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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。

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コンサドーレバトン

2006年02月08日

回ってきましたので、今回は「思い出」ではなく、やってみます。

■Q1.現在在籍しているコンサの選手で好きな選手を3名挙げてください。(できれば理由も)
1、池内友彦(アニキ!道産子で出戻りはポイント高し)

2、鈴木智樹(道産子ではえぬきは期待大)

3、曽田雄志(同上)

■Q2.今までで印象に残っているコンサドーレの試合を3つ上げてください。(できれば理由も)
1、1998年12月5日、室蘭での福岡とのJ1第3参入決定戦(涙なくして語れません)

2、2002年11月30日、札幌ドームでの広島戦(ノーガードの打ち合いで5V-4と激しい試合でした)

3、2001年9月15日、札幌ドームでの清水戦(堀井のVゴールで3V-2で勝利した)

■Q3.家で一番多いコンサグッズを3つ挙げてください。(ユニホームなどでも可)
1、トレーディングカード(全部はそろっていませんが、多数あります。コンサに来る前や去った以降も集めています)

2、サイン色紙(家族で集めた分は20枚以上あります)

3、フラッグ(もらったものを含めると、大・中・小全部で10本ぐらい)

■Q4.コンサドーレを応援するのに必要なものをあなたなりに5つ。
1、熱い気持ち(これなしにサポは務まりません)

2、声援(とにかく応援しましょう)

3、タオルマフラー(選手入場時などの必需品)

4、レプリカユニ(周囲に宣言する意味でも大事です)

5、お金(やっぱりチームを支えるには必要ですね)

■Q5.次にバトンを受け取っていただく方を5人。

すみません。回せる方がいないので、かんべんしてください。



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21:30

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スーパービッグドーレくん

2006年02月05日

身長120センチの超特大ぬいぐるみ「スーパービッグドーレくん」は、ファンクラブdoze会員限定で2003年に発売されました。HFCによると、通常2万円の品を会員感謝価格として送料、消費税込み1万5000円で販売とうたい、なかなかHFCも商売上手になったものです。実はこれに先立ち、身長80センチの「ビッグドーレくん」が7月30日に販売されました。こちらは選手直筆入りメガホンの特典つきの限定150体が税別1万円でした。本当はこれも欲しかったのですが、当日並ばないと買えないだろうし、「スーパービッグドーレくん」が予告されていたので、我慢しました。

さて、「スーパービッグドーレくん」は10月7日締め切り(先払い)で、わが家に届いたのは12月下旬でした。注文したことは家族にも内緒でしたが、上の娘には来る前にバレてしまい、娘たちは歓迎していたようです。カミさんにはまったく内緒でしたから、到着した巨大な段ボール箱を見て驚き、激怒!しばらく夫婦間は冷戦時代を迎え、1年でのJ1復帰を果たせなかったチームとともに暗い年の瀬を迎えたのでした(そんなに大げさなものでもないですが)。

このドーレくんが来ていたユニは「白い恋人」「サッポロビール」「JAL」「JR北海道」のフルスポンサー、背番号12入りとサポ心をくすぐるものでした。受注生産ですので、販売個数は不明です。わが家の和室に鎮座し、私は観戦に向かうときは、合掌して勝利を祈願してから出陣しています。チームのユニが赤黒の縦縞に戻ったので、新しいドーレくんの登場も待たれます。そういえば、6日から雪だるまの変身ドーレくんが雪まつり会場で発売されます。明日は幸い代休なので、買いに行こうかなと思っています。



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16:43

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チョロQ

2006年01月29日

コンサドーレにまつわる「チョロQ」はJ1だった2002年に2種類、相次いで発売されました。

8月10日に発売されたのがチームスポンサー様のジェイアール北海道バスオリジナル「コンサドーレ号チョロQ」です。選手送迎用のバスをチョロQにしたもので、1個800円でした。JR札幌駅などで販売されたのですが、その日は行けないので、「売り切れたら困る」と思い、インターネットで通信販売で2個ゲットしました。送料が結構かかりましたね。あとで知ったのですが、何と2万個も売り出されたそうで、後日、札幌駅地下街のアピアのおもちゃ店で山盛りになって売っている(売れ残っている)のを見て、送料を損したと思って悲しくなりました。最近まで売っていたように思います(もしかすると、今でも)。

もう1個は10月1日に発売されたオフィシャルパートナーズ様のJR北海道オリジナル「コンサドーレ札幌応援号」です。函館本線を走る特急列車「北斗」がモデルで、1個1000円でした。限定6000個で、特急列車内でのみ販売するとのことでしたが、9月21日に札幌ドームでのJR北海道サンクスマッチ・浦和レッズ戦で1500個先行販売されるというので、その日は早めに並び、入場とともに席取りには目もくれず、売り場に全速力でダッシュ。当時アウェイサポの知人から頼まれた分と自分の保存用2個を無事にゲットできました。これもその後、長く売られていたようですが。

J1に復帰した暁には、ユース用の白いバスもチョロQにしてほしいものだと、コンサグッズマニアとしては願っています。
チョロQ




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12:06

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日本代表

2006年01月28日

日本代表に対しては、あまり熱心に応援していません。もっぱらテレビ観戦で声援を送る程度です。

前に書きましたようにコンサのサポになるのを決意した日までは、コンサよりもむしろ日本代表の方が応援に熱が入っていました。ドーハの悲劇のころはまだきちんと見ていなかったのですが、1998年ワールドカップフランス大会へのアジア最終予選は真剣にテレビ中継を見て、応援していました。特に日韓戦のホーム、アウェイとも試合内容をよく覚えています。ホーム試合での加茂監督の選手交代は、采配ミスがいかにゲームに影響するか、痛感させられたものです。

そして、運命の1997年11月16日、アジア第3代表決定戦。いわゆるジョホールバルの歓喜ですね。イランに岡野のVゴール勝ちするまで、一進一退の攻防にテレビに釘付けで、延長に入ったときはすでに日本時間は翌17日午前0時を回っていたと思います。家族が寝静まった家で、一人、「行けー!」と叫んでいたものです。このとき、岡ちゃんは国民的スターとなり、その後、まさかコンサの監督になるとは夢にも思っていませんでした。そして、私にとって忘れられない日になったのは、喜びの興奮のうちに眠って迎えた朝のことです。午前7時前、カミさんに「あの拓銀がつぶれたって!」と揺り起こされました。以来、この試合を思うと、必ず拓銀破綻を連想してしまいます。

