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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2005年11月11日
1998年12月5日、その日を忘れることはないだろう。
この年、Jリーグにデビューしたコンサドーレは第1ステージで18チーム中16位、第2ステージ10位と健闘した。ところが、翌年スタートのJ1には16チームしか進めない。下位4チームとJFL優勝チームで3席を争うJ1参入決定戦が行われた。コンサドーレは本来、関係ないはずが、前年の成績を加算する不可思議なルールにより、参加するはめとなった(いまだにJリーグのこのやり方には賛成できない)。
神戸に2連敗し、福岡にもアウエーで敗戦。いよいよ後がなくなった。チーム創設以来、「おらが北海道のチームだから」とテレビ観戦で応援する程度だったが、当時は室蘭に住んでいて、居てもたってもいられず、スキーウエア上下を着込んで雪の舞う室蘭市入江公園陸上競技場に駆けつけた。
が、応援むなしく0-3。惨敗だった。この時、残留を果たした市原、神戸、福岡はリーグ戦途中から参入戦に照準を合わせていたとしか思えない。
雪のピッチにがっくり崩れ落ちる選手たち。しかし、J2降格を責めるような罵声はなかった。それどころか、「コーンサドーーレ!」という温かいコールが続いた。何度も、何度も…。就任が決まっていた岡田監督に期待して「岡ちゃんとJ1に上がろう」という声援も飛んだ。
思わず目頭が熱くなり、心の奥底から誓った。「今は弱いこのチームを支えて行こう」と。
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