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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2006年10月22日
10月21日というと、私より前の世代には「国際反戦デー」と思い浮かぶ人も多いかもしれません(笑)。2006年10月21日、J2第46節神戸戦はコンサドーレ札幌の「10周年感謝デイ」と銘打って札幌ドームで行われ、今季最多の1万8547人が詰めかけました。それもそのはず、前座試合として元コンサ選手らによるOB戦があったからです。ペレイラ、平川、名塚、野々村、古川、田渕、深川、関、森、川合、黄川田、森下、田畑、佐藤尽…ら、書ききれないほどの思い出の元選手たちが集合。20分ハーフの夢のような至福の一時が繰り広げられました。 さらにはコンサドールズのOGも加わって歴代の踊りを披露したり、コンサOBの現役Jリーガー6人のビデオレターなど、見どころ満載でした。ただ、歴代ユニホームのピンズセットはウワサでは限定200か、300セットだったとかで、すごい行列ができていて、まったく買えませんでした…。売れ残りが心配なら予約制にするとか、なんとかならなかったものでしょうか。今からでも増産を希望します。 さて、写真はマッチデイプログラムに掲載されたいわゆる名刺広告です。乏しい小遣いのなかから大枚1万円を投じたものです。今季のHFCは入場者数の伸び悩みなどで赤字転落必至の情勢らしいです。個人にとってはそれなりに重みのある額ですが、HFCにとってはささやかな小銭にすぎないでしょうが、地球の裏側からやって来たペレイラの旅費の一部の足しにでも使ってもらえれば本望です。それと、また募集するときは、せめて広告にブログのURLぐらいは入れられるようにお願いします。 そして、肝心な神戸戦は…。もう、忘れました。年を取ると、物忘れが激しいもんですから。これからも前を向いて、応援していきたいと思います。来季こそ!
2006年10月14日
コンサドーレが誕生し、Jリーグに昇格したころまでは、唯一のプロスポーツチームとして、道内各放送局が競って応援番組を制作していました。しかし、その後、2度のJ2降格や日本ハムファイターズの移転があり、テレビ番組が消えていきました。 現在、コンサ専門の番組としては金曜夜のTVh「コンサにアシスト!」(CM含め6分間)と土曜深夜のSTV「勝利に乾杯!コンサドーレ」(5分間)ぐらいでしょう。乾杯コンサが主にその日の試合結果を中心なのに対し、コンアシは前節の結果に直前の練習情報、先発予想まで盛り込んでいます。 このほか、ファイターズと隔週で交互に選手を紹介する月曜夕方のuhb「ファイコンEXP」(6分間)。あとはファイターズを中心にした道内スポーツ番組でコンサのコーナーがある月曜深夜のuhb「Fの炎」(30分間)とSTV「Dスポーツ」(25分間)、土曜夕方のHBC「Eスポーツ」(30分間)があります。この中ではFの炎は必ず「週刊コンサドーレ」というかつての専門番組の名前を引き継いだコーナーがあり、元コンサ戦士の平川弘さんが辛口解説があり、今年はチームの10周年記念としてたまにかつての映像やインタビューなどが披露されています。ほかのEスポーツとDスポーツはファイターズの活躍によってはコーナーが吹っ飛んでしますこともあるようです。また、各局の夕方のニュース番組のスポーツコーナー(例えばHTB「イチスポ!」)などでコンサが紹介されることがありますが、最近はファイターズに押されていますね。 こうした番組は地上波での中継がめっきり減った今となってはコンサの映像を見ることができる貴重な番組なわけですが、私自身もよく見忘れたり、留守録をセットし忘れたりしていました。それが昨年春以降、単身赴任生活が始まってから、完璧に留守録して見逃さないようになりました。寂しい単身赴任も役立つことがあるものですね。数ある番組のなかから、一押しを選ぶとしたら、やはりコンアシでしょうか(決してTVhの回し者ではありません)。特に昨日は天皇杯を含む3試合のゴールラッシュをはじめ、上里のインタビュー、練習の様子、先発予想に加え、21日の10周年サンクスマッチに出場する予定の関、深川、名塚というユースコーチ陣まで登場し、てんこ盛りの内容でした。あの短い時間でよくぞやってくれたと、感激しました。 これからもコンサの活躍とともに、応援番組がますます充実していくことを期待しています。
2006年10月07日
今回は、前回の「相手サポーター」で書き忘れたことを書きます。それはジュビロ磐田のゴン・中山雅史による「ゴンダンス」です。 最近見た雑誌「サッカーJ+」の記事によると、①磐田が勝利②中山がゴール③そのゴールに中山が納得している④サポーターから中山コールが発生したとき-以上の条件を満たしたときにゴンダンスは発動されるのだそうです。今季は出場機会も少なく、9月17日の川崎戦で初めて披露されたようです。 私が生で見たのは2001年10月20日、厚別でのことでした。中山の先制ゴールなどで、コンサは1-2で敗れました。たまたま私はアウェイ側のB自由席でまったり観戦し、がっかりして帰り支度を始めたところ、磐田サポーターのボルテージが上がります。そうです、テレビのインタビューに答えた中山が駆け寄ってきたのです。そして、磐田サポの大合唱に合わせてゴンが両腕を交互に上げ下げして踊ります。うれしそうな磐田サポ、そしてゴンも満面の笑みです。試合に負けて悔しい私も、このときばかりはサポを大切にする中山に脱帽し、さわやかな気持ちで家路につきました。 試合後の選手のパフォーマンスでは最近、柏の岡山一成が話題のようですが、中山などのサポを大切にする姿勢はわれらがコンサドーレの選手にも少し見習ってほしい気がしています。もちろん、試合で力を発揮することこそが1番のファンサービスですが。
2006年10月02日
コンサの応援にこんなに盛り上がるれるのも、対戦相手があってこそです。選手たちがピッチ上で戦っているように、われわれサポーターもスタンドからの応援で戦っているのです。今回はコンサのホームゲームにやってきたサポの印象を語ってみたいと思います(残念ながら、アウェイは行ったことがないので分かりません)。 私自身、すべてのチームを見ているわけではありませんが(J2は全チーム観戦していますが、J1は未見のチームがあります)、一番印象に残っているのは清水エスパルスです。初めて見たのが2001年9月15日の札幌ドーム。結構な人数が来ていたのもありますが、サポ全体が一体となって応援していました。サンバ調のリズムに乗って歌ととともに踊り跳ねる姿が記憶に残っています。なにかサポ全体が家族のようにまとまっている感じでした。堀井学のVゴールで勝ったこともあり、いい思い出になっているんでしょうけど。コンサができたときに、清水の応援を参考にしたと聞いています。特定の大企業に頼っていない市民球団的なところも親近感がわきます。サッカーどころの清水市(合併で静岡市になりました)には、応援でも学ぶ点は多いですね。 次いでやはり浦和レッズでしょう。2000年のJ2での激闘は生観戦することができなかったのですが、01年11月3日の札幌ドーム。ほぼ満員となったドームで、浦和のサポはアウェイ側のB自由席を埋めていました。応援合戦が始まると、数では圧倒的にコンサ側が多いのに、浦和の応援歌がはっきりと聞こえます。