98年フランス大会はもちろんテレビ桟敷で日本代表戦を応援しました。しかし、この年の12月5日にコンサのJ2降格が決まり、以来、私の思いはコンサに大きく傾きました。この日を境に、日本代表には熱が入らなくなってしまいました。テレビ観戦は続けていますが、冷めた目で見ている感じでしょうか。コンサの試合に一喜一憂するようなことはありません。2002年日韓ワールドカップも燃えずに終わりました。04年6月1日にはU-23日本代表が札幌ドームでU-23マリ代表と戦うのを生で見ましたが、目が追うのは元コンサの今野と山瀬の姿ばかりで、いまひとつ試合に入り込めない自分がいました。

進んでしまった道はもう後戻りできません。命ある限り、チームとともに喜怒哀楽をともにしたいと思います。



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21:30

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サテライト観戦

2006年01月20日

と言っても、サテライトはわずか2試合しか観戦したことがありません。コンサは2003年シーズンからサテライトに参戦しましたが、トップチームで出場機会が少ない選手には、格好の実戦での練習になっていると思います。

初めて見た試合は03年8月3日、宮の沢白い恋人サッカー場でのベガルタ仙台戦でした。上の娘が友達と行くつもりでチケットを買ったのですが、たまたま都合で行けなくなり、私に回ってきたものです。そういえば、最寄りのバス停から大谷地行きのバスに一緒に乗った若い女性はなんと目的地がまったく同じサテライト観戦だった、という偶然もありました。試合開始の少し前に着いたら、雨にもかかわらず、結構、席が埋まっていて、仙台サポの近くに座りました。おかげで試合後も仙台の応援コールが頭から離れませんでした。試合の方は負傷から復帰した酒井が先制、新居の2ゴールの後、酒井に交代して出場したユースの藤田が「征也のゴールを見てみたい~」というサポの応援コールに応えて2ゴールを決め、5-1で快勝しました。試合の後半途中には雨も上がり、気分良く家路につきました。それにしても、雨の中、旗を振り、応援を続けるサポは完全にビョーキだと思いました(カミさんからは「あんたも十分ビョーキ」と言われていますが)。

もう1試合は05年6月12日、札幌ドーム屋外のオープンアリーナ・サッカーステージで初めて行われたジェフ千葉戦です。うまく休みの日で、入場料が無料だし、ドーム屋外というのも見てみたいと駆けつけました。すり鉢状の芝生に座ると、ちょっと風が冷たかったけど、まずまずの観戦環境でした。試合は前半早々に清野が先制、後半に相手GKのクリアミスしたボールを謙伍が頭で押し込む、ちょっと笑えるゴールで2-0とリード。しかし、オシムイズムで走り回るジェフは徐々にペースをつかみ、その5分後に1点を奪い、ロスタイムに同点、2-2の引き分けで終わりました。実はこの試合で今季、コンサに移籍してきた芳賀が後半途中から出場していたのですが、まったく印象に残っていません(きっぱり)。むしろ、同点弾を入れながら、その直後に2枚目のイエローをもらって退場した工藤浩平が妙に記憶に残っています。

トップのホーム試合観戦を優先して休みを取るので、なかなかサテライトまで日程を合わせられないのですが、今年からはもっと観戦したいと思っています。なにせ、トップの試合ではなかなか見られない選手たちの勇姿を見ることができるのですから。



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19:17

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ファン感謝デー&キックオフ

2006年01月14日

明日15日は札幌ドームで「キックオフ2006」が開かれます。
今日はこうしたファンとチームの交流イベントを振り返ります。と言っても、私が最初に参加したのは「キックオフ2003」からで、偉そうなことは言えないのですが。

ファン感謝デーは、百科事典のようなコンサ・デ・コンサなどで調べてみると、チーム創設の1996年10月13日、最終戦の後、そのまま厚別でサイン会やアトラクションなどが行われたそうです。次からは試合とは別に設定され、JFLで優勝した翌97年11月3日、大通公園を優勝記念パレードした後、アクセスサッポロでミニサッカーや縁日などで楽しんだようです。次いでJ2で優勝した2000年11月26日、アクセスサッポロで札幌市長から巨大感謝状の贈呈などがあったそうです。そして、01年11月29日には札幌ドームで開かれ、岡田武史監督が別れを告げたのでした。

ここまではシーズン終了後に行われていたのですが、03年からは年明け後のチーム始動前に行う「キックオフ」に変わりました。「キックオフ2003」は03年1月26日、札幌ドームで開かれ、人工芝の上を歩くことができたのが印象的でした。私が最初にもらったサインはこの場ででした。そしてウィルら新戦力が披露され、1年でのJ1昇格に期待は大きく膨らんだのでしたが…。

「キックオフ2004」は04年1月16日、札幌ドームで行われ、上の娘と参加しました。何かは忘れましたが、買ったら中尾選手にサインしてもらえ、娘がサインと握手をしてもらいました。まさかシーズン途中で10番がいなくなるとは…。選手と一緒に有料ですが撮影できるコーナーがあり、娘の大好きだった佐藤尽選手らがいたので並んでいたところ、私と娘の番になる直前に選手が交代してしまい、娘は残念そうでした。

そして昨年は合宿日程の都合で交流イベントが開けず、チーム紹介イベント「全員集合!2005」が開幕直前の2月26日、札幌ドームで行われました。人工芝が張り替え中だったこともあり、交流のアトラクションはなく、選手紹介とコンサドールズの踊りぐらいでしたが、衝撃的な坊主頭3人衆登場や謙伍の「コンサドールズ入り」発言など、なかなか見どころいっぱいでした。

さて、明日は3年目の柳下コンサの披露です。私のようなミーハーの皆さんはまずカメラを忘れずに。サインをもらいたい人はサイン帳や色紙、サインペンかマジックをお忘れなく。今から楽しみですね。



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21:50

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年賀状

2006年01月07日

年賀状の図柄にコンサドーレを前面に打ち出したのは、2003年の羊年からです。私には絵心がないものですから、コンサラリーマンさんからコンサにまつわる年賀イラストを使わせていただいたのが最初でした。
いわば、私の公私の友人、知人にコンサのサポーターであることを宣言、カミングアウトするものでした。やっぱり、ちょっと恥ずかしかったのですが、今では対抗するように、旧友から浦和や仙台、京都のサポを名乗り出る賀状が届いたりもしています。
確か2年目もイラストを使わせていただき、昨年からは写真にある通り、自分で撮影したゴール裏の写真をメーンにすえています。さすがにカミさんは自分の分にはいやがるため、昨年から別な図柄の賀状をカミさん向けに作成しています。
以前には公式グッズでコンサ図柄の賀状が売り出されたこともあったようですが、今はないですね。コンサをPRする意味でも、今後もコンサ年賀状を続けていこうと思っています。来年はぜひともJ1昇格を報告する年賀状にしたい、と今から張り切っています。
nenga



