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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。
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2009年10月27日
昨今、また氾濫している気がするのは私だけだろうか。 随分と「安く」なってしまったなあ、というのが大きいのだろうが、その起源を私なりに遡ってみれば、元首相が大相撲の表彰で「感動した!」と言った部分に行き着く気がする(あくまでも個人的見解である)。 その後かどうかハッキリしないけど「感動をありがとう」という妙な表現が普通に聞かれるようになってきて、最近ではS局が「感動だいすき」なる、どう見ても不可解なことを平気でやるに至っている。 「感動をありがとう」に対しては、かつてから感動にお礼を言うのはおかしい、と何度も繰り返してきたのではあるが、そうなる部分を冷静に考えてみると、ことスポーツに関してみれば、そうなる素地はあるんだなあ、とも感じるわけで。 かつて「ファンとサポーター」の違いについて書いたことがあったのだが、その差を別な面で見ると、ファンというのは基本的にこういう存在だとも言える。 「無責任で受動的な存在」 サポーターについては、また改めて書いてみたいと考えているのだが、基本的にはファンとは逆の存在だと言い切ってもいいだろうから、ファン主体の競技では、「感動をありがとう」に至る部分には違和感がないのかもしれない。 そう、観戦に対する姿勢は基本的に受身であり、サービスは受けるものであるからにして、感動も与えられるものになってしまうのだろう。 私は天邪鬼だから、そうそう何度も簡単に感動していては、疲れてしまうだろうと考えてしまうし、余程のことでもない限りそこに至ることはない。 何もそんなにむきになって力むこともないのだろうけれども、そこかしこに見られる「感動」の氾濫は、安っぽくて貧しくさえも感じてしまうのは、過ぎたることなのでしょうか。
ひとみ
Re:「感動」について考える
2009/10/27 13:16
日ハムのリーグ優勝に「おめでとう」と言うファンを見て、 何か違和感を感じていたんです。 コンサがJ2優勝した時には「おめでとう」というより 「やったー!」という気持ちになったので。 その違和感はこういうことだったのか~と、 akira37さんのエントリーを読んで思いました。
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