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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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2007年03月26日
サッカー素人の中年おじさんにとって、記憶に残る選手というのはゴールを決めるなど目立つ選手、活躍した選手です。あまり活躍できなかったのに、なぜか鮮明な記憶に残っている選手の1人がMF平間智和です。横浜Mでデビューし、山形や仙台でJ2を経験、いったん横浜Mに戻ってから2002年にコンサへ来ました。実は入団前は全く知らない選手でした。コンサでもJ1だった02年に15試合出場、無得点、J2に落ちた03年も8試合出場、無得点と、活躍したとはいいがたい成績でコンサを去りました。しかし、そんな彼ですが、練習試合などではものすごい活躍で「白恋のセレソン」「宮の沢の帝王」などと呼ばれていたようです。その実力の片鱗を見たのが忘れもしない02年9月29日の札幌ドームでのジュビロ磐田戦。先発した平間はキレキレで、ドリブルで切り込んで、当時J1最強だった磐田のDF陣をずたずたにしました。そして放った強烈なシュートは惜しくもクロスバーか、ポストに阻まれましたが、磐田側は間違いなく冷や汗を流したプレーでした。「あのジュビロをきりきり舞いにさせている」と、生で観戦して本当に興奮したシーンでした。結局、平間は電池が切れ、後半に交代。試合もVゴール負けしました(まだ磐田には公式戦未勝利です)。それともう一つ、記憶に残るのは03年4月9日、アウェイの大宮戦。開始早々に1点先制され、敗色濃厚の試合。途中から出場した平間は後半41分、左サイドから鋭いクロス。年代別日本代表のGK川島永嗣をして前に弾くのが精いっぱいで、詰めていたウィルが難なくゴール。引き分けに持ち込む価値あるアシストでした。一部の掲示板では「あれはGKが捕れない魔球だ」などと盛り上がったのを覚えています。あと、どの試合か忘れましたが、厚別の試合で、ペナルティーエリアの左側で後ろに相手DFを背負って受けたパスをO脚でスルー、左サイドを駆け上がった和波が抜け出しフリーでボールを得ましたが、残念ながらオフサイド。忍者・平間の名を高めました。出場時間が少ない割に、意外なほどプレーが印象に残っています。 コンサを退団した後、04年にJ1の新潟で1試合のみ出場。05年にJFLのFCホリコシ、06年から故郷に戻り、JFLのソニー仙台に所属。今年で30歳。自分で納得いくまで現役で頑張ってほしいと願っています。 写真の左はJカード、右はイレブンスターズです。
2007年03月16日
「龍ちゃん」と呼ばれ、サポに愛された背番号2番が田渕龍二でした。大塚製薬(徳島ヴォルティスの前身)から1997年に入団、「2」を6年間にわたって背負い続けました。ポジションは右サイドバック。地味な存在でしたが、決してさぼらない堅実な守備でチームに貢献しました。自ら目立とうとはせず、「寡黙な職人」といったタイプでした。ついつい攻撃の方に目が行くサッカー素人の私にはあまり印象に残る選手ではありませんでしたが、彼が主役になった試合がありました。J2の2年目の岡田コンサドーレが降格してきた浦和レッズと対戦した2000年7月29日の厚別。私はテレビ観戦だったのですが、テレビでこれほど興奮した試合はそう多くありません。前半にクビツァ(コンサと相性がいいのか、随分決められた記憶があります)に先制を許しましたが、後半18分、エメルソンからのパスを受けた田渕が相手DFをかわし、右45度から見事なミドルシュート、同点に追いつきました。意外な人物のゴールに思わずバンザイを叫びました。そして後半41分には左サイドをやはりDFの大森健作が持ち上がり、逆転弾をたたき込み、テレビの前で飛び上がって喜んだのを覚えています。J2優勝、J1昇格を決定づけた大一番だったと今でも思っています。 その田渕も2002年シーズン限りで戦力外となり、いったん現役を引退。ところが、翌03年のシーズン開幕後、右サイドバックが足りなくなった当時J1の神戸からオファーがあり、チームがJ2に降格する中、1人J1昇格を果たしたのでした。結局、この年限りで引退。出身地の徳島県に戻って自動車教習所の教官をしながらアマチュアチームに所属、昨年には県代表で国体に出場したそうです。 コンサ時代は口が重い、寡黙なイメージでしたが、昨年10月21日に札幌ドームで行われた10周年感謝デーのサンクスゲームに出場した際はインタビューに饒舌に話すのにビックリしました。徳島ヴォルティスがJ2入りした05年以降、地元テレビ局で解説者を務めたりしているそうなので、堂に入ったものなのでしょう。明日17日にアウェイで行われる徳島戦でスカパーの解説者を務めてくれます。田渕の解説を聞くのは初めてですので、今から楽しみです。もちろんコンサも連勝を飾ってくれるものと期待しています。 写真のカードは上段と下段左端はJカード、下段の残り2枚はイレブンスターズです。
2007年03月11日
借金は怖いものだと教え込まれ、いつもニコニコ現金払いに徹してきた中年おじさんとしては、クレジットカードは好きではありません。ついつい使いすぎてしまいそうで、今でもちょっと怖い存在です。しかも2年目以降の年会費も払いたくない者としては、持っているカードはいずれも年会費無料の3枚だけです。 そのうちの1枚が「ほくせんサポーターズカード」で、チームスポンサーのほくせん様が2002年3月から発行するカードです。サポーターズの名前通り、カード利用額の1%がHFCに寄付されるというスグレモノです。実はわが家はこのカードができる前からカミさんが利用額に応じてもらえる商品券目当てにほくせんカードを使っていました。サポーターズカードができたというニュースを見て「これは入らないとサポではない」と、商品券に目がくらんでいて、しぶるカミさんをなんとか説得。いつからかは忘れましたが、割と早く従来のカードからサポーターズカードに切り替えることができました。何と言っても写真のように、カードのデザインもサポ心をくすぐります。カミさんが上のゴール裏、私が下の赤黒のデザインのカードを使っています。といってもわが家では定期的に払っているものとしては灯油代やスカパー代などで、ほんの微々たる額ですが。 ほくせん様は毎年12月に還元分をHFCに寄付しており、昨年12月には05年9月1日-06年8月31日分として219万799円を贈り、これで02年からの累計は735万8374円となったそうです。1人1人の力は小さくとも結集すれば大きくなる好例だと思います。これからも微々たる額ですが、少しでもチームのために利用したいと思っています。 なお、コンサ関係のクレジットカードとしては、私が知っている限りでファンクラブのニコスdozeカードとスポンサー様のJALカードがありますね。残念ながらいずれも2年目から年会費が必要なようで、私は入っておりません。ごめんなさい。
2007年03月03日
開幕直前までに、今年加わった新監督と新戦力のトレーディングカード(トレカ)がそろいました(サインカードや配布カードなどを除く)。開幕戦勝利の後に紹介しようと思ったのですが、残念な黒星スタートとなりました。まず三浦監督とGK高木です。上段は2005年と06年のJカードチームエディション、下段左端はカルビー2005年のエクステンション、右2枚は05年のJカードチームエディションです。三浦監督は大宮をJ1に昇格させた手腕をぜひともコンサドーレでも発揮していただきたい。高木は今日の京都戦でも2、3度、好セーブを見せていました。ザスパ草津で昨季、全試合出場の実績と経験を生かしてほしいですね。
次はブルーノクアドロス。上段と中段は05年と06年のJカードチームエディション、下段左2枚は05年と06年のカルビー、右端は06年のJカードです。京都戦ではかなりパウリーニョのスピードに振り回されてしまった印象ですが、セレッソ大阪で2年、不動のセンターバックとして活躍した力をぜひとも発揮してほしいと願っています。