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21:48

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1998-2004年生観戦記録(備忘録)

2006年01月03日

1998年Jリーグ
1試合(室蘭)1勝=バルデスのゴールで、エムボマのG大阪を下した。
第3参入決定戦1試合(室蘭)1敗=J2降格決まる。

1999年J2
1試合(室蘭)1敗=鳥栖にVゴール負け。

2000年J2
ゼロ=転勤や新しい職場は土・日曜が仕事が多く、観戦できず。

2001年J1
5試合(すべて札幌)2勝2敗1分=ベストゲームは9月15日、初の札幌ドームで清水に3-2でVゴール勝ち。岳也のゴールは忘れられません。

2002年J1
9試合(すべて札幌)3勝5敗1分=ベストゲームは8月10日、厚別でのG大阪戦。前半早々のバーヤックの虎の子の1点を、古川らの魂の守備で守りきり、連敗を9で止めた。記憶に残る試合は11月30日、ドームでの広島戦。ノーガードの打ち合いは曽田のハットトリックなどで5-4とVゴール勝ち。相川に衝突した憎っくき相手GKがコンサに来るとは夢にも思いませんでした。

2003年J2
19試合(札幌18+室蘭1)7勝7敗5分=ベストゲームは7月2日、ドームでの大宮戦。岡田のJ初ゴールんどで6-2と大勝した。

2004年J2
20試合(札幌全試合)3勝10敗7分=ベストゲームはしいて挙げれば9月23日、厚別での水戸戦。同点に追いつかれた後、清野の絶妙のクロスに相川が頭で合わせて勝ち越した。追いつかれると、引き分けか、逆転負けしていたチームの成長をうかがわせた。

1998-2005年の通算生観戦試合は75試合23勝33敗19分。かなり負けが込んでおり、厚別不敗神話と言われた2000年に観戦できなかったのが痛いですね。ぜひ早く勝ち数が負け数を上回るよう、期待しています。



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22:23

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2005年生観戦記録(備忘録)

2006年01月02日

2005年シーズンの生観戦はホーム22試合中、19試合でした。夏場の平日開催2日と同期会があって札幌の3試合(24、26、29節)が見られず、勝敗は7勝7敗5分とまったくの五分でした。アウェイはまだ行ったことがありません。ちなみに昨年まで生で勝利を見たことがなかったうちのカミさんは5試合、3勝2敗と何と勝ち越しました。今年からは「勝利の女神」になってほしいものです。

ベストゲームは10月22日、函館での山形戦です。土砂降りでずぶ濡れでしたが、7連敗中の相手に3-1で会心の勝利を収め、心は晴れ晴れとしていました。なにせ興奮してブログ(本宅)を始めてしまったほどですから

記憶に残るゲームは5月14日、厚別での水戸戦。HFC役員の不祥事直後で、厚別特有の強風がゴール裏に吹きつけ、文字通り逆風の中での試合でした。しかし、サポの声と思いが届いたのか、中山の鮮やかなゴールなどで2-0で勝利。目頭が熱くなりました。そして、試合後のヤンツーさんのあいさつ。もう2度とこんなことを監督にさせてはいけないという戒めのため、当時のメモから書き残します。
「皆さんの熱い声援があって、勝つことができました。われわれはこれからも、選手、スタッフ、そしてフロントも含めて、チーム一丸となって、夢と感動、そして喜びを与えるよう、精いっぱい戦っていきます。コンサドーレ札幌のサポーターとして、どこへ行っても誇りに思えるチームをつくっていきますので、これからも温かい声援をよろしく、ずっと、ずっと、よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」
忘れられない、というよりも、忘れてはいけない試合だと思いました。



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20:45

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toto

2006年01月01日

totoと言っても、トイレ用品メーカーでも、音楽バンドでもありません。サッカーくじ(正式にはスポーツ振興くじというそうですが)です。

2001年から本格的に始まり、当時はJ1とJ2の計13試合の試合結果ホーム勝ち(1)、引き分け(0)、アウェイ勝ち(2)を当てるものでした。その年の初回に1億円が2本出たのをニュースで知り、一攫千金を狙って2回目から競馬もパチンコもやらない私も買い始めました。だいたいマルチでダブル(勝ち、引き分け、負けのうち2つに印をつける)3つの800円分というせこい買い方ですが。
そして運命の5月19日が来ました。なんとすべて的中し、1等! 試合結果を確認する手が震えます。何度見ても全部当たっている。「やったー! 1億円は無理にしても何百万円か、まさか1千万か」と興奮して、当せん金を調べたところ…
なんと、2万2290円。それまでのtotoの当せん金額で最も低額でした。マルチですので2等2本、3等4本も当たっているので、2万5000円近くにはなりました。でも、この時のコンサドーレはアウェイでジュビロ磐田と対戦し、1-2で惜敗するのですが、コンサと磐田両方の勝ちをダブルで買ったので、もしもコンサが買っていれば何倍かの金額になったのですが。

この後も結構買い続けたのですが、もはや運を使い果たしたらしく、2度と当たることはありませんでした。どうしてもコンサの勝ちに投票してしまい、はずれる確率が高くなってしまうのです。ひいきのチームがある人は向かないですね。だって、試合前に自分がサポートするチームに負けはつけられないですから。コンサが03年からJ2に落ち、くじの対象から外れることが増えたうえ、行きつけの店もtotoを扱うのやめてしまい、次第に足が遠のき、ついに05年は1度も買いませんでした。

toto自体、売れ行きが低迷し、本来はスポーツ振興に資金を回すはずが当てが外れたようです。インターネット投票を導入したり、しているようですが、対策も後手後手ですね。最大の欠陥は試合前日までしか買えないことでは。競馬のように直前まで買えた方が良く、競技場で買えないのも痛いですね。文部科学省の天下り組織がやっている間は無理かもしれません。まあ、1番はサッカーの勝敗は予想が難しく、当たらないことなんですけどね。



