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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。

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佐藤洋平

2007年02月04日



コンサドーレで守護神といえば、私が思い浮かべるのは佐藤洋平です。ディドも好きでしたが、なにせ生では2試合しか観戦しておらず、熱心に応援し始めたときにゴールマウスを守っていたのが洋平でした。あの鹿島アントラーズで正キーパーを務めた後、コンサには1999年から2003年半ばまで所属。J2で79試合、J1で56試合に出場しました。とりわけJ1昇格を決めた2000年シーズンと翌01年のJ1では相手FWとの1対1のピンチを神がかりのセービングで何度も防ぎ、J1昇格と残留に大きく貢献しました。寡黙ながら、気迫のこもったプレーが見ていた者にも確かに伝わりました。強いハートがあったと思います。文字通り「神」として堅守速攻のチームを支えました。しかし、02年は守備が崩壊し、自身のパフォーマンスもややダウンしたでしょうか。翌03年には藤ヶ谷がGKに起用されることが増え、シーズン途中の9月にジュビロ磐田に移籍してしまいました。この年、初めてキャプテンを務めたのですが、ジョアン・カルロス監督に選手を代表して意見したため対立したとも言われていました。磐田ではこの年、リーグ戦に出場こそなかったのですが、天皇杯で大ブレイク。5試合に出場し、見事、天皇杯を獲得し、柳下正明監督の胴上げに貢献し、GKに恵まれなかった磐田サポの信頼を勝ち取り、翌年には正GKになりました。

実はカミさんが大の洋平ファンでした。偶然、誕生日が同じ11月22日(何歳上になるかはヒミツだそうです)。今思えば磐田への移籍直前の03年夏、清田区の白旗山での練習を佐藤尽ファンの上の娘と見学に行き、カミさんは洋平と2ショットで撮影し、今も宝物として台所に飾ってあります。背の低いカミさんは洋平の肩の高さほどしかなく、残念ながら目をつぶってしまったのが玉にキズですが。

その洋平が今シーズン限りの引退を表明したそうです。最近は川口能活に正GKの座を奪われているとはいえ、まだ34歳。体力よりも、経験がものを言うGKならまだまだできるとも思いますが、こればかりは本人が決めることですので、悔いの残らない1年となるよう完全燃焼してほしいと願うばかりです。コンサドーレには今季、草津で昨季全試合出場した高木貴弘が加わり、林卓人と佐藤優也と正GK争いを演じそうですが、まだ守護神として安心して見ていられる存在はいません。いっそうの奮起を期待しています。

写真のカードは上段がJカード、中段と下段左端がカルビー、下段左から2、3枚目はパーフェクトイレブン、右2枚はイレブンスターズです。



ポスターカレンダー

2007年01月27日



「ポスターカレンダー」は2003年シーズンから買い始めたようです。なぜ分かるかというと、古いカレンダーも捨てずに、2階の廊下などに場所を移して張ってあるからです。2度目の単身赴任生活が始まった2005年からは2枚買って、単身赴任先の部屋にも張って寂しさをまぎらわしています(本当か?)。

3月から翌年2月までのカレンダーになるのは、Jリーグの日程が発表になるのが例年1月下旬で、試合日程を入れるためには、やむをえないでしょう。選手の顔触れもぎりぎりまで決まらないこともありますから(2004年は清野の入団決定が遅かったので、背番号なしで写真だけが入っていました)。卓上カレンダーも毎年買っていますが、こちらにいたっては、1月-12月といっても、別売りのシール(スケジュールカレンダー)を買わないと役に立ちません。例年、絵柄もドーレくんなどで、移籍するかもしれないので選手の写真は使っていなかったのが、今年は初めて選手ものにしたところ、1月はフッキでした…。

さて、ポスターカレンダーに話を戻すと、サポーターの顔写真を募集して選手と一緒に掲載する「サポーターカレンダー」は06年から始まりました。12番目の選手であるサポが選手と一緒に載るのは、サポとしてはうれしい限りですね。私もレプリカユニ姿で応募し、載りました(相川を囲むサポの中の1人です)。でも、よく見ると、犬とか猫とかも多かったなあ。うちの赤黒犬も出してみようかな。
2年目の今年も1月18日から募集を始めています。今年も早速、応募しました。まだ募集しているようですので、申し込んでいない方は応募されてみてはいかがでしょうか。昨年は確か1月末で締め切ったと思いますので、お早めに。申し込みはこちらへ。



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16:11

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キックオフイベント

2007年01月20日

昨年も書きましたが、キックオフイベント(ファン感謝デー)には2003年から毎年、参加してきました。ところが、明日は仕事が重なり、参加できません。新しい監督や選手たちに会えないのが残念なのはもちろん、変身ドーレくんキーホルダーを買えないのが何といっても残念無念です。

昨年は1月15日に開かれました。Kappaの新ユニホーム披露の時が一番盛り上がりましたね。不評だった某メーカー製から久々の赤黒縦縞の復活でしたからね。明日の新ユニはマイナーチェンジというウワサですが、どんなのかなあ。選手の背番号もどうなるのかな? やっぱり気になりますね。

老婆心ながら、初めて参加される人のためにアドバイスを-。
まず、開場時間前からビョーキの人たちがびっくりするほど長い行列をつくっていますので、驚かないように。入場したら、メーンのステージイベントに向けてまず席取りをします。その後、選手たちの参加している各コーナーを見て回ることになりますが、実は大人が参加できるものは限られています。有料で2ショット券が限定発売されるフォトラマコーナーぐらいでしょうか。あれこれコーナーを欲張らず、お目当ての選手に狙いを定めると良いでしょう。この日売り出されるグッズも必見ですね。変身ドーレくんキーホルダーとキックオフTシャツは買いでしょう。あと、忘れずに持参すべきものとしてはカメラか、ビデオカメラ。サインが欲しい人は色紙かサイン帳、カードにサインペンを用意してください。お目当ての選手をつかまえるのは結構、大変でしょうけど。心構えとしては、恥じらいを捨てることです。「ミーハーになったら恥ずかしい」という気持ちを封じて、ミーハーになりきってイベントを楽しまれることをお勧めします。私をはじめ、行きたくても行けない人も多数いますので、その人たちの分も大いに楽しんできてください。そして、ブログで詳報をお待ちしてます。


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20:14

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サポーターズソング「With」

2007年01月15日



コンサドーレ札幌サポーターズソング「With(ウイズ)」は、2001年に道新スポーツ(北海道新聞社)が企画し、歌詞を一般公募して生まれた応援歌です。応募作1591点の中から最優秀作に選ばれた菅野直人さんの歌詞に、「ペガサスの朝」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの五十嵐浩晃さんが曲をつけました。
1番の歌詞は「さあ歌おう勝利の歌を この大地に集える者の 誇りをかけて 声高らかに 勝利の歌を歌い続けよう うれしいときも 悔しいときも 僕たちはいつもここにいる そう 僕たちはここにいる」で、バラード調で高らかに歌われるスケールの大きな歌でした。
01年11月24日にJ1最終戦のセレッソ大阪戦が行われた札幌ドームで披露されました。CDも制作され、五十嵐さんが歌うフルバージョンをはじめ、サポーターズバージョン、カラオケバージョンなど5曲入り。非売品で道新スポーツで読者プレゼントがあったほか、確か翌年、「月刊コンサドーレ」の定期購読者にもれなく配布され、私も定期購読でもらいました。とてもいい曲なのですが、最近は耳にする機会が少ないのを残念に思っています。

蛇足ですが、コンサドーレの音楽CDとしては公認チームソングとしてヴォイスの「AMBITIOUS-炎になれ」(これは私は持っていません)などがあります。残念ながら、「これがかかればコンサドーレだ」と道民誰しもが分かる決定版といった曲がないような気がします。これまでの曲の中から定着させるのか、はたまた新しい曲を作るのがいいのか、分かりませんが、ぜひ音楽を通じてコンサドーレを道民にアピールできればいいなあ、と思っています。



