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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2007年10月06日
コンサドーレ札幌は10月7日、TDK SCとの天皇杯3回戦に厚別で臨みます。コンサはチーム創設の1996年から天皇杯に参戦していますが、聖地・厚別で戦うのは初めてのようです。調べてみたところ、これまで道内では室蘭で8試合を戦っています。室蘭というと、どうもリーグ戦での分の悪さが言われますが、天皇杯では7勝1敗(延長Vゴール勝ちが3回あります)。もっとも相手は格下のアマチュアが多いので、当たり前かもしれませんが。Jリーグ相手では2004年の4回戦でジェフ市原を破っています。逆に唯一の敗戦は05年のJFL・佐川急便東京SCに喫しています。 私は、天皇杯は昨年の準々決勝、仙台ユアスタでのヴァンフォーレ甲府戦が初観戦(これが私の唯一の道外観戦体験です)でした。残念ながらこれまでリーグ戦の観戦を優先して休みを取るようにしていたこともあり、天皇杯までは休めず、室蘭には足を運んでいませんでした。ですから、明日の厚別が初の道内観戦となります。スポーツ紙の報道や「コンサにアシスト」によると、どうやらサテライト主体に戦うそうです。普段出場していない選手たちを見られるのは今から楽しみです。もちろん、アマチュアには負けられないという強い自覚と自信を持って、力いっぱい戦ってほしいと願っています。
2007年10月01日
試合会場のホーム側ゴール裏の最上段ではためく「のぼり」はご存じでしょうか(厚別で。札幌ドームにも出現しますが、はためきません。念のため)。先日、数えてみたら、20本以上もありました。私がよく生観戦を始めた2001年ごろにはすでに存在していました。詳しくは知らないのですが、確か「コンサのぼり隊」と称する皆さんがひいきの選手ののぼりを製作し、毎回、ダンマクと同じように掲示しているようです。中心となっていると思われるのが「アカクロホンポ」さんでしたが、残念ながらホームページが近年は更新されておらず、詳細は不明です。その昔、「ヱメのゴールあります。」「サッポロビージュ」などが名作がありました。現在も「新戦組 砂川誠」「高速注意 岡田佑樹」など、選手への愛情とユーモアあふれるのぼりが選手たちを鼓舞し続けています。 私はアウェイに行ったことがない(道外観戦は天皇杯のみ)ので、こうしたのぼりが他のチームでもあるのか、寡聞にして知りませんが、コンサドーレのサポならでは応援風景ではないでしょうか。泣いても笑っても残り8試合。うちホームは厚別1試合に札幌ドーム3試合。はためく(札幌ドームははためきませんが)のぼりがJ1昇格へ選手たちを励ましてくれるに違いありません。 追記:のぼりに詳しい方がいたら、ぜひ教えてください。
2007年09月24日
3連敗には、常に「前向きに応援する」をモットーにする私も少し凹んでいます。つい余計なことを調べてしまいました。チームの連敗記録です。2004年にJ2第5節から第21節まで3引き分けをはさんで14連敗がありました。ただ、05年から連勝、連敗は引き分けをはさまずにカウントすることになったため、今の数え方では8連敗。引き分けをはさむと、現在の成績は4連敗ということになります。J1時代には、02年第5節から第13節まで9連敗があります。延長Vゴール負けが3試合もありましたが。なお、この年はもう1度、8連敗がありました。 ただ、上には上というか、下には下というか、Jリーグ記録としては甲府が2000年に19連敗(1引き分けをはさみ25連敗)を喫しています。Jリーグでは、京都も1996年に17連敗しています。 縁起でもないことを長々と書いたのは、思えば04年は年間5勝しかできず、ぶっちぎりのJ2最下位でした。私の年間生観戦記録は3勝10敗7分けと札幌でのホーム試合全20試合を見て3回しか勝てませんでした。チームはそこからはい上がって、今、昇格争いのトップにいます。残念ながらここ数試合、勝てない試合が続いてますが、チームの正念場はこれからです。ここでサポーターが自信を失い、たじろいでいる場合ではありません。サポは、応援することしかできません。私たちはあの暗黒の04年にも明日を信じて応援を続けたではありませんか。 連敗記録を調べてみて、あらためて思いました。明けない夜はない、降りやまない雨はない、と。記録を作った当時、万年最下位と言われた甲府は昇格を果たし、現在、J1で2シーズン目を立派に戦っています。同じどん底を経験したわがコンサドーレもぜひ甲府に続きたいものです。まずは、次の山形戦。サポの力、ホームの力で選手で後押ししましょう。みんなの力で応援し、連敗を一刻も早く止めましょう!