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21:15

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2005年わが家の10大ニュース

2005年12月29日

明日、明後日が仕事のため、今日がブログ納め。コンサドーレにまつわる今年1年の思い出を10大ニュース風に振り返ります。

1、三原直筆サイン入り「ありがとうTシャツ」当選!
 今年のナンバー1はなんといってもこれでしょう。詳しくは本宅に書いています。

2、ブログ開設
 勢いで本宅とここと2つも開設してしまいました。さて、いつまで続くことやら…。

3、ホームゲーム22試合パーフェクト賞
 初めていただきました。賞品は写真を選べるオリジナルフォトアルバムです。

4、石屋製菓Xマスケーキ「ノエルドーレ」
 おいしくいただきました。本宅で紹介しています。

5、函館初遠征
 オフィシャルパートナーズのJR北海道様の応援ツアーで函館へ。土砂降りの雨でしたが、天敵・山形を3-1で撃破。行った甲斐がありました。これがブログ開設のきっかけとなりました。

6、ススキノ「オフサイド」見参
 上の娘の成人祝いに2人でうわさの店を訪問。赤黒に染まった空気を満喫してきました。来年は川合の店にも行ってみたいな。

7、変身ドーレくんコンプリート
 ひぐま、アザラシ、サンタをいずれもゲット! キワモノのドーレくんハンドまで買ってしまった。HFCもビョーキのサポを狙って商売熱心です。

8、戦力外通告にショック
 上の娘は三原、下の娘は権東がチームを去ることになり、涙の日々が続いています。洋平を失ってから熱が冷めたカミさんを含め、来季、またお気に入りの選手が見つかるといいのですが…

9、S席2枚当選
 カミさんが某情報誌に応募して11月23日の甲府戦のS席2枚ゲット。上の娘といい席で試合を見ましたが、ロスタイム3失点という歴史に残るシーンにしばらく腰が抜けて立ち上がれなかったとか…

10、全員観戦
 今年も12月3日の最終戦の草津戦を家族4人全員で観戦。全員観戦は昨年の最終戦の大宮戦以来、ちょうど1年ぶり。テンションが下がり気味のカミさんや娘2人をだまくらかして、来年もたくさん観戦に連れて行きたいと思っています。

それでは、皆さま、良いお年を! そして、チームは勝負の年です!



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16:50

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ビデオと写真集とDVD

2005年12月28日

なにか、グラビアアイドルのようなタイトルになってしまいましたが(笑)、コンサドーレはいずれも発売されたことがあります。
最も新しいDVDから紹介すると、「PRIDE コンサドーレ札幌激闘の軌跡!」(日活)はJ1に昇格した2001年2月に発売されました。前身の東芝時代やチーム創設の1996年以降の歩みを振り返るとともに、岡田監督の下、J2で優勝する2000年シーズンの全試合ハイライトなどをたっぷり収録しています。発売後、すぐに購入しましたが、今思えば、初めて買ったDVDのソフトで、当時はまだDVDプレーヤーを持っておらず、DVDつきのパソコンで見たんですね。余談ですが、J2最下位で終わった昨季、久々に見ていたところ、カミさんに「傷心をなぐさめているのね」と指摘されました。今、また見ながらブログを書いています。DVDは現在も販売されているようです。アマゾンなどで探してみてください。

ビデオ「97コンサドーレ札幌オフィシャルビデオ ROAD TO J(Jリーグへの道)」(ポニーキャニオン)と写真集「コンサドーレ札幌1997 JFL優勝記念写真集 コンサドーレの瞬間。」(イエローページ刊)はJFLでぶっちぎりで優勝した97年12月に発売されたようです。当時はまだサポになっていなかったのでまったく知らず、いつ入手したかはもう定かではありません。すでに絶版になっており、確かDVD購入後だと思いますが、いずれもよく行くブックオフで安く買うことができました。ビデオはともかく、写真集は今思うと、コンサドーレもバブルだったなあと思います。いまでもブックオフあたりで見かけることがありますので、興味を持った方は探してみてはいかがでしょうか。

残念ながら「PRIDE」以後、新しいDVDは出ていません。来年、HFCがDVDつきの10周年記念誌を企画しているそうなので、楽しみにいます。そしてシーズン終了後に、3度目の昇格を記念したDVDが市販されることを願っています。

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12:56

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私が最初にもらったサイン

2005年12月27日

わが家の初めてのサインは1999年の吉原宏太と紹介しましたが、私自身がもらったサインとなると、2003年1月、札幌ドームであったキックオフイベント(ファン感謝デー)の際でした。

それまではサインというと何かミーハーぽくって、いい年した中年おじさんとしては恥ずかしいと思っていて、サインには関心がないつもりでした。娘らにふられ、たまたま1人寂しくイベントに参加したところ、売店に行くと、この年加入した砂川と岡田が売り子を務め、グッズを買うと、サインしてくれていました。もちろん色紙やサイン帳などは持ち合わせず、この年発売された新しいフラッグのSとミニフラッグを購入し、サインしてもらったのでした。この両フラッグは玄関などに家宝として今も飾ってあります。

実のこのイベントの際はほかの選手にももらうチャンスが結構あったのですが、書いてもらう色紙などがなく、残念なことをしました。このため翌年のイベントには白い恋人パークで購入したサイン帳を持参し、準備万端だったのですが、ほかの皆さんも考えることは一緒で、サインをもらうチャンスはほとんどありませんでした。

以来、これを契機に、私自身も練習を見に行った際にサインしてもらうようになりました。特にトレーディングカードにサインしてもらうのが目的です。もうカミさんや娘と同じ、いやそれ以上のミーハーです(きっぱり)。



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22:22

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録画ビデオの保存

2005年12月24日

いつからかは忘れましたが、生観戦した試合も含めて、ビデオ録画するようになりました。B自由席で観戦しているので、「あのプレーはどうだったのかな」とか、「本当にオフサイドだったのか」といったことをチェックしています。スカパーを2003年から入れたので、その年からは全試合をスカパーから録画。さらに地上波も放送があれば、解説者や映像が異なるので録画し、好みの方を見て、もう一方は流して見る感じでしょうか。

最初は録画したビデオは消していたのですが、見に行けなかった03年4月12日の室蘭での福岡戦はウィルのハットトリックなどで5-0の快勝。通常は3倍速で録画していたのを、これは再放送を標準で録画して、保存版としました。この年から勝った試合を一部残し始めたんですが、これが保存版の始まりですね。04年からは勝ち試合は全部残す方針でシーズン入りしたのに、残念ながらこの年は勝利は5試合のみ。ワクワクして面白かった開幕の甲府戦(2-2の引き分け)を含め、3倍録画なので120分ビデオテープがわずか2本に収まってしまいました…。幸い今年は17勝もしたので、6本もたまり、ロスタイム3失点という歴史に残る11月23日の甲府戦も忘れてはいけない試合として収録しました。