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18:10

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2006シーズンチケット販売会&トークショー

2007年01月09日



1年前の2006年1月7日、「2006シーズンチケット販売会&トークショー」がサッポロファクトリーで開かれました。トークショーは鈴木智樹と石井謙伍の2回公演。シーチケを購入すると、「オリジナル黒バンド」がもらえるほか、トークショー後の握手会参加券が各回先着200人に配布されました。私は03年シーズンからシーチケを購入しているのにすぎませんが、こうした販売会方式は初めての試みではなかったでしょうか。この日は長いオフでコンサ欠乏症となっているビョーキの患者たちが多数詰めかけ、トークショーの時には写真のように300人くらいの人で膨れ上がっていました。

こうしたシーチケの早期販売は、おそらく債務超過の会社で金を貸してくれるところがないだけに、チーム運営の資金繰りのため貴重な財源となっていると思われます。この前の年の05年シーズンのシーチケにいたっては、前年のシーズン中の04年11月23日に札幌ドームで柳下監督の「アクションサッカー」日本手ぬぐいをエサに先行販売。翌年が早々とJ2と分かっていたからできたことですが、試合会場にとんでもない大行列ができ、買えない人が続出し、後日、あらためて手ぬぐい付きでしばらく販売を継続する騒ぎになりました。

さて、販売会方式2年目の今年は1月6日にサッポロファクトリーで開かれました。ただし、名称は今年からシーズンチケットをシーズンシートと称するように変更したらしく、「2007シーズンシート販売イベント&トークショー」となっていました。トークショーは藤田征也と石井謙伍の2回公演。「オリジナルハンドタオル」がもらえるほか、2人のサイン会参加券が各回200人に配布されました。

シーズンシートは引き続き販売中ですので、運営の資金繰りのためにも、お早めにお買い求めください(決してHFCの回し者ではありません)。



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17:05

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2006年わが家の10大ニュース

2006年12月31日

昨年に続き、コンサドーレにまつわるわが家の今年1年の思い出を10大ニュース風に振り返ります。

1、初アウェイ参戦
12月23日の仙台ユアスタでの天皇杯準々決勝、甲府戦に初めて遠征しました。感動しました。ウルウル。ヤンツーさん、選手たち、そして応援に駆けつけたすべてのサポーターの皆さん、ありがとう!

2、ホーム観戦新記録更新
今年のホームゲーム24試合のうち、函館、室蘭を含む23試合を観戦。9勝6分8敗でした。04年の20試合を上回り、自己新記録です。来年は果たして何試合行けるでしょうか。

3、ビールドーレくんゲット
6月10日の札幌ドームでの徳島戦で1000人にプレゼントしたサッポロビール様特製変身ドーレくんがわが家にもやってきました。当日はスカだったのですが、後日、下の娘の友人がかわいそうな中年おじさんに譲ってくれたものです。変身ドーレくんはひぐま、アザラシ、サンタに雪だるまも仲間入りし、さらに今年は着せ替えドーレくんも発売され、わが家のドーレくんは増殖するばかりで、カミさんの目が気になる今日この頃です。

4、2年連続パーフェクト賞
昨年に続き、シーズンチケット+函館、室蘭で「パーフェクト賞」をいただきました。家宝が増える一方です。

5、トレーディングシールをコンプリート
05年にスポンサー様の販促用などで配布されたものですが、ビールドーレくんと同じ下の娘の友人が譲ってくれ、全30種類がそろいました。持つべきものは娘の友達です。

6、ドーレくんのサインをゲット
10月9日に丸井今井で開かれた10周年記念アニバーサリーフェスティバルで、ドーレくんのサインをゲット! おまけに西島、芳賀のサインもついてました。

7、さらば、しまふくごはん
あのしまふく寮の食事を再現した「しまふくごはん」は第1回のみ売り切れで買えなかったものの、2回目以降はすべてゲット。1回目のメニューは再販されたので、全種類を食べました。みちのく食品の経営破たんで、もう食べられないかと思うと残念です。

8、家族のテンション下がる
昨季オフに上の娘は三原や桑原がいなくなり、下の娘も権東が去り、お気に入り選手は下の娘の加賀くらいに。洋平好きのカミさんも穴を林では埋められず、テンションは下がる一方。ついに4人そろっての全員観戦は実現しませんでした(一番少ないカミさんでも2試合は観戦しましたが)。加賀もいなくなると、いよいよピンチ。フロントにはイケメンの緊急補強をお願いしたい。

9、スピカ参戦
9月9日のアウェイの神戸戦で、初めてスピカでの観戦会に参加しました。1-1の引き分けで盛り上がりは今ひとつでしたが、得点シーンでは見知らぬ人とハイタッチして喜びました。野々村さんがゲストで、また行って盛り上がりたいと思います。

10、赤黒犬デビュー
わが家の犬2匹が赤黒ユニ姿で10月にデビューしました。真冬用ではないので、今は違う服を着ていますが、雪解け後に再び勇姿を現します。先日、復刻販売されたドーレくん柄の生地を買ってきましたので、来年にもきっと新たな服がお披露目されることでしょう。

長いようで終わってしまえば、あっという間だった2006年。最後の最後にいい夢を見させてもらいました。来季はぜひともJ1昇格の夢を見させてください! それでは、皆さん、良いお年を!


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16:39

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初めてのアウェイ

2006年12月30日



2006年12月23日、第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会準々決勝のコンサドーレ札幌-ヴァンフォーレ甲府戦が仙台市のユアテックスタジアムで開かれました。これまでホームゲームしか観戦したことがなかったのですが、ジェフ千葉、そしてアルビレックス新潟を撃破するのをテレビ観戦して感動。興奮冷めやらぬなか、新潟戦の翌日、観戦ツアーをネットで探しみたところ、スポンサーの阪急交通社様で1泊2日2万5000円のツアーを発見。ちょうど前日の22日から休みだったため、家族に内緒で頼んじゃいました。ネットでは実際に受け付けられたかどうかは分からなかったのですが、翌月曜日に阪急交通社様から予約を受け付けたという連絡がキターーー! カミさんに思い切って告白したところ、「もとはあんたが稼いだ金だから、行ってくれば」と快く送り出してくれることになりました。感謝感激!

それからは運動会前の小学生のような気持ち。ワクワクドキドキしながら準備しました。そして22日、単身赴任先で朝6時半に起きていったん札幌の自宅に帰宅、すぐに用意したかばんを持って千歳へゴー! 空港には同じツアーの人たちでしょうか、赤黒い人がかなり集まっていました。天候にも恵まれ、順調に仙台到着。カミさんや娘らに義務づけられたお土産を探し、牛タン定食を食べ、光のページェントを見学して翌日に備えました。

そして当日。ゆっくりユアスタに向かい、午前10時前に到着しました。ホーム側の甲府のサポはほとんどいません。アウェイ側に回ると、いる、いる。赤黒い人たちが山盛りです。厚別や札幌ドームの行列がそのまま出張してきたみたいです。見慣れた顔をたくさん見かけました。ビョーキの人たちがいっぱいで、私もビョーキの人に仲間入りできてうれしかったです。開場のころには長い、長ーい列ができていましたね。

試合のことは皆さんが書かれているので省略しますが、いつも座り席で応援している中年おじさんもこの日ばかりは立ちっ放しで、力いっぱい声援を送りました。本当に至福のひとときでした。そして甲府に勝ってしまいました。もうなぜだか、涙が出てきてしようがありませんでした。来て、良かった。ヤンツーさん、選手たち、ありがとう。そんな思いで胸がいっぱいになりました。

さて、初のアウェイ観戦を終えて、すっかり「次の準決勝が国立なら行くぞ!」と思い立ったのですが、結局、エコパ。それでは、無理だと断念しました。29日も多数の方が駆けつけられたようで、行かれた皆さんは本当にお疲れ様でした。ヤンツーさんには3年間のお礼を言いたいと思います。選手たちは今回の快進撃に自信をつけて、ぜひ来季、頑張っていただきたい。

