丸さん。
俺たちやったよ。「サッカーで優勝したよ」
これからはドールズの守護神となって俺たちとチームを見守って下さい。
2007年12月01日
ドームでは、コドサさんに声をかけていただきました。ありがとうございました。また、アウェイドールズでは肉丸さんの遺影に対面しました。
福住駅で、夕べ飲んだ友人に「勝ったよ。優勝したよ」とメールしたら「札幌駅前で号外配ってたぞ」と返事が。「今そっちに行くからくれ〜」と言ってすかさず札幌駅へ。ビールで乾杯。のあと、五番館西武で八海山を購入。(^^)
で、今帰宅しました。宮の沢駅に着いたら雨でした。 写真の新聞は道新の夕刊と号外。
一休みしたら白恋に向かいますよ〜。(^^)
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