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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。
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2020年05月24日
昨日は結構な時間を断捨離に割いていたような一日ではあった。 そして夜になってBSではまた過去の試合の放送。 昨夜は20年前の天皇杯決勝で。 そうね、全てストイコビッチのための試合だったと。 いやああの華麗なプレイは今見ても凄いと言わしめるのだな。
とそこから昔のことを思い出す。 私が初めて行ったアウエイの試合のことを。 2001年のJ1第1ステージ第14節、場所は博多の森。ウイルの2発で快勝した試合である。 実はそれまで博多の森は相性が悪くて、未勝利であったように記憶しているのだが、これ以後はむしろお得意様のアウエイ会場となっていくのだな。 どんなきっかけでもいい。 現在我サポートチームがずっと苦手にしていた静岡県内でのアウエイ試合が逆にお得意様状態になるのは、2013年の磐田との天皇杯の試合だったな、とか。 話がそれた。 先述の博多の森の試合がどうストイコビッチにつながるかといえば、試合後知人に勝利の電話報告をしたら、彼は瑞穂にいて引退前最後のホームゲームを見ていたのだそうな。 その試合は延長Vゴールがストイコビッチで、あまりにも劇的な最後に興奮して話していたことも思い出したところである。 ついでながら名古屋のスタメンにはその後うちに来る西澤の名前があるのだが、そういえばフリューゲルス最後の試合になった1999年元日の天皇杯決勝の時には相手の清水にいたし、私が初めて道外で見たサッカーの試合である2000年のナビスコ杯決勝の時はフロンターレにいたし、何かと節目には縁のある選手だなと思った次第である。
この時間帯は本来であればJリーグの中継があるのだが、ずっと過去の試合をやっていて。 次の今月30日は2011年の女子W杯決勝をやるのか。 あの試合は生でも見ていたし、録画にも残しているけれども、また興奮して見るんでしょうなあ。
2019年03月12日
昨日と言えば、勿論あの日であることを今更書くことではないのではあるが、その翌日のことの方がむしろ話題が多いことで8年前を振り返る。
3月12日という日は、あの「くまモン」の誕生日とされる日である。 あのプロジェクト自体は前年からあったわけであるが、この日が当てられているのは、当日がJRのダイヤ改正日で、2011年3月12日は九州新幹線の全通が最大の売りでもあったのだな。 しかし前日の地震発生で、直接的被害がない現地とはいえ、行事が縮小・中止になったのは致し方ない部分である。
2011年のJリーグはその前の週末に開幕していたのであるが、この地震を受けて第2節以降の試合中止を即座に決めて、12日に予定してたコンサのホーム開幕試合もなくなってしまったのだな。 あの時はイベントの一つに「ジャイアントキリング」に出てくるETUのマスコットの来場が予定されていたのだが、これも勿論なくなったと。
札幌市の大きな話題としては、のちに正式略称「チカホ」となる「札幌地下歩行空間」の開通日であったのだが、こちらも派手な行事は自粛となったと。 当初前日に帰蘭予定だった私は、JR・都市間バスとも運行中止になった関係で戻れなくなったから、その日の朝様子を見に行けることになったのではあるのだな。 ええ微妙な空気でしたと。
その日だけでなく、その後のことの記憶として、タイミングも何も書いて見たくなっただけのことではありますが。
2018年11月13日
いやあ、昨夜TL上が賑わっていると思ってみていたら、昨日はあの日だったんだなあと。 そう2年前、フクアリでアウエイ千葉戦があった日で。 今更繰り返すまでもないが、内村の後半アディショナルタイムでの逆転劇というのは、何度見ても興奮するものであるが、わずか2年前とも言えるんだよなあ、と。 当時緊急参戦を決めたものの、飛行機の便は当然直近でとなると高い。 ところがどなたがJAL様の成田便だと安く行けるという情報が出て、キックオフが13時だったから日帰り可能なダイヤでもあったので、そんなんで行ったのだな。 今や日帰り参戦は珍しいことではないけれども、成田経由は現在に至るまでこの時限り、実際他の用件もなく参戦オンリーというだけでも貴重な記憶であり、かつ記憶に残る価値あるものになったのではあるんだな。 もっとも劇的な割には個々の印象は薄いのであるが、前半リードされても不思議と負ける気はしなかったのは、今でも不思議ではある。
ちなみに日付で言えば、11月12日は平成2年に現在の天皇陛下の即位した日でもあったのだな。 個人的にはもっと身近な話題があって、私の一番上の姪の誕生日でもあって。 ということで昨日は28歳の誕生日だったのか。 もうそんなになるのかって、今や2児の母でもあって。 まあ、そういうことではある。
最初の話に戻れば、あれはわずか2年前だったことに驚く。 個人的には結構昔になってしまった感覚があって。 しかし、今年チームとしては初めてJ1を2年連続残留を決めただけの事実しかないわけで。 冷静になれば、不思議なことでもあるのだな。
2018年11月09日
まあいろいろ言われてきましたが、もう明日に迫ったわけです。 でふと思い立って振り返ろうとしたときに、ちょっと過去を調べてみて書きたくなった次第。
厚別での浦和戦と言えば、あの2000年の伝説とも言える試合以来になるわけですが、そもそも過去厚別でやったのはこの一試合だけなんですな。 コンサのJリーグ元年の1998年のホームは、仙台での試合でしたしね。 2000年のJ2リーグは11チームによる4回戦制でした。ホーム2試合のうち1試合は室蘭だったわけですが、この試合は有珠山噴火の影響で当初の予定から延期になったものです。 当時は奇数チームでしたから休みの節がありまして。 コンサ的には第1・2節がアウエイ、第3節休みで、第4節にしてようやくホーム室蘭開幕も平日の昼間という、恐らく今後もないであろう唯一の経験。その次のホームが浦和戦の予定でした。 また第2クールが終わった時点で一週間休みになりましたから、延期試合はその中断週に組み込まれ、かくして7月にホームで2試合浦和とやったのでした。 室蘭での試合は延長まで行ってのスコアレスドロー、相手のスタメンには小野がいたわけですが、わずか2週間後の厚別では小野は海外移籍でいなくて、河合が交代出場した記録があります。でも印象には残っていないんだよなあ。 で試合結果は改めるまでのないことでしたね。