余談ですが、帰りの仙台駅から仙台空港へのバスで退任される城福強化部長と佐藤尽さんと一緒になりました。さらに千歳空港から札幌までのバスでは実況を終えたNHKの町田アナウンサーと乗り合わせました。日頃の中継のお礼を言おうかとも思ったのですが、迷惑でしょうから思いとどまり、帰ってから家族に自慢するのにとどめました。いやー、それにしても初のアウェイ体験、幸せでした。来季以降も機会があれば、ぜひアウェイに行きたいと思いました。



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22:21

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堀井岳也

2006年12月16日



先日、デビューした古巣であり、現役最後のチームとなった甲府から戦力外となり、引退を発表しました。岳也といえば、なんといっても思い出すのは2001年9月15日、札幌ドームでの清水戦のゴールでしょう。シーズン半ばで山形から移籍したばかり。それまで私はまったく知らない選手でした。このシーズン、J1に昇格した岡田コンサドーレは堅守速攻を武器に健闘しますが、いかんせん、勝ちきれずに追いつかれ逆転負けを喫することが多かった年です。この清水戦もアダウトとウィルの得点で2-1とリードしながら、ロスタイムに失点し、延長戦に。ホーム側でB自由席と上の娘と観戦した私も「またやられるのでは…」と心配していました。ところが、79分に途中交代でJ1デビューを果たした岳也は相手ゴール前中央に張ると、大森からのクロスにうまく合わせてVゴールを決めてくれたのでした。もっとも、アウェイ側のゴールでの出来事だったので、正直、誰がどう決めたのかは後で映像を見て確認するまでまったく分からなかったのですが、とにかくうれしくて娘らと飛び上がって喜んだことをよく覚えています。

J1のこの年は結局、6試合1得点。02年はJ1で14試合1得点。J2の03年は41試合8得点と確かチーム得点王の活躍でしたが、04年は33試合1得点と不振。気合が入った05年は体がキレていて「今年はやってくれそうだ」と思っていたところ、5月7日の山形戦で無念の骨折、シーズン終盤に復帰しますが、11試合2得点に終わりました。FWとしては器用なタイプではありませんでした。とにかく裏を狙って走る一瞬のスピードが売り物ですが、よくオフサイドにかかりました。無駄走りをいとわず、前線で執拗に相手ボールを追いかける魂のチェイシングが魅力でしたが、オフサイドを取られたり、相手DFとの競り合いでファウルを取られると、ふて腐れたような態度を示すのが玉にキズでした。それでも、とにかくがむしゃらに頑張る、ガッツあふれる姿が好きでした。

05年シーズン終了後にコンサを戦力外となると、何とJ1に昇格する甲府へ移籍。06年、16試合1得点で最後のシーズンを終えました。来季からは出身地でもある甲府で育成スタッフとなるそうです。ぜひあの魂というか、ガッツのある選手の育成に努めてほしいと願っています。今のコンサ選手たちにも見習ってほしい点があるように思います。

写真のカードはすべてJカード。上段左が2000年、中央が01年、右が04年(コンサで唯一のカードのようです)。下段は06年のチームエディションです。



9勝6分け8敗

2006年12月10日

タイトルの9勝6分け8敗は、2006年シーズンのJ2で私が生観戦したコンサドーレ札幌の道内ホームゲーム勝敗です。函館と室蘭も行きましたが、残念ながら9月27日の厚別は仕事のため行けず、ホーム皆勤賞はなりませんでした。それでも24試合中23試合観戦はわれながら新記録です(2004年は22試合中20試合、05年は22試合中19試合、でした)。しかも行けなかった試合は徳島を6-0で圧勝しただけに余計に残念に思っています。私が観戦した試合でベストゲームは4-0の完勝でラモス監督をギャフンといわした6月24日の厚別での東京V戦か、4月15日の札幌ドームで4-1で勝った湘南戦ですね。逆にワーストは5月14日の厚別で1-6で虐殺された神戸戦か、7月29日の厚別でも湘南に1-5と惨殺されたのも忘れたい試合かもしれません。私の見たベストゴールは、一つに絞るのは難しいのですが、しいていえば4月15日の湘南戦で一人でドリブルで持ち込み、相手DFを翻弄した加賀のだめ押しゴールでしょうか。

それにしても、今回、生観戦記録をまとめるために調べ直して気づいたのですが、コンサドーレのホームゲームは10勝6分け8敗。アウェイゲームも10勝6分け8敗とまったく同じでした。これだけサポーターの数が多い割に、ちょっとホームの勝率は寂しいところです。やはり昇格3チームなど上位はホームの勝率が大きく上回っています。強いチームになるにはホームの勝率アップは欠かせません。さらに言えば、観客動員を伸ばすにも、ホームでサポーターの声援にもっと応えてほしいものです。


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19:13

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清野智秋

2006年12月01日



本日、HFCから3選手の契約満了(戦力外)が発表されました。来季は緊縮財政ということで、大なたが振るわれるかと心配していただけに、思ったより少なかったというところでしょうか。3選手ともまだ若いので、現役を続けるなら新天地で頑張ってほしいと願っています。皆さんがコンサに残した足跡は決して忘れません。

3選手のなかで、やはり一番記憶に残る選手が3シーズンいたFW清野智秋です。2000年にあのジュビロ磐田に入団。翌01年にJリーグデビュー、あの磐田でJ1に2試合出場しています。しかし、02年途中で生活態度の問題(借金?)だとかで解雇されたそうです。柳下監督が就任した04年、東海リーグの静岡FCにいるところをおそらく柳下監督が呼んで入団しました。ややFWにしては体の線が細く、足が速いとか、ドリブルがうまいとか、ヘディングに強いとか、これといった武器がわかりにくい選手でしたが、逆に言えば、どれもこれもそれなりにこなし、柳下監督が言うように「シュートがうまい」タイプでした。この年、J2で44試合全試合に出場、チームの全得点30点のうち9点を挙げました。05年は長く不振が続きましたが、第3クールの終わりから第4クールにかけて爆発。終わってみれば28試合で10得点の活躍でした。ところが、今季はほとんど出場さえできません。どうしたのかなと思っているうちに、10月26日から古巣の静岡FCへレンタル移籍で出されたのでした。

思い出すゴールは05年10月22日、函館千代台での山形戦。後半開始直後、砂川からの浮き球のパスから決勝点となるゴールを決めたのは忘れられません。降りしきる雨のなか、びしょぬれになりながら函館まで来て良かったと思ったものです。そして同年11月19日、札幌ドームでの京都戦。この年、ぶっちぎりでJ1昇格を果たす京都を相手にハットトリック。最後に追いつかれて引き分けに終わりましたが、FW清野のワンマンショーのようでした。

今となってはこんなにシュート力があるのに、なぜ? と思わずにいられません。これほど浮き沈み、むらっ気があるのは、もしかすると、メンタルの問題なのかもしれませんが、本当に惜しい選手だと思います。

カードは左が磐田時代の01年Jカード、右は05年のJカードです。



トレーディングシール

2006年11月26日



クラブスポンサー様とサポートシップ・スポンサー様限定の販売促進用シールとして2005年に登場しました。この年の3月10日に発表され、シールは登録27選手と柳下監督、ドーレくん、集合写真の全30種類。例えば、スポンサー様の店で買い物すると、もらえるという、なかなか希少価値の高いシールでした。わが家で利用できるような店とかはあまりなかったため、サポートシップ・スポンサー様のたこ焼き「ほっと12」様で確かたこ焼き3個買うと、1枚くれるというので、試合のたびに買いに行きました。また、4月23日の札幌ドームでの鳥栖戦は道新サンクスマッチとして先着1万人に1枚ずつ配布されるというので、娘らを動員して入手に努めました。その後、試合会場でのグッズ購入者にも配布されたように記憶しています(1年前だというのに、もうかなり忘れました。年だなあ)。

このような地道な努力もむなしく、運の少ないわが家では数少ないシールがだぶったりして、結局、10種類ほどしか集まりませんでした。ヤフオクを見ても、とても手がない高額で取引されていて、そろえることはあきらめていました。ところが、今年7月、下の娘の友達が親御さんの関係からか、知り合いから未開封のシールを大量にもらってきて、何と大半を譲ってくれたのです。持つべきは娘とその友人です。わが家分と合わせると、ついに写真のように全種類がそろいました。家族にはあきれられていますが、幸せをかみしめております。

