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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2015年12月06日
ついにこの日が来てしまいました。俺たちの砂川誠が昨日、引退を表明しました。記者会見では、コンサドーレと札幌の街を「大好き」と話してくれたそうです。今後もサッカーに関わっていくといい、「いずれ札幌の監督になれればすばらしい」とも語ったようです。そんな日が楽しみです。 思い起こせば、入団は2003年、柏からのレンタルでした。すぐに非凡なドリブルやパスを披露し、テクニシャンぶりを発揮しました。ただ、先発しても途中交代、あるいはスーパーサブ的に使われるなど、当時、一緒に観戦していた上の娘と「すぐに電池が切れる」と評していました。ところが、持久力は年々強化され、年を取ってからの方が90分走りきれる体力をつけたのではないでしょうか。05年に完全移籍を果たし、「俺たちの砂川誠」とチャントを歌えるようになったのはうれしかったですね。 思い出のゴールはたくさんありますが、一番はすでに退団を表明していた10年の最終戦でフリーキックを直接決めたゴールでしょうか。札幌ドームのゴール裏でウルウルしていました。その後、再契約が決まったのは本当にうれしかったですね。男気を感じました。「恥ずかしながら帰ってまいりました」というセリフも良い思い出です。次点は、確か05年のアウェイ・草津(現群馬)戦でしたか、オーバーヘッドキックで決めたのも強く印象に残っています。 ゴールよりも、ラストパスの方が覚えているかもしれません。とりわけ内村とはホットラインを築いていました。内村が今季、爆発できなかったのも、砂川の不在も影響したと思います。まだまだそんなゴールを演出する姿を見たいと思っていましたが、本人がイメージするプレーがピッチ上でできなくなったと語っているので、やむをないのでしょう。 「札幌のレジェンド」、本当にお疲れ様でした。
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