まああの試合の記憶の一つとしては、アウエイゴール裏で発煙筒を焚いた事件があったことでしょうか。 またドーレくんがアウエイ側に挨拶に向かって危険な目にあいそうになったこともあったように記憶しています。 今日はこのあと雨の予報ですが、明日は雨マークが取れているので観戦上の荷物は減らせるでしょう。 また気温の方も奇跡的に低くはならない模様なので、極端な厚着も必要ないかと。
そして熱くなりすぎないように明日は励みましょう。
2018年03月12日
「最高の週末」とはならなかった結果を受けての昨日であったので、まあ何とも微妙なことではある。 まあ単純に前向きにはなりにくいのは事実であるが。
昨日は「あの日」であった。 いつもは何事もなかったようにしていても、急に関連番組が増える。 忘れないようにしているのはいいのかもしれないが、迎えるたびにその時だけでいいのかとの思いは大きくなるのだが。
7年前の今時分のことは鮮明ではあるのだな。 承知の通り、Jリーグは早々に試合中断の決断を決断して。 本来であれば3月12日はホーム開幕戦日となるはずだったのも延期されて。 あの時はジャイキリのマスコットが来る予定だったのだよな、とか。 札幌でいえばチカホの開通日であったのだけれども、式典は中止になったし。 九州新幹線延長部分の開業日でもあったのだが、こちらも式典は中止になったと。 個人的には地震発生日の夜にJRも高速バスも運行しなかったから、帰蘭が無理になったのだが、幸いレンタカーは借りられたから、翌日それで戻ったとか。
あの年のリーグ開幕はアウエイ愛媛戦だったのだが、当時GKはホスンで、相手にはエヒメッシがいて、いいとこなく敗れて。 またしんどい年になるのかと思っていたけれども、最後はJ1昇格を果たすのだからわからないのである。 いやだから一昨日の試合結果があれで、また簡単に馬鹿阿保言うとか、絶望するとか、ネガティブになったところで良いこと無いのだよ、というこじつけではあるのだが。
とはいえ、やはり気分はしんどいか。 まあね、仕事的にはまた難関が待ち構えている部分があるので、安閑とはできないのでね。 しっかりと乗り越えましょう。
2013年02月21日
ちょっと上手く撮れていないけど、これが実物である。 コンサが旧JFL時代・J加盟時点では、私自身の勤務地が室蘭だったので、シーズンパスを所持はしていなかった。 2001年夏に札幌に転勤となったので、2002年から所持するようになり、これが自身第1号。以降今年で12シーズン目になる。
今回のネタは、あるときふと思い立っての理由がある。 改めるまでもなく、彼らはその後コンサを出てJ1でも主力なっていくのであるが、改めて見れば、今年はコンサがJ2なのに、彼らの所属チームと対戦するのだという事実を認識したからであって。 うーん何とも微妙な気分。
因みにこの裏には日程が載っているのであるが、今にしてみれば興味深い内容ではある。 まず開催地であるが、厚別はわずか3試合しかなくて。 こんなに少なかったのだろうか、というのが第一印象。 そして開場時間は、ドームの場合キックオフの3時間前だったということ。 まあ当時はまだ公が来ていなかったのだから、自由に使える機会は多かったのだから、観衆面での対応も必要だったということだろう。 今からすれば、当然に複雑な気分になってしまうのだがね。
2002年といえば、日本でW杯開催があった年で。 札幌ドームは前年開業していたのではあるが、その準備のためにシーズン当初は使えない。 W杯中断前の日程は、まずもってドームがないときと同じ状況であった。 ホーム開幕は前年同様に春野で。今ではありえないが、アウエイ3連戦があり、残りのホームは室蘭と函館のみ。 ナビスコはこの年からJ1のみで、予選リーグを4チームによるH&A6試合となったのだが、確か「ホット6」とか言って、すべて中2日、GW中心に集中開催したのだな。 コンサのホーム開催は、3試合とも違う場所、厚別は初の4月開催があって。という状況ではあったから、6試合すべて違う場所ということでもあった。 現在水戸の監督をしている当時のコンサの監督の顛末については、あえて触れない(苦笑)。
昨日スケジュールポスターが出てきた。 恒例により、私もポスターサポーターに参加する。 毎度思うことではあるのだが、デザインは贔屓目があるにしても他チームにひけをとらないと思っている。 それだけに奈良の背番号が昨年のままで見えてしまっているのは惜しい。
2012年09月07日
昨夜の代表戦は、例によって音を消しながら時々見やる程度のお付き合いで。 まあ実にしょっぱい試合というか、UAEにはむしろちゃんとやってくれたことで感謝したいくらいで、別な面で言えば引き締める材料が出てよかったのではないのでしょうか。 コンササポ的にはマイク(勿論ハーフナーの表記は間違っていないのだが、我々にはディドもいたから、区別するにはこちらの方がピンと来る)のゴールがあったから、多少はおいしかったけれども、ならば札幌ドームでやった時にも出て欲しかったと考えるのは、自然の成り行きではある。
と今日のメインはそちらではない。 タイトルで察しがついたとすれば、長年のサポとも言えるのか、このことはコンサの天皇杯に関する表現ではある。 しょっちゅうレギュレーションが変わるから、単純な比較は無理であるのだが、少なくとも楽な試合にはなっていない。