2007年02月25日
開幕戦は、シーズンの行方を占う意味でも、長い48試合のうちの1試合という以上の重みがあると思います(とはいえ、昨季の横浜FCは初戦の敗戦で監督のクビが切られ、その後、J1昇格を果たすとは夢にも思いませんでしたが)。北国のコンサドーレの場合、地元で練習ができず、長いキャンプが余儀なくされて迎えるだけに、選手たちは苦労が絶えません。しかし、冬が厳しければ厳しいほど、春を待つサポーターの気持ちは高ぶります。 コンサドーレにとって、長く開幕戦を道内で行うのが夢でした。2002年まではアウェイで開幕が当たり前で、最初のホームゲームも高知県春野や仙台などで開催。3月末か、4月初めに室蘭で道内開幕を迎えるのがやっとでした。私が見た室蘭の道内開幕戦は1998年4月4日のJリーグ第4節、ガンバ大阪戦(1-0で勝利)と99年3月28日のJ2第3節、サガン鳥栖戦(2-3Vゴール負け)で、いずれも天候に恵まれましたが、やはりまだ寒かったと記憶しています。J1に昇格した2001年と02年はいずれもホーム初戦を高知県春野にお世話なりました。この頃は合宿にも訪れたこともあり、高知県側も「高知県後援会」をつくり、後押ししてくれました(その後解散し、今はホームページだけが残っています)。高知から寄せられたご好意には今も感謝しています。 03年3月15日、長年の悲願が実ります。そうです、札幌ドームで開幕戦のJ2第1節、横浜FC戦を迎えることになりました。2週間前の3月1日には屋外で雪に覆われていたホバリングステージ(サッカーピッチ)をサポーターたちが除雪しました。そして迎えた開幕戦に、J2に落ちたとはいえ、気持ちが高ぶるサポたちが札幌ドームに続々と詰めかけ、入場者は2万3590人を数えました。わが家もワクワクドキドキしながら家族全員の4人で参戦し、「前年最下位のチームをたたいて昇格ロードへ」と意気込んだのですが、夢にも思わぬ1-3で敗れて出鼻をくじかれ、結果的に9位に終わるシーズンを予感させたのでした…。 今季のホーム初戦は3月10日、サガン鳥栖を迎えます。恒例となった除雪は3月4日に行われます。私はまだ除雪に参加したことはありません(カミさんに「家の除雪さえきちんとやらない奴はダメ」としかられています)ので、参加者の皆さんに感謝しながら、ホーム初戦では力いっぱい応援したいと思います。札幌にプロチームがあり、この時期に試合ができることを心から喜びながら、1人でも多くの人が札幌ドームに集まることを願っています。
2007年02月19日
2004年5月2日、J2第9節・アビスパ福岡戦が行われた厚別競技場である極秘プロジェクトが決行されました。三原広樹ファンのうに丸さんが主宰する「三原会」が三原を応援する巨大ダンマクをバックスタンドSB席アウェイ寄りに選手入場時とハーフタイムに掲げたのでした。三原会はインターネット上の秘密結社で、実際の活動は試合や練習を見て「みはらさま~!(ハート)」と叫ぶものだったようです。10人以上の女性陣が密かに活動していたようで、うちの上の娘も入会が許され、会員ナンバーまでいただいていました。 三原はこれに先立つ4月3日の湘南戦で大けがを負い、左ひざ前十字靭帯断裂及び外側側副靭帯損傷で全治9カ月と診断されました。このけがに涙した会長のうに丸さんが製作したのがこの写真のダンマクです。「再びピッチを駆ける7を信じている!いつまでも待ってるぜっ!」という立派なものでした。かなり大きなものですから、三原会のメンバーらに掲げるのを手伝うよう呼びかけがあり、うちの娘も参加させていただきました。写真の右下が娘です。さて、写真の通り、ダンマクとしてはかなり巨大なのですが、いかんせん、左側下方にはビッグフラッグが掲げられており、気づいた人は必ずしも多くはなかったかもしれません。参加した娘はたくさんの人たちと知り合え、「楽しかったー!」と興奮気味に語っていました。私は写真を撮っただけですが、こういう、けがをした選手を励ますようなダンマクっていいなあ、選手に思いが届くといいなあ、と思ったものです。 余談ですが、三原がいなくなった上の娘は最近、専門学校の実習が忙しくなったこともあり、ほとんど観戦につき合ってくれなくなりました。やはりひいきの選手がいなくなったカミさんや下の娘も観戦熱が冷めてきています。今年はどの程度、家族で観戦できるでしょうか。
2007年02月12日
サポーターが集まり、クラブや応援方法などについて話し合う13回目の「サポーターズ集会2007」が2007年2月11日、札幌コンベンションセンターで開かれました。私も初めて参加してみました。正午から5時半ごろまで開かれたそうで、残念ながら所用があって開始から2時間ほどで中座しましたが、三上強化部長からチームの様子などについて詳細な報告があり、ますます期待が高まりました。 この集会の歴史をちょっと調べてみました。コンサ・デ・コンサによると、最初の集会は1997年12月27日、札幌市教育文化会館で開かれました。JFLで優勝し、Jリーグ昇格を控えながら経営難が表面化したなかで、4つのOSC(オフィシャルサポーターズクラブ)の代表らが企画し、HFC役員らを招いて話し合ったのが始まりだそうです。サポなら誰でも参加できるというのは画期的な集まりで、現在でもクラブ側とこうした集会を定期的に開いている例は少ないと思います。当初は「サポーター集会」と呼んでいたようです。翌年は2月と6月に開くなどしましたが、2002年の第8回からは年1回、2月開催が続いています。一時、2月12日を「サポーターの日」にしようという提案もあったようですが、04年からは祝日の2月11日開催が定着しています。 正直、私自身がこの集会に参加したいと思うようになるとは自分でも思っていませんでした。だんだん自分のコンサ病というビョーキが悪化しているようです。集会の詳しい内容を記録した議事録は05年まではコンサ・デ・コンサにあり、04年からは楽援コンサで紹介されています。サポが不満に思うことや批判も、この議事録でHFCの説明を読むと、一部は誤解だと分かることがあります(それでも納得いかない点も残りますが)。こうした集会で真摯に答える社長以下のスタッフに敬意を表するとともに、集会を企画・運営するサポの皆さんに心から感謝します。今後もフロントとサポを近づけるためにも、ずっと続いてほしいと願っています。来年は最後まで出席したいと思います。
2007年02月04日
コンサドーレで守護神といえば、私が思い浮かべるのは佐藤洋平です。ディドも好きでしたが、なにせ生では2試合しか観戦しておらず、熱心に応援し始めたときにゴールマウスを守っていたのが洋平でした。あの鹿島アントラーズで正キーパーを務めた後、コンサには1999年から2003年半ばまで所属。J2で79試合、J1で56試合に出場しました。とりわけJ1昇格を決めた2000年シーズンと翌01年のJ1では相手FWとの1対1のピンチを神がかりのセービングで何度も防ぎ、J1昇格と残留に大きく貢献しました。寡黙ながら、気迫のこもったプレーが見ていた者にも確かに伝わりました。強いハートがあったと思います。文字通り「神」として堅守速攻のチームを支えました。しかし、02年は守備が崩壊し、自身のパフォーマンスもややダウンしたでしょうか。翌03年には藤ヶ谷がGKに起用されることが増え、シーズン途中の9月にジュビロ磐田に移籍してしまいました。この年、初めてキャプテンを務めたのですが、ジョアン・カルロス監督に選手を代表して意見したため対立したとも言われていました。磐田ではこの年、リーグ戦に出場こそなかったのですが、天皇杯で大ブレイク。5試合に出場し、見事、天皇杯を獲得し、柳下正明監督の胴上げに貢献し、GKに恵まれなかった磐田サポの信頼を勝ち取り、翌年には正GKになりました。 実はカミさんが大の洋平ファンでした。偶然、誕生日が同じ11月22日(何歳上になるかはヒミツだそうです)。今思えば磐田への移籍直前の03年夏、清田区の白旗山での練習を佐藤尽ファンの上の娘と見学に行き、カミさんは洋平と2ショットで撮影し、今も宝物として台所に飾ってあります。背の低いカミさんは洋平の肩の高さほどしかなく、残念ながら目をつぶってしまったのが玉にキズですが。 その洋平が今シーズン限りの引退を表明したそうです。最近は川口能活に正GKの座を奪われているとはいえ、まだ34歳。体力よりも、経験がものを言うGKならまだまだできるとも思いますが、こればかりは本人が決めることですので、悔いの残らない1年となるよう完全燃焼してほしいと願うばかりです。コンサドーレには今季、草津で昨季全試合出場した高木貴弘が加わり、林卓人と佐藤優也と正GK争いを演じそうですが、まだ守護神として安心して見ていられる存在はいません。いっそうの奮起を期待しています。 写真のカードは上段がJカード、中段と下段左端がカルビー、下段左から2、3枚目はパーフェクトイレブン、右2枚はイレブンスターズです。