若い男声の野太い歌声が響き渡ります。本当にすごいサポだと思いました。試合の前か後か忘れましたが、ドームの外で器物損壊の浦和サポ1人が翌年のワールドカップに向けて警備の予行演習中だった道警に捕まり、怖いイメージが増幅されました。でも、今も常に4万人以上を動員するサポの熱さがチームをJ1で優勝争いするまで押し上げたことは間違いなく、敬意を表したいと思います。2000年にはJ2仲間だったのが、思えば遠くになってしまいました… 今ですと、何と言っても柏レイソルですね。4月22日の函館にも結構来てましたが、7月12日の厚別は平日のナイト試合にもかかわらず、たくさん来襲しました。おなじみのゲートフラッグも拝見しました。応援歌もいろいろ披露し、名物の「柏馬鹿一代」までやってましたね。でも、アウェイでは少し遠慮した方がいいと思いますよ。優しいコンサのサポなら許されても、浦和などではしゃれにならないですよ。あと、名物の裸族が今年は見られなかったので、またお目にかかりたいものです。 ほかのチームでは、アルビレックス新潟とベガルタ仙台も印象深いですね。両チームのサポは来場する人数も多いうえ、コンサと同じくおじさん、おばさんが多く、売店やトイレで一緒になっても互いにあいさつしたり、とってもフレンドリーでした。応援歌では特に仙台の「We're Not Gonna Take It」が忘れられません。「ベガルタ仙台 GO! 行くぞ 仙台 俺達と共に レディゴー(Hey!×6)」というノリのいい歌声が脳裏に焼き付いています。コンサもこういうノリのいい新曲を希望します。 さて、サポーターこそチームを育てる源です。9月27日の厚別での徳島戦は残念ながら仕事で参戦できませんでしたが、録画を見ると、土砂降りの雨の中、3896人(一部徳島サポ含む)が心を一つにして応援する歌声が響いておりました。その熱気に選手たちが意気に感じ、6得点につながったに違いありません。厚別史上最少の観客数だったかもしれませんが、その思いは札幌ドームを満員にしたときにも決して劣らないと思います。雨の中、歌い、跳ね続け、応援した皆さんに拍手を送ります。それにしても、行きたかったなあ…
2006年09月24日
ゴール裏を発信地に、スタジアム全体が唱和する応援歌に応援コール。私がコンサにはまったのは、サポーターの応援にあります。立ち席こそ行けませんが、ゴール裏B自由席の端っこに座っているのは、ほかの席では思い切り歌えないからです(周りから浮き上がってしまって恥ずかしい)。一番好きな応援歌は「赤黒の勇者」、応援コールは「We are Sapporo」でしょうか。皆さんはどの歌、コールがお好きですか。 さて、応援歌やコールを覚えるのは、初めての方には大変だと思います。敷居が高くてなかなかゴール裏に近寄りずらいという方もいらっしゃるようです。そんな初心者に優しい地道な活動を続けてらっしゃるサポーターがいます。勝手に紹介させていただくと、南郷とおるさんです。自費で歌詞カードを印刷し、ゴール裏などで配布されている方です。手元に残っているのを調べたら、Vor.1は「2003年7月2日」となっていました。最新のVor.7は今年の3月4日付で、フッキの歌詞が5月3日付で追加されていますね。最初はA6判表面の16曲だけでしたが、現在はB5版両面2色印刷、32曲にパワーアップしています。詳しくはご本人のブログ「南郷とおるの応援日記」に記されています。こんな素晴らしいサポがいるからこそ、私のコンサ病が重症となり、応援をやめられなくなるんですね。 残念ながら今年の入場者数はかなり計画を下回っているそうです。経営はまた赤字転落必至とか。そこで、リピーターを増やすために、チームの勝利ももちろんですが、HFCか、サポ有志の主催で応援初心者向けに応援歌・応援コールを含め、応援の仕方を一からてほどきする教室を開いてはいかがでしょうか。応援の楽しさを味わってもらうのが、サポを増やす早道と思うのですが。
2006年09月18日
コンサドーレのサポーター有志による「コンサドーレ札幌メーリングリストConsadole.ml」発足記念行事として、2001年から毎年秋、養護施設などの子供たちとその家族たちを招待する活動が行われています。1株5万円の株主となったサポーターが特典でもらえる招待券2枚を使わずにいる人などを対象に、招待券の供出を呼びかけています。私はメーリングリストに参加しておらず、協力し始めたのは昨年からで、とても偉そうなことは言えないのですが、昨年は11月19日、札幌ドームでの京都パープルサンガ戦に総勢336人を招待したそうです。こんな活動を思いつき、実行するコンサドーレのサポーターは素晴らしいと思います。今年もささやかながら賛同させていただきます。 今年は11月11日、札幌ドームでの愛媛FC戦に200-300人を招待する計画だそうです。昨年までは株主番号と認証番号を連絡するだけで良かったのですが、今年の株主向け招待券は現物が郵送されたため、担当の方に郵送する必要があります。もしも利用予定のない招待券などをお持ちの方は、ぜひ協力されてみてはいかがでしょうか。締め切りは10月10日です。 詳しくはこのホームページにあります(リンクフリー)。 余談ですが、これまで追加招待を含めた6試合とも白星がないようです。ぜひとも今年は勝利で飾り、初めて生観戦した子供たちがコンサドーレのサポーターになるような感動を呼ぶ試合を願ってやみません。
2006年09月09日
前回の日本代表選手で書ききれなかった監督らの日本代表歴を振り返ります。 東芝時代から引き続き初代監督を務めた高橋武夫監督(1996年。旧姓・木村)は古河電工時代に国際Aマッチ(以下同じ)14試合出場、4得点。現在は母校の東京農大で監督を務められているようです。 「岡ちゃん」こと岡田武史監督(1999-2001年)も古河電工時代に27試合出場、1得点。まあ、選手としてより、フランスW杯のアジア最終予選途中から本大会まで日本代表監督を務めたことが国民に強烈な記憶として残っていますよね。先日、横浜F・マリノス監督を辞任されましたが、今後はどうされるのでしょうか。またコンサに、いや言うまい…。 最も輝かしい代表歴を誇るのが柱谷哲二監督(2002年)です。日産自動車から横浜マリノス、川崎ヴェルディ時代に日本歴代9位の72試合も出場、6得点。キャプテンを務め、「闘将」と呼ばれましたが、「名選手、必ずしも名監督ならず」なのでしょうか、早々と解任されてしまいました。その後は浦和レッズコーチを経て、今季からラモス監督の下、東京ヴェルディのコーチを務めています。将来、どこかのチームで采配をふるう日が来るのではないでしょうか。 現在の指導陣では、柳下正明監督はユース代表はあるようですが、日本代表歴はありません。松井清隆GKコーチは現在の体型から想像しにくいのですが(失礼!)、大体大、日本鋼管時代に15試合出場しています。そういえば、ホーム側B自由席の右端の方で、GK練習に出てきたところで必ず「松井さーん」と、よく通る男性の声が飛び、松井コーチもちょっと照れているような気がしています。 なお、ウーゴ・フェルナンデス監督(1997-98年)はウルグアイ代表、張外龍監督(2002年、03年)は韓国代表歴があるそうです。 将来、コンサでの監督の手腕を買われて、日本代表監督に招請される、そんなことを夢見ます(オシム監督のように強奪されてはかないませんが)。 (スタッフで日本代表歴のある方がほかにいましたら、ぜひ教えてください)