個人的には道内でやる試合をちゃんと見るようになった2000年以降について触れてみる。 2000年-2試合目となる2回戦が入江であったのだが、数少ない爆勝ではあった。まあ高校生相手に8-0ですからね。リーグ戦では無得点に終わって、そのシーズン限りで引退した現熊本監督にゴールさせた、というほのぼのとした記憶ではある。 2001年-初戦は道外で見ていない。当時J2の川崎Fに延長Vゴール負け。 2002年-これも道外で見ていない。しかも当時J2の大分に0-5という大敗であったのだが、それ以上に屈辱的だったのが、他の試合の兼ね合いで11時開始という前座扱いにもされていたことではあった。 2003年-ホームでの初戦は2回戦の入江であったが、大学生相手に3-2の辛勝。寒い記憶しかない。 2004年-最終的にベスト8になるのだが、初戦となる3回戦が入江で、ホンダロック相手にようやく延長Vゴール勝。 2005年-初戦3回戦が入江で、当時JFLの佐川急便東京に0-2で完敗。入江での天皇杯連続勝利も途切れる。 2006年-最終的にはベスト4になるが、このときも初戦3回戦は新日鐵大分相手に延長でようやく勝ったわけで。確かPK戦覚悟までしたはずで、延長後半終了間際の2得点ではなかったかと。 2007年-厚別での試合は、JFLのTDK相手にPK戦の上の敗戦。あの時は最後有利だったのに現在北九州にいるGKのキックがあれだったために、ということだったのではある。 2008年-組み合わせの関係で初戦はニッパツであったのだが、まあ順当に敗戦。 2009年-厚別で当時JFLの鳥取と。2-1の辛勝。 2010年-厚別で盛岡と。まあスコアは4-1で数少ない大量得点ではあったが、失点シーンは見苦しかった記憶がある。 2011年-厚別で水戸相手に延長戦の上の敗戦。まあこの時は途中から予報外の雨が加わったり、2種登録のユース選手が大量登場とかの方が印象深いか。
だらだらと書き連ねていったのではあるのだが、まあこういこうことなので、過度の期待は無用でしょう。 相手は現在JFLで首位ですからね。 このくらいネガっておけば、安心して臨めるということでもあります(苦笑)。
2011年09月02日
いやあ困った天気ではある。 予報では雨マークは今日の午前0時以降にあったのだが、昨夜8時台に大雨があって、その後止んだまま現在に至っている。 この後も基本雨マークではあるが、常に降るような感じでもないので、外出時にはそうならないことを願うだけである。
今日この後に人間ドックが控えているのだが、9月に行くのは10年ぶりとなる。例年だと7月か8月にやるのだが、今年は明日アウエイ水戸戦に参戦するのに合わせて決めたのだな。 ちなみに10年前は異動直後ということもあって、例年と時期がずれたのではあるが、日付は正確に覚えている。その日は9月14日。 病院に行ってみると、たくさんいる中に見覚えのある顔があって。当時のHFC社長であった田中氏なのだな。 声をかけることも考えたのであるが、当時コンサはJ1の第2ステージでスタートから4連敗中であり、まあ気安くともいかない事情もあったのだな。 で翌日が第5節のドームでの清水戦で。試合結果は改めるまでもないところだが、一応記しておくと、山形からシーズン途中で移籍した堀井が途中出場し、延長でVゴールを決めたのだな。 これがドーム初勝利で。確か現地観戦では、隣の見知らぬ親父とハイタッチをした記憶もある。もうあれから10年なのね(遠い目)。 まあドーム元年の2001年は、結局ドームではこの1勝しかなく、90分での勝利となれば翌年10月のジェフ戦までなく、2002年はドームではそれまで6連敗中(2001年の最終戦も負けているので都合7連敗していたのでもあるが)と、何とも情けない数字しか出てこないのだな。
さて人間ドックまでは開始までまだ4時間近くあって、どうにも調子が狂う。 過去10回は病院までの行き来に雨にはあたっていないので、もし降ったなら初のケースになるのかな。 そして台風12号の行方も気にしつつ、明日・明後日の予定も気がかりと、気の抜けない時間が続くのではある。
2011年05月06日
昨日午後はkitaraへ。 「こどもの日オルガンコンサート」を聴きに行っていたのだが、例年GWは室蘭に居ることが多いので、毎年ある企画ではあるが初参加であったのだな。 今年は専属オルガニストが震災の影響で急遽帰国となり、代替で演奏者を招請して行われたものではあった。 またポロクルを利用。今回は終演後創成川公園をようやくチェックすることにもなったのであるが、晴れても風は、まだ冷たい。 えっ?タイトルと関係ないって?いやそうでもないのであるが、このことについては後ほど。
TVのアナウンスでもあったことだが、ドーレくんの誕生日に試合をしたのは今回で4度目になる。 過去1度も負けたことが無い、いや正確には勝利した事しかない特異日でもあって、今回もそのジンクスは継続されたのだな。 一応過去を振り返ってみる。 その1-1997年は対NTT関東戦。現在で言えば大宮であるのだが、現地で見ているはずなのにあまり試合内容の印象は無い。ただドーレくん登場に微妙な気分であったことは確かであったのか。会場は室蘭だから、出生地は室蘭にするのが正しいのかね? その2-2000年は対湘南戦。山瀬のデビュー戦にして、初ゴールがVゴールだった試合。厚別で確かアウエイゴール裏で見ていた記憶がある。ベルマーレとは97年に対戦があったのだが、当時はPK戦までやっていて、2度ともそれで敗戦だったから、この試合が初勝利でもあったのだな。 その3-2005年は対横浜FC戦。横浜FCとは2003年から対戦があるのだが、2003年は2分2敗、2004年は1分3敗だったから、9戦目にして初勝利だったのだな。このとき決勝点を上げたのは曽田で、これも記憶に残っている方ではある。 で今年4度目となったわけだが、実はすべてホームゲームでしかもすべて1点差の勝利というのも共通項となっている。 個人的にもすべて観戦しているということにもなっていて(シーズンパスの所持は2002年以降だから、それ以前はホームゲームにすべて参戦しているわけではない)。 今回これを書くに当たって調べていたら、もう一つ共通項があることに気がついた。 それはドーレくんの誕生日に試合があった年は、必ず日程に変更が生じているわけで。 1997年は当時J準会員だった関係でナビスコ杯に参加していたのだが、予選リーグを突破した関係で終盤の日程が変更なったのだな。 2000年は有珠山噴火の関係で室蘭での浦和戦が中止となり延期。 2005年はアウエイ山形戦が雷雨の関係で中止となり延期。 そして今年は説明するまでもない事態で推移しているわけで。 だからどうした、といえばそれまでではあるがちょっと書いてみましたとさ。
さて最初に書いたことが何の関係があるのか。 たまさかコンサート会場で気がついたことでもあるのだが、kitaraの開館は1997年なので、ドーレくんとは同級生ということになる。 kitaraの誕生日は7月4日とされているので、ちょうど2ヶ月違いになるのか。 まあこれもだからどうした、的なことではあるが、細かい知識として知っていても悪くはないかね?