2007年01月27日
「ポスターカレンダー」は2003年シーズンから買い始めたようです。なぜ分かるかというと、古いカレンダーも捨てずに、2階の廊下などに場所を移して張ってあるからです。2度目の単身赴任生活が始まった2005年からは2枚買って、単身赴任先の部屋にも張って寂しさをまぎらわしています(本当か?)。 3月から翌年2月までのカレンダーになるのは、Jリーグの日程が発表になるのが例年1月下旬で、試合日程を入れるためには、やむをえないでしょう。選手の顔触れもぎりぎりまで決まらないこともありますから(2004年は清野の入団決定が遅かったので、背番号なしで写真だけが入っていました)。卓上カレンダーも毎年買っていますが、こちらにいたっては、1月-12月といっても、別売りのシール(スケジュールカレンダー)を買わないと役に立ちません。例年、絵柄もドーレくんなどで、移籍するかもしれないので選手の写真は使っていなかったのが、今年は初めて選手ものにしたところ、1月はフッキでした…。 さて、ポスターカレンダーに話を戻すと、サポーターの顔写真を募集して選手と一緒に掲載する「サポーターカレンダー」は06年から始まりました。12番目の選手であるサポが選手と一緒に載るのは、サポとしてはうれしい限りですね。私もレプリカユニ姿で応募し、載りました(相川を囲むサポの中の1人です)。でも、よく見ると、犬とか猫とかも多かったなあ。うちの赤黒犬も出してみようかな。 2年目の今年も1月18日から募集を始めています。今年も早速、応募しました。まだ募集しているようですので、申し込んでいない方は応募されてみてはいかがでしょうか。昨年は確か1月末で締め切ったと思いますので、お早めに。申し込みはこちらへ。
2007年01月20日
昨年も書きましたが、キックオフイベント(ファン感謝デー)には2003年から毎年、参加してきました。ところが、明日は仕事が重なり、参加できません。新しい監督や選手たちに会えないのが残念なのはもちろん、変身ドーレくんキーホルダーを買えないのが何といっても残念無念です。 昨年は1月15日に開かれました。Kappaの新ユニホーム披露の時が一番盛り上がりましたね。不評だった某メーカー製から久々の赤黒縦縞の復活でしたからね。明日の新ユニはマイナーチェンジというウワサですが、どんなのかなあ。選手の背番号もどうなるのかな? やっぱり気になりますね。 老婆心ながら、初めて参加される人のためにアドバイスを-。 まず、開場時間前からビョーキの人たちがびっくりするほど長い行列をつくっていますので、驚かないように。入場したら、メーンのステージイベントに向けてまず席取りをします。その後、選手たちの参加している各コーナーを見て回ることになりますが、実は大人が参加できるものは限られています。有料で2ショット券が限定発売されるフォトラマコーナーぐらいでしょうか。あれこれコーナーを欲張らず、お目当ての選手に狙いを定めると良いでしょう。この日売り出されるグッズも必見ですね。変身ドーレくんキーホルダーとキックオフTシャツは買いでしょう。あと、忘れずに持参すべきものとしてはカメラか、ビデオカメラ。サインが欲しい人は色紙かサイン帳、カードにサインペンを用意してください。お目当ての選手をつかまえるのは結構、大変でしょうけど。心構えとしては、恥じらいを捨てることです。「ミーハーになったら恥ずかしい」という気持ちを封じて、ミーハーになりきってイベントを楽しまれることをお勧めします。私をはじめ、行きたくても行けない人も多数いますので、その人たちの分も大いに楽しんできてください。そして、ブログで詳報をお待ちしてます。
2007年01月15日
コンサドーレ札幌サポーターズソング「With(ウイズ)」は、2001年に道新スポーツ(北海道新聞社)が企画し、歌詞を一般公募して生まれた応援歌です。応募作1591点の中から最優秀作に選ばれた菅野直人さんの歌詞に、「ペガサスの朝」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの五十嵐浩晃さんが曲をつけました。 1番の歌詞は「さあ歌おう勝利の歌を この大地に集える者の 誇りをかけて 声高らかに 勝利の歌を歌い続けよう うれしいときも 悔しいときも 僕たちはいつもここにいる そう 僕たちはここにいる」で、バラード調で高らかに歌われるスケールの大きな歌でした。 01年11月24日にJ1最終戦のセレッソ大阪戦が行われた札幌ドームで披露されました。CDも制作され、五十嵐さんが歌うフルバージョンをはじめ、サポーターズバージョン、カラオケバージョンなど5曲入り。非売品で道新スポーツで読者プレゼントがあったほか、確か翌年、「月刊コンサドーレ」の定期購読者にもれなく配布され、私も定期購読でもらいました。とてもいい曲なのですが、最近は耳にする機会が少ないのを残念に思っています。 蛇足ですが、コンサドーレの音楽CDとしては公認チームソングとしてヴォイスの「AMBITIOUS-炎になれ」(これは私は持っていません)などがあります。残念ながら、「これがかかればコンサドーレだ」と道民誰しもが分かる決定版といった曲がないような気がします。これまでの曲の中から定着させるのか、はたまた新しい曲を作るのがいいのか、分かりませんが、ぜひ音楽を通じてコンサドーレを道民にアピールできればいいなあ、と思っています。
2007年01月09日
1年前の2006年1月7日、「2006シーズンチケット販売会&トークショー」がサッポロファクトリーで開かれました。トークショーは鈴木智樹と石井謙伍の2回公演。シーチケを購入すると、「オリジナル黒バンド」がもらえるほか、トークショー後の握手会参加券が各回先着200人に配布されました。私は03年シーズンからシーチケを購入しているのにすぎませんが、こうした販売会方式は初めての試みではなかったでしょうか。この日は長いオフでコンサ欠乏症となっているビョーキの患者たちが多数詰めかけ、トークショーの時には写真のように300人くらいの人で膨れ上がっていました。 こうしたシーチケの早期販売は、おそらく債務超過の会社で金を貸してくれるところがないだけに、チーム運営の資金繰りのため貴重な財源となっていると思われます。この前の年の05年シーズンのシーチケにいたっては、前年のシーズン中の04年11月23日に札幌ドームで柳下監督の「アクションサッカー」日本手ぬぐいをエサに先行販売。翌年が早々とJ2と分かっていたからできたことですが、試合会場にとんでもない大行列ができ、買えない人が続出し、後日、あらためて手ぬぐい付きでしばらく販売を継続する騒ぎになりました。 さて、販売会方式2年目の今年は1月6日にサッポロファクトリーで開かれました。ただし、名称は今年からシーズンチケットをシーズンシートと称するように変更したらしく、「2007シーズンシート販売イベント&トークショー」となっていました。トークショーは藤田征也と石井謙伍の2回公演。「オリジナルハンドタオル」がもらえるほか、2人のサイン会参加券が各回200人に配布されました。 シーズンシートは引き続き販売中ですので、運営の資金繰りのためにも、お早めにお買い求めください(決してHFCの回し者ではありません)。