こうした取り組みをしたHFCに感謝します。ただ、1年だけで続かないのが残念なところです。トレーディングカードのコレクターですので、シールよりもカードの方が良かったのですが。浦和レッズ、モンテディオ山形などのように、ホーム試合でカードをもらえると、うれしいでしょうね。他チームのようにどこかスポンサーを見つけて、実現させてほしいものです。



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14:42

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好来符(すきっぷ)

2006年11月20日



コンサドーレ札幌5段階計画1年目の2004年、シーズン半ばに彗星のように登場したのが「2004応援証“好来符(すきっぷ)”」でした。7月31日の厚別での第25節・山形戦以降のホームゲーム10試合で来場者全員に1人1枚ずつ配布された縦5・5センチ、横2センチほどの小片です。この年はアクションサッカーを掲げた柳下コンサドーレ1年目で、純国産の若手選手ばかりにギアチェンジしたとあって、J2最下位を爆走していました。同年7月28日に公式ホームページで発表した佐々木利幸社長(当時)によると、最下位にもかかわらず競技場に詰めかけるサポーターに対し「感謝してもしきれない気持ち」を形にしたものだそうです。コレクター心をくすぐってまた来場してもらおう、との商売っ気ももちろんあったと思いますが。

当然、わが家も家族の協力を得て収集に乗り出しました。しかし、あまり運に恵まれない家系なのか、ダブりのことが多く、最終的に集められたのは写真にある10種類でした。HFCからの公式発表はなかったかと思いますが、事情通のネット情報によると、途中で種類が増やされ、全部で40種類あったようです。内容はさまざまで、結構、応援歌の歌詞からのものや「シュートは周到に!」など親父ギャグもあったようです。選手ものが「五 キャプテン尽」「二十 和波確変中」など7種類もあったようですが、わが家では1枚もゲットできませんでした(泣)。私のお気に入りは「好きです札幌」と「私、ヤンツー派です」あたりでしょうか。持っていないものでは「赤黒の誇り」「生涯サポーター宣言」が欲しかったです。「今頑張らずにいつ頑張る」と「チーム内安全祈願」はぜひ選手に持たせたいと思ったのは内緒です。

発表時の社長のコメントに「この“好来符(すきっぷ)”が、いつの日か、苦しい時期も変わらず応援していただいた皆様の誇りとなり勲章となることを願ってやみません」とありました。近い将来、そんな日が来ることを信じて、わが家の壁に飾ってあります。



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16:54

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小倉隆史

2006年11月12日



「レフティーモンスター」ことオグちゃんがコンサ戦士となったのはJ1だった2002年シーズンでした。高校時代から注目され、名古屋グランパスなどで活躍、日本代表FWとしても期待されながら、靱帯断裂など大けがに泣いてきた選手。コンサドーレへの入団が決まったときは、「けがはもう大丈夫なのか」という不安もありましたが、ウィルの抜けた後だったので「すごい選手が来る」と期待が膨らみました。シーズンが始まってみると、けがはすっかり癒えていたようで、主力として活躍。FWとしては前線で張るよりも、すぐに下がってボールを受ける1・5列目の選手だったようです。確かに運動量では物足りなかったのですが、ときおり繰り出すトリッキーなパスは相手選手だけでなく、味方選手も合わせられないことが多かったのがご愛敬でした。喜怒哀楽が顔にはっきり表れるタイプで、ゴールを決めたときの笑顔は見ている者もうれしくさせてくれました。確かこの年のJリーグオールスターにコンサからただ1人東軍に出場、先制ゴールを決めました。ただし、MVPは2点目を決めた元コンサのエメルソン(当時浦和)にさらわれ、テレビの前で悔しかったのを覚えています。

結局、コンサでは27試合出場、7得点。最下位でJ2降格が決まったシーズンで、チーム得点王でした。当然、1年でのJ1復帰を目指して小倉には翌年も活躍してもらいたかったのですが、確か最終戦を終えてのインタビューで「男として許せないことがある」と発言、すでに次期監督に内定していたジョアン・カルロスとの確執を示唆し、退団してしまいました。中には「J2が嫌なのでは」との見方もありましたが、翌年途中からJ2の甲府へ入団。それから3シーズンを甲府で過ごし、J1昇格へチーム力向上に貢献しました。コンサとの対戦でも活躍し、痛い思いをしましたが、どこか憎めない選手でした。

05年シーズン限りで甲府から戦力外となり、選手続行を希望したようですが、結局、現役を引退。甲府のJ1初試合で引退セレモニーが行われました。その後はスーパーサッカー(TBS)などで解説者(レポーター?)として活躍、ドイツワールドカップにも派遣されていましたね。10月21日のOB戦に、ぜひとも来てほしかった1人でした。オグちゃん、商売も大事だろうけど、かつてのファンにも顔を見せてよ、と思ったのは内緒です。

写真のカードは上段左端がJカード、右2枚はカルビー(右端はオールスター)、下段左端がイレブンスターズ、右3枚はパーフェクトイレブン(右端は同じくオールスター)です。



アクセスサッポロ

2006年11月03日



何気なく入った施設やお店に、コンサドーレのグッズが置いてあって、うれしく思ったことはありませんか。私がそんな体験をした筆頭の場所が「アクセスサッポロ」(札幌市白石区流通センター4丁目)です。

財団法人札幌産業流通振興協会が運営するコンベンション施設ですが、私には縁のない所でした。たまたま6年前、商社の伊藤忠が主催する招待制のバーゲンセール「ファミリーフェア」の招待状を持っているご近所の方から、バーゲン命のカミさんが誘われ、アクセスサッポロに初めて行きました。カミさんが目の色を変えて戦っている間、手持ちぶさたの私は会場を出てロビーに戻ったところで、赤黒の小部屋を発見! 何とコンサドーレのコーナーがあるではないですか。事前にはそんなことを知らなかった私は、チームができた1996年からのお宝の山に見入ったのでした。カミさんはバーゲン品を買って大満足、夫は赤黒に染まって大満足と、夫婦円満となったのでした。

このフェアは春秋の年2回開かれており、先週の土・日曜日にも開かれ、私自身は2年ぶりぐらいに会場へ足を運びました(カミさんは最近、娘と毎回参戦しています)。小部屋は残念ながら現在、半分は北海道日本ハムファイターズに占められています。それでも半分はコンサドーレで、入り口には自動販売機「ドーレBOX」があります。展示品もバルデス、マラドーナ、吉原宏太、アシス(ロナウジーニョの兄ちゃん)のシューズをはじめ、ユニホームやボール、フラッグなど思い出の品々が並んでいます。見られたことのない方は、機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。



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21:42

思い出 コメント(10)

赤黒犬

2006年10月28日



覚悟していたとはいえ、J1昇格の可能性が絶たれた神戸戦。そして直後に道内は北海道日本ハムファイターズの日本1フィーバー。道産子として心情的に日ハムを応援していますので、それはそれでうれしいのですが、やはり肝心なのはコンサですから寂しさは否定できません。「OB戦は楽しかったなあ」と自分を慰めているところに、携帯の写メールで飛び込んできたのがわが家の愛犬2匹の写真です。なんと赤黒ユニを着ているではありませんか。犬が着ている服はカミさんの新作でした。以前のエントリー「赤黒シートカバー」で紹介したように、これも2001年に北海道新聞社がドームで配布した旗をまねしたデザインです。ブルーな気持ちでいたのがすっかり癒やされ、赤黒魂がよみがえってきました。

ちなみに犬は2匹とも飼い主に似て胴長短足のコーギー(ウェルシュ・コーギー・ペンブロークと言うそうです)。大きい方が隼斗(はやと。オス、7歳)、しっぽのある小さい方は夏鈴(かりん。メス、5カ月)。隼斗は、わが家の今年の年賀状に、戌年なのでコンサのタオルマフラーをして登場しました。ただし、犬の世話は私はまったくしておらず、カミさんと娘たちが責任を持って飼うことになっています(2匹目は予定外でしたが)。