2006年09月03日
1998年のワールドカップ後、コンサドーレがJ2に降格が決まった12月5日以後、私の中で「コンサドーレ>日本代表」となった経緯は以前に書いたことがあります。今回は先日、コンサ出身のMF山瀬功治(在籍2000-02年。現横浜F・マリノス)が日本代表入りしたのを記念して、コンサにまつわる日本代表選手を振り返ってみます。 1996年のチーム発足時、日本代表歴のある選手としてDF平川弘がいました(日本代表としてはFWとDFの両方で出場している)。残念ながら、平川は半年ほどで現役を引退、現在はサッカー解説者として活躍しています。その後も元日本代表の加入は結構あります。キャプテンも務めたDF名塚善寛(在籍1999-2001年。現コンサドーレ札幌U-12コーチ)、FW高木琢也(在籍2000年。現横浜FC監督)、FW小倉隆史(在籍2002年。現サッカー解説者?)、MF酒井直樹(在籍2002-03年。現柏レイソルU-12監督兼U-10コーチ)、FW森山泰行(在籍2002-03年。現FC岐阜)、FW小島宏美(在籍2002年。現FC岐阜)。いずれも加入が決まった時は大活躍してくれるものとして期待や妄想が膨らみましたが、実際には故障を抱えていたりで往年のパフォーマンスを発揮できない選手が多く、シーズンを通して活躍したのは名塚と小倉ぐらいでしょうか。 さて、コンサが育てた選手としては、まずFW吉原宏太(在籍1996-99年。現大宮アルディージャ)です。忘れられないのはシドニー五輪のアジア1次予選で大ブレイク、ハットトリックも決めました。相手DFがザルなのか、味方のパスがいいのか、吉原は得意の飛び出しから面白いようにボレーやら難しいシュートをたたき込みました。その活躍がトルシエ監督の目にとまり、99年7月2日、コパ・アメリカでのパラグアイ戦でフル代表デビュー。でも出場時間は短く、相手選手に子供扱いされた感じでした。それでもこれがコンサ現役選手による唯一の日本代表での出場のはずです。翌年、ガンバ大阪に移籍してしまい、結局、シドニーは行けず、日本代表にも呼ばれていません。FW大黒将志(在籍2001年。現イタリア・セリエAトリノ)はコンサ時代はほとんど活躍することなく、育てたとはいえないのですが、古巣のガンバ大阪に戻って大ブレイク。ジーコ監督の下、日本代表のスーパーサブ、切り札として使われ、ドイツW杯出場を果たしました。そしてMF今野泰幸(在籍2001-03年。現FC東京)はコンサの宝でした(泣)。コンサ時代にU-19、U-20でキャプテンを務めるなど中心選手として活躍。04年アテネ五輪に出場、翌05年にはついにフル代表を射止めますが、W杯には呼ばれませんでした。先日もオシム監督に呼ばれたのですが、故障があり、出場できませんでした。そのうち、今野と山瀬のホットラインでオシム・ジャパンを支える日が来るかもしれません。うれしい反面、ちょっと寂しくもあります。 さて、オシム監督はよく選手を見ていると思います。前監督がビッグネーム、スター選手中心だったのに対し、生きの良い選手をよくピックアップしています。コンサの選手たちも今後の頑張り次第では日本代表入りも決して夢ではありません。特に鈴木や上里、石井、藤田ら若手は目標を高く掲げて頑張ってほしいと思います。それがチームの活性化、ひいてはJ1昇格につながるに違いありません。 (なお、コンサ関係選手で漏れている人がいましたら、ぜひ教えてください)
2006年08月26日
携帯電話は諸般の事情でドコモを使っています。もう、かなり古い機種です。もっとも、中年おじさんなので、通話とメール以外はほとんど使ったことがなく、機能的には十分すぎるほどです。本当は写メールもしないので、カメラもいらないのですが。 さて、待ち受け画面は、実はもう記憶が定かでないのですが、ユニが2003-04年版なので、どちらかの年だと思います。どこのサイトでいただいた画像かも忘れましたが、上の娘に探して出してもらい、ゲットしました。サイトの管理者の方にはあらためてお礼を申し上げます。「ROAD TO J1」とあるように、J1昇格までの短期間使う予定でしたが、予想外に長くなってしまいました…。1日も早くJ1昇格を果たし、画面を一新したいと心から願っています。 着メロも娘にダウンロードしてもらった「赤黒の勇者」です。これもサイト管理者の方にあらためてお礼を申し上げます。あまり携帯は使わない方なのですが、この着メロが鳴ると職場の中には私の携帯と認識する人がいるようになりました。 いまのところ、新機種に変更する予定はありません。ワンセグも着うたも必要ないからです。壊れたら変えなければならないでしょうけど。ただ、J1昇格の暁には、少なくとも画面の変更を迫られますね。早くその日が来るのを待ちたいと思います。皆さんは待ち受け画面や着メロ、着うたを何にしていますか?
2006年08月18日
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シングルCD「好きですサッポロ」(700円)は道内民放アナウンサー5人の「C.S.サポーターズ」により2000年3月に全国発売されました。といっても、私が入手したのはその3年後ぐらい、近所のコーチャンフォー美しが丘店で発見しました。 アナウンサーは当時、各テレビ局でコンサドーレの応援番組を担当していたHBCの石山愛子さん、HTBの山口美保さん、UHBの千葉朱里さん、STVの宮永真幸さんと永井公彦さん。チームの応援のため、報酬ゼロで歌い、売り上げの一部はチームに寄贈されました。このころはコンサドーレも道内唯一のプロスポーツチームとして道内各テレビ局もこぞって応援してくれていました。ありがたいことです。その後、女性3人はそれぞれ結婚されるなどで退局されました(フリーになった石山さんは昨年までNHK・BSの「速報Jリーグ」のキャスターを務めていたのは記憶に新しいところですね)。コンサ応援番組も打ち切りで消えたり、大半は大幅に姿を変えました。STVのお2人も最近は北海道日本ハムファイターズで忙しいようです(それにしても、「ハム彦」と称するのはやりすぎだと思います)。それでも、各局で細々とながらも応援番組を続けてくれていることはありがたいことで、ぜひとも今後も応援をよろしくお願いしたいところです。余談ですが、今、サポーターの間で支持が高いアナウンサーはTVh「コンサにアシスト!」の佐々木由衣子さんでしょうかね。 ところで、「好きですサッポロ」の元歌は1981年に森雄二とサザンクロスが歌ってヒットさせました。このCDでは軽快なサンバ調に編曲されています。コンサの応援ではアウェイの試合開場でかなり早くからサポーターたちが勝利した際に歌っていたそうです。残念ながら私はアウェイに行ったことがないので、競技場で歌ったことがありません。近い将来、アウェイに参戦した暁にはぜひとも熱唱したいと夢見ています。
2006年08月12日