2006年12月31日
昨年に続き、コンサドーレにまつわるわが家の今年1年の思い出を10大ニュース風に振り返ります。 1、初アウェイ参戦 12月23日の仙台ユアスタでの天皇杯準々決勝、甲府戦に初めて遠征しました。感動しました。ウルウル。ヤンツーさん、選手たち、そして応援に駆けつけたすべてのサポーターの皆さん、ありがとう! 2、ホーム観戦新記録更新 今年のホームゲーム24試合のうち、函館、室蘭を含む23試合を観戦。9勝6分8敗でした。04年の20試合を上回り、自己新記録です。来年は果たして何試合行けるでしょうか。 3、ビールドーレくんゲット 6月10日の札幌ドームでの徳島戦で1000人にプレゼントしたサッポロビール様特製変身ドーレくんがわが家にもやってきました。当日はスカだったのですが、後日、下の娘の友人がかわいそうな中年おじさんに譲ってくれたものです。変身ドーレくんはひぐま、アザラシ、サンタに雪だるまも仲間入りし、さらに今年は着せ替えドーレくんも発売され、わが家のドーレくんは増殖するばかりで、カミさんの目が気になる今日この頃です。 4、2年連続パーフェクト賞 昨年に続き、シーズンチケット+函館、室蘭で「パーフェクト賞」をいただきました。家宝が増える一方です。 5、トレーディングシールをコンプリート 05年にスポンサー様の販促用などで配布されたものですが、ビールドーレくんと同じ下の娘の友人が譲ってくれ、全30種類がそろいました。持つべきものは娘の友達です。 6、ドーレくんのサインをゲット 10月9日に丸井今井で開かれた10周年記念アニバーサリーフェスティバルで、ドーレくんのサインをゲット! おまけに西島、芳賀のサインもついてました。 7、さらば、しまふくごはん あのしまふく寮の食事を再現した「しまふくごはん」は第1回のみ売り切れで買えなかったものの、2回目以降はすべてゲット。1回目のメニューは再販されたので、全種類を食べました。みちのく食品の経営破たんで、もう食べられないかと思うと残念です。 8、家族のテンション下がる 昨季オフに上の娘は三原や桑原がいなくなり、下の娘も権東が去り、お気に入り選手は下の娘の加賀くらいに。洋平好きのカミさんも穴を林では埋められず、テンションは下がる一方。ついに4人そろっての全員観戦は実現しませんでした(一番少ないカミさんでも2試合は観戦しましたが)。加賀もいなくなると、いよいよピンチ。フロントにはイケメンの緊急補強をお願いしたい。 9、スピカ参戦 9月9日のアウェイの神戸戦で、初めてスピカでの観戦会に参加しました。1-1の引き分けで盛り上がりは今ひとつでしたが、得点シーンでは見知らぬ人とハイタッチして喜びました。野々村さんがゲストで、また行って盛り上がりたいと思います。 10、赤黒犬デビュー わが家の犬2匹が赤黒ユニ姿で10月にデビューしました。真冬用ではないので、今は違う服を着ていますが、雪解け後に再び勇姿を現します。先日、復刻販売されたドーレくん柄の生地を買ってきましたので、来年にもきっと新たな服がお披露目されることでしょう。 長いようで終わってしまえば、あっという間だった2006年。最後の最後にいい夢を見させてもらいました。来季はぜひともJ1昇格の夢を見させてください! それでは、皆さん、良いお年を!
2006年12月30日
2006年12月23日、第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会準々決勝のコンサドーレ札幌-ヴァンフォーレ甲府戦が仙台市のユアテックスタジアムで開かれました。これまでホームゲームしか観戦したことがなかったのですが、ジェフ千葉、そしてアルビレックス新潟を撃破するのをテレビ観戦して感動。興奮冷めやらぬなか、新潟戦の翌日、観戦ツアーをネットで探しみたところ、スポンサーの阪急交通社様で1泊2日2万5000円のツアーを発見。ちょうど前日の22日から休みだったため、家族に内緒で頼んじゃいました。ネットでは実際に受け付けられたかどうかは分からなかったのですが、翌月曜日に阪急交通社様から予約を受け付けたという連絡がキターーー! カミさんに思い切って告白したところ、「もとはあんたが稼いだ金だから、行ってくれば」と快く送り出してくれることになりました。感謝感激! それからは運動会前の小学生のような気持ち。ワクワクドキドキしながら準備しました。そして22日、単身赴任先で朝6時半に起きていったん札幌の自宅に帰宅、すぐに用意したかばんを持って千歳へゴー! 空港には同じツアーの人たちでしょうか、赤黒い人がかなり集まっていました。天候にも恵まれ、順調に仙台到着。カミさんや娘らに義務づけられたお土産を探し、牛タン定食を食べ、光のページェントを見学して翌日に備えました。 そして当日。ゆっくりユアスタに向かい、午前10時前に到着しました。ホーム側の甲府のサポはほとんどいません。アウェイ側に回ると、いる、いる。赤黒い人たちが山盛りです。厚別や札幌ドームの行列がそのまま出張してきたみたいです。見慣れた顔をたくさん見かけました。ビョーキの人たちがいっぱいで、私もビョーキの人に仲間入りできてうれしかったです。開場のころには長い、長ーい列ができていましたね。 試合のことは皆さんが書かれているので省略しますが、いつも座り席で応援している中年おじさんもこの日ばかりは立ちっ放しで、力いっぱい声援を送りました。本当に至福のひとときでした。そして甲府に勝ってしまいました。もうなぜだか、涙が出てきてしようがありませんでした。来て、良かった。ヤンツーさん、選手たち、ありがとう。そんな思いで胸がいっぱいになりました。 さて、初のアウェイ観戦を終えて、すっかり「次の準決勝が国立なら行くぞ!」と思い立ったのですが、結局、エコパ。それでは、無理だと断念しました。29日も多数の方が駆けつけられたようで、行かれた皆さんは本当にお疲れ様でした。ヤンツーさんには3年間のお礼を言いたいと思います。選手たちは今回の快進撃に自信をつけて、ぜひ来季、頑張っていただきたい。 余談ですが、帰りの仙台駅から仙台空港へのバスで退任される城福強化部長と佐藤尽さんと一緒になりました。さらに千歳空港から札幌までのバスでは実況を終えたNHKの町田アナウンサーと乗り合わせました。日頃の中継のお礼を言おうかとも思ったのですが、迷惑でしょうから思いとどまり、帰ってから家族に自慢するのにとどめました。いやー、それにしても初のアウェイ体験、幸せでした。来季以降も機会があれば、ぜひアウェイに行きたいと思いました。
2006年12月16日
先日、デビューした古巣であり、現役最後のチームとなった甲府から戦力外となり、引退を発表しました。岳也といえば、なんといっても思い出すのは2001年9月15日、札幌ドームでの清水戦のゴールでしょう。シーズン半ばで山形から移籍したばかり。それまで私はまったく知らない選手でした。このシーズン、J1に昇格した岡田コンサドーレは堅守速攻を武器に健闘しますが、いかんせん、勝ちきれずに追いつかれ逆転負けを喫することが多かった年です。この清水戦もアダウトとウィルの得点で2-1とリードしながら、ロスタイムに失点し、延長戦に。ホーム側でB自由席と上の娘と観戦した私も「またやられるのでは…」と心配していました。ところが、79分に途中交代でJ1デビューを果たした岳也は相手ゴール前中央に張ると、大森からのクロスにうまく合わせてVゴールを決めてくれたのでした。もっとも、アウェイ側のゴールでの出来事だったので、正直、誰がどう決めたのかは後で映像を見て確認するまでまったく分からなかったのですが、とにかくうれしくて娘らと飛び上がって喜んだことをよく覚えています。 J1のこの年は結局、6試合1得点。02年はJ1で14試合1得点。J2の03年は41試合8得点と確かチーム得点王の活躍でしたが、04年は33試合1得点と不振。気合が入った05年は体がキレていて「今年はやってくれそうだ」と思っていたところ、5月7日の山形戦で無念の骨折、シーズン終盤に復帰しますが、11試合2得点に終わりました。FWとしては器用なタイプではありませんでした。とにかく裏を狙って走る一瞬のスピードが売り物ですが、よくオフサイドにかかりました。無駄走りをいとわず、前線で執拗に相手ボールを追いかける魂のチェイシングが魅力でしたが、オフサイドを取られたり、相手DFとの競り合いでファウルを取られると、ふて腐れたような態度を示すのが玉にキズでした。それでも、とにかくがむしゃらに頑張る、ガッツあふれる姿が好きでした。 05年シーズン終了後にコンサを戦力外となると、何とJ1に昇格する甲府へ移籍。06年、16試合1得点で最後のシーズンを終えました。来季からは出身地でもある甲府で育成スタッフとなるそうです。ぜひあの魂というか、ガッツのある選手の育成に努めてほしいと願っています。今のコンサ選手たちにも見習ってほしい点があるように思います。 写真のカードはすべてJカード。上段左が2000年、中央が01年、右が04年(コンサで唯一のカードのようです)。下段は06年のチームエディションです。