これからの寒い時期、この2匹を清田区真栄で見かけたら、わが家の犬ですので、声をかけてやってください。



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19:16

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10周年感謝デイ

2006年10月22日



10月21日というと、私より前の世代には「国際反戦デー」と思い浮かぶ人も多いかもしれません(笑)。2006年10月21日、J2第46節神戸戦はコンサドーレ札幌の「10周年感謝デイ」と銘打って札幌ドームで行われ、今季最多の1万8547人が詰めかけました。それもそのはず、前座試合として元コンサ選手らによるOB戦があったからです。ペレイラ、平川、名塚、野々村、古川、田渕、深川、関、森、川合、黄川田、森下、田畑、佐藤尽…ら、書ききれないほどの思い出の元選手たちが集合。20分ハーフの夢のような至福の一時が繰り広げられました。

さらにはコンサドールズのOGも加わって歴代の踊りを披露したり、コンサOBの現役Jリーガー6人のビデオレターなど、見どころ満載でした。ただ、歴代ユニホームのピンズセットはウワサでは限定200か、300セットだったとかで、すごい行列ができていて、まったく買えませんでした…。売れ残りが心配なら予約制にするとか、なんとかならなかったものでしょうか。今からでも増産を希望します。

さて、写真はマッチデイプログラムに掲載されたいわゆる名刺広告です。乏しい小遣いのなかから大枚1万円を投じたものです。今季のHFCは入場者数の伸び悩みなどで赤字転落必至の情勢らしいです。個人にとってはそれなりに重みのある額ですが、HFCにとってはささやかな小銭にすぎないでしょうが、地球の裏側からやって来たペレイラの旅費の一部の足しにでも使ってもらえれば本望です。それと、また募集するときは、せめて広告にブログのURLぐらいは入れられるようにお願いします。

そして、肝心な神戸戦は…。もう、忘れました。年を取ると、物忘れが激しいもんですから。これからも前を向いて、応援していきたいと思います。来季こそ!



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14:05

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テレビ番組

2006年10月14日

コンサドーレが誕生し、Jリーグに昇格したころまでは、唯一のプロスポーツチームとして、道内各放送局が競って応援番組を制作していました。しかし、その後、2度のJ2降格や日本ハムファイターズの移転があり、テレビ番組が消えていきました。

現在、コンサ専門の番組としては金曜夜のTVh「コンサにアシスト!」(CM含め6分間)と土曜深夜のSTV「勝利に乾杯!コンサドーレ」(5分間)ぐらいでしょう。乾杯コンサが主にその日の試合結果を中心なのに対し、コンアシは前節の結果に直前の練習情報、先発予想まで盛り込んでいます。
このほか、ファイターズと隔週で交互に選手を紹介する月曜夕方のuhb「ファイコンEXP」(6分間)。あとはファイターズを中心にした道内スポーツ番組でコンサのコーナーがある月曜深夜のuhb「Fの炎」(30分間)とSTV「Dスポーツ」(25分間)、土曜夕方のHBC「Eスポーツ」(30分間)があります。この中ではFの炎は必ず「週刊コンサドーレ」というかつての専門番組の名前を引き継いだコーナーがあり、元コンサ戦士の平川弘さんが辛口解説があり、今年はチームの10周年記念としてたまにかつての映像やインタビューなどが披露されています。ほかのEスポーツとDスポーツはファイターズの活躍によってはコーナーが吹っ飛んでしますこともあるようです。また、各局の夕方のニュース番組のスポーツコーナー(例えばHTB「イチスポ!」)などでコンサが紹介されることがありますが、最近はファイターズに押されていますね。

こうした番組は地上波での中継がめっきり減った今となってはコンサの映像を見ることができる貴重な番組なわけですが、私自身もよく見忘れたり、留守録をセットし忘れたりしていました。それが昨年春以降、単身赴任生活が始まってから、完璧に留守録して見逃さないようになりました。寂しい単身赴任も役立つことがあるものですね。数ある番組のなかから、一押しを選ぶとしたら、やはりコンアシでしょうか(決してTVhの回し者ではありません)。特に昨日は天皇杯を含む3試合のゴールラッシュをはじめ、上里のインタビュー、練習の様子、先発予想に加え、21日の10周年サンクスマッチに出場する予定の関、深川、名塚というユースコーチ陣まで登場し、てんこ盛りの内容でした。あの短い時間でよくぞやってくれたと、感激しました。
これからもコンサの活躍とともに、応援番組がますます充実していくことを期待しています。


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10:23

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播戸竜二

2006年10月09日



今が旬のバンちゃんです。10月4日のガーナ戦で日本代表デビュー、それも流血しながら頭にテーピングして出続けたガッツの男です。

コンサドーレに入団したのはJ2だった2000年シーズン。吉原宏太がレンタル移籍したガンバ大阪からトレードの格好で出場機会を求めてやってきました。この前年、U-20日本代表としてワールドユース準優勝のメンバーだったそうですが、私は活躍をよく知りませんでした。それでもエメルソンとの2トップで得点を量産。開幕戦で先制点を挙げながら骨折するというアクシデントもありながら30試合15得点と活躍し、J1昇格に貢献しました。プレー自体はうまいというよりも、気持ち、気迫を前面に出すタイプ。コテコテの関西弁で、やんちゃな兄ちゃんというキャラクターでした。エメが唯我独尊でほとんどパスを回さないなかでのこの得点はたいしたものです。J1に上がった翌01年はエメが抜けた後、ウィルと組んで27試合9得点。忘れられないのは、どの試合かは不明ですが、確か右サイドからの角度45度のFKをウィルがけり、バンちゃんはそれをヘディングで入れたように見えました。公式記録も播戸の得点となりましたが、あとでビデオを見直したら、どう見てもかすってもおらず、ウィルのFKが直接入ったようでした。それでも自分が決めたとアピールするのがFWですね。

岡田監督が去り、バンちゃんもレンタルでしたので、コンサが移籍金を払えなかったためか、01年シーズン終了とともに神戸へ移籍。04年には17得点でJ1得点ランキング3位に。J2降格の神戸を退団し、今季から古巣のガンバ大阪に戻り、10月9日現在、リーグ4位の15得点と大活躍中です。現在のコンサ戦士たちはどちらかというと、淡泊というか、プレー中にもあまり声が出ず、おとなしいタイプが多い気がします。ぜひともバンちゃんのように気迫でゴールにねじ込む点を学んでほしいと思います。とりわけFW陣は。

写真のカードは上段がJカード、下段左がカルビー、右がイレブンスターズです。



ゴンダンス

2006年10月07日

今回は、前回の「相手サポーター」で書き忘れたことを書きます。それはジュビロ磐田のゴン・中山雅史による「ゴンダンス」です。

最近見た雑誌「サッカーJ+」の記事によると、①磐田が勝利②中山がゴール③そのゴールに中山が納得している④サポーターから中山コールが発生したとき-以上の条件を満たしたときにゴンダンスは発動されるのだそうです。今季は出場機会も少なく、9月17日の川崎戦で初めて披露されたようです。

私が生で見たのは2001年10月20日、厚別でのことでした。中山の先制ゴールなどで、コンサは1-2で敗れました。たまたま私はアウェイ側のB自由席でまったり観戦し、がっかりして帰り支度を始めたところ、磐田サポーターのボルテージが上がります。そうです、テレビのインタビューに答えた中山が駆け寄ってきたのです。そして、磐田サポの大合唱に合わせてゴンが両腕を交互に上げ下げして踊ります。うれしそうな磐田サポ、そしてゴンも満面の笑みです。試合に負けて悔しい私も、このときばかりはサポを大切にする中山に脱帽し、さわやかな気持ちで家路につきました。

試合後の選手のパフォーマンスでは最近、柏の岡山一成が話題のようですが、中山などのサポを大切にする姿勢はわれらがコンサドーレの選手にも少し見習ってほしい気がしています。もちろん、試合で力を発揮することこそが1番のファンサービスですが。