みちのく食品の「しまふくごはん」(800円)は2006年J2道内開幕戦の3月11日、札幌ドームで発売されました。「しまふく寮」で選手たちに出している料理を、かなり忠実に再現したお弁当です。発売が発表された時、寮母さんのブログで紹介されていた料理をよだれをたらして見ていたサポーターたちを狂喜乱舞させたものです。しかし、調理に手間がかかることから、1試合に限定500食。買うのは至難の技とされ、これまでは席取りや段幕張りのために早朝から並んでいたサポたちが開場と同時にお弁当売り場に走る姿が見られるようになりました。しかも、1人で仲間の分まで10個以上も買い占める人まで現れ、買えなかった人たちを悔しがらせました。かくいう私も最初の発売日は開場30分くらい前から並んだのですが、売り場に行くと、やはり完売。2回目の4月5日に札幌ドームで上の娘の分と2個初めてゲットしました。その時の感激は今も忘れません。醤油やソースがないのに、味は濃すぎず、至福のひとときを過ごせました。驚いたのは、いい年して好き嫌いの多い上の娘がどのおかずも残さずに食べたのでした。以来、札幌ドームと厚別で販売され、最後となった7月29日の厚別で13回目の販売でした。途中から初回の再現や夏場の暑さに強いメニューにしたりで、13種類ということではありませんでしたが、寮母さんの愛情とみちのく食品の情熱をおいしくいただけました。毎回、寮母さんによるメニュー紹介とメッセージが添えられていました。手元に残してあるメッセージによると、私は結局、13回中、11回食べることができました。食べられなかった方には申し訳ないですが。写真は最後となった7月29日の「しまふくごはん」です。これが食べ納めになるとは、思っていませんでした。 次にみちのく食品が私たちを驚かせてくれたのは、衝撃的な「赤黒カレー」(380円)の登場です。赤カレーと黒カレーのレトルトダブルパックという、普通の会社なら思いついても決して商品化しないであろうものが世に出ました。しかもパッケージは赤黒縦縞。よくこんな企画が通ったものだと驚いたものです。6月3日からWEB先行発売が始まりましたが、私は10パックセットということで尻込みし、試合会場で発売された6月24日に厚別で4人家族用に5パック買いました。まあ、こんなに買うなら10パックセットもあまり変わらなかったな、と思ったのは内緒です。トマトベースの赤に、ビーフベースの黒で、味や辛さは良かったのですが、難を言うなら値段の割に具が少ないかな。でも、サポならそんなことは気にならない代物です。さらに厚別では確か同日から「赤黒カツカレー」(650円)を販売。私は7月12日に諸般の事情で到着が遅れ、「しまふくごはん」が売り切れていたので、初めて食べました。なかなかおいしかったのですが、欲をいえば、冷めていることとカツが切れ目だけで食べづらかったことでしょうか。結局、これが唯一の「赤黒カツカレー」体験となります。
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ほかの方のブログなどの情報によると、みちのく食品はその後、新会社「きらら食品」が一部弁当事業を引き継いでいるそうです。しかしながら、「しまふくごはん」や「赤黒カレー」を復活するのは難しいだろうと思われます。私たちに弁当で至福のひとときを与えてくれたみちのく食品に感謝したいと思います。決して忘れることはないでしょう。
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2006年08月11日
スポンサーだったみちのく食品が倒産してしまいました。試合会場で私たちに応援のエネルギー源となる弁当を提供してくれていたうえに、「しまふくごはん」という画期的な弁当を開発してくれたばかりでした。過去形の思い出として語ることになったことは残念無念です。 試合会場で最初に食べた弁当はサザエ食品の「必勝弁当」でした。ですから、コンサドーレの応援弁当はこの「必勝弁当」が元祖と思いこんでいました。コンサドーレの百科事典のようなコンサ・デ・コンサで調べてみたら、みちのく食品の「かつ弁」の方が1999年から発売していて、翌2000年発売の「必勝弁当」より古かったんですね。今回調べるまで知りませんでした。ただし、試合会場内では最初売っていなかったそうで、だから「必勝弁当」が先と思いこんでいたようです。 いつから試合会場で売るようになったのかは分かりませんが、厚別でたまに「かつ弁」(600円)、「DX(デラックス)かつ弁」(700円)を買うようになりました。いずれもおいしかったです。デラックスの方は意外なほどカツが少なく、幕の内弁当に近く、中央のご飯がのりやふりかけでサッカーピッチのような形状になっていたのが印象的です。そして、わが家で1番人気があったのが「かつサンド」(450円)でした。私も夏の暑い日など食欲のあまりない日に食べていたのですが、娘は2人ともカツサンドというものを初めて食べ、すっかりファンになりました。もう、食べられないかと思うと、家族ともども残念に思っています。「かつサンド」の赤黒のパッケージが気に入って、箱を保存しておりました。まさか、こんな形で紹介する日が来るとは夢にも思っていませんでした… そして、「しまふくごはん」ですが、文章が長くなりましたので、後編に続きます。
2006年07月27日
ご無沙汰していました。わが家のネット接続で故障があったうえ、復旧後も投稿意欲が失せるような試合が続き、サボっていました。しかーし、単純な私はもう復活しました。 「パーソナルスポンサー」は昨年から始まりました。サポーター個人をカモにする、いわば信者がお布施を教団に納める姿に似ています。「信ずる者は救われる」、ありがたい制度です。私も昨年から納めております。数少ない特典の一つに、「パーソナルスポンサーシール」があります。赤黒縦縞のユニホームの形をした小さなシールですが、私は一度も使ったことがなく、お蔵入りさせていました。ところが、パーソナルスポンサー2年目の今年3月、仕事でお邪魔したある職場で名刺交換したところ、なんと名刺にそのシールが張られているではありませんか。私より少し年配のその方にコンサグッズの携帯ストラップを示し「私もサポーターです」と話しかけたところ、初対面にもかかわらず大いに会話が弾みました。その後、15分ほどでしょうか、すっかり仕事を忘れてコンサ談義に花を咲かせ、「今年はやってくれそうですね」と意気投合しました。いやー、シールは使うものですね。 これ以後、私もならって名刺に張り始めました。現在は外回りの仕事ではなく、名刺交換する機会は少ないのですが、まれに「コンサドーレですか?」と聞かれることがあり、うれしいですね。今後もささやかながら、コンサのPRのためにも続けるつもりです。 ところで、6月末でしたか、「パーソナルスポンサーますますキャンペーン」と題して、今季半ばで再びお布施を求める手紙が舞い込みました。おそらく入場者数が伸び悩むなど、経営が苦しいのだろうと勝手に推察して、決して多くはない小遣いの中からまたお布施を納めました。「信ずる者は救われる」ように、チームもHFCもしっかり頑張ってほしいと切望します。
2006年07月03日
