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室蘭市生まれ。 初観戦は1996年の大分戦@入江、ただし後半から(前半はTV観戦-過去の日記から判明)。当時は入江から徒歩10分くらいの所に住んでいた。 初フル観戦は1996年の大塚戦@入江。 現在はカテゴリー3でまったりと観戦。 原則的には平日は札幌、週末は室蘭で生息中。 ちなみに厚別公園陸上競技場は札幌宅から徒歩約15分、入江公園陸上競技場は旧実家から徒歩約10分のところにあります。 2009年6月札幌宅の引越しをしましたが、5回目の場所も厚別公園までの所要時間はほとんど変わっていません。 でしたが、2023年6月末に定年退職、22年ぶりに二重生活を終了して札幌宅の住所はなくなりました。 もっとも相変わらず月に何度も札幌に行きますので、ブログタイトルは変更していません。 現在コンサに関わる部分としては、サポーターズ持株会会員、ファンクラブ会員、ついでに札幌ドームカード会員。 シーズンパスは2002年以後毎年所持しています。 最近はtwitterもやっております。ネームはakirabouz。最低毎朝つぶやいていて、あとはその時々でゆるゆると。

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奈落の底からここまで来た

2011年12月02日

本題に入る前に。
おとといアクセス数が150万を超えたのだな。いやあどう表現したらいいのか難しいのだけれども、こんな小難しいブログに付き合っていただき有り難い次第ではあります。


勿論回顧をするには早すぎるのだけれども、良くぞここまで来たという感慨を持った方が良いだろうと、ちょっとだけ触れて考えることにした。

昨年の天皇誕生日にはサッポロファクトリーでトークショーがあったのだが、気持ちとしてはその頃がどん底であったもので。
次々と選手がいなくなる、その発表のピークがその日でもあったのだな。

そのときには「0からのスタート」ではなく、「マイナスからのスタート」くらいの覚悟があったのだが、その後河合獲得の発表辺りを契機にして気持ちのうえで持ち直した記憶がある。

とはいえ、開幕戦を見たときには、また気分がどん底になったのは説明を待つまでもない。

震災による中断明けのホーム開幕戦も負けて、コンサのJ2リーグで初めての連敗スタートになって絶望的になったのに、あの時の反町監督のコメントは、今だから言えるのだろうが予言的なものがあったのだな。

「昇格請負人」岡山の加入後のドームでの表明に対しても、まだ半信半疑でいたのだし。

その後ことはもう書かない。


ここのところ時間に余裕ができると、頭の中では盛り上げるための音楽が勝手に鳴り響く。
私の場合は当然にクラシックになるから、結構長くて疲れてしまうのだが。

そんなところで昨夜は何をかけようかと選んだのが、1996年アトランタ五輪の公式CDアルバムで。
改めて聴くに、心情的には現在の心境から勝利後までを表現しているかのようでもあり、また燃えてくるものではあったのだな。

別段意識したのではなかったのだが、1996年はコンサがスタートした年である。
そしてアトランタ五輪でサッカーといえば「マイアミの奇跡」ではあって。
そう日本がブラジルを下したあの試合のことではある。

別に「奇跡を起こす」という意識ではないにせよ、ここまでつらつら結びつけられるのも、明日に向けての緊張感が引き起こしているのかもしれない。


いやはやもはや普通ではいられない。

しかし今日は通常通り仕事があるから、日中は努めて冷静に。
そして帰宅後は持てる限りのパワーを蓄えて明日の決戦に備えたい。


post by akira37

05:01

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