冬のボーナスで昨日、あこがれのDVDレコーダー(HDDつき)を買ってしまいました。地上波デジタル対応ではないので、ずいぶん安くなりましたね。来年はこれに録画して、DVDに焼いて保存版を作ろうと思っています。いったい何試合、勝ってくれることでしょうか。



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13:00

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月刊コンサドーレとコンサドーレマガジン

2005年12月23日

コンサドーレ札幌のオフィシャルマガジン「月刊コンサドーレ」(北海道新聞社発行)は創刊号の2001年3月号から定期購読しています。最寄りの道新販売所に頼んでいるので、だいたい発売日の前日までに確実に届き、買い忘れることもなく、助かっています。もともと整理整頓の苦手な方なのですが、これだけは公式グッズのローリングファイルを購入してきちんと整理しています。あの厚さで350円はちょっと高い気もしますが、1冊につき25円がHFCに還元されるのだから、良しとしましょう。こうしたチームの月刊誌が続くこと自体に感謝しなければならないでしょうから。

というのは、この前にオフィシャルマガジンとして「コンサドーレマガジン」(イエローページ発行)がありました。残念ながらJ2降格が決まった1998年シーズン終了とともに休刊(もう復刊することはないでしょうが)となってしまいました。詳しくはコンサの百科事典ともいえるHPのコンサ・デ・コンサで調べていただくことにして、私がこの存在を知ったのは実は休刊後。確か休刊の翌年春に初めて丸井今井のシースペースに行き、「こんなのが出ていたんだ」と知ったのです。早速、本屋で探したところ、見あたらず、イエローページに電話してみて休刊を知り、がっかりしたのを覚えています。ですから、月刊コンサドーレの発刊はうれしかったですよ。

そのコンサドーレマガジンですが、今手元に22冊あります。実は比較的近くに本州系の新古書店が開店し、雑誌のコーナーを見ていたら、なんと第1号から計16冊が1冊50円で売っていたのでした。興奮しながらレジに走り、電光石火の速攻で買いました。家に帰ってカミさんに「やったーー!すごい収穫だった、こんなことは2度とないぞ!」と興奮冷めやらず、歓喜の報告をすると、「バカみたい」とひとこと。ほかにヤフオクなどで安く6冊ゲットし、残りは8冊ぐらいでしょうか。ぜひとも全冊そろえたいと思っています。



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11:12

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トレーディングカード

2005年12月17日

本宅でも書きましたが、コンサドーレ関係のトレーディングカード(トレカ。ポケモンカードとかが有名ですよね)を集め始めたのは2003年夏からです。最初はヤフーオークションでコンサグッズを探していたところ、いろいろ出品されているのを見て、どんなものか試しに買ってみました。届いたカードを手にして、すっかりその魅力にはまってしまいました(まったくいい年したおっさんが、と自分でも思います)。
いまだに詳しくないのですが、通常、50円とか100円程度で売られているレギュラーカードのほかに、珍しいため高額となるインサートカード(キラカード)があります。コンサ選手のレギュラーカードはほぼそろいました。インサートは高いので、無理はしない方針です。
コンサに移籍してきた選手がいると、移籍前のカードも楽しみです。若いときの姿を眺めるのは楽しいですよ。最近の移籍組では、西谷が多数出ており、早くそろえたいと思っています。現在進行形の移籍では、早速、芳賀は2枚ゲット、野本は1枚入手しました。引き続き、探索中です。
実は集め始めた年の秋に、Jカードを発行しているベースボールマガジン社がチーム登録全選手をカード化する「チームエディション」を発売することを知りました。「これはすごい。ぜひコンサをコンプリート(全種類そろえること)しなくては」と張り切り、発売日をワクワクして待ちました。ところが、対象はJ1チームのみで、この年からJ2のコンサは当然、対象にならず、とてもがっかりしたのを覚えています。それ以後も毎年、チームエディションは発売されていますが、肝心のコンサが昇格できないまま。早く昇格してもらい、カードを集めたいと、心から願っています。



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16:23

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スカパー!

2005年12月10日

スカイパーフェクTV!に加入したのは、シーズンチケットと同じく2003年からです。それまでは地上波とBSでテレビ観戦していたのですが、民放とNHK合わせて大半を放映してくれたJ1と異なり、J2に降格して放送予定ががっくり減ったためです。
特にアウェイはほとんど見ることができなくなる見通しとなったため、シーズン入り前から大蔵省(今は財務省か)のカミさんと予算折衝を続けていたのですが、なかなか許可が下りません。そのままシーズン入りしてしまい、家族全員で参戦した3月15日のホーム開幕戦は横浜FCに1-3で完敗。それでも、カミさんは「山形に勝ったらね」といい、3月22日アウェイの山形戦に運命は委ねられました。ラジオ放送で応援していると、2点を先行。これは楽勝と思っていたら、終盤に2点取られ、終了間際に曽田の決勝ゴールで逃げ切りました。同点に追いつかれたころから、私は目をつぶり、両手の指を組んで祈っていたらしく、「その姿に免じて、スカパーいいよ」と許可が下りました。
早速、すぐに近くの電気店に走り、注文。確か翌日には付けに来てくれたはずで、山形戦も録画中継で見ることができました。何かいろいろキャッシュバックがあり、初期費用は1万円もしなかったはずですが、その後、HFCのホームページから注文すると、HFCにもプラスになるうえ、コンサドーレのマーク入りのパラボラアンテナにできたことを知り、「しまったあ」と後悔したものです。
一時、映画のチャンネルも契約していましたが、今はJリーグセットと娘2人の費用負担によるディズニーチャンネルのみ。最初の年こそJ1から降格したばかりで人気チームとあって大半が生中継だったのですが、成績低迷の昨年からは録画中継が増えて残念です。来年は生中継が増える活躍を!と期待しています。



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21:32

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シーズンチケット

2005年12月09日

シーズンチケットを買い始めたのは、2003年からです。
2000年に室蘭から札幌に転勤になったのですが、あいにく土・日曜は仕事が多い職場で思うように観戦できませんでした。その後の人事異動で、2002年半ばから週末は休みやすい職場に変わり、いよいよ観戦熱が高まり、翌年からシーチケにしたわけです。一応、大蔵省(今は財務省ですか)のカミさんからは、私の2月の誕生日プレゼントとして購入が許されたのです。
手元に残してあるシーチケを見ると、2003年は洋平、健作、今野、相川の顔写真が使われています(相川以外は残っていません…)。それに比べ、昨年と今年のはちょっと手抜きのデザインではないかと。
今考えると、J2に落ちてから購入しているわけで、喜びよりも悲しい思い出の方が多かったかもしれません。来年も購入するつもりですが、喜びが多いシーズンであってほしい、と願っています。