いうまでもなく、コンサドーレグッズを販売する店で、現在のシースペースの前身です。チームスポンサーの丸井今井様が経営しています。 コンサの百科事典ともいえるコンサ・デ・コンサで調べると、最初のグッズショップはチームができた直後の1996年4月、丸井今井一条館隣の西ビル1Fにあったそうです。ここには行ったことがありません。私が初めて行ったのは、丸井今井大通館のすぐ近くで大通公園に面した2代目の店で、96年8月にオープン、確かコンサドーレショップと名乗っていました。記憶がもう定かではありませんが、上の娘が吉原宏太ファンだった98年ごろ、室蘭から家族4人で行きました。グッズを少々買ったはずですが、何を買ったかはもう覚えていません。忘れられないのは、コンサ選手と2ショットが撮れるプリクラがあったことです。長女は宏太と撮ろうかどうしようか悩んだ末、撮りませんでした。私や妻は勧めたのですが、当時は反抗期でもあり、「いいのっ!」と言って撮らずに帰ったのです。後に行った時には、もうそのプリクラはなく、いまでも本人をはじめ、残念なことをしたと後悔しております。ぜひ、ああいうプリクラを導入してほしいですね。できれば、歴代の選手と撮れるといいなあ。 2000年12月に一条館9Fに移転、シースペースと命名されました。この年に私も札幌が本拠地となったことで、よく通うようになりました。そして02年10月、南館7Fの現店舗となります。ただ、最近は巨人軍や「水曜どうでしょう」グッズに押され、ややスペースが狭くなりましたが、コンサ神社やファンクラブブースなどもあり、試合のビデオも上映されています。今は同じフロアの近くにできた北海道日本ハムファイターズのショップに比べると、かなり負けていますが、再びコンサの人気が高まり、シースペースが活気づいてほしいと願っています。
2006年06月10日
「真栄パパ」というハンドルネームは使い始めてもう結構な年月がたちました。最初に使った時期はもう記憶が定かではありませんが、2002年ごろだったと思います。使った場所は忘れもしません。コンサママさんのホームページでした。中年おじさんのくせに、ほのぼのとした井戸端会議風の掲示板などをのぞいていたのです。まったくのROMだったのですが、そのうちに何の話題かすっかり忘れましたが、ぜひとも書き込みしたくなり、はたと困りました。どんな名前にしようかとあれこれ悩み、最初、コンサパパにでもしようかと思いました。でも、それではコンサママさんご夫婦に失礼だろうし、うーんと長々と考え、熟慮した結果(といっても10分ほどですが)、中年おじさんであることを示す「パパ」に、住んでいる清田区真栄の地名から「真栄」をつけて「真栄パパ」が誕生したのです!いやー、何のドラマもない、安易なネーミングですね(^_^;) その後はこの名前を別な掲示板などでも浮気せずに使い続けています。コンサママさんにはお会いしたこともなく、中年おじさんがママさんたちの掲示板に出没して迷惑をおかけしていますので、この場をお借りして謝っておきます(何と上の娘はご尊顔を拝したことがあります!)。そういえば、今年入団した西大伍はなんとわが真栄地区の出身とか。真栄パパとしてはますます応援しなければ、と心に誓っております。 ところで、先日、試しにGoogleで「真栄パパ」をググってみたのですが、このブログなどがちゃんとヒットして驚きました。恐るべしGoogle!
2006年05月21日
わが家の車は1996年製のトヨタ・イプサムです。偶然ですが、コンサが生まれた年に買いました。さすがにあちこちガタがきていますが、なにせ走行距離が90000㎞弱なので、まだ乗り続けています。 写真の通り、シートカバーはカミさんのお手製です。確か2001年にJ1に昇格した年に会場で北海道新聞社が配った旗のデザインを見て「これなら簡単に作れるワ」と作ってくれたのもです。このダンナにして、この妻ありというべきでしょうか。いやいや、たいへん感謝しております。ヘッドレストにはやはり会場でもらって使っていなかったバンダナを活用しています。 もう5年ぐらいになるので、色あせてきていますが、この車に乗り続ける間は使い続けます。車の後ろのウインドウにはコンサドーレのステッカー、フロントグラスにはミニフラッグつきです。これで帯広ナンバーの紺色イプサムがわが家のコンサドーレ号です。かなり目立ちますので、悪いことはできません。コンサドーレの評判を下げてはいけませんからね。 さすがに、来年ぐらいには買い替えようかと話していますが、カミさんと娘らは「コンサは赤黒だから、次は真っ赤な車にしよう」と言います。中年おじさんとしては、赤はちょっと恥ずかしい気がして「それは勘弁して」と答えています。さて、どんな車になるのでしょうか。
2006年05月16日
ホームゲームを観戦に行くと無料でもらえるマッチデイプログラムにあるラッキープレゼント。わが家は何と当たったことがあります。 2003年4月26日、札幌ドームであったJ2のサンフレッチェ広島戦。娘2人と行ったのですが、私と続けて入った下の娘が初めて「大当たり」。別な列でプログラムをもらった上の娘はスカでした。当たったのはコンサドーレ賞としてサイン色紙。確か4、5人から選ぶもので、1枚はすぐに今野に決定。もう1枚がちょっと困ったのですが、確か「藤ヶ谷は洋平の正GKの座を奪ったからお母さんが嫌ってるからダメだね」などといった理由でベットを選びました。プレゼントの引き渡しは後半キックオフ後から試合終了30分後までで、人気の今ちゃんのサインがなくなったら大変と娘2人をハーフタイムから派遣し、無事、2枚のサイン色紙をゲットしました。結局、この試合は0-2で負けちゃったんですが、3人はニコニコして家路につきました。今ちゃんの色紙は今も階段の壁に飾られ、殿堂入りしています。しばらく後にホームシック?でさっさと帰国してしまったベットは百円ショップで見つけた色紙ホルダーにしまってあります。 それ以後、ラッキープレゼントはまったくかすりもしません。また、doze会員の来場記念プレゼントも当たったことがありません。この時に運を使い切ってしまったのでしょうか。また当たることを夢見て、今後も可能な限りホームゲームに通い続けたいと思っています。
2006年04月28日
J1に昇格した2001年7月に北海道新聞社から刊行されました。HFCの特別協力の下、北海道新聞情報研究所編です。四六判260ページ、税込み1260円。1996年のチーム発足以来の歩みをつぶさに紹介しています。 発売と同時に購入し、すぐに読み終えました。チームよりも、コンサドーレを取り巻く人間模様に焦点が当てられ、とりわけ熱いサポーターなどがたっぷりと取り上げられており、たいへん興味深い内容です。さまざまなサポーターの活動ぶりは本当に勉強になりました。CVSやすいか隊などの貢献ぶりも見逃せません。コンサから広がるビジネスチャンスから経営問題、そして未来像まで描かれ、サポーター必読の書と言えるでしょう。 コンサを取り上げた単行本としては、これまで唯一のものだと思います。今でも北海道新聞社やアマゾンのネット販売で買えますが、ブックオフの105円コーナーあたりでよく見かけるようになりました。実は初めて105円コーナーで見たとき、思わずもう1冊買ってしまいました。カミさんから「家にあるのに」と責められましたが、「こんな良書が105円なんて…」という思いからでした。コンサが成績低迷とともに人気も落ち目となって売られたんだろうか、などと考えてしまいます。皆さん、この本を105円コーナーに眠らせておくのは惜しいので、見つけたらぜひ買い占めましょう。 そういえば、コンサドーレ10年史「夢に挑む」が7月に刊行されます。DVDつきで6300円。こちらはチームの歩みそのものが中心になるようですね。ちょっと高いですが、希望選手の直筆サイン入りというのがサポ心をくすぐります。私は印刷になりますが、選手全員にしようかと思っています。皆さん、HFCから購入しましょうね。
2006年04月14日
