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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。

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中村憲剛選手

2020年11月03日

2日前に今季限りでの現役引退を発表した川崎の中村憲剛は、敵ながらあっぱれな選手でした。選手として試合でのプレーはもちろん、試合以外でもチーム、クラブ、そしてJリーグのためにも貢献し、尊敬に値する人物だと思います。

私が彼を知ったのは、厚別で札幌を相手に見事なミドルシュートをたたき込んだ時です。調べてみると、2004年5月5日の川崎戦のようです。その年限りで川崎はJ1に昇格し降格することがなかったので、以後は札幌が昇格した時にしか対戦できなくなりました。J1での活躍を遠目に見ていると、攻撃的なMFやボランチとして試合を決めるスルーパスを縦に切り裂いて通すかと思えば、自らもゴールを奪う。日本代表にも選ばれる一方、「デジっち」ではベテランらしからぬ弾けぶりを披露し、サポーターへのサービス精神も満点で、愛される選手だと他サポながら思っていました。バンディエラという言葉がこれほど似合う選手もなかなかいないのではないでしょうか。

札幌は負け続けました。J1に上がるたびに、コテンパンにやられてきました。2018年9月15日には等々力で胆振地震直後とはいえ0-7と大敗、今年8月15日には札幌ドームで1-6の体たらくでした。中でも彼を忘れられない1戦は2012年4月21日の札幌ドームでの逆転負け。彼は体調不良のためベンチスタート。それまでなかなかJ1で勝てないでいたところ、珍しく前半で2得点。「今日こそは勝った」とハーフタイムに思っていたら、彼が後半頭から出場、後半早々に彼が得点を奪うと、試合の空気は完全に変化。レナトに同点とされ、試合終了間際によりによって山瀬に決められ、万事休す。彼の川崎での存在の大きさを感じさせられました。この時の敗戦で一緒に観戦したカミさんは彼を天敵と認定し、カミさんの嫌いな選手の筆頭となりました。

昨年11月に左ひざの前十字靱帯を損傷という大けがを負い、今季は出遅れましたが、8月の清水戦から復帰、その試合で得点を決めたのはさすがです。10月31日で40歳を迎え、自ら祝うバースデーゴールが決勝点となり東京FCを下しました。その翌日の引退表明は驚きましたね。表明後最初の試合となった札幌戦は彼に捧げるためにも川崎の選手たちが奮起することが札幌側からすると懸念されたところでした。ただ、結果論でいえば引退ショックがほかの選手たちに響いたのかもしれません。彼が途中出場すると、それまで後手を踏むことが多かったチームが徐々に盛り返し、終盤には川崎らしい猛攻を何度も繰り出しました。菅野のビッグセーブがなければしのぎきることはできなかったでしょう。試合終了後、彼は非常に悔しそうな表情をしていました。引退すれば、札幌戦ではこの日が見納めとなりますが、「悔しいので、もう少し続ける」となれば良いのですが。彼の活躍をもうしばらく見ていたい。「お疲れ様でした」という言葉はまだかけたくありません。


post by papa12

22:03

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