2010年06月12日
ホームでありながら成績が芳しくない、というのがまず浮かぶ。 実際過去10年11試合(2002年は2試合)の戦績は、通算2勝2分7敗。 さすがに誇れるものではない。 私自身は最初の2000年の試合以外は現地観戦し続けているのだが、帰りの足取りが重いことばかりが印象に残っている。 皆さんもそうなのだろうが。
このようなことばかりでは重苦しいだけだが、ざっと思い出されることを並べてみたい。 最初2000年の試合は、堀井がいた当時の山形相手であったのだが、当人のゴールもあって見事な完敗。この年はJ1昇格を果たすのだが、この結果がむしろ薬になった、と言われるのは後付でもあるけど。 2001年はG大阪相手だったが、そこからレンタル移籍していた播戸のゴールで勝った試合。ゴール後に相手ベンチに向かって指を立てたパフォーマンスが忘れられない。 2002年はあまり思い出したくもないので、正確な記憶がないのだが、リーグ戦の方では現在湘南にいるFWが初ゴールを決めたのだったな。 2003年は福岡相手に負けたのだが、このときの相手はシーズン後半だけ見れば首位だったくらいの勢いがあったのだな。 2004年はまったくもって記憶にない。 2005年は2度目の登場になった山形相手に勝利した。この時期は前年から7連敗中であったところに終止符をうったのだが、この試合は来年やってくることになる大塚が累積で出場停止だったことも勝った一因とも言われていたのでしたっけ。ちなみこの試合ではシーズン途中で移籍してきた西谷が初ゴールを決めた試合としても印象が深い。 2006年は恐らく函館開催試合の中でも最も印象に強い試合である。昇格争いという部分では互いにターニングポイントになったとしかいいようがないものであった。相手だった柏は現在と違って苦しんでいたのだが、この試合で勢いを与えてしまったのだよな。改めるまでもなく、このときの相手監督が現在のコンサの監督ではある。 2007年は明日の試合の相手でもある愛媛だったのだが、西の初出場試合であり、惜しいシーンもあったのだが。ちなみに西の愛媛との因縁では、そのあとのアウエイで後半ロスタイムの初得点で現在のニンスタでも初勝利になった試合も印象深いわけだが、当時はブラジルに行かされていたところからの緊急帰国命令で戻され、「秘密兵器」などとも言われていたのだが、今の姿は想像もつかないことでもあったのだな。 2008年は最近のことなのにあまり印象にないのだな。ただMCに難があったことだけは強い記憶にある。 で昨年は草津相手に確かセットプレイ2発で同じような失点をして負けたような気がするのだが、やはり負け試合は昨年の試合なのに曖昧なままである。
まあ自身がパッとしていないので、こんな話題で茶を濁しているようなもので。 明日は室蘭開催同様にイベント満載の上に天気も申し分ない予報なので、期待したいところである、とでも言わないと頑張れないかな、とも。
2009年09月20日
まずは言い訳から。 昨日のエントリーで初歩的なミスを起こしてしまったのだが、あの間違いを訂正する余裕がなかった事情がありまして。 札幌宅からレンタカーで出発したのが昨夜10時半前。 高速道路上は特別に急ぐこともなく、本輪西展望所で午前0時になるのを待ってから室蘭ICを出て、ETC割引1000円表示を確認して室蘭宅前へ。 そう「前」まで。 レンタカーということで、いつもと違う鍵の束を持って出てきたのだが、そこに室蘭宅のが無くて。 実家に行けば勿論あるのだが、さすがに夜中ではまずい。 かくして自宅前の駐車スペースに泊めた車中で寝るしかなくて。 まあほとんど車の来ないような場所だからOKみたいなもので。 で思いのほか眠れて(と言っても3時間ほどだが)、実家に鍵を取りに行ったのが4時頃。 この時間で起床しているのが普通なので、問題ない。 戻りばたばたと荷物の出し入れを行っている合間を縫ってブログを投稿したのだが、その後の予定の関係で充分なチェックもせず、睡眠も不足だから集中力もなく、というのが真相でありました。 ちなみに戻りも高速利用でしたが、千歳を過ぎた辺りから反対車線の車の量が半端でなくなる。6時過ぎの状況とはとても思えないものであって、「1000円効果」の恐ろしさを見たようなものでした。
その後会社親睦行事を終えて戻ってみると、どうにも腹具合がよろしくなくて、夕食もキャンセルする有様。 どうやら疲れている中で動き回ったり、暴飲暴食したのが原因らしい。 今朝は多少治まっている状況ではあるのだが、まだきつい。 ちなみに現在の室蘭の天候は晴です。
でようやく本題に入りますが、何のことか判った人は、まあいるでしょう。 そう本日の対戦相手のこと。 J加盟以後、道内でのホームゲームは4箇所でやっているわけですが、現在その4箇所とも経験しているのが3チーム(山形・柏・福岡)ですが、札幌以外で4度目の登場となるのは福岡だけです(ドームは1回しかないのに)。 ざっと過去を見ますと、 1度目が、皆さん忘れることがない「98・12・5」のJ1参入戦。勿論寒かった。 2度目が、翌年4月のナビスコカップ。雪が降り、J史上初のオレンジボール使用ゲーム。 3度目が、2003年4月。承知の通りこの年は監督・外国人選手とも大変なことだったのですが、この試合に関しては、唯一スタート時の外国人選手3名が揃った試合であり、ウイルのハットトリックもあって5-0の圧勝。しかし寒かった。 ついでに書くとこの試合に際しては、前日に入江で練習していて、たまたま前日覗きに行って見たら練習はほぼ終わっていたのだが、外国人3選手がシュート練習をやっていたところで、この部分の好印象が翌日の結果に繋がったのだなあ、との感想を持っている。 で今回4回目となりますが、6年ぶりの来蘭は前3回と違い寒い時期ではない。 予報では今日の最高気温が20度との予想だから、相手側にしても初めて室蘭で寒い思いをしないで済むことになるのでしょう。 まあ4回とも来る奇特なサポがいるかどうかも、聞いてみたいところですが、果たしてどうなのか。
ちなみに昨夜JRで戻ってきましたが、こちらで紹介されているポスター、室蘭駅ではホームと待合室を結ぶコンコースの両側に多数張られていますので、JR利用で来られる皆さん、お見逃し無く。 道新の胆振版では本人の特集が組まれていたようだし、専用ポスターの作成といい、妙に力が入っておりますなあ・・・。
今日の楽しみは、レベスタでの事件のリベンジ達成できるかでありましょう。 先日の厚別では、その本人はベンチ入りしていませんでしたから、達成できませんでしたし。 さてどうなりますか。
2009年03月01日