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21:45

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相手サポーター

2006年10月02日

コンサの応援にこんなに盛り上がるれるのも、対戦相手があってこそです。選手たちがピッチ上で戦っているように、われわれサポーターもスタンドからの応援で戦っているのです。今回はコンサのホームゲームにやってきたサポの印象を語ってみたいと思います(残念ながら、アウェイは行ったことがないので分かりません)。

私自身、すべてのチームを見ているわけではありませんが(J2は全チーム観戦していますが、J1は未見のチームがあります)、一番印象に残っているのは清水エスパルスです。初めて見たのが2001年9月15日の札幌ドーム。結構な人数が来ていたのもありますが、サポ全体が一体となって応援していました。サンバ調のリズムに乗って歌ととともに踊り跳ねる姿が記憶に残っています。なにかサポ全体が家族のようにまとまっている感じでした。堀井学のVゴールで勝ったこともあり、いい思い出になっているんでしょうけど。コンサができたときに、清水の応援を参考にしたと聞いています。特定の大企業に頼っていない市民球団的なところも親近感がわきます。サッカーどころの清水市(合併で静岡市になりました)には、応援でも学ぶ点は多いですね。

次いでやはり浦和レッズでしょう。2000年のJ2での激闘は生観戦することができなかったのですが、01年11月3日の札幌ドーム。ほぼ満員となったドームで、浦和のサポはアウェイ側のB自由席を埋めていました。応援合戦が始まると、数では圧倒的にコンサ側が多いのに、浦和の応援歌がはっきりと聞こえます。若い男声の野太い歌声が響き渡ります。本当にすごいサポだと思いました。試合の前か後か忘れましたが、ドームの外で器物損壊の浦和サポ1人が翌年のワールドカップに向けて警備の予行演習中だった道警に捕まり、怖いイメージが増幅されました。でも、今も常に4万人以上を動員するサポの熱さがチームをJ1で優勝争いするまで押し上げたことは間違いなく、敬意を表したいと思います。2000年にはJ2仲間だったのが、思えば遠くになってしまいました…

今ですと、何と言っても柏レイソルですね。4月22日の函館にも結構来てましたが、7月12日の厚別は平日のナイト試合にもかかわらず、たくさん来襲しました。おなじみのゲートフラッグも拝見しました。応援歌もいろいろ披露し、名物の「柏馬鹿一代」までやってましたね。でも、アウェイでは少し遠慮した方がいいと思いますよ。優しいコンサのサポなら許されても、浦和などではしゃれにならないですよ。あと、名物の裸族が今年は見られなかったので、またお目にかかりたいものです。

ほかのチームでは、アルビレックス新潟とベガルタ仙台も印象深いですね。両チームのサポは来場する人数も多いうえ、コンサと同じくおじさん、おばさんが多く、売店やトイレで一緒になっても互いにあいさつしたり、とってもフレンドリーでした。応援歌では特に仙台の「We're Not Gonna Take It」が忘れられません。「ベガルタ仙台 GO! 行くぞ 仙台  俺達と共に レディゴー(Hey!×6)」というノリのいい歌声が脳裏に焼き付いています。コンサもこういうノリのいい新曲を希望します。

さて、サポーターこそチームを育てる源です。9月27日の厚別での徳島戦は残念ながら仕事で参戦できませんでしたが、録画を見ると、土砂降りの雨の中、3896人(一部徳島サポ含む)が心を一つにして応援する歌声が響いておりました。その熱気に選手たちが意気に感じ、6得点につながったに違いありません。厚別史上最少の観客数だったかもしれませんが、その思いは札幌ドームを満員にしたときにも決して劣らないと思います。雨の中、歌い、跳ね続け、応援した皆さんに拍手を送ります。それにしても、行きたかったなあ…


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18:45

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応援歌・応援コール

2006年09月24日

ゴール裏を発信地に、スタジアム全体が唱和する応援歌に応援コール。私がコンサにはまったのは、サポーターの応援にあります。立ち席こそ行けませんが、ゴール裏B自由席の端っこに座っているのは、ほかの席では思い切り歌えないからです(周りから浮き上がってしまって恥ずかしい)。一番好きな応援歌は「赤黒の勇者」、応援コールは「We are Sapporo」でしょうか。皆さんはどの歌、コールがお好きですか。

さて、応援歌やコールを覚えるのは、初めての方には大変だと思います。敷居が高くてなかなかゴール裏に近寄りずらいという方もいらっしゃるようです。そんな初心者に優しい地道な活動を続けてらっしゃるサポーターがいます。勝手に紹介させていただくと、南郷とおるさんです。自費で歌詞カードを印刷し、ゴール裏などで配布されている方です。手元に残っているのを調べたら、Vor.1は「2003年7月2日」となっていました。最新のVor.7は今年の3月4日付で、フッキの歌詞が5月3日付で追加されていますね。最初はA6判表面の16曲だけでしたが、現在はB5版両面2色印刷、32曲にパワーアップしています。詳しくはご本人のブログ「南郷とおるの応援日記」に記されています。こんな素晴らしいサポがいるからこそ、私のコンサ病が重症となり、応援をやめられなくなるんですね。

残念ながら今年の入場者数はかなり計画を下回っているそうです。経営はまた赤字転落必至とか。そこで、リピーターを増やすために、チームの勝利ももちろんですが、HFCか、サポ有志の主催で応援初心者向けに応援歌・応援コールを含め、応援の仕方を一からてほどきする教室を開いてはいかがでしょうか。応援の楽しさを味わってもらうのが、サポを増やす早道と思うのですが。


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16:36

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「観戦招待」にご協力を!

2006年09月18日

コンサドーレのサポーター有志による「コンサドーレ札幌メーリングリストConsadole.ml」発足記念行事として、2001年から毎年秋、養護施設などの子供たちとその家族たちを招待する活動が行われています。1株5万円の株主となったサポーターが特典でもらえる招待券2枚を使わずにいる人などを対象に、招待券の供出を呼びかけています。私はメーリングリストに参加しておらず、協力し始めたのは昨年からで、とても偉そうなことは言えないのですが、昨年は11月19日、札幌ドームでの京都パープルサンガ戦に総勢336人を招待したそうです。こんな活動を思いつき、実行するコンサドーレのサポーターは素晴らしいと思います。今年もささやかながら賛同させていただきます。

今年は11月11日、札幌ドームでの愛媛FC戦に200-300人を招待する計画だそうです。昨年までは株主番号と認証番号を連絡するだけで良かったのですが、今年の株主向け招待券は現物が郵送されたため、担当の方に郵送する必要があります。もしも利用予定のない招待券などをお持ちの方は、ぜひ協力されてみてはいかがでしょうか。締め切りは10月10日です。
詳しくはこのホームページにあります(リンクフリー)。

余談ですが、これまで追加招待を含めた6試合とも白星がないようです。ぜひとも今年は勝利で飾り、初めて生観戦した子供たちがコンサドーレのサポーターになるような感動を呼ぶ試合を願ってやみません。



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18:01

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続・日本代表選手

2006年09月09日

前回の日本代表選手で書ききれなかった監督らの日本代表歴を振り返ります。

東芝時代から引き続き初代監督を務めた高橋武夫監督(1996年。旧姓・木村)は古河電工時代に国際Aマッチ(以下同じ)14試合出場、4得点。現在は母校の東京農大で監督を務められているようです。

「岡ちゃん」こと岡田武史監督(1999-2001年)も古河電工時代に27試合出場、1得点。まあ、選手としてより、フランスW杯のアジア最終予選途中から本大会まで日本代表監督を務めたことが国民に強烈な記憶として残っていますよね。先日、横浜F・マリノス監督を辞任されましたが、今後はどうされるのでしょうか。またコンサに、いや言うまい…。

