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○た と申します。携帯投稿のときは maruta というHNにしています。 時々「『○た』の『まる』はどう書くの?」というご質問をいただくことがありますが,「丸印の○(JIS:0x217b)」です(おそらく“○”の前後の文字によって ○ の大きさが違って見えることがあるせいで「これじゃない?」と不安になるのではと思います)。 1959/12/28生まれ,札幌育ち(大学時代は津軽)。札幌市西区在住。妻一人子なし。コンサの成長振りに一喜一憂する日々を送っています。 「金はあまり出せないが(スタジアムでは)大声を出す」が信条です。 リンクはご自由にどうぞ! コメントに対しては“来るもの拒まず”が身上なので私の意見と正反対のご意見でも尊重します。ただし,「通りすがり」のように立場や所在が不明な方からのコメントの場合,もしそれが不適切なコメントであると判断したときは(それを判断するのは私ですが)ブログ主権限でコメント主に無断で削除させていただきます。 亥B(笑)
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2021年09月29日
> ゼロから始めた人は立ち止まることをしない人でもあった 石水勲氏が亡くなった。 コンサにかかわる彼の功績を一言で言うと,… プロスポーツがなかった北海道にサッカークラブを誘致し,国内だけでなくヨーロッパまで視察に行き私財を投げうってコンサの練習場まで作ってくれて,どん底にあえぎなりてのいなかった社長に返り咲き就任すると思いきや土壇場でコンサOBでもありサッカー解説者の野々村芳和氏を説得して社長にしてしまった人。 ということに尽きると思う(←「一言」じゃなかった 汗;)。 Jリーグができるまで日本には野球しかプロスポーツは存在せず,Jリーグができてからも北海道にはプロスポーツは存在しなかった。 その後プロ野球チーム(日本ハム)が北海道に来て,バスケチーム(レラカムイ→レバンガ)ができ,フットサル(エスポラーダ)ができた。野球のほうは北広島市に専スタどころかボールパークまで作っている。 女子サッカーもプロ化が始まり,北海道勢では遅ればせながらリラコンサがなでしこ入りをめざしている。 北海道でちゃんとプロスポーツが成立することを,これらのクラブの存在と躍進が証明している。 しかし,こんな状況を25年以上前に想像できた人はおそらくいなかっただろう。当時,北海道はバブル崩壊(たくぎん経営破綻など)からまだ立ち直れていなかったと思う。石水氏たちが始めたサッカークラブ誘致の困難さはいかばかりだったろうか。 ※すんません。2000年に初めて厚別に行きコンサとコンササポ(ゴール裏)に魅了された私なので,当時はまだサッカーに興味がなかったのです。のの社長の追悼文よろしく,今では文字通り「サッカーが日常」になってしまったのですが。 その後,クラブはJFLからJリーグに昇格するもJ1参入戦に敗れJ2からJ1に昇格するも2年でJ2に降格。「1年でJ1に戻るぞ」と意気込んだ2003年の失敗,そして“育成型”へ舵を切ったものの「金がない→チームが弱体化→J1昇格できない(たまに昇格しても1年でJ2に落ちる)→スポンサー増えない→…」という負のスパイラルから抜け出せない…。よく投げ出さなかったものです。投げ出さないでくれてホントありがとうございます。 さて,時代は飛んで2012年シーズン終了後,J1をぶっちぎり最速降格してズタボロのコンサにおいて,ののを社長に据えた功績はとんでもなく大きかった。当時の状況で,実はめちゃめちゃ有能だったののを社長に抜擢したこの慧眼! その後のコンサの躍進ぶりは誰もが知るところ。 石水勲氏はコンサに求めるものとして 「北海道全体から支持されるクラブ」 「J1に定着して時々タイトルを狙えるクラブ」 を掲げていたそうな(上記,のの社長の追悼文より)。コンサ関係者みんなが思っているように,これらのことを今後も目標に掲げて,いっそう大きなクラブにして育てていかなければ。私も微力ながらコンサを支えていきたいと願うものです。 コンサを作ってくれてありがとうございます。 コンサをここまで育ててくれてありがとうございます。 ご冥福をお祈りいたします。
2021年09月04日
> 他チームネタっぽい話に見えるかも知れませんが,スナさん大好き!
月刊誌『財界さっぽろ』。定期購読者ではないですが,スナが担当している連載「砂川誠のコンサの深層」が興味深い対談だったり対談相手が気になる人だった場合には,本屋で立ち読みしたり(←をい!)購入しています。
最新号(って,もう次の号が出ていそうですが)では,今季名古屋から移籍してきた青木亮太選手との対談でした。青木選手の経歴はJリーグ選手名鑑などで知っていたので,これは絶対ベルデー話出るだろ,と思って読みましたらやっぱり出ました。スナは小学生時代に読売クラブのジュニア,青木は小学生から中学生までヴェルディージュニア,だったかな。もし私の記憶が違っていたらすんません。
スナ「僕のいた頃は『上手い奴がエライ』っていう風潮があったよ」
青木「僕の頃もそういう空気はありました」
とか,
スナ「青木には緑の血が流れているって感じるよ」
とかいう会話に,2人ともヴェルディ―のアカデミー出身であることを誇りに思ってるんだなあ,と感じました。
ここからは本題からそれるので小さい字で,…
「緑の血」といえば,この連載対談でラモス瑠偉アニィがゲストだった号も,思わず手に取って購入したんだったなあ,と思い出しました。その時もヴェルディ―が伝統としているサッカー観の話で盛り上がっていたのだけど,ラモスが昔からずっとスナに注目していた話から,ラモスがヴェルディ―の監督だった時にスナを呼ぼうとしたけどその時は断られた,でも岐阜には来てくれてありがとう,という話がでてきて「昔聞いた,スナがJ1クラブからのオファーを断って札幌に残った,っていう話はコレだったのか!」と衝撃だったのを思い出しました。
ついでに言うと,その時断った理由が「また一から作るのかあ,って気が重かったので」っていうのもちょっとびっくりしました。いや,選手にしてみればチームを換わるのって,いろんな面で大変なのだろうとは思いますけど…。
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