タイトルを見て、ピンと来た方はどれだけいらっしゃいますかね? じゃあタイトルを見て答えは何かと言えば、「G」になるのですが、それでも判りませんかね?かえって訳判らないか。失礼しました。 すべてに共通するのは「コンサドーレ」なのですが、そろそろちゃんと書きましょう。 現在情報誌としてあるのが「月刊コンサドーレ」。こちらは2001年からの発行ですが、それ以前に「コンサドーレマガジン」があったことは、古くからのサポには周知のことでしょう。 「月刊」の方は、創刊時からすべて所持していますが、「マガジン」の方はあいにく数冊しかない。 で「マガジン」の方は、96年のチーム誕生時より存在していたのですが、98年の悪名高き「J1参入戦」を伝えた号が最終になったのではあります。 まあ今でも「マガジン」の方が「月刊」よりもセンスが良いと思う向きは多分にあるのでしょうが、今日はそのことについてではない。 「マガジン」と「月刊」がなかった1999-2000年シーズン、その間を埋めるように存在していたのが、「G」なる小冊子。 非売品です。不定期発行で、99年が5回、00年が4回の発行。 当時は室蘭にいましたので全試合観戦も無理でしたから、タイミングからしても全部揃えるのは至難の業だったはずですが、幸い手元に全部あります。 数少ない自慢?だからどうだでもないのでしょうが、10年近くも前のものですから、改めてみると懐かしい部分は多分にあるのですが。 でこの冊子、99年と00年ではサイズが違う。正確に言えば表面積では同じなのですが、00年版が普通のB5縦なのに対して99年版がB4縦を長いほうで半分折にしていますので、細長く、保管上は扱いにくい(苦笑)。 ということで、未見の方向けにその表紙でも載せておきましょう。![]()
これを見て思うのは、前者はそういえば今年のユースのコーチ陣はどうなったのか、ということと、後者は開幕戦の相手チームのコーチとして対峙するんあだなあ、ということで。 さてやはり2月はあっという間で終わって3月になりました。 いよいよ気持ちの上でも本番モード突入で参りましょう。
2008年05月24日
何のことかとお思いでしょうが、単なる気まぐれの集計からです。 現在コンサが道内で試合をする会場は、厚別・ドーム・室蘭・函館の4ヵ所があるわけですが、明日函館での対戦相手の千葉は、その4ヵ所制覇チームとしては4つ目になります。 ちなみに過去達成した3チームは、北から山形・京都・福岡になるのですが、千葉の記録は他とは違って、ある意味で大変なもので。 お気づきでしょうが、他のチームはJ2経験があり、当然のようにJ2での対戦も含まれていますが、千葉の記録はJ1(旧Jを含む)のみで達成します。 千葉とは2004年に天皇杯での対戦がありますが(現在のところ道内でJリーグ同士で戦った試合としては唯一です-まあ今年は2度目の記録ができるでしょうが)、それを除いても4回目で4ヵ所目というのは、そうあることではない。 一様羅列しておきましょう。 98年-室蘭 01年-厚別 02年-ドーム 08年-函館、厚別 だからどうだ、ではないのですが、似たケースで達成するためにはハードルが高いですから今後はどうなるか。 ちなみに6月には柏が4ヵ所制覇5チーム目となりますが、こちらもJ2での対戦があります。
まあ8月のG大阪戦が開催日変更でドーム使用になったら、J1のみでは2チーム目で、かつリーグ戦のみでは初の記録なるけど、果たしてどうか。
2008年05月06日
今年のGWは不遇な成績で推移している上に、一昨日・昨日と寒々とした気候で滅入りそうな感じでもあった。 昨夜就寝時にはまた風雨が強くなっていたが、今朝は晴天。果たして落ち着いた気分で今日の試合に相対できるのだろうか。 気分転換になるかどうか、ちょっと調べてみた。 日程上GWには試合数が増えるので、日にち毎で何か特徴が出るのかと。 そうしたら・・・・。 今年消化した試合日、4/29と5/3は少なくともコンサにとっては厄日である。 4/29は過去7回試合をしているが、勝ったのは2001年の函館の試合のみ。他6試合はすべてアウエイで敗戦している。 5/3は過去5回試合をしているが、引き分けたのが2006年の厚別の試合のみ。他4試合はすべてアウエイで敗戦している。 うーん・・・・。 見事としか言えない。 過去の実績からすれば、今年アウエイでの連敗は必然だったのか。 ここで気休めのデータ。 5/4は旧JFL時代を含めて3回、すべてホームで勝利している。 もっと調べてみると、GW中の成績は極端に出る。 今年と同じ試合日配列(4/29-5/3-5/6)は過去2回例がある。 2001年はH-A-Aの順番でホームは勝ち、アウエイは連敗。 2006年はA-H-Aの順番でアウエイは負け、ホームは引き分け。 4/28-5/3-5/6の順にあった昨年もH-A-Hの順番で、ホームは勝ちで、アウエイは負けている。 結論としてはGW中のアウエイは勝てない(Jになってからの唯一の例外が2000年4/30のアウエイ水戸戦での勝利である-鬼門といわれる笠松でもなかったしねえ)。 だから今年ここまでの状況には驚く必要は無い(苦しい言い訳)。 さて今日であるが、過去4回は1勝1分2敗。 ホームで負けが無く、アウエイは2敗。 ここは素直に今年ホームだから、負けはないと見ていいのでしょうかね。 って過去データに頼ってどうするのよ、ではあるのですが。
2008年03月23日
今朝の月も美しいですなあ。 まずクイズ。 室蘭に3回来ているJのチームはどこか。 正解は福岡なのだが、細かいことを言えばもう一つある。 それが川崎である。 2回が正しいのではないのかとの声に。 確かにコンサとの対戦では、今回が2回目だけれども、以前書いたように旧JFL時代に来ているから、現実としては3回目である。 いや細かいことを言えば、98年に来た時はJ準会員(旧JFL)としての立場だから、Jのチームになってからは初めてではある。 昨年はC大阪が旧JFL時代以来11年ぶりの来蘭で、森島(小)も11年ぶりの登場だったが(ちなみに彼の公式戦出場はそれが最後で、現時点で途切れたままである)、今回10年ぶりの登場になる川崎では当時のメンバーは残っていない(最も現コンサの大塚は相手のメンバーにいるのだが)。 まあこうして見ると、今回の川崎の室蘭登場は3回目なのに、Jとしては初、J1どうしで戦うのも初、でありながらJの通常リーグ戦では未経験、という妙なことなのではある。 まあどうでもいいけれども。
ちなみに、私の室蘭での観戦率は本宅がある関係で異常に高い。 リーグ戦で見ていないのは、96年の大塚戦の前半と00年の道内開幕の新潟戦(何せ平日の昼間でしたのでねえ)だけ。 宮の沢改修に伴うサテライトと、天皇杯はすべて見ている。 しかしナビスコだけは異常に見ていない。 いちよう履歴を書いてみる。 98年の2試合は、会社の行事等で見ていない(コンサは2試合とも負け)。 99年の試合は、平日の昼間の試合。確か後半から見ようと行ったら、只で入れてもらえた。天気は雪で、J史上初のオレンジボール使用試合(前年J1参入を争った福岡に勝ち)。 00年は有珠山噴火の影響で後日厚別に振替られたので見ていない(G大阪に負け)。 01年はチケット購入。平日昼間だったので午後有給休暇をとって行く気満々だったのだが、札幌への強制出張が入り行けず(大分に勝ち)。 02年は現東京V監督が采配した最後の試合で、すでに予選敗退は決まっていたが唯一のホーム戦勝利(柏に勝ち)。 5回あって、見たのが1回半(苦笑)。少なすぎる。 ちなみに見た試合は勝っているので、ジンクスどおりであれば、今日は勝ちます。
これを見てから来蘭される方へ。 以前にも書きましたが、入江のローソンがセブンイレブンになっていますので、驚かないように。 ちなみに現在160円未満のおにぎりは、すべて100円ですのでご活用のほどを、ってスポンサー様に復活しているから大きく書けますな。
2008年03月20日