最も輝かしい代表歴を誇るのが柱谷哲二監督(2002年)です。日産自動車から横浜マリノス、川崎ヴェルディ時代に日本歴代9位の72試合も出場、6得点。キャプテンを務め、「闘将」と呼ばれましたが、「名選手、必ずしも名監督ならず」なのでしょうか、早々と解任されてしまいました。その後は浦和レッズコーチを経て、今季からラモス監督の下、東京ヴェルディのコーチを務めています。将来、どこかのチームで采配をふるう日が来るのではないでしょうか。

現在の指導陣では、柳下正明監督はユース代表はあるようですが、日本代表歴はありません。松井清隆GKコーチは現在の体型から想像しにくいのですが(失礼!)、大体大、日本鋼管時代に15試合出場しています。そういえば、ホーム側B自由席の右端の方で、GK練習に出てきたところで必ず「松井さーん」と、よく通る男性の声が飛び、松井コーチもちょっと照れているような気がしています。

なお、ウーゴ・フェルナンデス監督(1997-98年)はウルグアイ代表、張外龍監督(2002年、03年)は韓国代表歴があるそうです。

将来、コンサでの監督の手腕を買われて、日本代表監督に招請される、そんなことを夢見ます(オシム監督のように強奪されてはかないませんが)。

(スタッフで日本代表歴のある方がほかにいましたら、ぜひ教えてください)


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13:08

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日本代表選手

2006年09月03日

1998年のワールドカップ後、コンサドーレがJ2に降格が決まった12月5日以後、私の中で「コンサドーレ>日本代表」となった経緯は以前に書いたことがあります。今回は先日、コンサ出身のMF山瀬功治(在籍2000-02年。現横浜F・マリノス)が日本代表入りしたのを記念して、コンサにまつわる日本代表選手を振り返ってみます。

1996年のチーム発足時、日本代表歴のある選手としてDF平川弘がいました(日本代表としてはFWとDFの両方で出場している)。残念ながら、平川は半年ほどで現役を引退、現在はサッカー解説者として活躍しています。その後も元日本代表の加入は結構あります。キャプテンも務めたDF名塚善寛(在籍1999-2001年。現コンサドーレ札幌U-12コーチ)、FW高木琢也(在籍2000年。現横浜FC監督)、FW小倉隆史(在籍2002年。現サッカー解説者?)、MF酒井直樹(在籍2002-03年。現柏レイソルU-12監督兼U-10コーチ)、FW森山泰行(在籍2002-03年。現FC岐阜)、FW小島宏美(在籍2002年。現FC岐阜)。いずれも加入が決まった時は大活躍してくれるものとして期待や妄想が膨らみましたが、実際には故障を抱えていたりで往年のパフォーマンスを発揮できない選手が多く、シーズンを通して活躍したのは名塚と小倉ぐらいでしょうか。

さて、コンサが育てた選手としては、まずFW吉原宏太(在籍1996-99年。現大宮アルディージャ)です。忘れられないのはシドニー五輪のアジア1次予選で大ブレイク、ハットトリックも決めました。相手DFがザルなのか、味方のパスがいいのか、吉原は得意の飛び出しから面白いようにボレーやら難しいシュートをたたき込みました。その活躍がトルシエ監督の目にとまり、99年7月2日、コパ・アメリカでのパラグアイ戦でフル代表デビュー。でも出場時間は短く、相手選手に子供扱いされた感じでした。それでもこれがコンサ現役選手による唯一の日本代表での出場のはずです。翌年、ガンバ大阪に移籍してしまい、結局、シドニーは行けず、日本代表にも呼ばれていません。FW大黒将志(在籍2001年。現イタリア・セリエAトリノ)はコンサ時代はほとんど活躍することなく、育てたとはいえないのですが、古巣のガンバ大阪に戻って大ブレイク。ジーコ監督の下、日本代表のスーパーサブ、切り札として使われ、ドイツW杯出場を果たしました。そしてMF今野泰幸(在籍2001-03年。現FC東京)はコンサの宝でした(泣)。コンサ時代にU-19、U-20でキャプテンを務めるなど中心選手として活躍。04年アテネ五輪に出場、翌05年にはついにフル代表を射止めますが、W杯には呼ばれませんでした。先日もオシム監督に呼ばれたのですが、故障があり、出場できませんでした。そのうち、今野と山瀬のホットラインでオシム・ジャパンを支える日が来るかもしれません。うれしい反面、ちょっと寂しくもあります。

さて、オシム監督はよく選手を見ていると思います。前監督がビッグネーム、スター選手中心だったのに対し、生きの良い選手をよくピックアップしています。コンサの選手たちも今後の頑張り次第では日本代表入りも決して夢ではありません。特に鈴木や上里、石井、藤田ら若手は目標を高く掲げて頑張ってほしいと思います。それがチームの活性化、ひいてはJ1昇格につながるに違いありません。

(なお、コンサ関係選手で漏れている人がいましたら、ぜひ教えてください)


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19:39

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携帯待ち受け画面&着メロ

2006年08月26日



携帯電話は諸般の事情でドコモを使っています。もう、かなり古い機種です。もっとも、中年おじさんなので、通話とメール以外はほとんど使ったことがなく、機能的には十分すぎるほどです。本当は写メールもしないので、カメラもいらないのですが。

さて、待ち受け画面は、実はもう記憶が定かでないのですが、ユニが2003-04年版なので、どちらかの年だと思います。どこのサイトでいただいた画像かも忘れましたが、上の娘に探して出してもらい、ゲットしました。サイトの管理者の方にはあらためてお礼を申し上げます。「ROAD TO J1」とあるように、J1昇格までの短期間使う予定でしたが、予想外に長くなってしまいました…。1日も早くJ1昇格を果たし、画面を一新したいと心から願っています。

着メロも娘にダウンロードしてもらった「赤黒の勇者」です。これもサイト管理者の方にあらためてお礼を申し上げます。あまり携帯は使わない方なのですが、この着メロが鳴ると職場の中には私の携帯と認識する人がいるようになりました。

いまのところ、新機種に変更する予定はありません。ワンセグも着うたも必要ないからです。壊れたら変えなければならないでしょうけど。ただ、J1昇格の暁には、少なくとも画面の変更を迫られますね。早くその日が来るのを待ちたいと思います。皆さんは待ち受け画面や着メロ、着うたを何にしていますか?



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10:47

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森下仁志

2006年08月21日



日本代表のオシム監督のキーワードは「走る」ことのようです。コンサドーレで「走る」ということで思い浮かぶ選手が森下です。J1時代の2001年7月、ガンバ大阪からレンタルで移籍してきました。GK以外ならどこでもできるユーティリティープレイヤーで、確か手薄な右サイドの補強ということでしたが、コンサでは主にボランチを務めました。決してうまい選手ではありませんでしたが、驚くのはその無尽蔵の運動量です。サッカー選手としては驚異的な持久力だったのではないでしょうか。キックオフから後半ロスタイムまで、とにかく細い体で走り回っていた印象が強いです。この年は13試合出場、無得点でした。その風貌からか、ひそかに「板長」の愛称で呼ばれました。
翌02年、完全移籍し、キャプテンになります。しかし、この年は監督解任が続き、チームが崩壊。最下位でJ2降格が決まる、つらいシーズンでした。29試合出場、2得点。そしてJ2に落ちた03年もキャプテンを続けましたが、この年も監督交代とチーム崩壊。悲劇のキャプテンとなりました。この年は37試合出場、1得点。ゴールを決めたのは7月5日の厚別での鳥栖戦。ゴール前のオフサイドっぽい位置にいた森下に浮き球のバスが渡り、胸でトラップするとボレーでたたき込むビューティフルゴールだったと記憶しています。

この年のオフ、意外なことに、なぜかジュビロ磐田から獲得のオファーがあり、前年途中から磐田に移籍していた佐藤洋平とともにJ1の舞台に戻るのでした。04年はほとんどカップ戦や時間稼ぎ要員で、リーグ戦は9試合出場、無得点。05年はついに出場しないまま、現役を引退しました。今年から磐田のユースのコーチを務めているはずです。