2006年12月10日
タイトルの9勝6分け8敗は、2006年シーズンのJ2で私が生観戦したコンサドーレ札幌の道内ホームゲーム勝敗です。函館と室蘭も行きましたが、残念ながら9月27日の厚別は仕事のため行けず、ホーム皆勤賞はなりませんでした。それでも24試合中23試合観戦はわれながら新記録です(2004年は22試合中20試合、05年は22試合中19試合、でした)。しかも行けなかった試合は徳島を6-0で圧勝しただけに余計に残念に思っています。私が観戦した試合でベストゲームは4-0の完勝でラモス監督をギャフンといわした6月24日の厚別での東京V戦か、4月15日の札幌ドームで4-1で勝った湘南戦ですね。逆にワーストは5月14日の厚別で1-6で虐殺された神戸戦か、7月29日の厚別でも湘南に1-5と惨殺されたのも忘れたい試合かもしれません。私の見たベストゴールは、一つに絞るのは難しいのですが、しいていえば4月15日の湘南戦で一人でドリブルで持ち込み、相手DFを翻弄した加賀のだめ押しゴールでしょうか。 それにしても、今回、生観戦記録をまとめるために調べ直して気づいたのですが、コンサドーレのホームゲームは10勝6分け8敗。アウェイゲームも10勝6分け8敗とまったく同じでした。これだけサポーターの数が多い割に、ちょっとホームの勝率は寂しいところです。やはり昇格3チームなど上位はホームの勝率が大きく上回っています。強いチームになるにはホームの勝率アップは欠かせません。さらに言えば、観客動員を伸ばすにも、ホームでサポーターの声援にもっと応えてほしいものです。
2006年12月01日
本日、HFCから3選手の契約満了(戦力外)が発表されました。来季は緊縮財政ということで、大なたが振るわれるかと心配していただけに、思ったより少なかったというところでしょうか。3選手ともまだ若いので、現役を続けるなら新天地で頑張ってほしいと願っています。皆さんがコンサに残した足跡は決して忘れません。 3選手のなかで、やはり一番記憶に残る選手が3シーズンいたFW清野智秋です。2000年にあのジュビロ磐田に入団。翌01年にJリーグデビュー、あの磐田でJ1に2試合出場しています。しかし、02年途中で生活態度の問題(借金?)だとかで解雇されたそうです。柳下監督が就任した04年、東海リーグの静岡FCにいるところをおそらく柳下監督が呼んで入団しました。ややFWにしては体の線が細く、足が速いとか、ドリブルがうまいとか、ヘディングに強いとか、これといった武器がわかりにくい選手でしたが、逆に言えば、どれもこれもそれなりにこなし、柳下監督が言うように「シュートがうまい」タイプでした。この年、J2で44試合全試合に出場、チームの全得点30点のうち9点を挙げました。05年は長く不振が続きましたが、第3クールの終わりから第4クールにかけて爆発。終わってみれば28試合で10得点の活躍でした。ところが、今季はほとんど出場さえできません。どうしたのかなと思っているうちに、10月26日から古巣の静岡FCへレンタル移籍で出されたのでした。 思い出すゴールは05年10月22日、函館千代台での山形戦。後半開始直後、砂川からの浮き球のパスから決勝点となるゴールを決めたのは忘れられません。降りしきる雨のなか、びしょぬれになりながら函館まで来て良かったと思ったものです。そして同年11月19日、札幌ドームでの京都戦。この年、ぶっちぎりでJ1昇格を果たす京都を相手にハットトリック。最後に追いつかれて引き分けに終わりましたが、FW清野のワンマンショーのようでした。 今となってはこんなにシュート力があるのに、なぜ? と思わずにいられません。これほど浮き沈み、むらっ気があるのは、もしかすると、メンタルの問題なのかもしれませんが、本当に惜しい選手だと思います。 カードは左が磐田時代の01年Jカード、右は05年のJカードです。
2006年11月26日
クラブスポンサー様とサポートシップ・スポンサー様限定の販売促進用シールとして2005年に登場しました。この年の3月10日に発表され、シールは登録27選手と柳下監督、ドーレくん、集合写真の全30種類。例えば、スポンサー様の店で買い物すると、もらえるという、なかなか希少価値の高いシールでした。わが家で利用できるような店とかはあまりなかったため、サポートシップ・スポンサー様のたこ焼き「ほっと12」様で確かたこ焼き3個買うと、1枚くれるというので、試合のたびに買いに行きました。また、4月23日の札幌ドームでの鳥栖戦は道新サンクスマッチとして先着1万人に1枚ずつ配布されるというので、娘らを動員して入手に努めました。その後、試合会場でのグッズ購入者にも配布されたように記憶しています(1年前だというのに、もうかなり忘れました。年だなあ)。 このような地道な努力もむなしく、運の少ないわが家では数少ないシールがだぶったりして、結局、10種類ほどしか集まりませんでした。ヤフオクを見ても、とても手がない高額で取引されていて、そろえることはあきらめていました。ところが、今年7月、下の娘の友達が親御さんの関係からか、知り合いから未開封のシールを大量にもらってきて、何と大半を譲ってくれたのです。持つべきは娘とその友人です。わが家分と合わせると、ついに写真のように全種類がそろいました。家族にはあきれられていますが、幸せをかみしめております。 こうした取り組みをしたHFCに感謝します。ただ、1年だけで続かないのが残念なところです。トレーディングカードのコレクターですので、シールよりもカードの方が良かったのですが。浦和レッズ、モンテディオ山形などのように、ホーム試合でカードをもらえると、うれしいでしょうね。他チームのようにどこかスポンサーを見つけて、実現させてほしいものです。
2006年11月20日
コンサドーレ札幌5段階計画1年目の2004年、シーズン半ばに彗星のように登場したのが「2004応援証“好来符(すきっぷ)”」でした。7月31日の厚別での第25節・山形戦以降のホームゲーム10試合で来場者全員に1人1枚ずつ配布された縦5・5センチ、横2センチほどの小片です。この年はアクションサッカーを掲げた柳下コンサドーレ1年目で、純国産の若手選手ばかりにギアチェンジしたとあって、J2最下位を爆走していました。同年7月28日に公式ホームページで発表した佐々木利幸社長(当時)によると、最下位にもかかわらず競技場に詰めかけるサポーターに対し「感謝してもしきれない気持ち」を形にしたものだそうです。コレクター心をくすぐってまた来場してもらおう、との商売っ気ももちろんあったと思いますが。 当然、わが家も家族の協力を得て収集に乗り出しました。しかし、あまり運に恵まれない家系なのか、ダブりのことが多く、最終的に集められたのは写真にある10種類でした。HFCからの公式発表はなかったかと思いますが、事情通のネット情報によると、途中で種類が増やされ、全部で40種類あったようです。内容はさまざまで、結構、応援歌の歌詞からのものや「シュートは周到に!」など親父ギャグもあったようです。選手ものが「五 キャプテン尽」「二十 和波確変中」など7種類もあったようですが、わが家では1枚もゲットできませんでした(泣)。私のお気に入りは「好きです札幌」と「私、ヤンツー派です」あたりでしょうか。持っていないものでは「赤黒の誇り」「生涯サポーター宣言」が欲しかったです。「今頑張らずにいつ頑張る」と「チーム内安全祈願」はぜひ選手に持たせたいと思ったのは内緒です。 発表時の社長のコメントに「この“好来符(すきっぷ)”が、いつの日か、苦しい時期も変わらず応援していただいた皆様の誇りとなり勲章となることを願ってやみません」とありました。近い将来、そんな日が来ることを信じて、わが家の壁に飾ってあります。