ナビスコカップが現在のようにJ1のみになったのが、2002年のこと。 コンサの参加はその年以来ということになります。 うーん随分と長い間の御無沙汰でした。 ということでもないのですが、無理やり何かデータを引っ張り出してみる。 *前回の時も同じグループに柏がいて、対戦順としては最初が1節のアウエイ、最後が6節のホームであることが同じ。 *前回のアウエイも日立台ではなく、柏の葉であった。 *今回はリーグ戦も今月中にアウエイであるのだが、前回も4月に2度アウエイで対戦している。 *今回のホームは、前回同様に札幌・室蘭・函館である。 *前回の札幌でのホームは厚別だったが、現在のところ唯一の4月開催。今回のドーム使用は当然ながらナビスコでは初使用。同時に柏にとっても初ドーム試合である。これによって柏は道内4会場制覇としては、3チーム目だと思うのだが、ほか2チームがどこであるかは、後で調べてみてください。 *1-6戦のゲーム順は前回同様にAHAHAHである。 うーん、どうでもいいことか。 ちなみに前回のナビスコ予選は1勝2分3敗であったのだが、ホーム・アウエイ別では極端な差で。アウエイは3戦全敗だったけれども、ホームでは負けていない。 当時の監督は現在の東京Vで指揮をとられている方ではあるのだが、ナビスコ予選敗退後に解任されている。 ホームで唯一の勝利が、指揮官としては最後の試合であったのは、今にして思えば何だかなあではある。 さて今日はどうなるのか。 何でも雨でそうで。気温的にもこちらと大差ないのだろうから、ハンデはないかな。
2007年10月09日
続きと言おうか、いや別に蒸し返すのでもないけども、昨日のコンサ関連番組を見る限りは結構ネタ扱いに近かったですなあ。 今や滅多にお目にかかれないPK戦ですが、コンサ関連ではチーム発足以来一昨日のが9回目ではありました。 通算成績が良くないの承知のことで、昨年天皇杯新潟戦が初勝利ですから、現在1勝8敗という極端な数字が出ています。 最もそのうちホーム(扱い)では3試合しかありませんから、多くは見ていません。 といかホーム(扱い)3試合ともすべて見ているのですが。 いちようおさらいしておきますと、 1-98年室蘭での平塚戦(何度も書いたように相手には代表クラスごろごろで中田-ハムにドラフト指名されたのではない-も居たし、マラドーナのロスタイム同点弾で延長に入った試合)。鳥居塚がアウエイ柏戦に続いてPKを外して個人的には運命が狂ったと思っている試合。 2-昨年の天皇杯 3-今年の天皇杯 従ってコンサの公式戦上でも札幌で初めてのPK戦であったわけです。 だからどうだというのでもないのですが。 そういえば道知事杯決勝もPK戦だったから、どうもその空気が残っていたということにしておきましょうか。 何の慰めにもなりませんが。
2007年10月06日
コンサの天皇杯の試合としては、道内では過去8回あってすべて室蘭でした。 すべて見ているつもりでいましたが、JFL時代はさすがに行っていないようです。 現行の9月スタート、J2は3回戦からの10月スタートになってから、今年で4年目になりますが、過去3年の初戦はすべて90分で勝っていません。 04年はホンダロック相手に延長に持ち込まれて、辛うじて延長Vゴール勝ち。堀井の顔に笑顔がなかったのが印象的でした。このときは相手に対するエールが大きかったですなあ。そうそう社員旅行の一環みたいだったし、確か全選手分の弾幕を持ってきていたのではなかったっけ。 05年は佐川急便東京に完封負け。思いでは西谷の退場(苦笑)。 06年は新日鐵大分に延長でかろうじて勝利(Vゴール方式ではない)。相手サポはある意味有名人でしたし、相手チームは1回戦からすべて道内での試合で、罰ゲーム(あるいは「どうでしょう」)みたいでしたなあ。 で今年は初めての厚別開催で、しかもサブ主体といういつもとは違う状況です。 ええ毎年初戦は苦戦していますから、誰も安心していませんよ。 過去初戦がJリーグのチーム以外で敗戦したのもJFLのチームだったし、今回も下位でありながら得失点差が+でゴールランキング3位にいる選手が所属するある意味特異なチームですし。 まあ幸い予報の方は崩れるのがずれてきているようだから、雨の心配はしないで済むのが幸いですが、どうなるのでしょうか。
2007年09月15日
いきなり6時前に小雨がぱらつきまして・・・。 ちょっといろいろ思い出すこともあったものですから、ちょっと出して見ましょう。 1.以前書きましたように今年の暦は、2001年と同じです。で15日もドームで試合がありました。相手は清水で、くしくも今日と同じJALサンクスマッチでもありました(この時は共にスポンサーであることの縁ではありましたな)。 当時J1の2ndステージは開幕から4連敗中であり、たまたま前日とある病院で人間ドックに行っていた私は、そこに当時HFC社長であった田中氏の姿を見たのですが、当然に声をかけられる状態ではなかった記憶があります。 まあ連敗中とはいえ毎試合得点はしていたから心配はなかった、との弁もあったようですが。 記憶に深く刻まれた試合ではありまして、この試合は急遽加入した堀井がベンチ入り、途中出場、Vゴールという劇的なことがあったことでも知られています(最も彼の活躍はこれが最初で最高だったよな)。 まあどうでもいいことを思い出せば、TV中継はHTBが担当。当時の中継は途中でCMを入れるのが普通でしたが、ウイルのゴールのときはCM中だった、という失態も演じております。 2001年といえば、ドーム使用初年でしたが、選手入場曲が変わってしまって不評、元に戻ったり、成績が上がらずに塩を盛られた、なんてこともありましたなあ。 2.ドームで9月の試合といえば月別で見れば少ない方なのかなと。で前回は3年前の2004年まで遡りまして、そのときの相手も仙台で、1-0で勝利しています。 3.9月中旬といえば、敬老の日がありますから、それにちなんで今試合は「月下美人」がありますな。過去にあった企画では選手と一緒に入場するのが子供ではなくて、爺さん婆さんってことがありましたな。その時も勝っておりますね。 さて今日ですが、先日加入した鄭がベンチ入りかも、との話があるようで。これで出場になれば、6年前の再現かも、と思うのは私だけではありますまい。 最もあんなにドキドキする展開だけは望まないけれどもね。
2007年08月19日