2007年09月21日
今季途中での補強はイタカレだけかと思っていたら、9月に入って相次ぎ2人の加入が発表されました。写真上は横浜F・マリノスからやってきたGK富永康博、同じく下は横浜FCから来たMF、DF鄭容臺(チョン・ヨンデ。難しい字で、これで合っているでしょうか)。とりあえず、いずれもJカードチームエディション2007のカードです。富永は市販カードがあまりないようですが、鄭は結構出ているようで、これからじっくり集めたいと思います。コンサの仲間になった以上、2人とも活躍を期待しています。 追記:今回2人の足跡を調べて、2003年に1年だけチームメイトでした。とりわけ鄭はC大阪と横浜FCで昇格を経験しているだけに、J1昇格請負人として活躍を期待したいところです。
2007年09月16日
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9月15日、仙台戦の前に札幌ドームの会議室で開かれた「モリさんのおもしろサッカー塾」に参加してきました。チームスポンサーの北海道新聞社(道新)様とHFCの主催。先月、道新紙上で「道新ぶんぶんクラブ」がサッカー塾の参加者を募集しているのを見て応募したところ、見事に当たりました! 道新ぶんぶんクラブは会員制の読者サービスらしく、昨年、札幌ドームでの道新サンクスマッチの際に呼び止められて入会したのですが、これまでまったく利用したことがありませんでした。やっぱり応募してみるもんですね。確か6月にHFC主催で年配者を対象にした「これからサッカー塾」というのがあり、興味津々だったのです。当選者は2人まで参加でき、しかもSS指定席付き。久々にカミさんと出かけました。参加者は80人余りぐらいだったでしょうか。 講師は森下仁之・コンサドーレ札幌育成部長。年なものですから、貴重なお話の大半を忘れてしまいましたが、質問にもよく答えてくださり、それによると、森下さんは甲府のようなショートパスをつなぐサッカーをお好きなようで、コンサの戦術についてはコメントを避けてましたね。ただ、守備から手数をかけずにダイレクトプレーで攻めるのが世界的な潮流で「世界のサッカーはさらに進化している」と強調していました。あと、途中出場選手のモチベーションを保つ監督の秘訣として、「活躍したのときの監督の笑顔がすばらしく、あの笑顔をまた見たいと思わせているのが大きい」といったようなことを話されていました。講義は約1時間で終了。この後はSS席で観戦したのですが、年だからもう忘れました。次の試合に期待したいと思います。 こうした機会を設けていただいた道新様には感謝するとともに、引き続きこうしたイベントを開いていただいたり、道新&道新スポーツでコンサの応援を盛り上げていただきたいと願っています。
2007年09月10日
試合開始前の選手入場時に厚別や札幌ドームのバックスタンドに広がるのが「ビッグフラッグ」です。この大応援旗は横75メートル、縦12メートルもあるそうです。JFLで優勝した97年、翌年のJリーグ昇格に向けて先輩チームにならって旗を作ろうと、OSCなどサポ有志が呼びかけました。この「ビッグフラッグプロジェクト」の結果、約300万円の製作費用をサポからの浄財でまかない、98年5月9日、室蘭でのジェフ市原(現千葉)戦で初披露されたそうです。私がサポになる前なので、この募金には参加していません。実は3枚に分割されていて、総重量は300キロとか。ちなみに、チームフラッグと赤と黒の位置が反対ですが、アウェイの相手チーム側に「黒星を」とあえて逆にしたそうです。なお、札幌ドームのゴール裏に登場するユニホーム型のビッグフラッグは2001年、チームスポンサーの石屋製菓様とサッポロビール様がサポーターに2枚プレゼントしてくれました。横30メートル、縦20メートルで、札幌ドームで初めて試合をした同年7月21日の横浜M戦でデビューしました。 この大旗を毎回展開してくれるのが「ビッグフラッグクルー」というサポ集団です。メンバーがあらかじめ決まっている訳ではなく、その都度募集して集合しており、誰でも参加できます。私も1度だけ厚別で参加させていただきました。初心者は下で旗の端を押さえているだけでよく、誰でもできると思いました。興味がおありな方は参加されてみてはいかがでしょうか。こちらのブログ「ビッグフラッグプロジェクトです。」で毎回、集合時間、場所などが告知されますのでご覧になってください。サポの魂が込められたビッグフラッグがJ1昇格へ戦う選手を後押ししてくれるに違いありません。
2007年09月09日
6月24日のエントリー「福沢恵介さん」で紹介したCD「12番目の風になって-コンサドーレ応援団愛唱歌-」が8月20日に発売されました。以前に発表した「北の風になれ-コンサドーレ応援歌」とのカップリングで、ほかに2曲のカラオケバージョンが入っています。発売元はケージェイプロダクションで、価格は1000円(税込み)。どうやらアマゾンでしか買えないようです。実は発売前からアマゾンでチェックはしていたのですが、予約せずに発売日に購入しようとしたら在庫切れの表示。近くの大型CD店に行っても見あたらず、新譜情報を調べてもありません。やむなくアマゾンを再びチェックしていたら、月末になって入荷したらしく、ようやく注文。函館の愛媛戦に行った9月2日に到着。翌日、単身赴任先に帰る車の中で延々、繰り返し繰り返し聞きました。いやー、なかなかいい曲です。歌詞も1番の「1人1人の心をひとつに 今大地を揺さぶる歓声」や3番の「12番目の風になって 共に涙ながそう」などサポ心をよく理解している内容で、福沢さんが伸びのある声で歌い上げると、中年おじさんはウルウルしてしまいました。 福沢さんの公式ホームページによると、このCD発売を記念したイベントとして9月17日午後2時から、宮の沢上手稲神社のお祭りで歌うそうです。HFCへのお願いとしては、ぜひ試合開場のBGMで流してほしいと思っています。 なお、このCDをアマゾンで購入される方は、必ずコンサドーレ札幌オフィシャルブログのトップページにあるセレクトショップのアマゾン検索窓から注文してください。チリも積もれば山となりますので、少しでもチームのために役立てましょう。
2007年09月01日
