カレンダー

プロフィール

室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

最新のエントリー

月別アーカイブ

リンク集

カテゴリー

コメント

検索

曽田引退表明に寄せて

2009年11月18日

今朝は2時前に目が覚めた。そこでスイッチが入った感じになったので、現状起きたままである。
こうなると、その後に地獄が待っているとも言えるのだが、今はまだ大丈夫で。


本題に入る前に。

昨夕はちょっとした危機にあった。勿論自分自身のいい加減さで招いた事態だから、弁解のしようもないのであるが、その後の処理部分については、正直納得がいっていない。
後味の悪さを残して、消化不良でもあるというのが、なんともなのである。
勿論これだけでは何のことか判らないけど、極めて内輪の話なので、これ以上は触れないが。


そんなことがあったものだから、曽田の引退を知ったのは少し遅れてからではあった。

8月のサテライト大宮戦で復帰したときには、近いうちに少なくともベンチ入りくらいはあるだろうと思っていたのだが、現状果たせないままできている。

その後の公式HPに出てくる様子を見ていて、何となく、もしかしたらくらいの感じはあったのだが、まさかこんなにあっさりくるのか、の印象がまずあって。


過去見てきた中での最大の印象は、やはり2002年の最終戦、今後Jの試合規約が改正されない限りハッキリしているリーグ戦最後の「Vゴーラー」。
ハットトリックのおまけつき、しかも途中出場だった(途中出場といえば、この試合でデビューした相手GKは、現在レンタル中でありながら、恐らく戻ってくることはないであろう彼でありましたなあ-あのレッグラリアートも忘れられない-まさかそのときには後にチームメイトになるとは思っていなかったし-ってこの試合自体もいろんなことが出てくる-「J2第0節」も懐かしいねえ)。


まあこれは記録としては、永遠のものだろうけれども、彼に関しては記憶に残る部分の方が多い。

それもどちらかと言えば、負の部分で。

何度か書いてきたけれども、2003年金曜夜のアウエイ川崎F戦のバックパスを取られたのが決勝点で負けたとか、2006年函館での柏戦のあれとか(奇しくも相手監督はどちらも石崎氏でしたか)。


昨夜来、公式ブログやら某掲示板の書き込みの多さを見て、改めて愛された選手であったことを認識したこところではあります。

このようなタイプの選手は2度と出てこないのだろうなあ、というのが率直なところ。

この程度で語りつくせるものではありませんが、誰かが言っていたように、「一つの時代の終わり」感は強いですなあ。


ところで、チーム史上初の引退セレモニーがあるようだ。
勿論これをするためには、シーズン中に引退表明をする必要があるのだが、これも初めてではないのかねえ?

多くは合同トライアウトなどを経て、止むを得ず引退に追い込まれる方が圧倒的に多いのに比べれば、幸せものだとは思いますね。

大学の大先輩であるゴン中山が、現役に拘るのも一つの道ですが、潔く去っていくのも、またきれいなのかな、と考えたりもします。


post by akira37

04:55

コメント(0)

この記事に対するコメント一覧

コメントする