今日の試合を向かえる前に、自分の過去記事を見返してみたら、昨日は入江にとっては重要な日だったのですね。 個人的にはそれから更に3年前にメモリアルがあったのだけれども、これは何のことかを知るのは数少ない。 現在の室蘭は薄曇、風はほとんどない感じです。 最高気温の予想からすれば観戦には快適でしょうが、例によって風が吹き出せば寒いですから、羽織るものを持参ください。 室蘭のJ2の試合で、2時開始といえば2度目になりますが、前回は2000年のホーム開幕戦でした。その時はJリーグ史上初の平日昼間開催(先日のアウエイ京都戦も昼間開始といえば、それ以来の平日昼間試合とも言えるのですが)でしたから、日曜日の2時開始は初めてではあります。 またリーグ戦の日曜日の開催といえば、同じ年に有珠山噴火で延期になった浦和戦以来です。 まあ共に前回がJ1昇格を果たした年、という点では偶然ではないだろうと考えたいですが。 リーグ戦がある3-12月の中で、室蘭開催では8月は唯一未経験でしたから、これですべての月で開催することになります(ちなみもう一つは昨年札幌ドームで12月の試合があって、こちらが先に全月開催になりました)。 さて相手のベルマーレといえば、1998年以来の室蘭登場になります。 まああの時はJ(現在のJ1)でしたし、相手には中田ヒデはじめ代表クラスがごろごろ、当時の入場者数は室蘭開催としては最高記録として現在も残っていて(まあ当時はバクスタが改修前だから、今後も記録が破られることは有り得ないのだけれども)、ずいぶんと遠い目の気分ではあります。 まああの試合は後半ロスタイムにマラドーナのFKで同点に追いついた当たりが、前年の川崎F戦を彷彿とさせてくれたのですが、延長でも決まらず薄暗くなった中PK戦で負けたのでした(結局JFL、Jで延長PK戦まであった時代にコンサは1度もPK戦で勝てずに終わり、公式戦でのPK戦勝利は昨年天皇杯5回戦まで待つことになったのであります)。 まあ正確ではないのですが、PKでは現在草津にいる鳥居塚がアウエイ柏戦に続いて外したのしまったのが印象に残っています(あのPKを決めていれば彼の人生は大きく変わっていたのではないのだろうか・・・)。 つまらないことを書き連ねてしまいました。 まあ今日の試合、中2日であることを思えば先日のホーム鳥栖戦みたいになりそうな気もしないでもありませんが、このような事態のもと、少なくとも負けないで欲しいものです。
ちなみに入江の芝は先週に比べると回復してますが、バクスタ側は少々難があるようです。それでも国立のピッチよりはまとものようですが。
2007年07月14日
今日の試合の可否については、正午に最終判断があるようですが、どういう結果になるのでしょうか。 コンサと試合延期といえば、承知の通り過去2度あって、その後への影響は共に大きいものでした。方やプラスに働き、方やマイナスに働きましたね。 2000年第6節は浦和相手に4/9に室蘭で開催予定でしたが、3/31に有珠山が噴火したことによって延期となりました。その年の道内開幕戦は3/30にJ史上初の平日昼間の試合で、平日ゆえに初めて室蘭開催で観戦できず(月末というのもあったし)ということがありました。 その時にはすでに噴火の予兆はあったのですが強行開催したものでした。 このときの延期は7/16にあったのですが、当時は奇数チームでのリーグ戦だったはいえ、日程的には余裕がまだあって、ちょうど第2・3クールの間に中断の週の設定もあって組み込まれたものでした。 その年J1復帰を果たしたわけですが、当時の岡田監督の振り返りとして、その時点で浦和との対戦が回避できたことが一因とのコメントがあります。 2005年第27節は8/20でアウエイ山形戦でした。その日私は積丹にある某宿に宿泊していて、夕食事にはその日高校野球で連覇を果たした駒大苫小牧に便乗してドリンク1杯サービスなんていうのもありました。 携帯に来るメールでは開始時間の遅れ→中止延期という形になり、ありゃりゃであったのですが、帰札後の練習試合で上里が負傷、結果彼自体も今に至るまで本格的に復調できないままになっています。 まあ当時はまだJ1昇格への可能性を残していましたが、その後4連敗の時期もあって、ダメージは限りなく大きかったとも言えましょう。 さて今日の場合はどうか。 するにしてもしないにしても、すっきりと決めて欲しいですよねえ。 でも延期なった場合、どう組み込むのかは極めて難しいでしょうなあ。
2007年07月11日
改めて書くまでもないですが、J1経験チームとの相性という面では、厚別は福岡相手では鬼門であります。 過去5度あった試合ではすべて負けておりまして、同じJ1経験チームである仙台が厚別で無敗を誇っているのとは好対照にあります。 まあ福岡相手はむしろアウエイの方が勝率が高いことになるわけで、過去5勝しているうち、ホームは1勝のみですな(そう、2003年の室蘭、外国人トリオ3人が唯一揃い、ウイルのハットトリックを含む5-0という試合)。 アウエイ4勝のうち、3回はすべて現地観戦しているというのも個人的な特徴。いちよう記録の列記を。 2001年-ウイルの2発での初勝利。翌日の博多祇園山傘は「炎の宴」参戦で沈没し見られず。 2004年-当時引き分けを挟んで14連敗中からの脱出。そのあとの祝勝会で暴れる。 2005年-唯一見ていない試合。このときは相手の3外国人選手が揃って出場停止という幸運に恵まれたとしか言いようがない。 2007年-つい先日のこと。ここまで書いて言えるのは、初の逆転勝ちであったこと。 そして年間2勝以上した年もないということですか。 さて今夜ですが、今年初の厚別ナイターになるわけですが、天候の具合がどうなのか。 雨が試合中にかかるかどうか。 ここまで晴天の下ばかりでしたから、この辺も気がかりではあります。 どうもネガティブ要素ばかりですが、ここでこそジンクスクラッシャーですよ。
2007年05月25日
かつていろいろなメモリアルディをシリーズ化していたことがありましたが、そういえば今日も特別な日の一つではあります。 そう10年前の今日、厚別で伝説がありました。対川崎F戦。 ロスタイムで2点差を追いついて、最後はバルデスのハットトリックとなる延長Vゴールで勝った試合です。 この試合以後、コンサはホームでフロンターレに勝利がありません(っていうか、この年はアウエイでも似たような展開で勝っていて、勝利そのものもこれ以後無いのだが)。 かつてコンサの前進東芝時代は川崎をホームとしていましたから、この両チームは因縁が深いものがあります。 現状を見れば、あちらはJ1優勝争いもしACLでもJ初の予選突破をしており、こちらJ2暮らしが長くなってしまって差がついたかのようにも見えるのが残念ですが、来年は久々に対戦があるかもしれない状況に来つつあります(その前に今年の天皇杯の可能性もあろうが)。 なれば、こちらも10年以上越の未勝利状態からの脱出機会が近づく今の状況ではあります。 そういえば、こういうのを見かけました。 なるほどではあります。 似たような経過でJ1復帰が実現するのだとすれば、また本望でしょうなあ。
2007年03月30日
もともと室蘭入江陸上競技場は4月にならないと使えないというのが「原則」なのですが、現実としては有名無実化してます。 で3月に限って調べてみますと、どうも分が悪い。 室蘭での3月開催は過去3回。 99年は鳥栖相手に2-3のVゴール負け。 00年は新潟相手に3-0の勝ち。 06年は横浜FC相手に0-1の負け。 00年は言うまでもなく、別格の年ではあります。しかもホーム開幕が「J史上初の平日のディマッチ」という異常事態だったわけで。 ということは、3月の週末試合に限れば、室蘭では未勝利のまま。 まあね、だからどうだいう気分でもないのですよ。 今年くらいジンクスを気にすることなくいけそうな感じはないのですよ。 意味のない盛り上げ方で成績不振を囲うような某球団よりはまともかもしれません。 といつまでも言っていたいものです。
ところで00年の開催は、有珠山が噴火しそうだ、という中で行われたものでした。その後噴火して次に予定されていた浦和戦が延期されることになるのですが、その噴火は3月31日に発生。 つまり、明日は直近の有珠山噴火から7周年目の節目になります。