2006年11月12日
「レフティーモンスター」ことオグちゃんがコンサ戦士となったのはJ1だった2002年シーズンでした。高校時代から注目され、名古屋グランパスなどで活躍、日本代表FWとしても期待されながら、靱帯断裂など大けがに泣いてきた選手。コンサドーレへの入団が決まったときは、「けがはもう大丈夫なのか」という不安もありましたが、ウィルの抜けた後だったので「すごい選手が来る」と期待が膨らみました。シーズンが始まってみると、けがはすっかり癒えていたようで、主力として活躍。FWとしては前線で張るよりも、すぐに下がってボールを受ける1・5列目の選手だったようです。確かに運動量では物足りなかったのですが、ときおり繰り出すトリッキーなパスは相手選手だけでなく、味方選手も合わせられないことが多かったのがご愛敬でした。喜怒哀楽が顔にはっきり表れるタイプで、ゴールを決めたときの笑顔は見ている者もうれしくさせてくれました。確かこの年のJリーグオールスターにコンサからただ1人東軍に出場、先制ゴールを決めました。ただし、MVPは2点目を決めた元コンサのエメルソン(当時浦和)にさらわれ、テレビの前で悔しかったのを覚えています。 結局、コンサでは27試合出場、7得点。最下位でJ2降格が決まったシーズンで、チーム得点王でした。当然、1年でのJ1復帰を目指して小倉には翌年も活躍してもらいたかったのですが、確か最終戦を終えてのインタビューで「男として許せないことがある」と発言、すでに次期監督に内定していたジョアン・カルロスとの確執を示唆し、退団してしまいました。中には「J2が嫌なのでは」との見方もありましたが、翌年途中からJ2の甲府へ入団。それから3シーズンを甲府で過ごし、J1昇格へチーム力向上に貢献しました。コンサとの対戦でも活躍し、痛い思いをしましたが、どこか憎めない選手でした。 05年シーズン限りで甲府から戦力外となり、選手続行を希望したようですが、結局、現役を引退。甲府のJ1初試合で引退セレモニーが行われました。その後はスーパーサッカー(TBS)などで解説者(レポーター?)として活躍、ドイツワールドカップにも派遣されていましたね。10月21日のOB戦に、ぜひとも来てほしかった1人でした。オグちゃん、商売も大事だろうけど、かつてのファンにも顔を見せてよ、と思ったのは内緒です。 写真のカードは上段左端がJカード、右2枚はカルビー(右端はオールスター)、下段左端がイレブンスターズ、右3枚はパーフェクトイレブン(右端は同じくオールスター)です。
2006年11月03日
何気なく入った施設やお店に、コンサドーレのグッズが置いてあって、うれしく思ったことはありませんか。私がそんな体験をした筆頭の場所が「アクセスサッポロ」(札幌市白石区流通センター4丁目)です。 財団法人札幌産業流通振興協会が運営するコンベンション施設ですが、私には縁のない所でした。たまたま6年前、商社の伊藤忠が主催する招待制のバーゲンセール「ファミリーフェア」の招待状を持っているご近所の方から、バーゲン命のカミさんが誘われ、アクセスサッポロに初めて行きました。カミさんが目の色を変えて戦っている間、手持ちぶさたの私は会場を出てロビーに戻ったところで、赤黒の小部屋を発見! 何とコンサドーレのコーナーがあるではないですか。事前にはそんなことを知らなかった私は、チームができた1996年からのお宝の山に見入ったのでした。カミさんはバーゲン品を買って大満足、夫は赤黒に染まって大満足と、夫婦円満となったのでした。 このフェアは春秋の年2回開かれており、先週の土・日曜日にも開かれ、私自身は2年ぶりぐらいに会場へ足を運びました(カミさんは最近、娘と毎回参戦しています)。小部屋は残念ながら現在、半分は北海道日本ハムファイターズに占められています。それでも半分はコンサドーレで、入り口には自動販売機「ドーレBOX」があります。展示品もバルデス、マラドーナ、吉原宏太、アシス(ロナウジーニョの兄ちゃん)のシューズをはじめ、ユニホームやボール、フラッグなど思い出の品々が並んでいます。見られたことのない方は、機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。
2006年10月28日
覚悟していたとはいえ、J1昇格の可能性が絶たれた神戸戦。そして直後に道内は北海道日本ハムファイターズの日本1フィーバー。道産子として心情的に日ハムを応援していますので、それはそれでうれしいのですが、やはり肝心なのはコンサですから寂しさは否定できません。「OB戦は楽しかったなあ」と自分を慰めているところに、携帯の写メールで飛び込んできたのがわが家の愛犬2匹の写真です。なんと赤黒ユニを着ているではありませんか。犬が着ている服はカミさんの新作でした。以前のエントリー「赤黒シートカバー」で紹介したように、これも2001年に北海道新聞社がドームで配布した旗をまねしたデザインです。ブルーな気持ちでいたのがすっかり癒やされ、赤黒魂がよみがえってきました。 ちなみに犬は2匹とも飼い主に似て胴長短足のコーギー(ウェルシュ・コーギー・ペンブロークと言うそうです)。大きい方が隼斗(はやと。オス、7歳)、しっぽのある小さい方は夏鈴(かりん。メス、5カ月)。隼斗は、わが家の今年の年賀状に、戌年なのでコンサのタオルマフラーをして登場しました。ただし、犬の世話は私はまったくしておらず、カミさんと娘たちが責任を持って飼うことになっています(2匹目は予定外でしたが)。 これからの寒い時期、この2匹を清田区真栄で見かけたら、わが家の犬ですので、声をかけてやってください。
2006年10月22日
10月21日というと、私より前の世代には「国際反戦デー」と思い浮かぶ人も多いかもしれません(笑)。2006年10月21日、J2第46節神戸戦はコンサドーレ札幌の「10周年感謝デイ」と銘打って札幌ドームで行われ、今季最多の1万8547人が詰めかけました。それもそのはず、前座試合として元コンサ選手らによるOB戦があったからです。ペレイラ、平川、名塚、野々村、古川、田渕、深川、関、森、川合、黄川田、森下、田畑、佐藤尽…ら、書ききれないほどの思い出の元選手たちが集合。20分ハーフの夢のような至福の一時が繰り広げられました。 さらにはコンサドールズのOGも加わって歴代の踊りを披露したり、コンサOBの現役Jリーガー6人のビデオレターなど、見どころ満載でした。ただ、歴代ユニホームのピンズセットはウワサでは限定200か、300セットだったとかで、すごい行列ができていて、まったく買えませんでした…。売れ残りが心配なら予約制にするとか、なんとかならなかったものでしょうか。今からでも増産を希望します。 さて、写真はマッチデイプログラムに掲載されたいわゆる名刺広告です。乏しい小遣いのなかから大枚1万円を投じたものです。今季のHFCは入場者数の伸び悩みなどで赤字転落必至の情勢らしいです。個人にとってはそれなりに重みのある額ですが、HFCにとってはささやかな小銭にすぎないでしょうが、地球の裏側からやって来たペレイラの旅費の一部の足しにでも使ってもらえれば本望です。それと、また募集するときは、せめて広告にブログのURLぐらいは入れられるようにお願いします。 そして、肝心な神戸戦は…。もう、忘れました。年を取ると、物忘れが激しいもんですから。これからも前を向いて、応援していきたいと思います。来季こそ!