2002年に「住友順子『夢のつづき』プロジェクト」として取り組まれた「コンサドーレ札幌メモリアルCD」です。 HFC営業部社員だった住友順子さんはこの年の8月1日、若くして病気で亡くなりました。残されていた「短かったが懸命に生きてきた生涯の証を残してほしい」というメッセージから、このCD収録の企画が持ち上がったそうです。収録は8月31日に厚別で行われた柏戦で行われました。通常より開場時間を繰り上げ、ゴール裏にサポーター有志らが集結。ご遺族を前に、応援歌やコールを収録しました。私も上の娘と2人で参加し、目頭を熱くしながら精いっぱい歌いました。「コンサのサポは素晴らしい」と心にまたひとつ刻み込みました。応援歌7曲にコールやサックス演奏1曲を収録したCDはこの年の11月17日、札幌ドームで行われた名古屋戦で入場者全員に無料で配布されました。応援歌を聴ける貴重な音源ですが、残念ながら非売品のため、いまでは入手できません。ブックオフやヤフオクで見かけることはありますが。 この年のコンサは奮闘むなしくJ2降格が決定。翌年からJ2暮らしが続いています。でも、このCDを聞くたびに、熱い思いがよみがえってきます。亡くなった住友さんの夢も、私たちサポーターの夢も、まだまだ続きます。
2006年04月10日
職場などでいじってはいましたが、ようやく自分のパソコンを買ったのは室蘭に住んでいた1997年、NEC製のウィンドウズ95でした。パソコン通信のニフティサーブに加入したものの、メールで使うくらい。そのうち世の中はインターネットに移行し、最初はニフティ経由でネットを見たりしていましたが、OCNに加入。ダイヤルアップで確か月に利用10時間までのコースだったと思います。当時はそれで十分だったんですね。毎日見るようになったのは2000年に札幌に引っ越し、ADSLに加入して使い放題になってからです。パソコンはその年の暮れにSOTECのMEに買い替え、昨年秋に日立のXPに。ADSLもどんどん速くなり、もうダイヤルアップには戻れない体になりました。 というわけで、コンサ関係のホームページに入り浸るようになったのは2000年からです。公式ホームページを手始めに、ネットサーフィンの結果、行き着いたのが、公式ホームページより先に開設されたコンサ・デ・コンサをはじめ、コンサイズム、コンサドーレ札幌インフォメーションなどです。このうち、インフォは今も活発ですが、コンサ・デ・コンサやコンサイズムは残念ながらほとんど更新されていないようです。ほかに当時見ていたホームページもかなり姿を消しました。やはりチームの長引く成績低迷も影響したのでしょうか。寂しい限りです。 そんな時に登場したのがコンサドーレ札幌オフィシャルブログです。間違いなくサポーターの情報交換、交流の場になっています。そのうえ、HFCの児玉社長のブログによると、運営するWEBOSSさんから入金があり、新しいHFCの収入源として期待されるとか。サポが盛り上がり、チームを鼓舞し、そしてHFCに金銭的なメリットをもたらすように、私も微力ながら、ブログを続けていかなければ、と思いました。
2006年03月24日
Jリーグが開幕したのは1993年、10チームでのスタートでした。バブルの余韻もあってか、きらびやかなスタートを切ったJリーグは大変なブームとなり、チケットが入手できないとか、カルビーのJリーグチップスがすごい人気になるなど、にわかサッカーファンが巷にあふれました。当時、転勤で東京に住んでいて、職場のテレビも以前はプロ野球を入れていたのがJリーグにチャンネルが変わりました。もともとサッカーが好きな私も喜んでテレビ観戦していました。
問題はどのチームを応援するか、でした。もちろんコンサドーレは影も形もありません。実はJリーグ以前、テレビでサッカーを見るのは正月の天皇杯決勝と高校選手権決勝、トヨタカップぐらいでした。社会人では、横浜マリノスの前身の日産とヴェルディの前身の読売クラブがライバル関係にあり、どちらかといえば、華麗なプレーの読売クラブを応援していました(読売新聞は大嫌いでしたが)。でもJリーグ発足時に、ヴェルディはプロ野球の読売巨人軍のように金を使って選手を買い集め、「企業名を入れさせろ」などとわがまま放題で、すっかりアンチ・ヴェルディになりました。
そこで、一番に北にあるチームで、地域おこしとしてJリーグに参入した鹿島アントラーズを応援することにしました。日本リーグ2部のチームが母体で、ジーコがいるとはいえ、弱そうだからというのもありました。ところが、FWアルシンドの大活躍もあり、あれよあれよと思っているうちに初年の第1ステージのサントリーシリーズを優勝してしまいました。これは意外でした。ただ、第2ステージのNICOSシリーズ覇者のヴェルディ川崎にチャンピオンシップで敗れ、初代年間優勝は逃しましたが。その後、鹿島はご存じの通り、常に優勝を争うチームとなり、それとともに私の応援熱は冷めていきました。常勝チームはもしかすると私に合わないかもしれません。
ほかにJリーグではサッカーどころの清水エスパルス、リトバルスキーのいたジェフ市原が気になっていました。でも、やっぱり地元、北海道のチームがほしいと熱望していました。そんな時、札幌青年会議所のメンバーらが中心になって「札幌にJリーグを」と署名運動などを進め、そしてJFLにいた東芝の誘致を実現し、96年にコンサが産声を上げました。このとき、私はまだそれほど「われらがチーム」という思い入れはなく、現在のコンサ中心の生活を送る日が来るとは知るよしもなかったのでした…
2006年03月11日
中年おじさんのぬるサポのせいかもしれませんが、私はブーイングが好きではありません。それでも、思い切りブーイングしたことがあります。
2001年11月3日、札幌ドーム。そうです、前年、J1昇格の立役者となったFWエメルソンがよりによって浦和レッズの選手としてやって来たときです。上の娘とともに、入場とともにブーイング、選手紹介でブーイング、試合中までボールに絡むたびにブーイングしました。サポーターの気持ちとしては、なんとかコンサにつなぎとめようと、事実上のエメルソン基金として持株会に出資したのに、エメは川崎フロンターレに行ってしまい、さらには前年、J1昇格争いをした浦和に移籍しただけに、かわいさ余って憎さ百倍といったところだったと思います。
ほかにも審判のミスジャッジにも何度か、ブーイングしました。相手の汚いプレーにもブーイングしたことがあります。
それでも、自分の愛するチームにはどんなにふがいないゲームをしてもブーイングしたくありません。柳下監督などは、そういう時にはブーイング歓迎といった発言をしているようですが、常に応援は前向きでありたいというのが私の思いです。ただ、汚いプレーには敵、味方なく、ブーイングすべきだと思います。その意味で今日、フッキが相手を殴ったことはブーイングものです(いろいろ過去に問題のあった家本主審は今日に限っては妥当なジャッジだったと思います。むしろ、水戸の河野に対するレッドは厳しすぎる気がします)。
ふがいないチームを叱咤激励する意味でのブーイングも理解できますので、他の方がやるのまで反対する気はありません。ただ、一つ提案したいのは最近、相手チームの入場時や選手紹介の際に熱烈サポーター席を中心に行われるブーイングはやめませんか。サッカーは相手がなくてはできません。激しい競争を勝ち抜いてJリーガーになった選手たちに対するリスペクトを失ってはならないと思います。相手をブーイングすることで、自分のチームの選手たちをも、おとしめているような気がしてならないのです。相手にブーイングする暇があったら、自分たちのチームを力いっぱい応援したい、と私は思っています。