コンサドーレ札幌を運営する北海道フットボールクラブ(HFC)が昨シーズンから始めたのが「ポスターサポーター」です。HFCがサポーターにポスターを提供し、それを店舗や職場など人目につく場所に掲示してもらい、コンサドーレをPRして試合に1人でも多く動員しようという狙いです。 私は今シーズンから申し込んでみました。2月にメールで申し込むと、3月初めに前期のポスターが到着。ポスターはB3判で、右からブルーノ、相川、謙伍と前期の日程を掲載したものです。早速、単身赴任先の岩○沢市にある職場の玄関と札幌市清田区真栄の自宅玄関風除室に張り出しました。下の娘には「恥ずかしくて友だちを連れてこれない」と嘆かれましたが。前期の日程は7月までだったので、後期のポスターが遅いなあと思っていたら、8月10日になってようやく届きました。今度は芳賀を中心に、右に謙伍、左にダビでした。セレッソ大阪戦のある11日朝に写真のように自宅へ掲示し、職場には休日明けの13日に掲示させてもらいました。あと、ポスターサポーターには特典としてSA席の招待券2枚がもらえます。これで知人に試合へ足を運んでもらうのに役立てます。 掲示している場所はいずれも通学路にもなっており、結構子供たちには見てもらっているかと思います。「9・15 4万人結集」プロジェクトのチラシも職場内に張り、アピールしております。本当に微力ながら、コンサドーレのPRになって、少しでも動員に結びつけば幸いです。
2007年08月27日
今日、新しく作ったメガネを受け取ってきました。利用したお店はチームスポンサーの富士メガネ様です。メガネ歴は高校2年生からですから、すでに30年以上。筋金入りのド近眼です。これまでは別な店をいくつか利用していたのですが、こういうHFCが苦しい時ですから、スポンサー様を利用しなくてはと思い立ち、初めて行きました。ちょっと値段が高いイメージがあったのですが、それほど変わらないようでした。ただし、カミさんに選んでもらったフレームが高かったので、予算をオーバーしてしまいましたが。視力検査なども極めて丁寧な仕事ぶり。担当した店員さんからいただいた名刺に、写真のように「富士メガネはコンサドーレ札幌を応援しています。」とあるのも好感度アップです。そういえば、富士メガネ様は海外難民眼鏡寄贈ミッションで「ナンセン難民賞」を受けるなど、社会貢献にも積極的ですね。高額の買い物になりましたので、ほくせんサポーターズカードで支払いました。 次回からは、メガネを作る時はおそらく遠近両用になると思われます。富士メガネ様におかれまして引き続きコンサドーレをサポートしていただきたいと心よりお願いします。1回利用しただけで偉そうなことは言えないのですが、サポートしていただける限り、今後は利用させていただきますので。
2007年08月18日
遅ればせながら「9・15 4万人結集」に賛同しましたので、これまで私が観戦した試合の入場者数を振り返ってみました。コンサドーレ札幌の球団最多記録は札幌ドームが完成した2001年の7月21日、横浜F・マリノス戦の3万9319人でした(1-1の引き分け)。確か前売りが2時間余りで完売してしまい、私は残念ながら参戦できませんでした。この年のドームは翌年のワールドカップを控え、記者席などがW杯仕様で、もうこれ以上は入れないほど、すし詰め満員だったようです。B自由席だった知人は座る席がなく、家族で通路に座って見たと言ってましたね。J1に昇格したこの年、ドームでは5試合を行いました。私が観戦できたのは3試合で、入場者の多い順に並べると、最多がシーズン最終戦で3万9156人のセレッソ大阪戦(11月24日、0-1で敗戦)、3万8639人の浦和レッズ戦(11月3日、1-1の引き分け)、3万5725人の清水エスパルス戦(9月15日、岳也のVゴールで3-2の勝利)。この年のもう1試合、8月18日のFC東京戦(2-5で敗戦)も3万2975人で、いずれも3万人以上が詰めかけました。 残念ながら、翌年以降は成績不振、J2降格などで動員も振るわず、3万人以上入ったのは02年9月29日のジュビロ磐田戦(0-1Vゴール負け)の3万2416人を最後に、最近はドームでも2万人に達することさえ珍しくなってしまいました。それでも、あの3万人以上が詰めかけた日々を思い出すと、まずチケットを購入するのが一苦労で、開場前から並んで席を取るのも大変でした。そして応援は本当にすごく、鳥肌ものでしたね。チームが順調に勝ち点を伸ばすなか、メーンスポンサーが思わぬ苦境に立たされ、今後の経営の行方に暗雲がたれこめていますが、もう一度、札幌ドームを埋めてあの熱気を取り戻し、J1昇格へチームを後押ししたいと考えます。1人でも多くの人を誘い合ってドームに集まりましょう!
2007年08月12日
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いやー、昨日の札幌ドームでのC大阪戦はいい試合でした。今季のベストゲームかもしれません。いつもはホーム側ゴール裏B自由席の端っこなのですが、昨日はリッチにもSS席の前から7列目で観戦しました。SS席で見たのは史上2度目、前は懸賞に当たったからで、自前で買ったのは初めてでした。というのも、この日はKappaサンクスマッチで、HFCとしても初めての試みという「スタジアム見学付SS指定席」発売のお知らせ記事を道新で見て、7月25日にカミさんに頼んでチケットを買ってきてもらいました。値段は通常のSS席と同じ4200円。限定80枚で、後日完売しました。 午後1時15分に西ゲート3に集合。Kappa製のこの日の日付が入ったビブスが全員に配られ(もらえました。太っ腹!)、2班に分かれました。私が加わったA班はまずドーム4階の貴賓席を皮切りに、記者席、ゴールドシート(でしたっけ?)とラウンジを見学。そしてあこがれのサッカーピッチの脇まで行って、手で触ってきました。さらに選手が到着する前の控え室に入ると、きちんとそれぞれの選手のシューズが3、4足とユニホームがきちんとたたんで用意されていました。そしてバスから降り立った選手たちを拍手で出迎えました(試合前で集中しているので選手の撮影だけは不可で、ほかは撮り放題でした)。この後、選手たちを降ろしたコンサドーレバスに乗車、羊ヶ丘通りに出てぐるっと国道36号に回ってドームの周りを1周してきました。バスの窓には選手たちの白マジックによるサインがありました。外を眺めると、会場に駆けつけるサポたちが選手が乗っているのではと見つめていましたね。バスを降りて解散、人の良い運転手さんにバスの前で撮影してもらっちゃいました。全部で1時間余りの短いツアーでしたが、日頃はのぞけない世界に遭遇し、わくわくしました。SS席とあって、試合の様子もよく見えて、幸せな1日でした。隣はおそらく初めてコンサドーレを観戦したと思われる親子。十分に堪能したようなので、また観戦に足を運んでもらえるとうれしいなあ。 このチケットが今回限りなのかどうか分かりませんが、サポにとってはうれしい企画。もっとたくさんの方々が体験できるよう、ぜひとも今後も続けてほしいと思いました(HFCさん、チケットの値段を高くしても、買うと思いますよ)。
2007年08月06日