2006年10月14日
コンサドーレが誕生し、Jリーグに昇格したころまでは、唯一のプロスポーツチームとして、道内各放送局が競って応援番組を制作していました。しかし、その後、2度のJ2降格や日本ハムファイターズの移転があり、テレビ番組が消えていきました。 現在、コンサ専門の番組としては金曜夜のTVh「コンサにアシスト!」(CM含め6分間)と土曜深夜のSTV「勝利に乾杯!コンサドーレ」(5分間)ぐらいでしょう。乾杯コンサが主にその日の試合結果を中心なのに対し、コンアシは前節の結果に直前の練習情報、先発予想まで盛り込んでいます。 このほか、ファイターズと隔週で交互に選手を紹介する月曜夕方のuhb「ファイコンEXP」(6分間)。あとはファイターズを中心にした道内スポーツ番組でコンサのコーナーがある月曜深夜のuhb「Fの炎」(30分間)とSTV「Dスポーツ」(25分間)、土曜夕方のHBC「Eスポーツ」(30分間)があります。この中ではFの炎は必ず「週刊コンサドーレ」というかつての専門番組の名前を引き継いだコーナーがあり、元コンサ戦士の平川弘さんが辛口解説があり、今年はチームの10周年記念としてたまにかつての映像やインタビューなどが披露されています。ほかのEスポーツとDスポーツはファイターズの活躍によってはコーナーが吹っ飛んでしますこともあるようです。また、各局の夕方のニュース番組のスポーツコーナー(例えばHTB「イチスポ!」)などでコンサが紹介されることがありますが、最近はファイターズに押されていますね。 こうした番組は地上波での中継がめっきり減った今となってはコンサの映像を見ることができる貴重な番組なわけですが、私自身もよく見忘れたり、留守録をセットし忘れたりしていました。それが昨年春以降、単身赴任生活が始まってから、完璧に留守録して見逃さないようになりました。寂しい単身赴任も役立つことがあるものですね。数ある番組のなかから、一押しを選ぶとしたら、やはりコンアシでしょうか(決してTVhの回し者ではありません)。特に昨日は天皇杯を含む3試合のゴールラッシュをはじめ、上里のインタビュー、練習の様子、先発予想に加え、21日の10周年サンクスマッチに出場する予定の関、深川、名塚というユースコーチ陣まで登場し、てんこ盛りの内容でした。あの短い時間でよくぞやってくれたと、感激しました。 これからもコンサの活躍とともに、応援番組がますます充実していくことを期待しています。
2006年10月09日
今が旬のバンちゃんです。10月4日のガーナ戦で日本代表デビュー、それも流血しながら頭にテーピングして出続けたガッツの男です。 コンサドーレに入団したのはJ2だった2000年シーズン。吉原宏太がレンタル移籍したガンバ大阪からトレードの格好で出場機会を求めてやってきました。この前年、U-20日本代表としてワールドユース準優勝のメンバーだったそうですが、私は活躍をよく知りませんでした。それでもエメルソンとの2トップで得点を量産。開幕戦で先制点を挙げながら骨折するというアクシデントもありながら30試合15得点と活躍し、J1昇格に貢献しました。プレー自体はうまいというよりも、気持ち、気迫を前面に出すタイプ。コテコテの関西弁で、やんちゃな兄ちゃんというキャラクターでした。エメが唯我独尊でほとんどパスを回さないなかでのこの得点はたいしたものです。J1に上がった翌01年はエメが抜けた後、ウィルと組んで27試合9得点。忘れられないのは、どの試合かは不明ですが、確か右サイドからの角度45度のFKをウィルがけり、バンちゃんはそれをヘディングで入れたように見えました。公式記録も播戸の得点となりましたが、あとでビデオを見直したら、どう見てもかすってもおらず、ウィルのFKが直接入ったようでした。それでも自分が決めたとアピールするのがFWですね。 岡田監督が去り、バンちゃんもレンタルでしたので、コンサが移籍金を払えなかったためか、01年シーズン終了とともに神戸へ移籍。04年には17得点でJ1得点ランキング3位に。J2降格の神戸を退団し、今季から古巣のガンバ大阪に戻り、10月9日現在、リーグ4位の15得点と大活躍中です。現在のコンサ戦士たちはどちらかというと、淡泊というか、プレー中にもあまり声が出ず、おとなしいタイプが多い気がします。ぜひともバンちゃんのように気迫でゴールにねじ込む点を学んでほしいと思います。とりわけFW陣は。 写真のカードは上段がJカード、下段左がカルビー、右がイレブンスターズです。
2006年10月07日
今回は、前回の「相手サポーター」で書き忘れたことを書きます。それはジュビロ磐田のゴン・中山雅史による「ゴンダンス」です。 最近見た雑誌「サッカーJ+」の記事によると、①磐田が勝利②中山がゴール③そのゴールに中山が納得している④サポーターから中山コールが発生したとき-以上の条件を満たしたときにゴンダンスは発動されるのだそうです。今季は出場機会も少なく、9月17日の川崎戦で初めて披露されたようです。 私が生で見たのは2001年10月20日、厚別でのことでした。中山の先制ゴールなどで、コンサは1-2で敗れました。たまたま私はアウェイ側のB自由席でまったり観戦し、がっかりして帰り支度を始めたところ、磐田サポーターのボルテージが上がります。そうです、テレビのインタビューに答えた中山が駆け寄ってきたのです。そして、磐田サポの大合唱に合わせてゴンが両腕を交互に上げ下げして踊ります。うれしそうな磐田サポ、そしてゴンも満面の笑みです。試合に負けて悔しい私も、このときばかりはサポを大切にする中山に脱帽し、さわやかな気持ちで家路につきました。 試合後の選手のパフォーマンスでは最近、柏の岡山一成が話題のようですが、中山などのサポを大切にする姿勢はわれらがコンサドーレの選手にも少し見習ってほしい気がしています。もちろん、試合で力を発揮することこそが1番のファンサービスですが。
2006年10月02日
コンサの応援にこんなに盛り上がるれるのも、対戦相手があってこそです。選手たちがピッチ上で戦っているように、われわれサポーターもスタンドからの応援で戦っているのです。今回はコンサのホームゲームにやってきたサポの印象を語ってみたいと思います(残念ながら、アウェイは行ったことがないので分かりません)。 私自身、すべてのチームを見ているわけではありませんが(J2は全チーム観戦していますが、J1は未見のチームがあります)、一番印象に残っているのは清水エスパルスです。初めて見たのが2001年9月15日の札幌ドーム。結構な人数が来ていたのもありますが、サポ全体が一体となって応援していました。サンバ調のリズムに乗って歌ととともに踊り跳ねる姿が記憶に残っています。なにかサポ全体が家族のようにまとまっている感じでした。堀井学のVゴールで勝ったこともあり、いい思い出になっているんでしょうけど。コンサができたときに、清水の応援を参考にしたと聞いています。特定の大企業に頼っていない市民球団的なところも親近感がわきます。サッカーどころの清水市(合併で静岡市になりました)には、応援でも学ぶ点は多いですね。 次いでやはり浦和レッズでしょう。2000年のJ2での激闘は生観戦することができなかったのですが、01年11月3日の札幌ドーム。ほぼ満員となったドームで、浦和のサポはアウェイ側のB自由席を埋めていました。応援合戦が始まると、数では圧倒的にコンサ側が多いのに、浦和の応援歌がはっきりと聞こえます。若い男声の野太い歌声が響き渡ります。本当にすごいサポだと思いました。試合の前か後か忘れましたが、ドームの外で器物損壊の浦和サポ1人が翌年のワールドカップに向けて警備の予行演習中だった道警に捕まり、怖いイメージが増幅されました。でも、今も常に4万人以上を動員するサポの熱さがチームをJ1で優勝争いするまで押し上げたことは間違いなく、敬意を表したいと思います。