ところで、話は変わりますが、「シーズンチケット」という英国映画を知っていますか。悪ガキ2人が大ファンのニューカッスルのシーチケを手に入れようと悪戦苦闘する話ですが、粋なラストシーンが用意されています。サッカーが登場する英国映画はなかなか面白いですよ。



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22:23

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B自由席

2005年12月03日

私が座る場所は、ホーム側のB自由席です。
ここに位置を定めるまで、結構、さまよいました。最初に観戦したのが室蘭だったので、当時は最も安い席はゴール裏のほか、バックスタンドの芝生席もB自由で、芝生席は寝転がることもでき、非常に見やすい席でした。そのころはゴール裏のあの熱気の中には身を置くことはできないと思っていました。厚別や札幌ドームで見始めたときもアウェイ側のB自由に座ったり、もらった券でいい席に座ったりもしましたが、そのうちに思い切り声援したいと思うようになり、ホーム側に座りました。そのころはまだJ1で、ゴール裏も今より熱気にあふれ、コールや応援歌を歌うと感動して目頭が熱くなりました。以来、ホーム側B自由席住まいですが、立ち席の熱烈サポーター席ではなく、両端1ブロックだけある座り席のうちメーンスタンド側の前の方にまったり座っています。コーナーフラッグの近くですね。立ち席は、友達が来れなかった下の娘につきあって一度だけ座り、いや立ちましたが、あとで筋肉痛に苦しんだ中年おやじは次から座り席に戻ったのでした。
札幌ドームができた年はJ1で人気も高かったことから、チケットが売り切れたり、前の方の席に座るには並ばなければ無理でした。今ではガラガラで、試合中でも空席が目立つようになりました。隣の立ち席もスカスカで、立たずに座っている人もいるようです。あのゴール裏が熱気に包まれた日々がまた来ることを信じて、応援を続けましょう。

ところで、今日は家族4人全員で観戦です。全員参加は昨年の最終戦以来、丸1年ぶりですね。でも上の娘とカミさんはSA席、下の娘は友達と立ち席、結局、私は1人で定位置です。来季につながるよう力いっぱい応援し、そしてチームを去る選手に別れを告げたいと思います。



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10:37

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初めてのグッズ購入

2005年12月02日

初めて購入したコンサグッズは1998年4月4日、室蘭市入江運動公園陸上競技場で初観戦したガンバ大阪戦でメガホンでした。娘2人にそれぞれ買いました。当時はチアホーンこそもうなかったのですが、まだメガホン全盛で、とりわけこの年、Jリーグに昇格したコンサはメガホン率が高かったようで、対戦したチームの選手が「やたらメガホンの音がうるさかった」といった趣旨のことを話していたのを覚えています。今でもメガホンは売っていますが、応援は肉声と拍手が中心になりましたね。

次に買ったのはやはりタオルマフラーだったと思います。競技場に通う回数が増えるに連れ、グッズ類もどんどん増え始め、いつのまにかコレクターのようになってしまいました。とりわけトレーディングカードはヤフオクなどを利用して集めています。HFCも最近は競技場限定だの、変身ドーレくんなど、マニア心をくすぐるグッズを次々に発売し、なかなかあくどい商売上手になったものです。

さて、そんなビョーキの夫にカミさんもあきれ顔ですが、2003年暮れにファンクラブ会員限定の「スーパービッグドーレくん」が届いた際には夫婦関係が一時険悪化しました。全長120センチ、1万5000円もした究極のぬいぐるみは現在、仏壇の隣に鎮座しておりますが、飼い犬も最初はおそろしかったのか、近寄れませんでした。その後、カミさんの怒りも沈静化し、なんとか離婚されずに今日に至っています。

さて、明日の草津戦、ファンバナ買わなくちゃ!



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15:16

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100万本フラッグ運動

2005年12月01日

「100万本フラッグ運動」って知っていますか?
サポーターズ持株会が2001年春から呼びかけを始めたもので、コンサ・デ・コンサによると、「コンサドーレの試合のある日に、自宅の玄関先などにチームフラッグを掲揚して貰い、コンサドーレを応援する気運を広げようというものです」。私もこれに賛同して、すぐに掲揚を始めました。ただし、最初は競技場内で売っている「小」と「中」の旗でした。これでは目立たないので、その年のうちに丸井今井のCスペースへ行って「大」を購入(確か3000円くらい)。ついてくるプラスチック製のポールでは短いので、カミさんが物干し用?の金属製ポールをホーマックで買ってきてくれ、運動会で使うパラソルを立てる台に立てるようにしました。
いやー、目立つ、目立つ。清田区真栄には1999年夏に引っ越してきて、その2年後だったのですが、近所の人たちや犬の散歩仲間から「コンサドーレにお勤めなんですか?」とずいぶん聞かれたものです。今も試合の日は(雨や風が強い日は玄関内ですが)家の前に掲げ、必勝を祈願しています。
できることなら、コンサの試合の日は競技場のそばはもちろん、札幌、そして北海道中が旗がなびくようになってほしいと願っています。さあ、あなたも掲げてみませんか。

話は変わりますが、11月28日のアクセスランキングで何と100位に入りました! 最近、記憶力が衰え、備忘録代わりに始めたような中年おやじの自己満足ブログなのに、わざわざ見ていただき、感謝感激です。どれだけ続くのか、心許ないのですが、これからの励みにしたいと思います。



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22:10

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後援会、ファンクラブ、持株会…

2005年11月28日

コンサドーレ札幌の北海道後援会に入ったのは1999年からです。前年12月5日のJ1参入戦で敗れた際にサポーターになる決意をしたのを受け、翌年、加入したわけです。ファンクラブに入らず、後援会にしたのは、会費のほぼ全額がチームに役立てられるからでした。以後、毎年、1口だけですが、更新しています。ただ、後援会は加入していてもほとんど特典がなく、会員も減少しているらしいです。児玉社長がブログに書かれているように、もう一度、何か魅力、付加価値をつけて立て直してほしいと思います。