今回はちょっと思い出から脱線しました。反省。
2006年03月05日
先週は仕事の都合で札幌の自宅に帰れず、更新できませんでした(泣)。本日、久々に帰宅し、昨日の試合の録画を見て、勝利の余韻に浸っております。
本題に入ります。「共通ウィズユーカード」はチームスポンサーの札幌市交通局様(厳密には札幌市交通事業振興公社様でしょうか)が発売しているプリペイドカードです。1000円のカードを買えば1100円分(1万円なら11500円)使えます。札幌の市営地下鉄、市電、市内線のバスで使え、バスと地下鉄の乗り換えでもちゃんと乗り継ぎの割引料金となるスグレモノです。コンサドーレのチームや選手をデザインしたウィズユーカードは地下鉄の厚別駅か、福住駅で試合のある日に年何回か販売されています。私が買い始めたのは2002年からです。以来、コレクションしたのは02年が小倉、和波、酒井、03年がウィル、今野、堀井、藤ヶ谷、04年が曽田、新居、柳下監督、05年が堀井、砂川です。03年以降はすべてそろっていると思いますが、違っていたら指摘していただければ幸いです。
これ以前もかなり販売されたようで、とりわけ2000年は多数あるようです。コレクターとしては、ヤフオクなどで一部入手しましたが、安くないと買えないので、とてもそろいません。レアなものとしては97年のJFL優勝、祝Jリーグ昇格という2枚セットを手に入れました。ぜひ今年、J1昇格を決め、またこういうカードを売り出してほしいと願っています。そういえば、ホーム開幕戦の3月11日午前11時から、鈴木智樹をデザインしたウィズユーカードが地下鉄福住駅で1500枚発売されます。1枚1000円です。興味のある方はいかがでしょうか。並ばないと、売り切れるかもしれませんが。
なお、オフィシャルパートナーズのJR北海道様も過去にコンサドーレのオレンジカードを発売していました。最近は北海道日本ハムファイターズのカードを発売しているようですが、コンサドーレは03年のチーム集合写真のカード以後は発売されていないかもしれません。こちらもぜひJ1昇格を決めることで、発売してもらいたいと思います。
2006年02月18日
『あなただけのオリジナルコンサドーレフィギュアが当たる!クラシックキャンペーン』は2003年6月23日から9月1日まで、オフィシャルパートナーズのサッポロビール様が展開しました。サッポロクラシック6缶パックに1枚ついてくる応募マークを2枚1口で応募すると、2000人に当たるというものでした。
実は当時、佐藤尽の熱烈ファンだった上の娘が選手のフィギュアがもらえるものと思いこみ、ビールが好きなカミさんに頼み込んで頑張りました。私はあまり飲めない方なので、カミさんがここぞとばかりに箱買いしたり、知人に応募マークをもらったりして数口応募しました。その結果、見事に当選。ところが、選手のフィギュアは肖像権の関係もあってだめと分かり、結局、私の写真を送ることになりました。そして12月初めに届いたのが写真にあるフィギュアです。家族は「結構似ている」と言いますが、本人としてはビミョーな感じです。
2006年02月12日
コンサドーレの公式ガイドブックはチーム創設の1996年から毎年春に発行されています。HFCの監修で、発行は2003年までイエローページで、04年から北海道新聞社に代わりました。価格は税込みで96-98年は1000円、99年から1200円です。近年はJリーグの開幕時に合わせて発売されています。サイズは96年がA4判変形(少し長さが短い)、98年がA5判と小さかったほかは、A4判です(多少大きさが異なりますが)。
私がきちんと買うようになったのは遅く、確か2001年からでした。でも、いまはそれ以前のものもそろっています。どうしたかというと、札幌市内のブックオフを根気よく回り、見つけたものです(主に雑誌のサッカーコーナーで)。たまにヤフオクで高額出品されていますが、暇のある方はブックオフあたりで安く巡り会えることがあります。もっとも全部そろうにはかなり時間がかかりましたが…。
内容は、どれも選手をビジュアルに紹介するのが基本で、ほかにデータ類やコンサドールズ、オフィシャルサポーターズクラブ、シースペースなどをふんだんに紹介しています。とりわけ古いものは懐かしい選手たちに再会できるのが楽しいですよ。96年版を見ると、ペレイラとアルシンドが対談しており、アルシンドは2000年まで日本でプレーするといい、「今度は僕が、札幌の子どもたちに夢を与える番だ」と語っています。その後の退場処分や途中退団を思うと…。また、ルーキーだった吉原宏太の初々しい姿にも会えます。
今年もおそらく開幕のころに発売されると思います。早く今年の戦士たちを誌上で見たいと楽しみにしています。
2006年02月11日
初めて宮の沢白い恋人サッカー場を訪れたのは2001年春だったと思います。前年の2000年にオープンしたコンサ専用練習場ですが、なにせ住んでいる清田区からは遠いものですから、なかなか行くことはできません。このときもチョコレートファクトリーに行きたいという家族のおつきあいのためで、残念ながら練習が始まる前に帰らなければならないのでした。それでも、GKコーチだったディドがいち早く姿を現し、ピッチの周りを走り始めました。手を振ると、笑顔で手を振ってくれました。さあ、選手も出てくるぞというところで「もう行くわよ」と家族に連れられ、後ろ髪を引かれる思いで帰ったのでした。以来、サテライト観戦に行ったほかは、チョコレートファクトリーに何度か行きましたが、宮の沢での練習は見ていません。
初めて練習を見学したのは札幌ドームのサブグラウンドで2003年7月だったと思います。この年は確か宮の沢が芝の張り替えで使えず、練習は札幌ドームなどを使っていました。6月にカミさんと上の娘が清田区にある白旗山での練習を見に行き(大森健作がけがした日です)、サインもらい放題だったと聞き、私も12倍ズームのデジタルカメラを購入し、勇んでドームへ行ったのです。一応、社会人ですので、なかなか休みと練習の日程が合わず、行けるのは年に2、3回といったところでしょうか。あこがれの監督、選手たちの写真を撮ったり、サインをもらったりでき、ファンとしてはうれしい機会ですね。それにしても、休日だと、見学客の多いこと、多いこと。ビョーキの人がたくさん来ていますね、人のことは言えませんが。
ぜひ今後も、札幌ドームでも練習してほしいものだと願っています。
2006年02月05日
身長120センチの超特大ぬいぐるみ「スーパービッグドーレくん」は、ファンクラブdoze会員限定で2003年に発売されました。HFCによると、通常2万円の品を会員感謝価格として送料、消費税込み1万5000円で販売とうたい、なかなかHFCも商売上手になったものです。実はこれに先立ち、身長80センチの「ビッグドーレくん」が7月30日に販売されました。こちらは選手直筆入りメガホンの特典つきの限定150体が税別1万円でした。本当はこれも欲しかったのですが、当日並ばないと買えないだろうし、「スーパービッグドーレくん」が予告されていたので、我慢しました。