2006年11月08日
今夜は満を持して、といった表現が正しいような天皇杯4回戦です。 やはり波乱なく終わるのは面白くないので、ここは一つHONDAに負けないようにしっかりやって欲しいものです(比較が違うか)。 まあ苦しいときには過去データをひっくり返すのですが、 見事なほどに5分の成績。 リーグ戦では3勝3敗。 天皇杯では1勝1敗。 勿論、過去の話ですからそれでどうだにはなりません。 基本的に双方ともホームゲームに強い感じですが、アウエイでも1勝ずつしているので、これもまあ参考にはならないでしょう。 でまあ9回目の対戦になりますが、知らなくても困らない初物の話でも。 ・フクアリでは初めて(過去はすべて市原) ・ジェフ「千葉」になってからは初めて ・天皇杯で3回目の対戦になるのが初めて(2回は他に大分・磐田の例がある) ・天皇杯のゲームを平日夜にやるのが初めて 以下どうでもいい話。 現在のルールでは延長もしっかり30分やるので、Vゴール決着はありません。 もともとコンサは延長勝ちの少ないチームで(J2の成績は除く)、過去4度しかありません。それもすべてホームゲームのみ。 そのうち2回がジェフで2度とも室蘭だったというのがどうなんだろう。 PK戦があった時代でも勝てていないから、延長に入った場合は条件として吉となるのかどうか。
2006年07月04日
結局彼が出ている試合を生で見たのは98年の室蘭が最初で最後ということになった。 あの試合、当時の平塚は中田始め小島・名塚・田坂・呂比須・洪明浦という日韓の代表クラスを要したそうそうたるメンバーで、室蘭開催の入場者数としては、未だに記録が破られていないほどの入りではあった。 当時の記録を確認すれば、前半40分に彼の得点があったのだが、あいにく記憶としては曖昧なままでしかない(何せ後半ロスタイムのマラドーナの同点ゴールの方が印象深いもので)。 今回の引退表明について、特段の感想は持っていない。 本人の美学だろうし、ぼろぼろになるまで(キングカズとは10歳違うんだよなあ)やる意思もないのだろうし、そのことでどうこうというものはない。 彼のインタビューを受けた中の発言で、印象的なものが一つある。 時期が正確ではないのだが、確か98年のW杯出場が決まった後のものだったように記憶している。インタビュアーがW杯初出場の感想を求めているのにもかかわらず出てきたのが、 「Jリーグの試合にもっと来てください」 そんなような主旨だったように思う。 あの頃から果たして見る側にどれだけの成長があったのか。 今回のW杯みたいに実態としては、見に行く側もサポートするというよりは観光気分、普段はJの試合など見向きもしない人の方が多いのかもしれない。 省みれば、8年間の成長度合いの低さは、選手のみならず見る側にもあるのかなあ、などと。 そんなことを思い出した昨夜ではありました。
2006年05月19日
先日の赤黒式。さんのをみて、そういえば我が家にもあったようなと探し出してきたのが、これ↓少々ボケているのは私の頭同様撮影の腕が悪いためです。 特に年号が入っていませんが、内容は1997年JFLの前期札幌開催分の日程になります。 この年はスケジュール入りのウイズユーカードが2枚出ていた事になりますなあ。 ちなみに、当時のJFLは16チーム、2回戦総当りですからホームゲームは15試合。 うち札幌開催は12試合でした。 ウイズユーに出てこない残りの3試合とは、 室蘭(VS・NTT関東)、帯広(水戸)、釧路(鳥栖)ということになります。 ついでを言えば、この年のホームゲームは15戦全勝、唯一延長に入って勝利したのが伝説の川崎F戦です。
2006年04月28日
過去同じカテゴリーで対戦したシーズンは3度あります。 で4月の試合といえば2001年、何度書いても痛快です。 快晴、快勝。 今野のデビュー戦。 相手に前園がいたもののちっとも機能せずに前半で交替とか、前年コンサにレンタルされた石塚が先発にいて、サブにはその後コンサに来る小倉・西田といった面子が交替で出場。もう一人の交替は忘れた頃に戻ってきた武田ではありました。 おっとその時は永井が先発していたか。次節は出てくるのかな? どうでもいい話ですが、コンサは5・3の試合でホーム会場が4箇所目になります。例年の事とはいえ宿命です。 ところがうちよりも早く4箇所目が出現するのがヴェルディなんですなあ。 国立霞ヶ丘、味スタ、駒沢、国立西が丘。 うちの移動距離に比べればたいしたものではないけれども。 明日の試合は関東サポにとっては今年の初観戦という人が多い。 今年のJ2は関東に5チームあるのだが、ここに来て初アウエイということは残り4チームとはホームゲームだったわけで。 一方で九州・四国には3チームあるのだが、第1クールはすべてアウエイゲームでホームゲームはない(8月には四国アウエイ連戦なんていうのもある)。 今年は奇数チームでスケジュール組が大変だったのだろうが、やはり今ひとつの感がするのだが。 何度も言ってきたスケジュールの事だけれども、やはり歪だはなあ。
2006年04月21日
今日は「コンサドーレ札幌」として初の公式戦を戦った日になります。 1996年JFL第1節、相手は今はなき福島FCでした。 吉原宏太が高卒ルーキーとして初スタメン・初ゴールを含む2得点があって4-1で勝利しました。 上々の滑り出しでしたが、この年の最終順位は5位でしたなあ。 ニュースとしては当然華々しい取り上げられ方があったのでしょうが、当時はさほどの関心がありませんでしたから、今ひとつ記憶には残っておりません。 出たついでに宏太の事を少々。 確か当時お誘いがあったのは、共にJFLにいた東芝(現コンサドーレ)と富士通川崎(現フロンターレ)でした。 富士通川崎がまだJリーグ準会員への申請をしていなかったので、Jリーガーに早く慣れそうなうちを選んだのです。 もし富士通川崎が申請していれば恐らくそちらを選んでいたでしょうし、コンサの歴史としては大きく変わっていたのかもしれません。
2006年04月07日
早いもので中2日で、明日はもう神戸戦です。 中2日での試合といえば山形戦→愛媛戦がありましたが、前回はアウエイの連続でしたが今回はホームからの移動ですから、疲れのほうはさほどないであろうと思われます。 さて神戸とは2002年以来の対戦になりますが、前回のアウエイ戦は見に行っていました。 W杯明けの最初の試合、しかも監督がイバンチェビッチに変わって最初の試合でもありました。 いい攻めをしていたのですがねえ、0-1の敗戦でした。 かすかな希望を抱いていたのですが、その後の展開は説明するまでもありません。 明日は会場がウイングスタジアムということもあり、観戦に行きます。 実のところ、個人的にはジンクスがあって不安がないわけでもないのですが、今の調子であればそれを払拭してくれるであろうと思います。
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プロフィール
室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。
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