ファンクラブ加入は遅く、2002年からです。最初、ファンクラブなんてミーハーぽいっかなと思って入らずにいたのですが、チケット購入などで利点が多いため、遅ればせながら入りました。家族4人全員の家族会員です。今では立派なミーハーで、こんなことなら早く入っていればプレミアムメンバーになれたのにと、後悔しております。ちなみに上の娘は吉原宏太ファンのため、1999年の1年だけ加入していました。

サポーターズ持株会は、エメルソンの移籍金をと2000年末にあった募集に、1口だけですが、出資しました。見返りを期待して出資したサポは少ないとは思いますが、債務超過の会社では紙くず同然です。2004年からはパーソナルスポンサーにも入っています。こうしてみると、HFCもサポから搾取するべく、なかなか知恵を絞っていますね(^_^;)



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16:26

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レプリカユニホーム

2005年11月27日

初めてレプリカユニホームを購入したのは、2002年でした。カミさんが応援に熱の入る夫を見かねて、私の2月の誕生日プレゼントとして買ってくれたものでした。コンサとしてはオーソドックスな赤黒の縦縞で、スポンサーは前が白い恋人、後ろがサッポロビール。この赤黒縦縞が一番見慣れていて好きですね。着なくなった今も大事にしまってあります。東芝時代に監督だった石崎さんによると、ACミランをまねしたのが始まりとか。
1シーズンだけではもったいないので、翌年も、翌々年も、結局、3年使いました。この2年間のレプリカのデザインが好きでなかったこともあるのですが。さすがに3年着ると、毛玉ができたり、かなり傷んできました。そこでやむなく今年、レプリカを買い替えました。そう、あの赤黒縦縞でなく、ほとんど赤に背中にトラックにひかれた跡と酷評されたやつです。しかも襟がありません。これでは、後で発売されたイージーレプリカやらTシャツでも良かったかなとがっかりしていました。

まだ正式発表はないようですが、一部報道によると、オフィシャルサプライヤーがadidasからKappaに代わり、赤黒縦縞が復活するそうです。今年のレプリカは1年しか着ていないので、もったいないのですが、赤黒縦縞になるなら、来年も買おうと思っている。

なお蛇足ですが、大学ラグビーは赤黒横縞の早稲田を応援しています。ただ、最近のフォワードで勝負するのはワセダらしくない。メイジみたいであまり好きではありません。ちょっとラグビー観戦熱は冷めています。



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20:50

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初めての厚別

2005年11月22日

記憶が少し怪しいのですが、初めて厚別競技場で観戦したのは2001年10月27日のサンフレッチェ広島戦だったはずです。
J2で優勝して昇格を決めた2000年は室蘭にいて春に有珠山噴火に遭遇、秋に札幌へ転勤と忙しい1年で、しかも土・日曜の仕事が増えて1試合も生観戦できませんでした。ですから、「厚別不敗神話」をテレビさじきで見て「いいなあ、見に行きたいなあ」と思っていました。
初めての厚別は確か平日のナイト試合。たまたま仕事を早く切り上げられ、職場から厚別に駆けつけ、つてでSS席に座りました。播戸、ウィルの得点で先制、リードしながら、不可解な判定によるPKなどで追いつかれました。しかし、すぐにウィル、播戸と勝ち越し、突き放すゴールで快勝しました。良かったなあ。

実は清田区にあるわが家から厚別も札幌ドームも公共交通機関といえば、バスになります。厚別はバス停から遠く、本数も少なく不便です。そこで自転車にしてみると、15分余りで着き、とても便利です。ドームだと25分くらいでしょうか。今では厚別観戦といえば、娘たちとも自転車で通っています。

不敗神話が消えてしまった厚別ですが、いつの日か、神話が現実として復活することを心から願っています。



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22:53

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初めてのサイン

2005年11月20日

わが家でコンサドーレ選手から最初にもらったサインは1999年、吉原宏太でした。
当時、人気がブレイクし始めていたコータの笑顔に上の娘がやられてしまいました。当時住んでいた室蘭に練習に来て、本人は学校で行けないので、カミさんに頼みました。カミさんは小学生の下の娘を連れて練習会場に行き、本人を必死の思いで追いかけて色紙にサインをもらってきました。私が希望した岡ちゃんのサインはコータを追いかけるのに忙しく、もらいそこねたのでした。その後、コータはコンサを去り、ガンバ大阪に移籍してしまいましたが、上の娘にとってはいまでも特別な存在なようで、サインは宝物として自室に飾ってあります。そういえば、この前年、いまはなき横浜フリューゲルスが合宿に室蘭に来て、室蘭大谷高出身の佐藤尽らがサイン会を開きました。上の娘は当時、まったく興味がなく行かなかったのですが、後にコンサに来た尽のファンになるとは知るよしもありませんでした。
その後、札幌に引っ越したのですが、清田区ですので、宮の沢はなかなか行けませんでした。そのうちに宮の沢のほかに、清田区にある白旗山や札幌ドーム練習場で練習するようになり、カミさんと上の娘が何回か通って、たくさんの選手からサインをもらいました。私や下の娘も回数は少ないですが、少しサインをもらったことがあります。
こうして集まったサインはわが家の家宝として、階段の壁に飾ってあるほか、色紙ホルダーに大事にしまっています。いつの間にか、いい年した中年おやじがすっかりミーハーになっているのでした。



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16:04

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テレビ観戦

2005年11月19日

道産子の私は、以前からビールならサッポロビール、ウィスキーならニッカなどと、できる限り北海道ゆかりの商品を買うようにしていました。スポーツでも北海道のチームを応援しています。
コンサドーレ札幌は1996年に北海道初のプロスポーツチームとして誕生したので、当然のようにかげながら声援していました。ただし、98年に生観戦するまでは、テレビ観戦するだけでした。

そんな中で興奮して見たのが、JFLだった97年5月25日の川崎フロンターレ戦。職場でつけっぱなしのテレビで、仕事の手を休めながら見ていました。88分に1点を奪われ、1-3の絶体絶命。これはダメだろうと思っていたら、ロスタイムにバルデスが連続ゴールで何と同点。延長戦もバルデスのVゴールでついに勝ってしまった。ロスタイムの1点目が入ってから、私は完全に仕事をさぼって、テレビの前にかじりつき状態。いやー、この試合を厚別で生で見た人は幸せですよね。

もう1試合、忘れられないテレビ観戦を挙げると、J2だった2000年7月29日の浦和レッズ戦。0-1から田渕の同点ゴール、そして86分、インターセプトから自らオーバーラップした大森の逆転ゴール。テレビの前で叫んでいました。いまでもこの2ゴールはまぶたに浮かぶようです。これも厚別劇場でした。厚別不敗神話が懐かしいなあ。