4月14日のエントリーで紹介したコンサドーレ札幌PR大使の「ジェッター3」に激震が走りました。8月5日の彼らのブログでシンヤとイケチンが脱け、今後のジェッター3はアツシ1人で活動を続けるとか。3人での音楽活動は12日のライブが最後になるそうです。どんな事情があるのか、分かりませんが、新たな道にそれぞれ進む若者たちに幸多かれとエールを送ります。思えば、7月28日に厚別で見たのが彼らの最後の勇姿となるわけですね。ホーム側のゴール裏からはうまく撮れませんでしたが、彼らのコンサドーレを応援する気持ちがひしひしと伝わるパフォーマンスでした。彼らの貢献は決して忘れません。今後もコンサドーレの応援し続けると誓ってくれている彼らとともに、まずはJ1昇格の夢をかなえたいものです。
2007年08月01日
キックオフ1時間前のコンサドールズの踊りに、スタンドから花を添えるのが正式な名前は分かりませんが、アウェイドールズです。本物のドールズの出番が近づくと、アウェイ側のゴール裏に自然発生的にどこからか現れ、数十人がドールズとともに踊り、終わると疾風のように去っていきます。確か出没し始めたのは2003年からだったと思います。それまではホーム側ゴール裏で自作のポンポンを持って自席で踊っていた人がいましたが、突如として出現した集団は脚光を浴びました。私自身は恥ずかしいので踊ったことはありませんが、被写体として面白いので、よく撮影させてもらいました。最初は10人程度と思っていたら増え続け、多いときは100人近くいたのではないでしょうか。厚別でも札幌ドームでもすっかり名物として定着。相手サポにも注目を浴びて、一緒に踊り出す人や写真に撮る人もいましたね(現在はJリーグの分離政策強化でそんなほのぼのとした交流は不可能になりましたが)。呼び名はほかにもニセドールズなどとも呼ばれ、会場MCのグッチーさんはバックスタンドダンサーズと呼んでいますね。その存在はすっかり本物のドールズにも知られ、確か昨年でしたか、札幌ドームではドールズのユースやジュニアのメンバーも一緒に踊っていたので驚きました。写真は6月2日、厚別で撮影しました。あえて後ろ姿です。踊りたい方は勝手に集まれば良いようなので、参加してみてはいかがでしょうか。
2007年07月20日
7月28日の第31節、厚別での鳥栖戦はファンクラブ感謝デーです。ファンクラブdozeの会員なら忘れてはならないことがあります。会報誌gene64号の最終ページについているプレゼント引換券です。もらえるのは選手のサイン入り集合写真です。わが家にはJ1だった2002年からあり、04年は2回もらえたので昨年まで写真の計6枚があります。02年を見ると、佐藤尽や小倉、バーヤック、森下仁志、ジャディウソンら懐かしい顔触れ。引退した選手も多く、いまは誰もチームに残っていません(佐藤尽は強化部所属ですが)。今野(FC東京)や藤ヶ谷(G大阪)はJ1で活躍しており、ビジュは先日、水戸に入団しましたね。バーヤックは発売中のワールドサッカーグラフィックという雑誌の「菊とフットボーラー」欄で最近の活躍ぶりを見ました。実は今年は既に4月11日の第8節、福岡戦でもプレゼントがありました。東京・西が丘でしたので、私は行けず、もらいそこねました。 これらはわが家の家宝としてファイルに入れて保存してあります。プレゼントは必ず試合会場に行かなければもらえません。今後も10年、20年と応援に通い続けてお宝を増やしていきたいと思っています。会員の皆さんは28日に応援に駆けつけるとともに、くれぐれも引換券をお忘れなく!
2007年07月16日
最近、チームのイエローカードが増えています(ジャッジの問題もありましたが)。昇格がかかる終盤戦に向けて、無用なイエローやレッドは極力避けたいものです。イエローカードでいつも思い出すのが中尾康二です。四日市中央工高を卒業して当時J2のコンサドーレに入団。主にボランチや右サイドなどをこなす、守備的なMF、DFの選手でした。その年は出場1試合、J1に上がった翌01年は3試合出場にとどまり、この年の11月からブラジルへ短期留学に赴きましたが、帰国直前の翌02年1月に試合中に骨折してしまいます。出場機会のなかった02年は途中で当時J2の横浜FCにレンタル移籍、7試合に出場しました。翌年は復帰し、ちなみにこれは同時期に福岡から復帰した河村優とともに、レンタルからの出戻り第1号だったようです。03年はJ2で24試合、そして運命の04年は背番号10を背負って20試合に出場した後、8月にあの事件で新居辰基とともに解雇されました。 プレースタイルは決してうまい選手ではありませんが、豊富な運動量でガツガツと相手の攻撃の芽をつぶす役割を担いました。ただ、やや雑というか、接触プレーで相手を止めることが多く、イエローカードコレクターといわれるほど、しょっちゅうカードをもらい、退場させられたことも少なくありません。技術不足によるラフプレーはほめられたものではありませんが、あえて擁護すれば、もっと接触プレーに寛容な欧州リーグならこんなにカードをもらうこともないでしょうし、どうも審判にも偏見というか、先入観で見られていた気がします。あの事件のことはかばうことができませんが。 ひたむきな武骨なプレーぶりはわが家では人気で、イエローをもらってもどこか憎めないキャラクターでした。とりわけカミさんは佐藤洋平がいなくなってからは中尾に期待していたようです。確か04年1月のキックオフイベントで上の娘がサインをもらい、その時のサインと写真はわが家の宝物としてしまってあります。 解雇後はFC静岡を経て、06年からFC岐阜に所属。FC岐阜は今季、JFLで4位以内に入れば、J2に昇格します(現在3位)。コンサドーレはJ1に昇格するため、来季、戦うことはないでしょうが、Jリーガーに復帰した中尾をまた見たいと思っています。 残念ながらトレカは出ていないようです。
2007年07月10日