どの試合でか忘れましたが、すでに敗色濃厚となり、コンサ選手の足も止まったなか、ただ一人、最後までボールを追い続けた姿は忘れられません。ただし、この姿にはヤジが飛び、某掲示板などでは「無駄走り」「モリゲ」などと揶揄されたりしたものです。しかし、私は孤高のキャプテンの姿が目に焼き付いています。オシム監督就任であらためて注目されている「走る」。アクション&ムービングを掲げる柳下コンサドーレでも基本中の基本です。孤高のキャプテンは再評価されるべきだと思っています。

写真のカードは上段左2枚がJカード、右2枚はカルビー。下段左2枚はイレブンスターズ、右1枚はパーフェクトイレブンです。



「好きですサッポロ」

2006年08月18日





シングルCD「好きですサッポロ」(700円)は道内民放アナウンサー5人の「C.S.サポーターズ」により2000年3月に全国発売されました。といっても、私が入手したのはその3年後ぐらい、近所のコーチャンフォー美しが丘店で発見しました。

アナウンサーは当時、各テレビ局でコンサドーレの応援番組を担当していたHBCの石山愛子さん、HTBの山口美保さん、UHBの千葉朱里さん、STVの宮永真幸さんと永井公彦さん。チームの応援のため、報酬ゼロで歌い、売り上げの一部はチームに寄贈されました。このころはコンサドーレも道内唯一のプロスポーツチームとして道内各テレビ局もこぞって応援してくれていました。ありがたいことです。その後、女性3人はそれぞれ結婚されるなどで退局されました(フリーになった石山さんは昨年までNHK・BSの「速報Jリーグ」のキャスターを務めていたのは記憶に新しいところですね)。コンサ応援番組も打ち切りで消えたり、大半は大幅に姿を変えました。STVのお2人も最近は北海道日本ハムファイターズで忙しいようです(それにしても、「ハム彦」と称するのはやりすぎだと思います)。それでも、各局で細々とながらも応援番組を続けてくれていることはありがたいことで、ぜひとも今後も応援をよろしくお願いしたいところです。余談ですが、今、サポーターの間で支持が高いアナウンサーはTVh「コンサにアシスト!」の佐々木由衣子さんでしょうかね。

ところで、「好きですサッポロ」の元歌は1981年に森雄二とサザンクロスが歌ってヒットさせました。このCDでは軽快なサンバ調に編曲されています。コンサの応援ではアウェイの試合開場でかなり早くからサポーターたちが勝利した際に歌っていたそうです。残念ながら私はアウェイに行ったことがないので、競技場で歌ったことがありません。近い将来、アウェイに参戦した暁にはぜひとも熱唱したいと夢見ています。



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21:37

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さらば、みちのく食品(後編)

2006年08月12日



みちのく食品の「しまふくごはん」(800円)は2006年J2道内開幕戦の3月11日、札幌ドームで発売されました。「しまふく寮」で選手たちに出している料理を、かなり忠実に再現したお弁当です。発売が発表された時、寮母さんのブログで紹介されていた料理をよだれをたらして見ていたサポーターたちを狂喜乱舞させたものです。しかし、調理に手間がかかることから、1試合に限定500食。買うのは至難の技とされ、これまでは席取りや段幕張りのために早朝から並んでいたサポたちが開場と同時にお弁当売り場に走る姿が見られるようになりました。しかも、1人で仲間の分まで10個以上も買い占める人まで現れ、買えなかった人たちを悔しがらせました。かくいう私も最初の発売日は開場30分くらい前から並んだのですが、売り場に行くと、やはり完売。2回目の4月5日に札幌ドームで上の娘の分と2個初めてゲットしました。その時の感激は今も忘れません。醤油やソースがないのに、味は濃すぎず、至福のひとときを過ごせました。驚いたのは、いい年して好き嫌いの多い上の娘がどのおかずも残さずに食べたのでした。以来、札幌ドームと厚別で販売され、最後となった7月29日の厚別で13回目の販売でした。途中から初回の再現や夏場の暑さに強いメニューにしたりで、13種類ということではありませんでしたが、寮母さんの愛情とみちのく食品の情熱をおいしくいただけました。毎回、寮母さんによるメニュー紹介とメッセージが添えられていました。手元に残してあるメッセージによると、私は結局、13回中、11回食べることができました。食べられなかった方には申し訳ないですが。写真は最後となった7月29日の「しまふくごはん」です。これが食べ納めになるとは、思っていませんでした。

次にみちのく食品が私たちを驚かせてくれたのは、衝撃的な「赤黒カレー」(380円)の登場です。赤カレーと黒カレーのレトルトダブルパックという、普通の会社なら思いついても決して商品化しないであろうものが世に出ました。しかもパッケージは赤黒縦縞。よくこんな企画が通ったものだと驚いたものです。6月3日からWEB先行発売が始まりましたが、私は10パックセットということで尻込みし、試合会場で発売された6月24日に厚別で4人家族用に5パック買いました。まあ、こんなに買うなら10パックセットもあまり変わらなかったな、と思ったのは内緒です。トマトベースの赤に、ビーフベースの黒で、味や辛さは良かったのですが、難を言うなら値段の割に具が少ないかな。でも、サポならそんなことは気にならない代物です。さらに厚別では確か同日から「赤黒カツカレー」(650円)を販売。私は7月12日に諸般の事情で到着が遅れ、「しまふくごはん」が売り切れていたので、初めて食べました。なかなかおいしかったのですが、欲をいえば、冷めていることとカツが切れ目だけで食べづらかったことでしょうか。結局、これが唯一の「赤黒カツカレー」体験となります。

  

ほかの方のブログなどの情報によると、みちのく食品はその後、新会社「きらら食品」が一部弁当事業を引き継いでいるそうです。しかしながら、「しまふくごはん」や「赤黒カレー」を復活するのは難しいだろうと思われます。私たちに弁当で至福のひとときを与えてくれたみちのく食品に感謝したいと思います。決して忘れることはないでしょう。






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12:14

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さらば、みちのく食品(前編)

2006年08月11日

スポンサーだったみちのく食品が倒産してしまいました。試合会場で私たちに応援のエネルギー源となる弁当を提供してくれていたうえに、「しまふくごはん」という画期的な弁当を開発してくれたばかりでした。過去形の思い出として語ることになったことは残念無念です。

試合会場で最初に食べた弁当はサザエ食品の「必勝弁当」でした。ですから、コンサドーレの応援弁当はこの「必勝弁当」が元祖と思いこんでいました。コンサドーレの百科事典のようなコンサ・デ・コンサで調べてみたら、みちのく食品の「かつ弁」の方が1999年から発売していて、翌2000年発売の「必勝弁当」より古かったんですね。今回調べるまで知りませんでした。ただし、試合会場内では最初売っていなかったそうで、だから「必勝弁当」が先と思いこんでいたようです。

いつから試合会場で売るようになったのかは分かりませんが、厚別でたまに「かつ弁」(600円)、「DX(デラックス)かつ弁」(700円)を買うようになりました。いずれもおいしかったです。デラックスの方は意外なほどカツが少なく、幕の内弁当に近く、中央のご飯がのりやふりかけでサッカーピッチのような形状になっていたのが印象的です。そして、わが家で1番人気があったのが「かつサンド」(450円)でした。私も夏の暑い日など食欲のあまりない日に食べていたのですが、娘は2人ともカツサンドというものを初めて食べ、すっかりファンになりました。もう、食べられないかと思うと、家族ともども残念に思っています。



「かつサンド」の赤黒のパッケージが気に入って、箱を保存しておりました。まさか、こんな形で紹介する日が来るとは夢にも思っていませんでした…

そして、「しまふくごはん」ですが、文章が長くなりましたので、後編に続きます。



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13:08

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【願い】赤と黒の鶴に願いを託して

2006年08月06日



TOKUさんの呼びかけに賛同して、闘病中のなかさんへ、赤と黒の鶴を作りました。といっても、すっかり中年おじさんは折り方を忘れており、娘に折ってもらいました。私はなかさんもTOKUさんも直接は存じ上げないのですが、皆さんととともに願いが届いてほしいと思って参加させていただきました。



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