これ以後はやはり生観戦の興奮の方が上回り、できる限り競技場に足を運ぶようにしています。



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22:02

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下の娘の初観戦

2005年11月18日

下の娘は現在、中学3年生。前に初観戦で書きましたが、家族そろって初めて観戦した1998年当時は小学2年生。サッカーなんて知らない子供でしたから、飽きて前半だけで出てしまった。その後は長く遠ざかっていたのですが、J1だった2002年11月30日、札幌ドームでのシーズン最終戦を私と2人で観戦することになりました。なぜ本人が行く気になったのかは忘れましたが、チケットがたまたま余っていたからかもしれません。

相手はともにJ2に降格するサンフレッチェ広島。壮絶な戦いでした。
序盤に小倉が先制するも、立て続けに3失点。なんとか追いついたら、また失点。終了間際にソダンが同点弾を決め、延長に。そして、勝負弱かったコンサドーレがソダンのハットトリックとなる3得点目で、ノーガードの打ち合いにようやく終止符を打った、あの試合です。途中、相川が、下田に代わって途中出場した相手GKと交錯する場面もあり、日頃お上品な父娘が「うちの相川になにすんだ!このボケッ!」と叫んでいたのを覚えています。その際に、憎っくき相手の「林」という名前を脳裏に焼き付けましたが、まさかコンサに来るとは思ってもみませんでした。林、今は応援しているよ!

翌年、中学に進んだ下の娘は長女よりも試合に通うようになりました。「あんな、すごいものを見たら、やめられないって」と言います。学校で見つけたサポ仲間と一緒に立ち席ではねております。座ってまったり観戦している父親としては、ちょっぴり寂しいのですが。



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23:36

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コンサポはいい人だ!

2005年11月12日

確か2001年の秋だったと思う。当時、土・日曜は仕事で休めないことが多かった。その日はたまたま休みとなり、急きょ、自転車に乗って20分足らずの厚別に駆けつけた。前売りを買っていなかったので、チケット売り場に向かうと、赤黒のレプリカを着た初老の男性が私を呼び止め、「連れが来れなくなったので、これ使って」とB自由席のチケットを差し出した。突然のことで「えっ、それはどうもすみません」と口ごもりながらお礼を述べると、その男性はスタスタと歩き去ってしまった。その際にきちんとお礼できなかったことが、いまでも心残りとなっています。この場を借りて、あらためて感謝の気持ちを述べさせていただきます。
そのほかにも中年女性から「余ったので」と必勝弁当をもらったり、手作りの料理をおすそ分けしもらったりしたことがあります(もらってばかりですね…)。

私は1人か家族と行くのがほとんどですが、そこで知り合うコンサポの皆さんの温かさにいつも感心しています。もしかすると、選手やチームよりも、あったかいコンサポが好きなのでは、と自分でも思うこともあります。Jリーグの調査でも年齢層が高く、女性が多いのがコンサポの特徴のようですが、たとえ将来、どんなに常勝チームに育っても、コンサポはいつまでも温かいままで変わらないでいてほしいと願っています。



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18:42

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サポになる決意をした日

2005年11月11日

1998年12月5日、その日を忘れることはないだろう。
この年、Jリーグにデビューしたコンサドーレは第1ステージで18チーム中16位、第2ステージ10位と健闘した。ところが、翌年スタートのJ1には16チームしか進めない。下位4チームとJFL優勝チームで3席を争うJ1参入決定戦が行われた。コンサドーレは本来、関係ないはずが、前年の成績を加算する不可思議なルールにより、参加するはめとなった(いまだにJリーグのこのやり方には賛成できない)。
神戸に2連敗し、福岡にもアウエーで敗戦。いよいよ後がなくなった。チーム創設以来、「おらが北海道のチームだから」とテレビ観戦で応援する程度だったが、当時は室蘭に住んでいて、居てもたってもいられず、スキーウエア上下を着込んで雪の舞う室蘭市入江公園陸上競技場に駆けつけた。
が、応援むなしく0-3。惨敗だった。この時、残留を果たした市原、神戸、福岡はリーグ戦途中から参入戦に照準を合わせていたとしか思えない。

雪のピッチにがっくり崩れ落ちる選手たち。しかし、J2降格を責めるような罵声はなかった。それどころか、「コーンサドーーレ!」という温かいコールが続いた。何度も、何度も…。就任が決まっていた岡田監督に期待して「岡ちゃんとJ1に上がろう」という声援も飛んだ。
思わず目頭が熱くなり、心の奥底から誓った。「今は弱いこのチームを支えて行こう」と。



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19:24

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不勝神話の終焉

2005年11月07日

うちのかみさん(妻)はあまりサッカーが好きではありません。ほとんどビョーキになってしまった夫につきあって、たまに見に行く程度です。
最初の時に書きましたが、初観戦は夫と同じ1998年4月4日、室蘭でのガンバ大阪戦。せっかくの勝ち試合なのに、飽きた子供をあやしに後半から帰ったのが運のつきでした。次に観戦した翌99年3月28日、室蘭でのJ2・鳥栖戦はVゴール負け。以来、鳥栖嫌いです。ちなみにこの時の鳥栖サポーターは2人しかおらず、敬意を表するとともに、妙に悔しかったのを覚えています。
以後、なぜか観戦すると、勝てません。とりわけ、札幌ドームで初めてシーズン開幕戦を迎えた2003年3月15日は気合を入れて家族4人総出で行ったのですが、なんと横浜FCに3失点。かみさんは佐藤洋平のファンでしたので、洋平のがっくりする姿に気落ち。そのうちに、藤ヶ谷が正GKになったのもあり、「私が行くと負けるから、もう行かない」と言うようになってしまいました。昨年はドーム最終戦の大宮戦にサッポロビール様の抽選でSS席が当たり、家族4人で久々に観戦するも、開始直後の失点で敗戦しました。

今年も3月13日の鳥栖戦で敗戦から始まったのですが、8月13日に上の娘と行った厚別で仙台に逆転勝ちし、ついに初勝利の日を迎えました! 続いて8月31日に今度は1人で行った札幌ドームで湘南に勝ち、「勝利の女神(おばさんですが)」になりました! ホームの残り3試合で、かみさんは12月3日の最終戦に行く予定です。不勝神話に完全にピリオドを打ち、「勝利のおばさん」になるよう願っています。



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11:04

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