スポーツ新聞は定期購読していません。なぜならプロ野球が好きではなく、競馬もやらないので、コンサドーレとサッカー、あとはせいぜい芸能ニュースぐらいしか読むところがないからです。でも、試合の翌日は別です。勝利の翌日は道新スポーツ(道スポ)、日刊スポーツ(日刊)、スポーツニッポン(スポニチ)、スポーツ報知(報知)の4紙をいわゆる大人買いしています(合計510円)。残念ながら引き分けか、負けた翌日は道スポと日刊だけ(計250円)を買います。 こうした習慣が身に付いたのは、そんなに昔ではありません。もともと、かつていた職場では道スポがあったので、コンサドーレの記事はよく読んでいました。買ってまで読むことはほとんどありませんでしたが。それが一変したのは2004年12月12日の天皇杯5回戦、J1の大分トリニータを撃破した試合です。翌日の日刊は1面で熊本まで駆けつけたサポーターが万歳している姿を報じていました。しかも、知人のサポも写っているではありませんか。この年のコンサはJ2リーグ戦でわずか5勝の暗黒時代。そこに差し込んだ一筋の光明に感激しました。以来、1面を飾ったスポーツ紙を買うことにしました。翌年は最初、道スポで2、3回、1面を飾りましたが、そのうちに我慢できなくなり、勝てば道スポと日刊を買うようになりました。勝てば4紙、引き分け・負けは2紙という行動様式が定着たのは昨年からです。これらの購入したスポーツ紙は04年12月12日の試合以降、コンサのところだけ切り抜いて、A3ファイルに入れて大切に保存しています。 明日は後半戦開始となる厚別での福岡戦。翌日はぜひとも4紙を買いたいと願っています。今季はあと何度、4紙の大人買いをできるでしょうか。さらに昇格を伝えるスポーツ紙は保存用にも買おうかなどといまから楽しみにしています。
2007年06月24日
福沢恵介さんは札幌在住のシンガー・ソングライターです。古くは「野風増(のふうぞ)」(1984年)のヒット曲で知られています。今月20日の北海道新聞(道新)でうれしい記事を見つけました。練習場の宮の沢白い恋人サッカー場がある札幌市西区の住民が「コンサ通り」を核に応援しようという取り組みに賛同して、福沢さんがファンの応援歌「12番目の風になって」を作詞作曲したという内容でした。そして歌の発表会が23日にコレクションハウスで行われたことが今朝の道新で紹介されていました。 福沢さんはもともと熱心なコンササポだったそうで、1998年2月には自ら作詞作曲したコンサドーレ応援歌「北の風になれ」のCDを発売しています。コンサドーレで初めて作られた応援歌だったようです。写真のCDは確か2001年ごろでしたか、近所のコーチャンフォーで奇跡的に見つけて購入したものです。今では見なくなった8センチのCDシングルで、曲調は行進曲風。スローバージョンやカラオケも入ってました。コーラスには河村通夫さんや鈴木一平さん、南月寒サッカー少年団などが加わっていました。 実は「北の風になれ」の3番の歌詞に、すでに今回の曲につながる「12番目の風になれ」というフレーズが入っていました。残念ながら、まだ新曲の「12番目の風になって」は耳にしていませんが、8月にもCDが発売される予定だそうで、今から楽しみです。ぜひ悲願の昇格を果たした時に、みんなで歌えるといいなあ、と心から願っています。
2007年06月20日
コンサドーレの試合は現在、ホームでもアウェイでも必ずスカパーや地上波(アナログですが)を録画しています。どんな負け試合でも、あるいは生観戦した試合でも、最低1度は見るからです。もちろん、良い試合は2度、3度と見ることもあります。 本格的に録画を保存するようになったのはスカパーに入った2003年シーズンからです。ゲーム中に余計なCMが入らないので、保存を思い立ちました。ただし、残すのは勝ち試合のみです。ビデオ(VHS)の3倍速で1本に3試合を保存していました。例外はこの年の4月12日、室蘭での福岡戦でウィルのハットトリックなどで5-0の快勝。これは標準で1本に録画し直しました。この年は13勝ですから、例外の1本を合わせて5本に収録されました。しかし、翌04年はわずか5勝で、2本に収まってしまいました。05年は17勝で6本。先ほど、勝ち試合だけと書きましたが、04年3月13日の開幕戦で甲府と引き分けた試合は柳下アクションサッカーに感服し、逆に05年11月23日の甲府戦も悪夢のロスタイム3失点の2-4敗戦を忘れてはいけない試合と思い、残してあります。 05年の暮れに念願のハードディスク(HDD)つきのDVDレコーダーを購入し、06年シーズンからはいったんHDDに録画し、残す試合のみDVD-Rに焼くようにしています。06年は20勝で20枚、それに天皇杯の準決勝を含む3試合の3枚が残りました。そして今年はすでに14勝。このまま行くと、30枚ぐらいに増えそうで、カミさんからは「また物が増える」と厳しい目を向けられているようです。そんな迫害にはめげず、チームにはどんどん勝ち星を増やしてもらい、保存枚数を増やしたいと思っています。ただ、来年からは画質を落として、1枚に2試合保存しようかなんて考えてはいますが。いずれにしろ、DVDコレクションがどんどん増え、そして悲願達成の永久保存版が今年こそできるように心から願っています。
2007年06月09日
デジタルカメラを初めて購入したのは確か1998年ごろだったでしょうか。エプソン製の詳しいスペックは忘れましたが、100万画素もあったかどうか。主に年賀状用に家族のスナップ写真を撮っただけで、ほとんど活躍することなく、お蔵入り同然でした。なぜなら、ズームなしの単焦点で、日常の撮影に役立たず、結局、3倍ズームのついたフィルム式のコンパクトカメラを使っていました。それでもコンサドーレの試合を見に行ったりするうちに、3倍ズームでは物足りなくなりました。若い頃、1眼レフを使っていたことがありますが、とてもあの重い本体とレンズは持ち歩きたくありません。なかなか解決策が見つからないままでした。 そこは日進月歩、秒進分歩のデジタルの世界。そんなときに知ったのがコンパクトデジカメで12倍ズームが付いたPANASONICのFZ1でした。手ぶれ補正付きなので、ズームしても失敗が少ないと評判を聞き、2003年に購入しました。値段は4万円台でした。以来、コンサドーレの試合や練習見学などには必ず持参し、撮影を楽しむようになりました。ズームの威力でピッチの遠くにいる選手も撮ることができ、しかも軽いので1眼レフと違ってぶら下げていくのに最適でした。200万画素で今なら物足りない画質なほか、若干、ピンが甘い感じでしたが、そんな欠点も気にならないほど気に入りました。それでも毎年のように新製品が出て性能がアップし、昨年、ついに我慢できなくなり、同じ12倍ズームのFZ7に買い替えました。これも4万円ほどでした。サイズが一回り大きくなってしまいましたが、最大600万画素にグレードアップし、ピントも合うのが早く、現時点ではほとんど不満はありません。1眼レフを除けば、このサイズでこれだけズームできるのは素晴らしいと思います。引き続きコンサドーレ専用機として活用しております。 すでにFZ8という新製品が出ていますが、当分はこれで十分だと思っています。オリンパスから出た18倍ズームがちょっと気になっていますが。試合の時は始まる前と終わった後に撮るのが中心です。試合中は応援に夢中だから、ほとんど撮ることができません。今年は選手、サポ、ドールズと歓喜の様子を大量に撮ることができ、うれしく思っています。ぜひ今年、昇格を決める試合で、決定的な瞬間を撮りたいと今から楽しみにしています。