2000年にはJ2仲間だったのが、思えば遠くになってしまいました… 今ですと、何と言っても柏レイソルですね。4月22日の函館にも結構来てましたが、7月12日の厚別は平日のナイト試合にもかかわらず、たくさん来襲しました。おなじみのゲートフラッグも拝見しました。応援歌もいろいろ披露し、名物の「柏馬鹿一代」までやってましたね。でも、アウェイでは少し遠慮した方がいいと思いますよ。優しいコンサのサポなら許されても、浦和などではしゃれにならないですよ。あと、名物の裸族が今年は見られなかったので、またお目にかかりたいものです。 ほかのチームでは、アルビレックス新潟とベガルタ仙台も印象深いですね。両チームのサポは来場する人数も多いうえ、コンサと同じくおじさん、おばさんが多く、売店やトイレで一緒になっても互いにあいさつしたり、とってもフレンドリーでした。応援歌では特に仙台の「We're Not Gonna Take It」が忘れられません。「ベガルタ仙台 GO! 行くぞ 仙台 俺達と共に レディゴー(Hey!×6)」というノリのいい歌声が脳裏に焼き付いています。コンサもこういうノリのいい新曲を希望します。 さて、サポーターこそチームを育てる源です。9月27日の厚別での徳島戦は残念ながら仕事で参戦できませんでしたが、録画を見ると、土砂降りの雨の中、3896人(一部徳島サポ含む)が心を一つにして応援する歌声が響いておりました。その熱気に選手たちが意気に感じ、6得点につながったに違いありません。厚別史上最少の観客数だったかもしれませんが、その思いは札幌ドームを満員にしたときにも決して劣らないと思います。雨の中、歌い、跳ね続け、応援した皆さんに拍手を送ります。それにしても、行きたかったなあ…
2006年09月24日
ゴール裏を発信地に、スタジアム全体が唱和する応援歌に応援コール。私がコンサにはまったのは、サポーターの応援にあります。立ち席こそ行けませんが、ゴール裏B自由席の端っこに座っているのは、ほかの席では思い切り歌えないからです(周りから浮き上がってしまって恥ずかしい)。一番好きな応援歌は「赤黒の勇者」、応援コールは「We are Sapporo」でしょうか。皆さんはどの歌、コールがお好きですか。 さて、応援歌やコールを覚えるのは、初めての方には大変だと思います。敷居が高くてなかなかゴール裏に近寄りずらいという方もいらっしゃるようです。そんな初心者に優しい地道な活動を続けてらっしゃるサポーターがいます。勝手に紹介させていただくと、南郷とおるさんです。自費で歌詞カードを印刷し、ゴール裏などで配布されている方です。手元に残っているのを調べたら、Vor.1は「2003年7月2日」となっていました。最新のVor.7は今年の3月4日付で、フッキの歌詞が5月3日付で追加されていますね。最初はA6判表面の16曲だけでしたが、現在はB5版両面2色印刷、32曲にパワーアップしています。詳しくはご本人のブログ「南郷とおるの応援日記」に記されています。こんな素晴らしいサポがいるからこそ、私のコンサ病が重症となり、応援をやめられなくなるんですね。 残念ながら今年の入場者数はかなり計画を下回っているそうです。経営はまた赤字転落必至とか。そこで、リピーターを増やすために、チームの勝利ももちろんですが、HFCか、サポ有志の主催で応援初心者向けに応援歌・応援コールを含め、応援の仕方を一からてほどきする教室を開いてはいかがでしょうか。応援の楽しさを味わってもらうのが、サポを増やす早道と思うのですが。
2006年09月18日
コンサドーレのサポーター有志による「コンサドーレ札幌メーリングリストConsadole.ml」発足記念行事として、2001年から毎年秋、養護施設などの子供たちとその家族たちを招待する活動が行われています。1株5万円の株主となったサポーターが特典でもらえる招待券2枚を使わずにいる人などを対象に、招待券の供出を呼びかけています。私はメーリングリストに参加しておらず、協力し始めたのは昨年からで、とても偉そうなことは言えないのですが、昨年は11月19日、札幌ドームでの京都パープルサンガ戦に総勢336人を招待したそうです。こんな活動を思いつき、実行するコンサドーレのサポーターは素晴らしいと思います。今年もささやかながら賛同させていただきます。 今年は11月11日、札幌ドームでの愛媛FC戦に200-300人を招待する計画だそうです。昨年までは株主番号と認証番号を連絡するだけで良かったのですが、今年の株主向け招待券は現物が郵送されたため、担当の方に郵送する必要があります。もしも利用予定のない招待券などをお持ちの方は、ぜひ協力されてみてはいかがでしょうか。締め切りは10月10日です。 詳しくはこのホームページにあります(リンクフリー)。 余談ですが、これまで追加招待を含めた6試合とも白星がないようです。ぜひとも今年は勝利で飾り、初めて生観戦した子供たちがコンサドーレのサポーターになるような感動を呼ぶ試合を願ってやみません。
2006年09月09日
前回の日本代表選手で書ききれなかった監督らの日本代表歴を振り返ります。 東芝時代から引き続き初代監督を務めた高橋武夫監督(1996年。旧姓・木村)は古河電工時代に国際Aマッチ(以下同じ)14試合出場、4得点。現在は母校の東京農大で監督を務められているようです。 「岡ちゃん」こと岡田武史監督(1999-2001年)も古河電工時代に27試合出場、1得点。まあ、選手としてより、フランスW杯のアジア最終予選途中から本大会まで日本代表監督を務めたことが国民に強烈な記憶として残っていますよね。先日、横浜F・マリノス監督を辞任されましたが、今後はどうされるのでしょうか。またコンサに、いや言うまい…。 最も輝かしい代表歴を誇るのが柱谷哲二監督(2002年)です。日産自動車から横浜マリノス、川崎ヴェルディ時代に日本歴代9位の72試合も出場、6得点。キャプテンを務め、「闘将」と呼ばれましたが、「名選手、必ずしも名監督ならず」なのでしょうか、早々と解任されてしまいました。その後は浦和レッズコーチを経て、今季からラモス監督の下、東京ヴェルディのコーチを務めています。将来、どこかのチームで采配をふるう日が来るのではないでしょうか。 現在の指導陣では、柳下正明監督はユース代表はあるようですが、日本代表歴はありません。松井清隆GKコーチは現在の体型から想像しにくいのですが(失礼!)、大体大、日本鋼管時代に15試合出場しています。そういえば、ホーム側B自由席の右端の方で、GK練習に出てきたところで必ず「松井さーん」と、よく通る男性の声が飛び、松井コーチもちょっと照れているような気がしています。 なお、ウーゴ・フェルナンデス監督(1997-98年)はウルグアイ代表、張外龍監督(2002年、03年)は韓国代表歴があるそうです。 将来、コンサでの監督の手腕を買われて、日本代表監督に招請される、そんなことを夢見ます(オシム監督のように強奪されてはかないませんが)。 (スタッフで日本代表歴のある方がほかにいましたら、ぜひ教えてください)
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ブログタイトルは「真栄パパの思い出語り」から2014年2月に「習慣コンサ」に改め、さらに2022年1月1日から「毎日コンサ」に改称しました。「毎日が日曜日」なので、毎日、コンサドーレのことを考え、書いていきます。 気持ちだけは熱いですが、体がついていかない老年(2018年、還暦に突入)のぬるサポです。 北空知の秩父別町生まれ。札幌市清田区真栄に自宅があります。
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