さて、「スーパービッグドーレくん」は10月7日締め切り(先払い)で、わが家に届いたのは12月下旬でした。注文したことは家族にも内緒でしたが、上の娘には来る前にバレてしまい、娘たちは歓迎していたようです。カミさんにはまったく内緒でしたから、到着した巨大な段ボール箱を見て驚き、激怒!しばらく夫婦間は冷戦時代を迎え、1年でのJ1復帰を果たせなかったチームとともに暗い年の瀬を迎えたのでした(そんなに大げさなものでもないですが)。
このドーレくんが来ていたユニは「白い恋人」「サッポロビール」「JAL」「JR北海道」のフルスポンサー、背番号12入りとサポ心をくすぐるものでした。受注生産ですので、販売個数は不明です。わが家の和室に鎮座し、私は観戦に向かうときは、合掌して勝利を祈願してから出陣しています。チームのユニが赤黒の縦縞に戻ったので、新しいドーレくんの登場も待たれます。そういえば、6日から雪だるまの変身ドーレくんが雪まつり会場で発売されます。明日は幸い代休なので、買いに行こうかなと思っています。
2006年01月29日
コンサドーレにまつわる「チョロQ」はJ1だった2002年に2種類、相次いで発売されました。
8月10日に発売されたのがチームスポンサー様のジェイアール北海道バスオリジナル「コンサドーレ号チョロQ」です。選手送迎用のバスをチョロQにしたもので、1個800円でした。JR札幌駅などで販売されたのですが、その日は行けないので、「売り切れたら困る」と思い、インターネットで通信販売で2個ゲットしました。送料が結構かかりましたね。あとで知ったのですが、何と2万個も売り出されたそうで、後日、札幌駅地下街のアピアのおもちゃ店で山盛りになって売っている(売れ残っている)のを見て、送料を損したと思って悲しくなりました。最近まで売っていたように思います(もしかすると、今でも)。
もう1個は10月1日に発売されたオフィシャルパートナーズ様のJR北海道オリジナル「コンサドーレ札幌応援号」です。函館本線を走る特急列車「北斗」がモデルで、1個1000円でした。限定6000個で、特急列車内でのみ販売するとのことでしたが、9月21日に札幌ドームでのJR北海道サンクスマッチ・浦和レッズ戦で1500個先行販売されるというので、その日は早めに並び、入場とともに席取りには目もくれず、売り場に全速力でダッシュ。当時アウェイサポの知人から頼まれた分と自分の保存用2個を無事にゲットできました。これもその後、長く売られていたようですが。
J1に復帰した暁には、ユース用の白いバスもチョロQにしてほしいものだと、コンサグッズマニアとしては願っています。
2006年01月28日
日本代表に対しては、あまり熱心に応援していません。もっぱらテレビ観戦で声援を送る程度です。
前に書きましたようにコンサのサポになるのを決意した日までは、コンサよりもむしろ日本代表の方が応援に熱が入っていました。ドーハの悲劇のころはまだきちんと見ていなかったのですが、1998年ワールドカップフランス大会へのアジア最終予選は真剣にテレビ中継を見て、応援していました。特に日韓戦のホーム、アウェイとも試合内容をよく覚えています。ホーム試合での加茂監督の選手交代は、采配ミスがいかにゲームに影響するか、痛感させられたものです。
そして、運命の1997年11月16日、アジア第3代表決定戦。いわゆるジョホールバルの歓喜ですね。イランに岡野のVゴール勝ちするまで、一進一退の攻防にテレビに釘付けで、延長に入ったときはすでに日本時間は翌17日午前0時を回っていたと思います。家族が寝静まった家で、一人、「行けー!」と叫んでいたものです。このとき、岡ちゃんは国民的スターとなり、その後、まさかコンサの監督になるとは夢にも思っていませんでした。そして、私にとって忘れられない日になったのは、喜びの興奮のうちに眠って迎えた朝のことです。午前7時前、カミさんに「あの拓銀がつぶれたって!」と揺り起こされました。以来、この試合を思うと、必ず拓銀破綻を連想してしまいます。
98年フランス大会はもちろんテレビ桟敷で日本代表戦を応援しました。しかし、この年の12月5日にコンサのJ2降格が決まり、以来、私の思いはコンサに大きく傾きました。この日を境に、日本代表には熱が入らなくなってしまいました。テレビ観戦は続けていますが、冷めた目で見ている感じでしょうか。コンサの試合に一喜一憂するようなことはありません。2002年日韓ワールドカップも燃えずに終わりました。04年6月1日にはU-23日本代表が札幌ドームでU-23マリ代表と戦うのを生で見ましたが、目が追うのは元コンサの今野と山瀬の姿ばかりで、いまひとつ試合に入り込めない自分がいました。
進んでしまった道はもう後戻りできません。命ある限り、チームとともに喜怒哀楽をともにしたいと思います。
2006年01月20日
と言っても、サテライトはわずか2試合しか観戦したことがありません。コンサは2003年シーズンからサテライトに参戦しましたが、トップチームで出場機会が少ない選手には、格好の実戦での練習になっていると思います。
初めて見た試合は03年8月3日、宮の沢白い恋人サッカー場でのベガルタ仙台戦でした。上の娘が友達と行くつもりでチケットを買ったのですが、たまたま都合で行けなくなり、私に回ってきたものです。そういえば、最寄りのバス停から大谷地行きのバスに一緒に乗った若い女性はなんと目的地がまったく同じサテライト観戦だった、という偶然もありました。試合開始の少し前に着いたら、雨にもかかわらず、結構、席が埋まっていて、仙台サポの近くに座りました。おかげで試合後も仙台の応援コールが頭から離れませんでした。試合の方は負傷から復帰した酒井が先制、新居の2ゴールの後、酒井に交代して出場したユースの藤田が「征也のゴールを見てみたい~」というサポの応援コールに応えて2ゴールを決め、5-1で快勝しました。試合の後半途中には雨も上がり、気分良く家路につきました。それにしても、雨の中、旗を振り、応援を続けるサポは完全にビョーキだと思いました(カミさんからは「あんたも十分ビョーキ」と言われていますが)。
もう1試合は05年6月12日、札幌ドーム屋外のオープンアリーナ・サッカーステージで初めて行われたジェフ千葉戦です。うまく休みの日で、入場料が無料だし、ドーム屋外というのも見てみたいと駆けつけました。すり鉢状の芝生に座ると、ちょっと風が冷たかったけど、まずまずの観戦環境でした。試合は前半早々に清野が先制、後半に相手GKのクリアミスしたボールを謙伍が頭で押し込む、ちょっと笑えるゴールで2-0とリード。しかし、オシムイズムで走り回るジェフは徐々にペースをつかみ、その5分後に1点を奪い、ロスタイムに同点、2-2の引き分けで終わりました。実はこの試合で今季、コンサに移籍してきた芳賀が後半途中から出場していたのですが、まったく印象に残っていません(きっぱり)。むしろ、同点弾を入れながら、その直後に2枚目のイエローをもらって退場した工藤浩平が妙に記憶に残っています。
トップのホーム試合観戦を優先して休みを取るので、なかなかサテライトまで日程を合わせられないのですが、今年からはもっと観戦したいと思っています。なにせ、トップの試合ではなかなか見られない選手たちの勇姿を見ることができるのですから。
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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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