2007年06月01日
アンオフィシャルコンサドーレ札幌10周年記念誌「ONE & ONLY」は昨年6月に刊行されました。ゴール裏の応援をリードし続けるウルトラスサッポロ(US)が自費出版したA5判、235ページです。内容の中心は2005年11-12月のホームゲームでサポーターにアンケートした回答です。最も貢献した選手や一番応援した選手、ベストゲーム、自分自身変わったこと、理想のクラブ像などで、400人近いサポーターが熱い思いを語っています。私も確かネットでアンケートに答え、「真栄パパ」の名前で答えが載りました。USのホームページから予約して6月24日の厚別競技場の外で購入しました。その際は600円だったのですが、すぐに売り切れとなり、増刷した結果、経費がかかるため1000円に値上げしたようです。現在はホームページを見ても、扱っていないようです。 プロが作った本と違って、正直、文字が小さいし、慣れない横組みとあって、年配のおじさんが読むのは、ちょっとつらいものがあります。誤字脱字も少なくありません。でも、そんなことは気にならないほど、この本にはサポーターの喜怒哀楽や情熱が詰まっています。読めば読むほど、ウルウルしてくるものがあります。アンケート結果のほかに、USメンバーの声や現在はライターをしていらっしゃる斉藤宏則さんや笹田啓子さんの寄稿、さらには吉原宏太、大森健作、古川毅ら元選手たちからのメッセージも。とりわけ札幌では怪我に泣いた三原広樹の「札幌のサポーターは自分の中で世界一。怪我から復帰したときの感動は忘れられない」「引退したら、今度一緒にバモり!ます」という言葉にはホロリとさせられます。このようなサポーターの思いを本に残してくれたUSの皆さんに感謝しています。
2007年05月28日
2戦連続の逆転勝ちにうかれて、今日はしょうもない話で。要は赤と黒の箸(はし)です。2年前に2度目の単身赴任に旅立つ際、カミさんから「赤と黒だから、いいでしょ」と持たされたのが赤い箸と黒い箸の2膳でした。何のことはない、安っぽい箸でした。実はコンサドーレグッズの箸=写真下=は持っていたのですが、もったいなくて飾ってあります。カミさんの言葉をヒントに、その赤と黒の箸は同じ長さだったので、私は1本ずつ組み合わせて赤黒で1膳として使っています。「そんなつもりではなかったのだけど」とカミさんもあきれています。すでに1膳目はだめになり、2膳目を使っていますが、そろそろ塗りがはげてきたので、カミさんに言うと、百均で少しラメのような模様が入った赤と黒の箸を買ってきてくれました=写真上=。今度からまた赤黒に組み合わせて使おうと思っています。こうして、コンササポの日常は赤黒度がさらに増していくのでした。めでたし、めでたし。
2007年05月20日
先日のエントリーでドーレくんの満10歳の誕生日を祝ったのですが、もう一つの10歳を忘れていました。チームコーディネーターの金子桂子さんご自身がドールズブログで紹介していますが、われらが勝利の女神、コンサドールズも10周年を迎えました。当時、コンサドーレがJFLだった1997年5月15日、大塚戦が行われた厚別競技場でデビューしました。今でこそあちこちのJリーグで同じようなチアリーディングチームがありますが、コンサドールズは日本サッカー史上初のオフィシャルダンスドリルチームとして誕生したのでした。当初、コアなサッカーファンからは「サッカーには似合わない」といった声もあったようですが、コンサドーレのホームゲームで見て、対戦チーム側がうらやましかったのでしょう。いまは本当に増えましたね。でも、他のチームのことはよく分かりませんが、ちらりと見る限り、コンサドールズはかなり踊りのレベルが高いように思います。 レベルが高いのもそのはず。もともと金子さんが主宰するダンススタジオ「NEO」に依頼し、実績のあるダンスチームだったそうです。その後もコンサドールズになるにはオーディションが行われ、現在はコンサドーレと同じようにドールズもメンバーがトップとサテライトに分けられ、以前に見た記事などによると体脂肪率なども含め厳しく体調が管理されているそうです。さらにユースやジュニア、キッズと養成コースも充実しています。実は私も娘2人をドールズにしたいと思ったものですが、娘らは「無理!」と拒否。父親の夢をあっけなく粉砕したのでした…。 ドールズの衣装や音楽、踊りは毎年のように変わります。主な出番はキックオフ50分前とハーフタイムの2回。テレビの中継でもその踊りはほとんど見ることはできません。ぜひ厚別や札幌ドームに生観戦とドールズを見に足を運んでください。おやじ目線でじっくり見たい方はぜひ特等席のメーンスタンドのSS指定席を購入してください。そして、昨年からは勝った試合限定の「勝利のラインダンス」が復活し、試合後にホーム側ゴール裏の前で踊ってくれます。写真は今年5月6日の厚別開幕戦、仙台に勝利した後の踊りです。よくこんなに足が上がるものだと毎回、感心していますが、今年はあと何回、ラインダンスを踊ってくれるでしょうか。J1昇格を決めたときにはどんな踊りを見せてくれるのか、勝利のダンスをいまから楽しみにしています。
2007年05月12日
4月22日、聖地・厚別開幕戦の仙台戦で初めてdoze(ファンクラブ)会員が対象の来場記念プレゼントが当たりました! スタジアムに通うこと苦節ウン年。ついに手にすることができました。ご覧の通り、集合写真にキャプテン芳賀のサイン入りです。もう1枚のダビの写真との選択でしたが、こちらを選びました。会員番号の下3桁で1試合に5人ですから、確率的には200分の1。単純に言えば、10年ぐらい通い続ければ1回は当たるということでしょうか。プレミアム会員なら下1桁ですので10分の1。1シーズンに2回当たる計算ですね。うらやましいです。 いつからこのプレゼントが始まったのか、そもそもファンクラブに入ったのが2002年からですから、詳しくは分かりません。でも、昔のスタンプラリーでスタンプを押してもらう際や現在のポイントを入れてもらう際に、いつも当選番号をチェックしていたのですが、まったくかすりもせず残念に思っていました。今年の運を使い切ったかもしれません。本当はわが家は全員が家族会員になっていますので、カミさんと娘も行けばもらえたのですが、この日は私だけの参戦だったので、かえすがえすも残念ですね。 なお、当選番号は後日の会報誌「GENE」に数試合分がまとめて掲載されます。当日、確認を忘れた方も、チケットの半券かシーズンチケットを会員証とともにファンクラブ事務局に持参すると、プレゼントがもらえるようです(郵送も受け付けている)。必ず誰かが当たっていますので、確認をお忘れなく!
