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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2006年06月18日
コンサ史上、最も記憶に残る外国人選手というと、私の場合はビジュです。岡田コンサドーレの1年目、1999年にクレーベル退団後に途中入団。主にボランチを務めました。ブラジル人選手にしては華麗なプレーではありませんでした。むしろ技術的には下手。でも、無尽蔵のエネルギーと丈夫な体が売り物で、少々ぶつかっても平気でした。確かほお骨を折って、宮本のようなフェイスガードをつけて出場したこともありました。ただ、ややプレーは荒っぽく、よくファウルで相手選手をつぶしていたものです。逆にファウルされると、すごく痛がるのですが、相手にイエローカードが出た途端、元気に立ち上がって走っていたイメージがあります。とにかく見ていて飽きない、お茶目さんでした。通算成績は99-2000年のJ2で52試合8得点、01-02年のJ1で50試合2得点。決してうまい選手ではなかったので、コーナーキックなどからのこぼれ球をスタンドに打ち込む「宇宙開発」が印象に残っています。特に01年にJ2に落ちた浦和には相性がいいのか、決勝点を決めるなど大活躍し、シーズン後に浦和からオファーがあったとの噂がありました。真偽は知りませんが。 02年シーズン終了とともに戦力外となってチームを去りました。直後に札幌の女性と結婚したとの噂を聞いただけに、本当に残念でした。4年近くいたわけですから、おそらく外国人選手で最も在籍期間が長かったと思います。ところが、もう会えないと思っていたら、何と翌03年、J1の京都に途中入団し、13試合1得点。翌04年は京都がJ2に落ち、同じリーグで戦いました。14試合1得点で途中退団して再び日本からいなくなりました。05年は鳥栖に所属し、22試合2得点。センターバックまで務める姿にビックリしました。鳥栖を戦力外となりましたが、何と今年はJ1に昇格した甲府に。日刊スポーツの出しているプレイヤーズ名鑑によると、年俸が何と2000万円。確かコンサにいたときは1000万円足らずと報じられていたはずですから、出世したものです。今年で32歳になりますが、いつまでも丈夫で長持ちで活躍してほしいと願っています。 写真のカードは上段左3枚がJカード、右端はカルビー。下段左2枚はイレブンスターズ、右2枚はパーフェクトイレブンです。アッカンベーでもしているような表情はいかにもビジュらしいですね。
まじっく
Re:ビジュ
2006/06/19 21:01
私もコンサの外国人といえばビジュですね。 上手くない、泥臭いところがいかにもコンサらしくてよかった!
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