2007年05月05日
いわずと知れたコンサドーレ札幌のマスコット「ドーレくん」です。誕生日はJFL時代の1997年5月4日、室蘭の入江競技場で初めて登場。そうです、昨日がちょうど10歳のバースデーでした。おめでとう! 公式HPによると、「北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』をモチーフにいたしました。ゴールマウスを見つめる大きく鋭い瞳は“知性と想像力”を、新雪のように美しい白い体は“フェアプレー精神”を表しております。フクロウ独特の安定感(信頼)のある重厚な体格を、直線的なタッチを用いてスピード感のある精悍なイメージで表現しております」とあります。私が初めて生ドーレくんを見たのは初観戦した翌98年4月4日、室蘭でのG大阪戦。いい年した中年おじさんが子供たちに混じってハイタッチしてもらいました。以来、観戦のたびに活躍を見てきましたが、徐々に芸達者ぶりが進化しています。得意の側転をはじめ、キックボードやミニバイクまで乗りこなします。圧巻はコンサドールズとの競演で、ラインダンスまで踊ります。踊れるドーレくんは別人(別フクロウ)という説があるようですが、きっと気のせいです(笑)。写真は昨年8月26日の厚別で、キックボードを持っていますね。 ドーレくんのグッズはいろいろ発売されていますが、ぬいぐるみは近年、変身ドーレくんや着せ替えドーレくんなどが発売され、サポ心をくすぐり、HFCも商売上手になったものです。キャップや羽根まで売り出され、わが家でも増殖を続けています。以前にはビッグドーレくんも売り出されましたね。初期のころに比べると、明らかに顔立ちがかわいらしくなったと思います。そういえば、2002年にキッズドーレくんが登場しましたが、ドーレくん自身の子供時代だそうで、家族ではありません。最近、キッズドーレくんのグッズが出ていないようです。 今年2月11日にあったサポーターズ集会でHFCの児玉社長が「ドーレくんが社員になりました」と報告していました。オフの間もドーレくんは幼稚園や保育所を訪れてPRするなど、チームに貢献しています。社員となって生活も安定したことですし、10歳になって成人(成フクロウ)となったドーレくんにそろそろお嫁さんを見つけてあげてほしいと切に願っています。
2007年04月30日
11年乗った赤黒シートカバーのトヨタ・イプサムがだいぶガタがきましたので、3月に車を買い替えました。今度はホンダ・エアウェイブです。日常乗るカミさんの希望は赤色でしたが、すでに廃色だったため予定外の黒色になりました。「黒なら在庫があり、お安くしときますよ」というディーラーさんの言葉に夫婦とも弱かったのでした。私の人生において5台目(うち2台は中古)の車になりますが、ホンダも黒色も初めてです。「赤黒」命だから、黒でもいいかと自分に言い聞かせています。 初めてなのはもう一つ。希望ナンバーです。もちろんサポなら「12」番! 抽選かと思ったら、あっけなく取れました。ディーラーさんには「どういう意味があるんですか」と聞かれ、カミさんが「夫がコンサドーレのサポーターなので」と説明しました。写真のナンバープレートカバーは昨年の10周年記念グッズで買っておいたものです。ようやく役立ちました。 まだ車内にはミニフラッグとエアフレッシュナーぐらいで、コンサ度があまり高くありません。これからカミさんの目を盗んではいろいろグッズ類を増やしていこうと思っています。そういえば、先日、シースペースや試合の時の売店で車に張るステッカーを探したのですが、どちらにもなかったような。現在は売っていないのでしょうか。ぜひともコンサドーレをアピールしたいのですが。
2007年04月23日
昨日の興奮冷めやらぬなかですが、先日、4月13日の北海道新聞朝刊札幌市内版にうれしい記事が載っていました。コンサドーレのジュニアサッカースクールに初の女性コーチが誕生したという内容でした。そしてその名前を見ると、なんと宗像訓子(さとこ)さん。そうです、クンちゃんの愛称で親しまれた元サブマネージャーです。道女子短大サッカー部主将としてMFで活躍し、1997年にHFCに就職し、裏方としてチームを支えました。練習や試合の時に遠目から眺めて知っていただけですが、2002年春にHFCを退職し、Lリーグ(現なでしこリーグ)の強豪、伊賀フットボールクラブくノ一に入団。選手として日本代表を目指す夢に向かって旅立ったのでした。その心意気に感動し、陰ながら応援しておりましたが、そのクンちゃんがHFCにまた戻って来てくれたのです。記事によると、04年から厚真町の「FCアドゥーマ」に所属して選手としても活躍しているようです。 中年おじさんから見ると、まだ若いと思っていたクンちゃんもいつのまにか30歳。今年のコーチ5人を紹介したホームタウン推進部のブログによると、本人の今年の目標は「彼氏を作る」ことだそうです。サッカースクールで子供たちにサッカーの魅力を伝えるとともに、選手としても活躍し、そしてプライベートでは良い伴侶が見つかるように、父親のような気持ちで願っています。
2007年04月14日
九州出身の3人組ロックバンド「ジェッター3」は2000年に結成されたそうです。HFCから04年11月23日から、コンサドーレ札幌の宣伝普及活動を行うPR大使に任命されています。写真はその日、札幌ドームでのお披露目時に撮影したものです。正直言って、私のような中年おじさんには縁のなさそうなバンドです。イケメンとはいいにくい風体で、見た目から入る娘たちは「イケてない」と連れない反応でした。 実は彼らのことはその年の夏、たまたま目にした北海道新聞の石狩地方版でコンサドーレ応援ソング「追いかけて」を作り、当別町(池内や新居を生んだ町ですね)でプロモーションビデオを撮影したという記事を見て、知っていました。その時は「北海道に縁もゆかりもないのに、変な奴らだな」程度にしか思っていませんでした。PR大使になった当初は、どのぐらい応援してくれるのか、半信半疑で、ネット上でも「ジェッターヨ」などと冷やかしの声が多かったように思います。 ところが、その後の活動ぶりは目を見張るほどでした。厚別やアウェイにまで応援に駆けつけてくれ、ライブでもコンサのレプリカユニを着て演奏。オフィシャルブログにも登場し、熱い気持ちを語ってくれています。最初、疑った私が間違っていました。メンバーには申し訳なかったと謝りたいと思います。
05年10月22日には7連敗中の天敵、山形戦の応援に雨の函館まで駆けつけてくれました。そのかいあってか、見事に勝利。会場に響き渡った「追いかけて」のフレーズが耳について離れなくなり、札幌に戻って「追いかけて」が入っている彼らのミニアルバム「虹」(4曲入り、1000円)を探しました。ところが、大型店2、3軒を回ってもなく、アマゾンにもありません。あきらめかけていたころ、なんと単身赴任先の岩○沢で、インディーズコーナーにありました。おそるべし玉光堂。 11日に西が丘であったホームの仙台戦で土砂降りの雨のなか、赤黒に塗ったギターが台無しになる覚悟で熱演してくれたそうです。本当に頭が下がります。彼らがメジャーになるよう陰ながら応援します。コンサがJ1昇格を果たしたとき、彼らと一緒に喜びたいと願っています。
2007年04月09日
先日発売された今年のJカードのコンサドーレ札幌の5枚です。上段左からキャプテン芳賀、西谷、大塚、下段左から砂川、曽田。レギュラーカードはJ1なら1チーム11枚ですが、残念ながらJ2は5枚だけです。芳賀、西谷、大塚はコンサでは初登場、砂川と曽田は4年連続の登場です。 早くJ1昇格を果たし、Jカードで11枚、さらにはチームエディションで全選手がカードになる日を楽しみにしています。
2007年04月01日
昨日の勝利から浮かれたままの真栄パパです。室蘭で勝ったのはチームとしては2003年4月12日以来、4季ぶりとか。私が生観戦した試合ではいつ以来かと思って、室蘭での観戦記録をあらためて調べてみました。 私は転勤で1997年春から3年半、室蘭に住んでいました。初観戦はJリーグに昇格した98年4月4日のG大阪戦で、私の初の生コンサでした。バルデスのゴールで見事、1-0で勝利しました。リーグ戦ではありませんが、この年の12月5日のJ1第3参入クラブ決定戦で福岡に0-3で敗れて涙し、サポになる決意をしました。J2に落ちた翌99年3月28日の鳥栖戦は2-3でVゴール負けでした。2000年は有珠山噴火の影響もあり、見に行けずじまい。その年の秋に札幌に転勤となり、J1となった01年と02年は週末に忙しい職場のため観戦できませんでした。そしてかえすがえすも残念なのが03年4月12日の福岡戦。ちょっと無理をすれば行けたのですが、怠け心が勝って自宅観戦したところ、なんと初めてブラジルトリオ(ウィル、ホベルッチ、ベット)がそろい踏みでウィルのハットトリックなどで5-0で圧勝。この試合を見逃したのがトラウマとなり、10月25日の大宮戦に頑張って遠征するも0-1で討ち死にしました。04年は行けず、05年7月16日の京都戦、06年3月25日の横浜FC戦とも0-1で敗れました。そして07年3月31日、ついに1-0でJ1からの降格組のC大阪を撃破しました。こうして振り返ってみると、通算で2勝4敗。要するに、初観戦の98年以来の2勝目。9年ぶりだったんですね。 室蘭での観戦では最初、バックスタンド(現在のSA自由席)が芝生席だったので、家族で敷物を敷いてまったり観戦。参入決定戦だけはホーム側ゴール裏の端っこでした。03年以降はメーンスタンドのホーム側端のB自由で応援しています。昨日は目の前で決勝ゴールを決めたカウエを芳賀らみんなでボコボコにして祝福していました。試合中は興奮していてほとんど写真を撮ることは少ないのですが、珍しく撮ることができました。札幌からの遠征は03年こそ車でしたが、05年はJR北海道様の特急コンサドーレ号、昨年からは日本旅行様のバスツアー(チケット込みで4200円の格安です)を利用しています。そういえば、昨日の入場者は4990人と観客動員的には厳しい数字だったようです。私にとって室蘭は忘れられない試合会場でもあり、運営に当たる地元のサッカー協会様の尽力もあります。コンサが札幌だけでなく、北海道のチームとして愛されるためにも室蘭や函館(可能なら、将来的には旭川や帯広などでも)でも開催を続けてほしいと願っています。
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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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